あさのあつこ『闇に咲く おいち不思議がたり』 二つの事件と主人公の存在感
不思議な力を持ち、江戸深川の長屋で医師の父を手伝うヒロイン・おいちの奮闘を描く『おいち不思議語り』シリーズの第三弾であります。今回、おいちが関わることとなったのは、亡き姉の霊に怯える商家の若旦那からの相談と、連続夜鷹殺し。果たしてこの二つの事件の陰にあるものは……
医は仁術なりを地で行くような父・松庵を助け、今日も忙しく働くおいち。そんな彼女には、生まれつき、この世ならざるものの姿を見、声を聞くことができる能力がありました。
これまで、この能力でもって怪我人・病人の存在を察知し、そして亡くなった人の声を聞くことで様々な事件の解決を助けてきたおいちですが、今回彼女の前に現れたのは、女性のような美形ながら、おいちに血の臭いを感じさせる青年・庄之助。
深川でも知られた商家・いさご屋の若旦那だという彼は、自分には幼くして亡くなった双子の姉・お京が取り憑いていると語るのでした。
父親をはじめとする一族からネグレクトされ、苦しみのうちに亡くなったお京。そのことを恨む彼女は庄之助の内に潜み、ついに先日、庄之助を操って祖父を殺めてしまったというのです。
今にも壊れそうな彼の心を案じたおいちは、自らいさご屋に入り込むことを決意するのでした。
そしてその一方で深川を騒がすのは、夜鷹たちが、腹を縦一文字に深く裂かれて殺されるという連続殺人事件。おいちや松庵とは顔なじみの岡っ引・仙五朗は、必死にこの下手人を追うのですが――
なんと、その庄之助は、その下手人も自分であると信じ込んでいたのです。
これまでも重い事件に挑んできたおいち。しかし本作で描かれる事件は、ある意味これまでで最も重く、暗いものと言ってもよいでしょう。
言うまでもなく、本作の中心となる人物は庄之助。果たして本当に彼は憑かれているのか、はたまた気の病なのか。仮にそして何よりも、一連の殺人の下手人は彼なのか……
そうしたミステリ的な興味もさることながら、彼の背負ってきたもの――いさご屋の中に蟠る闇と、そして何よりもお京の存在は、おいちなればこそ感じ取ることができる、すなわち、本作ならではの物語でありましょう。
そしてまた、ある程度ミステリを読んでいる人間であれば、おそらく真相はこのどちらかだろうな……と思うであろう中で、シチュエーション的にまずなさそうな方を突いてくる終盤の展開など、もちろんミステリとしても本作は充分に魅力的であります。
ただし、その一方で物足りない印象も残ったのは、本作におけるおいちの存在感が薄く感じられるためでありましょう。
確かに、上で述べたとおり、本作の物語はおいちの存在あってのものでありましょう。
しかし、本シリーズの背骨である、おいちの成長物語と、本作の物語とのリンクが薄いという印象が――いささか極端な言い方をしてしまえば、本作は庄之助の物語であって、おいちの物語ではないという印象すらあります。
これまで、幾度となく高い壁にぶつかりながらも、そのたびに自分の道を選び、前に進んできたおいち。
本作においては、彼女は探偵役ではあったものの、一種の傍観者に留まっているのであり、これまでのシリーズで描かれてきたような、彼女自身の生に関する悩みと成長の点では物足りないものがあった、感じるのです。
時代ミステリとしてみればなかなかに楽しめる作品であるだけに、その点は勿体なく感じてしまったところであります。
『闇に咲く おいち不思議がたり』(あさのあつこ PHP研究所) Amazon
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