越水利江子『うばかわ姫』 真実の美しさを生み出すもの
類い希な美貌を持った娘・野朱は、東国に向かう旅の途中、夜盗に襲われる。ただ一人逃げる中、山中で老婆と出会い、言われるままに衣を取り替えて難を逃れた野朱。しかしその代償は美貌と若さだった。月に一度、望の月の日を除いて老婆と化す呪いを受け、絶望に沈む野朱の前に現れた者は……
昨年、『読楽』誌の一月号に掲載されて以来、続編を心待ちにしていた短編『うばかわ姫』が、続編を加えた一冊の連作長編として刊行されました。作者は越水利江子、児童向け時代ものの名手の、初の一般向け作品であります。
本作の舞台となるのは17世紀の初め、江戸に幕府が開かれた頃、そして主人公は、物心つかぬうちに両親を失い、京の商人の養子として育てられた娘・野朱。
東国の武家に見初められ、側室として輿入れする途中に鳰の海――琵琶湖近くで夜盗に襲われたことから、彼女の運命は一変することになります。
供を全員殺され、一人さまよう中で彼女が出会ったのは姥ヶ淵の姥なる妖しの老婆。ただ難を逃れたい一心で老婆の持つ「姥皮」をまとった野朱は、それまでの彼女とは似ても似つかぬ老婆に変じてしまうのでした。
姥皮の呪いが解けるのは、月にただ一度、望の月の晩に、姥ヶ淵の水を浴びた時のみ……
美しさも若さも、全てを失い、それでも死ぬに死ねぬままさまよう野朱。そんなある日、彼女は鳰の水軍の青年・豺狼丸と出会うのですが――
本作の推薦文で、あさのあつこが「21世紀の今昔物語」と評するように、本作は、どこか御伽話めいた――それも残酷で生々しい――手触りを持ちます。
もともと「姥皮」とは、身に着けると老女の姿になるという衣をまとうこととなった美女が、苦難の果てに理想の相手と出会い、それを脱いで幸せになる……という類の昔話に登場するアイテム。
言ってみればそれは一種のシンデレラストーリーなのですが、しかし本作はそうした物語とは似て非なる物語を描き出すこととなります。
何よりも、本作における姥皮とは一種の呪い。一度まとってしまえば自らの意思で脱ぐことは出来ず、老婆の姿のまま、生き続けなければなりません。それが女性――ことに、野朱のように、己の美しさと、それがもたらすものを当然のものと受け止めていた者にとって、どれほどの苦痛と悲哀をもたらすか、言うまでもありますまい。
果たして如何にすれば彼女の呪いは解けるのか? その点において、本作は一般的な昔話とは、全く異なる方向性を示します。
そう、呪いは誰かに解いてもらうのではなく、自分自身で解かなければならない。自らに生きようという強い意思が――若い娘にとっては絶望的な状況のただ中にあったとしても――芽生えた時、この呪いは解けるのであります
結末だけ見れば、やはりシンデレラストーリーに見えるかもしれません。しかしこの方向性を以て、本作は一種極めて現代的な物語を描いてみせるのであります。
それは、これまで作者が児童文学の中で描いてきた、アクティブな、フィジカルな意味で戦う少女(そして戦う女性は本作にも登場するのですが)たちの物語の系譜に属するものかもしれませんが――
しかし、フィジカルな力を持たぬ野朱の戦いは、またそれとは異なる形となるのであり……そしてそれこそが、本作を一般向けの作品としている点ではありますまいか。
形だけ見れば、甘いロマンスに見えるかもしれません。野朱たちの因縁物語も、その印象を強めるかもしれません。
しかし――民話めいた題材やロマンティックな、そしてファンタジー的な設定という皮(それ自体、私としては大歓迎なのですが)の下にあるのは、どこまでもシビアな現実の中でも確かに存在する、美しき人の心でありましょう。
美しさとは、一点の曇りも傷もないことから生まれるのではなく、曇りや傷を背負ってなお輝こうとする想いから生まれる――
本作は、そんな真実の美しさを描いた物語であります。
『うばかわ姫』(越水利江子 白泉社招き猫文庫) Amazon
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