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2015.07.31

あさのあつこ『闇に咲く おいち不思議がたり』 二つの事件と主人公の存在感

 不思議な力を持ち、江戸深川の長屋で医師の父を手伝うヒロイン・おいちの奮闘を描く『おいち不思議語り』シリーズの第三弾であります。今回、おいちが関わることとなったのは、亡き姉の霊に怯える商家の若旦那からの相談と、連続夜鷹殺し。果たしてこの二つの事件の陰にあるものは……

 医は仁術なりを地で行くような父・松庵を助け、今日も忙しく働くおいち。そんな彼女には、生まれつき、この世ならざるものの姿を見、声を聞くことができる能力がありました。

 これまで、この能力でもって怪我人・病人の存在を察知し、そして亡くなった人の声を聞くことで様々な事件の解決を助けてきたおいちですが、今回彼女の前に現れたのは、女性のような美形ながら、おいちに血の臭いを感じさせる青年・庄之助。
 深川でも知られた商家・いさご屋の若旦那だという彼は、自分には幼くして亡くなった双子の姉・お京が取り憑いていると語るのでした。

 父親をはじめとする一族からネグレクトされ、苦しみのうちに亡くなったお京。そのことを恨む彼女は庄之助の内に潜み、ついに先日、庄之助を操って祖父を殺めてしまったというのです。
 今にも壊れそうな彼の心を案じたおいちは、自らいさご屋に入り込むことを決意するのでした。

 そしてその一方で深川を騒がすのは、夜鷹たちが、腹を縦一文字に深く裂かれて殺されるという連続殺人事件。おいちや松庵とは顔なじみの岡っ引・仙五朗は、必死にこの下手人を追うのですが――
 なんと、その庄之助は、その下手人も自分であると信じ込んでいたのです。


 これまでも重い事件に挑んできたおいち。しかし本作で描かれる事件は、ある意味これまでで最も重く、暗いものと言ってもよいでしょう。

 言うまでもなく、本作の中心となる人物は庄之助。果たして本当に彼は憑かれているのか、はたまた気の病なのか。仮にそして何よりも、一連の殺人の下手人は彼なのか……
 そうしたミステリ的な興味もさることながら、彼の背負ってきたもの――いさご屋の中に蟠る闇と、そして何よりもお京の存在は、おいちなればこそ感じ取ることができる、すなわち、本作ならではの物語でありましょう。

 そしてまた、ある程度ミステリを読んでいる人間であれば、おそらく真相はこのどちらかだろうな……と思うであろう中で、シチュエーション的にまずなさそうな方を突いてくる終盤の展開など、もちろんミステリとしても本作は充分に魅力的であります。


 ただし、その一方で物足りない印象も残ったのは、本作におけるおいちの存在感が薄く感じられるためでありましょう。

 確かに、上で述べたとおり、本作の物語はおいちの存在あってのものでありましょう。
 しかし、本シリーズの背骨である、おいちの成長物語と、本作の物語とのリンクが薄いという印象が――いささか極端な言い方をしてしまえば、本作は庄之助の物語であって、おいちの物語ではないという印象すらあります。

 これまで、幾度となく高い壁にぶつかりながらも、そのたびに自分の道を選び、前に進んできたおいち。
 本作においては、彼女は探偵役ではあったものの、一種の傍観者に留まっているのであり、これまでのシリーズで描かれてきたような、彼女自身の生に関する悩みと成長の点では物足りないものがあった、感じるのです。

 時代ミステリとしてみればなかなかに楽しめる作品であるだけに、その点は勿体なく感じてしまったところであります。


『闇に咲く おいち不思議がたり』(あさのあつこ PHP研究所) Amazon
闇に咲く


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2015.07.30

藤田和日郎『黒博物館 ゴーストアンドレディ』(その二) 二人のその先に生まれたもの

 藤田和日郎の『黒博物館』シリーズ第二弾、劇場に出没する決闘士の幽霊・グレイと、死を望む令嬢・フロー、そして弾丸と弾丸が正面からぶつかった「かち合い弾」を巡る奇譚の紹介の後編であります。

 フローことフロレンス・ナイチンゲールがクリミア戦争で苦闘を繰り広げる中、彼女を殺す約束でつきまとうグレイの前にも、彼とは深い因縁のある決闘士の幽霊が出現、物語のもう一つの軸となるのですが……
 しかしフローの業績を丹念に丹念に描く物語の前に、彼女の存在感の前に、いささかその影は薄れ気味という印象は否めません。

 この辺りの、自ら作り上げた作品世界と物語に対し、愚直なまでに真っ正直に向き合う作者の姿勢が、良くも悪くも表れているという感はあるのですが……

 それでは本作が面白くないかと言えば、それは断固として否であるのは、作者の名を見れば明らかでしょう。
 人の心の善き部分、そして悪しき部分をこれでもかとばかりに描き出し、そして前者の勝利を熱く強く謳い上げる。たった一コマの登場人物の表情でもって、読者の喜怒哀楽を自在に操る作者の筆の熱さは、本作においても全く変わることはありません。
(さらに本作の主な舞台となるクリミアの野戦病院の一種極限状況ぶりを、いやというほど丹念に描いてみせるのも、作者の描写力ならではでしょう)

 おかげで冒頭から結末まで、真っ直ぐな強さと暖かさを持つフローと、斜に構えながらも徐々に人間味と熱さを見せるグレイに、何度も泣かされることとなったのですが――
 しかしその最たるものが、本作の結末にあることは言うまでもありますまい。

 己の生、いや死を持って結ばれた奇妙な共生関係から、ともに苦難を乗り越える戦友・相棒へ――それは、現在アニメ放映中の『うしおととら』にも通じる関係性ですが、本作はそれよりもさらに一歩踏み込んだ先を描きます。
 そう、二人の愛を――

 もちろん、かたや天使にも呼ばれた人間、かたや死神にも比されるべき幽霊と、二人の間には限りなく高い壁が存在します。その二人の想いが実ることはあるのか……
 それはここでは書けませんが、しかし本作のラストのグレイのある姿に、涙を流さない者はいないのではないか、と感じます。

 思えば本作で描かれたのは、前作の主人公同様、報われぬことは理解しつつも愛に準じる男の魂でもありました。
 奇怪な収蔵品にまつわる奇怪な物語を描きつつも、そんな「男の子」の魂を描くのもまた、実に作者らしいと感じさせられます。


 そして思わぬサプライズ(の返礼)を描いて終わる本作。
 しかし、黒博物館に収蔵されたものの中には、まだまだ奇怪な物語と――そして熱い魂が込められたものが無数にあることは間違いありますまい。

 その語られざる物語が三度語られるまで――本作が描かれる前の前作もそうであったように、本作を読み返しながら待つとしましょう。


『黒博物館 ゴーストアンドレディ』(藤田和日郎 講談社モーニングKC 全2巻) 上巻 Amazon/ 下巻 Amazon
黒博物館 ゴースト アンド レディ 上 (モーニング KC)黒博物館 ゴースト アンド レディ 下 (モーニング KC)


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2015.07.29

藤田和日郎『黒博物館 ゴーストアンドレディ』(その一) 灰色の幽霊と白衣の天使と

 「黒博物館」が帰ってきました。黒衣の学芸員が案内する、ロンドン警視庁の犯罪資料館に秘蔵された不可思議な品の数々にまつわる物語の第二弾、藤田和日郎の『黒博物館 ゴーストアンドレディ』――劇場に憑いた決闘士の幽霊と、誰もが知るあの淑女・フローの物語であります。

 大英帝国で捜査されたすべての証拠品――公にできないものも含めて!――を納めた場として、半ば伝説となっている黒博物館。
 前作『スプリンガルド』では、19世紀ロンドンを騒がせた怪人・バネ足ジャックの足を巡る奇譚が描かれましたが、本作に登場するのは、正面から二つの銃弾が衝突し、一つに固まった「かち合い弾」なる代物であります。

 その銃弾に込められた因縁を学芸員に語るのは……なんと幽霊。それも、ロンドンのドルーリー・レーン王立劇場に出没するという「実在の」幽霊、グレイマン(灰色の男)なのです。

 かつては金と引き替えに他人の決闘を請け負う決闘士として知られたグレイは、ある事件で命を失い、気がつけば劇場で舞台を眺める毎日。
 そんな彼の前に現れた名家の令嬢は、彼に自分を殺してくれと依頼します。半ば気まぐれから、彼女が絶望した時に殺してやると請け合うグレイですが、彼女の名前はなんと――

 と、今読んでみても完璧としか言いようがない導入部から始まる本作、Amazon等を見れば明記されておりますので明かしてしまえば、ヒロインのフローこそは、かのフローレンス・ナイチンゲールその人。そう、クリミアの天使として知られたあの偉人であります。

 自らの行くべき道は傷つき、病める者の看護にあると思い定めた彼女は、しかし名家に生まれたが故に周囲からの猛反発を受け、その夢の端緒にもたどり着けない状態。
 そんな彼女を「絶望」させようとするうちに、グレイはいつしか彼女の夢を後押しするようになって……


 さて、先に申し上げてしまえば、実は本作は伝奇というより伝記という印象が強くあります。
 前作が、史実をベースとしつつも、怪奇冒険アクションとしての性格を色濃く持つのに対し、本作は、グレイの存在のように伝奇的ガジェットを配しつつも、史実を――ナイチンゲールの苦闘を描く物語なのです。

 グレイの助けもあり、少しずつ自分の夢に近づいていくフロー。折しもクリミア戦争が勃発し、彼女は最前線の野戦病院に派遣されるのですが――
 そこで待っていたのは、劣悪な環境で苦しみ、命を落としていく兵士たちと、その状況を改善しようともせず、官僚的な態度で改善を拒む軍人たち。そして実に本作の大半は、このクリミアにおける彼女の「戦い」を描くのです。

 ここで彼女の宿敵となる軍医長官ジョン・ホールのもとにも決闘士の幽霊が――それも、歴史上名高い外交官にしてスパイ、そして男女二つの顔を持つ人物の幽霊が憑いており、しかも彼女にはグレイとの因縁が、という趣向はあります。
 そしてグレイと彼女の対決が物語の軸の一つとなっているのですが……

 さて、それが本作でどのような位置づけにあるのか、それは次回に述べるといたしましょう。


『黒博物館 ゴーストアンドレディ』(藤田和日郎 講談社モーニングKC 全2巻) 上巻 Amazon/ 下巻 Amazon
黒博物館 ゴースト アンド レディ 上 (モーニング KC)黒博物館 ゴースト アンド レディ 下 (モーニング KC)


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2015.07.28

鎌谷悠希『ぶっしのぶっしん 鎌倉半分仏師録』第3巻 それぞれが抱えた謎と秘密

 鎌倉時代初頭を舞台に、互いの半身を共有することとなった仏師・想運と明星菩薩の冒険を描くユニークな漫画の第3巻であります。平家再興のため、地神ミズチを操り騒動を引き起こす平教経を阻むべく、想運と運慶の長子・湛慶は旅立つのですが……そこには意外な敵が待ち受けているのでありました。

 仏像に本物の仏を降ろす技である来迎術。かつてその力でもってミズチを封じようとした際、共に半身を失い、融合した形で復活した想運と明星菩薩は、数々の戦いをくぐり抜け、今は運慶の子・弟子たちと仏師として暮らすのですが……
 しかし、未だ教経が平家再興の望みを捨てぬことを知った想運は、湛慶と、そして伎楽アイドル――実は重源配下の僧兵たる茶経と桜とともに、京に向かうこととなります。

 しかし、その前に現れるのは、その教経の企みを想運に教えた半僧半狐の怪人・命蓮。彼の力により、平等院に作り出された異空間に引き込まれた一行は、思わぬ相手との戦いを強いられるのですが……


 巨大仏像と巨大生物との死闘が繰り広げられた前の巻までに比べると、比較的静かな印象のこの第3巻。もちろん、後半で繰り広げられる戦いは、これまでとはまた異なるベクトルでの激しい戦いなのですが、起承転結でいえば、承の印象でしょうか。

 しかしそれは、これまでの怒濤の展開を受けて、登場人物たちの人物像の、背景の、掘り下げに直結していくこととなります。

 時に立川の聖人漫画的な、緩いムードとコミカルな展開に目を逸らされてしまいますが、本作の登場人物の多くは、それぞれに謎と秘密を抱えている印象があります。
 そもそも、想運自身、半身を失ってから目覚めるまでの記憶を失っている状態。本人が極めて能天気なだけに忘れてしまいますが、彼が何を想い、何のために動いていたかは、未だ定かではないのです。

 そして今回描き出されるのは、茶経と、彼女にとっては宿敵に当たる教経に仕える謎の人物・菊の隠された素顔であります。

 これまで舞と曲で世間を楽しませる伎楽アイドルとして登場しつつも、実は僧兵という裏の顔を持っていた茶経。それはある程度予測できていたところではありますが、しかし命蓮の異世界の中で描き出されたのは、彼女の過去の一端と、あまりにも意外な素顔でありました。

 また、意外といえば菊も同様。その菊の名が、かつて教経に仕え、源平の合戦で命を落とした菊王丸の名を戴いたもの、というのにも驚かされますが、彼女の秘めた想いと、教経とのすれ違いは、決してあからさまに描かれているわけではないにも関わらず、印象に残ります。
(そして何よりも、その体の秘密が……)

 さらにまた、彼ら彼女たちを取り巻く者たちの思惑もまた、わからないことだらけであります。

 教経に協力しながらも、その一方で想運に教経の情報を流し、さらに想運の行動を阻もうとする命蓮(ちなみに命蓮とは、「信貴山縁起」のあの命蓮なのかしら……)。
 教経と敵対し、運慶に庇護を与えつつも、運慶の会得した来迎術を汎用化し、いわば量産型来迎仏による軍を作り出そうという頼朝。

 特に後者の企みは、リアルロボットものの後半的なノリで大いにそそられるのですが、さらに仏界と現世を繋ぐ来迎術を広め、仏界への道を安定することにより、現世への仏界総来迎を頼朝が見据えているとくれば、これはもう単なる戦の勝ち負けの話とは思えないのですが――


 そんな各キャラの、各勢力の想いが、思惑が入り乱れる中で、ある意味純粋極まりない想運が、明星菩薩が如何に動くのか……

 それはこれからのお楽しみではありますが、ついつい待ちきれずに読んでしまった掲載サイトでの最新回(この第3巻ラストの、すぐ次のエピソード)では、その見事な答えが――人と仏の関係性の一つが示されているのに唸らされました。

 ……というのは、この第3巻の紹介としては反則でありますが、それだけ先の展開が気になってしまう本作。

 この先の展開、想運をはじめとする人々の真実を如何に描き出すか。そしてそれが何をもたらすのか――軽妙な中にも重く胸を打つものを秘める本作のこの
先は、大いに期待しても良さそうであります。


『ぶっしのぶっしん 鎌倉半分仏師録』第3巻(鎌谷悠希 スクウェア・エニックスガンガンコミックスONLINE) Amazon
ぶっしのぶっしん 鎌倉半分仏師録(3) (ガンガンコミックスONLINE)


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2015.07.27

上田秀人『柳眉の角 御広敷用人大奥記録』 聡四郎、第三の存在に挑むか

 勘定吟味役から御広敷用人へとお役目を変えた水城聡四郎の苦闘を描く『御広敷用人 大奥記録』も、早いものでもう第8巻。前作『勘定吟味役異聞』と、巻数の上で並ぶこととなりました。しかしいつ終わるともしれないのは大奥と吉宗の戦い……今回はさらに巨大な敵が動き出すことになります。

 吉宗の想い人である竹姫に対する天英院のあまりにも卑劣な陰謀。息のかかった五菜(大奥で働く男の使用人)を使って竹姫の操を汚そうという企ては、かつては伊賀の女忍び、今は奇しき因縁から水城の配下とも言うべき袖によって、未然に防がれました。

 しかし、もちろんそれで吉宗が収まるわけがありません。激怒した吉宗は、事件の背後にいる者たちの根絶を宣言するのですが……もちろん、それで振り回されるのは聡四郎であります。
 さすがに真っ正面から武力で潰すわけにもいかない相手を如何にあぶり出し、如何に戦うか……今回も聡四郎は苦しい戦いを強いられることとなります。

 と、その一方で、元気なのは女性たちであります。想い人に似てきたか、年若いながらも見事な態度で天英院を揺さぶる竹姫に、相手が誰であろうと一歩も引かぬ、かつての荒くれっぷりを思い出させる怒りを見せる紅。
 さらに、女忍びから一人の女性に微笑ましい転身を遂げようとしている袖と、聡四郎をはじめとする男性陣があれこれ悩んでいるのに対し、女性が元気なのは何とも気持ちのよいものであります。

 もちろん、女性もそんな気持ちのよい人々ばかりではありません。あまりにも浅はかな企みを繰り返す天英院が次にすがったのは、彼女の父・近衛基煕。
 上皇との不仲から今は冷や飯を食わされているものの、かつては太政大臣として位人臣を極めた基煕が、その政治力・陰謀力を発揮して狙うのは……


 一般に、江戸時代の朝廷は、少なくとも江戸中期においては、ほぼ有名無実であり、歴史の表舞台にはかかわっていないという印象があります。
 しかし、本作において、吉宗は聡四郎に語ります。天下の政に影響を与えるもの――それは金、女、そして朝廷であると。

 確かに、征夷大将軍たる徳川家が、権力・武力・財力を握った徳川幕府において、朝廷の力が発揮される余地はないようにも思えます。
 しかし朝廷には唯一無二の力があります。それはこの国の中心として、名分を与える力――そう、形式的とはいえ征夷大将軍の位も、朝廷が授けるものなのですから。

 そして、大奥で女の争いを繰り広げる竹姫も天英院も、その朝廷を構成する貴族の娘。いわば大奥の争いは朝廷内の争いの縮図であり――そして同時に、幕府と朝廷の関係の現れでもあるのです。

 そして吉宗の言葉を裏付けるかのように近衛基煕は暗躍をはじめ、そして聡四郎もまた、吉宗の命で京へ送り込まれることとなります。

 ここで気になるのは、吉宗が上げた天下の政を動かす三つのうち、二つまでに聡四郎が深く関わってきたこと。
 だとすれば、もう一つも……というのはこちらの勝手な想像ですが、作者の出世作『竜門の衛』をはじめ、作者の作品のうち少なからざる割合で登場している世界だけに、この先の展開が気になるところであります。


 と、これは蛇足ですが、今回本筋とは別に印象に残ったのが、御広敷伊賀者の活躍であります。

 本シリーズにおいては、その当初から、ほとんど勘違いに近い状態で聡四郎に刃を向けて以来、ほぼ貧乏くじを引いてきた伊賀者。
 いや、本シリーズに限らず、作者の作品においては、非常に高い頻度で痛い目に遭わされ続けている伊賀者ですが、前作で聡四郎とはほぼ手打ち状態となり、本作ではその一人・山崎伊織が、いわばチーム水城の新メンバーとして大活躍することとなります。

 ともに使われる身分とはいえ、主人公サイドが陽とすれば、陰の存在として割りを食ってきた伊賀者の久々の活躍は、なんとはなしに嬉しいものがあります。


『柳眉の角 御広敷用人大奥記録』(上田秀人 光文社文庫) Amazon
柳眉の角: 御広敷用人 大奥記録(八) (光文社時代小説文庫)


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 今日も二本立て 「大江戸火盗改・荒神仕置帳」&「破斬 勘定吟味役異聞」
 「熾火 勘定吟味役異聞」 燻り続ける陰謀の炎
 「秋霜の撃 勘定吟味役異聞」 貫く正義の意志
 「相剋の渦 勘定吟味役異聞」 権力の魔が呼ぶ黒い渦
 「地の業火 勘定吟味役異聞」 陰謀の中に浮かび上がる大秘事
 「暁光の断 勘定吟味役異聞」 相変わらずの四面楚歌
 「遺恨の譜 勘定吟味役異聞」 巨魁、最後の毒
 「流転の果て 勘定吟味役異聞」 勘定吟味役、最後の戦い

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2015.07.26

輪渡颯介『祟り婿 古道具屋皆塵堂』 怪異を信じない男と怪異を見せたくない男たち

 曰く付きの品物ばかりが集まる古道具屋・皆塵堂を舞台とした人情怪異譚シリーズも、もう第5弾。これまで毎回異なるキャラクターを中心に据えて描かれてきたシリーズですが、今回の主人公は相当毛色が変わった人物。何しろ、怪異を全く信じず、それどころか敵視しているのですから……

 釣り好きでいい加減な性格の店主・伊平次がマイペースに営む皆塵堂。古道具屋になる前には凄惨な殺人事件もあった店には、来るものは拒まずな店主の性格が反映されてか、やはり曰く付きの品物ばかりが集まり、当然ながらと言うべきか、様々な怪異が発生することになります。

 これまで刊行されたシリーズ4作のうち、『迎え猫』を除く3作で描かれたのは、そんな皆塵堂で働くことになった若者たちが店の内外で出くわした怪異の数々。
 当然、今回も新たな若者が、おっかない怪異に出くわす話かと思いきや……

 ある日、皆塵堂に押しかけて店で働き始めた若者・連助。幽霊や呪いの話など信じない、いやインチキに決まっているという信念の持ち主である彼は、その方面に関しては業界でも評判の(本当)皆塵堂で働き、自分の信念を証明しようとしていたのでありました。
 そんな彼が働く皆塵堂に持ち込まれるのは、例によって曰く付きの品物がある家屋で起こるという怪異譚。勇躍乗り込んではそれがインチキであることを暴こうとする連助なのですが……実は彼がここまでムキになるのは理由があるのです。

 実は近々、とある大店に婿入りすることとなっている連助。しかしその店に婿入りした者は、代々続く祟りで短命で終わってしまうという噂が――というより結果だけ見ればあきらかに真実が――ありました。
 この世に怪異などなければ、そんな祟りの噂も嘘に決まっている。そんな決意を胸に、連助は皆塵堂にやってきたのであります。

 さて、弱ったのは、それを知った皆塵堂の面々。連助が怪異に遭遇する=彼の命を奪う祟りも存在する、ということであれば、意地でも怪異に会わせるわけにはいかないと、連助が怪異に飛び込んでいくのを防ぎ、怪異の背後の因縁を何とか早々に解決してしまおうとすることになります。
 作者が本作の前に発表した『ばけたま長屋』は、何とかして怪異に会いたいという男のため、怪異を探すもいつも紙一重ですれ違ってしまうという趣向の作品でしたが、本作はそれとはちょうど裏返しのシチュエーションと申せましょうか。

 いずれにせよ、本人たちが必死になればなるほど面白くなるというのはコメディーの法則。伊平次が、地主の清左衛門が、前作の主人公である魚屋の巳之助が、それぞれのスタイルで連助を助けるべく奔走する姿は、いかにもこのシリーズ、この作者らしいすっとぼけた味わいも相まって、実に楽しいのであります。

 と、そんな中で特に苦労するのは、第一作の主人公であり、視える体質の青年・太一郎であります。今では怪異が起きたときのアドバイザー的な存在の彼ですが、連助にとってみれば、太一郎のような人間はあってはならぬ存在。太一郎が自分のために奔走しているとはつゆ知らず、事あるごとに連助が突っかかってくるのには、同情したりおかしくなったり……
 正直なところ、今回は(物語上の立ち位置としても)便利に使われすぎの感もあるのですが、ラストのちょっと「黒い」(そして大いに情けない)顔など、彼自身のキャラの掘り下げにもつながっていると言えましょう。


 ただ一点、どうしても気になってしまったのは、怪異譚としての怖さがどうにも薄れがちな点であります。
 もちろん、物語の構造として、そうそう主人公を怖がらせるわけにはいかないわけですが、しかし本シリーズの魅力は、ちょっととぼけたコミカルな人情ドタバタと、それとは裏腹に真剣に怖い怪異の描写であったはず。

 これまでのシリーズでは、必ず一回は、思わず震え上がるほど恐ろしい場面があったのですが……今回はそれがなかったのは、何とも残念に感じた次第。

 あちらを立てればこちらが立たず、というのは、まさに今回の皆塵堂の面々の苦労そのものですが……


『祟り婿 古道具屋皆塵堂』(輪渡颯介 講談社) Amazon
祟り婿 古道具屋 皆塵堂


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2015.07.25

ほんまりう『漱石事件簿』 漱石が見た近代日本の陰

 日本人ならば知らぬ者とてない文豪・夏目漱石。本作は、その漱石が関わったという知られざる事件を描く劇画であります。明治という時代、そしてそれ以降の日本の姿を浮き彫りにする事件を描く本作が発表されたのは四半世紀前ですが、全く古びたところのない、いや今だからこそ響く作品です。

 漱石本人を主人公としたフィクションは枚挙に暇がありません。特に漫画では『『坊ちゃん』の時代』が浮かびますが(そして同作を意識していることは作者が明言しているのですが)、本作はより伝奇寄りと申しましょうか――これも作者が明言しているとおり、山田風太郎の明治ものの影響を色濃く受けた作品ではあります。

 少し長くなりますが、冒頭の言を引用すれば、
「この作品は、あくまでフィクションであるが、登場人物は、すべてが実在で、その行動、セリフも、ほぼすべてが、実際の著書や記録からとられている。よって、本書は、『全編ノンフィクションによって構成された、壮大なるフィクション』である」作品なのです。

 そんな本作は、以下の全三話四編から構成される連作漫画。タイトルからは、漱石が探偵役を務める有名人探偵ものの印象を受ける本作ですが、むしろ漱石は狂言回し、あるいは傍観者に近い立場で、これに関わることとなります。

 人類学史上最大の捏造事件であるピルトダウン人の発見。その真犯人探しに挑んだ南方熊楠と、志半ばに英国を去った彼に代わり、漱石がかのジョセフ・ベル博士とともに真犯人と対面する『黄色い探偵』前後編。
 漱石が住んでいた団子坂近くでそれぞれ発見された、惨たらしい打擲の痕を持つ男女の変死体。その背後に黒田清隆がいることを知った平井太郎と二山久が真相を追う『団子坂殺人事件』。
 明治43年に漱石ら文化人・言論人を集めて行われた百物語。その百物語と前後して起きた事件が言論人を自滅させ、日本を破滅に導いていく様を語る『明治百物語』。

 いずれも、伝奇ミステリとしても実にエキサイティングな内容なのですが――特に、明智小五郎のモデルの一人と目される二山久が登場するフィクションは極めて珍しいはず――そこからさらに一歩踏み込んで、「時代」というもの、そして「個人」と「国家」の相剋を描いてみせたのが、本作の最大の魅力でありましょう。

 たとえば『黄色い探偵』。ピルトダウン人の頭骨を偽造し、密かに埋めたのが誰であったのか、これまで類説がなかったほど意外な犯人像が本作では示されるのですが――彼が犯行に走った一因には、当時の英国の帝国主義政策の負の部分があった、という解釈には唸らされるばかり。
 『団子坂殺人事件』も、タイトルからわかるとおり乱歩の『D坂の殺人事件』の真説という趣向なのですが、そこに絡むのは黒田、山縣といった明治政府の巨魁と、彼らに指嗾される森鴎外……というのもまたお見事と言うべきでしょう。

 そして本作のその方向性が極限まで推し進められたのが最終話であります。
 明治43年の年末に行われた百物語(これ自体はフィクションのようですが)にこれまでの登場人物たちが集う中、百の怪談が語られた末に現れた魔物とは――その百物語と同じ月に起きた(起こされた)あの事件とそれがもたらした時代の空気であった、というのには、ただただ圧倒されるばかりなのです。

 本作が執筆されたのは昭和末期、その当時の日本を覆っていた一種の同調圧力に対する違和感・不安感が、この最終話のモチーフとのことですが――
 それがまさか、ほぼ四半世紀後の世相に重なるとは、というのはさておき、「明治」という過去を「昭和」という現在に描いた作品が、「平成」という未来においても、いささかも古びたところを感じさせない点こそが、本作の価値を明確に示していると言えるのではありますまいか。


 その作品を通して、日本人の近代精神を浮き彫りにしたのが漱石であるとすれば、その漱石は日本近代の、一種の象徴とも言えましょう。
 その漱石を通じて日本近代の陰を描き出した名作であります。


『漱石事件簿』(ほんまりう&古山寛 新潮コミック) Amazon
漱石事件簿 (新潮コミック)


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2015.07.24

木下昌輝『人魚ノ肉』 人魚が誘う新撰組地獄変

 あまりに完成度の高いデビュー作『宇喜多の捨て嫁』で歴史・時代小説ファンを驚かせた木下昌輝の第二作は、真っ正面からの時代伝奇ホラー。その肉を喰らったものは不死となるという人魚伝説と、あの新撰組を組み合わせ、まったく新しい怪異の世界を描き出してみせた連作短編集であります。

 今日の近江屋で語り合ううちに、少年時代の出来事を思い出す坂本竜馬と中岡慎太郎。彼ら二人と岡田以蔵は、かつて浜であたかも生きているかのような人魚の死体を見つけ、以蔵と竜馬はその血肉を喰らったのでした。
 しかし不死になることもなく以蔵は刑死、竜馬の身にも特段異変も起きぬままだったのですが――その時までは。

 と、冒頭から意外かつ奇怪・不穏な物語を描いて始まる本作。なるほど、土佐須崎は人魚を食べて不老不死となったという八百比丘尼伝説の地ですが、そこにまさか竜馬と以蔵を絡めるとは、と唸りたくなるのですが、これはまだまだ序の口であります。

 これから先、時を前後しつつ、複雑に結びつきあって展開する形で語られるのは、その人魚の肉を喰らった新撰組隊士たちを襲った怪異――不死どころか、異能・異形の者に変じた彼らが辿る数奇な運命の物語なのですから。


 新撰組を題材としたホラーは、メディアを問わず少なからざる数存在します。また、人魚の肉を喰らった者が異形に変じると言えば、高橋留美子の名作『人魚』シリーズが浮かびます。
 その意味では、本作の趣向は、さまで珍しいものに見えないかもしれません。

 しかし、いざ個々の作品に触れてみれば、それがとんでもない誤りであることがすぐにわかります。それは、本作に収録された以下の8編の内容を見れば明らかでしょう。

 近江屋で斬られた竜馬が辿り着いた不死の形『竜馬ノ夢』
 隻眼の平山五郎の体に生まれた新たな眼に映った未来『妖ノ眼』
 吸血衝動に取り憑かれた沖田総司の恐怖と煩悶、そして救済『肉ノ人』
 ある目的に人魚の血を用いんとした安藤早太郎が辿る皮肉な運命『血ノ祭』
 不死身と呼ばれた佐野七五三之助を襲ったおぞましき運命『不死ノ屍』
 親友の介錯に失敗した沼尻小文吾が思わぬ形で再び介錯に挑む『骸ノ切腹』
 次々と現れる自分自身と刀を交えることに取り憑かれた斎藤一『分身ノ鬼』
 そして処刑された以蔵の首と人魚の真実を描く『首ノ物語』

 百目鬼、吸血鬼、生ける屍、禁断の儀式、首なし騎士、ドッペルゲンガー……いやはや、ある意味お馴染みの存在である人魚伝説に油断したこちらのガードをかいくぐって放たれるブロウの数々は、(自分で言うのも恐縮ですが)それなりに伝奇ホラーを読んできた身にとっても、恐るべきインパクトでありました。

 しかも心憎いのは、とんでもない内容を描きつつも、それを支えるのはあくまでも史実(とされる逸話)という題材のチョイスであり、そしてふとした中にもその心中を窺わせる人物描写であり、そして前後のエピソードを巧みに結びつけることで、さらに巨大な物語の存在を浮かび上がらせる構成の妙である点でしょう。

 決して鬼面で驚かせるだけでない新人離れした筆の冴えは、前作の完成度に匹敵するものがあります。


 しかし――私が本作に強く惹かれるのは、こうした文字の間から血臭が漂ってくるような、魑魅魍魎跋扈する地獄変の中においてなお、そこにさらりと、人間の強さ、善性を描いてくる点であります。
 新撰組史を語る上で外せないあの悲劇が、魔に挑む人間の気高き行為として立ち上がる『肉ノ人』、あまりに無惨な友情の結末の、その先の奇蹟が描かれる『骸ノ切腹』等々……そこに描かれる怪異がどこまでもおぞましく、恐ろしいだけに一層、その中で小さな人の心の輝きが美しく感じられるのです。

 もちろん、それはあくまでも例外と言うべきものかもしれません。物語の圧倒的多数で描かれるのは、人間の弱さ、醜さ、残酷さであり――ある意味本作における怪異をより巨大で、救いなきものとしているのは、そんな人間性の負の部分なのですから。


 人間の姿と魔物の姿を合わせ持つ人魚。その存在の血肉は、あたかも人間の血肉を喰らうかのように幕末の京で刀を振るった新撰組と結びつくことで、人間の心の中の光と影を映し出しす――そう捉えることは、少々綺麗にまとめすぎかもしれませんが……


『人魚ノ肉』(木下昌輝 文藝春秋) Amazon
人魚ノ肉


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2015.07.23

吉川景都『子どもと十字架 天正遣欧少年使節』上巻 少年使節の背負ったもの

 今は亡き『サムライエース』誌に連載された、天正遣欧少年使節を題材とした物語であります。恥ずかしながら雑誌連載時には読んでいなかったのですが、こうしてまとまった前半部分を読めば、それが悔やまれる、派手さはないものの、しみじみと感じるものがある作品であります。

 舞台は16世紀末、戦国時代も終わりに近づいたとはいえ、戦の爪痕があちらこちらに色濃く残る時代。戦で父を亡くし、残されて心を病んだ母と暮らす小佐々甚吾(中浦ジュリアン)は、母の心を癒し、人々に安寧を与えるため、司祭を志して、セミナリヨに通うことになります。
 同じくセミナリヨに集った同年代の少年たちと生活を共にするジュリアンですが、ある日、師たるヴァリニャーノに呼ばれた彼は、自分が遣欧使節の一人に選ばれたことを知るのでありました。

 伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、そしてジュリアン――戸惑いながらも旅立った彼らは、それぞれの背負うものを知り、理解し、支え合いながら長い旅を続けます。
 ついにローマに到着した四人ですが、しかしジュリアンは、この旅の背後に不穏な影が漂うことを感じ取って……


 日本史の授業では必ず取り上げられる天正遣欧少年使節について、今更ここで詳細を述べる必要はありますまい。本作はそんな彼らの旅路を、ややコンパクトではあるものの、丹念に、そして基本的に史実に忠実に描き出します。

 その意味では、起伏に富んでいるとは言い難い本作ではありますが、それと内容の豊かさに関係ないことは言うまでもありますまい。
 実に本作の魅力は、史実からこぼれ落ちた、史実では描けない部分――四人の少年たちの瑞々しくもはかなく、切ない内面にあるのです。

 たとえば、本作の主人公たるジュリアンは早くに父を亡くし、周囲の心ない者からは「キツネつき」などと呼ばれる母に時に手を上げられながらも、献身的に尽くしてきた少年として描き出されます。
 深くその身を案じながらも、その想いは通じず、それどころか忘れ去ってしまう母。そんな哀しい現実を乗り越えるために神に近づこうとするジュリアンの姿は、宗教色というよりもむしろ普遍的な、青春の悲しみを背負ったものとして感じられます。

 そしてそれは、他の三人においても変わることはありません。名家に生まれながらも、過干渉な親の存在に悩んできたミゲル。父の城が落城する中で何もできなかった過去を悔やみ、自らを厳しく律するマンショ。何事もそつなくこなしつつ、己を偽ることができない自分に悩むマルチノ――
 舞台となる時代に起因するものもあれど、しかしその背負った想いはやはり普遍的な、現代の我々にもどこか馴染み深いものであります。

 この時代おいて、ある意味、月に行くにも等しい異国への旅路に身を投じる……それも宗教的情熱から。
 先に述べたとおり、現代では広く事跡が知られつつも、しかしその想いについて共感できる者は少ないであろう彼らを、本作は見事に――彼らにとっての宗教の意味も含めて――物語の中で甦らせているのであります。


 その一方で描かれる、この使節の背後で何やら企んでいるらしい大人たちの姿。彼らの真意が那辺にあるのか、そしてそれが子どもたちの旅路にいかに影響するのか――
 大いに気になるところではありますが、しかし問題はこの上巻に続く下巻が、連載完結後数年を経ても刊行されていないこと。

 下巻部分を読むためにも、バックナンバーを集めねばなるまい……いまはそう考えているところであります。


『子どもと十字架 天正遣欧少年使節』上巻(吉川景都 角川書店) Amazon
子どもと十字架 天正遣欧少年使節 上 (単行本コミックス)

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2015.07.22

梶川卓郎『信長のシェフ』第13巻 突かれたケンの弱点!?

 西洋料理を封印され、そして同じ現代人が果心居士として登場と、前巻ではケンにとっては激動の展開が続いた『信長のシェフ』。この第13巻においては、比較的静かな展開……と言いたいところですが、甲斐から京、越後、そして再び京と、文字通り東奔西走しての相変わらずの活躍ぶりであります。

 浅井・朝倉を破り、本願寺とも休戦と、最大の危機を脱したかに見える信長。
 しかし信玄は没したとはいえ、武田家には勝頼があり、そして信長が将軍義昭を追放したことを憤る謙信も、いつ敵に回るかわからない状況であります。

 かくてこの巻では、信玄亡き後の武田家の動向を探り、そして上杉を敵に回さぬよう、ケンはいわば外交交渉に赴くこととなります。
 さて、武田勝頼の方は、以前にも登場した(それどころかケンの恋敵でもある)わけですが、謙信の方はほぼ初登場。
 その謙信に対して、ケンが如何に挑むか。何しろ謙信といえば己を厳しく律した人物、当然美食などに現を抜かすわけはないのですが……あ、ありました、大好きな飲み物が。

 というわけで思わぬやり方で謙信攻略に臨むケンですが、実はその前段階とも言うべきエピソードがこの巻にはあります。
 それは狩野永徳との対面。永徳、謙信、信長――とくれば、おわかりの方も多いでしょう。そう、あの名品の入手にケンが一役買うのですが、しかしそれに永徳が出した条件が実に面白い。

 永徳の条件、それは「セイヨウ料理」を自分に食べさせること……そう、冒頭に述べたとおり、ケンは現在西洋料理を作ることを本願寺顕如との約定により封じられており、作りたくとも作れない状態、ある意味最大の弱点を突かれた形となったわけですが――

 前の巻で描かれたこの西洋料理封印、いささか唐突感があった上に、さすがに無理があるのでは……と思ったのは事実(正直なところ、作品外での理由を考えてしまうほどだったのですがそれはともかく)。
 もしかするとこの辺りはこの先スルーされて西洋料理のせの時もでないのでは? などと考えてしまったのが私の浅はかさ、かなり早い段階で、ケンのピンチをもたらす展開として使われたのには感心いたしました。


 さて、ケンが活躍を続ける一方で、暗躍するのが果心居士。
 現代ではケンが勤めていたホテルの給仕長(支配人)という地位にあっただけあって、人の心を察知し、その懐に入り込むことに長けているという設定が実に面白いのですが、この巻において、彼の目的が徐々に明らかになっていくこととなります。

 この巻のラストのエピソード、帝を巡る物語では、表舞台で活躍するケンと、歴史の裏側で暗躍する果心居士という形が、ある意味期せずして重なり合う――ケンが不可能を可能にしてしまったことが、果心の予言を成立させてしまう――というのが実に面白いのです。

 まだまだ先のこと(というのは、これも未来人視点ですが)とはいえ、本能寺の変への布石も描かれはじめ、まだまだ油断のできない本作。
 送り手側の体制は変わりましたが、面白さには変わりはなさそうで、まずは安心しているところであります。


『信長のシェフ』第13巻(梶川卓郎 芳文社コミックス) Amazon
信長のシェフ 13 (芳文社コミックス)


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2015.07.21

鳴神響一『鬼船の城塞』 江戸の海に戦う男たち!

 寛保元年、日本近海では、謎の赤い巨船の目撃が相次ぎ、「鬼船」と呼ばれ恐れられていた。焔硝探索の命を受け、御用船で伊豆諸島を巡っていた鉄砲玉薬奉行・鏑木信之介は、ある日この鬼船に遭遇、御用船の乗員は皆殺しにされ、鬼船を操る阿蘭党に一人捕らわれてしまう。果たして阿蘭党の正体とは……

 デビュー作『私が愛したサムライの娘』で第6回角川春樹小説賞を受賞した鳴神響一の第二作は、なんと海洋冒険活劇。時代小説・歴史小説では脈々と存在し続けているものの、決して数は多いとは言えないこのジャンルに、真っ向から挑んでみせた作品であります。

 舞台となるのは、八代将軍吉宗の治世も末期の頃。日本近海で、この国のものとも思えぬ巨船が出没し、近づいた者は一人も帰ってこないという、半ば伝説のような「鬼船」の存在が、海上を行く者の間で語られていた……という出だしから大いにそそられる本作。

 御役目で海に出ることとなった直参旗本・鏑木信之介は、洋上でこの鬼船に遭遇、腕に覚えの剣術で奮戦したものの、彼一人を残して船は沈没、自分は鬼船に捕らわれ……と、名作『海底二万哩』を思わせる冒頭の展開であります。

 実は鬼船を操っていたのは、館島(今の父島)を根城とする阿蘭党。戦国時代の後北条水軍の残党であり、遡れば鎌倉時代の梶原景時にまで至るという海賊であります。
 剣の腕を認められて彼らの賓客となった信之介は、島では女子供も含めた人々が平和に、安らかに暮らしているのを目の当たりにしますが、しかし仲間を皆殺しにされた彼のわだかまりがすぐに解けるはずもありません。

 そんな中、島に現れた新たな船影。鬼船を遙かに上回るその巨船はイスパニアの軍艦――ある目的を秘めて日本を目指してきたイスパニア海軍は、館島を自分たちの基地とすべく、攻撃を開始します。
 否応なしに戦いに巻き込まれた信之介は、阿蘭党とともに、圧倒的な戦力を誇るイスパニア軍に挑むことに……


 言うまでもなく日本は周囲を海に囲まれた島国、それゆえ時代小説でも海を舞台とした作品は数多い……とは必ずしも言い難いのは冒頭に述べたとおりですが、その理由の一つは、やはり江戸時代の鎖国政策でしょう。
 簡単には遠洋に出られなくなった時代を舞台に、どうすれば海洋ものを描くことができるか……本作はその答えの一つであります。

 秀吉に破れた北条水軍の残党が、南方に脱出していたというのは、北条家が紀伊出身の梶原水軍を抱えていたという史実を考えれば決してあり得ない話ではありません。
 また、日本で鎖国していた間、世界の海の覇権を賭けて、ヨーロッパ諸国が激しい争いを繰り広げていたことを考えれば、本作の物語は、歴史の間隙を突きつつも、十分なリアリティを備えたものと言えましょう。

 そして本作のさらに巧みな点は、北条残党の海賊とイスパニア海軍とを結びつけるに、日本のある国内事情を用意してみせた点でしょう。
 イスパニア軍艦に同乗する謎の日本人武士・久道主馬――故国を裏切り異国についたかのように見えたこの男の正体には、そう来たかと(特に作者の作品の読者は)唸らされることでしょう。

 しかし、もちろんこれらの設定は、言ってみれば物語の背景を構成するもの。あくまでも、舞台となる海の、船の描写あってこそですが――その点も本作は問題ありません。
 様々な姿を見せる海の描写はもちろんのこと、何よりも船の描写、そしてその船を舞台とした、あるいは船同士の戦いの描写は相当のもの。特に物語の後半で繰り広げられる阿蘭党とイスパニア軍の決戦の迫力には、なかなかに引き込まれるものがあります。


 もちろん、残念な点がないわけではありません。阿蘭党に対する信之介の心情の変化は、本作の物語において欠くべからざる部分だけに、もっともっと踏み込んでも良かったのではないかと――阿蘭党の面々がなかなかに魅力的だっただけに――個人的には感じます。
 また、イスパニア側も、それなりに理由や事情はあるものの、敵役の域を出ない描写であったように思えます。

 しかし、それで本作ユニークの魅力が帳消しになるかと言えば、少なくとも読んでいる最中は物語に没頭し、一気に痛快極まりないラストまで連れ去られてしまった、と申し上げればよろしいでしょう。
 魅力的なこの世界で、まだまだ物語は、キャラクターは描ける……この一作で終わってしまうのが惜しい作品であると感じた次第です。


『鬼船の城塞』(鳴神響一 角川春樹事務所) Amazon
鬼船の城塞


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2015.07.20

8月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 7月に入っても梅雨寒が続いて、この夏はどうなるのかしら……と思いきや、心配無用とばかりに猛烈な暑さが始まりました。こういう時は涼しい屋内で本を読むに限る! と思ったものの、新刊が多いようで少ない8月。お盆休みが挟まるとはいえ些か残念ではありますが、8月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。

 上で述べたとおり、新刊の点数があまり多くない8月。文庫の新刊でまず目につくのは、上田秀人『表御番医師診療禄 6 再生』、かたやま和華『猫の手屋繁盛記』第2巻、瀬川貴次『ばけもの好む中将』第4巻と、シリーズものの新刊であります。
(なお、上田秀人は『織江緋之介見参 1 悲恋の太刀』が新装版で刊行されるとのこと。未読の方はぜひ)

 しかし、新作にも大いに興味深い作品があります。まず、谷津矢車の『からくり同心 景』は、新米同心と謎のからくり人形という意外すぎるコンビによる捕物帖らしく、作者の新境地として気になるところ。
 そして和田はつ子『鬼の大江戸ふしぎ帖 鬼が見える』は、タイトルどおり、鬼を視る力を持った町方同心(渡辺綱の子孫)を主人公とする時代ホラーとのことで、元々ホラーから出発した作者だけに期待してよさそうです。

 そして文庫小説ではもう一作、平谷美樹の『水滸伝』第3巻が登場。隔月刊行の第3弾ですが、さてこの先シリーズがどのように展開されるのか、非常に気になるところです。


 さて、漫画の方はほぼ既存シリーズの新刊。武村勇治&義凡『天威無法 武蔵坊弁慶』第5巻、せがわまさき&山田風太郎『十 忍法魔界転生』第7巻、水上悟志『戦国妖狐』第15巻、そして野田サトル『ゴールデンカムイ』第4巻と、個々の作品自体は粒よりではありますが、やはり少々寂しいところです。

 そんな中で気になる新作は、倉田三ノ路『天穹は遙か 景月伝』第1巻と葉明軒『仙術士李白』。
 前者は武侠アクション(舞台が中華風異世界のようなのが残念なところですが……)、後者は台湾の漫画家による仙術ファンタジーということで、楽しみにしたいと思います。

 なお、廉価版コミックでは岡村賢二&太田ぐいや『剣豪柳生十兵衛 千年の呪いの幕開け』が登場。
 タイトルは変わっていますが、おそらくは『柳生無頼剣 鬼神の太刀』の再編集版ではないかと思います。



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2015.07.19

『決戦! 大坂城』(その三) 中心の見えぬ戦いの果てに

 いま脂が乗りに乗った七人がそれぞれのスタイルで大坂の陣を描いたアンソロジー『決戦! 大坂城』の紹介その三であります。ラストの今回は、冲方丁、伊東潤の作品をご紹介。驚くほどの多様性に富んだ作品群の向こうに見える大坂の陣の姿とは……

『黄金児』(冲方丁)
 前作で聡明すぎた小早川秀秋の悲劇を描いた作者が描くのは、やはり通説とは全く異なる豊臣秀頼の姿。過保護に育てられた暗愚な人物として描かれることも少なくない秀頼を、本作は全く異なる視点で描き出します。

 幼い頃から大坂城の奥深くで育てられ、豊臣秀次の切腹や関ヶ原の戦といった城外の、戦国の喧騒とは無縁に育った秀頼。秀吉の才知を受け継ぎ、茶々から貴人の誇りを学び、颯爽たる青年に育った秀頼は、やがて城外の「騒ぎ」に興味を抱くようになります。
 その「騒ぎ」の中心にあるのは、自分を敵視する家康であると知り、戦いが避けられぬと知った秀頼は、様々な形で家康と対峙し、その中で常人には図りがたい貴人の高みに、その精神は極まっていくことになります。

 本作で描かれる秀頼は、暗愚であるどころか賢明、いや聖明とすら言うべき一種の超人的人格の持ち主。自らを含めた人々の姿を、戦国の喧騒を、遙かな高みから俯瞰した視点で見下ろすことができる人物として描かれます。
 しかし平時であればまさに王者の人格も、戦時であればどのような運命を招くか……一種の皮肉すら漂う物語は、ひたすら静かに綴られる文章と相まって――言い方は良くないのですが個性派揃いの本書の中でも浮いた存在として――奇妙に印象に残ります。


『男が立たぬ』(伊東潤)
 そしてラストは戦国ものの名手による男くささ溢れる一編。福島正則の弟・正守をはじめとする、男の中の男たちが生き様を見せます。

 家康の意を受けた坂崎出羽守から、千姫救出を依頼された正則。豊臣には恩あれど、今は徳川麾下の大名として動くに動けぬ兄に代わり、正守はただ一人、大坂城に乗り込むこととなります。再び生きて帰ることは望まずに――
 「その日」が来るまで大坂方として戦ってきたものの、ついに落城が迫るに至り、千姫を連れて脱出することとなった正守。しかし秀頼が彼に託したのは、千姫の身だけではなかったのであります。

 坂崎出羽守の切腹という場面から始まり、そこに至るまでの経緯を遡って描くという趣向の本作。何と言っても印象に残るのは、正守、出羽守らの、愚直なまでの男を貫く様であります。
 己の信義に賭けて、一度約したことは決して曲げず破らず、身命を捨てても貫き通す……たとえ世間からは負け犬、愚か者と嗤われようとも自分の道を貫く、作者が、そして読者が愛する人物像がここにあります。

 出羽守の死の真相に、ある伝奇的隠し味を用意したのも嬉しく、またそれが次の男に……という結末も切なくも嬉しい、本作の掉尾を飾るに相応しい物語であります。


 以上七作品、さらっと紹介するつもりが随分と長くなりましたが、バラエティという点(それはある意味伝奇的趣向とニアリーイコールなのですが)では、前作以上という印象があります。

 それは一方では、まとまりのなさということにもなりかねないのですが――考えてみれば、関ヶ原の戦がほぼ一日で終結したのに対し、大坂の陣は、休戦期間はあれど、それなりの期間に渡った戦い。
 そして数多くの武将が参戦しつつも、その戦いぶりは、ごく一部の例外(言うまでもなく幸村のような)を除けば、どこか十把一絡げに見えてしまうところがあります。

 そんな、戦いの中心が見えにくい戦い――それこそが大坂の陣の在り方であり、それが良くも悪くも、本作の多様性に繋がっているのでしょう。

 もちろん、個々の作品のクオリティについては、これまで縷々述べてきたとおり極上のものばかり。
 関ヶ原、大坂の陣来て、これに匹敵する次なる戦を設定のは難しいとは思いますが――しかし第三弾も希望したい好企画です。


『決戦! 大坂城』(葉室麟ほか 講談社) Amazon
決戦!大坂城


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2015.07.18

『決戦! 大坂城』(その二) 「らしさ」横溢の名品たち

 競作アンソロジー『決戦! 大坂城』の紹介その二であります。全七編が収録された本書、今回は富樫倫太郎、乾緑郎、天野純希の作品――いずれも作者らしさの横溢する名品をご紹介いたしましょう。

『十万両を食う』(富樫倫太郎)
 職人芸的に様々な(サブ)ジャンルで活躍する作者が最近力を入れているのは戦国ものという印象がありますが、さらにそこに作者が得意とする経済ものの要素を加えた、作者ならではの作品です。

 籠城戦に備える大坂での一儲けを夢見て、古米を大量に買い込んだ近江屋伊三郎。しかし冬の陣があっさり終わり、大坂城が厳重に封鎖されたことで、彼の手元に残ったのは古米と借金の山でありました。
 知人の商人の仲介で、抜け穴から密かに古米を大坂城に運び込んで売りさばくという賭けに出た伊三郎ですが、決戦が近づく中、意外な依頼をされることに……

 本書の中では唯一主人公が武士(の血縁に連なる者)ではない本作。それどころか合戦も遠景でしか登場しないのですが、しかしここで繰り広げられるのもまた、紛れもない戦の現実でありましょう。
 そしてその戦いが意外な形であの有名な巷説と重なり合う終盤もしびれるのですが……何よりもいいのはやはり結末でありましょう。

 武士に武士道があるならば、商人にも商人道がある。そんな小さな意地と心意気を謳い上げる結末は、実に爽快であります。


『五霊戦鬼』(乾緑郎)
 公式サイトに掲載された執筆陣のサイン寄せ書きで、「甦れ!! 時代伝奇!」と何とも心強い言葉を記している作者による本作は、まさにそれ以外の何物でもないユニークな作品であります。

 若き日の放浪の果て、今は徳川の陣に加わっている水野勝成。しかし彼を、同じ徳川方であるはずの伊達政宗の軍が狙います。
 その策を献じたのは政宗の客僧たる法雲。彼は、勝成がかつて小西行長から授かった南蛮の秘薬の存在を、政宗に吹き込んでいたのであります。果たして法雲の正体とは……

 その破天荒な生涯から、最近脚光が当たりつつある勝成ですが、彼は若き日に水野家を追われ、長きに渡り放浪生活を送っていた人物。本作はその謎多き放浪生活と大坂の陣を結ぶ、奇怪な因縁の物語であります。

 いやはや、時代ものを書かせればいずれも奇怪なアイディアを導入して驚かせてくれる作者ですが、本作のアイディアもまた奇想天外、武蔵まで飛び出した物語の結末は、何やら壮大なホラ話を読まされた感すらあります。
 大坂の陣との関連があまり強くないように感じられるのもまた事実ではありますが……


『忠直の檻』(天野純希)
 家康の孫・松平忠直を主人公とした本作は、武将たちの活躍を描きつつも、どこか苦い人間味が漂う戦国ものを数多く発表している作者らしい一編であります。

 外では祖父に疎まれ、内では権高な正室や叩き上げの重臣たちに振り回される日々を送る忠直。名を挙げる好機として参戦した冬の陣においても大敗を喫した彼が唯一心慰められるのは、感情を露わにしない側室のお蘭の傍らに居るときでありました。
 そして夏の陣が始まらんとする時、初めてお蘭に手柄を立てろと言われた忠直は……

 夏の陣では配下が真田幸村の首を挙げ、大坂城に真っ先に突入するなどの戦果を挙げた一方で、その後、乱行により隠居・配流され、菊池寛の『忠直卿行状記』でも暴君として描かれた忠直。
 かように後世のイメージは芳しくない忠直を、本作はいかにも作者らしい視点で捉え直し、偉大なる祖父をはじめとする周囲の人々の間で、言いたいことも言えず、したいこともできぬ、そんな鬱屈した青年として描き出します。

 そんな忠直の生を象徴する言葉が「檻」――決して自分の意思で入ったわけではない檻に囚われ、理不尽とも言える苦しみを受ける彼の姿は、現代に生きる我々にとっても他人事とは思えぬものがあり――彼がようやくその檻から解放された時の苦く切なく、しかしどこかほっとさせられる感覚に、どこか共感してしまうのであります


『決戦! 大坂城』(葉室麟ほか 講談社) Amazon
決戦!大坂城


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2015.07.17

『決戦! 大坂城』(その一) 豪華競作アンソロジー再び

 豪華な執筆陣による競作アンソロジーとして昨年刊行され、好評を博した『決戦! 関ヶ原』。その続編とも言うべき一冊が、大坂の陣を題材とした本書『決戦! 大坂城』であります。今回も、前作に負けず劣らずの豪華メンバーによる内容、一作ずつ取り上げて紹介していきたいと思います。

『鳳凰記』(葉室麟)
 巻頭の本作の主人公となるのは茶々――淀殿。一般的には現実を見ない理想論で豊臣を滅ぼしたと、少なくとも大坂の陣関連では評判の悪い彼女ですが、本作では全く異なる姿が描かれます。

 秀吉亡き後、家康の圧力が強まる中、茶々が知った秀吉の真意。それは、帝への尊崇の念厚い秀吉が、帝をないがしろにせんとする徳川家からの盾になろうとしていたというものでありました。
 既に天下の大半を握った家康に対し、茶々は家康の老齢に目を付け、彼を疲弊させることでその命を縮めようとするのですが……

 茶々と豊臣家が大坂の陣に至るまでに打った、悪手とも言うべき対応を裏返し、それが家康を搦め手で打たんとした茶々の策とした本作。その最たるものが、これは家康の悪名を高めた方広寺の鐘銘事件というのも、ユニークなところではあります。

 しかし、やはり茶々の行動全てをこの内容で説明(というより正当化)するのは無理な話。せめて彼女の魅力がもう少し強く出ていれば、その「女の戦い」に振り回される男たちという構図の皮肉さが出たのでは……と感じます。


『日ノ本一の兵)(木下昌輝)
 『宇喜多の捨て嫁』で読者の度肝を抜いた作者が描くのは、真田「幸村」。よく知られた(それこそ本書の多くの作品にも顔を出す)ヒーローでありますが……

 父・昌幸の死を看取り、「この世で一番の武士の頸をとれ」という遺言を託された真田「信繁」。元武士の役者「幸村」を影武者に立て、自分はうり二つの徳川方の侍と入れ替わって敵陣に潜入した信繁の策とは……

 「幸村=信繁」なのか、というのはしばしば歴史好きの間で題材となる話ですが、本作はそれをドラスティックに取り込み、単純な別人説、同一人物説を超えた物語を展開してみせるのには驚かされます(何しろ真の「幸村」とは……)。

 しかし真に圧巻なのは、昌幸から信繁への呪いとも言うべき遺言と、信繁が抱え続けた父への、兄への、真田家へのどす黒いコンプレックスでありましょう。
 その呪いとコンプレックスが爆発した時、歴史に何が刻まれたのか……皮肉、という言葉では済まされぬ地獄、『宇喜多の捨て嫁』にも通底する人間性の地獄が、ここにはあります。


 だいぶ長くなりそうなので、次回に続きます。


『決戦! 大坂城』(葉室麟ほか 講談社) Amazon
決戦!大坂城


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2015.07.16

歌舞伎NEXT『阿弖流為』 世に出るべくして出た物語

 劇団☆新感線の舞台『アテルイ』について先日紹介しましたが、その上演から13年後の今年、歌舞伎『阿弖流為』として復活しました。阿弖流為を舞台と同じ市川染五郎が、坂上田村麻呂を中村勘九郎が、そして二人の間に立つ二人のヒロイン、烏帽子と鈴鹿を中村七之助が一人二役で演じております。

 さて、「歌舞伎NEXT」と銘打たれた本作、脚本は中島かずき、演出はいのうえかずのりと、オリジナルと同じ。
 ロックの生曲が流れる劇中も、激しい殺陣も(効果音も)、新感線でお馴染みのものなのですが……しかしそれでもきちんと歌舞伎になっている、と感じられるのが面白い。

 もちろん、花道を使っての見得など――新感線に染五郎が出演した際に見得切りはありましたが、サービス的要素に留まっていたのに対し――歌舞伎ならではの演出が要所要所で活きているのは言うまでもありません。
 しかしそれ以上に、大音量にも派手な殺陣にも食われることなく、歌舞伎ならではの(特に静と動の)演出、見せ方というものが、その外側できっちり息づいているという印象を受けました。
(その一方で、歌舞伎では独特のゆったりとした殺陣を演じている役者たちが、新感線流の激しい殺陣をきっちりとモノにしているのにも驚かされました)

 さて、いささか前後しましたが、本作は阿弖流為と坂上田村麻呂の、不思議な友情と共感で結ばれた男同士の対決を中心にして描かれる物語であります。そして、その中で特に大きく印象が変わったのが田村麻呂。
 というのも、舞台の方ではどちらかといえば完成した人格で、悩み、荒れる阿弖流為を受け止め、鎮める役を担っていた田村麻呂ですが、こちらでは、完全に阿弖流為以上に「若い」人物として描かれるのです。

 どこまでも明るく熱く、この世に正しき理があることを信じる――そんな若者が、それ故に現実の壁にぶつかり、悩むというのは、新感線では定番のキャラクター造形の一つという印象ですが、それを勘九郎が好演。
 阿弖流為の側が、冷静かつ現実的に物事を見つめ、それ故に苦しむという、これも新感線的なキャラクターであるのと好対照で、舞台は基本的に阿弖流為ひとりが主役であったのに対し、本作は阿弖流為と田村麻呂、二人が主役という印象が強くあります。

 また本作では、ヒロインたちの存在を、舞台とは大きく変えて描き出します。阿弖流為に付き従う烏帽子、田村麻呂を支える鈴鹿の二人は変わらぬものの、その在り方は大きく異なり(鈴鹿は舞台と異なり、後半からの登場)、そしてその位置づけがよりくっきりと鮮やかに見える形となっているのです。

 そしてそれに大きく貢献しているのが、烏帽子と鈴鹿を一人二役で演じた七之助。
 動の烏帽子と静の鈴鹿、同じ姿を持ちつつも異なるパーソナリティを持つ二人を巧みに演じ分けて見せたのには唸らされましたが、何よりも烏帽子の××の際に見せた、怒り・悔恨・哀しみ・愛情といった様々な想いが入り乱れた表情が実に素晴らしく、大いに泣かされたところであります。


 しかし――個人的には本作を観劇する前に、何故いま阿弖流為? という疑問がありました。舞台の公開年は阿弖流為没後千二百年に当たっていましたが、今年はそういった由縁があるわけでもなさそうなのに……と。

 が、実際に観劇した今では、本作は今この時に演じられる意味があった――そう強く感じさせられました。異なる民族同士の争い、不寛容を描く本作の基本ラインはそのまま、その表現は随所で洗練され、先鋭化され、まさに現代性を得ていたのですから。

 その一つが、阿弖流為を裏切る蝦夷の男・蛮甲の描写でありましょう。舞台では小狡く立ち回り、大和側で地位を得た彼は、それとは全く異なる経緯を経て、どちらの民族でもない男としてさすらい、ある役目を果たすのであります。

 そしてまた、舞台にはなかった、阿弖流為の都への連行を記した立て札を前にした庶民たちの会話が印象に残ります。
 この場面自体は、歌舞伎ではよくある、舞台装置を変えている間の時間つなぎではありますが、その内容が、異民族を人として扱おうという者に対する同調圧力とも言うべきものであり……ここでこうした場面を入れ込んでくる作り手の姿勢に、唸らされます。

 もちろん、いまこの時に本作が上演されたのは、主に役者や劇場のスケジュールという理由によるものでありましょう。
 しかしそれを承知していてもなお、物語は時にあたかも運命的に、世に出るべき時に出るものがあるのだと――そう感じさせられた次第であります。


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2015.07.15

劇団☆新感線『アテルイ』 民族という壁を超えて

 大和の民が北の蝦夷の国に攻め入っていた時代。賊を追っていた武人・坂上田村麻呂は、成り行きで「北の狼」を名乗る男と共闘する。その男こそは蝦夷の長の子・阿弖流為だった。ある理由から故郷を追われながらも、故郷を救うために北に向かう阿弖流為。そして田村麻呂も、征夷大将軍として北へ――

 先日、新橋演舞場で上演された歌舞伎『阿弖流為』を観劇してきました。実は本作は、13年前にところも同じ新橋演舞場で上演された劇団☆新感線の舞台『アテルイ』の再演とも言うべきもの。それゆえ、『阿弖流為』の前に、『アテルイ』をまずご紹介しましょう。

 阿弖流為と言えば、平安初期に乱を起こし蝦夷の長であり、伝説の悪路王とも同一視された謎多き人物。
 そして坂上田村麻呂は、その悪路王を討ち、蝦夷を平定したと言われる武人であり、中世説話の世界では、立烏帽子こと鬼女・鈴鹿を妻としていたなど、やはり不思議な人物であります。

 本作は、新感線――というより脚本家の中島かずきの作品の多くがそうであるように、これら史実・伝説を織り交ぜて作り出された物語。阿弖流為には、彼と運命を共にする女性・烏帽子が、田村麻呂には恋人の鈴鹿が、二組の男女を中心に、物語は展開していきます。


 かつて禁忌の山でアラハバキ神の遣いを殺し、その呪いで蝦夷を追放された阿弖流為。流れ流れた末に、都でそのきっかけとなった女――今は都を騒がす盗賊・立烏帽子党の頭目・烏帽子と再会した彼は、田村麻呂と出会い、互いの素性も知らぬまま、意気投合することになります。

 しかし北に帰った阿弖流為は、生き残りの蝦夷をまとめ、この国を統一せんとする帝の軍に抗戦し――そして坂上田村麻呂は、征夷大将軍としてその討伐を命じられ、かくて二人は戦場で合い見えることとなります。
 しかし二人の武人の戦の陰には、もう一つの戦い――神と神の戦いが潜み、そしてそれが二人の運命を狂わせていくことに……


 本作を含め、多くの作品で「まつろわぬ者」たちの戦いを描いてきた新感線、中島かずき。反逆者、アウトロー、異教徒、道々の者……様々なまつろわぬ者たちが描かれた中でも、本作が何よりも強い輝きを放つのは、描かれるのが異民族――民族と民族の戦いであるためでしょう。

 同じ国に住まいながらも、文化も体制も全く異なる者として争う蝦夷と大和。その戦いについては史実にも残るところですが、本作は正史に、歴史書に残らぬもの――その争いに巻き込まれた人々の、いや人ならざるものも含めた想いを描き出します。

 その最たるものが、もちろん阿弖流為と田村麻呂の間の魂の交流とも言うべきものであることは言うまでもありません。
 互いに武人として、男として認め合い、友情とも言うべきものを抱きつつも、しかしそれぞれの生まれが、立場がそれを許さず、激しく剣を交えることとなる――

 ある意味エンターテイメントでは普遍的なシチュエーションではありますが、しかしそれに独特の迫力を与えるのは、二人の戦いが正史に残された――少なくとも正史に由来する――ものであり、そして何よりもその淵源が「民族」という、その違いが見えるようで見えず、あると思えばあるものである点であることは間違いありません。

 さらに、見えるようで見えず、あると思えばある存在とは、本作においてもう一つ別の言葉で描かれるのですが……それはここでは伏せておきましょう。
 ただ一つ言えることは、本作が(ただなんとなく面白そうだから、というわけでなく)相当の覚悟を持ってこの題材を扱っているということであり――そしてそれ故に、その壁を超えようとする人々の姿が、感動的に映るのであります。


 さすがに13年前ということもあって、舞台装置は今の目で見ると寂しいものがありますし(というよりも今の新感線の豪華さに改めて驚きます)、二人(三人?)のヒロインの設定がいささかわかりにくい点は否めません。
 阿弖流為と並び立つ田村麻呂が、かなり完成された人格として描かれていることで、(阿弖流為の受け止め役として)やや便利に扱われている感もあります。

 それでもなお、いま観ても本作が面白く、考えさせられるのは、本作で描かれているものが、今なお全く古びていないゆえ――それに尽きましょう。

 そしてその物語は、新たな器を与えられてさらに先鋭化していくのですが――それはまた別途語ることといたしましょう。

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2015.07.14

小松エメル『一鬼夜行 雨夜の月』(その二) そこに居た「人間」たち

 小松エメルの明治人情妖怪譚『一鬼夜行』シリーズの最新刊にして番外編、『雨夜の月』であります。猫股になることを目指す小春と彼の兄弟たちに与えられた試練。情を通い合わせた人間の首を取るという目的のため、人間に近づいた三人ですが……

 猫股の試練のため、小春が相手に選んだのは、喜蔵の先祖であり、彼と顔は似ているものの正反対の気弱でお人好しの逸馬。
 義光の相手は、猫嫌いの夫・伊周を持つ、心優しい武家の妻女・常磐。そして椿の相手は、病で隠居した大名の嫡男で皮肉屋の右京――
 それぞれ人間を嫌い、見下してきた三人が、彼ら人間と触れ合うことで思わぬ変化を迎える様を、本作は克明に描き出します。


 これまでは人間と妖怪のバディものという性格上、人間からの視点がある程度……というよりかなりの部分を占めてきた本シリーズ。しかし本作は、先に述べたとおり、ほぼ完全に、妖怪からの視点から描かれることになります。

 人間とは異なるパーソナリティを持つ妖怪。その彼らから見た場合、この世は、人間はどのように見えるのか?
 大いに読者の興味を引くとともに、実はそれを満たすのは大いに難しいそれを、本作は軽々とクリアしていきます。

 人ならざる者だからこそ見えるもの、そして見えないもの。自分とは全く無縁の「他者」であるはずの人間と触れ合う中で彼らが知ったそれは、彼らが外部からの視点を持つからこそ、より痛切に「人間」というものの本質――あるいは少なくともその側面の一つ――というものを感じさせます。

 そう、本作は妖怪たち自身の過去を描く物語であると同時に、人間たちの姿を物語でもあります。
 そして二つの物語が交錯するところ――人間という存在が、彼らそれぞれに大きな衝撃と影響を与えた時……少なくともその瞬間、そこに居たのは、我々と変わらぬ「人間」であった、というのはセンチメンタルに過ぎるでしょうか?

 しかし、少なくともそこで描かれた喜びと悲しみが、本シリーズの中でもこれまでにないほど、私の涙腺を刺激したことを、恥ずかしながら白状させていただきましょう。


 そして物語は過去から現在、そして未来へと移ろっていきます。彼らの過去が現在にいかに影響を与え、そして彼らの現在がいかに未来を変えていくか……
 もちろん、後者についてはまだこれから語られるところではありますが、決して笑顔ばかりではなかった(むしろその逆であった)過去に対し、その未来は少しでも明るいものであると、信じられる気がいたします。

 そしてその傍らには、きっと我々「人間」の姿があることも――決して「雨夜の月」などではありますまい。


 しかし、いかに未来とはいえ、第二部開始が丸一年先というのは、あまりに殺生な……というのも、台無しではありますが、偽らざる思いではあります。


『一鬼夜行 雨夜の月』(小松エメル ポプラ文庫ピュアフル) Amazon
(P[こ]3-8)一鬼夜行 雨夜の月 (ポプラ文庫ピュアフル)


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 『一鬼夜行 鬼が笑う』の解説を担当しました

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2015.07.13

小松エメル『一鬼夜行 雨夜の月』(その一) 三兄弟の挑んだ試練

 昨年、第一部が完結した『一鬼夜行』。その第一部ラストでは、小春の兄と弟が登場、物語で重要な役割を果たしましたが、本作の中心となるのはこの三人の過去……そう、小春が鬼はおろか、猫股になる前の物語であり、そして彼にとっては忘れられぬ人、逸馬との出会いと別れの物語でもあるのです。

 前作『鬼が笑う』で、ついに宿敵とも言うべき大妖怪・猫股の長者との決戦に臨むこととなった小春。しかし長者は、かつて小春が対面した相手ではなく、既に代替わりしていたのであります――それも、彼の弟・義光に。
 そしてその兄弟対決に立ち会う形となったのは、彼らの長兄・椿。ある出来事がきっかけで世間から姿を隠していた彼は、小春が猫股となるのに大きな役割を果たした妖物。

 かくて始まった兄弟骨肉の争いの行方は――ここでは述べませんが、やはり前作を読んだ際に、椿と義光の存在が大いに印象に残ったことは言うまでもありません。
 物語が風雲急を告げていたこともあり、また構成の巧みさもあって、さまで気にはなりませんでしたが、彼らはその時がほとんど初登場。最小限の情報は語られたものの、彼らはどのような存在なのか、そして何よりも、彼らの過去に何があったのか……それは伏せられたままだったのですから。

 そう、本作はそんな彼らの物語であり――前作が、喜蔵サイドから描かれた人間視点の物語であったとすれば、本作は、妖怪視点で語られる物語なのであります。


 生まれてからしばらくを共に過ごし、それぞれ経立(本作では妖怪の前段階の、いわゆる「変化」と言えばいいでしょうか)となった小春たち三兄弟。
 妖怪になる前から強大な力を持ちつつも、弟二人を陰から操つる陰湿さ・冷酷さを持つ黒猫の椿、小春と似たような外見を持ちつつも、小春に対する激しいコンプレックスと強さへの渇望を抱く義光――

 やがてそれぞれ猫股を……いやその長たる猫股の長者を目指すようになった三人は、それぞれの道で、猫股になるための試練に挑みます。
 それは人間と情を通わせ、その上で相手の首を落とし、喰らうこと――その試練に、彼ら三人がいかに挑み、いかに達成したか(達成できなかったか)が、本作の中心を締めるのですが……

 既にシリーズ第1弾で語られているにもかかわらず、改めてみればあまりにも無惨な猫股の試練。その試練を描くことは、しかし同時に、彼ら三人が、いかに人間と出会い、触れあい、別れてきたかを描くことにほかなりません。


 さて、彼らが出会った人間とは……というところで、長くなりますので次回に続きます。


『一鬼夜行 雨夜の月』(小松エメル ポプラ文庫ピュアフル) Amazon
(P[こ]3-8)一鬼夜行 雨夜の月 (ポプラ文庫ピュアフル)


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 『一鬼夜行 鬼が笑う』の解説を担当しました

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2015.07.12

鏑木蓮『イーハトーブ探偵 山ねこ裁判 賢治の推理手帳II』 真に裁かれた者の名は

 あの宮沢賢治が名探偵として活躍する『イーハトーブ探偵 賢治の推理手帳』が帰ってきました。賢治と親友の藤原嘉藤治――ケンさん、カトジと呼び合う仲の二人が、大正の東北で起きる不可思議な事件に挑む連作短編集は、いよいよ味わいを増してきた印象であります。

 大正12年――それぞれ花巻農学校と花巻女学校の教員をしていたケンジとカトジ。ともに本来であれば探偵などとは全く縁のない暮らしですが、しかし、不可思議な出来事があると、俄然持ち前の好奇心を燃やすのがケンジの性格であります。
 かくて、きっかけは様々なれど、事件に巻き込まれたケンジは、その観察眼と豊富な知識、そして猪突猛進の行動力で謎解きにまっしぐら、後から心配しいしいカトジがついて行く……という展開となります。

 そんな基本フォーマットを踏まえた本作に収録されているのは、全部で5つの短編。
 石工会社の社長が採石場で石に潰されて亡くなった事件の真相を探る『哀しき火山弾』
 とある名家に代々伝わる宝珠の中から、秘仏が忽然と消えた謎『雪渡りのあした』
 完全な密室の蔵から、次々と高価な品物が盗み出された事件に潜む悲しい想いを描く『山ねこ裁判』
 肝試しをしていた生徒たちが墓場で聞いた言葉に秘められた真実『きもだめしの夜に』
 二人の男に想いを寄せられた娘が、彼らの眼前で首を吊った謎を解き明かす『赤い焔がどうどう』

 前作同様、トリッキーな事件でありつつも、今回もフェアな推理が、ケンジによって行われることとなります。


 さて、最初に触れたように、探偵でも警察でもないのにもかかわらず、事件に首を突っ込んでいくケンジ。
 依頼されることもあれば、偶然その場に居合わせることもあり、彼がその事件を知り、興味を抱くのに毎回きちんと必然性はあるのですが……しかし本作においては、それ以上に彼が謎解きに没頭する理由があります。

 本作の舞台は、先に述べたとおり大正12年。前作は11年ですから、一年後ということになりますが――その間に、ケンジにとって大きな、大きすぎる出来事があったことは、ケンジのファンであればご存じでしょう。それは、彼の最愛の妹であったトシの死、であります。

 良き理解者であった彼女の生と死に対する彼の想いは、『永訣の朝』などの詩に鮮烈に残されていますが、本作の舞台となっているのは、その影響が強くケンジに残っていた時期なのであります。
 ショックのためか、創作の筆を折っていたケンジ。そんな彼にとって、謎解きは一種の気晴らしであり……そして事件の中の生と死を見つめることは、トシのそれを受け入れることに繋がっていくものであったのです。

 前作同様、本作で描かれる事件のどれも皆、事件のための事件というものはありません。どの事件もそれぞれに、この時代、この場所で起きるべくして起きた――時代性を背負った事件なのであります。

 そしてそうした事件に挑むことは、ケンジにとっては、彼が終生考え続けた、皆が幸せになる世界――イーハトーブの希求であり、そしてそれを阻むこの世の悲しみ、苦しみ、矛盾との対峙でもあります。

 そうした点から、本作で最も印象に残るのは、表題作の『山ねこ裁判』でしょう。

 正直に申し上げれば、本作はミステリとして見た場合、真犯人がすぐに予想がつく形となっており、その意味での歯ごたえはさまでない作品ではあります。
 しかし――ケンジが知った事件の真相、何よりも、彼がそれにたどり着くに至った証拠からは、この時代、この作品ならではの痛切なものを感じさせます。

 タイトルの『山ねこ裁判』は、ケンジの『どんぐりと山猫』から取ったものですが、事件が、真犯人が裁かれた後に本当に裁かれた者は誰だったのか……それが明らかになった時、我々は粛然たる気持ちにならざるを得ないのであります。


 正直に申し上げれば、純粋にミステリとして見た場合には、前作に比べれば小粒な印象はある本作。しかし、そこに込められたものの重さと、それに挑むケンジの想いの強さは、より先鋭化しているやに感じられるのであります。


 ちなみに、本作の解説は漫画家のますむらひろし(!)。比べるのも恐れ多いのですが、私のしかつめらしい文章とは全く異なる、生の賢治について語る解説は必見であります。


『イーハトーブ探偵 山ねこ裁判 賢治の推理手帳II』(鏑木蓮 光文社文庫) Amazon
イーハトーブ探偵 山ねこ裁判: 賢治の推理手帳II (光文社文庫)


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 『イーハトーブ探偵 ながれたりげにながれたり 賢治の推理手帳』 本格ミステリと人の情と

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2015.07.11

越水利江子『うばかわ姫』 真実の美しさを生み出すもの

 類い希な美貌を持った娘・野朱は、東国に向かう旅の途中、夜盗に襲われる。ただ一人逃げる中、山中で老婆と出会い、言われるままに衣を取り替えて難を逃れた野朱。しかしその代償は美貌と若さだった。月に一度、望の月の日を除いて老婆と化す呪いを受け、絶望に沈む野朱の前に現れた者は……

 昨年、『読楽』誌の一月号に掲載されて以来、続編を心待ちにしていた短編『うばかわ姫』が、続編を加えた一冊の連作長編として刊行されました。作者は越水利江子、児童向け時代ものの名手の、初の一般向け作品であります。

 本作の舞台となるのは17世紀の初め、江戸に幕府が開かれた頃、そして主人公は、物心つかぬうちに両親を失い、京の商人の養子として育てられた娘・野朱。
 東国の武家に見初められ、側室として輿入れする途中に鳰の海――琵琶湖近くで夜盗に襲われたことから、彼女の運命は一変することになります。

 供を全員殺され、一人さまよう中で彼女が出会ったのは姥ヶ淵の姥なる妖しの老婆。ただ難を逃れたい一心で老婆の持つ「姥皮」をまとった野朱は、それまでの彼女とは似ても似つかぬ老婆に変じてしまうのでした。
 姥皮の呪いが解けるのは、月にただ一度、望の月の晩に、姥ヶ淵の水を浴びた時のみ……

 美しさも若さも、全てを失い、それでも死ぬに死ねぬままさまよう野朱。そんなある日、彼女は鳰の水軍の青年・豺狼丸と出会うのですが――


 本作の推薦文で、あさのあつこが「21世紀の今昔物語」と評するように、本作は、どこか御伽話めいた――それも残酷で生々しい――手触りを持ちます。

 もともと「姥皮」とは、身に着けると老女の姿になるという衣をまとうこととなった美女が、苦難の果てに理想の相手と出会い、それを脱いで幸せになる……という類の昔話に登場するアイテム。
 言ってみればそれは一種のシンデレラストーリーなのですが、しかし本作はそうした物語とは似て非なる物語を描き出すこととなります。

 何よりも、本作における姥皮とは一種の呪い。一度まとってしまえば自らの意思で脱ぐことは出来ず、老婆の姿のまま、生き続けなければなりません。それが女性――ことに、野朱のように、己の美しさと、それがもたらすものを当然のものと受け止めていた者にとって、どれほどの苦痛と悲哀をもたらすか、言うまでもありますまい。

 果たして如何にすれば彼女の呪いは解けるのか? その点において、本作は一般的な昔話とは、全く異なる方向性を示します。
 そう、呪いは誰かに解いてもらうのではなく、自分自身で解かなければならない。自らに生きようという強い意思が――若い娘にとっては絶望的な状況のただ中にあったとしても――芽生えた時、この呪いは解けるのであります

 結末だけ見れば、やはりシンデレラストーリーに見えるかもしれません。しかしこの方向性を以て、本作は一種極めて現代的な物語を描いてみせるのであります。

 それは、これまで作者が児童文学の中で描いてきた、アクティブな、フィジカルな意味で戦う少女(そして戦う女性は本作にも登場するのですが)たちの物語の系譜に属するものかもしれませんが――
 しかし、フィジカルな力を持たぬ野朱の戦いは、またそれとは異なる形となるのであり……そしてそれこそが、本作を一般向けの作品としている点ではありますまいか。


 形だけ見れば、甘いロマンスに見えるかもしれません。野朱たちの因縁物語も、その印象を強めるかもしれません。

 しかし――民話めいた題材やロマンティックな、そしてファンタジー的な設定という皮(それ自体、私としては大歓迎なのですが)の下にあるのは、どこまでもシビアな現実の中でも確かに存在する、美しき人の心でありましょう。

 美しさとは、一点の曇りも傷もないことから生まれるのではなく、曇りや傷を背負ってなお輝こうとする想いから生まれる――
 本作は、そんな真実の美しさを描いた物語であります。


『うばかわ姫』(越水利江子 白泉社招き猫文庫) Amazon
うばかわ姫 (招き猫文庫)


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 「読楽」2014年1月号 「時代小説ワンダー2014」(その2)

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2015.07.10

松田朱夏『ジロキチ 新説鼠伝』 痛快な怪盗伝の先の真実

 時は文政、江戸の町を何かと騒がす盗賊がいた。人呼んで鼠小僧次郎吉――相棒のからくり儀衛門とともに、次から次へと不可能なミッションに挑む次郎吉、なりゆきから義賊と呼ばれるようになったが、何よりも求めるものはスリル。特務同心・間宮林蔵に追われながらも、今日も次郎吉の冒険が始まる……

 毎回、意外かつ豪華な執筆陣でこちらを驚かせかつ楽しませてくれる白泉社招き猫文庫ですが、今月の新刊もそれは同様。
 『危機之介御免』『CLOCKWORK』『さんばか』といったユニークな時代漫画の原作者としても活躍する富沢義彦が、ノベライズを得意とする松田朱夏と組んでの『ジロキチ 新説鼠伝』であります。

 ジロキチ――鼠小僧次郎吉といえば、言うまでもなく天下の大泥棒。化政時代に活躍(?)したこの人物、義賊という巷説は眉唾ながら、本朝の歴史で一、二を争う盗賊界の有名人であることは間違いないでしょう。
 当然、フィクションの世界でもこれまで枚挙に暇のないほど取り上げられてきた人物でありますが、さて本作はその次郎吉をどう料理してみせたか――

 と、本作の次郎吉は、ひょろりと長い手足にどこか猿っぽい印象の男、金と女に目のない悪党ながら、どこかロマンチストでお人好しの人物。
 そして彼とコンビを組む天才発明家のからくり儀衛門は、目を隠したボサボサの前髪がトレードマークのクールな男、次郎吉とは相棒兼喧嘩友達といった立ち位置であります。

 そして時に仕事を持ち込み、時に罠に填め……と彼ら二人を翻弄する謎の美女に、次郎吉を追いかけることに生き甲斐を見出しているような堅物役人――

 と、正直に申し上げれば、どこかで見たキャラクター配置なのですが――
 それもそのはず、原作者のブログを見れば、本作のコンセプトは時代劇版『ルパン三世』。ルパン三世で鼠といえばネズミ一族……というのはさておき、ありそうでなかったコロンブスの卵的コンセプトでありましょう。
(ちなみに原作者は、セガサターンのデータベースソフト『ルパン三世クロニクル』の企画構成を担当している、いわばルパン三世のプロ(?)の一人であります)

 しかし、本作が名作のシチュエーションのみを借りた作品かといえば、もちろんそれははっきりと否、です。
 これまでの原作者の時代漫画同様、本作は、登場人物のチョイスや設定はあくまでも史実を踏まえ、それでいてありそうでなかったひねりを入れてくる……そんな時代ものとしての楽しさをきっちりと抑えた作品なのです。

 次郎吉・儀衛門コンビが、間宮林蔵を向こうに回して悪徳役人のからくり蔵に挑む第一話、小田原藩の下屋敷に忍び込んだ次郎吉が、彼を待ち受ける思わぬ仕掛けに悪戦苦闘の第二話、そして自ら牢屋敷に入ったという戯作者を連れ出すため、自分も牢に入った次郎吉の脱出劇の第三話――

 物語そのもののバラエティに富んだ趣向もさることながら、ゲストキャラの設定や背景事情などは、その当時のことを知れば知るほどニヤリとさせられるものばかり。
(このゲストキャラ、いかなる理由にか、名前はもじってあるものの、わかる人にはわかる描写なのが楽しい)

 漫画と小説と――媒体は異なれど、そのスラップスティック気味なアクションも含め、原作者ならではの味わいがはっきりと感じられるコミカルかつ痛快な時代活劇なのであります。


 しかし……私が惹かれたのは、こうした点のみではありません。
 私が本作に最も魅力を感じるのは、ある意味荒唐無稽な物語を展開させつつも、その中で現実に通じる――そして現実を突き破る虚構を描き、そしてそこに逆説的に一片の真実を生み出させようという、作者の戯作者としての心意気であります。

 先に述べたように、鼠小僧次郎吉が義賊であったというのは、あまりに美しく、現実としては疑わしい話であります。
 しかし、それでも、もしかしたら――そこには美しい真実があるかもしれない。初めは虚構だったとしても、いつかは真実となるかもしれない……そんな祈りにも似た想いが、本作にはあります。


 と、面映ゆいことを書いてしまいましたが、本作の基本はあくまでも痛快な冒険活劇。第三話にはおそらくあの人物(をモデルにしたキャラ)が意外な役回りで登場、いくらでもこの先、物語が広がっていきそうであります。
 新たな命を吹き込まれた次郎吉の真実の物語がこの先も語り継がれることに期待します。


『ジロキチ 新説鼠伝』(松田朱夏&富沢義彦 白泉社招き猫文庫) Amazon
ジロキチ 新説鼠伝 (招き猫文庫 と 2-1)

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2015.07.09

たかぎ七彦『アンゴルモア 元寇合戦記』第2巻・第3巻 敵を破る痛快さと蹂躙される悲惨さと

 蒙古の九州襲来――文永の役を独自の視点から描いた『アンゴルモア 元寇合戦記』の続巻であります。第1巻では主人公サイドの紹介と、いよいよ蒙古襲来、という辺りがメインとなりましたが、いよいよ第2巻からは蒙古軍との死闘が本格的に始まることとなります。

 第1巻の発売時にあれだけテンションを上げたにもかかわらず、第2巻発売時から何となく紹介のタイミングを逃し、第3巻が刊行されたのはお恥ずかしい限りですが、今回2巻まとめて紹介いたしましょう。

 流人として対馬に流されてきた元御家人の朽井迅三郎。しかし対馬は蒙古軍の襲来目前、是も非もなく戦いに巻き込まれた迅三郎は、武運拙く討たれた対馬の地頭代・宗助国に替わり、助国の娘・輝日姫を支えて立つことに――

 という第1巻から続く2巻以降は、もうひたすら戦闘また戦闘の屍山血河。武装も兵力も圧倒的に上回る蒙古を相手に、寡兵であるどころか、避難民たちを抱えた迅三郎たちは如何に戦い、そして如何に逃げるか?
 と、寡兵かつ絶望的な状況で強大な敵に挑むというのは、ある意味軍事冒険ものの定番パターンの一つではありますが、しかし面白がるにはあまりにも深刻すぎるのがこの戦い。

 迅三郎の戦の潮目を読む目の確かさと奇策、そして類い希な武術の腕、さらに剽悍な流人たちの暴れっぷりも相まって、局所局所では痛快な勝利を収めるものの、しかし全体としては劣勢……いや、むしろ絶望的な状況に叩き込まれる、その緩急つけた物語展開はお見事と言うべきでしょう。

 その一方で、蒙古襲来に遡ること約250年前の外寇たる刀伊の入寇の際の防人たちの残党(!)・刀伊祓なる一団が第三勢力として登場、さらに彼らが奉じるのはなんと……という伝奇的展開もたまらない。
 高麗・女真・蒙古と一種の他民族部隊であった当時の蒙古軍を体現するように、様々な武器と戦略を持った敵軍・敵将が登場するのもまた、バトル漫画的盛り上がりをもたらしていると申せましょう。


 ……と、実に私好みの作品ではあるのですが、しかし第2巻発売の際に紹介できず、今まで引っ張ってしまったのは、上で軽く触れたように、エンターテイメントとするにはあまりに深刻すぎる題材に、こちらが考え込んでしまったためであります。

 これが、日本軍対蒙古軍の戦いのみであれば、それこそ拍手喝采で楽しく読むことができるでしょう。
 しかし本作で描かれるのは、そうした(ある意味実に日本的な)武将と武将の名誉を賭けた戦いとは一種無縁の潰し合いであり、そして何よりも、非戦闘民たちが巻き込まれていく点で――そしてそこに弱き者の哀しさ・醜さも表れる点で――なかなかにキツいものがあります。

 もちろんそれが戦争――それも(被)侵略戦争と言えばそれまでではありますが、寡兵で多勢を打ち砕く迅三郎たちの痛快な活躍と、蹂躙されていく人々の悲惨さにどう折り合いをつけたものか、個人的には悩んでいるところなのです。


 もちろんこれはこの時点までの勝手な印象、ここから先に、それを昇華した展開があるとも、作者の腕前を考えれば期待できましょう。
 それを楽しみに、次なる巻を待っているところであります。

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2015.07.08

『妖怪奇聞 異譚』からの2編 明治の文士と絵師の怪異譚

 少年画報社からコンビニコミックの妖怪漫画アンソロジー『妖怪奇聞 異譚』が発売されました。短編が22本と中編1本が収録された本書、大半が現代ものなのですが、中編は明治もの、そして短編に永尾まるの『ななし奇聞』新作があるのは見逃せません。というわけで今回はこの2編を取り上げましょう。

 その中編、『物見の文士 怪篇酒呑童子事件』(えす☆おう)は、明治初頭を舞台に、その著作の全てが現存しないと言われている怪奇幻想小説家・夜都木周平を狂言回しとした物語です。

 売れっ子ながら暢気で昼行灯の夜都木先生、締め切り間際になってもネタがなく呻吟していたところに舞い込んできたのは、巷を騒がす連続殺人事件。
 山の手界隈で、夜一人歩きしている者が次々と斬殺され、首を切り取られて持ち去られるというこの事件、死体の側には、自分は怨みから首を求める酒呑童子だ」というビラが残されていたことから、酒呑童子事件と呼ばれていたのでありました。

 これは良い題材と事件を嗅ぎ回り始めた夜都木先生ですが、鬼の仕業という巷間の噂に対して、彼は別の印象を抱くのですが――

 鬼の仕業か、はたまたその他のモノの仕業か。夜都木先生が「鬼」の在り方から事件の裏を察するのを、一つ一つの小さな要素の積み重ねから描くミステリ的趣向が面白い一方で、しかしさらにその奥に……という一ひねりもいい。

 最大の問題は東京に酒呑童子、という時点で違和感が大きすぎる点ですが……(事件の真相から考えればまあありといえばありなのかもしれませんが)
 夜都木先生のキャラクターも面白く、続編を読んでみたい作品ではあります。


 一方、久々登場の『ななし奇聞』は『妖怪 伍伴』のタイトル。
 そもそも『ななし奇聞』とは放浪の美男絵師・七篠晩鳥(ななしのばんとり)先生を狂言回しにした連作短編集。明治初期を舞台に、人ならざるものを見る力を持つ晩鳥先生が各地で出会った妖怪ちょっといい話を描くシリーズですが、今回はちょっと趣向の変わった番外編的味わいの一編(そもそも、晩鳥先生の名前も出てこないのですが)。

 許嫁に不幸のあった名家の青年。悲しみに沈む彼の心中にあるものは果たして……
 と、人の心の陰に潜むものを、出雲風土記の阿用郷の鬼の逸話を引いて描いた本作は、わずか10ページではありますが、ビジュアルといい展開といい、綺麗にまとまった掌編というほかありません。

 特にラスト2ページに描かれるモノは、恐ろしくもどこか美しく、そして民話めいた味わいすらあって――いつもよりも些か、いやかなり血腥い内容ではありますが、さすがにこの作者ならでは、という印象です。
(「伴侶」を指す「伍伴」をタイトルに持っていくのもまたいい)


 正直に申し上げて、個人的に短編ホラー定番のオチが苦手と言うこともあって苦手な部類に属することもあり、少々厳しく感じた本書ですが、この2編に出会えただけで、個人的には良かった……とは思います。
(もっとも、この2編も結末はそれに近いものはあるのですが)

 それぞれ文士と絵師が主人公、時代もほとんど同じ……というのに不思議な因縁を感じるのは、これはこちらの勝手な感慨ではありますが。


『妖怪奇聞 異譚』(少年画報社) Amazon
妖怪奇聞 異譚 (ドッキリコミック(ペーパーバックスタイル女性向けホラー廉価コンビニコミックス))


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2015.07.07

史間あかし『あやし絵刺繍幻燈譚』 時代の境目に生きる人々への救い

 先日ご紹介した『町医者風尹の謎解き診療録』の史間あかしが、同じ富士見L文庫から発表した明治もののファンタジーであります。文明開化――日本古来の文化芸術が忘れられがちな時代に、幼なじみが営む織物屋に勤める原画師の早苗と刺繍師の瑞穂の兄弟が、奇怪な事件に挑むことになります。

 早苗は物静かなお人好し、瑞穂は傲岸不遜な自信家と、正反対の性格ながら、共にそれぞれ優れた腕を持ち、肩を寄せ合って生きてきた二人。そんな二人が巻き込まれたのは、とある華族の屋敷に眠るという、呪われた刺繍にまつわる事件でありました。

 曰く付きの刺繍コレクターでもある上得意の子爵の依頼を受け、その孫娘の駒子とともに屋敷を訪れた二人を待っていたのは、もの狂いしたような奥方と、能面を被り、刺繍の前にから動こうとしないその息子・緋扇丸。
 心を閉ざした彼に共感し、その刺繍――安珍と清姫、すなわち『道成寺』を描いたと思しい刺繍を修復することで彼の心を解き放てるのではないかと早苗は考えるのですが……実は瑞穂には大きな秘密がありました。

 古代から連綿と受け継がれてきた、刺繍したものに魂を宿し、具現化させるという秘術――瑞穂はその現代の伝承者だったのであります。
 その特異な力ゆえ、時に周囲から忌避され、時に権力者たちに利用されてきた秘術の伝承者たち。これまでただ一度の例外を除き、決してその技を使うことはなかったのでした。

 それでも決意を固め、早苗が原画を、瑞穂が刺繍をした清姫がうみだされた時、事態は思わぬ方向に展開していくことに……


 衣服に、装飾品に、我々の生活の中で、ごく普通に目にする刺繍。しかし芸術品としての刺繍には、普通の生活ではなかなかお目にかかれない――というより、芸術品としての存在を知らないことすらあり得る――のではないでしょうか。

 本作は、そんな身近なようでいて知らないことも多い刺繍を中心に据えた作品。芸術もの、職人ものは数あれど、刺繍職人を主人公とした、それもファンタジー要素の強い作品は、珍しいのではないでしょうか。
(ちなみに、作中でも言及されているように、子供の衣服に縫い込む背守りなど、ある種の呪力を持つと考えられていた刺繍は、ファンタジーとは相性が良いと言えるかもしれません)

 もちろん、本作はもの珍しさのみを売りにしている作品ではありません。人に取り憑くという奇怪な刺繍の謎を縦糸に、瑞穂が受け継ぐ伝説の秘術の存在を横糸に――
 複雑に絡み合った中から浮かび上がるのは、文明開化の明治という、ある意味時代の境目に生きる人々の、満たされぬ想いであります。

 早苗が、瑞穂が、駒子が、緋扇丸が、子爵が……本作の登場人物たちが抱えるのは、過去の悔恨、未来の不安といった想い。
 もちろんそれぞれがそれぞれの形で抱えるそれは、江戸という過去を否定し、明治という未だ定まらぬ未来に向かおうとする者たち特有の――それでいて、現代の我々にもどこか馴染み深い――想いなのです。

 そして、早苗が描き、瑞穂が縫う刺繍がもたらすものは、その想いへの救済。新しい時代の苦悩から人々を救い出すのが、数々の時代を重ねてきた伝来の技が生み出す美というのは、なかなかに象徴的ではありますまいか?


 あえて申し上げれば、後半のどんでん返しが、いささか唐突に感じられた――○○という以外、共通点が存在しないように見えてしまうのが残念――きらいはあります。

 しかし、刺繍という珍しい題材を扱いつつ、その存在を過不足なく語り(いささか盛り込み過ぎの感があった前作からの変化は大きいと感じます)、ステロタイプに終わらない様々なキャラクターを描いてみせたのは、大いに評価されるべきでありましょう。

 江戸の町医者に明治の刺繍職人――はたして作者が次に描くのは誰か、今から楽しみになるではありませんか。


『あやし絵刺繍幻燈譚』(史間あかし 富士見L文庫) Amazon
あやし絵刺繍幻燈譚 (富士見L文庫)


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2015.07.06

真保裕一『レオナルドの扉』 冒険活劇の向こうの人の強さと弱さ

 真保裕一が小説家デビューの前にアニメーション業界にいたことは、それなりに知られているかと思います。本作は作者がその時代から構想を温めていたという物語、19世紀のイタリアとフランスを舞台に、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが残したノートを巡って繰り広げられる大冒険活劇であります。

 舞台となるのはナポレオン一世の時代、主人公はイタリアの田舎で祖父と二人暮らす時計職人の少年・ジャン。
 親友で村長の息子ニッコロとともに、暇さえあれば発明に明け暮れていた彼の運命は、村に突然バレル大佐率いるフランス軍が侵攻してきたことから大きく動いていくこととなります。

 フランス軍が探していたのは、ジャンが幼い頃に姿を消した父。ダ・ヴィンチが残したノートを探し求めるナポレオンの命を受けたバレルは、その在処を知るというジャンの父を捜していたのであります。

 謎の修道女・ビアンカの助けもあり、その場は逃れることができたジャンと祖父。しかし自分とダ・ヴィンチの因縁を知ったジャンは、恐るべき兵器のアイディアが記されているというノートを悪用されることを防ぐため、誰よりも早くノートを手に入れることを決意します。
 かくて、わずかな手がかりとともに、ニッコロと二人旅立つジャン。しかしその後をバレル率いるフランス軍が執拗に追い、そしてビアンカたちも怪しげな動きを……


 というわけで、本作はある意味歴史冒険小説の王道中の王道を行く作品であります。
 フランス革命から第一帝政に至るまでの時代は、ヨーロッパを舞台とした歴史冒険ものの定番の舞台の一つでありますし、そして物語のキーとなるノートを遺したレオナルド・ダ・ヴィンチも、近年の歴史ミステリのこれまた定番の人物でありましょう。

 そんな時代と題材を用いた本作は、謎解きもアクションも大盛りの、正しい少年少女のための冒険活劇といった印象があります。

 どこまでも心正しく才知に富んだ少年主人公が、ある日突然苦難と危険のただ中に放り込まれつつも、決して希望を失わず、仲間たちとともに冒険を繰り広げる――
 誰もが一度は胸躍らせ、一度は夢見たであろう冒険活劇の世界が、ここにはあります。

 何しろ舞台の方も、イタリアの片田舎から始まり、目まぐるしく変転。フィレンツェからパリはルーブル美術館、さらには絶海の孤島まで、陸に、海に、空に(!)展開していくのですから息つく間もない。
 ことにラストの大決戦は、この時代を舞台にここまでやるかの大盤振る舞いで(ダ・ヴィンチ凄すぎ、という印象はどうしてもありますが)、最後の最後までたっぷりと楽しませていただきました。


 しかし、こうした冒険活劇の楽しさに加えて、印象に残るものがあります。それは登場人物それぞれが抱えた陰影――言い換えれば、登場人物それぞれが、それぞれの人生を背負っており、単純に善と悪で割り切れないものを抱えているという点であります。

 その最たるものが、物語の最初から最後間で、因縁の宿敵としてジャンの前に立ちふさがるフランス軍人・バレルでありましょう。
 自分の任務、自分の地位のためであれば、平然と他者を踏みつけにし、ジャンら子供たちに銃を向けることも躊躇わないバレル。
 そうした点だけを見れば、いかにもな冒険ものの悪役でありますが、しかし下級貴族出身の彼は、革命の動乱の中を生き抜き、今も家族一族の身を案じる一面を持つ人物として描かれます。

 もちろん、だからといって彼の悪行が許されるわけではありませんが――しかし、彼のそうした側面を見れば、そこに彼なりの戦う理由と、強さ弱さを感じ取ることができます。

 そう、本作の冒険の向こう側に透けて見えるのは、そんな人間の強さと弱さ――だれもが革命以降の激動の時代を必死に生き抜こうとする、大げさにいえばその極限の中で生まれる一種の人間性が、本作の巧みな隠し味として生きていると言えます。
(本作においては絶対的な悪役の位置にあるナポレオンもまた、彼なりの戦う理由を持っているのですから……)

 もっともその辺りがあくまでも隠し味となっているのは好みが分かれる点で、味付けが薄い、食い足りないと感じる人もいるであろうとは思いますが……

 しかし、理屈抜きの大活劇の中に理屈をそっと忍ばせてみせる本作のあり方は、私の好むところであり、本作ならではの魅力と感じるのです。


『レオナルドの扉』(真保裕一 角川書店) Amazon
レオナルドの扉

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2015.07.05

やまあき道屯『明治骨董奇譚 ゆめじい』第3巻 怪異の背後にあったものは

 明治時代の今日を舞台に、博覧強記にして物に込められた念を感じる不思議な力を持ち――そして阿漕な骨董品店主・ゆめじいを主人公とした連作シリーズの最終巻であります。今回も様々な品物、様々な想いが描かれる中で、長きにわたり描かれてきた因縁にも、一つの終止符が打たれることになります。

 第2巻の後半で描かれた、己のために他者の命を奪うことを罪とも思わぬ若き華族・観世と、彼に兄の命を奪われ復讐の魔と化した少女・千代の戦い。観世が操る霊能少年の存在も絡み、思わぬ方向に物語はスケールアップしていき、果たして本作はどこに向かってしまうのか……
 と心配していたのですが、その懸念はこの巻の冒頭であっさり払拭され、最終話を除いては、文字通りの通常営業といった趣の物語となります。

 すなわち、人の強い想いが込められた品物が引き起こす怪事を、ゆめじいが(一儲けを企みつつ)解決していく――時に恐ろしく、時にもの悲しく、時に可笑しい、そんな短編の数々が、この巻では描かれていくのであります。

 竈に取り憑いた食通の幽霊との博識合戦「竈幽霊」、不思議なため息の怪が京に蔓延していく「嘆きの生霊」、不幸な運命から裏街道に踏み込んだ少年が人生のやり直しを選んだ果てを描く「蛇飯」、夏の盛りに凍り付いた川の怪に対するゆめじいの奇計「凍てつく川」、人をミイラにする奇怪な木に込められた怨念と愛情を描く「希う音色」、姿を消した人形遣いを追う浄瑠璃人形という怪事が思わぬ方向に転がっていく「浄瑠璃人形」、エジプトに向かったゆめじいが、とんでもない相手の霊魂と謎々勝負を繰り広げる「異郷奇譚」……

 いずれも本作らしい一ひねりも二ひねりもあるエピソード揃いですが、今回特に印象に残るのは「浄瑠璃人形」。
 二代目襲名を前に突然出奔した人形遣いの青年を追って、夜ごと浄瑠璃人形が人々を襲うという事件から始まり、一座の頭取や青年の師匠に頼まれて青年の行方を捜すゆめじいが知った彼の隠された事情とは……

 という本作、怪奇ムード濃厚な冒頭から、愚かしくもいじましい青年の想い(何故彼が今この時に姿を消したのか、という理由に感嘆)や、不器用な師弟愛が描かれた上に、最後の最後に何と! というどんでん返しが――
 と、目まぐるしくも一つ一つの要素がきっちりと結びつきあって一つの美しい物語を作り出しているのが実に良いのであります。

 オチは美しすぎるかもしれませんが、男の愚かさを包み込んでしまう女の愛情という一種普遍的なシチュエーションを、何とも小粋でどこかすっとぼけた味わいに仕立て上げているのは、本作ならではでしょう。この巻、いや本作随一の名品とかと思います。
(その一方で、続く「異郷奇譚」はとんでもない怪作なのも楽しい)


 そして最終話に描かれるのは、再びの観世との対決。おぞましい悪事を重ねる観世の前に現れた者は、そして彼の隠された過去とは……その果てに、物語は意外な結末を迎えることとなります。

 人の負の側面をも容赦なく描いてきた本作においても、良心の完全に欠落した極めつきの邪悪と言うべき観世。その彼が――そしてもう一人、彼と深い因縁を持つ人物が――最後に一種の人間性を見せるという展開は、ある意味定番のものと感じられるかもしれません。
 しかしそれこそは、本作を通じて描かれてきたもの――人間の想いの強さ、怖さ、美しさを象徴するものであります。

 どれほど恐るべき事件であっても、奇怪な怪奇現象であっても、その背後にあるのは化け物などではなく、人間の存在である……
 それはひどく恐ろしく悲しいことであると同時に、一方でどこか心安まるものでありましょう。

 人間である限り、どこかで想いを通じ合わせることができる――というのは楽観的に過ぎるとしても、少なくともその想いを理解することはできるかもしれないのですから。


 と、そんな美しい物語の狂言回しとしてはあまりにも俗っぽく、そして阿漕なゆめじいですが、それもまた人間の姿であり、どんな想いを前にしても変わらぬ彼の姿あってこその本作であることは言うまでもありません。
 本作はここで幕となりますが、人が人である限り、人の想いも絶えないものであることは言うまでもありません。
 だとすれば、いつかまたゆめじいに出会えるかもしれない……そんな想像するのも許されましょう。


『明治骨董奇譚 ゆめじい』第3巻(やまあき道屯 小学館ビッグコミックススペシャル) Amazon
明治骨董奇譚 ゆめじい 3 (ビッグコミックススペシャル)


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2015.07.04

高井忍『柳生十兵衛秘剣考 水月之抄』(その二) 二重の意味の剣豪ミステリ

 若き日の柳生十兵衛と男装の女武芸者・毛利玄達――腐れ縁の二人が、剣豪・秘剣にまつわる数々の謎に挑むシリーズ第二弾『柳生十兵衛秘剣考 水月之抄』の紹介その二であります。残るエピソードは一つ、そこに登場するのは正真正銘の魔剣であります。

 そして最後のエピソードは『二階堂流“心の一方”』。前作に登場した深甚流“水鏡”に並ぶ、文字通りの魔剣――細川家に仕えた松山主水が操ったという、相手に触れることなく吹き飛ばし、動きを封じるという秘剣であります。

 その秘剣を目の当たりにした玄達は、かねてより存じ寄りの千姫の依頼で、心の一方の秘密が存在するという鎌倉に向かうこととなります。
 そこで十兵衛と出会った玄達は、鎌倉で多数の信者を抱える女祈祷師の存在を知るのですが、彼女と心の一方には意外な結びつきが……

 と、剣豪ミステリというよりは伝奇ミステリと言いたくなるような意外な展開を見せる本作。心の一方とあの○○○を組み合わせるのは、私の知る限りでは本作が初めてではないかと思いますが、そのとてつもないアイディアが、しかし丹念に史実を積み重ねていくことによって、説得力あるものとして提示されるのはさすがでありましょう。

 しかし、本作で真に感心させられるのは、玄達が解き明かす松山主水の「正体」であります。
 確かにその時代に存在したにもかかわらず、全くいないものとして扱われてきた人々。それは、後世の我々だからこそ陥る一種の錯覚ではありますが、しかし当時の社会構造によるものであったことは間違いありません。

 そんな人々の存在に辿り着くのが玄達であり、そして舞台となった場所も含めて、本作の周到さに舌を巻いた次第です。


 というわけではなはだ駆け足でありますが紹介させていただいた本作の全三話。
 いずれの作品も、ミステリでは定番のトリックを巧みに翻案して剣豪ものの世界に当てはめてみせるという、まさしく剣豪ミステリの快作ですが、しかしそれにとどまらないものを本作は持っていると感じます。

 ミステリの「隠された謎を解く」という構造。それは同時に、その謎に関わった人々の心の中に隠された真実を見つけ出すという行為に重なるものであります。
 そして本作で浮かび上がる「真実」の多くは、江戸時代初期という舞台特有の、剣豪という人々特有のものなのであります。

 剣豪にまつわる謎を解くミステリであるだけでなく、剣豪の心の中の真実を描き出すミステリ――本作は、二重の意味で剣豪ミステリとも言うべき見事な作品集であります。
(その意味では、ミステリファン以上に剣豪ファン、時代小説ファンにおすすめできる作品であるかもしれません)

 第三弾を今から期待している次第です。


『柳生十兵衛秘剣考 水月之抄』(高井忍 創元推理文庫) Amazon
柳生十兵衛秘剣考 水月之抄 (創元推理文庫)


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2015.07.03

高井忍『柳生十兵衛秘剣考 水月之抄』(その一) 剣術無惨の根源に

 柳生新陰流の麒麟児・柳生十兵衛と、手裏剣の達人・毛利玄達が諸国を巡る中、剣豪たちの様々な逸話・秘伝に秘められた真実を突き止める短編連作『柳生十兵衛秘剣考』、待望の第二弾であります。今回二人が挑むのは三つの流派にまつわる謎の数々。いずれも剣豪ファン垂涎の物語であります。

 いかなる理由か、お役目を解かれて今は気楽な廻国の旅の柳生十兵衛。そんな彼とかつて立ち会い、これまでもしばしば十兵衛と旅を共にした女武芸者・毛利玄達。
 そんな腐れ縁とも言うべきおかしな二人が、今回も探偵役となります。

 最初の作品『一刀流“夢想剣”』で描かれるのは、兵法史上最も有名かつ重要なものの一つであろう、伊東一刀斎の道統を継ぐ二人――大峰の善鬼と神子上典膳、後の小野次郎右衛門の決闘。
 この決闘に勝ち残り、一刀流を継いだ次郎右衛門が亡くなり、幼少期に因縁のあった十兵衛が、彼の墓参りに出かけたことから、思わぬ真実を知ることとなります。

 さて、二人を争わせた伊東一刀斎という剣豪は、その盛名にも関わらず、謎多い人物でもあります。如何にも剣豪的な逸話には事欠かないものの、その出自はおろか、晩年のことも――その最期も含めて――知られていないのは明らかに不審というべきでしょう。
 二人の決闘を通じて本作で語られるのは、まさにその一刀斎にまつわる謎なのです。

 なぜ一刀斎は消えたのか――ここで扱われるのは、ミステリ的には基本中の基本とも言うべき一種のトリック。しかし剣術の伝授、相伝という世界においては、それがむしろ当然とも思わされてしまうのが心憎い。
 そしてそれが次郎右衛門にもたらしたものを思えば、何とも切ない後味が残ります。


 第二話『新陰流“水月”』は、タイトルこそ新陰流ですが、中心となるのは一羽流と微塵流の血で血を洗う闘争の物語であります。
 病に伏した師・諸岡一羽を捨て、一人江戸に出た根岸兎角。その没義道な行いに憤った同門の岩間小熊は衆人の前での決闘で兎角を破ったものの、後に風呂に入っている際に兎角の門人たちに討たれ……
 血で血を洗う、無惨一羽流とも言うべき逸話ですが、命を狙われた兎角のかつての門人の孫を救ったことがきっかけで、十兵衛と玄達は思わぬ謎の存在を知ることとなります。
 上記のとおり、風呂で命を落とした小熊。しかしその風呂は完全に閉ざされた空間であり、そこには下手人の姿もなければ凶器の存在もなかったというのです。

 閉ざされた風呂の中で、誰が、どうやって小熊を殺したのか――そう、本作で描かれるのは密室トリックなのであります。
 まさかこのエピソードから密室ものが、と作者の着眼点に驚かされますが、しかし真に驚くべきものは、ハウダニットの先にある、ホワイダニットの中身でしょう。

 なぜ小熊は死ななければならなかったのか……そこに秘められたものは、剣術というものが本質的に持つ残酷さだけでなく、その根源にある、人間という存在が秘める負の部分。果たして本当の勝者は誰なのか、「水月」を喩える十兵衛の言葉が印象に残ります。


 残る一話は、長くなりますので次回紹介いたします。


『柳生十兵衛秘剣考 水月之抄』(高井忍 創元推理文庫) Amazon
柳生十兵衛秘剣考 水月之抄 (創元推理文庫)


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2015.07.02

出店宇生『アインシュタイン1904』 魔法を打ち破るこの世の「法則」

 日露戦争で猛威を振るうロシアの死なない兵隊の謎を追う明石元二郎がスイスで出会った自称天才科学者・アインシュタイン。生きる死体の謎を忽ち解き明かしたアインシュタインと行動を共にすることとなった元二郎だが、その前に次々と奇怪な魔法を操る敵が出現する。科学と魔法の対決の行方は……?

 私もこれまで色々な伝奇ものを読んできましたが、ちょっと本作の組み合わせはお目にかかったことはありません。
 日露戦争中に対露工作活動に従事した明石元二郎大佐……は、さまで珍しくはないとしてその相棒が、あのアルバート・アインシュタイン! 言うまでもなく、相対性理論のあのアインシュタインであります。

 あまりにも意外な組み合わせですが、しかし、タイトルにある「1904」――すなわち1904年においては、二人とも同じスイスに滞在していました。
 アインシュタインにとって1904年は、翌年に「特殊相対性理論」をはじめとする数々の論文を発表することとなる直前の年。そして明石にとっては、レーニンと会談し、後の革命成功に筋道をつけて、日露戦争に多大な貢献を為したと言われる年……

 そんな1904年に二人が出会い、こともあろうに奇怪な魔術を操る一団と戦っていたというのですから、大いに心惹かれるではありませんか。

 しかもその魔術師たちを率いるのは、明石の宿敵(……は別の作品ですが)ラスプーチン。
 そのラスプーチンらが操るゾンビに吸血鬼、古怪な魔術の数々との激闘が繰り広げられる中、物語は英国に移り、00ナンバーを持つスパイ(のモデルになった人物)や、こともあろうに悪役として○○○・○○○までも登場、いやはや、こちらの好みをピンポイントで突かれた思いです。


 しかし題材以上に嬉しいのは、本作におけるアインシュタインの立ち位置――言い換えれば、科学と魔法の関係であります。

 本作における魔法とは、(科学者と魔術師が対立する作品にはままあるように)トリックなどではなく、歴とした超自然的な力を操る術。真っ向からぶつかれば、科学には――アインシュタインには――分の悪い勝負とならざるを得ません。

 しかし、その力は、その力の源は超自然のものであったとしても、その力が引き起こした現象は、あくまでもこの世の法に――すなわち物理法則に従う、というのが本作のスタイル。
 そして本作のアインシュタインは、まさにこの「法則」をもって、奇怪な魔術の数々と激突し、打ち破っていくのであります。

 正面からのぶつかり合いでは攻略不可能な敵を相手に、一定のルールの下で発揮される知恵と機転で逆転するというのはバトルものの醍醐味の一つですが、本作でアインシュタインが見せるのはまさにそれ。
 魔法に対する科学の勝利を、ある種そのロジカルな根源の部分で描いて見せたのには感服いたします。
(そしてもちろん、彼をサポートし、その理論を実践に移してみせる明石の存在もまた、不可欠なのであります)


 ……と言いつつも、後半に行くにつれ、アインシュタインもほとんど魔法使いとなってしまったように見えてしまうのはいささか残念なところではありますし、敵対する魔術師の術が、いかにもゲーム的なものに見えてしまうのも、引っかからないわけではありません(後者は、科学との対比で敢えてそう描いているのだと思いますが)。

 残念ながらラストは「俺たちの戦いはこれからだ!」でありますし、登場する固有名詞に、どこかで見たものが混じっているのもちょっと……で、手放しで大傑作というのは躊躇うところではあります。

 しかし――やはり、この作品ならではのもの、この作品でなくては描けないものを見せてくれたという点では、本作は、唯一無二の快作というべきでしょう。。
 「神はサイコロなど振らんよ」という言葉を、これだけ格好良く使ってみせる作品は、空前絶後でありましょうから……


『アインシュタイン1904』(出店宇生&大井昌和 白泉社ジェッツコミックス 全2巻) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon
アインシュタイン1904 1 (ジェッツコミックス)アインシュタイン1904 2 (ジェッツコミックス)

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2015.07.01

にわのまこと『鬼界の里 真説「ザ・モモタロウ」』 もう一つのどんでん返しに繋がる世界

 ここしばらく、ユニークな作家、作品の登場が続く『コミック乱』誌ですが、8月号に掲載されたのはさすがに予想だにしていなかった作品。かつて少年ジャンプで人気を博した『ザ・モモタロウ』の外伝とも言うべき時代ホラー『鬼界の里 真説「ザ・モモタロウ」』であります。

 戦乱の時代、旅を続けるシズクとジンの姉弟。ジンが赤ん坊の頃に野武士に両親は殺され、シズクも右腕を失って支え合いながら流浪してきた二人がたどり着いたのは、異様な雰囲気が漂う村でありました。
 そこで曰くありげな老人と出会った二人は、勧められるままに老人の家を訪れるのですが、そこで二人を待ち受けていたものとは……


 桃太郎をはじめ、おとぎ話の主人公たちが現代にプロレスのリングで大暴れするコミカルな格闘漫画だった『ザ・モモタロウ』。
 その前史とも言うべき本作が掲載されると聞いた時、果たしてどのような作品になるか全く想像もつかなかったのですが、蓋を開けてみれば、本作のジャンルはいわば時代伝奇ホラーでありました。

 人の血が数多流される時代、鬼伝説を背景とした本作の展開は、ヒロインの設定を見ればある程度先の展開の予想はつかなくもありません。
 しかし作品全体を覆う陰鬱なムードが(ちなみにコミカルな作品も多い作者ですが、暗さやウェットな部分を感じさせる作品も、元々巧みであります)上手く働いてミスリーディングに繋げ、どんでん返しに繋げていくのがなかなか面白い。

 そして何より、全くムードが違う内容に、名前だけ借りた別ものかと思わせておいて、ある一点でもって一気に『ザ・モモタロウ』前史として世界観を繋げてみせるのは、ファンとしては何ともたまらぬもう一つのどんでん返しでありました。
 なるほど、この後にアイツと因縁が生じたり、この後にアイツと戦うこととなるのか……などと想像するのも楽しい作品でありました。


 ちなみに、冒頭でも触れましたが、ここしばらくは時代劇画プロパーというわけではない作家の登板が多いのが面白いところ。
 今回のにわのまことのほか、連載陣でも、宮川輝、高枝景水、高浜寛、山崎浩、海野螢と、こうして並べてみるとちょっと時代劇画誌とは――もちろん良い意味で!――思えない顔ぶれで、私のような人間にとっては何とも嬉しくなってしまうのであります。


『鬼界の里 真説「ザ・モモタロウ」』(にわのまこと リイド社『コミック乱』2015年8月号掲載) Amazon
コミック乱 2015年8月号 [雑誌]

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