森川侑『一鬼夜行』第2巻 隠れさた相手の姿、己の姿
7月には待望の最新巻が発売される小松エメルの『一鬼夜行』シリーズ第1作の森川侑による漫画版の第2巻が発売されました。次々と妖怪絡みの事件が起きる中で、喜蔵と小春の抱えたものが、少しずつ明らかになっていくこととなります。
原作にほぼ忠実に描かれるこの漫画版ですが、この第2巻に収録されているのは、河童騒動のエピローグと、髪切虫、そして件(くだん)のエピソード。
百鬼夜行から転がり落ちた小春が居着いて以来、身の回りに妖怪の影が絶えたことのない喜蔵ですが、ついに妖怪は彼の眼前に現れることとなります。
……という展開のこの巻、私の第一印象は「いやあ二人とも初々しいなあ」でありました。
いささか珍妙な印象で恐縮ですが、原作の方は第6作まで刊行、第1部完という状況で、喜蔵と小春も、バディとして完全に定着した感があります。
一方、第1作のこの時点では二人とも、お互いが――いや、それ以上に自分自身のことを完全には理解していない状況。それ故の二人がすれ違い、ぶつかり合う姿が「初々しい」と感じたのであります。
もちろんこれは原作既読者故の感想であることは間違いありません。しかし私の表現はさておき、この相互理解の、自己理解の不足ゆえの二人の関係性(とその変化)は、本作の中心に来るべきテーマだと、再確認させられました。
経立にして鬼というこの世界にただ一人の存在であり、そして百鬼夜行という妖怪たちの世界からも外れてしまった小春。親に、縁者に、親友に裏切られ、誰を信じることもなくただ一人生きてきた喜蔵。
本作は、それぞれそんな孤独感を背負い、それを表面上からは窺えぬように隠しながら生きてきた主人公二人の物語であります。
互いに他者を拒否しつつ――ある一定以上の距離に近づけず――生きてきた二人が、やむなくコンビを組んだ時、見えるものはそれぞれの姿であり……そしてそこに映し出された自分自身の、それも目を背けてきた部分。
この巻で小春と喜蔵がそれぞれにぶつけ合う、自分自身にぶつける言葉は、それゆえに相手と自分自身、双方へのものであった……
ということが、今回スッと理屈抜きで伝わってくるのは、これは原作の構成によるところはもちろんのこと、漫画としての絵の力によるところがかなり大きいと感じます。
コミカルに、ユルく二人のやりとりを描いておいて(漫画版はこの部分も実に可愛らしくてよいのですが)、時にハッとさせられるようなシビアな切り込み方をみせる、というのは原作通りですが、そこで二人が浮かべる表情を絵で目にすることができるのは、漫画のみの力でしょう。
喜怒哀楽豊かな小春、仏頂面一本槍の喜蔵――そんな二人が、己の内面を垣間見せる時、垣間見られたとき、どんな表情を浮かべるのか。
それは上で述べた二人の隠れた関係性が発露する――あるいは変化する――一瞬であり、大げさに言えば、本作の核が見える瞬間であります。
それを絵にして見せることは、諸刃の剣ではあるかもしれませんが、少なくとも本作においては、それが説得力を持って、効果的に描かれていると……そう感じます。
おそらくはこの漫画版(で原作第1巻が描かれるの)もあと1巻。その先に待つ二人の関係性の変化がどのように描かれるのか、いや何よりもこの物語の果てに二人がどのような表情を浮かべるのか、それを目にする日を楽しみにしたいと思います。
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