『でんでら国』(その二) 奇想と反骨と希望の物語
老人たちの理想郷に依る老人たちと、彼らからその地を奪おうとする侍たちとの丁々発止の攻防戦を描く『でんでら国』の紹介の後編であります。作者一流の奇想と反骨精神を以て描かれる本作は、しかし決して単純明快な勧善懲悪の物語に留まるものではないのです。
そう、本作は、決してでんでら国の住人たちを、農民を一方的な弱者として描くわけでも、侍たちを一方的な悪として描くわけでもありません。
確かに本作において大平村とでんでら国の人々は藩の侍たちの理不尽な攻撃を受ける存在であり、また、棄老を行うとして、他の村の農民たちから差別される状況にあります。
しかしその一方で彼らが行っている棄老(厳密には異なるわけですが)も隠田も法度破りであることは間違いありません。たとえそれが侍側の定めた一方的な理屈であるとしても、それを守っている人々もいる以上、でんでら国の主張もまた、彼らの一方的な理屈とも言えるのであります。
そんな、簡単には割り切れぬ本作の構造を象徴するのは、侍側の主人公とも言うべき別段廻役(犯罪捜査に当たる役人)の舟越平太郎の存在であります。
代官の命を受け、大平村の、でんでら国の秘密を探る平太郎は、いわば侍側の急先鋒であり、そのロジックの代弁者とも言うべき存在。普通であれば、そんな彼は憎々しい悪役として描かれてもおかしくはないのですが……
しかし、本作は決してそのような描写をするものではありません。実は隠居した彼の父は耄碌してしまい、平太郎のことを認識できなくなっている状態。
若い知人として自分の父に接し、父が自分のことを他人に語るように話すのを聞く――そんな老いの悲しみを、彼は骨身に染みて知っているのであります。
さらに探索の途中に思わぬ形ででんでら国の人々に接することとなった平太郎は、侍としての自分と、身内に老人を抱える人間としての自分の間で葛藤を抱えることになるのですが……それは、この作品を読む我々自身もまた感じる葛藤なのです。
そんな彼の、我々の葛藤が鮮やかに昇華される本作の結末は、あるいはあまりにも美しすぎると感じる方もいるかもしれません。
しかし、そこにあるのは、人間らしく生きることすらままならぬ世界においても、なお理想を持ち、それに向けて苦闘を続けた者に与えられる、一つの希望の姿でありましょう。
そしてそれが決して甘いだけのものではないことは、本作の結末において、老人側・農民側の主人公とも言うべき善兵衛が、平太郎にかける言葉からも明らかなのであります。
奇想に満ちた時代小説というファンタジーという枠組みの中で、自由な生き方を妨げるものへの反骨精神と、それでも決して屈することなく生き続ける者の希望を描く――
そんな作品を描き続けてきた作者の、これは一つの到達点とも言うべき作品であると、私は強く感じるのであります。
『でんでら国』(平谷美樹 小学館) Amazon
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