木下昌輝『人魚ノ肉』 人魚が誘う新撰組地獄変
あまりに完成度の高いデビュー作『宇喜多の捨て嫁』で歴史・時代小説ファンを驚かせた木下昌輝の第二作は、真っ正面からの時代伝奇ホラー。その肉を喰らったものは不死となるという人魚伝説と、あの新撰組を組み合わせ、まったく新しい怪異の世界を描き出してみせた連作短編集であります。
今日の近江屋で語り合ううちに、少年時代の出来事を思い出す坂本竜馬と中岡慎太郎。彼ら二人と岡田以蔵は、かつて浜であたかも生きているかのような人魚の死体を見つけ、以蔵と竜馬はその血肉を喰らったのでした。
しかし不死になることもなく以蔵は刑死、竜馬の身にも特段異変も起きぬままだったのですが――その時までは。
と、冒頭から意外かつ奇怪・不穏な物語を描いて始まる本作。なるほど、土佐須崎は人魚を食べて不老不死となったという八百比丘尼伝説の地ですが、そこにまさか竜馬と以蔵を絡めるとは、と唸りたくなるのですが、これはまだまだ序の口であります。
これから先、時を前後しつつ、複雑に結びつきあって展開する形で語られるのは、その人魚の肉を喰らった新撰組隊士たちを襲った怪異――不死どころか、異能・異形の者に変じた彼らが辿る数奇な運命の物語なのですから。
新撰組を題材としたホラーは、メディアを問わず少なからざる数存在します。また、人魚の肉を喰らった者が異形に変じると言えば、高橋留美子の名作『人魚』シリーズが浮かびます。
その意味では、本作の趣向は、さまで珍しいものに見えないかもしれません。
しかし、いざ個々の作品に触れてみれば、それがとんでもない誤りであることがすぐにわかります。それは、本作に収録された以下の8編の内容を見れば明らかでしょう。
近江屋で斬られた竜馬が辿り着いた不死の形『竜馬ノ夢』
隻眼の平山五郎の体に生まれた新たな眼に映った未来『妖ノ眼』
吸血衝動に取り憑かれた沖田総司の恐怖と煩悶、そして救済『肉ノ人』
ある目的に人魚の血を用いんとした安藤早太郎が辿る皮肉な運命『血ノ祭』
不死身と呼ばれた佐野七五三之助を襲ったおぞましき運命『不死ノ屍』
親友の介錯に失敗した沼尻小文吾が思わぬ形で再び介錯に挑む『骸ノ切腹』
次々と現れる自分自身と刀を交えることに取り憑かれた斎藤一『分身ノ鬼』
そして処刑された以蔵の首と人魚の真実を描く『首ノ物語』
百目鬼、吸血鬼、生ける屍、禁断の儀式、首なし騎士、ドッペルゲンガー……いやはや、ある意味お馴染みの存在である人魚伝説に油断したこちらのガードをかいくぐって放たれるブロウの数々は、(自分で言うのも恐縮ですが)それなりに伝奇ホラーを読んできた身にとっても、恐るべきインパクトでありました。
しかも心憎いのは、とんでもない内容を描きつつも、それを支えるのはあくまでも史実(とされる逸話)という題材のチョイスであり、そしてふとした中にもその心中を窺わせる人物描写であり、そして前後のエピソードを巧みに結びつけることで、さらに巨大な物語の存在を浮かび上がらせる構成の妙である点でしょう。
決して鬼面で驚かせるだけでない新人離れした筆の冴えは、前作の完成度に匹敵するものがあります。
しかし――私が本作に強く惹かれるのは、こうした文字の間から血臭が漂ってくるような、魑魅魍魎跋扈する地獄変の中においてなお、そこにさらりと、人間の強さ、善性を描いてくる点であります。
新撰組史を語る上で外せないあの悲劇が、魔に挑む人間の気高き行為として立ち上がる『肉ノ人』、あまりに無惨な友情の結末の、その先の奇蹟が描かれる『骸ノ切腹』等々……そこに描かれる怪異がどこまでもおぞましく、恐ろしいだけに一層、その中で小さな人の心の輝きが美しく感じられるのです。
もちろん、それはあくまでも例外と言うべきものかもしれません。物語の圧倒的多数で描かれるのは、人間の弱さ、醜さ、残酷さであり――ある意味本作における怪異をより巨大で、救いなきものとしているのは、そんな人間性の負の部分なのですから。
人間の姿と魔物の姿を合わせ持つ人魚。その存在の血肉は、あたかも人間の血肉を喰らうかのように幕末の京で刀を振るった新撰組と結びつくことで、人間の心の中の光と影を映し出しす――そう捉えることは、少々綺麗にまとめすぎかもしれませんが……
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