『でんでら国』(その一) 痛快なる老人vs侍の攻防戦
陸奥の小藩・外館藩の大平村では、60才になった老人は村を離れ、御山参りするという、周囲からは棄老と見られる風習があった。ある事情から、その背後に大規模な隠田があることを疑った藩により始まる探索。果たして老人たちは、山中の「でんでら国」で豊かな暮らしを送っていたのだが……
「デンデラ野」と言えば、『遠野物語』に登場する、姥捨ての風習があったと言われる地。その名に由来するタイトルを持つ本作は、これまで多くの作品で東北を舞台とし、そしてほとんど全ての作品で独創的な物語を描いてきた平谷美樹ならではの、何とも痛快かつ内容豊かな物語であります。
棄老の風習があると周囲の村からは忌まわれつつも、飢饉の際でもきちんと年貢を収める内証の豊かさを持つ大平村。
その豊かさを支えるのは、実は「棄てられた」老人たち――60才になって村を離れ、山中に密かに作られた隠れ里・でんでら国で暮らす老人たちでありました。
幕末に至るまで何代にもわたる老人たちが暮らし、そしてその秘密が守られてきたでんでら国。しかし財政難に悩み、藩内の収入の洗い直しを行っていた藩の役人は、大平村が、たとえ棄老を行っていたとしても説明の付かない豊かさを持つことに気づきます。
かくて代官所から送り込まれた役人たちと、でんでら国の老人たちの丁々発止の知恵比べが勃発。老人たちはでんでら国を守り抜くことができるのか、そしてでんでら国の秘密とは何か。どんどんエスカレートしていく事態は、思わぬクライマックスを迎えることとなります。
……江戸時代の農村を舞台とする作品は数多くありますし、農民たちの武士への抵抗を描く作品もまた枚挙に暇がありません。しかしそんな中でも、本作ほど奇想天外にして痛快な作品はありますまい。
確かにでんでら国は棄老の地。しかしそこを訪れた老人たちは、確固とした、しかし自由なコミュニティを作り上げ、その中で老い(惚けや病気・怪我も含めて)に自分たち自身で対応していくシステムを構築しているのであります。
そんな彼らであるからして、藩の側の追求に対しても、決して無力な存在ではありません。山の住人として同盟関係にある修験者たちや野狗手(狼使い)とともに、時にコミカルな、時にシリアスな様々の仕掛け、罠を用いて、あの手この手で侍たちをこてんこてんに叩きのめしてみせるのであります。
そしてそこにあるのは、作者の時代小説のほぼ全てに通底する一種の反骨精神――人が人らしく生きようとすることを妨げる時代の、社会の仕組み、それに乗って他者を虐げる者たちへの激しい怒りであることは、言うまでもありません。
もっともらしい理屈を振りかざしつつも、より弱き立場にある者から収奪することしか知らない連中を、その弱き者たちが笑い飛ばし、やりこめてみせる……これを痛快と言わずして、何と言いましょうか。
しかし――
以下、少々長くなりますので、次回に続きます。
『でんでら国』(平谷美樹 小学館) Amazon
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