『宇喜多の捨て嫁』(その二) 「人間」という名の絶望
戦国時代に悪名高き梟雄・宇喜多直家を中心に描かれる奇怪な連作短編集『宇喜多の捨て嫁』の紹介後編であります。超人的なまでの存在感を持つ直家の中の「人間」――それは、表題作に続く5編の中で描かれることとなります。
幼い頃に祖父を暗殺され、父に捨てられて母と二人苦難の流浪を続けた直家の、余人にはない力が思わぬ惨劇を呼ぶ『無想の抜刀術』
浦上家中で頭角を現し、妻子と幸せな家庭を築きながらも、それが故に主によって地獄に叩き込まれる直家の姿『貝あわせ』
もはや家中でなくてはならぬ存在となりながらも、それ故に彼以上の梟雄を気取り、彼を疎んじる非情の主との対決『ぐひんの鼻』
直家の三女と婚姻し、宇喜多家を継ぐこととなった浦上宗景の嫡男・松之丞と、直家の不思議な想いの交錯が描かれる『松之丞の一太刀』
芸の道に溺れ、直家の奸計に嵌まって母を見殺しにした鼓打ちの眼から見た直家の最期の姿と奇怪な因縁の終焉『五逆の鼓』
時代や舞台は異なれど、ある意味、表題作の裏側を描いてきたこれらの作品で描かれるのは、何故直家がそうなったか、の物語であります。
苦難に満ちた少年時代を乗り越え、己の才知でもって主家を支える存在となった直家――普通であれば立志伝中の人物ともなりそうな彼を襲うのは、運命の、そして周囲の人物の悪意。
純粋だった彼の心は、その悪意に晒されるうちに、黒く染まり、やがては彼自身が巨大な闇の如き存在となっていくのですが――しかしそれは、彼が人間的でありすぎた、人としての情を持ちすぎたがゆえなのであります。
しかしそれは、彼が単純に悲劇の主人公であるということを示すものではありません。彼の身から血膿を吐き出し続ける傷口。
彼の怒りと哀しみの、背負った呪いの象徴ともいうべきそれは、彼の「復讐」が果たされた後も、そして彼の「原罪」が(本人は知らぬとはいえ)既に赦されているにもかかわらず、変わらず血膿を生み続けるのですから……
彼が非人間的な魔人であれば、あるいは純粋に悲劇の主人公であれば、どれだけこちらの心が安まったことか。
しかし本作の中で描かれるのは、彼があくまでも人間であり、そしてそれが故に罪を重ね、周囲を、自らを破滅に導いていく姿なのですから。
本作において直家の特異な才能として描かれる「夢想の抜刀術」――人の生存本能の極みと言うべき、危機に反応して抜かれる太刀捌き。それは程度の差こそあれ、人であれば皆が持つ選択肢の象徴でありましょう。
そして……私は自分自身に問わざるを得ません。自分がどちらかを選択せざるを得なくなった時、自分は「抜く」ことを堪えられるのかと――
戦国という時代が生んだ超人的な梟雄を描きながらも、そこに時代を超えて存在しうる、人間の一つの極限の姿を描き出す。
本作がどこまでも恐ろしく、暗鬱に感じられる真の理由は、そこにあるのではありますまいか?
『宇喜多の捨て嫁』(木下昌輝 文藝春秋) Amazon
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