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2015.03.31

『BURNING HELL 神の国』 地獄と人間を描く二つの物語

 時は江戸時代、日本列島と朝鮮半島の真ん中に浮かぶ、日朝の凶悪犯を流刑する極島。そこに流された日本の食人鬼剣豪・ジュウを待っていたのは、朝鮮の殺人鬼医師・ハンだった。激しくぶつかり合う二人だが、そこに西洋の海賊船が渡来。海賊の「宝」を狙う二人の前に、黒魔術を操る船長が現れる……

 私は連載漫画は基本的に単行本派なのですが、それ故に単行本化されると思っていたものがされず、後悔することがままあります。

 『週刊ビッグコミックスピリッツ』誌に短期集中連載され、連載第1回にこのブログで紹介し、残りは単行本化されてから……と思いきや、いつまでも単行本化されずにいた、梁慶一&尹仁完の『新暗行御史』コンビによる『BURNING HELL』もそんな作品の一つ。
 しかし実に7年後に、昨年『月刊!スピリッツ』誌に短期集中連載された『神の国』とカップリングの形で単行本化されるました。

 『BURNING HELL』の主人公となるのは、日本人武士・ジュウと朝鮮人医師・ハン。
 それぞれ異なる理由から絶海の孤島に流刑となった二人が、海賊たちを向こうに回し、やむなくコンビを組んで大暴れ――と書けば、真っ当な(?)時代アクションのように見えますが、とんでもないのは主人公二人の素性。

 ジュウは千人以上の武士を殺し、喰らった食人鬼。ハンは千人以上の人間を殺し、解剖してきた殺人鬼――
 ジュウは流刑先で解放されるやいなや護送の役人たちを鏖殺し、ハンは同じ島に流刑されてきた人々を生皮剥いで解剖し……と、とにかく、無人島で絶対一緒に暮らしたくない筆頭のような連中なのであります。
 そんな二人の暴れっぷりたるや推して知るべし。もう道理も理屈もへったくれもなく、ただ殺したいから殺す、こいつらが地獄だとしか言いようのない惨状であります。

 それでいて、それぞれ左目と右目を失った二人が、いざとなれば互いの目を補い合うような動きを見せるというのは、お約束ながら気持ちイイところですが……

 何はともあれ、本作ではそんな二人の大暴れが冒頭からラストまで、ほとんど休みなく続くのですが、全4回の中編とはいえ、これは凄まじいパワー、この辺りはもう作者たちの、特に作画の梁慶一の力量としか言いようがありますまい。

 物語の方は、二人が「ロア」の秘術を操る船長を叩き潰し、生け贄にされかかっていたイギリスの王女を救い出した、いや奪い取ったところで幕となるのですが――
 結末ではさらなる地獄の連続が示唆されているだけに、いつの日か、再び地獄の釜の蓋が開く時を恐れつつも待ち望んでしまうような作品であります。


 もう一編の、こちらは金銀姫が0原作を担当した『神の国』は、(おそらくは)架空の朝鮮王朝期を舞台としたゾンビ時代劇。
 金で雇われ、刺客に追われる王子イムンを護衛することとなった山賊ジェハが、死者が夜になると蘇り生者を喰らうという奇病・生死疫が蔓延した地で逃避行を続けるという物語であります。

 ここで登場する生死疫の罹患者は、いわゆる走るタイプのゾンビなのですが(ここで梁慶一が『死霊狩り』を漫画化していたことを思い出しました)昼間は活動できないこと、噛まれても必ずしも罹患するわけではない点が特徴。
 特に後者には、この病の正体・発症の条件に繋がるある凄惨な秘密が隠されており、それが本作の世界観と、そしてイムンの背負っているものと結びついてくるのには唸らされます。

 そしてその中で、世を拗ねていたジェハの過去の物語も同時に浮かび上がっていくという構成も巧みで、こちらもいわば第一部完といった終わり方ながら、やはり続編を期待したくなる物語でありました。


 それぞれ全く異なる形ながら、この世に生まれた「地獄」と、その中でも逞しく生きようとする(そしてそれが地獄を生んでしまったりするのですが)「人間」の姿を描いた二編を収録した本書。
 どちらもそれなりに重く血腥い作品ではあり、人を選ぶかも知れませんが、読み応えある一冊であることは間違いありません。


『BURNING HELL 神の国』(梁慶一&尹仁完&金銀姫 小学館ビッグコミックス) Amazon
BURNING HELL 神の国 (ビッグコミックス)


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2015.03.30

『僕僕先生』第1巻 芳醇な世界像をさらに豊かで確かなものに

 以前、『Nemuki+』誌での連載開始を紹介してからさほど経っていない印象もありますが、早くも漫画版『僕僕先生』の単行本第1巻が刊行されました。言うまでもなく仁木英之の人気シリーズの漫画化であります。

 今回の漫画化の原作となっているのは、シリーズ第1弾『僕僕先生』。主人公たるニート青年・王弁と、(見かけは)美少女仙人の僕僕と、最初の冒険を描いた物語であります。
 そんなこともあってか、この漫画版は、内容的にはかなり原作に忠実に感じられます。
 冒頭こそ、「その後」の王弁の姿を描くというなかなか心憎いアレンジが加えられているものの、それ以降の展開――僕僕と王弁の出会いと旅立ち、長安での司馬承禎との出会いから宮廷訪問までの物語自体は、ほぼ原作どおりの印象です。

 しかし、『僕僕先生』をこの漫画版で初めて眼にする方はともかく、原作既読者は読むまでもないか、といえばもちろんそれは否、であります。
 ここに展開されるのは、原作において文章で記されてきたものから受けるイメージをそのまま具現化したような、いやそれ以上の世界が広がっているのですから。

 僕僕の、小悪魔的な部分と無邪気な部分が共存したような可愛らしさ、そして王弁の、頼りなくも好ましくもある純粋さ。
 この二人の描写を中心に、登場するキャラクター一人一人が、こちらがこれまで原作を通じてきて抱いてきたイメージどおり、あるいは少々異なっていても全く違和感なく受け止められる姿で、物語の中を闊歩しているのであります。

 しかしそれ以上に感心させられるのは、彼らの背後に存在する世界描写でありましょう。
 王弁の暮らしてきた田舎町から、河伯の船で二人が通り過ぎてきた世界、そして華やかな長安に至るまで――いや、間接的な描写であったものの、第1話で王弁が異国の楽人から聞いた、その遙か彼方の故郷も含めて、様々な人々が暮らす様々な地の何気ない描写が、実に良いのであります。

 この『僕僕先生』というシリーズは、一種のロードノベルであります。
 広大な中原を、いや人界に留まらぬ仙界・天界まで広がっていく物語の中で描かれるのは、王弁がその地の人々との出会いと別れ、衝突と理解の様であり――そしてそれを支える土台となるのが、様々な世界そのものであることは、言うまでもありません。

 この漫画版はそれをさらりと――しかし、決して手を抜くことなく、見事に描き出してくれるのが嬉しい。
 それはあるいは、どうしても視点が作者の用意したそれに固定されてしまう小説というメディアと、ある程度俯瞰して、そして読者自身の意識で視点を動かすことのできる漫画というメディアの違いかもしれません。しかしその違いを理解した上での漫画化は、特に本作のような作品では大きな意味を持つと感じます。

 上で述べたとおり、これから先、人界のみならず仙界・天界にまで広がっていく物語。
 そこで王弁と僕僕を待っている世界の姿を――我々自身の世界から類推して想像することすら困難な世界の姿を、本作がどのように描き出してくれるのか。

 それはまだわかりませんが、しかし『僕僕先生』という物語の芳醇な世界像を、さらに豊かで、確かなものにしてくれるであろうことは、期待してよいことだと感じます。


『僕僕先生』第1巻(大西実生子&仁木英之 朝日新聞出版Nemuki+コミックス) Amazon
僕僕先生 1 (Nemuki+コミックス)


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 「僕僕先生」
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 「胡蝶の失くし物 僕僕先生」
 「さびしい女神 僕僕先生」
 「先生の隠しごと 僕僕先生」 光と影の向こうの希望
 「鋼の魂 僕僕先生」 真の鋼人は何処に
 「童子の輪舞曲 僕僕先生」 短編で様々に切り取るシリーズの魅力
 『仙丹の契り 僕僕先生』 交わりよりも大きな意味を持つもの

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2015.03.29

『宇喜多の捨て嫁』(その二) 「人間」という名の絶望

 戦国時代に悪名高き梟雄・宇喜多直家を中心に描かれる奇怪な連作短編集『宇喜多の捨て嫁』の紹介後編であります。超人的なまでの存在感を持つ直家の中の「人間」――それは、表題作に続く5編の中で描かれることとなります。

 幼い頃に祖父を暗殺され、父に捨てられて母と二人苦難の流浪を続けた直家の、余人にはない力が思わぬ惨劇を呼ぶ『無想の抜刀術』
 浦上家中で頭角を現し、妻子と幸せな家庭を築きながらも、それが故に主によって地獄に叩き込まれる直家の姿『貝あわせ』
 もはや家中でなくてはならぬ存在となりながらも、それ故に彼以上の梟雄を気取り、彼を疎んじる非情の主との対決『ぐひんの鼻』
 直家の三女と婚姻し、宇喜多家を継ぐこととなった浦上宗景の嫡男・松之丞と、直家の不思議な想いの交錯が描かれる『松之丞の一太刀』
 芸の道に溺れ、直家の奸計に嵌まって母を見殺しにした鼓打ちの眼から見た直家の最期の姿と奇怪な因縁の終焉『五逆の鼓』

 時代や舞台は異なれど、ある意味、表題作の裏側を描いてきたこれらの作品で描かれるのは、何故直家がそうなったか、の物語であります。
 苦難に満ちた少年時代を乗り越え、己の才知でもって主家を支える存在となった直家――普通であれば立志伝中の人物ともなりそうな彼を襲うのは、運命の、そして周囲の人物の悪意。
 純粋だった彼の心は、その悪意に晒されるうちに、黒く染まり、やがては彼自身が巨大な闇の如き存在となっていくのですが――しかしそれは、彼が人間的でありすぎた、人としての情を持ちすぎたがゆえなのであります。

 しかしそれは、彼が単純に悲劇の主人公であるということを示すものではありません。彼の身から血膿を吐き出し続ける傷口。
 彼の怒りと哀しみの、背負った呪いの象徴ともいうべきそれは、彼の「復讐」が果たされた後も、そして彼の「原罪」が(本人は知らぬとはいえ)既に赦されているにもかかわらず、変わらず血膿を生み続けるのですから……

 彼が非人間的な魔人であれば、あるいは純粋に悲劇の主人公であれば、どれだけこちらの心が安まったことか。
 しかし本作の中で描かれるのは、彼があくまでも人間であり、そしてそれが故に罪を重ね、周囲を、自らを破滅に導いていく姿なのですから。

 本作において直家の特異な才能として描かれる「夢想の抜刀術」――人の生存本能の極みと言うべき、危機に反応して抜かれる太刀捌き。それは程度の差こそあれ、人であれば皆が持つ選択肢の象徴でありましょう。


 そして……私は自分自身に問わざるを得ません。自分がどちらかを選択せざるを得なくなった時、自分は「抜く」ことを堪えられるのかと――

 戦国という時代が生んだ超人的な梟雄を描きながらも、そこに時代を超えて存在しうる、人間の一つの極限の姿を描き出す。
 本作がどこまでも恐ろしく、暗鬱に感じられる真の理由は、そこにあるのではありますまいか?


『宇喜多の捨て嫁』(木下昌輝 文藝春秋) Amazon
宇喜多の捨て嫁

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2015.03.28

『宇喜多の捨て嫁』(その一) イメージに忠実な梟雄伝……?

 表題作でオール讀物新人賞を受賞、そして昨年下期の直木賞ノミネートと、実に輝かしい経歴の本作。しかし、そこで展開されるのは、どこまでも恐ろしく、暗鬱な物語――それもそのはず、本作の中心となるのは、戦国時代の大悪人として今なお知られる、宇喜多直家なのですから。

 戦国時代後期に、備前・美作・播磨で覇を唱え、その子・秀家に続く宇喜多家の隆盛を、ほとんど彼一代で成し遂げた直家ですが――しかしその人生は裏切りと謀略、暗殺の連続として名高いもの。
 特に自らの妻の父である中山信正を討ち、さらにその後娘たちが嫁した先も容赦なく攻め滅ぼしていった様は、後に旧主である浦上宗景を追放して備前を奪ったこと以上に、彼にネガティブな印象を与えています。

 さて、本作の表題作となっているのはまさにその娘の一人、四女の於葉の目から見た直家の物語。
 これまでこれまで母が、姉たちが父の覇業の犠牲となってきた様を目の当たりにして父に強い反発を感じながらも、父の決めるままに美作の後藤勝基のもとに嫁入りすることとなった於葉。
 そんな彼女を、後藤家の嫁取奉行は、彼女を「捨て嫁」と――暗殺・謀略を繰り返す彼女の父・宇喜多直家にとって、彼女は捨て駒ならぬ捨て嫁だと――嘲ります。

 その屈辱に耐えつつも、「その時」には父を討つ覚悟で嫁した於葉は、幸いにも優しい夫に迎えられて幸せな暮らしを送ることとなります。
 しかしそれもつかの間、やはり不穏な動きを見せる直家。しかもその中で浮かび上がった後藤家中の内通者は、意外な人物でありました。後藤家の人間として、ある覚悟を決める於葉ですが……

 「捨て嫁」というシンプルかつ残酷なキーワードで、一瞬にして作品世界にこちらをのめり込ませておきつつも、さらにそこから二転三転する残酷な権謀術数の世界を――それもある意味ピュアなヒロインの眼を通じて――この作品は、確かに高い評価もむべなるかな、と感じます。


 しかし個人的には、この作品のみでは、あまりノることができなかった……というのも正直なところ。それは簡単に言ってしまえば、ここで描かれる直家像が、あまりに通俗的に感じられたためであります。

 上で述べたとおり、希代の悪人、乱世の梟雄として知られる直家。表題作で描かれる直家は、確かにそのイメージに忠実であります。
 いや、忠実に過ぎると申せましょうか――最近の研究では、家臣や領民にはそれなりに慕われていたなど、それ以外の側面もうかがえる人物だけに、梟雄という点のみを、これでもか、とクローズアップする内容に、単純な割り切りのようなものを感じてしまったのであります。
(戦場では般若の面をかぶり、そして体中から血膿をまき散らす業病を背負うというキャラ造形もまた、その印象を強めます)


 が……もちろんそれが、恥ずかしながら私のあまりに浅薄な思いこみであったことは言うまでもありません。
 表題作のほか、本作を構成する5つの短編――時代と視点を融通無碍に変えながら展開していく物語の中に描かれるのは、そうした、ほとんど超人的な梟雄たる直家の中の、「人間」の部分なのですから……

 以下、長くなりますので次回に続きます。


『宇喜多の捨て嫁』(木下昌輝 文藝春秋) Amazon
宇喜多の捨て嫁

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2015.03.27

『大帝の剣』第4巻 決着、剣豪対怪物対宇宙人!

 横山仁による漫画版『大帝の剣』も、この第4巻でついに完結。三千世界最強を目指す万源九郎と、彼の前に次々と現れる異形の強者たちとの戦いも、いよいよ盛り上がるのですが――そしてそれだけでなく、さらにとてつもない秘密が明かされ、物語はクライマックスに突入することとなります。

 空から来たという存在・ランをその身に宿した豊臣家の娘・舞を連れて旅することとなった源九郎。彼の持つアレキサンダー大王の大剣、牡丹こと天草四郎の持つゆだのくるすと並ぶ三種の神器の最後の一つ・軍神の独鈷杵を求めて飛騨に向かった彼らの前に現れた外法僧・祥雲、その正体は、実はランを狙う宇宙からの敵……!

 かくて飛騨を舞台に始まるのは、源九郎と異形の怪物と化した祥雲の対決――と思いきや、そこに舞の身を狙う伊賀の忍びたちが、そして黒鉄の鬼が乱入。
 さらに牡丹が、宮本武蔵が、再生佐々木小次郎が、佐助が才蔵が、そして……これまで物語に登場してきた強者たちがここに集い、さらに○様まで登場しての大乱戦が始まることとなるのであります。
(あっ、柳生十兵衛のこと忘れてました)

 しかしここで白状すれば、これだけの面子、それもそれぞれに複雑な因縁を持つ顔ぶれが集まって、わずか残り一巻で決着をつける、いや物語をきちんと締めることができるのか……と、内心不安に思っていたのですが、それは全くの杞憂。

 ほとんど一巻丸ごと使って展開されるバトルまたバトル、その合間に明らかになる真実とまたバトル――そんな怒濤の展開の末に、きっちりとメインどころのキャラクター一人一人の運命に決着をつけ、そして『大帝の剣』という物語の根幹となる設定を描いた上でまとめてみせたのには、ただただ感心するほかありません。

 そしてそれを可能としたのは、実にこの漫画版ならではの源九郎の個性であります。
 原作の、茫洋とすら言えるほどの器の大きさを持つ心優しき巨漢とは異なり、強そうな相手と見ると黙ってはいられない暑苦しい熱血漢である源九郎。
 本作では、そんな三千世界最強を目指すという彼のある意味単純なモチベーションが物語を引っ張り、入り組んだ状況を一刀両断してきました。

 この辺り、一歩間違えれば物語を単純すぎる代物にしかねないところではありますが(そしてさじ加減を誤れば、源九郎が単なる戦闘狂になってしまうところですが)、そこをギリギリのところで踏みとどまって、痛快な大活劇にして見せたのは、この漫画版ならではの魅力と申せましょう。

 確かに、さして出番のないまま終幕となってしまったキャラクターもおりますし、設定の説明など駆け足に感じる部分はあるのですが、本作の熱量の前には、それもさして気になりません。
 何よりも本作が、原作を初めて手にした時の興奮を――剣豪対怪物対宇宙人のバトルロイヤルの高揚感を甦らせてくれたことは、間違いなく事実なのですから……


『大帝の剣』第4巻(横山仁&夢枕獏 幻冬舎バーズコミックス) Amazon
大帝の剣 (4) (バーズコミックス)


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2015.03.26

『ねこまた。』第2巻 見えなくともそこにある「情」

 京の町を舞台に、岡っ引きの仁兵衛親分と、彼に取り憑いた不思議な「ねこまた」を中心に、彼らの日常(?)風景を描く四コマ漫画『ねこまた。』の第2巻であります。この巻では年の瀬から翌々年の年明け辺りまで、四季折々の物語が描かれることとなります。

 主人公の仁兵衛はちょっと苦味走ったいい男、椿の彫物が入った喧嘩煙管を得物代わりにした(これで打ち据えた悪人には椿の痣が残るというのがまことにイキ)岡っ引きなのですが……彼の岡っ引きとしての活躍を描く作品では、本作はありません。

 仁兵衛のあだ名「ささめ(つぶやき)」の由来は、彼がしばしば一人で何かつぶやいているから、というあまり格好良くないものですが、実はこのつぶやきの相手が、彼が子供の頃から憑いている猫又ならぬ「ねこまた」。
 本作は、彼自身に憑いたねこまたと、彼の家についた四匹のねこまた、そんな彼らと仁兵衛のやりとりが描かれていくことになります。

 基本的に彼らの、周囲の人間たちの日常風景を四コマで描いていく作品ゆえ、この巻においても大きな物語の進展はないのですが、逆にそれが何とも好ましく、ほほえましい本作。

 他の人間には見えず、感じることもできない存在と言葉を交わす男というのは、一歩間違えればアウトな存在かもしれません(実際、上記のとおり「ささめ」と呼ばれてしまっているわけですが)。
 しかし本作において描かれる彼らの交流は、実によく「わかる」と申しましょうか――決してあからさまではないものの、そこに確かにある「情」の存在に、しっかりと共感できるのであります。

 それは、一つのとっかかりとして、今なお(形を変えつつも)残る四季折々の風物・風習が魅力的に描かれていることもありましょうが、それ以上に、直接言葉を交わすことが叶わない相手だからこそ、かえって強く伝わるものがあるということかもしれません。

 このようなブログを続けながら申し上げるのも何ですが、私は決して江戸時代が最高、という人間ではないのですが、本作を読んでいると、ここで描かれているのは、より「そういうもの」に耳を、目を、心を澄ませやすい時代であり、そこに一種の憧れを抱く気持ちは確かにあります。


 しかし、第1巻同様、この巻においても、楽しいこと、微笑ましいことのみが描かれているわけではありません。
 この巻に収録された二つの短編(通常の漫画形式)――異常に犬を怖がる、いや犬をおそろしがる同心の寺島様の過去を描いたエピソードと、ねこまたが見える自分自身の力を疎ましく感じていた仁兵衛の子供時代のエピソード――で描かれるのは、本編とはまた異なる「情」の、その掛け違いの存在であります。

 普段が普段だけにどちらも胸に突き刺さるような内容なのですが(そしてその触れ幅を自在に操ってみせるのは作者の腕の冴えなのですが)、しかしそれもまたこの世の姿でありましょう。
(四コマの方でも、仁兵衛の家に住みついた猫の親子のエピソードが……)

 それを拒否せず、敢えて作品の中で描いてみせるのもまた、一つの優しさであると感じるのです。


『ねこまた。』第2巻(琥狗ハヤテ 芳文社コミックス) Amazon
ねこまた。 2 (芳文社コミックス)


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2015.03.25

『妖草師 人斬り草』(その二) 人の、この世界の美しきものを求めて

 武内涼の『妖草師』シリーズ第2弾、『妖草師 人斬り草』の紹介の続きであります。人の世に芽吹いた妖草と戦う者たちの姿を描く本作、そのもう一つの魅力とは――

 そのもう一つの魅力は、各話に登場するゲスト陣の豪華さでありましょう。
 上に述べたとおり、本作に、本シリーズに登場するのは、蕭伯・大雅・若冲・源内・蕪村……いずれも綺羅星の如き顔ぶれですが、実はそこには一つの共通点があるやに感じられます。

 それは、彼らがいずれも独特の美意識を持った、優れた文化人であること――そして実はその点が、『妖草師』という物語において、単なる賑やかしに留まらぬ大きな意味を持つのであります。

 その点が最もはっきりと表れているのが、冒頭に収められた『柿入道』です。
 恐るべき柿の妖木との戦いを描く本作において描かれるのは、重奈雄の、そして椿の戦う理由、求めるもの。
 ……それは一言で表せば、「この人の世の美しさ」であります。

 人のネガティブな心性を養分とする妖草。当然、それとの戦いの中で、重奈雄はその心性と――人の世の暗黒面を煮詰めたようなものと否応なしに直面させられることとなります。
 そんな中にあって、美しきもの――それはもちろん、単に美醜というに限らない概念ですが――の存在は、重奈雄の心の慰めとなることはもちろんのこと、この世から妖草を退ける、希望ともなるのであります。

 それはまた、花道家たる椿にとっても大きく変わるところではありません。
 花道が、人の手によって草花を用い、自然の美しさを切り出す、あるいは再現することにあるのであれば、その営みはそのまま、重奈雄と異なる形で妖草の存在を否定し、滅ぼすことにも繋がりましょう。

 そして――先に述べた通り、本シリーズに登場するゲストたちが、いずれも「美」を求め、生み出す者たちであることも、まさにこの点に通じるのではありますまいか。
 たとえ重奈雄のように、直接に妖草と――人の心の暗黒面の象徴と戦うことはなくとも、その美によって、椿のように彼らもまた、人の心の光を見せることで、間接的に戦っているのですから……

(そして本作が作者の作品の多くで扱われている戦国時代ではなく、江戸時代を舞台とするのも、その美を生み出す豊かな文化が芽吹いた時代である点によるのでしょう)


 本作は、奇怪な妖草との戦いを、実在の人物を絡めつつ描いた、優れた時代伝奇小説であります。
 しかしそれに加えて、本作で描かれるのは、この世界の、人間の善き部分の真摯な肯定であり、賛歌なのであります。

 ある意味作者の作品の特徴ともいうべき、その生真面目さから来る青さ、生硬さは、本作でも感じられる部分はあります。
 しかしそれとても、作品の根幹に根付いたものとして好ましく感じられる――本作はそんな作品であります。


『妖草師 人斬り草』(武内涼 徳間文庫) Amazon
人斬り草: 妖草師 (徳間文庫)


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2015.03.24

『妖草師 人斬り草』(その一) 奇怪なる妖草との対決、ふたたび

 常世に育ち、人の心を苗床に現世に芽吹く異界の草花・妖草を刈る妖草師の戦いを描くシリーズ、待望の第2弾であります。長編の前作に対し、本作は短編集。しかしシリーズとしての魅力は、本作も変わるところはありません。

 常世――「向こう側」の世界という出自に相応しく、この世のものならざる生命と能力を持つ妖草。人の強い想い、特にネガティブな感情に反応して、古来から現世に出現したこの妖草に挑んできたのが、妖草師と呼ばれる人々であります。
 江戸時代中期を舞台とする本作の主人公・庭田重奈雄もその一人。公家に生まれながらも故あって放蕩に身を持ち崩し、家を追われて今は京の町屋で植物医を表の生業とする青年であります。

 そんな彼の周囲に集まるのは、花道・池坊宗家の娘にして妖気を察知する天眼通の持ち主・椿や、後に大画家として名を挙げる変人絵師・曾我蕭伯、ある事件がきっかけで彼らの知己となった池大雅といった面々。
 その池大雅の家に現れた妖草退治をきっかけに、京の闇で暗躍する邪悪な妖草師と重奈雄の戦いは、江戸の紀州藩邸を舞台とした壮絶な死闘にまで発展し――というのがシリーズ第1作『妖草師』の物語ですが、本作はその直後から始まる5つの物語が収録されております。

 京の名刹・養源院の住職の夢に毎夜現れる奇怪な入道に、江戸から帰還した重奈雄が挑む『柿入道』
 山村の田に現れた瑞草と妖草、二つの存在に若き日の伊藤若冲が絡む『若冲という男』
 京で姿を消し、一瞬のうちに江戸に現れた少女と出会った平賀源内が妖草騒動に巻き込まれる『夜の梅』
 文覚ゆかりの神護寺の紅葉に紛れて人を襲う吸血植物に襲われた与謝蕪村と重奈雄らの出会い『文覚の袈裟』
 拷問によって無実の人々を罪に陥れてきた西町奉行所に生まれた恐るべき人斬り草と重奈雄・蕭伯の死闘を描く『西町奉行』

 以前、『伊藤若冲、妖草師に遭う』のタイトルで『読楽』誌に掲載された第2話のほかは、いずれも書き下ろしの作品であります。


 さて、本作の魅力は、まずはその妖草たちの奇怪な存在にあることは言うまでもありません。

 物理な脅威であるだけでなく、時に魔力としかいいようのない力を持ち、獲物を求めて自在に移動すらする……
 一つところから動かず、光や水を糧に静かに生きるという植物という存在に対する我々の思い込みとは正反対の性質を持つ妖草・妖木たちの思い切った奇怪さ・恐ろしさは、むしろ爽快さすら感じさせるものがあります。

 そしてそれに抗する重奈雄の武器もまた、様々な能力を持つ妖草である、という、一種の使役バトルとも言える要素もまた、バリエーション豊かな戦いを展開してくれるのが嬉しいところであります。

 しかし――本作の魅力はそれに留まりません。それは……長くなるので次回に続きます。


『妖草師 人斬り草』(武内涼 徳間文庫) Amazon
人斬り草: 妖草師 (徳間文庫)


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2015.03.23

『秘密 蘭学塾幻幽堂青春記』 彼らの乗り越えるべき壁、駆け抜ける風景

 ある日玄遊堂を訪ねてきた若者・慶の目的は、義兄である中村だった。しかし慶と反発した中村は塾を飛び出してしまう。折しも京では若い医師によるある事件が続き、慶が、そして玄遊までもが新選組に捕らわれてしまう。師を、級友の家族を救うため奔走する八重太たちだが、事件は思わぬ方向へ……

 幕末の京を舞台に、変人ばかりの蘭学塾・玄遊堂に集った若者たちの姿を、怪異な事件を交えて描く『蘭学塾幻幽堂青春記』シリーズ、待望の第4弾であります。
 前作でついに登場し、主人公・八重太とある因縁があることが描かれた新選組。本作においても、新選組の存在は、玄遊堂の面々と意外な形で絡んでいくこととなります。

 さて、これまで基本的に各巻で一人ずつ、ある塾生を中心に据えて描かれてきた本シリーズですが、今回中心となるのは、塾の名物男・中村。
 学問そっちのけで、「正義」と称してあちこちで喧嘩をふっかけて回るという問題児で、生真面目な八重太にとっては頭痛の種であります。

 ある日その中村の前に現れた、彼を義兄と呼ぶ若者・慶。しかし何やら複雑な仲であるらしい慶の登場に、中村は塾を飛び出し、とんでもないところに転がり込んでしまいます。
 さらにアクシデントは続き、慶がある疑いをかけられて新選組に捕らわれ、さらに掛け合いにいった玄遊堂の主・玄遊までも拘束を受ける羽目に。実は京では、阿片の密売が密かに行われ、その実行犯は若き医師だと言うのであります。

 もちろんこんな事態に塾生たちが黙っていられるはずもなく、それぞれ行動を開始。八重太も、同郷の知人であり何かと因縁のある沖田総司や、謎の女占い師・結の助けを得ようとするのですが……


 これまで同様、塾生たちの過去と、それが現在にもたらした影響を中心に回っていく本作。
 これまでのシリーズでは、そこに人を凶行に駆り立てる赤い煙や天狗、異界の辻など、古都ならではの(?)怪異が絡んできましたが、本作ではその度合いは低めで、むしろ現実的な――というより俗な事件が展開していく印象があります。

 しかし、それで本作の面白さが損なわれるかと言えば、否であることは言うまでもありません。
 八重太たちにとって、目の前の壁となるものは、それが怪異だろうと過去の因縁だろうと、市井の悪人だろうと新選組だろうと(!)変わることなく、ただ乗り越えるのみ、なのですから……

 そんな虚実入り乱れた中を駆け抜ける彼らの姿は、あるいは荒唐無稽に――現実感に乏しく――見えるかもしれません。
 しかしたとえどんな環境であろうとも、相手が誰であろうとも、怖いもの知らずの勢いで突っ走るのはいつの世も変わらぬ青春の特権でありましょう。そしてそんな中で、虚実をその別なく等価に受け止める態度は、むしろリアルであるとすら感じられます。


 個人的な好みで言えば、前作に比べると、新選組が物語に絡んでいるようで比較的絡んでいない(特に結末に描かれるある事件の扱いなど)ように感じられる点が少々物足りないのですが、その距離感もまた、リアルと言うべきかもしれません。
 先に述べたとおり、彼らにとっては新選組も乗り越えるべき壁、駆け抜ける風景なのですから……


 しかし、そんな中でも、物語は少しずつ動き、変化を見せていきます。
 これまで幾度となく八重太の前に現れた不吉な――彼を待ち受ける別離と悲嘆を予感させるヴィジョン。本作の結末は、そのヴィジョンが一歩、現実に近づいたことを思わせるものでもあります。

 とはいえ「学校」とは、いつか必ずそこを巣立つもの。あくまでも青春の一時そこに集う場所(もっとも本シリーズの場合、必ずしもそうは言えないのがまた……)
 別れの先にあるのは悲しみだけではない。本作の結末に描かれたそれを信じて、この先の物語を待ちたいと思います。


『秘密 蘭学塾幻幽堂青春記』(小松エメル 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
秘密―蘭学塾幻幽堂青春記 (時代小説文庫)


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2015.03.22

『鳥啼き魚の目は泪 おくのほそみち秘録』第3巻 彼岸という名の道標

 誰もが知っている「おくのほそみち」の旅の、誰も知らない姿を描く『鳥啼き魚の目は泪 おくのほそみち秘録』も、早くも第3巻。歌枕を訪ねる芭蕉と曽良の、色々な意味でおかしな旅は、ついに平泉までたどり着くのですが……今回はこれまで以上にとんでもない事態が勃発することになります。

 本人たちにとっては気ままな旅ながら、過剰に江戸の目を恐れる諸藩により隠密の疑いをかけられる芭蕉と曽良。
 さらに芭蕉の「視える」体質に惹かれるように寄ってくる様々なこの世ならぬ者たちによって、彼らは様々な面倒に巻き込まれることとなります。

 いわば本作で描かれるおくのほそみちの旅は、そんな二つの世界の障害に悩まされる(……のは主に曽良の側なのですがそれはさておき)主従の旅路なのですが、この巻においては、特に後者――すなわち、この世ならぬ者たちの関わりがクローズアップされることとなります。

 雷を操る謎の青年・源太や、かの西行法師の魂(!)に導かれ、平泉で藤原氏が残した金色堂に詣でた芭蕉と曽良。
 しかしその後泊まった宿の風呂で不思議な少年・松尾丸と出会った芭蕉は、曽良を置いて遠い地に(風呂に入った格好のままで)飛ばされることとなります。その地とは下北半島は恐山――言うまでもなく、東北最大の霊場であります。

 ……一応野暮なつっこみをしてしまえば、「おくのほそみち」の旅には恐山は含まれていない、というかおそらく芭蕉は恐山に行っておりません。
 その意味ではこの展開は反則と言えば反則、とてつもない力業なのですが――しかしそれがまた本作ならではの世界を生み出しているのであります。

 都の人間の、異境への憧れが生んだ風流のアイコンとも言うべき歌枕。そこに象徴されるものは、その地に暮らした人々が見て、感じてきたものとは異なるものなのではないか――第2巻で描かれたのは、そんな視点でありました。

 そしてこの巻で、この芭蕉の恐山行で描かれるのは、その異なる歌枕の存在が象徴するものであります。

 坂上田村麻呂が刻んだという「壷の碑」。おくのほそみちの旅の目的の一つとして、それを求めてきた芭蕉ですが、今回の旅において、ついに芭蕉は本物の「壷の碑」と出会うこととなります。
 そこに込められたものは、辺境の、化外の民と呼ばれた蝦夷の人々が、そこに確かに暮らしていたことの証であり――そしてそれはすなわち、彼らの存在を忘れない、という形での「鎮魂」の在り方でありました。

 なるほど、これまでの旅の中で描かれてきたのは、まさに「兵どもが夢の跡」。かつて確かにそこで生きていたにもかかわらず、今は過去のものとして忘れ去られた者たちの痕跡です。
 そして、この風変わりなおくのほそみちの中で、芭蕉を導いてきたのは、今は亡き人々の魂であり――そしてその果てに芭蕉がたどり着いたのが、亡くなった者の魂が集うという恐山だったのは、決して偶然ではありますまい。

 自然の、この世の美を表すと同時に、そこに映し出される、そしてその中に生きている/かつて生きた人々の存在をも浮かび上がらせるものが「歌」であるとすれば――
 芭蕉の俳句もまた、見事な歌であり、そしてそれによって鎮魂されることを望む者たちが、彼の旅を導いてきたと言えるのでしょう。

 最初に述べたとおり、本作の独自性の一つである「彼岸」の存在は、そんな芭蕉の俳句の在り方を示す標でもあったか……今更ながらに感心させられたところです。


『鳥啼き魚の目は泪 おくのほそみち秘録』第3巻(吉川うたた 秋田書店プリンセスコミックス) Amazon
鳥啼き魚の目は泪~おくのほそみち秘録~ 3 (プリンセスコミックス)


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2015.03.21

『義経鬼 陰陽師法眼の娘』第2巻 自分自身になるための彼女の戦い

 悲劇の英雄として今なお高い人気を持ち、様々なフィクションに登場する源義経。その義経に意外な運命を背負わせた、きわめてユニークな義経記、いや『義経鬼』の第2巻であります。義経と一心同体となってしまった少女・皆鶴――彼女の運命は、なおも変転を続けることとなります。

 打倒平家のため、鬼の兵法を知るという陰陽師・鬼一法眼のもとを訪れた義経。義経の願いを聞き入れた法眼は、その兵法を体内に持つ己の娘・皆鶴を用いて、ある儀式を義経に施さんとします。
 その儀式は、義経の中に皆鶴を吸収させるというもの。しかし儀式は失敗、いかなることにか、皆鶴の中に義経が吸収されてしまったのであります。

 偶然自分とは瓜二つだったとはいえ、突然その代役を務める羽目になった皆鶴。義経の意志をその身体に眠らせたまま、彼女は義経がかつて暮らし、そして今は打倒平家のために力を借りんとする奥州に向かうのですが……

 と、弁慶などごくわずかの人間を除き、自分と義経が切り離される日まで、己の正体をひた隠して「義経」として生きる皆鶴の苦闘を描く本作。
 しかし意外なことにと言うべきか、この巻の冒頭にて、早くも皆鶴と義経を切り離す方法が発見されることとなります。

 それは、義経の願いを捨て去ること、あるいは義経の願いを叶えること――
 一見単純なことのように見えますが、しかしその「義経の願い」の中身を思えば、それが容易いことではないのはすぐにわかりましょう。そう、義経の願いは、平家を打倒することなのですから……

 彼にとって父母の仇ともいうべき平家。その打倒を願う思いは、ある意味彼の存在意義でもあり――それを諦めさせることは、彼の存在を否定することでもありましょう。しかし願いを叶えようにも、いまこの国を支配する平家はあまりに強大ということも、言うまでもありますまい。

 諸国に平家打倒の機運が高まり、義経の兄たる頼朝が挙兵するという時の流れの中、皆鶴は否応なしに奥州を離れ、西へ向かうこととなるのですが――


 さて、ここで本作を含め、作者の最近の作品を見ると、主人公がある近しいシチュエーションに置かれていることに気づきます。
 それは、信長の小姓として「男」となった『天下一!!』、茶々の影武者とされた『星紋の蛍』、そして本作と――自分自身の本来の姿を、想いを隠し、他人の姿を、パーソナリティを背負わされ、そしてその中で自分自身の生きるべき道を見出すために奮闘することであります。

 ヒロインが本来の己があるべきものからかけ離れた境遇に置かれ、その中でも必死に自己を確立していこうとするというのは、これはある意味少女漫画の王道でありましょう。
 しかしこれらの作品の主人公たちが置かれた境遇の特殊性を考えれば、それに留まらず、一個人が歴史の流れの中でいかに生き抜くことができるか――そんな歴史ものとして一種普遍的なテーマすら感じられるのであります。

 そんな作品群の中でも、本作の主人公・皆鶴は、置かれた境遇の特殊さ、そして背負うこととなった人物の存在の大きさから、特にその度合いが強いと言えましょう。
(そしてその苦しみを、何となく気になる、そして自分の秘密を知ってしまった男性の視線を通じて浮き彫りにするのがまたうまい)

 彼女がいかにして自分自身を取り戻していくのか、あるいは自分自身になっていくのか? そしてそれが歴史の中でいかなる意味を持つのか……
 作者の作品の総決算、というのはもちろん大げさなのですが、しかし少女漫画――少女が読む漫画というより、少女が一個の人間として己の生を確立していく様を描く漫画――として、歴史漫画として、本作の行き着くところは注目すべきでありましょう。


『義経鬼 陰陽師法眼の娘』第2巻(碧也ぴんく 秋田書店プリンセスコミックス) Amazon
義経鬼~陰陽師法眼の娘~ 2 (プリンセスコミックス)


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2015.03.20

『くるすの残光 天の庭』 神と人間、歴史と世界の先の救い

 庭造りを学ぶため、荘介とともに安芸に向かった寅太郎だが、時同じくして天海もまた安芸に向かっていた。切支丹のみならず古き神を奉じる者たちを滅ぼさんとする天海は各地を襲撃、古の力を宿す神器を狙っていたのだ。海の民と出会った寅太郎は、共通の敵である天海と厳島で対峙するが――

 島原の乱を生き延び、天草四郎の遺志を継ぐ修道騎士たちと、四郎から奪った七つの聖遺物を操り切支丹抹殺を狙う南光坊天海らとの死闘を描く『くるすの残光』シリーズもこれで第4作目。
 これまで様々な者たちを操って主人公たる寅太郎たちを苦しめてきた天海がついに討って出ることとなります。

 江戸での表の顔である植木職人として、安芸広島藩江戸屋敷の庭造りを任せられることとなった寅太郎。安芸広島藩に招かれた寅太郎は、萩に仕官することとなった同志・荘介とともに旅に出ることとなります。

 しかしその途上に同じ船に乗り合わせることとなったのは何と天海。向こうはこちらを知らぬものの、息詰まる時間を過ごす寅太郎たちですが、天海の狙いは切支丹ではなく……


 これまで切支丹を滅ぼすべく、切支丹の秘法・秘蹟を用いてまで襲ってきた天海。しかし今回明確に描かれるのは、彼が敵とするのは切支丹だけではなく、徳川幕府の威光に従わぬ神を奉じる全ての者たちだということであります。
 なるほど、天海といえば、東照大権現という神を奉じることで、徳川家の、徳川幕府の威光を、形而上の世界でも固めた人物。そんな天海が、切支丹の神でなくとも、「徳川」という神以外の神を認めるはずもありますまい。

 しかし、彼の戦いは、単に信徒弾圧というレベルでなく、神そのものとの戦いにまで繋がっていくこととなります。
 海底に潜む竜神、山中の結界に潜む蜘蛛神――文字通り神代の昔から生き延びてきた古き神を、天海は滅ぼし、その力を掌中に収めんとするのであります。
(実に本作のもう一人の主人公は、この天海と申せましょう。そのために寅太郎たちの影が薄くなっていることは、本作の弱点とも感じますが……)

 そしてこの天海の姿を見るとき、私はある馴染み深き構図を思い出します。そう、それは作者の描く他の(ファンタジー色の強い)物語――『僕僕先生』や『千里伝』のような、(古き)神々と人間たちの物語のそれと、よく似通っているのです。

 これまで本シリーズは、切支丹の弾圧の歴史という、ある意味我々にとって(比較的に)馴染みのある物語を描いてきました。馴染みがあるということは、それだけ現実に近いということでもあり――そこに「神」という存在は、比較的薄かったように感じられるのです(そしてそれは本シリーズの弱点でもあったのですが)。

 しかし本作においては、他の神々の存在を描くことにより、この『くるすの残光』もまた、神と、それを信じる者、抗する者の物語であったことを浮かび上がらせます。
 そして神という存在が、見方を変えれば世界の「法」であり、また世界観そのものであることを考えれば――本作は異能者のバトルを通じ、歴史の節目における世界の変貌を描いてきたのだとわかります。

 しかし、他の作品がそうであるように、本作もまた、そのパラダイムシフトを単純に賛美するものではありません。いや、作者のまなざしは、そこからこぼれ落ちる者たち――古き世界で平穏に暮らしてきた個々人にこそ向けられ、彼らに救いを与えようとするのであります。

 そして寅太郎たち修道騎士たちは、その救いのために戦いを繰り広げる者たちでありますが……しかし、本当に救いの道は戦いの先にしかないのか? 本作で寅太郎に託されたものは、おそらくその答えであり――そしてそれは、彼の能力「種」が象徴しているのではありますまいか。


 おそらくこの『くるすの残光』も残すところはあとわずか。物語の先に、神と人間と――歴史と世界の交わり、変わりゆく先に救いはあるのか。その答えが描かれるのも、それほど遠いことではありますまい。

『くるすの残光 天の庭』(仁木英之 祥伝社) Amazon
くるすの残光 天の庭


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2015.03.19

『ヴィラネス 真伝・寛永御前試合』第1巻 艶やかに、異常に駆ける外道剣士たち

 近年、とみに時代ものづいている夢枕獏が『小説現代』に連載中の『真伝・寛永御前試合』。新解釈で寛永御前試合に臨む武芸者たちを描くこの作品が、早くも漫画化されました。しかし原作がくせ者であるのと同様、この漫画版もまたくせ者であります。何しろ武芸者たちは「女」なのですから……

 寛永御前試合は、最近では題材とする作品も多くありませんが、簡単に言ってしまえば、江戸時代前期の武芸者オールスター戦とも言うべきイベントです。

 勝海舟の『陸軍歴史』によれば寛永9年、時の将軍家光の御前で開催された十一番の武芸試合に参加した二十二人の武芸者は、宮本伊織、荒木又右衛門、柳生宗冬、関口柔心、果ては大久保彦左衛門から伊達政宗まで……
 もちろんどこまでが真実か怪しい部分もありますが、この豪華すぎる大戦は講談というメディアにおいてさらにパワーアップ、荒唐無稽ではあるものの、時代を超えて存在するであろう達人vs達人の異種・異流派対決を望む人々の心を捉えていったのであります。

 と、本作の原作は、そんな伝説の寛永御前試合に出場した(するであろう)武芸者たちが、剣聖・剣豪などではなく、全員強さのためなら手段を選ばぬ外道だった、という構想で描かれる連作。厭な暴力描写では屈指の作者だけあって、読んでいて痛い描写が続出する、一種の怪作であります。

 さて、それを漫画化した本作でありますが――タイトルが「ヴィラン(悪役・悪人)」ではなく女性を表す接尾辞が付された「ヴィラネス」であることから察せられるように、原作の外道たちが女性として登場する、という仰天の展開。
 女体化・女性化自体は今日日さまで珍しい趣向ではありませんが、しかしそれが派手に人体損壊バトルを繰り広げる連中を題材にしたというのは、やはりユニークと言うべきではありましょう。
(ちなみに原作者の作品で漫画で女性化というと、九門鳳架を思い出しますが……)

 この第1巻で登場するのは宮本弁之助……後の宮本武蔵と、その彼の「師」となる秋山虎之介。

 言うまでもなくどちらも女性ですが、よく言えばボーイッシュな弁之助は手にした棍棒で相手が息絶えるまで撲り続ける野獣めいたスタイル。そして虎之介は妖艶な美女でありながら、殺人狂的側面を持ち、試合に当たっては卑怯な手段を用いることも躊躇わない――
 なるほど、どちらも外道であります。

 物語的にはまだまだ序盤といったところで、有馬喜兵衛を惨殺した後、旅を続ける弁之助が虎之介に弟子入りし、彼女に従ってある山に足を踏み入れ、山賊たちの群れを鏖殺する……という展開。
 そのため、物語的にはなかなか評価しづらいところですが、(特に序盤は)絵柄的には粗い部分もあるものの、勢いのある画風はなかなか本作のムードにマッチしていると感じます。
(漫画というより挿絵的に見えるコマは善し悪しかとは思いますが)

 そして本作の最大の特徴である女性化ですが――正直に申し上げれば、全員女性、と言いつつ、この第1巻に登場する外道はまだ2人、それ以外のキャラクター(やられ役)は普通に男性のため、さまで違和感はないという印象。
 厳しいことを言ってしまえば、漫画の世界では彼女たちのように常識外れの強さを発揮する女性たちは珍しくないのですから。

 しかしその一方で、彼女のようなそれぞれに美しいキャラクターが残虐ファイトを繰り広げることで、「外道」としての異常性が強まるとともに、その行為にどこか艶やかさが加わり、良い意味で嫌悪感が薄れるという、二重の効果を上げているのもまた事実。
 おそらくはこれこそが本作の趣向の狙ったところでありましょうし、それはある程度成功している……と感じます。


 気になるのは、このペースでいくと原作に早々に追いついてしまいそうなことですが――そうなったらそうなったで、この漫画版独自の世界に踏み込むのも面白いのでは、というのは無責任かもしれませんが、正直な感想でもあります。


『ヴィラネス 真伝・寛永御前試合』第1巻(雨依新空&夢枕獏 講談社ヤンマガKCスペシャル) Amazon
ヴィラネス -真伝・寛永御前試合-(1) (ヤンマガKCスペシャル)

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2015.03.18

『星紋の蛍』第2巻 陰と陽の姫君の交わる想い

 石田三成に育てられ、その想いを隠して茶々の影武者となった少女・蛍の姿を描く『星紋の蛍』の第2巻であります。茶々の子・鶴松の誕生、秀吉による天下統一の進展、そして小田原攻めと、天下の情勢が目まぐるしく動いていく中で、彼女の静かな戦いも続くのですが……

 忍びの父と兄を戦で失い、天涯孤独の身の上となったところを三成に拾われた蛍。自らの屋敷で、掌中の珠のように育ててくれた三成に想いを募らせる蛍ですが、しかし美しく成長した彼女を三成が伴って向かったのは豊臣秀吉のもとでした。
 実は彼女は秀吉の側室・茶々と瓜二つ。もとより三成はそれを承知で蛍を育て、彼女を茶々の影武者と考えたのであります。

 残酷な現実に打ちのめされながらも、泣くことを忘れた茶々の姿を目の当たりにした蛍は、彼女を支えるため、影武者となることを決意して――
 というのが第1巻までの物語。続くこの巻はいわば起承転結の「承」として、影武者としての彼女の姿が描かれることとなります。

 この時代、天下統一に王手をかけた秀吉は、日本一の権力者。その秀吉が溺愛する茶々ともなれば、やはりその権勢は並ぶものはなく……と言いたいところですが、しかしそれだけに風当たりも強くなることもまた事実。
 特に彼女が、これまで長きに渡り生まれることのなかった秀吉の男子・鶴松を産んだとすれば、それを祝う者ばかりではなく、内外にそれを呪う者もまた存在するのであります。

 かくて影武者として、茶々を、鶴松を守る蛍……ということで、たとえ戦時でなくとも、戦場でなくとも存在する「敵」との戦いというのは、面白い趣向。
 設定的になかなか表舞台に出ていけない主人公というのは、なかなか難しいのでは……と思っていましたが、このような手があったか――というよりそのための影武者でありましょうが――と感心いたしました。
(いや、思い返せば作者の少女漫画は、いかにヒロインを主体的に物語の中で活躍させてみせるか、という点に常に心を砕いているのでありますが)

 しかし直接的な戦い以上に心に残ったのは、蛍が北政所と対峙した場面であります。
 体調を崩した茶々に替わり、秀吉の正妻たる北政所に対応することとなった蛍。側室であり、自分よりも早く子を産んだ茶々に、決して優しくはない態度を示す北政所に蛍が見せたもの、それは――

 影武者はあくまでも影武者、文字通り「陰」の存在であり、己の想いを示すことは許されぬものでしょう。
 しかしその「陽」たる茶々自身が、己の心を殺し、表に出せぬとすれば。そしてその姿が、やはり己の心を殺さねばならぬ自分と重なるとすれば。

 そこで蛍が見せたのは、茶々のものであり、蛍自身のものでもある、いわば陰陽交わった想いと言えましょう。本作ならではのその想いが描かれたこのシーンは、この巻のハイライトと言えるのではないでしょうか。

 そして後半に描かれるのは、秀吉の小田原攻め。小田原攻めで三成と言えば、そう、今ではすっかり有名になった感のある忍城攻めであります。
 厳しいことを言ってしまえば、三成にとっては初の汚点とも言うべきこの忍城攻めですが、本作においてこれを通じて描かれるのは、三成の素顔、人間的な弱さというのも面白い。

 秀吉の使者として三成の下に向かった蛍は、それまである意味完璧な近臣としての態度を崩さなかった三成の中の人間性というべきものを垣間見る(そして三成がそれを見せたのも蛍なればこそなのですが)ことで、二人の距離が縮まったかと思いきや……


 ……と、ここで初めて触れるのも恐縮ですが、本作はここで掲載誌の休刊により一端中断、未完という形となります。

 全4巻を想定していたという本作においては丁度中間、先に述べたとおり起承転結の「承」での中断というのは、さすがに切りが良いとは言えないのが正直なところであります。
 忍城といえばこの人、と言うべき甲斐姫――史実を考えればこの後、茶々と、つまり蛍とも密接に関わるであろう人物――のキャラクターもなかなかに印象的であっただけに、これからというところでの中断は、まことに勿体ないとしか言いようがありません。

 唯一の救いは、作者もこの続きを、物語の結末までの姿をなんとか描こうとしていることであり――そうであるならば、こちらもその作者の想いを信じて待ち続けるべきでありましょう。
 この先の歴史を考えれば、決して平坦ではない蛍の道の先に、小さな星明かりでもよい、彼女を照らす光があることを信じて……


『星紋の蛍』第2巻(碧也ぴんく 祥伝社幻想コレクション) Amazon
星紋の蛍 2 (幻想コレクション)


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2015.03.17

『半七捕物帳リミックス!』 人物描写を増した名作リライト

 創刊当初からユニークな作品が多いレーベルとして強く印象に残っている白泉社招き猫文庫ですが、今月の新刊の中である意味特に印象に残ったのが本作『半七捕物帳リミックス!』。言わずとしれた岡本綺堂の名作から五編をリライトした作品集であります。

 『半七捕物帳』については、くだくだしく言うまでもないかとは思いますが、いわゆる「捕物帳」の嚆矢である連作シリーズ。1917年の第一作『お文の魂』から始まり、以来約20年間にわたり、計69作品が発表されております。
 このシリーズ、明治時代に若き新聞記者の「わたし」が老半七を訪ね、江戸時代後期・末期に半七が携わった事件のことを聞き書きするというスタイルで、物語としての面白さはもちろんのこと、江戸風俗・文化の描写も、見事と言うほかありません。

 個人的には、捕物帳の元祖にして極めてしまった……というのもあながち誇張ではない、と感じているところであります。

 その原典をリライトした本書に収録されているのは半七の一番手柄を描いた実質デビュー作の『石灯籠』をはじめとして、『あま酒売』『雪達磨』『熊の死骸』『女行者』の全五編。
 執筆順では二番目の『石灯籠』を除けば、残り四作はほぼ同時期の中期に当たる作品であります。


 さて、その内容の方ですが――これは完全に原典に忠実なので面白いのは当たり前、その意味で評価が難しいのですが、ではリライトされた部分は、といえば、それは簡単に言えば当時の事件・風俗に関する説明の補足と、そして人物描写であります。

 前者は、例えば『熊の死骸』の冒頭で、「永代橋の落ちた時に刀を抜いて振りまわしたのと同じような手柄」という表現があるのに、その具体的な内容を説明している部分。
 これは本レーベルが、比較的時代ものに馴染みが薄い層を対象としていることが大きいかと思いますが、執筆年代的にはある意味当然の知識であった部分が、現代においては異なっていることを考えれば、これは自然な補足と言うべきでしょう。

 その一方で、後者については、よりリライトと言うべき内容となっております。
 元々、人物描写については必要最小限であった原典ですが、その描写をよりかみ砕くとともに、箇所によっては本作独自の解釈を加えている部分も散見されます。

 例えば『石灯籠』で、原典では
「小柳は白い仮面をかぶったような厚化粧をして、せいぜい若々しく見せているが、ほんとうの年齢はもう三十に近いかも知れない。墨で描いたらしい濃い眉と、紅を眼縁にぼかしたらしい美しい眼とを絶えず働かせながら、演技中にも多数の見物にむかって頻りに卑しい媚を売っている。」
という表現が、こちらでは
「だが半七の目は、おしろいで塗りこめたその下に、疲れた顔が潜んでいることを見てとった。墨で描いた眉と、紅をぼかした瞼と切れ長のよく動く小柳の目に、観客の目は釘づけだったが……その下の顔は三十に近いと見た」
となっているように――

 この辺りは賛否が分かれる部分かとは思いますが、少なくともリライト、リミックスを謳うのであれば、これはありではないでしょうか。
 その他、原典はこちらも最小限だった各話冒頭と最後の「わたし」と半七老の会話も、かなりアレンジされているのがユニークなところであります。


 と、個人的にはなかなか楽しめた本書ですが、一つ気になったのは、作品のチョイス。
 先に述べた通り最初の事件である『石灯籠』はわかるとして、半七の名作ということで選ぶのであれば、もう少し違うラインナップになるのでは……という印象は正直なところあります(怪奇性・伝奇性の強い『あま酒売』は個人的には好きな作品なのですが)。

 もちろん、『雪達磨』は起きた事件の奇怪さが、『熊の死骸』は大火と熊(これは史実ですが)という取り合わせの面白さが、『女行者』は幕末という世相とのリンクが、とそれぞれに特徴(『あま酒売』はすぐ上に述べたとおり)があるため、それなりに納得はいくところではありますが――

 なかなかにユニークな企画であるだけに、もし次回作があるのであれば、あの作品を、この作品を入れて欲しい……と勝手に想像して楽しんでいるところであります。


『半七捕物帳リミックス!』(五十嵐佳子&岡本綺堂 白泉社招き猫文庫) Amazon
半七捕物帳 リミックス! (招き猫文庫)

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2015.03.16

『幕末愚連隊』 カッコいいだけでも、悲惨なだけでもない幕末

 幡大介といえば、『大富豪同心』といったユーモア色も強い文庫書き下ろし時代小説が浮かびますが、本作はその作者が単行本で初めて挑んだ幕末もの歴史小説。しかし中心になるのは、まさにタイトル通りの無頼漢ばかりが集まった衝鋒隊と、凡手を嫌う作者らしい快作であります。

 衝鋒隊とは、徳川幕府の陸軍歩兵隊を元にした部隊ですが、そこに参加した者の中心となったのは、不景気で食い詰めた火消し、ヤクザ、相撲取りなど、正規の武士ではないものたちばかりであります。
 それでも飯が食えて徳川さまのために戦えればいいと訓練に勤しむ隊員たちですが、しかし当の将軍は鳥羽伏見で惨敗するや配下を捨てて逃走、恭順の意を示して江戸開城を決めてしまう始末。

 鳥羽伏見の敗残兵を加えた歩兵隊はこれに反発して江戸を脱走、歩兵差図役頭取・古屋佐久左衛門を頭に戴き、半ば厄介払いの形で新政府軍と戦うべく、戦場を渡り歩くこととなります。
 元がならず者ばかりの隊だけに、勢いづけば強いものの、崩れだしたらあっという間の衝鋒隊。しかし負けても負けても立ち上がるしぶとさと、実戦を重ねての練度は幕府方・新政府方を通じて屈指の彼らは、やがて奥羽越列藩同盟の一翼を担うまでになるのですが……


 そんな衝鋒隊の破天荒な暴れぶりを、失業して隊に加わった気弱な力士・利助の視点から描く本作から浮かび上がる幕末の姿は、衝鋒隊の性格が示すように、単純な、一面的なものでは決してありません。
 そう、最近の流行りの言葉で言えば「草莽」の士が活躍するカッコいいばかりの幕末像でもなく、敗者となって辛酸をなめた者の側に立った悲惨なばかりの幕末像でもなく――言い換えれば幕府側と新政府側のどちらかが善で悪で、加害者で被害者でといった見方を拒否した作品であります。

 実際のところ、本作に登場する連中は、その大半が――衝鋒隊に限らず、幕府の、薩長の、あるいは奥羽越の諸藩の武士たちも含めて、ろくでなしとしか言いようがありません。
 もちろん、(命令・作戦の部分もあったとはいえ)嬉々として戦場となった町や村で略奪を繰り返す衝鋒隊のろくでなしぶりは言うまでもありませんが、しかしいわば正規軍の侍たちも、またベクトルの異なる酷さを見せます。

 幕府につくか新政府につくか右往左往する者、親藩譜代であってもあっさり新政府につく者、和平のための捨て駒として衝鋒隊らを使う者、戦闘に当たり自らの領民を平然と踏みつけにする者……
 その行動が招いた、あるいは拡大した被害の重さを指して「罪」という表現は適切ではないかとは思いますが、敢えて使うとすれば、その罪は衝鋒隊よりも遙かに重いものであり――そしてそれは幕府方・新政府方、勝者・敗者で異なるものではありません。

 そして本作はその「罪」の存在を、草莽どころか雑草である衝鋒隊の野放図な暴れぶりを通じて、声高ではなく皮肉混じりに、しかし容赦なくえぐり出すのであります(特に、会津藩の行動に対して向けられた皮肉な眼差しの鋭さよ)。
 本作がカッコよいだけでもなければ悲惨なだけでもない、と述べたのは、この点によります。


 そのある意味実に作者らしい、しかしきっちりと歴史小説としてモディファイされた視点は大いに評価できるのですが、あえて厳しいことを言えば、そちらに力が入ったために、利助ら衝鋒隊のキャラクターが、物語で十全に動かされていなかった、という印象はあります。

 特にある人物の存在と、終盤に描かれる彼の行動は、上に述べた衝鋒隊と侍たちの相克を、物語上で象徴し、そして乗り越える可能性があっただけに、実に勿体ない……とは感じました。

 もちろん、冒頭に述べたとおり、作者にとってはこれが歴史もの第一作。本作で見せた鋭い切れ味に、これまで培ってきたキャラクター性・物語性が加われば、この先どれほどのものが生まれるか――それは、大いに期待すべきものでありましょう。


『幕末愚連隊』(幡大介 実業之日本社) Amazon
幕末愚連隊

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2015.03.15

4月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 今年に入ってあっという間に三ヶ月以上が過ぎ、もう四月は目の前。いよいよ新年度、新生活のスタートであります。何があるわけでなくとも何となく気持ちも浮き立つ季節ですが、まあそうでなくても楽しみなのは読書、というわけで4月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。

 ……と言ったものの、実は4月の文庫新刊はかなり寂しい状況。シリーズものの最新巻では、上田秀人『お髷番承り候』第10巻と早見俊『大江戸無双七人衆』第2巻が気になるところですが、ほかは既刊の文庫化が大半。

 畠中恵『けさくしゃ』、夢枕獏『宿神』第3巻、第4巻、宮本昌孝『陣星、翔ける』、隆慶一郎 新装版『捨て童子・松平忠輝』全3巻、土橋章宏『超高速! 参勤交代』と、新旧バラエティに富んだ内容ではあるのですが、やはり寂しさは否めません。

 そんな中で個人的に最も注目しているのは、平谷美樹の『水滸伝』。あの『風の王国』の作者が、あの水滸伝を描くのですから、これが気にならないはずがありません。
 果たしてどのようにあの題材を料理するのか、今から楽しみなのです。

 また、このブログのテーマからは外れますが、末國善己『読み出したら止まらない! 人情時代小説 マストリード100』も気になるところ。むしろ得手なジャンルではないだけに、何がチョイスされるのか、大いに気になります。


 さて、漫画の方も、完全新作は、いきなり廉価版コミックで登場の叶精作『新選組オブ・ザ・デッド』を除けば、シリーズものの新作ばかりではありますが、なかなかの充実ぶり。

 突然の刊行ペースの加速に驚かされる永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第13巻、先が気になるのにそれを読むのが怖くて仕方ない黒乃奈々絵『PEACE MAKER鐵』第8巻をはじめ、灰原薬『応天の門』第3巻、鷹野久『向ヒ兎堂日記』第5巻、霜月かいり『BRAVE10 S』第7巻と、フレッシュな作品が続きます。

 また、新装版としては、せがわまさきの新装版『鬼斬り十蔵』第3巻、みもり&畠中恵の新装版『八百万』に注目。
 特に『八百万』は、原作がある意味幻の作品だけに、ファンは要チェックでありましょう。


 と、俯瞰してみましたが、やはり新年度第一弾としては、刊行点数的に寂しいところではありますね……



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2015.03.14

『ぶっしのぶっしん 鎌倉半分仏師録』第2巻 戦う者としての仏、導く者としての仏

 鎌倉時代を舞台とした芸術もの・美術ものかと思いきや、実は巨大ロボットもの・変身ヒーローものだった(!?)という意外な切り口に驚かされた『ぶっしのぶっしん』第2巻であります。なおも猛威を振るう地神ミズチの猛威に、来迎術で仏を降ろした仏像で挑む想運たちですが……

 奥州で荒れ狂ったミズチを封じようとした際、それぞれ半身を失い、一体に融合した形で復活した仏師の少年・想運と明星菩薩。長き眠りから目覚めた想運は、かの運慶の弟子として暮らすことになります。
 しかし運慶一門により再建された東大寺大仏殿の開眼供養の日、襲来したのは平家の残党・平教経によって操られるミズチ。これに対して運慶たちは、自らが彫り上げた仏像に仏を降ろし、操る来迎術で迎え撃とうとするのですが……

 いうわけで、巨大生物と巨大仏像が相打ち、想運は二人で一人の菩薩に変身するという超常バトルの末、何とか東大寺を守り切った想運と運慶一門ですが、もちろんこれで戦いが終わったわけではありません。
 この巻では、九州太宰府に巨大亀が上陸、さらに再び奈良は興福寺に教経が出現、ミズチとの戦いが再び繰り広げられることとなります。

 ここでやはり気になるのは、想運たちが操る「仏」の存在であります。
 来迎術とは単純に仏像を操る術ではなく、仏像に本物の仏を降ろして戦ってもらおうという術。つまり、登場する仏たちには確固たるパーソナリティーがあるのです。

 そんなわけで今回初登場となるのは、興福寺といえばやっぱり……の阿修羅と仁王(金剛力士)なのですが、どちらも、ああなるほどなあと納得したり可笑しくなったりなキャラクターでありました。


 そんな仏たちの存在もあって、作品のムードは今回も比較的ユルいのですが、しかし物語はなかなかにハード。
 一門の中ではほぼ唯一来迎術を使える「大人」である運慶は遠く鎌倉におり、いま奈良で戦えるのは湛慶と想運を筆頭に、少年少女たちのみ。

 実力的にも人間的にも未熟な少年少女がいきなり戦いに巻き込まれて……というのも、巨大ロボットものにしばしば見られるシチュエーションですが、今回その中でクローズアップされるのは湛慶の存在であります

 運慶の長男として申し分のない実力を持ち、父に代わって一門を率いるクールな湛慶。しかしその内面では父の存在に、そして新たに現れた天才ともいうべき想運に対するコンプレックスを抱えていた――
 という展開も定番ではありますが、しかし感心させられたのは、そこからの解放に至るまでの描写。

 本作では戦う者としての性格が強い仏が、本来の役割とも言うべき導く者としての姿を見せ、そして立ち上がった湛慶が仏を操って行うのは……本作ならではの人間と仏の関係性、そしてその仏が持つ性格・役割がかっちりとはまった、美しいクライマックスでありました。


 一つの山を越えて成長した湛慶、そして想運ですが、しかしそもそも想運の過去/正体もまだほとんどわからない状態であり、物語の方はまだまだ謎だらけ。
 ということはすなわち、これからの楽しみも多いわけであり……まだ少し先になりそうな第3巻が待ち遠しいのであります。


『ぶっしのぶっしん 鎌倉半分仏師録』第2巻(鎌谷悠希 スクウェア・エニックスガンガンコミックスONLINE) Amazon
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2015.03.13

『一の食卓』第1巻 陽の料理人見習いと陰の密偵と

 明治4年、幕末の動乱で両親を亡くした少女・明は、西洋人料理人フェリックスの店で料理人としての修行を積んでいた。そんな中、仲介で店に雇われた男・藤田五郎は、明らかに元武士で、近寄りがたい雰囲気を漂わせる男。しかし自分の作ったパンを残らず食べてくれた藤田に強い印象を受ける明だが……

 樹なつみと言えば、『獣王星』など数買うのヒット作を生み出してきた作家でありますが、時代ものとは縁遠い印象がありました。
 しかしその作者の新作が、明治時代を舞台とした料理もの、しかもその中心となるキャラクターが「一」――斎藤一とくれば、気にならないはずがありません。

 舞台となるのは明治4年、東京築地の外国人居留地。そこで開業したフェリックス・ベーカリー、通称「フェリパン舎」で働く西塔(さいとう)明が本作の主人公となります。

 その明敏な味覚を買われて主で築地ホテル館の元料理長フェリックス・マレの弟子となった明は、周囲の偏見の目にも負けず、フランスパンを日本に根付かせるため、そして自らもおいしいパンを、洋食を作るためにの努力の毎日。
 そんなある日、上客である岩倉具視の仲介で半ば強引に店に雇われた下働きの男の名は藤田五郎――そう、かつては斎藤一と名乗った男であります。

 実は藤田は西郷隆盛経由で川路利良の密偵となった男。新政府転覆を目論む不平公家の愛宕通旭と外山光輔が東京に潜入したとの報から、二人を捕縛するために、店を中心に探索に当たることになったのでありました。
 しかし元新選組の殺伐とした雰囲気を隠そうともしない藤田は、パン舎には明らかに不審人物。それでも明は、初めて自分のフランスパンを全て食べてくれた藤田に心を開いていくのですが……


 というわけで、読み始める前には、どうにも結びつきそうにないようにも思えた料理と斎藤一ですが、なるほど、こういう手があったか、と思わず納得の本作。
 生真面目なキャラクターが、想定外のシチュエーションに放り込まれて困惑するというのは、コメディなどにままあるパターンですが、それに斎藤一がここまで似合うとは……と感心であります。

 そもそも斎藤一は、隊内の粛正役、御陵衛士への潜入、会津での激闘など、「陰」のイメージが強い人物。本作においても、イケメンとしてデコレーションは為されているものの(あくまでもイメージの上で、ですが)いかにも斎藤らしい斎藤として描かれており、そのギャップが楽しいのです。
(史実ではこの時点ではまだ東京に出ていないはずですが、その辺りは西郷との繋がり同様、本作ならではの楽しみでしょう)

 その一方で、藤田=斎藤と知らぬまでも、彼と対等に接し、時に困惑させる主人公・明のひたむきな個性も微笑ましいのであります。

 幼い頃に上野戦争の巻き添えで彰義隊に両親を殺され(そして別の彰義隊士に命を救われ)、フェリックスに拾われた明。
 その際に与えられたシュークリームの味に生きる力を与えられた彼女は、自分もそんな味を作れるようになろう……と頑張るのですが、待っていたのは周囲の無理解と偏見でありました。
 その味覚を評価されて一番弟子となったにもかかわらず、面白くない男たちからフェリックスの妾呼ばわりされ、そればかりか次々と弟子たちが止めていったことで心を痛め、その分も自分が……と頑張る姿には、素直に好感が持てるものがあります。

 そしてその彼女の「陽」のひたむきさが、「陰」の男をどう動かすか……それはまだまだこれからの物語かとは思いますが、幕末から明治という激動の時代においてそれぞれの背負ってきたものが、少しでも「陽」の方向に昇華されていくことを期待したいと思います。


 ちなみに舞台となる明治4年からその翌年にかけては、なかなかに面白い(と言っては何ですが)事件が重なっている印象があります。
 特に舞台が築地ということを考えると、翌年に起きたあの事件もおそらく題材に、というのは少々気が早いかとは思いますが――


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2015.03.12

『応仁秘譚抄』 応仁の乱の「真実」と人間たちの悲嘆

 数百年の歴史を持つ京を灰燼と帰さしめ、それ以降の長きに渡る戦国時代を生み出した応仁の乱。本作はその応仁の乱を、その前の時代、足利義教を描いた『魔将軍』の作者でもある岡田秀文が、乱の当事者と言うべき足利義視、日野富子、細川勝元、足利義政の視点から描く連作短編集であります。

 突然個人的なお話で恐縮ですが、今でこそ室町ものは大好物な私ですが、学生の時分は、室町時代は大の苦手でありました。その理由は、人間関係があまりに「複雑すぎる」ゆえであり、そして私をそう思わせたのがこの応仁の乱でありました。

 将軍の後継争いに、管領をはじめとする幕府内の権力争いが絡み合って勃発したこの応仁の乱。
 そこでは敵味方が複雑に入り乱れ(同姓の一族であっても二派に分かれるなどして……と、これは将軍家からしてそうですが)、さらにはその識別すらも曖昧になったり、代替わりが発生したり……と、決して短くない乱の中で状況がめまぐるしく変化し、その時々の勢力分布を追いかけるだけでも、相当の苦労であり――
 そしてこれはおそらく、一人私だけの印象ではありますまい。

 そんな乱を描くのに、本作の作者は、冒頭に述べたとおり四つの視点を用意します。
 兄・義政の継嗣として還俗しながらもいつまでも将軍の座に就けず、義政に男子が生まれたことで乱の一方の旗印とされた義視。
 義政の正室として辣腕を振るい、自らの腹を痛めて産んだ義尚をもう一方の旗印としてついに将軍の座に就けた日野富子。
 義視を支え続け、そして東軍の実質的な指導者としてライバルたる山名宗全と戦いを拡大させていった細川勝元。
 そしてその優柔不断な態度から継嗣争いのそもそもの原因を作り、乱が始まった後も己の世界の中に生き続けた足利義教。

 それぞれの立場から乱の勃発から終息に至るまで関わり、それぞれの意味で乱を起こした戦犯とも言うべき四人それぞれを主人公とした本作に収録された四編は、当然のことながら、ほぼ同じ事件をそれぞれの立場から繰り返し描くこととなります。

 それは一歩間違えれば退屈な反復ともなりかねませんが、しかしもちろん作者がそんな悪手を打つわけもありません。それぞれの――異なりつつも、それぞれ微妙に重なり合った――視点で複眼的に描かれる物語は、複雑怪奇な乱の絡み合った糸を一本一本丹念に解きほぐし、その糸それぞれの姿を明らかにする効果を持っているのであります。

 しかし本作の構造の持つ効果はそれだけではありません。

 繰り返し描かれながらも、各章毎に少しずつ違った様相を見せていく乱とその前後の人物関係、そして時代の動き。
 それは視点が異なれば当たり前かもしれませんが――しかし、作者はその差異の中に、ある人物の視点からだけはわかり得ぬ真実を少しずつ織り交ぜ、章が進めば進むほど、物語は全く新しい貌を見せていくことになるのであります。

 そしてその果てにたどり着いた最終章で、それまで時折感じられた違和感が一気に形となった末に語られるのは恐るべき応仁の乱の真相。
 『本能寺六夜物語』に始まり、昨年の『黒龍荘の惨劇』に至るまで、優れた時代ミステリ、あるいはミステリ色の濃い歴史ものを発表してきた作者ですが、本作は「その路線」ではなさそうに見えただけに、嬉しい驚きがありました。


 しかし――そんな趣向以上に強く印象に残るのは、もう一つの「真実」であります。
 理由はそれぞれであれど、応仁の乱の戦火を広げていった本作の主人公たち。しかし本作で描かれる彼らは、いずれも(そこに至るまでの紆余曲折はあったにせよ)平和な時代の到来を望み、そのために奔走していたのであります。

 彼らの胸にあったのは、ただ己が、己の子が家が、よりよく生きることのみ――もちろんその望みが他を踏みつけにするものであり、あるいは分を超えた望みであることは弁護できませんが、しかしそれはある意味人間として当然の望みでありましょう。
 それが結果として――そこにある種の意図があったとしても――乱を引き起こし、自らを、周囲の者たちを深く傷ついていったことを思えば、人間の存在というものに、いやそれをよりよく生かすことを妨げるこの世の構造というものに、索漠たる想いを抱かざるを得ないのであります。

 終盤で描かれるある情景――義政と富子が仲むつまじく寄り添い、歌を詠み交わす姿を見れば、何故人はこのように生きていけぬのか……そんな想いが胸を深く抉るのです。


『応仁秘譚抄』(岡田秀文 光文社文庫) Amazon
応仁秘譚抄 (光文社時代小説文庫)

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2015.03.11

『天威無法 武蔵坊弁慶』第4巻 二人の過去と求める力、そして真の旅の始まり

 荒ぶる巨人・鬼若(武蔵坊弁慶)と、復讐の貴公子・義経による奇想天外な源平合戦記『天威無法 武蔵坊弁慶』、待望の第4巻であります。怪人・鬼一法眼と、彼のもたらした伝説の兵法書・六韜の登場により戦いはいよいよ本格化、その中で鬼若と義経、それぞれの秘められた過去が語られることに……

 清盛のもとに厳重な警戒の下、捕らえられていた法眼。叔父の清盛打倒をもくろむ御曹司・教経とともに法眼と対面した鬼若は、やはり潜入してきた義経・遮那兄妹とともに、六韜の存在を聞かされることとなります。

 かつて宋に渡った法眼。かの地で皇帝から与えられた全六巻の六韜は、一つ一つが超常の力を、才を持ち主に与える恐るべき秘伝でありました。
 そして六韜の各巻は日本において散逸し、それぞれ清盛、後白河院、木曾義仲、源頼朝、藤原秀衡が手にすることに……

 と、これまでの比較的抑えめの展開を一気に覆すかのような一大伝奇展開、巻物争奪戦に突入……する前に、この巻で語られるのは、法眼と鬼若、鬼若と義経の数奇な縁の物語であります。

 法眼が六韜を持ち帰った際に託された異国の女。術により三年もの間、己の腹に赤子を宿し続けた彼女は、皇帝から追っ手をかけられるような存在でありました。
 彼女を守り、日本まで追いかけてきた刺客たちと死闘を繰り広げる法眼ですが、しかし多勢に無勢、ついに術が解け、さらに凶刃に貫かれた女の腹から現れたのは、そう……
(ちなみにこのくだりに登場する若き法然の異常な武闘派っぷりが最高)

 一方、幼い頃に父・義朝を失い、妹とともに逃避行を続けながらも、ついに清盛に捕らえられてしまった少年義経。
 彼の前に現れた清盛が義経に見せたのは、六韜の一巻により彼が手にした異常な人身掌握術と、その力であられもない姿を晒す母。そしてそれなど比べものにならぬほどの人間悪が凝ったかのような地獄絵図――


 その辿ってきたところは全く異なるとはいえ、共に幼い頃から修羅の巷に叩き込まれ、這いずるように生きてきた鬼若と義経。
 そんな二人の過去に思わぬ接点があり、それが再び運命として交わるというのは、定番ながらやはり大いに盛り上がる展開であります。

 しかしそれ以上に印象に残るのは、強大すぎる力である六韜を前にしての二人の対照的な態度でありましょう。そう、己の復讐のための力として、六韜を求める義経。それに対し、六韜の力を外道のものとして己が――そして義経が持つことを拒む鬼若と……

 これまで鬼若は、ただ強さを求め、その旅の中で、清盛の持つ己の持つそれと異なる強さにも興味を持ってきました。その彼が六韜という強さの淵源を拒否したということは、これまでの彼が旅の中で目の当たりにしてきたこと、そして己のルーツを知ったことの結果でありましょう。
 そしてそれはこれまで生きる目的を持たず、その力を持て余してきた彼が、初めて己の強さを用いる道を見いだしたということでもあります。

 この巻のラストで、鬼若がついに新たな名を得たことは、言うまでもなくその象徴でありましょう。

 そして新たな旅に踏み出した義経と遮那、そして鬼若いや弁慶。外道の力ではない本当の力を目指し――これからが真の旅の始まりであります。


『天威無法 武蔵坊弁慶』第4巻(武村勇治&義凡 小学館クリエイティブヒーローズコミックス) Amazon
天威無法-武蔵坊弁慶-(4) (ヒーローズコミックス)


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2015.03.10

『ばけたま長屋』 おかしな三人組のおかしな幽霊探索行

 独り立ちして浅草元鳥越町の裏長屋に引っ越してきた指物師の弦次。ところが長屋の住人は職業不詳の三五郎のみ、他はある部屋に出る女の幽霊を恐れて出て行ってしまったらしい。そこに幽霊画を描くために本物を見たいという町絵師・朔天も越してきて、弦次は嫌々幽霊と対峙する羽目に……

 奇怪な出来事をありのままに描き出す怪談と、奇怪な出来事の真実をロジカルに解き明かすミステリというのは、想像以上に親和性が高いというのは、これまでこのブログでも何度か指摘してきたことであります。
 しかし、怪談ミステリとも言うべき作品、それも時代ものを、デビュー以来ほぼ一環して発表してきた作家はなかなかに珍しいのではないでしょうか。
 そんな輪渡颯介の最新作『ばけたま長屋』も、もちろん時代怪談ミステリ。数々の幽霊話とその真実に、三人のおかしな若者が挑む連作集であります。

 主人公の指物師の青年・弦次は、比較的温厚な性格ながら、見栄と心意気を重んじる江戸っ子。修行の末にようやく独り立ちした彼が、住居兼仕事場として、浅草の裏長屋に越してきたことが物語の始まりであります。
 深く考えずに越してきたものの、長屋に暮らすのは自分と、妙に調子の良い謎の男・三五郎のみ。それもそのはず、長屋の一部屋には女の幽霊が出る部屋があり、弦次も何かに引き寄せられるように、幽霊が部屋の中の箪笥から現れる様を目撃してしまうのでした。

 怖い話を聞かされると相手を思わず殴りそうになるくらい怖がりながら、ここで逃げ出すのは男がすたる、と弦次は変な意地を張るのですが、連日の怪奇現象に、弱っていくばかりであります。
 そうこうしている間に長屋に越してきたのは、知る人ぞ知る腕利きながら、真に迫った幽霊画を描きたいという想いに取り憑かれた若き絵師・雲居朔天。
 とある商人から幽霊画を依頼され、本物の幽霊画を見るために越してきたという朔天を交え、いよいよ幽霊と対峙しようとする弦次と三五郎が見たものは……


 そんな第1話を皮切りに展開していくのは、成り行きから幽霊を探す羽目になってしまった弦次・三五郎・朔天のおかしな探索行。
 人の良い大家の半右衛門、弦次の妹で明るく脳天気な照と、彼らを取り巻く人々が持ち込んでくる幽霊話に対して、時に幽霊の真偽を確かめ、時に幽霊の真意を探り……と、弦次たちは話の裏側を探っていくこととなります。

 冒頭に述べたとおり、デビュー以来怪談を扱い続けている作者だけに、怪談描写の確かさは言うまでもないお話。
 特に第1話の、自分の部屋で寝ていたはずが、気付けば幽霊の出る部屋の前に佇んでいたというくだりや、最終話に登場する幽霊が、真っ正面からでは見えず、顔を逸らすと視界の隅に見えるという描写など、実に怖い。
 この辺りは実話怪談などでもしばしば見かける描写ではありますが、その辺りを巧みに物語に織り込んでみせるのは、作者ならではでしょう。

 そしてもう一つの魅力は、登場人物のユニークさであります。
 主人公トリオをはじめとする登場人物のキャラ立ちと、彼らのどこか暢気さが漂う言動は、重い話も少なくない(それはもう、想いを残した幽霊が出るくらいですから……)本作の空気を、軽くしてくれます。
 この辺りも、作者のお得意とするところであり――作者のファンであれば、いや作者の作品を初めて手にする方であっても、すんなりと作品世界にはまることができるでしょう。

 もっとも、その軽さも善し悪しで、連作短編ということもあり、怖いは怖いが、物語自体はちょっとこじんまりしているかな……

 などと贅沢なことを考えなかったでもないのですが、しかしそんな気持ちが軽く吹っ飛ばされるのが本作の終盤。
 詳しくは書けませんが、物語が進んでいくうちに膨らんでいく「おや?」という気持ちが、「!!」となっていく様は、まさに「怪談ミステリ」の醍醐味でありましょう。これだから、作者の作品はやめられないのであります。

 そして一つの物語は結末を迎えることとなりますが、しかし人が人である限り、世に幽霊の種は尽きません。ということは三人組の冒険もまだまだ続くということで……是非とも続編をお願いしたいところであります。


『ばけたま長屋』(輪渡颯介 角川書店) Amazon
ばけたま長屋

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2015.03.09

『戦国武将列伝』2015年4月号(その二) 強き女性たちの物語

 リイド社の『戦国武将列伝』4月号は、一回で全て紹介してしまうつもりでしたが、想像以上に紹介が長くなってしまったためにやはり二回に分けて紹介いたします。さてその後半たる今回まず紹介いたしますのは、意外な作家の意外な作品から……

『井伊家の童女』(北崎拓)
 前号の予告ページで一番驚かされたのが、実は本作であります。
 作者の時代もの自体は、現在連載中の『ますらお』がありますし、戦国ものの名作『タイムスキップ真央ちゃん』があるのでさまで意外ではありませんが、驚いたのは作者の恋愛漫画シリーズ『クピドの悪戯』のタイトルが冠されていたことで――
 いくら何でもそれは無理があるのでは、と思いましたが、なるほど男女の愛に「ちょっと不思議」が絡んでいる点では、本作も同様……と言えるかもしれません。

 さて、タイトルの「童女」がその「不思議」の存在――主人公たる井伊直虎が幼い頃から幾度となく現れ、その人生の節目に予言を残してきた不気味な幼女であります。
 はじめに現れたのは直虎が幼い頃――彼女の許嫁であり初恋の人、そして永遠の想い人である井伊直親の「死」を予言した時。
 それ以降も幾度となく現れた童女は、直親を喪い絶望して仏門に入った直虎が「女」に戻れば不幸を招くという予言を残します。
 直親を喪った自分が女に戻るはずがない、と一笑に付した直虎ですが、しかしその前に現れたのは――

 と、女傑として後世に知られる直虎の一代記とも言うべき本作、直政の出自に関わるひねりもあるのですが、描写には直虎が女傑となる決意を決めたところで終わっているのが残念……
 と思っていたのですが、全てを持っていったのはラスト2ページ前の彼女の言葉。童女の予言に翻弄され続けたかに見えた彼女が遺したのは、なるほど彼女なればこそ、の力強くも美しい言葉であり――これを見ることができただけでも満足であります。


『鬼切丸伝』(楠桂)
 時代を行きつ戻りつ描かれてきた本作は、今号では最も古い、応仁の乱を舞台とした物語が描かれます。
 そしてそこに現れる鬼、鬼に憑かれたものの名は日野富子……言うまでもなく、八代将軍足利義政の正室として、乱の勃発と拡散に大きな影響を与えた人物であります。そしてこの乱が「戦国時代」を生んだと思えば、彼女がこの雑誌に登場するのは、なかなか意味深いものがあるかと思います。

 正直なところ、今参局の殺害から始まり応仁の乱に至るまでの長い時間を一気に描いているゆえか、話としての盛り上がりは今ひとつ。鬼切丸の少年の誕生にも関わる茨木童子との決戦もあったのですが……
 しかし、富子が見せた「母」の顔に、少年がたじろぐというのは、」なるほど! と感じさせられる展開。この少年のオリジンゆえか、本作は「母」の存在がクローズアップされるエピソードが印象に残りますが、今回もその一つと言うべきでしょうか。


 と、4作品取りあげてみましたが、実はこれらに共通するのは「強い女性」の存在。その他、『戦国自衛隊』『孔雀王 戦国転生』でも女性が大活躍で、おそらくは偶然かとは思いますが、なかなかに興味深いことではあります。

 さて、次号には下元ちえ(智絵)の『山三の舞』が読み切りで掲載されるとのこと。おそらくはこの山三は名古屋山三、作者の快作『かぶき姫 天下一の女』ファンとしては、期待せざるを得ないところであります。


『戦国武将列伝』2015年4月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ戦国武将列伝 2015年 04月号 [雑誌]


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2015.03.08

『戦国武将列伝』2015年4月号(その一) 舞台なき舞人の舞い始め

 少々紹介が遅れましたが、リイド社『戦国武将列伝』最新号であります。今号で注目は、前号で『後藤又兵衛』が終了したばかりのかわのいちろうの新連載『バイラリン 真田幸村』と、北崎拓の読み切り『井伊家の童女』ですが、もちろん連載陣も相変わらず元気であります。

 今回も、特に印象に残った作品を挙げていきましょう。

『バイラリン 真田幸村』(かわのいちろう)
 冒頭に述べたとおり、今号から新連載の本作は、タイトルのとおり、真田幸村が主人公。時代は関ヶ原の戦直前、幸村が僅かな供を連れて、四阿山を訪れる場面から始まります。
 彼の目的は、四阿山を本拠とする修験者=忍びたちの首魁を自分の配下とすること。これまで同盟関係にあった真田家からの臣従の申し出に怒り、拒絶する修験者たちですが、しかし幸村の人を食ったような交渉術の前に、自分たちの代表を遣わして幸村の力を確かめることとなります。
 その人物の名はサスケ――彼らの中でも最強の忍びの名であり、そして当代のサスケは華奢な少女。しかしその実力は……

 というわけで、作者の得意とする戦国武将ものでありつつも、もう一つ得意とする忍者もの、アクションものの色彩も濃い本作。まだまだ物語は始まったばかりですが、幸村vsサスケの場面は、作者ならではの高速アクション描写が冴え、これからの展開に期待させてくれます。

 しかしそれ以上に印象に残るのは、飄々とした、しかしどこか得体の知れないものを秘めた幸村のキャラクター。初陣の時にはほぼ天下が統一され、武人としての戦う場所をなくした彼は、作中の言葉を借りれば「舞台なき舞人」。
 そんな彼が関ヶ原の戦という舞台で如何に舞うのか――タイトルの「バイラリン」(bailarin)とは、スペイン語で舞踏家、つまり舞人のこと。是非とも派手に、奇想天外に舞っていただきたいところです。


『セキガハラ』(長谷川哲也)
 その関ヶ原をタイトルとする本作も、時間軸的にはそこで行われる決戦に向けて一年を切った時期ですが、今回はその前哨戦とも言うべき三成・宇喜多秀家・前田利長vs榊原康政・井伊直政の徳川四天王二人との対決が描かれることになります。

 が、これがほとんどワンサイドゲーム。触れたもの全てを喰らう「無」を操る榊原康政、その姿を見、声を聴いた男は全て行動不能(婉曲な表現)となる井伊直政……どちらも反則級の能力の持ち主であります。
 それは主人公たる三成も例外ではなく、辛うじて撃退したものの……というかなりマズい状態(ここで前田利長が史実に合わせて加賀に帰ってしまうのはちょっと面白い)。

 しかしそこから転じて仲間集めへ、というのはある意味定番ではありますが、やはり盛り上がる展開であります。

 しかし井伊直政が女性(たぶん)というのは、その養母である直虎のイメージを引いてのことかしら……と思うのですが、その直虎が主人公の作品については次回紹介します。


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2015.03.07

『お江戸の百太郎』 「過去」から「現在」に甦った少年探偵

 那須正幹といえば、私は『ズッコケ三人組』直撃世代なのですが、それよりやや遅れてスタートしたのが、児童向け捕物帖シリーズ『お江戸の百太郎』であります。本作はその第1作目、実に約30年前に発表されたのがこの度ポプラポケット文庫で刊行されたものであります。

 主人公の百太郎は、本所・亀沢町に、岡っ引きである父・大仏の千次と二人で暮らす12歳の少年。普段は浪人・秋月精之介先生の寺子屋に通っていますが、ひとたび事件があれば、大人顔負けの推理力と行動力で、解決に乗り出すお江戸の少年探偵であります。

 実は父の千次は、なりは大きく性格も温厚で周囲から好かれる人間ながら、捕り物の腕はからっきし。かくて父に代わって百太郎が頭を働かせ……というのは、なるほど児童書的かもしれませんが、これはこれで納得できる設定です。

 そんな百太郎の活躍を描くシリーズ第1弾たる本作は、全4話から成る短編集。
 商家のお嬢ちゃんの誘拐事件に始まり、金貸しの婆さんの幽霊が借金の催促に回るという怪事件、質屋の厳重に守られた蔵から旗本の家宝が消えた事件、百太郎と同年代のさる大名のご落胤を巡る御家騒動と、なかなかにバラエティに富んだ内容であります。

 お話の謎解き自体はさすがにシンプルではありますが(しかし、幽霊事件の真相など、おっと思わされる部分も幾つもあり)、しかし子供向きだからといって手を抜いた部分は皆無と言ってよいでしょう。

 何よりも時代ものとしてもきっちりとした描写が為されているのは、これは当然とはいえ、下手をすると一般向けの作品――特に漫画など――でもできていなかったりする――髪型と一本差し・二本差しと元服の関係など――だけに、大いに嬉しい話であります。
(時々現代語が台詞に混じるのは、これは現代語に翻訳されているということで……)

 もちろん、それだからといってうんちくだらけになれば子供は飽きてしまうところですが、そうならない絶妙なところで描写を留め、物語に巧みに絡めて自然に江戸時代の文化風俗を描くのは、これはやはりベテランならではの技でありましょう。
 おそらくは読者にとって生まれて初めての時代ものとなることを考えれば、この配慮はお見事、と言うほかありますまい。


 さて、私事で恐縮ですが、私は小さい頃、「少年探偵」に憧れておりました。もともと謎解き話が好き、ということもありますが、やはり当時周囲にあった本の中に、「少年探偵」ものと言うべき作品が様々にあり、自分もこんな風に活躍できるかも、と思わせてくれたことも大きいでしょう。

 しかし「少年探偵」という存在は、現代においては、たとえフィクションの中であっても、リアリティを持った存在として成立しにくいものであることは言うまでもありません。
 それはたぶんいま日本で一番有名な少年探偵も、表立っての行動の際には別人の陰に隠れざるを得ないことからもわかるでしょう。

 そんな少年探偵を、本作は復権させた――というのはもちろん大げさにもほどがあるわけですが、しかし「過去」を舞台とすることで、「現在」に「少年探偵」をさまで違和感なく活躍させてみせたのは間違いありますまい。

 それが実に30年ぶりに本作が復活した理由である、とまで言うつもりはありませんが、しかし30年前に発表された作品が、今になっても全く古びたものとして感じられず、そして子供時代の自分を思い出しつつ楽しめたことだけは、間違いありません。


『お江戸の百太郎』(那須正幹 ポプラポケット文庫) Amazon
お江戸の百太郎 (ポプラポケット文庫 児童文学・上級~)

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2015.03.06

『ぶっしのぶっしん 鎌倉半分仏師録』第1巻 半人半仏の少年を突き動かすもの

 平泉で地神・ミズチを封じるための明星菩薩の仏像を彫る少年・想。しかし顕現した明星菩薩はミズチに右半身を食われ、想も左半身を奪われてしまう。そして鎌倉で想が目覚めた時、彼の左半身は明星菩薩のものと化していた……

 恥ずかしながらこれまでノーチェックだったのですが、書店で見かけて大いに惹かれ、手に取った本作。ぱっと見たところでは、鎌倉時代を初頭を舞台に、少年仏師を主人公とした伝奇風味の芸術もの・美術ものかと思いきや……一言では表せぬような奇妙な、しかし実にユニークな作品であります。

 物語が始まるなり、奥州平泉で暴れ回るのは巨大な地神・ミズチ。
 源頼朝の侵攻で奥州藤原氏が滅亡したために復活したこのミズチを封じるため、主人公の少年仏師・想は来迎術――己の彫った仏像に本物の仏を降ろし、顕現させる技――を以て、明星菩薩を顕現させ(!)、ミズチを迎え撃たんとするのですが――

 ミズチに深手を負わせたものの、菩薩は左半身を食われ、想もまた体を真っ二つに裂かれ……と、いきなり主人公惨死であります。
 しかし、死んだはずの想が目を覚ましてみればそこは鎌倉。体も五体満足で元通りとなっていた想ですが、過去の記憶は失われ、何よりも体の中から明星菩薩の語りかける声が聞こえてくるではありませんか。

 そう、それぞれ半身を失った想と菩薩は、いかなる奇跡か二人(一人一仏?)で一人の仏像人間と化していたのであります。
 源頼朝の命で、かの運慶に預けられた想改め想運。かくて、運慶の下で見習い仏師として働くこととなった想運は……


 なるほど、これは想運が運慶の下で人間として、仏師として再生していくのだな、というこちらの予想は、完全に外れではないものの、物語は意外な方向に舵を切っていくこととなります。

 源平の合戦の最中に焼失した東大寺大仏殿を見事復活させた運慶と彼の家族・弟子たち。そこには記憶を失いつつも、それを半ば前向きに生かして平和な暮らしを楽しむ想運の姿がありました。

 しかし頼朝も列席しての落慶法要の場に現れたのはあのミズチ。謎の少女剣士に操られるミズチを迎え撃つために立ち上がったのはなんと……

 と、ここから物語は一気に巨大ロボットもの(!)あるいは変身ヒーローもの的な色彩を強めていくこととなります。
 巨大な敵と戦うことができるのは、同じく巨大な体と力を持つ者のみ。そして常人では動かすのがやっとのその存在を、自在に動かし、力を与えることができるのは想運のみ――

 ごく普通の人生を送ってきた少年が、突然巨大な力を与えられ、戦いの中に放り込まれる……というのは、時代を超えて描かれる巨大ロボットものの一つのパターンであります。
 そこで描かれるのは、平穏な人生と決別することのためらいと、大きすぎる力を前にしての戸惑いと恐れ、そしてそれをも超える強い意思――そして本作のクライマックスで描かれるのも、まさにそれであります。

 一度は戦いの中で命を落としながらもその記憶を失い、今は平和に暮らす想運が、再び立ち上がることができるのか? そして立つとすれば、彼を突き動かす者はなにか……
 いやはや、まさか本作でこのような熱い展開を見せられるとは予想もしておりませんでした。


 と、思わぬ世界に突入していく本作ですが、その一方で物語の基本的なムードはむしろユルめ。
 特に想運の中の明星菩薩や、顕現する他の仏たちの会話などは、むしろ立川でバカンスを楽しんでいそうな人間くささでありますし、想運を取り巻く人々も、実にキャラの立った連中揃いであります。

 そしてそんな緩急つけたキャラクターと物語の中に見え隠れするのは、今なお続く平家の残党(頭領があの生死不明の大物なのにニヤリ)の暗躍と、想運の存在にある野望を抱いているらしい頼朝の不気味な姿。

 ギャグあり、シリアスあり、アクションあり、伝奇あり――この先、見逃せるわけがありません。


『ぶっしのぶっしん 鎌倉半分仏師録』第1巻(鎌谷悠希 スクウェア・エニックスガンガンコミックスONLINE) Amazon
ぶっしのぶっしん 鎌倉半分仏師録(1) (ガンガンコミックスONLINE)

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2015.03.05

『メテオラ』弐 ついに動き出す「混沌」と「魔星」たち!

 獣に変化するという呪われた運命を背負わされた青年・豹子頭林冲を主人公とする琥狗ハヤテの変格水滸伝『メテオラ』。最初の単行本にはナンバリング表記がなかったため少々気をもみましたが、もちろん取り越し苦労で、ここに第2巻が登場であります。

 赤子の頃に王進将軍に拾われ、彼の庇護の下、人間として、武人として逞しく成長した林冲。しかし彼には尻尾があり、そして感情が高ぶった時に豹の頭を持つ(まさしく豹子頭!)獣人に変身するという秘密がありました。
 そんな彼が知り合った不良坊主・魯智深もまた、獣人に変身する力を持つ――魔星(メテオラ)を背負った者。思わぬ同志の出現に喜ぶ林冲ですが――

 しかし、そんな林冲が暮らす開封府に迫る文字通りの魔の手。奇怪な「混沌」の影が王進の同志・関勝を襲い、そして王進にもその魔手は迫ることとなります。
 林冲と同じく魔星を持つ者を狙う奇怪な怪人、その名は高キュウ。そしてその手足として暗躍するのは殿帥府大尉・高廉……!

 と、原典ファンであれば半分やっぱり、半分ビックリの展開で始まるこの第2巻(さらに高衙内もまた、原典とは全く異なる姿で登場)で描かれるのは、王進を、林冲を襲う悲劇の数々。
 時期こそ違え、原典冒頭でそれぞれ高キュウにより苦しめられることとなった二人。本作ではそれを巧みにアレンジして描くこととなります。

 この林冲の悲劇は、およそ水滸伝物語であればほとんどあらゆるバージョンで描かれるだけに、水滸伝ファンにとっては極端な話、見飽きたものとなりかねないのですが――
 しかし最初に述べたとおり、魔星という全く異なる要素を持つ本作で描かれるそれは、大きく異なる……すなわち、未知の物語となります。

 そしてこの巻のクライマックスとなるのは、もちろんその悲劇であります。
 王進の計らいにより林冲が滄州に向かった後に、王進の屋敷を襲う高廉。しかし林冲は子供の頃から親しんできた人々が次々と倒れるのも知らず……

 と、実はこのクライマックスに主人公が居合わせないのですが、そこに魯智深が駆けつけて……という展開が実に熱い。
 特に、彼がある人物の最期を前に見せる姿は、「獣人」という本作最大の特長をフルに生かした、一種変身ヒーローものの美学すら感じさせる名シーンでありました。


 そして野猪林のくだりを経て、林冲と魯智深の前に現れる新たな魔星。いきなり大胆な格好で現れた彼の正体は――
 本作ならではの要素も全開となり、いよいよ本格的に動き出した物語。隔月掲載ゆえ、次に単行本にお目にかかれるのがおそらく一年後であろうことだけが、何とも残念であります。


『メテオラ』弐(琥狗ハヤテ KADOKAWA/エンターブレインB's-LOG COMICS) Amazon
メテオラ 弐 (B's-LOG COMICS)


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2015.03.04

『表御番医師診療録 5 摘出』 理想と信念を持って立つ男!

 剣豪医師・矢切良衛が権力の病巣に切り込んでいく『表御番医師診療録』の第5弾は、前作に引き続き、大奥の不穏な動きに良衛が挑むこととなります。表御番医師ならぬ御広敷番医師となった良衛が、江戸城の中の異界・大奥で見るものは……

 足に怪我をした御広敷伊賀者を診察し、そこに不審なものを感じ取った良衛。実は伊賀者の傷は、大奥警備の最中に、火の番である別式女の不意の襲撃を受けて負ったもの。
 自分の影の上役とも言うべき大目付・松平対馬守にこのことを知らせた良衛は、将軍綱吉の命で役目替えとなり、大奥付きの医師たる御広敷御番医師として、探索に当たることに……

 というわけで毎度のことながら貧乏くじを引かされる良衛ですが、今回の探索先である大奥は、やはりあまりにも勝手の違う相手。
 言うまでもなく将軍以外の男が入ることはできない大奥のそのまた奥に、数少ない例外として入ることができるのは、なるほど医師であります。

 その意味では彼がこの任に当たるのはまさに打ってつけ、と言いたいところですが、しかしもちろん大奥担当の医師だからとて、勝手に出歩くわけにはいきません。何とか綱吉の寵愛厚いお伝の方の力で、毎日大奥に出入りできるようにはなったものの、それはそれで厄介ごとを招くわけで……

 果たして何故火の番が伊賀者を襲ったのか、そもそも伊賀者は何をしていたのか? 謎を追う良衛ですが、その足下にも思わぬ火の手が上がることになります。


 と、権力の闇に触れてしまったばかりに、今回も意に染まぬ探索に駆り出される良衛ですが、彼が直接謎を探り出すというよりも、彼の存在が謎をあぶり出す、という展開になってしまうのは、少々残念なところ。
 結局事件は彼の知らないところで始まり、(彼の動きがそれに繋がったとはいえ)知らないところで決着してしまうというのは、ある意味仕方がないこととはいえ、いささか虚しさを感じさせます。

 しかし、それでいて本作が良衛自身の物語として強烈に感じられるのは、そんな混沌とした状況に放り込まれながらも、彼の中にしっかりと一本通ったものがあるからにほかなりません。

 それは、彼が「医師」であること――
 確かに彼は旗本、すなわち将軍を主君として仕える者ではありますが、しかしそれ以前に彼は「医師」なのであります。

 医は仁術などではない、と作中で自らはっきりと断言する良衛ではありますが、しかしそれは決して私利私欲から来た言葉ではなく、己の医師としての使命を全うし、より多くの人を救わんとする決意から来たもの。
 すなわち彼の価値観の中で最も重んじるべきは医師としての使命であり、その前には、この時代の武士の行動原理の中心にあるお家の継承、そしてあわよくば立身出世して、などというのは二の次三の次なのであります。

 もちろんと言うべきか、良衛は聖人君子ではありません。さらに大目付たちからは走狗としてこき使われ、義理の父に当たる典薬頭には手駒と見なされる……そんな立場にあります。
 それでも彼は、その中で膝を屈することなく、医師としての理想を、信念を貫くべく、しっかりと立ち続けます。そんな彼が、大目付に対して言いも言ったり、ある言葉を叩きつける場面は、本作のクライマックスと言えましょう。

 状況に翻弄されることの多い上田主人公の中でも、良衛は独自の地位を占めた存在であり――個人が権力に対峙することへの一つの希望を体現したキャラクターであると、少々大げさではありますが、感じた次第です。
(そしてそんな彼の信念に、作者の経歴を重ねてしまうのは、あながち穿った見方とは言えますまい)


 本作の結末は、そんな彼が掴み取った小さな勝利とも言えるのですが――しかし、もちろん権力の軛を逃れるのはそうそう簡単なことではないのも、言うまでもないお話。
 大目付の人の悪い笑顔を想像しつつ、次なる巻を待つことになるのであります。


『表御番医師診療録 5 摘出』(上田秀人 角川文庫) Amazon
表御番医師診療禄 (5) 摘出 (角川文庫)


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2015.03.03

『ゴールデンカムイ』第2巻 アイヌの人々と強大な敵たちと

 第1巻が発売されるなり話題沸騰、もちろん私も大ファンの『ゴールデンカムイ』待望の第2巻であります。北海道を舞台に、その規模8億円とも言われるアイヌの黄金を巡り、不死身の軍人崩れとアイヌの少女が繰り広げる冒険譚は、この巻でも絶好調であります。

 日露戦争での活躍から、不死身の異名を持つ青年・杉元。ある目的から一攫千金を夢見て北海道に渡り、そこである男が奪い、秘匿したという莫大なアイヌの黄金の存在を知った彼は、その騒動で父を殺されたというアイヌの少女・アシリパとともに黄金の行方を追うことになります。

 しかし黄金の在処が記されたのは、網走刑務所に収監されていた囚人たちの体に彫られた刺青、それも一人や二人ではきかぬ人数、しかも彼らは脱走し、広大な北海道に潜伏中。
 それでも粘り強く彼らを追う杉元とアシリパのコンビですが、しかしその前には同じく黄金を追う強敵が……

 というわけで、基本設定の紹介といった趣であった第1巻に比べ、少し余裕を持って展開される印象もあるこの第2巻。中心となるのは、アシリパに案内されて彼女の村を訪れた杉元が目の当たりにするアイヌの暮らしであります。

 知っているようでいて、ほとんど全く我々が知らないアイヌの世界。彼らが何処に暮らし、何を食べ、何を信じて生きてきたのか……第1巻の時点で、その数々を丹念に、そして分かり易く描いてきた本作ですが、この巻ではそれがさらにパワーアップしています。

 「カムイ」の概念とそれとの接し方のほうに、彼らの信仰の、生活の根幹にあるものから、厄除けのために子供時代に付けられる名前のような何ともユニークなものまで、ただただ感心させられるばかり。
 アイヌへの言われなき差別・搾取が横行していた当時としては破格ではないかと感じられる杉元のニュートラルな視線、一方で伝統を重んじつつもそれに縛られず、新たな考え方も持つアシリパの語りと、不自然にならない範囲で現代の我々にも共感できる形での描写には、感心させられます。

 そして、杉元がアイヌの言葉を解さない(アシリパが通訳になっている)という設定が、硬軟織り交ぜて物語と有機的に絡んでくるのもまた、うまい、としか言いようがありません。(絶対イイことを言っているな、と思わせるアシリパの祖母の言葉の意味が、最後に示されるのがまた心憎い)

 また、もう一つ見逃せないのは、第1巻でも評判だったアイヌの料理。この巻でもふんだんに描かれるその食事シーンは、生唾ものの魅力たっぷりであると同時に、アイヌの人々の生活、そして価値観の象徴として、重要な意味を持つものでありましょう。


 ……と書けば、何やら平和な展開ばかりに見えるかもしれませんが、もちろんさにあらず。この巻で杉元が本格的に対峙することとなるのは、最強を謳われる北の帝国陸軍第七師団、その中でも奇怪なカリスマと狂気を怪人・鶴見中尉率いる部隊。
 日露戦争で頭蓋の一部を欠損し、半面を仮面で覆っているという、見るからに怪しげな鶴見ですが、自らの行動の障害になるものは容赦なく痛めつけ、排除する姿は、軍人の一側面の象徴――そしてもちろんその反対側の象徴が杉元なのですが――と言えるでしょう。

 しかしそれだけでなく、彼の一見異常な野望の根底にあるものは、報われぬまま散っていった同志への鎮魂という目的というのがまた面白い。
 鶴見に限らず、彼の部下たちもまた、事に当たっては異常に冷徹な行動を見せながらも、しかしその中に彼らなりの行動原理、人間性を見せるのがいいのです。

 敵のための敵、単なる障害物ではなく、血の通った存在として彼らを描いてみせるのは、本作の、シンプルではあるものの、ツボを押さえた人物描写によるものであり――そしてそれは彼らだけでなく、杉元やアシリパ、あるいは彼らが旅の途中で接する人々にも共通するものであります。
 そしてそれこそが、本作を単なる殺人ゲームではなく、殺伐としているようでいてむしろどこか爽やかさすら感じさせる冒険活劇として成立させているのでしょう。

 そしてまた、その本作流の描写で描かれる老土方歳三(!)がまた実に格好良く……囚人サイドの将とも言うべき彼の出番はまだごくわずかなのですが、これからの活躍には否応なしに期待させられてしまうのです。


 舞台も、登場人物も、もちろん物語も(そして食べ物も)魅力だらけの本作。杉元大ピンチの場面で続いているからというだけでなく、続きが一刻も早く読みたいと思わされるのも無理のないことなのであります。


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2015.03.02

『からくり探偵・百栗柿三郎』 またも大ドンデン返しの大正ミステリ

 大正時代の東京を舞台とした『帝都探偵謎解け乙女』でこちらの度肝を抜いてくれた伽古屋圭市の新作であります。こちらも舞台は大正時代、前作との繋がりはありませんが、今回もちょっとユルめのキャラクターと本格派の謎解き、そして……と、こちらの期待を裏切らぬミステリであります。

 タイトルロールの柿三郎は、浅草の外れにあるボロ家・百栗庵の主で発明家……を自称する一種の変人。日がな一日、なにやらおかしなからくり仕掛けをいじくり回している彼のもう一つの顔は探偵、なのであります。

 「よろず探偵 人探しも承り」の看板を掲げる柿三郎は、依頼があらば機械式招き猫(!)の助手・お玉さんと、押し掛け女中の千代とともに、颯爽と事件解決に乗り出……さない。
 依頼人が訪れてもなかなかやる気を出さず、千代に半ば尻を叩かれるようにしてようやく重い腰を上げるやる気のなさですが、しかしその探偵としての実力は本物。科学的調査法と、何よりも明晰な頭脳による論理的な分析から、次々と怪事件を解決していくのです。

 そんな柿三郎の活躍を描いた本作を構成するのは、四つの短編と、その合間に差し挟まれたある情景。
 完全な密室で「ホムンクルス」に殺害されたとしか思えぬ死体となって発見された博士。
 場所こそ違え、一ヶ所にまとまって連続して発見されたバラバラ死体たち。
 透視や瞬間移動を操るという幻術師の下から姿を消した青年。
 そして、何者かに両親を殺されるという惨劇を目撃した後、自らも何処かへ消えた少女。

 いずれも怪事件、難事件と称するに相応しい事件でありますが、面白いのはこれらの事件が、いずれもこの時代ならではの――裏を返せば、この時代だからこそ成立する――ものであることでしょう。
 江戸明治ほど法制度・捜査法が確立していないわけではなく、しかし現代ほど科学捜査や情報網が確立しているわけではない。本作で描かれるのは、そんな時代だからこそ成り立つ、一種時代の隙間をくぐり抜けるような事件の数々なのであります。

 そんな事件たちを、時にトリッキーな手段も用いつつ、ロジカルに解き明かしていくミステリとしての面白さは言うまでもありませんが、本作に更なる魅力を与えているのは主人公たちの個性にあります。

 探偵の看板を掲げながらもやる気なく、周囲に無頓着なようで鋭い観察眼を持ち……と、矛盾したような顔を持つ柿三郎。そんな彼の助手兼ツッコミ役兼語り手として、テンポよく、かつユーモアたっぷりに物語を進めていく千代。そして行動はいまいち不自由ながら、ほとんどオーバーテクノロジーな便利さを見せる機械仕掛けのお玉さん。

 冒頭に述べたようにちょっとユルい面々の活躍は、意外に凄惨な事件も少なくない本作のムードを明るく、親しみやすいものとしているのです。


 が――本作の最大の魅力は、最後に待ちかまえています。
 『帝都探偵謎解け乙女』において、最後の最後にとんでもないドンデン返しを用意していた作者。その作者の作品であれば今回も……と期待してしまうのが人情ですが、それはもちろん、裏切られることはありません。

 その内容については一切触れられませんが、(それまでの事件においてもそうであったごとく)何の気ない言葉が、描写が後になって全く違った意味を持って立ち上がってくるという一種のダイナミズムには、ただただ「やられた!」と思わされるばかり。
 幕間に描かれる情景――あの大正最大の災害直後の世界も意味深に描かれてきただけに、まんまと一杯食わされた、という印象であります。

 しかしもちろん、それは全くもって望むところ。いやそれこそが作者に求めるものであり――
 毎回考えるのはどれだけ大変なことかとちょっぴり申し訳なく思いつつも、次回はどんな仕掛けで驚かせてくれるのか、と今から楽しみになろうというものなのです。


『からくり探偵・百栗柿三郎』(伽古屋圭市 実業之日本社文庫) Amazon
からくり探偵・百栗柿三郎 (実業之日本社文庫)


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2015.03.01

『アンゴルモア 元寇合戦記』第1巻 「戦争」に埋もれぬ主人公の戦い始まる

 文永11年、元御家人の朽井迅三郎は、流刑先の対馬で意外な歓待を受ける。対馬には元軍が接近中であり、彼らは戦力として期待されたのだ。果たして対馬に上陸した元軍を迎撃する対馬の武士たちだが、全く異なる武器と戦法を持つ元軍に苦戦を強いられる。果たして朽井は対馬を守ることができるのか……

 何やら非常に高い前評判とユニークなタイトル、そして何よりも題材的に気になっておりました『アンゴルモア 元寇合戦記』の第1巻であります。

 タイトルの「アンゴルモア」とは、我々の世代には懐かしい、ノストラダムスの予言にも登場する恐怖の大王ですが、その名は、モンゴルに由来するという説もあるとか。
 そしてそのモンゴル――当時世界最強を誇り、当時の皇帝・フビライの拡張策の下、東西に版図を広げていた元が、文永・弘安と二度にわたり日本に来襲した元寇は、これまでも数々の物語の題材となってきたところであります。
 本作は、その中でも緒戦であり――そして初めて元軍の上陸を受けた――対馬を舞台として始まります。

 それまでも海の向こうの民と交流を持ってきた彼らをしても、ほとんど異星人とのファーストコンタクトのような元軍との接触。そしてそして始まる武と武のぶつかり合い――
 本作の面白さの一つ目は、これらのリアリティに富んだ描写でありましょう。特に合戦シーンの描写などは、最近ネット上でも話題となった弓の扱い方もかなりしっかりと描いているのではないか……というのは素人の印象ですが、いずれにせよ、このリアリティが、本作の行き詰まるような緊迫感に大きく貢献していることは間違いありますまい。

 しかし、本作の魅力は、それに留まらない――むしろ他の点にあるように感じられます
 日本史上(少なくともこの時点までは)数少ない外敵との「戦争」であった元寇。
 この「戦争」を描く方法の一つは、俯瞰的な視点で選局の推移を描くことでしょう。あるいは、戦に巻き込まれた、無力な個人の目を通じて、その惨禍を描くという選択肢もあるかもしれません。

 しかし本作は、そのどちらも取りません。いや正確には、その双方を描きつつ、その最中にあるものを描くと言えるでしょう。
 それは主人公・迅三郎の存在――巨大な力と力のぶつかり合いの最中で、埋没することも打ちのめされることもなく、己の存在を確立してみせる迅三郎の姿なのであります。

 もちろん、名もない人間個人が、巨大な戦力と戦力同士のぶつかり合いの中で存在感を見せることは、本来であればあり得ないことでしょう。
 それを可能とするとすれば、シチュエーション設定に工夫すること――すなわち、正規軍が機能しない、あるいは敗れた状況の中で、ごく少数の人間たちが戦わざるを得ない(それでいて彼らに逆転の目がある)状況……本作は、それを巧みに設定している、少なくともしようとしていると感じられます。

 さらにそのシチュエーション作りを支えるのが、歴史ものとしてのガジェットでありましょう。
 迅三郎の(さらには敵も……?)使う武術、迅三郎の前に現れるある大物武将の存在、さらにヒロインである宗氏の姫の意外な素性……この時代の、この舞台ならではの題材選びとその使い方にも、感心させられた次第です。

 史実を、戦争を「面白く」、しかし完全な嘘にならずに描く……簡単なようでいてこの難事を成し遂げている――というのを第1巻の時点で断言するのも少々気が引けますが――本作。
 その作者の名前を、どこかで聞いたことがあると思えば……幕末を舞台としたトリッキーな快作『なまずランプ』の作者でありました。なるほど、あの作品の作者であれば、この内容もあり得ると、思わぬ再会にすっかり嬉しくなってしまった次第です。


 なお、シチュエーションや主人公像といった本作の内容(特に後者)が、某漫画作品に似ているという指摘をいただきました。
 なるほど、絶望的な戦力差の状況にも不敵な態度を崩さず一種天才的なセンスで活躍する「軍人」という主人公の設定、そして何よりもそのビジュアルについては、相当に似通っているという印象は受けます。

 その辺りがどこまで意図的なものであるかはもちろん私にはわかりませんし、また詮索するつもりもありませんが、上に述べた時代ものとしての題材選びの巧みさは、本作の、本作のみの大きな魅力の一つであることは間違いないのであり、それで今は十分だと感じているところです。


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