會川昇『南総怪異八犬獣』
文政年間、八犬伝人気が沸騰する中で観光地となった安房に怪物が出没、犠牲者が続出するという噂が流れた。その真偽を確かめることとなり、二人の同行者とともに安房に向かった古書店の居候・筑木七郎。そこで騒動の陰に潜むものを知った七郎たちだが、しかしそこに巨大な影が現れる……
如何なる力が作用したかはわかりませんが、この一月に満たない間に、『怪獣文藝の逆襲』『日本怪獣侵略伝 ご当地怪獣異聞集』と、相次いで怪獣小説アンソロジーが刊行されました。
特に後者は、「ご当地怪獣異聞」の副題が示すように、各都道府県に設定されたご当地怪獣を題材に、特撮ものの脚本家たちが競作するという極めてユニークな一冊なのですが……他の作品が全て現代を舞台としているのに対し、一作だけ、江戸時代を舞台とした作品が存在します。
それが本作『南総怪異八犬獣』――舞台は千葉県、登場する怪獣の名は「伝奇怪獣バッケンドン」、そして描くは幾多の時代伝奇ものを送り出し、『THE八犬伝』第一期の構成を担当した會川昇……私が読まない理由がないではありませんか。(ちなみに私は千葉県が本籍地であります)
さて、「この世は無慈悲で残酷であると共に、神聖な美しさに満ちている」という、『THE八犬伝』ファンであれば「おおっ」と思うこと間違いなしのユングの引用にいきなり仰け反らされる本作ですが、その後もこちらは興奮させられっぱなし。
何しろ舞台となるのは、信乃と現八の芳流閣の決闘から、行徳での小文吾・親兵衛の登場と、前半の山場というべき『南総里見八犬伝』第4輯が刊行され、八犬伝人気が沸騰した時期。
そんな中、観光地となった安房の地に怪物が出現、老若男女が人間業とは思えぬ無惨な死体となって発見され……という虚実入り乱れた冒頭部からして見事というほかありません。(そしてその噂を聞いた馬琴が、執筆を止めると言い出すのもまた「らしい」)
そしてその噂を聞きつけたのが、江戸の情報屋として知られる藤岡屋須藤由蔵というのもたまりませんが、彼によって派遣されたエージェントともいうべき筑木七郎、福地忠兵衛、大童子平馬(彼らもまた全て実在の人物!)が、安房である事実を知る辺りから、予想もしなかった方向にストーリーは展開していきます。
そもそも、『南総里見八犬伝』という作品自体が、虚実が複雑に絡み合った中で成立した物語。
史実を踏まえつつ、その中に虚構を織り交ぜて話を展開させていくというのは、これは歴史ものフィクションであれば当たり前のことですが、八犬伝の場合、その虚構の部分までもが史実のように受け止められていく点にその複雑さがあります。
本作は、そんな「物語」としての八犬伝の奇妙に歪んだ姿を描き出すのですが――しかし、それに留まらず、そこに八犬伝の基調を成すある概念というもう一つの「物語」の存在を描き出すのが素晴らしい。
理想化された「現実」たる「物語」――「現実」からはみ出したところにあるはずのその「物語」が、やがて「現実」を縛るものともなる。本作で描かれた八犬伝騒動はその極端な例ですが、しかし本作に登場するもう一つの「物語」こそが、江戸時代を縛る最大の軛だったのではないか――
そしてその歪みが、人の強い想いや異界の力と結びついた時、怪獣が……というのは、これはもう「あの作品」を連想するなというのが無理なのですが(しかも関わるのはその主人公のモデルともなった人物)、それはさておき。
怪獣もののキモの一つとも言うべき怪獣誕生の理由・メカニズムに、八犬伝という「物語」と、そしてこの時代ならではの――しかしそれは形を変えて現代の我々をも縛るものでもあるのですが――もう一つの「物語」の存在を用意してみせた本作は、見事に時代伝奇怪獣小説としか言いようがありません。
そして――こうした「物語」と「現実」という、作者お得意のモチーフを使いつつも、その果てに描かれる、残酷な「現実」と美しい「物語」の狭間でもがく者が見せる一瞬の輝きが素晴らしい。
ここに作者のヒロイズム、ヒーロー観を窺うことが出来る……というのはファンのうがった見方に過ぎるかもしれませんが、いずれにせよ、作者が久々に手がけた『八犬伝』として、そして作者のおそらくは初の時代(伝奇)小説として、必読の作品であります。
『南総怪異八犬獣』(會川昇 洋泉社『日本怪獣侵略伝 ご当地怪獣異聞集』所収) Amazon
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