真保裕一『レオナルドの扉』 冒険活劇の向こうの人の強さと弱さ
真保裕一が小説家デビューの前にアニメーション業界にいたことは、それなりに知られているかと思います。本作は作者がその時代から構想を温めていたという物語、19世紀のイタリアとフランスを舞台に、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが残したノートを巡って繰り広げられる大冒険活劇であります。
舞台となるのはナポレオン一世の時代、主人公はイタリアの田舎で祖父と二人暮らす時計職人の少年・ジャン。
親友で村長の息子ニッコロとともに、暇さえあれば発明に明け暮れていた彼の運命は、村に突然バレル大佐率いるフランス軍が侵攻してきたことから大きく動いていくこととなります。
フランス軍が探していたのは、ジャンが幼い頃に姿を消した父。ダ・ヴィンチが残したノートを探し求めるナポレオンの命を受けたバレルは、その在処を知るというジャンの父を捜していたのであります。
謎の修道女・ビアンカの助けもあり、その場は逃れることができたジャンと祖父。しかし自分とダ・ヴィンチの因縁を知ったジャンは、恐るべき兵器のアイディアが記されているというノートを悪用されることを防ぐため、誰よりも早くノートを手に入れることを決意します。
かくて、わずかな手がかりとともに、ニッコロと二人旅立つジャン。しかしその後をバレル率いるフランス軍が執拗に追い、そしてビアンカたちも怪しげな動きを……
というわけで、本作はある意味歴史冒険小説の王道中の王道を行く作品であります。
フランス革命から第一帝政に至るまでの時代は、ヨーロッパを舞台とした歴史冒険ものの定番の舞台の一つでありますし、そして物語のキーとなるノートを遺したレオナルド・ダ・ヴィンチも、近年の歴史ミステリのこれまた定番の人物でありましょう。
そんな時代と題材を用いた本作は、謎解きもアクションも大盛りの、正しい少年少女のための冒険活劇といった印象があります。
どこまでも心正しく才知に富んだ少年主人公が、ある日突然苦難と危険のただ中に放り込まれつつも、決して希望を失わず、仲間たちとともに冒険を繰り広げる――
誰もが一度は胸躍らせ、一度は夢見たであろう冒険活劇の世界が、ここにはあります。
何しろ舞台の方も、イタリアの片田舎から始まり、目まぐるしく変転。フィレンツェからパリはルーブル美術館、さらには絶海の孤島まで、陸に、海に、空に(!)展開していくのですから息つく間もない。
ことにラストの大決戦は、この時代を舞台にここまでやるかの大盤振る舞いで(ダ・ヴィンチ凄すぎ、という印象はどうしてもありますが)、最後の最後までたっぷりと楽しませていただきました。
しかし、こうした冒険活劇の楽しさに加えて、印象に残るものがあります。それは登場人物それぞれが抱えた陰影――言い換えれば、登場人物それぞれが、それぞれの人生を背負っており、単純に善と悪で割り切れないものを抱えているという点であります。
その最たるものが、物語の最初から最後間で、因縁の宿敵としてジャンの前に立ちふさがるフランス軍人・バレルでありましょう。
自分の任務、自分の地位のためであれば、平然と他者を踏みつけにし、ジャンら子供たちに銃を向けることも躊躇わないバレル。
そうした点だけを見れば、いかにもな冒険ものの悪役でありますが、しかし下級貴族出身の彼は、革命の動乱の中を生き抜き、今も家族一族の身を案じる一面を持つ人物として描かれます。
もちろん、だからといって彼の悪行が許されるわけではありませんが――しかし、彼のそうした側面を見れば、そこに彼なりの戦う理由と、強さ弱さを感じ取ることができます。
そう、本作の冒険の向こう側に透けて見えるのは、そんな人間の強さと弱さ――だれもが革命以降の激動の時代を必死に生き抜こうとする、大げさにいえばその極限の中で生まれる一種の人間性が、本作の巧みな隠し味として生きていると言えます。
(本作においては絶対的な悪役の位置にあるナポレオンもまた、彼なりの戦う理由を持っているのですから……)
もっともその辺りがあくまでも隠し味となっているのは好みが分かれる点で、味付けが薄い、食い足りないと感じる人もいるであろうとは思いますが……
しかし、理屈抜きの大活劇の中に理屈をそっと忍ばせてみせる本作のあり方は、私の好むところであり、本作ならではの魅力と感じるのです。
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