杉山小弥花『明治失業忍法帖 じゃじゃ馬主君とリストラ忍者』第7巻 それぞれの欠落感と不安感の中で
女学校に通う開明的お嬢様・菊乃と、飄々としながらもどこか得体の知れぬ元忍び・清十郎の、ややこしく可笑しくも、重く切ないラブコメディ『明治失業忍法帖』の最新巻であります。ついにお互いの想いを通わせた二人ですが、その周囲では相変わらずの事件続き、何やら不穏な気配さえ漂い始めます。
初めは、女学校に入る口実と口を糊する手段と、互いに損得ずくでの偽りの婚約者だった二人。しかし数々の事件をくぐり抜けるうちにお互いの距離は縮まり、ついに前巻では、清十郎が菊乃に求婚することに……
と、めでたくもよく考えればスタートラインに戻っただけのような気もする二人。しかしご存じの方も多いかと思いますが、男女のつきあいは、ここからがまた長い道のりなのです。たぶん。
己の想いが相手に受け入れられたら受け入れられたで、今度はそれが続くのか、失うのではないかと気になってしまうのはむしろ自然な心の働き。己を律するのはお手の物のはずの清十郎が、自分の人間的な感情に戸惑う様は、何とも微笑ましくもほろ苦いものがあります。
さて、そんなめんどくさい二人ですが、やはりこの巻でも次から次へと事件に巻き込まれることとなります。
菊乃の弟・一馬の家出騒動に、写真館での密室殺人事件、宿敵(?)楡大尉を巻き込んでの野球勝負に、長州の活動家・桐生と菊乃のおかしな対決……
どのエピソードも流石のクオリティなのですが、一つ挙げるとすれば、個人的には野球勝負のエピソードが特に印象に残りました。
清十郎同様、どこか得体の知れない海千山千の土佐出身の軍人・楡。己の出世のため、あの手この手で清十郎を利用せんとする楡ですが、彼の上昇志向の陰には、身分違いの恋の相手とその娘をいつか大手を振って迎えるという目的があって……
と、その娘が菊乃の弟たちと知り合い、成り行きで大学生たちと野球勝負をすることになったために、その場に引っ張り出されたのが清十郎と楡で――とくれば番外編的趣向のギャグエピソードのようですが、それだけで終わらないのがこの作品であります。
名乗りを挙げられぬ娘の前で、思わぬ勝負に駆り出された楡の姿は、普段が普段だけにそのギャップが何とも楽しい(もちろん他の面子も、それぞれに「らしい」のですが)。
しかしそんな彼の姿を通じて描き出されるのは、時代が変わってもなおも存在する身分と差別の存在。
四民平等と言っても名ばかりの世界を懸命に生きる彼の姿を描くこのエピソードは、野球などの事物だけでなく、精神面において、「明治」というものを描き出すのであります。
振り返ってみれば、物語が始まって7巻を数えるまでに、様々なバックグラウンドを持つキャラクターが登場した本作。
出身地だけ見ても、江戸っ子の菊乃に会津の桃井、薩摩の槇に土佐の楡、長州の桐生と、維新の勝ち組負け組が入り乱れる状況にあります。
しかしその立場こそ違え、彼ら彼女たちに共通するのは、それぞれがそれぞれの立場で欠落感と不安感を抱え――そしてそれを埋め合わせ、安らぎを得ようとする姿でありましょう。
本作は明治という時代ならではの特殊な事情を背負う人々の姿を描き出すと同時に、そんな人々の関係を通じ、現代の我々と変わらぬ人間としての普遍的な感情の存在をも描きだすのであり……そしてそれが本作の最大の魅力であるましょう。
そしてそんな本作を象徴するのが、菊乃と清十郎の関係性であることは言うまでもないのですが……
この巻において、これまで幾度か仄めかされていたように、ついに清十郎のバックグラウンドが偽りのものであったことが(我々読者に対して)明かされることとなります。
その真のバックグラウンドが明らかにされた時、清十郎を待つ運命は。そして何よりも、それに対して菊乃はどのような態度を取るのか(さらにまた、それに対して清十郎は……)
クライマックスは間近いように感じられるのであります。
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