『うわん 流れ医師と黒魔の影』 彼女の善き心と医者であることの意味
墓の下から逃げ出した妖を捕らえ、妖怪うわんから弟・太一を取り戻すため奔走する真葛。そんな中、助力を求めてきた小石川養生所に向かう途中、彼女が出会ったのは流れ医師の春之だった。養生所をはじめとする各地で起こる妖事に巻き込まれる二人だが、春之の身には黒い影がまとわりついていた……
小松エメルの『うわん 七つまでは神のうち』の続編であります。作者の代表作である『一鬼夜行』に比べ、かなりダークな側面の強い第一作には少々驚かされましたが、本作においてはその路線を受け継ぎつつも、前作と少々異なる味わいを生み出しています。
未だ起き上がるのがやっとの父を助け、「医者小町」として今日も忙しく働く真葛。しかし彼女の背負ったもう一つの使命――弟・太一が解き放ってしまった九百九十九の妖封じは、妖の数こそ大きく減らしたものの、今もなお、彼女に重くのしかかっています。
そして妖たちを束ね、太一に取り憑いたうわんも、相変わらず不気味な姿と邪悪な言動で、彼女を悩ませることも変わりません。
そんな状況の中、彼女の家に届いた、最近設立されたばかりの小石川養生所からの助けを求める書状。不穏な気配を感じ、太一(とうわん)とともに養生所に向かった彼女の前に現れたのは、諸国を流れて診察を行う若き流れ医師・春之でした。
彼にどこか反発を感じながらも、共に養生所を訪れた彼女が見たのは、そこにいるはずの医師が一人も姿を見せず、そして妖めいた奇怪な症状を見せる患者たちの群れ。
何とか春之と協力してその場は切り抜けたものの、何故か次々と妖事に巻き込まれる真葛と春之。そして春之自身にも、奇怪な黒い影がまとわりついていて……
と、サブタイトルどおり流れ医師である春之と、彼にまとわりつく黒い魔の影が中心となる本作。そこで、なるほど少々異なる味わいというのは、真葛のお相手役が登場するからなのね、と考えてしまうのは、半分は当たりで半分は正確でないように感じます。
確かに春之はなかなかの好男子。ビジュアルはもちろんのこと、確かな腕と見識を持ち、苦しむ人には優しい、医師としては申し分のない人物であります。真葛に対しては上から目線だったり、時折翳りを見せるのも、むしろよいスパイスでありましょう。
が、それくらいで真葛がぼうっとなってしまうはずもありません。何よりも彼女は重すぎる使命を背負っているのですから――
そんな彼女にとって春之が救いになるとすれば、それは彼が魅力的な異性だから、というわけではなく、彼女と同じものを――医者としてはもちろん、もう一つの面でも――見ているためでありましょう。
女性だから、などというのではなく、一個の人間としてあまりに重いものを背負わされた彼女にとって、自分を見つめるのではなく、自分の見ているものを理解し、ともに同じものを見てくれる存在が、どれだけ救いとなるか……
そして本作の最大の魅力であり、意義は、春之の存在を、彼とともに奔走することを通じて、真葛が医者であることの意味を浮かび上がらせることであると、私は感じます。
医者として苦しむ人を癒やし、助ける。それはまことに尊く素晴らしいことでありますが、しかしもちろん、医者の世界は素晴らしいことだけではありません。
自分の力の限界で、救えない命もある。あるいは、どの命を救うのか、選択を迫られることもあります。よかれとしてしたことが、裏目に出ることすらあるでしょう。
そんな中で懸命に医師であろうとする彼女の言動を、うわんは綺麗事と嘲笑します。
それは確かにそのとおりかもしれません。彼女の利他的な言動はあくまでも理想であり、全てそのとおりにできるわけでもなく、また彼女のその行動とて、結局は自分のため、利己的なものと言えるかもしれないのですから。
しかし――それでも、たとえ綺麗事であっても、人を助けたい、自分にできることをしたいと努力する彼女の想いもまた、真実のものであることは間違いありません。
人の生き死にという極限の世界に直面してもなお、自分を、他人を信じ、諦めない。そんな医者としての彼女の姿は、辛い運命にもくじけぬ彼女の人間としての強さと、善き心に重なってくるのであります。
人を、この世を醜いものと断じ、そしてそれを真実、本音として語るうわん。その言葉を理解しつつも、それだけではない、この世には善きことが、美しきことがあると信じ――それがもしかすれば偽善であったとしても、いつか本物としてみせると奮闘する真葛。
本作で描かれているのは、その両者の対決であり――そしてそこには、一方的にうわんの無理難題に苦しめられてきた彼女の姿は、もうないと……そう感じるのです。
『うわん 流れ医師と黒魔の影』(小松エメル 光文社文庫) Amazon
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