矢野隆『覇王の贄』 二重のバトルが描き出す信長とその時代
天下統一を目前とした覇王・信長が手に入れた男。新免無二斎というその男は、鬼神の如き強さと、相手を殺すまで止めぬ無情さを持つ最強の剣客だった。一対一で無二斎を殺せる者を連れてこいという命を受け、秀吉、利家ら信長麾下の将たちは、「贄」を選ぶことに――
デビューしてから決して長いとはいえない期間でありますが、しかし矢野隆ほど、戦いを、戦う者を一貫して描いてきた時代小説家はいないのではありますまいか。本作は、そんな作者の一つの到達点とも言える連作集であります。
信長が絶頂期にあった天正9年、安土城で信長に拝謁した羽柴秀吉は、櫂のような巨大な木刀を振るう男・新免無二斎が、信長の小姓をはじめとする者たちを次々と叩きのめし、惨殺していく様を見せつけられます。
そして秀吉に対し、「一対一での勝負で此奴を殺せる者を連れて来い」という命を下す信長。
自分の気に入りの男を殺せというに等しい信長の真意はどこにあるのか? 答えを間違えれば自分の命も危うくなるその命を果たすため、悩み抜いた末に秀吉が選んだ男は……
「秀吉」と題する第1話で描かれるのは、本作の設定紹介とパターンの提示。
以後、秀吉、長秀、勝家、利家、嘉隆、そして光秀と武将の名が冠される全6話で構成される本作は、基本的にこのパターンに則って、展開していくこととなります。
そんな本作の魅力の第一は、言うまでもなく、無二斎(言うまでもなく、彼はかの剣豪・宮本武蔵の父であります)の相手として6人の武将が誰を選び、そしてその相手が無二斎と如何なる技を以て、無二斎と戦いを繰り広げるか、という点であります。
その剛力で、その剣技で、そして何よりもその心性で、最強の剣士として君臨する無二斎。
当然、通常の手段では、通常の相手では傷を負わせることすら困難な相手に挑むための諸将のチョイスは、彼らの性格もあいまって、実に様々であります。
先に述べたとおり、物語のパターンは共通しているものの、展開するバトルはバリエーション豊富。
この人物が相手をするのか!? と驚かされる対戦カードも少なくなく(特に第4話で利家が選んだ相手とその戦いのステージには仰天)、そこに時代バトルの第一人者とも言うべき作者の力量を見ることができます。
しかし、本作で繰り広げられる戦いは、それだけではありません。並行して描かれる戦い、それは信長と6人の武将の戦いであります。
もちろん、覇王とその臣下という関係にある彼らが直接に戦うわけではありません。しかし、無理難題と言うしかない信長の求めに如何に応えるか、そもそも、自分のお気に入りの男を殺せというのはいかなる思考によるものか――
その対処を誤れば、命取りになりかねないことは、信長の性格と所業を考えれば明らかでしょう。
そしてそこに本作のもう一つの魅力があります。
そこで示される武将たちの選択、それこそは、彼らが何を想って生きてきたか、そして信長に何を求めるかの表れ。
それは言い換えれば、戦国という時代、その申し子とも言うべき信長と如何に対峙するか、その答えであり、彼らの人生そのものなのであります。
(作中、リレー的に前話の武将が登場し、その回の主人公武将と語る中で、またそれぞれの想いと個性が際立つのも面白い)
それこそが本作で繰り広げられるもう一つのバトルとその魅力であり――そして本作を変格の、そして優れた歴史小説たらしめている点なのであります。
無二斎という剣客と対戦相手とのバトルを一種の鏡として、信長に仕えた武将たちの内面を、そして信長自身のそれを映し出す――そのバトルの二重構造の見事さには、ただ唸らされるばかりなのであります。
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