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2015.08.31

谷津矢車『からくり同心 景』 前代未聞のからくり同心登場!

 父の跡を継いで町方同心となった慎之介がある日出くわしたからくり人形。知人の発明家・変迅堂の修理で覚醒したそのからくり人形は、何故か慎之介を主と仰ぎ、その絶大な戦闘力で、襲いかかる謎の刺客を撃退するのだった。かくてコンビを組むこととなった慎之介とからくり人形「景」の活躍や如何!?

 谷津矢車といえば、『洛中洛外画狂伝』でデビューを飾り、その後も新鮮な歴史時代小説を発表している、期待の新星。
 もちろん私も新作を大いに楽しみにしている作家なのですが、どこか堅めの作品を書く方という印象を勝手に持っておりました。

 そんな作者が送る本作は、しかし、そんな印象を完膚なきまでに破壊してくれる快作。
 何しろ、江戸時代を舞台に、意志を持ったからくり人形、その名は景(けい)、からくり同心・景が悪のからくり人形を向こうに回して大活躍する、まさに私のような人間が大喜びするような作品なのです。

 父の跡を継いで町方同心になったものの、大きな活躍もできず、イヤミな上役にいじめられるばかりの富山慎之介。そんな彼がある日出会った(拾った)のは、人間と変わらぬ大きさと、得体の知れぬからくりを内蔵した青い異形のからくり人形でありました。

 その名の通りの変人発明家・変迅堂によってそのからくり人形が修理される中、彼らを襲う謎の刺客。
 やはりからくり人形であるその刺客に慎之介たちが追い詰められた時、ついにからくり人形が覚醒、慎之介を主と呼び、その命ずるままに強大な戦闘力を発揮して刺客を文字通り粉砕するのでした。

 この時代はおそろか、現代の水準すらはるかに上回るテクノロジーで製作され、自我は持つものの記憶を持たぬからくり人形。ただ中枢の部品に「景」と刻まれていたことから、景と呼ばれることとなったからくり人形は、なりゆきから慎之介に預けられることとなります。
 そして謎のからくりの跳梁に対し、各奉行所の枠を超えて設置されたいわば担当チームの一員に選ばれた慎之介。そしてそこに、驚くべきことに景も同心として加わるのでありました。

 かくて景――からくり同心を相棒に、慎之介の冒険が始まるのであります!


 というわけで、この世の闇に潜み、からくり人形を操って(たぶん)世界を悪に染める者に対し、地道な捜査と桁外れの火力で戦いを挑むからくり同心……というのは、どう考えてもあの作品の時代劇版でありましょう。 いざ敵のからくり人形との戦闘となれば、着ていた羽織を脱ぎ捨て、体中から内蔵火器を出現させた戦闘モードに移行するというくだりなど、ある意味外せない(?)要素ながら、こうくるかとニヤニヤさせられます。


 それにしても本作、こうした景の設定等を見れば、これまでの作者の作品からは大きく踏み出した印象は否めません。しかし、人物造形をはじめとして、地に足の着いた、そしてどこか爽やかさと良い意味での若さを感じさせる丁寧な描写は健在であります。

 時代ものの枠を外れるような存在が登場する物語を描く場合、その存在以外の物語そのものも、枠から外れた、はみ出したような書き方をすることは可能でしょうし、そのような作品は少なくありません。
 しかし本作は、からくり同心という規格外の存在を登場させつつも、時代もの――特に文庫書き下ろし時代小説として、その基本に忠実な作劇を、描写を積み重ねていきます。(もちろん、作品のトーンに合わせた硬軟の使い分けはあるにせよ)

 そもそも、捕物帖、特に本作の慎之介のような若手同心の成長ものというのは、文庫書き下ろし時代小説の王道の一つ。
 口うるさい上司や、ベテランの岡っ引き、町の人々や家族に囲まれ、市井の事件を手がける中、同心として、そして人間として少しずつ成長していく主人公……という物語のスタイルに、本作は意外なまでに忠実なのです。

 そして本作における景――人間の姿はしているけれども人間の心を(今は)持たない景は、まだ未熟な慎之介のある意味鏡像として、存在しているやに感じられます。
 まだまだ本作の時点では設定紹介の印象も強いのですが、おそらくはシリーズ化されるであろう(ぜひして欲しい!)本作。
 この先、景と敵軍団の派手な戦闘ともども、一人と一体の成長物語も期待したいのです。


『からくり同心 景』(谷津矢車 角川文庫) Amazon
からくり同心 景 (角川文庫)

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2015.08.30

高田崇史『鬼神伝 龍の巻』 鬼と人の戦いの先にあるもの

 平安時代にタイムスリップした少年を主人公に、鬼と人、鬼と仏の戦いと、その陰に隠された鬼たちの正体を描いた『鬼神伝』の第3弾であります。今回の物語は、時と場所を移し、北条時宗の治める鎌倉を舞台として、再び鬼と人の戦いが描かれることとなります。

 前作では中学生だったのが、高校生となったものの、相変わらず周囲とはなじめない日々を送る天童純。
 ある日学校行事で鎌倉は長谷寺を訪れた彼は、長谷寺の弁天窟で、平安時代の戦いで命を落とした水葉によく似た少女を見つけ、後を追うものの意識を失ってしまいます。

 一方、七百数十年前の鎌倉では、鬼と武士の戦いが激化の一途を辿っている状況。そんな中、鎌倉で刀鍛冶を目指す少年・王仁丸は、巨大な太刀を振るって武士たちを血祭りに挙げる鬼の少女や、幕府をも恐れぬ過激な説法を行う僧・日蓮と出会い、それなりに平穏だった日常が、大きく揺らいでいくこととなります。

 そんな中、鎌倉方によって、かつて都で純操る雄龍霊と激闘を繰り広げた帝釈天が復活、劣勢に追い込まれる鬼たちの前に、阿修羅を奉じてきたという梶原家の青年武士・貞成が現れます。
 鬼と手を組み、北条家に反旗を翻そうとする貞成の言葉を受け入れ、梶原家と共同戦線を張って、江ノ島の弁財天と五頭龍復活を目指す鬼たち。

 さらに勝利を確実なものとすべく、雄龍霊復活を望む鬼たちですが、しかしその主たる純がその姿を現さぬまま、ついに決戦の日を迎えることに……


 前作から300年ほどの時が流れ、権力者が貴族から武士に変わったものの、なおも続く鬼と人の戦い。前作で天外の激闘を繰り広げた帝釈天と阿修羅の戦いも再び繰り返され、歴史は繰り返す、という言葉そのままの展開とも思えるのですが……
 しかし前作までと大きく異なるのは、人間側の描写がより詳細になり――何よりも、様々な立場の人々の姿が描かれる点でしょう。

 前作はほとんど鬼に対する人――そしてほぼ貴族に等しかったのですが――のみが登場したのに対し、本作には武士以外の人々、すなわち王仁丸のような市井の人々や、権力者に組せず、むしろ激しく論難する日蓮のような人々が登場。
 鬼を受け入れるとまではいかないまでも、鬼と必ずしも敵対するわけではない人間の存在が示されます。

 そしてまた、武士の側も一枚板ではありません。北条家によって冷遇され――そして妾腹のため自分の家の中でも冷遇されている――鬼との同盟を望む梶原貞成の存在は、鬼と人間の間の関係の、新たな可能性を示すものとも感じられます。


 実のところ、私は前作までの本シリーズには、いささか厳しいことを書いてきました。
 人間側で登場するのが、鬼の敵たる権力者のみであること。鬼と人間の対立関係の描写が一面的であること。それゆえ主人公の苦悩が平板なものに見えてしまうこと……

 しかし本作においては、これらの点はほぼ解消されていると言ってよいでしょう。人間側の描写についてはすぐ上に述べたとおりですが、主人公たる純の存在も(途中である程度予想度つくものの)一ひねりが加えられておりますし、これまでのシリーズのように、鬼の敵を蹴散らしてひとまず終わり、ということにはなりません。

 そう、本作において純が望むのは、戦いのその先にあるものであります。そのために必要となるのは、敵の打倒ではなく理解――相手を理解し、そして何よりも鬼の存在を理解させること――なのであります。

 本作でその姿が十全に描かれたとは言い難いかもしれません(あるいはその架け橋となるかもしれなかった人物が途中退場したのは、その難しさの象徴かもしれません)。
 しかし、それでもまずは一歩を踏み出したことに、何よりも価値があると信じるべきでありましょう。ある意味ここに初めて、戦いを終わらせる可能性が示されたのですから……


 『鬼神伝』シリーズは、現在のところ五年前に初版が刊行された本作が最新作となっています。
 それは、本作において鬼と人の在り方に一つの希望が見いだされた故かもしれませんが――仮に続編が描かれるのであれば、その先の物語、その希望の先に生まれるものを見てみたいという気持ちがあります。


『鬼神伝 龍の巻』(高田崇史 講談社文庫) Amazon
鬼神伝 龍の巻 (講談社文庫)


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2015.08.29

『ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪』 仰天の武侠アクションミステリ怪獣映画!

 扶余国攻略に送られた唐水軍の大艦隊が、謎の「龍王」により一瞬のうちに壊滅させられた。判事として赴任したばかりのディーは、龍王の生贄に選ばれた都一番の花魁・インが謎の一団により攫われかけたのを助けるが、そこに謎の怪人が出現、乱戦となる。一連の怪事の背後に潜む驚くべき陰謀とは……

 狄仁傑(ディー・レンチ)は、中国の唐の時代に実在した官僚・政治家であり、特にかの武則天に重用され、異民族の撃退や政治の安定、そして公明な裁判で知られた人物であります。
 その存在は後世まで民衆に親しまれ、公案小説――日本で言えば大岡政談のようなお裁きもの――の主人公として描かれることとなったディー。そしてそれを題材に中国通のオランダ人作家ロバート・ファン・ヒューリックが発表したミステリがディー判事シリーズであり……それをそのまた題材としたのが、本作(と前作に当たる『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』)であります。

 と、説明が長くなりましたが、本作はそんな判事ディーの若き日の活躍を描くいわばエピソード・ゼロもの……という枠には及ばない、様々なエンターテイメントの要素をこれでもかと詰め込んだ怪作、いや大快作であります。

 何しろ冒頭で描かれるのは、戦争中の扶余国に送られた十万もの兵を満載した唐水軍の船団が、水中から襲い来る何者かにより瞬く間に壊滅させられる顛末。
 そしてそこから続いて本作のヒロインの花魁・インの艶姿(本当に最初から最後まで、ため息の出るほどたおやかな美人!)が登場したと思えば、面白武器を手にした謎の一団に彼女が襲われ、それを察知したディーが颯爽と駆けつける……

 という序盤だけでも実に盛り上がりますが、そこに水軍壊滅事件の捜査を命じられた武術の達人にして司法長官ユーチが乱戦に加わり、さらにさらにインに忍び寄るは半漁人めいた異様な姿の怪人!
 という時点で、もうこちらのボンクラ魂は鷲掴み。いや、正確に言えば、冒頭で水軍が壊滅した直後に、やたらと仰々しく「監督:ツイ・ハーク」と出てくる時点で、こちらのテンションは既に最高なのであります。

 そう、本作の監督はツイ・ハーク。これまで30年以上にわたり、香港映画界の第一線で活躍し、数々の名作を送り出してきた人物。そしてそんなビッグネームでありつつも、とんでもないボンクラ魂を持った映画を撮ってしまう、愛すべき巨匠であって……本作もそんな監督が還暦を過ぎてもなお衰えぬパワーを見せつけた作品なのです。

 本作のジャンルを一言で表せば、武侠アクションミステリ怪獣映画でありましょう。
 武侠アクションはもちろんよいでしょう。ディーやユーチ、さらには敵の一団が展開する本作のアクションは、とにかく回る! 飛ぶ! と派手なワイヤーワークと(こればかりは今ひとつな)CGによって彩られた、香港映画の一つの王道なのですから。

 またミステリの方は、謎の龍王と半漁人、薄幸の美女という大変な三題噺が、やがて唐と扶余(時期的にここで言う扶余とは百済の方かと思いますが)の戦いという背景と絡めて展開される巨大な陰謀として浮かび上がるというダイナミックな展開が実に楽しい。
 この辺り、ちょっと豪快すぎるところもあるのですが、そこをディーの推理がロジカルにまとめ上げてみせるというのも、本作の巧みなところでありましょう。

 そして怪獣ですが――これはもうネタバレになりますが書いてしまえば、もうはっきりと怪獣が登場いたします。何らかのトリックでもなく怪獣っぽいものではなく、そのものが、それもデザイン等、なかなかに魅力的なものが……
 それも冒頭では姿を見せず、中盤ではその一部を見せ、クライマックスで初めてその奇怪な全貌が露わになるという、基本に忠実な見せ方なのも心憎い。

 冷静に考えれば、映画的な派手な仕掛けとしては別に怪獣でなくとも良いのでしょうが、ここで敢えて怪獣を出すのは、これはもう監督の趣味以外の何ものでもないのだろうなあ……と微笑ましくも共感を覚える次第です(少なくとも、あの同好の士であれば絶賛するであろう、エンディングに流れる今後のシリーズ展開を描いたストーリーボードを見れば、好きでやっているとしか……)


 大御所を集めた前作に比べれば、キャストの面では少々見劣りするかもしれません。しかしそれを補ってあまりあるキャラクター造形の妙、物語の妙、題材の妙を楽しませてくれる本作。
 これぞジャンル映画、と言いたくなるような痛快な作品であります。

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2015.08.28

『天穹は遥か 景月伝』第1巻 武侠か歴史か、向かう先は

 大正妖怪漫画『書生 葛木信二郎の日常』の倉田三ノ路の新作は、中華もの――それも(おそらくは)架空の中華風世界を舞台にした、武侠ものの色彩も強い作品であります。故あって国妃の兵に追われる少年と、護衛を生業にする剣士と……二人の出会いから物語は始まることとなります。

 幾つもの国が互いに激しく相争い、世情混沌とした「中原の地」。その一つ「舜」のヒョウ局(護衛業。ヒョウの字は「金+票」)の剣士・暁天が出会ったのは、一仕事終えたある街で、舜の兵に追われる青年・朱潤と、彼を師兄と呼ぶ少年・景月でありました。
 自分の眼前で捕らわれた二人を助け出した暁天。しかし逃走の途中に朱潤と思わぬ別れを告げることとなった暁天は、朱潤から景月を――そして本人自身も知らぬその出生の秘密を――託されることになるのですが……


 ヒョウ局、という存在をご存じの方は、武侠小説ファンを除けば、残念ながらほとんどいないのではないでしょうか。
 ヒョウ局とは、簡単に言ってしまえば、上で軽く触れたように、一種の護衛・用心棒業……あまりに広い大陸において、国家による治安維持が行き届かない時代に、各地を行き来する商人や旅人を護衛することを生業にしたヒョウ師の集団のことであります。

 街を離れればいつ山賊やならず者に襲われるかわからない稼業故、当然彼らに求められるのは度胸と機転、そして腕っ節。任務に失敗すれば金や信用はもちろんのこと、命も失いかねぬ危険な稼業であります。
 中には護衛だけでなく輸送そのものを請け負う者もあり、現代の運送業者的な存在として成功する者も現れたりなどとなかなかユニークなこのヒョウ局、武侠ものにはしばしば様々な形で登場いたします。
(武侠ファンであれば、金庸の名作『笑傲江湖』冒頭で悪人たちに一族郎党を殺された林平之の実家……と言えばおわかりかもしれません)

 しかしあまりに独特な存在故、滅多に日本の漫画に登場することはないこのヒョウ局。
 作者が元々武侠ファンというのは存じ上げておりましたが、ここでヒョウ局の存在を中心に据えた物語を描いてみせたのは、なるほどさすがは……と感心すると同時に、すっかり嬉しくなってしまった次第です。


 しかし……正直に申し上げれば、本作がどこに向かうかはまだまだ見えない、という印象があります。

 書店サイトなどを見れば「本格歴史ドラマ」「ファンタジーではなく本格派」といった(時に挑発的にすら見える)惹句が並ぶ本作ですが……しかしこの第1巻の時点では、歴史ものという言葉から期待されるスケール感はあまり感じられません。

 それは一つには、本作の舞台となる世界が、現実の中国のある時代、ある土地ではなく、中国風の架空の世界による点がありましょう。
 もちろん、歴史ものが必ずしも現実世界を舞台とする必要があるわけではありません。それは古今の架空世界を舞台とした歴史ものを見れば明らかですが……しかしその場合には、物語を支えるだけの架空世界の構築が必要であることも、言うまでもないことでしょう。

 もちろん、現実世界の過去を舞台にすれば、その辺りは省けるものの、今度は史実という大きな縛りがあるのも事実(例えば史実ではヒョウ局が一般化したのは清代とのことですし……)。
 身も蓋もないことを言えば、まだまだマイナーな中国(風)もので架空でも史実でも、初めて触れる読者には関係ないのかもしれませんが……しかし確固たる世界観が物語に与えるものは決して小さなものではありますまい。

 その一方で本作は、武侠ものとして見るにも――もちろん、先に述べたとおりヒョウ局という独特の存在を取り入れているものの――まだ弱いという印象があります。
 確かにキャラクターの個性はさすがと言うべきですが、そのキャラクターたちを活躍させる物語、武侠ものでおそらくは最も重んじられるであろう血沸き肉踊る物語という点では、未だしと言うべきでしょう。


 大変厳しい感想となってしまい恐縮ですが、それも本作が切り開く(ことを目指しているであろう)未知の世界、この作者なればこそ描けるであろう世界を期待してのこと……
 というのは勝手な言い訳でしかありませんが、しかしプロローグであろうこの第1巻を超えた先にあるものを見せて欲しいというのは、武侠ファン、中国歴史ファンとしての正直な気持ちであります。


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2015.08.27

富樫倫太郎『箱館売ります 土方歳三蝦夷血風録』下巻 不可能ミッションに挑む男たち

 明治時代に実際に起きた箱館の土地を巡る外交事件・ガルトネル事件を背景に、五稜郭での蝦夷共和国軍と新政府軍の決戦前夜に繰り広げられた奇想天外な戦いの顛末を描くユニークな物語の下巻であります。密かに進行するロシア秘密警察の箱館乗っ取りの陰謀を阻むべく立ち上がった者たちとは……?

 プロシア人ガルトネル兄弟が蝦夷共和国と結んだ、300万坪を99年間借りるという破格の契約(開墾条約)。五稜郭の戦の終結後にその存在を知った明治政府は、莫大な契約金と引き替えにようやくこの契約を破棄できた……というガルトネル事件。
 本作はその背後にロシア秘密警察の工作員・ザレンスキイの存在を設定、土地の所有権を第三者に移転するのを可能とする条項を契約に含めることで、ガルトネルの土地をロシアが転用しようとする陰謀が展開していくことになるのであります。

 その背景にあるのは、蝦夷共和国の資金難。ガルトネル(すなわちその背後のザレンスキイ)は、この契約を結ぶにあたり6万両の資金提供をちらつかせることで、蝦夷共和国首脳陣の大半を取り込み、これに反対するのは、土方歳三ら、ごく一握りのみ……


 というわけで、この下巻においては、この契約の背後にきな臭いものを感じ始めた土方、そして新政府に対する武装蜂起を計画していた軍学者・平山金十郎、彼の門下生ながら新政府を信じ密かにレジスタンス活動を行う斎藤順三郎の三人を中心に、陰謀に抗する者たちの戦いが描かれることとなります。

 当然ながら慎重の上にも慎重を期して進められるザレンスキイの陰謀。その証拠をいかにして掴むか? そして榎本武揚総裁をはじめとする人々が契約に賛成する中、如何にしてこの契約発効を阻んでみせるのか?
 一種の不可能ミッションもの的様相を呈する物語は、共和国側の土方・平山と新政府側の斎藤と、呉越同舟の人々を結びつけ、怒濤のクライマックスに向かって突き進んでいくこととなります。

 その内容はここでは伏せますが、寡勢が奇策をもって多勢に挑むという不可能ミッションの醍醐味横溢の内容であり、それを率いるのが土方歳三なのですからたまりません。

 もっとも、上巻の紹介の際にも述べましたが、本作においては、土方は主人公というより中心人物の一人といった立ち位置にあります。

 本作で大きくウェイトが置かれているのは、共和国側の庶民(に近い立場)の平山、新政府側の庶民の斎藤といった庶民――共和国と新政府の戦いにより、そしてガルトネルへの土地貸与により直接的に被害を受ける人々――視点であります。
 それに対し、あくまでも軍人であり、それも内地から転戦してきた土方は、よそ者に過ぎないと言えましょう。

 しかし土方には土方の、この陰謀を阻むべき理由があります。かつては平山たち同様の庶民であり、それ故に時として武士以上に武士たらんと振る舞う土方。
 そんな彼が戦い続ける理由は、ただ己の望む死を迎えることなのですが――しかし、それはあくまでも正々堂々と戦い抜いてこそ、であります。

 たとえその背後の陰謀を知らぬとはいえ、外国に土地を譲り、その金で戦いを続けるというのは彼の武士としての美意識に反する……その想いが、一歩間違えれば利敵行為ともいうべき作戦へと駆り立てるのであり――そしてもちろんフィクションとはいえ、実に「らしい」土方像として感じられるではありませんか。

 そしてまた、異国人による領土収奪の陰謀(さらにはそれによって起きる同じ日本人同士の争い)という、一歩間違えるとずいぶんと生臭い話になりかねぬ本作の物語に、そんな土方の立ち位置が、生き様が、独特の清々しさを与えているのが実にいいのであります。
(そしてその潔さが、彼のその後に繋がるという歴史の皮肉も……)


 これまで様々な作家により、様々な角度から描かれてきた箱館戦争に、ガルトネル事件という要素を加えることで、がらりとその趣を変え――それと同時に、箱館戦争とそこに戦った者たちの姿を新たな角度から描いてみせた本作。
 作者らしいユニークなアイディアと、職人芸的な物語展開に支えられた快作と言うべきでしょう。


『箱館売ります 土方歳三蝦夷血風録』下巻(富樫倫太郎 中公文庫) Amazon
箱館売ります(下) - 土方歳三 蝦夷血風録 (中公文庫)


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2015.08.26

瀬川貴次『ばけもの好む中将 四 踊る大菩薩寺院』(その二) 「怪異」の陰に潜む「現実」

 瀬川貴次の『ばけもの好む中将』シリーズ第4弾、『踊る大菩薩寺院』の紹介後編です。表題作で、数々の霊異が起こるという寺院を訪れた「ばけもの好む中将」宣能と、彼に振り回されっぱなしの宗孝たちを待っていた事件とは……

 宗孝たちよりも先に寺院を訪れた宣能と妹の初草の君。彼らが通された本堂の扉は、誰も触れぬのに動くことがあるという曰く付きのものでありました。
 果たしてその時も勝手に閉まった扉ですが……しかし、中に宣能たちをはじめ多くの人々がいるにもかかわらず扉は固く閉まったまま、開かなくなってしまったのであります。

 遅れて訪れた宗孝と十二の姉、そして謎の少年・春若は異変を察知して寺院に忍び込むのですが、なおも続く奇怪な事件。
 鐘が唸り、飛天が舞い、菩薩と乗騎が顕現し……宣能や宗孝一行、さらには発明マニアの五の姉夫婦や宣能の親友・頭の中将に悪徳坊主まで巻き込み、騒動が騒動を呼ぶ物語が展開することとなります。

 平安ものといえば、ある程度想像する物語の枠というか、舞台背景があります。それは多くの場合、雅やかで華やかな貴族の世界でありましょうが――それだけでは面白くない。
 そんなある意味なじみのある世界をベースとしつつも、そこから敢えて外した、外れた世界を描いてみせる。作者はそれを得意とする作家であります。

 言うまでもなく、平安貴公子からちょっと外れた「ばけもの好む中将」は、その象徴的存在でありますが、今回は物語展開・舞台設定からしてさらに大きく踏み出して、作者ならではのハイテンションの――そしてこれが作者ならではの技なのですが――緩急自在のコメディを描き出してみせるのであります。

 その中では、これまで物語の渦中で超然としていた宣能ですら、容赦なく振り回されるのが実に可笑しいのですが……


 しかし、そんなコミカルな世界も、「現実」というものから無縁ではありません。
 これまでがそうであったように、今回もまた、「怪異」とそれが引き起こす狂騒の陰には、そしてその中心には、怪異よりも遙かに恐ろしい「現実」の姿が存在するのです。

 そして宣能は、どれだけ怪異を求めようとも、その実、その現実の中にどこまでも囚われた人物であります。
 だからこそ、彼はこれほどまでに切実に、時として祈りにも似た姿で怪異を求めるのであり――そして本作の結末で彼が語る言葉は、彼と異なる形で現実から踏み出そうとした者への優しさに満ちて感じられるのでしょう。


 さらに一歩踏み出して見せた怪異探求騒動の野放図な楽しさ。そしてその核に存在する確固たる現実の苦さ。
 物語の本質は変わらないものの、得意の平安ホラーコメディを、一般レーベルに合わせて巧みに構造をモディファイしてみせる、作者の職人芸的な技にも注目したいシリーズであります。


『ばけもの好む中将 四 踊る大菩薩寺院』(瀬川貴次 集英社文庫) Amazon
ばけもの好む中将 四 踊る大菩薩寺院 (集英社文庫(日本))


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2015.08.25

瀬川貴次『ばけもの好む中将 四 踊る大菩薩寺院』(その一) 大驀進する平安コメディ

 コバルト文庫の『鬼舞』シリーズも絶好調の作者によるもう一つの平安もの『ばけもの好む中将』も、順調に巻を重ねて第四弾。怪異を求めてやまない変人中将・宣能と、彼に巻き込まれる愛すべき一般人・宗孝の怪異探求が引き起こす騒動は、今日も続きます。それも今回は大変なスケールの騒動が……

 父は今をときめく右大臣、叔母は女御で東宮の母、もちろん容姿は端麗と、絵に描いた貴公子のような宣能。しかし美しい姫君との出会いなどではなく、世にも奇怪な怪異との出会いを夢見る彼を、世の人は「ばけもの好む中将」を呼ぶのでした。

 一方の宗孝は、十二人の個性的な姉がいることを除けば、いたって平凡な中流貴族の青年。ふとしたことから宣能に見込まれ、怪異探求の相棒にされてしまった彼は、毎度毎度宣能に引きずられるようにして、怪異の噂のあるところに引っ張り回される……というのが本シリーズの基本設定であります。

 残念ながらと言うべきか、幸いにもと言うべきか、これまでは本物の怪異に出会うことができなかった二人が挑むのは、かつて宿直の侍を押し殺したという板の鬼、南無阿弥陀仏の文字が浮き出た薪、そして冬に咲く青い睡蓮や仏殿に現れる飛天など数々の霊験が顕れるという寺院……
 と、今回も奇妙なものばかり。これまでのシリーズ同様、今回も短編中編織り交ぜて三つの物語が集まって、一つの大きな物語を形作ることとなります。


 さて……ここで正直に申し上げれば、平安ホラー・コメディとしてこれまで十分に面白かったものの、本シリーズは、作者のファンから見ればいささかおとなしめという印象がありました。
 もちろん一般レーベルの作品であり、物語の方向性も違うのですから、御所ハザードに内藤二阡が颯爽と駆けつけるような作品を期待するのが野暮というものなのですが、しかしもっともっとはっちゃけてしまって欲しい……というのが、作者のファンとして正直な気持ちでした。

 しかし、そんな小うるさい読者の勝手な夢が、今回ついに叶ったかの印象があります。本作の半分以上を占める中編にして表題作『踊る大菩薩寺院』では、作者一流のスラップスティックコメディが……そしてそれどころか、平安時代を舞台にした閉所パニックものとも言うべき、実にユニークな物語が展開していくのであります。

 上で述べた通り、数々の霊異が起きる寺院を訪れることとなった宣能と妹の初草の君。それとは別に、初登場の十二の姉とともに同じ寺院を訪れた宗孝ですが、そこで思わぬ事件に――いや事件の連続に――巻き込まれることとなります。
 その事件とは……少々長くなりますので、次回に続きます。


『ばけもの好む中将 四 踊る大菩薩寺院』(瀬川貴次 集英社文庫) Amazon
ばけもの好む中将 四 踊る大菩薩寺院 (集英社文庫(日本))


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2015.08.24

山本巧次『大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう』 前代未聞の時代ミステリ!?

 こう申しては何ですが、くせもの揃いという印象のある『このミステリーがすごい!』大賞。その中でも「隠し玉」とくれば、これはむしろ強烈な変化球という印象がありますが――本作はその第13回『このミス』大賞で、満場一致で隠し玉を受賞した作品。それだけに、実にユニークな作品であります。

 江戸は両国橋近くの家に一人暮らし、どこから来たのか、普段何をしているのか、全てが謎に包まれた美女・おゆう。
 時には家からも姿を消してしまう彼女は、実は隠れた推理の名人、彼女の才能を知る南町の定町廻り同心・鵜飼伝三郎に幾度か手を貸してきた彼女に、新たな依頼が舞い込んできたことから物語は始まります。

 自分の息子を何者かに殺され、さらに薬を闇に流している疑いまでもかけられた江戸一の薬種問屋・藤屋のために事件捜査に当たることとなったおゆうは、早速現場で証拠品の手ぬぐいを手に入れます。
 それを万能分析ラボを経営する検査マニアの友人・宇田川のもとに持ち込み、彼の分析で、手ぬぐいからは様々な情報が得られるのでありました……

 と、いきなり物語が飛躍したようですが、これが本作の極めてユニークなところであります。実はおゆうの正体は、ミステリマニアの元OL・関口優佳。祖母が遺した家にあったタイムトンネルをくぐって江戸時代にやってきた彼女は、江戸と東京を行き来する二重生活を送りつつ、江戸で起きる事件を、未来の科学で捜査していたのであります!


 ……というわけで、本作は江戸を舞台とした時代ミステリであると同時に、タイムスリップもの時代小説でもある作品。そのどちらかである作品はさまで珍しくはありませんが、しかしこの二つを兼ね備えた作品というのは、相当に珍しいと言ってよいでしょう。

 しかし、単純に科学力で全ての事件は解決……というわけにはいかないのが、またややこしくも楽しいところであります。
 そう、如何に指紋や血液分析で下手人を割り出したとしても、それが江戸時代で決め手となるはずがありません。言うまでもなく、そのデータの意味が、江戸時代には理解されていないのですから……

 すなわち、江戸時代において科学捜査で出来るのは、極端なことを言えば犯人の目星をつけるまで。そこから先――この時代における正統な裁きを受けさせるためには、何とか別の証拠を見つけるなりして、奉行所を納得させなければならないのであります。

 この辺りのジレンマは、いわゆる超能力探偵もの的な面白さと言ってもよいでしょう。常人を超越した力で真実の一端を掴みつつも、しかしそれに真に意味を持たせるためには「推理」が別に必要になる……そのいささかトリッキーな楽しさが本作にもあります。

 さらに本作は、殺人の下手人を挙げておしまい、という態の物語ではありません。一つの事件の背後に潜むのは新たな事件であり、より巨大な謎の影……そう、単に科学捜査だけではどうにもならない、推理で立ち向かわなければならない事件が、ここにはあります。


 そんなわけで、舞台設定・人物配置・物語展開の妙から、時代ミステリかつタイムスリップ時代小説として見事に成立している本作ですが……個人的にはいくつか気になった部分があったのも事実、であります。

 思ったほど主人公が推理していない(ほとんど体当たりが功を奏する展開の連続)、自在に行き来ができるのでタイムスリップものとしての緊迫感がない(これはこれで楽しいのですが)……
 といった点に加え、一番大きいのは、おゆうの周囲の二人――伝三郎と宇田川が、あまりに彼女にとって都合よく動きすぎる、という印象があるのです。

 もちろん物語そのものが、それでなければ成立しないものではありますし、何故彼らがそう振る舞うかについても、実はきちんと説明があるのですが――それはそれで、あくまでも物語のために用意された感が残るのです。
 おゆうを活躍させつつ、理不尽を感じさせない……そこに本作が成立する余地があるはずですが、その点で少々ひっかかったところではあります。


 この辺りは(特に最後の点は)個人の印象の範囲内であろうとは、私としても思います。あまりに好物が揃いすぎて、かえってひねくれた感想となってしまった……と、我ながら思わなくもありません。
 であるとすれば、ぜひ次回作で私の印象が単なる錯覚と難癖に過ぎないと証明してほしい、と心から思います。デビュー作からこの充実ぶりを見せた作者であれば、それは難しいことではないでしょうから……


『大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう』(山本巧次 宝島社文庫『このミス』大賞シリーズ) Amazon
大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

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2015.08.23

野田サトル『ゴールデンカムイ』第4巻 彼らの狂気、彼らの人としての想い

 蝦夷地のどこかに隠された莫大なアイヌの黄金を巡り、不死身の帰還兵とアイヌの少女、最強の北鎮部隊・第七師団、生きていた土方歳三率いる死刑囚集団が三つ巴の死闘を繰り広げる『ゴールデンカムイ』も、はや第4巻。脱獄囚の一人・二瓶との死闘に続き、物語は意外な方向に展開していくことに……

 黄金の在処を記した刺青を持つ脱獄囚を追う杉元とアシリパ(と脱獄王・白石)の前に現れた新たなる敵・二瓶鉄蔵。
 冬眠中の羆もうなされる、悪夢の熊撃ちと異名を持つ凄腕の猟師であり、独特の死生観を持つ彼は、逆にアシリパと行動を共にする狼・レタラを狙って行動を開始、ついに杉元と正面衝突することに……

 と、いきなりクライマックスな第4巻ですが、物語はここから急展開。杉元とアシリパが彼女の故郷のコタンに滞在している最中、小樽の町では第七師団と土方の脱獄囚集団が激突。
 脱獄中の身を感じさせぬあまりに派手な行動を見せる土方の真意はといえば……ああ、ここでも土方は土方でした。

 第3巻の感想でも述べましたが、本作の土方は、「鬼の副長」がそのまま年を取ればこうなるであろう、と思わせるキャラクター造形。
 つまりは冷徹さとカリスマ性に、さらに風格が加わった、一目で傑物と感じられる人物なのですが……そこに秘められた狂気がこの巻でも――新選組ファンにはぐっとくる形で――仄めかされるのがたまらないのであります。

 しかしこの狂気、裏を返せば一種の人間性と言えるのではないかとすら感じられるのですが、その点は、この巻で初めて土方と対峙した第七師団を率いる鶴見中尉も同様でありましょう。
 この巻の表紙を飾る彼の異様な風体、そして前巻で見せた奇怪な言動と裏腹に、改めて語られる彼の過去とその大望は、極めて人間的な想いに彩られているのであります。

 そしてそれは彼らのみに限りません。その善悪はひとまず置いておくとして、本作の登場人物の一人一人は――漫画的な過剰、ディフォルメはあれど――それぞれに自らの想いを……言い換えれば行動の指針を持ち、そしてそれ故に実に人間臭い存在感を感じさせます。

 身も蓋もない言い方をすれば、黄金を巡って人の生皮を剥ぐ争闘が繰り広げられる本作。しかしそれでも本作に不快感や嫌悪感がさまで感じられないのは、舞台・物語の妙や、時折挟まれるコミカルなシーンによるところもありますが、やはりこの登場人物たちの人間臭さに依るところが大きいのではないか……
 改めてそう感じさせられた次第です。


 が、その一方でいささか不満があるのも事実であります。確かに杉元とアシリパ、白石のコミカルなやりとりは一服の清涼剤でありますし、彼らの狩猟とその獲物によるアイヌ料理は、もはや本作には欠かせない要素ではありますが――
 しかし(前の巻辺りからそのきらいはありましたが)この巻では明らかにそのバランスが突出していると申しましょうか、ストーリー展開のバランスを崩しているやに感じられるのです。

 実際のところ、この巻で杉元とアシリパがメインのストーリーに絡むのはこの巻の冒頭とラスト程度、あとは別のキャラクターが物語を動かしている状態で――その分、白石がどんどんキャラ立ちしているのが痛快ですらあるのですが――さすがにちょっといかがなものかな、とは感じます。

 この巻のラストでは新たな敵が、それも、これまでのそれとは全く別のベクトルで危険な敵が登場するのですが――さて、彼を向こうに回し、杉元がいかに戦うか。
 まずはそこから彼の逆襲を期待したいところであります。


『ゴールデンカムイ』第4巻(野田サトル 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon
ゴールデンカムイ 4 (ヤングジャンプコミックス)


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2015.08.22

大年表の大年表 更新

 古代から戦前(太平洋戦争)までの、ある年に起きた史実上の日本・世界の出来事と、小説・漫画等の伝奇時代劇(に限らなくなってきましたが……)の中の出来事、人物の生没年をまとめた虚実織り交ぜ年表「大年表の大年表」を更新いたしました。
 今回の最も大きな更新は、これまでとは異なり、表形式の掲載としたことです。元々年表なのですから表形式が一番なのですが、見えやすさ等を考えたらいかがなものか……と悩んでいたところ、思い切ってやってみたらそれなりに見えるものになりました。
 また、今回の更新で追加した作品名は以下の通りです(年代順)。
『アテルイ』『千年の黙』『白の祝宴』『ぶっしのぶっしん』『華やかなる弔歌』『アンゴルモア』『南都あやかし帖』『宇喜多の捨て嫁』『嶽神伝 孤猿』『風吹く谷の守人』『覇王の贄』『真田三妖伝』『化け芭蕉』『酔ひもせず』『超忍者隊イナズマ! 』『鬼船の城塞』『素浪人半四郎百鬼夜行』『剣客異聞録 甦りし蒼紅の刃』『怪異南総八犬獣』『音無し剣又四郎』『ジロキチ』『大奥の座敷童子』『人魚ノ肉』『一の食卓』『アインシュタイン1904』『帝都物語』『漱石事件簿』
 ……が、今回はその他にも『アーサー王宮廷のヤンキー』『三銃士』『ガリヴァー旅行記』『地底旅行』『海底二万里』『火星のプリンセス』『八十日間世界一周』『モロー博士の島』『地底の世界ペルシダー』と欧米の冒険小説・SF小説、さらに『射雕英雄伝』『碧血剣』『雪山飛狐』と金庸の武侠小説、その他、ミステリや漫画、ゲーム、映画から色々と取り込んでいます。
 もはや伝奇時代劇というよりも大衆文学、いやフィクション世界の年表のようになってきましたが、こういう試みはデータが多ければ多いほど面白いもの。あの出来事とあの出来事が同じ年に、などと面白がっていただければこれに勝る喜びはありません。

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2015.08.21

富樫倫太郎『箱館売ります 土方歳三蝦夷血風録』上巻 箱館に迫る異国の大陰謀

 蝦夷地に滞在していたロシアの秘密警察所属のザレンスキイは、蝦夷共和国樹立を機に、知人のプロシア人ガルトネルを動かし、ある陰謀を計画する。共和国の資金難につけこみ、順調に進むかに見えたザレンスキイの計画だが、共和国側に疑いを持つ者が現れる。その一人は土方歳三だった……

 伝奇、戦国、ノワール、経済……と、様々な歴史時代もののサブジャンルで活躍してきた富樫倫太郎の作品中、近年最も多くの作品で活躍してきたのは、土方歳三であります。

 いずれも箱館戦争を舞台とした『箱館売ります』『松前の花』『神威の矢』、そしてそのものずばりの『土方歳三』――
 この四作品、それもいずれもかなりの大部の作品で主役級の活躍を見せる土方歳三ですが、その中でも前者の三部作は、舞台は共通ながら、それぞれユニークなアプローチで展開していくこととなります。

 そしてその三部作の一作目と銘打たれた本作、その題材からして非常にユニークと言うほかありません。
 その題材とは、いわゆるガルトネル事件――幕末から明治初期の混乱の中で、プロシア人ガルトネル兄弟が、蝦夷共和国と結んだ長期間かつ広大な範囲を対象とした土地租借を巡る一種の外交事件であります。

 元々、幕末に箱館奉行の許可を得てわずか1500坪の土地から始まったガルトネルの租借。それが明治政府が設置した箱館府、そして蝦夷共和国と目まぐるしく箱館の統治機構が変わる中で、最終的にはなんと300万坪を99年間租借するという形となったこの契約を解除するため、明治新政府が相当に苦労した……

 というのがあらましですが、本作はその背後にロシアの秘密警察を設定することにより、時代の境目におきた一種の珍事件を、国際的な陰謀事件にまでスケールアップさせているのが、抜群に面白いところであります。

 戊辰戦争の混乱の中、フランスに代わり幕府側に食い込まんと工作を行っていた秘密警察の腕利き工作員ザレンスキイ。しかし想像以上に幕府があっさりと倒れたことから彼の計画は頓挫、このままでは失脚は必至となった彼の前に現れたのが、旧知のガルトネル兄弟でありました。

 そこでガルトネル兄弟を使って起死回生の策をもくろむザレンスキイ。ガルトネル兄弟が租借した土地の使用権をロシア政府が譲り受け、ロシア念願の不凍港を極東に確保する――なるほど実現すれば、ロシアにとっては多大な利をもたらす計画であり、日本にとっては大きな窮地をもたらす大陰謀であります。


 この陰謀に立ち向かうことになるのが土方歳三……と言いたいところですが、実は物語の中において、彼はワンオブゼム、事件に巻き込まれた数あるキャラクターの一人といった位置づけになります。
 この辺り、「土方歳三」を謳ったサブタイトルに惹かれた向きには不満もあるかと思いますが、しかしこれは三部作に共通するユニークなアプローチと言えます。

 実はこの三作は、いずれも一種の群像劇とでも言うべき作品。物語の骨格となる事件に巻き込まれた人々――共和国側、新政府側、あるいはそれと全く異なる立場の人々が、それぞれの立場から事件に挑んでいく様が描かれる……そんな作品群なのであります。

 本作においても、土方や榎本・大鳥・人見といった蝦夷共和国の人々のほか、新政府へのクーデターを企んだために身を隠していた硬骨の軍学者・平山金十郎が主役格のキャラクターとして登場。
 さらに彼の弟子でありつつも道を違え、国の安定のために新政府を奉ずる斎藤順三郎を配置し――さらに言ってしまえば、ザレンスキイの視点も大きな位置を占めて――物語は展開していくのであります。


 とはいえ、その中で土方が大きな存在感を占めるのは言うまでもありません。
 本作の土方は、新選組時代のイメージとはいささか異なる、物静かで、(政治まわりにおいては)周囲から一歩引いた感のある人物として描かれるのですが、しかしこれが実に「その後」の土方らしくて良い。

 武士として己の死に場所を求めつつ、決して自暴自棄にはならず恬淡と生きる。そんな大人の土方らしさが実に格好良い一方、モチ焼き職人のように丁寧にモチを焼く姿が描かれたりと、硬軟とりまぜた土方像は、出番こそ多くないものの、ファンも満足できるのではないでしょうか。

 そして物語はこれからが本番。ザレンスキイの陰謀を察知しつつある土方が、平山が斎藤が、いかにこれに挑むのか……期待は大きく膨らむのです。

『箱館売ります 土方歳三蝦夷血風録』上巻(富樫倫太郎 中公文庫) Amazon
箱館売ります(上) - 土方歳三 蝦夷血風録 (中公文庫)


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2015.08.20

『弁天の夢 白浪五人男異聞』 戦い続ける五人男の熱きバトル時代小説

 派手に江戸を荒らし回る日本駄右衛門以下五人の盗賊・白波五人男。その一員である弁天小僧と赤星十三郎は、それぞれ謎の女に騙され、殺人者の汚名を着せられてしまう。その背後に蠢くのは、大老・井伊直弼の下で暗躍する隠密集団。この喧嘩を買って出た五人男と隠密たちの真っ向勝負が始まる。

 矢野隆の最新作の題材は白波五人男――歌舞伎などでよく知られたピカレスクヒーローであります。しかしここで登場する五人男は、従来のものとはひと味違ったもの。
 バトル時代小説の第一人者である作者らしい、常に戦い続ける男たちなのであります。

 と、バトル時代小説とは見慣れない表現かと思いますが、それも道理、私が勝手に作った――それも、ほとんどただ一人の作家の作品にのみ使っている表現。そしてその作家こそが、本作の作者である矢野隆なのであります。

 デビュー作の『蛇衆』以来、作者の作品の多くで描かれるのは、苛烈な戦いに身を投じ、ただひたすらに戦い続ける者たちの姿。

 戦う理由、戦う相手、戦いの形は様々あれど、彼らに共通するのは、己の命を削るように戦いに身を投じながらも、いやそれだからこそ、戦いの中でこそ己の存在の意味を知り、それを高らかに謳い上げることができる――そんな戦う者の姿なのです。

 そして最初に述べたとおり、本作もその系譜の先にある作品であり……そしてもちろん本作で戦う者は、タイトルロールたる弁天こと弁天小僧菊之助をはじめとする白波五人男であります。

 河竹黙阿弥の白浪五人男のリーダー、日本駄右衛門のモデル・日本左衛門は江戸時代中期――吉宗の時代に暴れ回った盗賊ということもあって、これまで五人男を扱った作品もその時代近辺を舞台としたものが多い印象がありますが、本作の舞台はなんと幕末。
 それも彼らが戦う相手というのが、当時の幕府の最高権力者……大老・井伊直弼の下で汚れ仕事を一手に引き受けてきた隠密集団というのが本作の独自性でありましょう。

 元々は天下の政道のことなどとは全く無縁の五人男、井伊直弼と対立するつもりも毛頭なかったものが、いわば権力者特有の猜疑心により勝手に狙いをつけられた、というのがそもそものきっかけではあります。
 しかし売られた喧嘩はきっちり買うのが彼らの流儀、巨大すぎる相手を前に、五人それぞれの想いと理由――彼らが彼らである理由、彼らがこの世にある理由――を胸に、死闘に向かうのです。

 そしてその戦いの中で自分を見つめ直すことになるのは、彼らだけではありません。
 隠密の頭である非情の男・名無、そして五人男を追い続ける南町奉行所与力・青砥左衛門(この辺りは黙阿弥からの引用)もまた、彼らを追ううちに、自らを縛るものに気づき、それを振り払ってまで、戦いの場に赴くことになります。

 かくて繰り広げられるのは5対500の大殺陣……あまりに豪快な数の暴力にはもはや唖然を通り越して楽しさすら感じてしまうのですが……
 しかし、『蛇衆』以来の無双描写は健在というべきでしょうか、当たるを幸いなぎ倒し、ただひたすらに前へ前へ――己の定めたゴールに突き進む姿から吹き付けてくるのは、作者ならではの熱い爽快さともいうべきものであります。


 作中の弁天や五人男の名乗りが黙阿弥のそれほとんどそのままなのはご愛敬と言ってよいか微妙ではありましょうし、五人男以外のキャラクターの書き込みが若干浅い点がある――折角一歩前に踏み出したかに見えたキャラクターたちが有耶無耶になってしまうのは残念――のは、惜しいところではあります。

 しかし、デビュー以来一貫して戦い続ける作者の、その作品の姿勢が全く変わることないのは何よりも嬉しいものであって……そして、そのままの姿勢で走り抜けて欲しいと感じるのであります。本作の五人男たちのように――


『『弁天の夢 白浪五人男異聞』』(矢野隆 徳間書店) Amazon
弁天の夢: 白浪五人男異聞 (文芸書)

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2015.08.19

森谷明子『白の祝宴  逸文紫式部日記』 「日記」に込められた切なる願い

 『千年の黙』の続編、紫式部を探偵役とした平安ミステリの第二弾であります。前作は『源氏物語』の成立にまつわる謎が描かれたのに対し、本作で描かれるのは、『紫式部日記』――同じ式部の作ながら、内容・構成において完成度に格段の差があるこの書物にまつわる謎が描かれることとなります。

 一度は中宮彰子の下を退き、実家で暮らしていた香子。しかし出産を間近に控え実家である土御門邸に帰ってきた彰子とその父・道長の再三の要請に、再び彰子の近くに仕えることとなった彼女は、手傷を負った盗賊が土御門邸に逃げ込み、そのまま姿を消したという事件に巻き込まれることとなります。
 確かに人の出入りは激しいながらも、その時、中宮の出産を控えて屋敷中は白い布で飾られ、女房たちも皆白一色の着物をまとっていた土御門邸。そんな状況下で、怪我をした盗賊が隠れおおせるはずもないのですが……

 その盗賊団がまず襲ったのが、帝の第一皇子と姫君がおわす中納言・藤原隆家の屋敷であり、そして隆家の腹心である義清が、香子が最も頼りにする阿手木の夫であったことから、香子は、本来の仕事である土御門邸の女房たちの日記の編集を行う傍ら、手がかりを探すことになります。
 しかし一向に謎は解けぬままに次々と新たな事件が起こることとなります。隆家邸に捕らわれていた盗賊たちの一人が脱走し、それと期を同じくして見つかる土御門邸を嗅ぎ回っていた放免の死体。さらに屋敷の床下からは何者かによる呪符が――


 前作が大きく時期が異なる三部構成であったのに対し、ほぼ一貫して彰子の出産前後の時期を舞台とする本作。それゆえと言うべきか、本作で描かれる事件、物語は、前作以上に入り組んだ、そして内容の濃いものとして感じられます。
 もちろんミステリである本作で描かれるそれらの事件の謎の詳細をここで述べるわけにはいきませんが、その代わりに、物語の中心に存在する日記――後に『紫式部日記』と呼ばれることとなる日記について触れましょう。

 彰子が、自分に仕える女房たち――やがては歴史に名を残すこともなく消えていくであろう彼女たちの存在を残すために編纂することを決めた日記。
 女房たちが喜び勇んで書く日記の山を前に悪戦苦闘する香子の姿は何とも切なくもおかしいのですが、作中ではその日記の記述が、様々な意味を持つことになります。

 当たり前ではありますが、現代とは違って映像や音声による記録など残らぬ平安。唯一残せるものは紙に書かれた記録であり――そしてそれが本作で描かれる盗賊消失事件において、重要な意味を持つことは言うまでもありますまい。
 様々な人物の様々な視点から残された記録。これはある意味、安楽椅子探偵である香子にとっては格好の手がかりなのですから。

 そんなミステリの仕掛けとして、日記は非常に有効に機能しているのですが、しかし事件の全容が次第に明らかになっていくのと平行して、もう一つ……より大きな意味を持って、浮かび上がるものがあります。
 それは、名もなき女房たちの生き様――そこに記されなければ、歴史の陰に消えていく彼女たちの、いわば存在の証であります。

 言うまでもありませんが、現代に比べれば比べものにならないくらい低い立場にあった平安の女性たち。そもそも、紫式部自体が通称であり、本名は不明なのですから(本作では香子と設定されていますが、それすら可能性の高い一つの説であるわけで)、その地位は推して測るべしでしょう。
 もちろん、彰子のような例外はあるものの――しかし、帝の近くにいた女性であっても、その存在が詳細に残されているとは限らないのです。

 そんな彼女たちにとって、日記というのは、己の存在を主張し、後世に残せるかもしれない、ほとんど唯一の手段。そこに記されたものは、確かに他愛もない日常の一コマかもしれませんが……しかし彼女たちにとっては、かけがえのない生の証であり、そこには人間誰しもが持つ、己の存在を残したいという切なる願いが込められているのであります。


 『源氏物語』の成立を通じて、物語というフィクションが持つ意味とその力を描いた前作。それに対して本作は、それとは似つつも異なる、日記というノンフィクションが持つ意味とそこに込められた想いを描いたと言えるでしょう。

 数々の謎を越えた先に明らかになる、様々な女性たち――歴史に名の残らぬ女性たちの想い。それを知った香子が何を想って『紫式部日記』を残したか……
 本作を読み終えた後、『紫式部日記』の標題を見れば、必ずや胸に熱いものがこみ上げることでしょう。


『白の祝宴  逸文紫式部日記』(森谷明子 創元推理文庫) Amazon
白の祝宴 (逸文紫式部日記) (創元推理文庫)


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2015.08.18

縄田一男編『忍者だもの』(その二) 人を超え、人を捨てたところに立つ者たち

 新潮文庫のオリジナル忍者ものアンソロジー『忍者だもの』の紹介の後編であります。五人の大作家による忍者ものを集めた本書、異色作が続きますが、残る二作品もなかなかにユニークな作品であります。


『赤絵獅子』(平岩弓枝)
 あまり忍者ものという印象のない作者による本作、読んでみれば、見事に作者の作品でありつつも、変格の忍者ものであります。

 本作の舞台となるのは鍋島藩の赤絵(陶磁器の上絵付け)職人の世界。赤絵屋小柳家の跡取り・万作は、父から家を継ぎ、愛妻との間には子供も生まれ、幸せの絶頂だったのですが――その彼の前に現れたのは、自分の父を名乗る男でした。

 鍋島藩の重要な産業として、門外不出の国焼の赤絵。それを漏らした者、盗もうとした者は命を奪われるというその秘伝を盗むため、同じく赤絵を生産する加賀藩から「父」は潜入してきたのであります。
 いわば自らが「草」であったことを知らされた万作の選択は……

 なるほど、職人もの、人情ものであるとともに、確かに本作は忍者もの。忍者といえばどうしても忍法忍術がまず浮かんでしまいますが、むしろその任務の大半は、本作のようなじっと静かに耐えるものであったことは想像に難くありません。
 そして忍耐の果てに待つものは……あまりに切ない物語の先に浮かび上がる幻の赤が鮮烈に心に浮かびます。


『忍者服部半蔵』(山田風太郎)
 そしてラストはやはりこのお方の忍法帖――ではありますが、無名の忍者の活躍を大半とする中で、本作は珍しく、メジャーな忍者の名をタイトルに冠する作品です。

 初代半蔵が亡くなり、二代目半蔵が数々の不始末の末に姿を消し、その弟の三代目服部半蔵正重の時代。権勢隠れ無き大久保長安の娘を娶った彼は、その厳格・非情極まりない態度で、伊賀のエリートたちを統率していたのですが……しかし唯一の悩みは、弟の京八郎でありました。

 早々に忍法修行から脱落し、日頃から軟弱極まりない暮らしを送るだけならまだしも、忍法を、忍者に皮肉極まりない視線を向ける京八郎。
 ついに堪忍袋の緒が切れた三代目半蔵は、京八郎に自分との忍法勝負を命じるのですが……

 忍法帖といえば人間の限界を超えたかのような超人的な忍法ですが、本作においても墨検断、百度詣り、小夜砧、そして網代木と、雅やかで――それだけにどこか不気味なものを感じる忍法が次々と登場いたします。
 しかしむしろ本作が中心に据えるのは対照的な性格の服部家の兄弟――なかんずく、弟の京八郎であります。

 古怪な精神性を受け継ぐ兄に対して、京八郎はいわゆる現代っ子。伊賀の者たちの忍法修行に対する合理的視点からのツッコミの身も蓋もなさには、『海鳴り忍法帖』での近代兵器による忍者大虐殺に通じるものがある……というのはさておき、そのあまりに異なる思想は、痛快ですらあります。

 しかし、終盤において、物語は恐るべき転回を見せます。三代目半蔵を戦慄せしめたある変貌。それを招いたもの、三代目半蔵が「憑いた」と評したものなんであったか――
 それは本作がタイトルに冠する「服部半蔵」という名であったのではありますまいか。


 というわけで全5編、アンソロジーとして見れば決して多い作品数ではありませんが、これまで紹介してきたとおり、いずれも個性的な、そして大ベテランならではの作品揃い。

 今どきさすがに相田みつをはいかがなものか……とタイトルを見た時には思いましたが、人間が当然感じる苦しみや悲しみを超克した、あるいは押し殺したところに立たざるを得ない者が忍者であるとすれば、あるいはさまで違和感はないのではないか――

 そんなやくたいもないことすら考えさせられてしまうのが、収録作の味わい深さによることは、間違いありません。


『忍者だもの』(縄田一男編 新潮文庫) Amazon4
忍者だもの: 忍法小説五番勝負 (新潮文庫)

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2015.08.17

縄田一男編『忍者だもの』(その一) ベテラン揃い、曲者揃いのアンソロジー

 先日紹介した戸部新十郎『最後の忍び』とほぼ同時期に刊行された忍者ものアンソロジーである本書、収録作の作者はベテラン……というより神様のような方々ばかり。表紙には城の上で激突する二人の忍者が描かれていますが、収録作はいずれも曲者揃いであります。以下、一作ずつ紹介いたしましょう。

『鬼火』(池波正太郎)
 最近漫画化された『夜の戦士』のように、忍者ものも決して少なくない数を発表している作者による、本能寺の変を中心にした因縁の物語であります。

 本能寺の変の際、光秀に仕えていた二人の忍び――甲賀の松尾九十郎と伊賀の坂巻伝蔵。実は光秀監視のために送り込まれていた九十郎は、謀反を防げなかったものの、毛利への密書を携えた伝蔵を追跡、彼を斬って密書を奪取します。
 それを機に忍びから足を洗い、30年後の今では商売で成功した九十郎。その前に現れたのは……

 有名な光秀から毛利への密書を題材とした本作は、実はある意味本書唯一のストレートな忍者とも言うべき本作ですが、クライマックスの展開は、むしろ作者が得意とするノワールもの的になるのが面白い。
 ショッキングな結末の果てに描かれるのは、それぞれ忍びを捨てながらも、全く逆の道を歩んだ男たちの姿。やりきれないものが残ります。


『蜀山人』(柴田錬三郎)
 本作は、連作『忍者からす』の一編。海の向こうからやってきた神鴉党の末裔たちが歴史の陰で活躍する姿を描いたシリーズですが、本作は泰平の時代を舞台としているためか、独立して読んでも違和感はありません。

 時は田沼時代、上から下まで賄賂が横行する中、稀代の粋人・才人として世間の注目を集める蜀山人・大田南畝。しかし彼には世間に隠れた顔がありました。
 実は彼は神鴉党の血を引き、その忍法を修めた男。その技を用いて、義賊「自来也」として、痛快な手段で不義の富を奪い、貧しき人々に分け与えていたのであります。そして彼が最後に挑む大仕事とは……

 元シリーズは柴錬意外史とも言うべき全作これアイディアの塊のような連作ですが、本作はその最たるもの。
 蜀山人・忍者からす・自来也という三題噺のような組み合わせを、柴錬一流のディレッタンティズムとダンディズムで練り上げてみせた本作の切れ味の良さには、何度読んでも驚かされます。

 そして軽佻浮薄極まりない世相のど真ん中に腰を据えながら、周囲に対して媚びず、皮肉な視線を向ける蜀山人の姿には、やはり作者自身の姿を感じてしまうのであります。


『猿飛佐助』(織田作之助)
 異色作揃いの本書の中でも最大の異色作が本作でありましょう。あの『夫婦善哉』の作者が忍者ものを、というだけでも驚かされますが、その内容がノンストップのスラップスティックコメディーなのですから。

 人一倍の自惚れを持ちながらも、生まれついてのアバタ面に深いコンプレックスを抱えた青年・猿飛佐助。そのコンプレックス故に山中に籠もっていた彼の前に現れた超人(鳥人)・戸沢図書虎(ツアラツストラ)の教えで飛行の術と五遁の忍術を修めた彼は、真田幸村の下に仕えるのですが……

 と、一見真っ当な物語に見えて、全編に渡って繰り広げられるのは、良く言えば先が見えない、言い換えれば勢いに任せて突っ走る展開の数々。ようやく主持ちになったと思えば、またコンプレックスが作用して出奔、その先で石川五右衛門一味と出くわしたと思ったら増上慢から術を喪って……とひたすら目まぐるしい。
 そこに佐助がウィットに富んだ会話を気取って連発する七五調の駄洒落を山盛りにした台詞回しが加わるのですから、その勢いは止まりません。

 しかし――無茶苦茶をやっているようで、佐助の言動から透けて見えるのは、自尊心と劣等感の間で揺れ動く現代人の心性と、もう一つ、大衆文学をものする作者自身の屈託。この韜晦こそが、一種メタな形で本作を忍者ものとしている……というのはさすがに言い過ぎかとは思いますが。

 そしてもう一つ驚かされるのは、本作が終戦前の昭和20年にラジオドラマとして放送されたものをほぼ同時に小説化したものであること。敗戦に突き進む時期にこの内容とは……作者の底知れぬ大きさに打たれた想いです。

 長くなりましたので残り二作品は次回紹介します。


『忍者だもの』(縄田一男編 新潮文庫) Amazon4
忍者だもの: 忍法小説五番勝負 (新潮文庫)

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2015.08.16

9月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 7月のうちから記録的な暑さに悩まされてきましたが、立秋を過ぎて少しマシになったと思いきや、気温は大して変わらずのこの夏。早いところ秋に入っていただけないかなあ……という気分ですが、秋といえばやはり読書の秋。というわけで9月の時代伝奇アイテム発売スケジュールであります。

 9月は文庫小説がかなり充実の印象。まず新作では、先日『妾屋昼兵衛女帳面』が終了した上田秀人の新シリーズ(であろう)『町奉行内与力奮闘記 立身の陰』、そして新鋭・谷津矢車が柳生十兵衛を、それも読書家として描くという『柳生剣法帖 ふたり十兵衛』が大いに気になります。

 そして奇数月といえば白泉社招き猫文庫。このブログ的に気になるのは、シリーズ第2弾となるあかほり悟『藍の武士 御用絵師一丸』をはじめとして、朝日奈錬『妖医幻眞 京都備忘録』、真藤いつき『青志郎秘拳帖 夢の仇路』。新作の方は、タイトルだけで期待したくなってしまうではありませんか。

 またシリーズものの続巻としては、武内涼『忍び道(仮)』第2巻、芝村凉也『素浪人半四郎百鬼夜行 5 夢告の訣れ』と数は少ないながらも期待作が並びます。

 さらに文庫化・復刊では、犬飼六岐『佐助を討て 真田残党秘録』、上田秀人『織江緋之介見参 2 不忘の太刀』〈新装版〉が登場。また、山田風太郎の歴史エッセイ集の文庫化であろう『秀吉はいつ知ったか』も注目。

 そして漫画の方は、小説に比べると点数は少ないのが寂しいところですが、それでもなかなかに気になる作品が並びます。

 新登場では、北崎拓『ますらお 秘本義経記』のシリーズ復活第2弾、『波弦、屋島』第1巻が登場。また、本庄敬『隠密包丁 本日も憂いなし』第1巻は、『蒼太の包丁』の作者の時代ものというのが気になるところ。
 また、シリーズものの続巻では、樹なつみ『一の食卓』第2巻、吉川うたた『鳥啼き魚の目は泪おくのほそみち秘録』第4巻、玉井雪雄『ケダマメ』第4巻、雨依新空『ヴィラネス真伝・寛永御前試合』第2巻、森野きこり『明治瓦斯燈妖夢抄 あかねや八雲』第3巻が要チェックでしょう。



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2015.08.15

平谷美樹『水滸伝 3 白虎山の攻防』 混沌の中の総力戦!

 隔月で刊行されてきた平谷美樹版『水滸伝』も早くも第3巻。この巻で描かれるのは、サブタイトルのとおり「白虎山の攻防」――早くも山東に覇を唱えつつある梁山泊の橋頭堡ともいうべき山東四山の一つ・白虎山を舞台に、豪傑たちと宿敵・耶律猝炫との激突が描かれることとなります。

 呉用により用意周到に進められてきた数々の策により、一気にその勢力を高めた梁山泊。豪傑たちも次々と集い、いまや梁山泊のみならず、二竜山・桃花山・清風山そして白虎山の山東四山に、梁山泊の出城ともいうべき砦が作られている状況であります。
 もちろん、それを官軍が黙って見逃すはずもありません。かつて王進を討ち、史進と死闘の末に片目を奪われた北狄軍将軍・耶律猝炫――梁山泊の宿敵とも言える男が、討伐軍を率いて接近していたのであります。

 彼の標的は、四山のうち一つ外れた地に位置する白虎山。そこに拠るは孔明・孔亮の兄弟に武松、そして呉用の策により役人の地位を追われ、お尋ね者として放浪する羽目になった宋江が……
 しかも宋江の弟・宋清を人質に取って迫る官軍。この窮地に三山の豪傑たち、そして梁山泊からは林冲、魯智深らが駆けつけたものの、梁山泊本隊は別の作戦を遂行中であり、官軍との戦力差は絶対的であります。

 かくてこの巻をほとんど丸々使って描かれるのは、白虎山を舞台とした豪傑たちと官軍の総力戦。武と武、智と智の一歩も引かぬ攻防戦の最中に、朱仝・雷童・秦明・黄信ら新たな豪傑も登場し、さらに童貫・高キュウまで……と、早くもクライマックスであります。

 その中で注目すべきは、やはり単純に敵味方・善悪で切り分けることのできない混沌とした人間関係、勢力分布でありましょう。
 もちろん梁山泊と官軍という大きなラインはあるものの、どちらの勢力も一枚岩とは言えない状態。童貫と高キュウが勢力争いを繰り広げる官軍はある意味当然かもしれませんが、その両者の間に立つ耶律猝炫は、さらに複雑な動きを見せることとなります。

 そもそも耶律猝炫はその姓が示すように北方の契丹の血を引く男。というより、あの耶律突欲の子孫……といえば、平谷美樹ファンはおお、と思われることでしょう。故国は既になく、宋においても使い捨ての捨て駒として扱われる彼の存在は、ある意味本作最大の台風の目であります。

 一方、梁山泊側も、宋江が呉用の仕打ちを根に持ち、尽くぶつかり合うのをはじめ(この辺り、原典の二人の関係を考えると非常に楽しいのですが)、呉用と史進をはじめとする他の豪傑たちの間が必ずしもうまくいっているとは言えない状況。
 特に本作の呉用は、能力的には素晴らしいのですが、百八つの魔星リストの自作自演に代表されるように、どこか得体の知れない、信用のできない男であります。

 とはいえ、豪傑たちが官軍に勝つためには呉用の策が必要であり、そして呉用も自らの目的のためには豪傑たちの力が必要……と、危ういバランスで成り立った人間関係も、またユニークな点でありましょう。


 そして本作の後半では、その一筋縄ではいかない平谷水滸伝を象徴するかのような関係にある二人が、再び再会することとなります。
それは史進と高キュウ――方や梁山泊に拠る豪傑の筆頭、方や朝廷を私する奸臣。本来であれば宿敵同士ですが、しかしシリーズの第1巻において二人は一度出会い、近しく言葉を交わしているのであります。

 己の感情・感覚の赴くまま、奸臣を倒し世直しをせんとする史進。己の心情を韜晦し、奸臣を装って世直しをせんとする高キュウ。全く対極にありつつも、しかし世直しという点で共通し、不思議に惹かれあう二人の関係は、世直し――言い換えれば国の在り方において様々な人々の想いが交錯する、この平谷水滸伝ならではのものでありましょう。

 もっとも、史進はともかく、高キュウの――さらに言えば呉用の世直しの先にあるものが、今一つ見えないのがすっきりしないところでありますが……


 本シリーズは、この第3巻において第一部完とのこと。なるほど、クライマックスのほとんど総力戦のような盛り上がりはそれ故か、と納得いたしましたが、もちろん物語はまだまだその端緒についたばかりであります。
(原典で言えば、清風山の攻防戦が終わった辺りと思えば良いでしょう)

 果たしてこの続きを読むことができるのがいつになるのか、それはわかりませんが、反骨の奇想の作家である作者によってまさに書かれるべき物語であるだけに――続巻を心して待ちたいと思います。


『水滸伝 3 白虎山の攻防』(平谷美樹 角川春樹事務所時代小説文庫) Amazon
水滸伝 3 白虎山の攻防 (ハルキ文庫)


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2015.08.14

水上悟志『戦国妖狐』第15巻 決戦の先の、そのまた先に待つものは

 戦国時代を舞台に、人と闇(かたわら)と――さらに異なる時代から現れ、闇たちを操る無の民との戦いを描く『戦国妖狐』もついに第15巻であります。第13巻から始まった無の民との決戦はまだまだ続き、どのような結末を迎えるのか、全く見えませんが、そのテンションは衰えることがありません。

 千夜の中の核を狙い、無数の闇を洗脳して手駒とする無の民。その術中には彼の父・神雲が、そして巨大なる雲の闇・万象王までもが陥り、戦力差は絶望的と思われたのですが――
 しかし、千夜のライバルたる黒竜ムドが、そして彼の師であり神雲の親友であった道錬が、月湖がなうが真介が断怪衆が……これまで物語に登場した様々な人々が駆けつけ、一気に千夜たちが攻勢に回るという素晴らしく盛り上がる展開を踏まえて続くこの第15巻。

 神雲と道錬の因縁に決着が付き、真介の想いが闇たちを救い、残るは万象王と無の民のみ……と、これ以上に盛り上がることがあるのかと思ってしまいますが、しかしまだまだ千夜が強くなっていくように、まだまだ物語はそれ以上に盛り上がっていくのだから恐ろしい。

 千夜とムド、もはや常人いや闇の域を遙かに超えた両雄ですら敵わぬ万象王の真意は。死闘の果てに持てる力の全てを使い果たした神雲と道錬の望みとは。妖人・野禅が語る万象王攻略のための唯一の、しかしまず実行不可能な方法とは――
 その全てが絡み合い、一つとなったところに生まれるのは、この決戦でもおそらく最大のクライマックス。ベタと言わば言え、これはむしろ王道だ、と言わんばかりの展開は、今日日、少年漫画でも珍しいほどの直球ど真ん中、それだけにこちらの心を大きく揺さぶるのであります。

 そしてその中心にいるのはもちろん千夜であります。真介の教えを、月湖の想いを、そして神雲と道錬の意志を胸に――雲を跳び越えて駆ける彼の姿は、もはや異形と言うほかない姿ながら、しかしその中にあるのはどこまでも純粋な想い。
 この巻のラストで描かれる対決、かつては一敗地に塗れた無の民を相手にしての対決は、そんな彼のこれまでの旅を、そして本作という物語の総括とも言うべきものであり――そしてそれを、これまで果てしない力と力のぶつかり合いを描いてきたすぐ後に描いてくるのが、何とも心憎いばかりなのです。


 それにしても、ここまで盛り上がってしまえば、後は結末まで一直線、と言いたいところですが、それがそうとは言い切れないのが本作の楽しくも恐ろしいところ。
 現に、決戦も終盤であろうこの段階に来て、意外な――しかし存在自体は予告されてきた――新キャラクターが投入されてくるのですから、まだまだ油断できません。

 そして何よりも、この戦いの真の目的である千本妖狐・迅火との対峙はまだこれから。
 そこに何が待っているのか、そこで新キャラクターがどのような役割を果たすのか――あるいはあっさりと結末を迎えるかもしれず、あるいはまだまだここから新しい物語が始まるのかもしれません。

 しかし一つだけ言えるのは、本作がどの道を行くにせよ、それを――物語の醍醐味を存分に味あわせてくれる本作のたどり着く先を――見届けるのが楽しみでならないということなのです。


『戦国妖狐』第15巻(水上悟志 マッグガーデンブレイドコミックス) Amazon
戦国妖狐 15 (BLADE COMICS)


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 「戦国妖狐」第8巻 戦国を舞台とする理由
 「戦国妖狐」第9巻 虚構と史実、同日同刻二つの戦い
 「戦国妖狐」第10巻 真の決戦、そして新たなる旅立ち
 「戦国妖狐」第11巻 父子対決、そして役者は揃った!
 「戦国妖狐」第12巻 決戦前夜に集う者たち
 『戦国妖狐』第13巻 そして千夜の選んだ道
 『戦国妖狐』第14巻 決戦第二章、それぞれの強さの激突

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2015.08.13

天野純希『風吹く谷の守人』 少女は戦国の理不尽に立ち向かう

 最近は戦国武将を主人公とした歴史小説のイメージが強い天野純希ですが、歴史の中に埋もれたごく普通の人々――特に若者たちの姿を描く名手でもあります。凄まじい戦闘力を持ちつつも人の心を忘れぬ少女を中心に、平凡な若者たちが必死のサバイバルを繰り広げる本作も、その系譜に属する作品です。

 越前国の山村で育ての父・源吾とともに暮らす結衣は、女らしいことは苦手ながら、身のこなしや弓矢の扱いは男顔負けの少女。
 両親を失って姉と共に放浪する中、何者かに襲われて姉も失い、やはり放浪中だった源吾に拾われた彼女は、村に受け入れられて平和に暮らしていたのですが……

 その頃の越前は、朝倉義景が信長に討たれ、その後釜を巡って土豪が争い、さらにそこに信長の支配に反発する一向宗が介入することにより、混沌とした情勢。 結衣の村からも若者たちが一向宗に徴発され、信長の軍との戦いに駆り出されておりました。
 そんな中で村を襲った野伏りたちを、圧倒的な戦闘力を発揮して屠った結衣。実は彼女には、彼女自身が記憶の底に封印していた、忌まわしい過去があったのです。

 その過去と向き合いつつも前向きに生きようとする結衣。しかし、一向宗の専横に反発した村々は一向宗に滅ぼされ、さらにそこに来襲した信長軍の圧倒的な軍勢の前に、結衣の周囲の人々も、次々と命を落としていくこととなります。
 村の人々を守るために、必死に戦う結衣たち。しかしその前に最悪の敵が――


 幼い頃から無敵の戦闘技術を叩き込まれた少女というのは、現代アクションものなどではしばしば見る設定でありますが、時代ものではかなり珍しい部類に属するものでしょう。
 本作はそのシチュエーションを、しかし違和感なく取り込み、迫力と説得力あるアクションが描かれていくこととなります。

 特に中盤以降からラストに至るまで――信長軍が越前に来襲して以降の展開は、まさに怒濤というべき勢い。
 次から次へと繰り広げられる死闘と、その中で失われていく数多くの命を描く筆の勢いは最後まで全く衰えることなく、一気に結末まで読まされてしまった次第です。

 しかし――本作の魅力は、そのアクションサスペンスとも言うべき部分のみにあるわけではありません。
 本作の最大の魅力、それは乱世の中でつましく、それでも平和に生きてきた人々が、あまりに理不尽な戦乱の中において、必死に生き抜いていこうとする、その姿にあります。

 本作の背景である越前国一揆に限らず、戦国時代の戦の記録――いや、それを扱ったフィクションの多くにおいて描かれるのは武士あるいはそれに類する層の姿でありましょう。
 そこにあるのは、言うなれば上からの視点であり……この時代の大多数に属するであろう庶民の姿は、武士たちの姿に隠れてしまっているやに感じられます。

 それに対して本作は、一貫して武士たちの理不尽に翻弄される庶民の立場から、物語を描いていきます。
 比較的平和な時期の穏やかな村の暮らしが描かれる本作の前半部分と、一転して理不尽な死の連続が描かれる後半部分と――そのギャップが激しければ激しいほど、翻弄される人々の味わう悲しみ、恐怖、怒りは、我々の心に突き刺さります。

 特に作中に登場する村の若者たちは、冒頭に述べたように作者一流の瑞々しい描写でもって一人一人のキャラクターが掘り下げられるだけに、彼らが見たもの、経験したものが、痛いほど伝わってくるのであります。そして結衣もまた、そんな若者の一人であることはいうまでもありません。

 確かに、彼女は普通の若者とは異なる力と過去を持ちます。しかし、それもまた戦国の理不尽の生み出したものであり、彼女自身はあくまでも一人の少女に過ぎません。
 そして何よりも彼女自身がその力に――言い換えれば戦国の狂気に――飲み込まれることも潰されることもなく、一人の人間として生き抜こうとする姿は、理不尽の先にある明日を信じ、掴もうとする人間の強さの象徴として感じられるのです。


 奇想豊かな(彼女の過去に関係する人物のあまりの意外さに仰天!)戦国アクションであると同時に、歴史に翻弄される人々の悲しみと、それに負けない人間の強さを描く――天野純希という作家の魅力が詰まった作品であります。


『風吹く谷の守人』(天野純希 集英社) Amazon
風吹く谷の守人

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2015.08.12

和田はつ子『鬼の大江戸ふしぎ帖 鬼が見える』 鬼と人の間に立つ者

 これまでも数多くの作品が発表されてきた妖怪時代小説。その中に、実にユニークな作品が加わることになりました。鬼殺しの末裔であり、鬼を見る力を持つ南町同心が、鬼の末裔たちが無数に暮らす江戸で、人と鬼が引き起こす事件解決に奔走する物語であります。

 主人公・渡辺源時は、実家は老舗商人ながら、同心株を買って定町廻り同心となった青年。そんな彼の妹が、江戸を騒がす美女拐かしに誘拐されたのをきっかけに、彼の目には奇怪なものが映るようになります。

 それは、人に混じって暮らす様々な鬼の顔――実は江戸は人よりも鬼が多く住む町、商人や職人、さらには彼の岡っ引きや奉行所の人間も、鬼だったのであります。
 平安時代、酒呑童子を倒した源頼光の四天王。依頼、代々鬼を狩ってきた四天王の末裔の血を、源時は引いていたのでした。

 かくて、突然発現した力に戸惑いながらも、源時は鬼たちと時に戦い、時に触れ合いながらも、妹の拐かしを始め、次々と鬼絡みの怪事件に挑むことになるのであります。


 冒頭に述べたように、いまやサブジャンルの一つとして確立した感のある妖怪時代小説。そのスタイルは様々ですが、同じくサブジャンルである捕物帖と組み合わせた作品も、少なくはありません。
 しかしそんな中でも本作が一際異彩を放つのは、もちろん、江戸が鬼の町であり、そして主人公が鬼が見えるという基本設定にあることは間違いありません。

 とにかく、主人公を除けば登場する人間はごくわずか、後は登場するキャラクターのほとんどが鬼というのは――異世界ではなく現実世界を舞台としたものとしては――非常にユニークな部類に入りましょう。
(あまりに鬼ばかりなので、あるいはベレスフォードの『人間嫌い』のような話かと思いましたが、さすがにそれは深読みのしすぎでした)

 そして一口に鬼と言っても様々ですが、本作に登場する鬼は、狼、狐、兎、鷹、時鳥……と、それぞれ動物(時に虫や植物まで)をモチーフとした能力と習性を持つ存在。
 狼鬼は動物の血肉を好み(酒呑童子も狼鬼だった、という設定)、狐鬼はずる賢く……というのは序の口、様々な形で設定された鬼たちの存在は、そのまま本作の物語展開に直結していくこととなります。

 何よりも面白いのは、主人公が鬼殺しの末裔とはいえ、本作が必ずしも鬼を退治しておしまい、という展開にはならないことでしょう。
 上で述べたとおり、人が様々であるように、鬼も千差万別、悪鬼もいれば善鬼もいる、人と同様に他者を助ける者もいれば、犠牲にされる者もいる……というわけで、源時は、ある意味人と鬼の間に立つ者として、事件解決に奔走することになるのです。


 このように非常にユニークな設定の本作ですが、しかし正直に申し上げれば、それが十全に働いているとは言いにくいように感じる部分はあります。

 鬼の設定が本作ほぼ独自のものである点は、個性的である一方で、作品のかなりの部分をその説明が占めることになりますし、またそれが時に物語にとって便利すぎる形で働いているように感じられる点もあります。

 そして何よりも、登場する鬼が多すぎるが故に、人と鬼という、二つの全く異なる世界の相互作用――時に摩擦、時に融和という――という、妖怪時代小説最大の魅力があまり見えてこないように感じられるのです。
(この点、大半の鬼は人間社会に完全に溶け込んでおり、また源時以外の人間は鬼の存在を感じることができないため、やむを得ないをいえばそうなのですが……)

 イメージ的には悪役である鬼を、その軛から解放し、時に鬼よりも恐ろしくおぞましい人の姿を描くというのは、ある意味定番ながら興味深い趣向なのですが……


 作者は、料理や医学などを題材とした文庫書き下ろし時代小説をメインに活躍しているところですが、元々はホラーからスタートした作家(さらに言えば、時代ものでも『余々姫夢見帖』のように異能を題材とした作品があります)。

 本作のアイディアはその作者ならではのものと感じますし――それだけに、さらにその先を見せていただけるのではないかと願っているところではあります。


『鬼の大江戸ふしぎ帖 鬼が見える』(和田はつ子 宝島社文庫) Amazon
鬼の大江戸ふしぎ帖 鬼が見える (宝島社文庫 「この時代小説がすごい!」シリーズ)

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2015.08.11

せがわまさき『十 忍法魔界転生』第7巻 決闘第二番 奇勝の空中戦!

 いよいよ始まった本当の戦い、我らが柳生十兵衛と七魔剣(単行本帯曰く)の死闘旅を描く『十 忍法魔界転生』第7巻の登場であります。前の巻で一番手の田宮坊太郎を下した十兵衛一行の前に出現したのは宝蔵院胤舜。言うまでもなく宝蔵院槍術の達人であります。

 紀伊徳川家に救った奇怪な魔物とも言うべき森宗意軒と七人の転生衆。
 その企みの全貌は知らぬものの、彼らを討ち、紀州を救うために立ち上がった十兵衛は、弟子の(自称)柳生十人衆、転生衆を仇とする三人娘とその弟・弥太郎、さらに途中で出会った娘・お品(実は十兵衛堕落を目論む肉の刺客・クララお品)と、見た目はにぎやかな一行で旅立つこととなります。

 その西国三十三ヶ所巡りのルートの途上で待ち受ける転生衆。十兵衛をも仲間に加えんとする彼らは、それぞれが十兵衛に少しずつ傷を与えることで、彼の心を折ろうとしていたのですが――一番手の坊太郎は敗れ、二番手の宝蔵院が登場! というところからこの巻は始まることとなります。

 ここで対決の場となったのは、熊野灘を望む奇勝・三段壁。岬の真ん中を深い谷が真っ二つに分けたかのような絶壁の上で、二人は激突することとなります。
 既に描かれたとおり、宝蔵院の得物は十文字槍、突くだけでなく、斬る、引っかけると自在の武器であり、何よりもその攻撃範囲は刀の比ではない――

 そんな得物を手にした達人を相手に十兵衛が如何に戦うか? それはここでは述べない……というより述べられない、まさに筆舌尽くしがたい、画を見てもらうしかないバトルなのですが、しかし本当のクライマックスはその先であります。
 戦いの末にその場を逃れんとする宝蔵院が、三段壁の亀裂の向こう側に跳び去らんとした時、繰り出されるは柳生十人衆必死の技。そしてそれを受けての十兵衛の離れ業は……

 いやはや、初めて原作を読んだ時から、この場面はビジュアルで見てみたい(一つにはあまりにも奇想天外で)と思いつつ、その後様々な形で映像化・漫画化された中でも、ビジュアル化されたことのなかった名場面。それがここまで見事に描かれたのですから、ファンとしては感涙ものであります。


 ……が、ここで小うるさいファンとしてやはりどうしても気になってしまったのは、宝蔵院のビジュアル。
 なんのつもりかリボン付きのおさげ二本に、ルーズソックスめいた臑当て、よく見れば水兵さん的な襟のついた着物と、奇っ怪千万であります。
(それだけで見れば十分おかしい十文字の眉のことを忘れるほどに……)

 それが身をよじらせるようなポーズで「恋心」云々と言い出すのは、もはや危険水域をとうに越えた感があって――転生後の変態いや変貌の描写として、わかりやすいのは承知の上ですが、ちょっとやりすぎではなかったかなあ……と、思ってしまったのでした。


 閑話休題、宝蔵院との対決が前半のクライマックスとすれば、後半のクライマックスは、お品を巡る虚々実々のやりとりであります。

 冒頭で述べたとおり、一種の刺客として十兵衛一行の懐に入ったお品。気の触れた娘を装っているのをいいことに、服を着ている場面の方が少ないのではないかという勢いで桃色空気を振りまく彼女ですが……十人衆はともかく、十兵衛はどこ吹く風といった態。
 それでもあられもない姿で誘ってくるお品を、人気のない場所に連れてきた十兵衛がとった行動とは――

 これまでも何度か述べてきたかと思いますが、一種ゲーム的な駆け引きがしばしば描かれる山風作品の中でも、「ゲームのルール」という章題がある通り、特にその要素が強く感じられる本作。
 ここで描かれる見事な一計もまた、その一つなのですが……

 しかし、単にやりとりの面白さだけではないのがこの漫画版。その仮の姿とは裏腹に、クララが折に触れて見せる、コケットなだけではない様々な表情は、これまでも実に魅力的だったのですが、今回描かれた喜怒哀楽は特に印象深く――
 そこにまた十兵衛が、男としてヒーローとして、格好いいとしか言いようのない姿を見せるのが作用して、この先のある展開を予感させてくれるのです。

 そして次なる転生衆は柳生如雲斎――十兵衛とは同門にして、最強を謳われた相手の登場に、まだまだ盛り上がる本作であります。


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十 ~忍法魔界転生~(7) (ヤンマガKCスペシャル)


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2015.08.10

武村勇治『天威無法 武蔵坊弁慶』第5巻 激突! 突き抜けた力を持てる者

 専横を極める平氏に対し、己の巨大すぎる力を持て余す弁慶と、美しき復讐鬼と化した義経が挑む……という域を遙かに越えた、恐るべき伝奇活劇となってきた『天威無法 武蔵坊弁慶』。その中心にある兵法書・六韜の一つを持つ最後の男・木曾義仲の登場は、物語は更なる波乱をもたらすことになります。

 持つ者に人知を超えた強大な力を与えるという六韜。謎の男・鬼一法眼が宋から持ち帰った六巻は、それぞれ平清盛、後白河院、源頼朝、藤原秀衡、木曾義仲、そして平維盛の手に渡ることとなりました。

 六韜まであと一歩、というところまで迫りながらも、彼と、そして鬼一法眼と奇しき因縁で結ばれた鬼若改め武蔵坊弁慶の妨害で六韜を逃した義経は、ひとまず奥州の秀衡のもとに向かうのですが――そこで出会うことになるのが、義仲であります。

 従兄弟同士に当たる義経と義仲でありますが、しかし同族が血で血を争う争いを繰り広げるのが武家の習い。事実、義仲の父は義経の父に討たれており、仇とも言うべき間柄なのですが……

 そんな状況の中、とある事件がきっかけで、己の身分を伏せたまま、義仲の愛妾である巴御前と対決することとなった義経の妹・遮那。武芸の腕前も、飲む酒の量もほとんど互角の二人は、強敵と書いて友と読むような関係となっていきます。
 そうとも知らず、義経と弁慶は遮那奪還に一計を案じて――

 と、前半は本作には比較的珍しく、コミカルかつ微笑ましい展開が続くのですが、しかし義仲が義経の正体を知った時、物語は一転ハードなバトルものに変貌することになります。
 特に、互いに規格外の肉体を持つ弁慶と義仲の正面切っての殴り合いは、作者らしいコミカルさギリギリの豪快さが圧巻。その一方で、前の巻で描かれた暗黒面全開で暴れ回る義経も、またらしいと言えばらしいと言える迫力であります。

 ……が、これはまだ序の口。全力のお前で来いという弁慶の徴発に乗り、遂に六韜の一つ・武韜の封印を解いた義仲。その力が極まるところに生まれた姿は……デ○○○ロ!? というのは冗談としても、少なくとも時代もの・歴史ものの域を突き抜けた存在であることは間違いありません。


 が、それがいい。というよりこの突き抜け方こそ、こちらが待ちに待っていたもの。六韜が登場して以来、尋常なものでなくなってきた本作の勢いとテンション。それにすっかり魅せられている身としては、これこそが待ちに待ったというべき展開であります。

 さて、そんな突き抜けた六韜の力に対し、自らはそれを手にすることを拒んだ弁慶が、そしてそれの力を渇望しつつもいま一歩届かない義経が、如何に相対するかというのは、今の本作において最大の命題でありましょう。
 その点については、今回はまだまだこれから、と言ったところ。個人的には弁慶が今回ちらりと見せたモノについては、ちょっとそれはズルいのではないかと思いましたが……


 何はともあれ、まだまだ六韜を巡る物語は端緒に着いたばかりと言うべきでしょう。
 この巻のラストではついに後白河法皇の持つ六韜の能力も登場、義経や弁慶の預かり知らぬ場でも六韜所有者同士の戦いが勃発しそうなところ、こちらも楽しみになるのであります。


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天威無法-武蔵坊弁慶-(5) (ヒーローズコミックス)


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2015.08.09

森谷明子『千年の黙 異本源氏物語』 日本最大の物語作者の挑戦と勝利

 今なお数多くの人を魅了する『源氏物語』。その物語の存在そのものを題材とする作品も決して少なくはありませんが、本作はその中でもユニークなものの一つでしょう。何しろ本作は、作者たる紫式部を探偵役とした――それも、源氏物語そのものにまつわる謎を解き明かす――ミステリなのですから。

 そんな本作は、二人の主人公を――藤原香子、すなわち紫式部と、彼女に仕える女房の阿手木を配置した作品。明るく活発な性格でどこにでも飛び込んでいく阿手木を助手役に、香子を安楽椅子探偵にそれぞれ配置した形となります。

 さて、全三部構成の本作の第一部「上にさぶらふ御猫」で描かれるのは、出産で宿下がりした中宮定子に同行した、帝の寵愛した猫の行方不明事件。
 それとほぼ時同じくして、左大臣藤原道長邸からも猫が姿を消し、憎からず思っていた男童の岩丸が疑われていると知った阿手木は、猫を探して奔走するのですが、その背後には――と、「日常の謎」的な発端ながらも、物語は意外な方向に展開していくことになります。

 この第一部が歴史上の有名人を探偵としたという意味での歴史ミステリだとすれば、第二部「かかやく日の宮」は(その要素ももちろんあるものの)歴史上の謎を解き明かすという意味での歴史ミステリと申せましょう。

 ここで描かれるのは、源氏物語最大の謎とも言うべき、幻の一帖の行方。物語の構成上、書かれているはずであるのに、現在存在していない「かかやく日の宮」が、実は紫式部も知らぬうちにその存在を抹消されていた、という驚くべき設定から、その理由と犯人が解き明かされていくのであります。

 そしてエピローグとも言うべき第三部「雲隠」では、もう一つの幻の帖の行方とそこに込められた式部の想い、そして一つの皮肉な真実が語られることで、物語は結末を迎えることになります。


 そんな独創的な歴史ミステリである本作ですが、それに加えて魅力なのは、個性的かつ存在感ある登場人物たちの描写でありましょう。
 登場人物は大半が実在、それも教科書に登場するような面々ですが、本作において描かれるのは、歴史の一ページとしての姿ではなく、生き生きとした人間としての顔。

 特に女性陣は、よほど高貴な身分でもなければ名前も生没年も不詳のこの時代において、それぞれに一個の人間として自分の存在を主張するのが、何とも嬉しく感じられるところであります。
(そして本作の黒幕とも言うべきある人物にしても、通り一遍の悪役ではないことが示されるのもいい)


 しかしそれ以上に本作で魅力的なのは、「物語ること」「物語の力」を描き出している点ではないでしょうか。

 我が国の物語の源流の一つとも言うべき『源氏物語』。しかしその完成に至るまでは長き年月を必要としたこと、そして何よりもその内容故に――絶賛の声が多かったのは言うまでもありませんが――批判・非難の声もあったことは想像に難くありません。
 そしてまた、式部のような立場の女性がこのような文学作品を書くことに対する壁もまた、分厚いものがあったことでしょう。

 実に本作は、ミステリ味を加えることにより、物語作家としての紫式部によるその偉大な挑戦を巧みに浮き彫りにしてみせたと感じます。
 物語を書き続けていくことの決意、物語が自らの手を離れて拡散していくことへの畏れ、物語が奪われることへの怒り――

 もちろんそれは、この時代を生きた彼女ならでのものであります。しかし彼女の挑戦は、現代に至るまで様々な物語作者が経験してきたものであり――そして彼女が全身全霊を賭けて生み出した物語が、今なお読み継がれているということは、彼女の勝利と言うべきでしょう。

 本作において彼女が挑んだ謎は、その挑戦と勝利を別のベクトルから描いたものであります。そしてそれだからこそ、本作で――特に本作の第三部「雲隠」で――描かれた彼女の姿に、強く感動を覚えるものなのです。
(そして本作が作者のデビュー作であるという点に、物語作者としての作者の決意が感じられます)

 少々冗長に感じる部分はあります。古典や日本史の知識がないと厳しい部分もあります。それでもなお――本作は読み継がれる価値のある作品であると、今回改めてその想いを強くした次第です。


『千年の黙 異本源氏物語』(森谷明子 創元推理文庫) Amazon
千年の黙 異本源氏物語 (創元推理文庫)

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2015.08.08

葉明軒『仙術士李白』第1巻 仙術を通して描く大唐国

 このブログでは、日本を舞台にした作品のみならず、中国ものもしばしば取り上げてきましたが、今回紹介する作品は、タイトルからして大いに気になる作品。あの唐代の大詩人・李白が、実は仙術を操る少年だったという、実にユニークなアイディアに基づく中国ファンタジーであります。

 幼い頃から美女道士・焦煉師の下で修行を重ね、15歳の時には既に一人前の仙術士となっていた李白。彼の夢は、国中の秀才が集う翰林院に入り、国家仙術士なることでありました。

 しかし庶民出身の彼にとっては、科挙を受けることも夢のまた夢。国師たる司馬承禎の言葉に従い、制挙(皇帝の詔により、身分を問わず才ある人間を募り、皇帝自らが審査する試験)を目指すこととした李白は、諸国を巡って見聞を広めることとなります。

 友人の呉指南と旅する中、様々な事件に出会う李白。しかしその間にも、彼と同い年の少年・王維が科挙を突破し、進士となっていたのでした……


 本作の主人公たる李白について、ここでくだくだしく述べることはいたしませんが、本作を読むに当たり、頭の片隅に置いておくと面白いのは、彼と仙術の関わりでありましょう。
 本作では彼の士として登場する、当時としては有名人だった焦煉師(焦錬師)に入門したかった、という彼は、やはり本作に登場する道士・東巖子とともに山に籠もり、仙術修行の日々を送ったと言われています。

 しかも、これまた本作に登場する司馬承禎をして、仙骨(仙人の素質がある者が生まれつき持つというもの)があると言わしめたというのですから、これはまさしく折り紙付き。
 彼の異名「詩仙」は、こうしたところからも由来しているのかもしれません。


 そして本作は、その李白を本当に仙術士にしてしまったわけですが――それも本作独自の世界観があったこそ。
 そう、本作においては、仙術が至上の能力であり――そして科挙を合格した官吏・政治家の多くは、何らかの能力を持つ術者なのです。

 当然、本作で彼のライバルとなるであろう王維もそんな術者の一人であります。
 史実では、詩のみならず画・書と様々な芸術に優れ、そして政治家としても活躍した王維ですが、その「詩仏」の異名にふさわしく、彼が用いるのは仏教系の術というのが実に面白いのです。

 そんな本作の世界観は、もちろんフィクションではありましょうが、しかし実際に読んでみると、例えば本作で描かれる翰林院の姿など、現実の唐という国――なかんずくその官界・政界の、一種のパロディ、カリカチュアと言うべきものとして描かれているやに感じられます。

 現代日本の我々にとっては、どうしても縁遠い唐代の政治の世界。それを漫画としてストレートに描き、我々に興味を持たせるのは、なかなかに難しいと思いますが――なるほど、こうした手法であれば、無理なく引き込まれてしまいます。

 もちろんそれだけでなく、仙術アクションものとしても、本作が十分に魅力的なことは言うまでもありませんが……


 上で述べたように、本作の登場人物のほとんどは、実在の(記録等に残っている)人物。それをこのユニークで魅力的な世界に放り込むことにより、本作は史実を踏まえつつも、全く新しい物語を生み出そうとしていると感じます。

 この巻のラストには、詩仙・詩仏とくればもう一人……のあの人物が、意外な形で登場。
 おそらくは彼らの宿敵となるであろう李林甫(この時代の悪徳政治家の代表とも言うべき人物)も不気味な存在感を発揮しており、この先、李白たちの冒険がいかなるかたちで描かれることになるのか――大いに楽しみにしているところなのです。


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仙術士 李白 (カドカワコミックス・エース)

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2015.08.07

戸部新十郎『最後の忍び 忍者小説セレクション』 滅びと隣り合わせの忍者たち

 戸部新十郎というと、『秘剣』シリーズのような剣豪もののイメージがありますが、大作『服部半蔵』や『忍法水滸伝』、研究書『忍者の履歴書』等、忍者ものでも活躍した作家であります。本作はそんな作者の忍者もの短編を集めたオリジナル作品集、戦国から幕末まで、様々な忍者の姿を描きます。

 一口に忍者といってもその在り方は様々。(忍びにはあるまじきことではありますが)華々しく活躍して歴史に名を残した者もいれば、表舞台に出ることなく、ひっそりと消えていった者もいます。
 本書に収録された全9編それぞれの主人公は、みな後者に当たる者ばかり。様々な歴史上の事件や有名人の陰で生き、戦い、散っていった者たちであります。

 さて本書はそんな忍びたちが登場する作品を、舞台とする時代順に並べるという、なかなか心憎い構成の一冊。以下に簡単に収録作の内容を述べましょう。

『金剛鈴が鳴る』……家族を殺した風魔小太郎の一党に入り込んだ少年・藤五。しかし彼が見た小太郎は、北条幻庵の操り人形だった。
『玄妙・収気の忍』……家康の伊賀越えで、収気の術を用いて追っ手を倒した伊賀忍び。しかし生き延びた相手は意外な形で彼に迫る。
『身は錆刀』……二代目半蔵への謀反の首謀者として父が処刑された庄五郎。彼の前に現れた新たな組頭・大久保甚右衛門の真意とは。
『忍の道茫々』……本多正信に父の代から仕える八十助。智恵者で吝嗇で好色という、忍びの主人に適さないと言われる正信の素顔は。
『生死輪転』……二人の伝説的忍びに翻弄されるまま、里を出て、決戦迫る大坂城にある命を帯びて潜入した角内を待つ運命は。
『ずンと切支丹』……草笛を吹く他は己の意志を持たぬ才丸。島原の乱が迫る中、切支丹に雇われて凶行を繰り返す才丸だが。
『潜み猿』……平和な加賀前田家で、幼い頃から父に厳しい訓練を受けてきた織部は、思わぬ出来事から自分が潜み猿(草)だと知る。
『越ノ雪』……任務の末廃人と化した兄の後を継ぎ、銭屋五兵衛の抜け荷を探る矢介は五兵衛の大きさを知り、魅了されるが……
『かたしろの甍』……錦の御旗の前に惨敗した幕府軍。憤懣やるかたない矢五郎は、各地の草を糾合して薩摩に挑もうとするのだが。

 以上、駆け足でありますが、本書が様々な時代、様々な事件を舞台とすることはご理解いただけるでしょう。

 作者の短編は、ことさらに感情を煽り立てることのない、どこか硬質さのある静かな文体で語られながらも、しかし結末においてこちらの心を大きく揺さぶるというスタイルが多いのですが、本書に収録された作品はまさにそうした作品揃い。
 忍びたちの生と死を淡々と描くこれらの作品には、ひどく苦くも、しかし決して不快ではない不思議な奥深い味わいがあります。


 そんな本書の作品を振り返ってみれば、ほとんどの作品において、忍びたちが滅びと隣り合わせに存在していることに気づきます。

 北条の尖兵として猛威を振るいながらも、主家が滅びれば盗賊に堕する他なかった風魔。徳川幕府の体制に組み込まれ、忍びとしての牙を抜かれた伊賀者。既に探る城もなく、商人の懐を探る太平の忍び。そして忍びという存在が単なるシンボルとなった幕末――
 それぞれの時代において、彼らはそれぞれの姿で静かに滅びつつありました。

 そしてそれは、収録作のほとんどの主人公が、経験の浅い若き忍びを――己の考えというものを持つに至らず、先達に導かれ、あるいは指嗾されるままに動くほかない者たちを主人公としていることと、無縁ではありますまい。

 ただ人に操られ、消費されていく――滅んでいく忍びたち。
 その姿は、単に忍びだけのものではなく、歴史に翻弄される者全てに共通するものである……というのは徒に主語を大きくしているだけかもしれませんが、作者の筆の描くところに、不思議な共感が生まれるのは間違いありますまい。


 戸部新十郎ファン、忍者ものファンであれば是非読んでいただきたい本書ですが、ただ一つ残念なのは、収録作品の初出が記載されていないことでありましょう。
 更なる作者の作品を求める者の道標として、そうしたデータは是非残していただきたかったものです。


『最後の忍び 忍者小説セレクション』(戸部新十郎 光文社文庫) Amazon
最後の忍び: 忍者小説セレクション (光文社時代小説文庫)

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2015.08.06

高田崇史『鬼神伝 神の巻』 激化する神仏の戦いの先にあったものは

 現代から過去の時代にタイムスリップして、鬼と人の争いに巻き込まれた少年・天童純の冒険を描く高田崇史の『鬼神伝』シリーズの第2弾、平安時代の冒険の結末を描く『神の巻』であります。鬼も人も総力を結集し、戦いがいよいよ激化する中、純が見たものとは……

 ある日突然平安時代にタイムスリップし、鬼と人の戦いに巻き込まれた純。自分に伝説の雄龍霊を操る力があることを知り、鬼と戦う彼がやがて知ったのは、人こそが侵略者であり、自分は鬼の末裔であるという事実でした。
 人や仏との戦いの最中、純は後ろ髪を引かれつつも現代に帰るのですが……

 そしてそれから半年、祇園祭の喧噪から本作は始まります。純が迷い込んだのは六道珍皇寺――冥界に出仕したという伝説を持ち、そして本作においては鬼サイドのリーダー的存在である小野篁ゆかりのその寺から、純は再び平安時代に旅立つこととなります。

 彼が久しぶりに訪れた平安時代は、しかしやはり変わらぬ鬼と人の戦いのまっただ中。
 それどころか、人(仏)の側では源頼光の体に乗り移った帝釈天、さらには三面大黒までが降臨し、その一方で、帝釈天の宿敵たる阿修羅王と十二神将が参戦して、状況はいよいよ激烈に、混沌とするばかりであります。

 前作同様、雄龍霊を駆って鬼に加勢する純。彼によって劣勢となった貴族たちは、謎の破壊仏「三拝の一二三」を解き放つことを決意し――


 と、前作で語られた基本的な設定を受け、本作においては冒頭からラストまで、ほぼひたすらにバトルまたバトルの連続。
 鬼側に紛れ込んだスパイの謎あり、恐るべき破壊仏復活に向けたサスペンスあり、鬼封印に向けた貴族側の巨大な計画ありと、一気に結末まで読まされるポテンシャルがあります。
(それにしても、京の都の朱雀大路のあまりに豪快な「正体」には、思い切りひっくり返らされました)


 その一方で、残念ながら食い足りなさは前作同様という印象があります。

 鬼を、日本の先住民(零落した神々)と、人を、彼らを追い払った侵略者として描く価値観の逆転が物語の中心となるのは、本作ももちろん変わることがありません。

 しかし――結局、ここで描かれる人は、貴族たちとその走狗たる武士のような、鬼の敵としての存在がその大半。
 それ以外の人――いわゆる庶民、一般人の姿が作中でほとんど全く描かれないため、中間の視点が存在しないのであります。
(本来であれば、純の視点こそがそれなのだとは思いますが)

 それゆえ、厳しい言い方をすれば、善悪の二元論を逆転して提示してくれはしたものの、二元論の打破までは及ばず、逆方向から見た二元論に留まってしまった――そんな印象があるのです。
(もちろん、本作の目指すところは二元論の打破ではないということかもしれませんが、純が願う鬼と人の戦いの終結と共存は、その打破の先にあるものでしょう)

 タイムスリップものとしてはある意味定番ではあるものの、爽やかさと希望を感じさせてくれるラストシーンは良いのですが、その直前の展開も、唐突感は否めません。
(また、○○の死が、他人の口を通じてのみ描かれるのもちょっと……


 今回も私にしては珍しく厳しい表現となってしまいましたが、題材が題材だけに、そして作者が作者だけに、もっともっと先に切り込んでいくことができたのではないか――そんな我が儘極まりない感想を抱いてしまうのであります。

 残すところは本作よりもさらに後の時代を描く『龍の巻』。そこでの大逆転を期待したいところでありますが……


『鬼神伝 神の巻』(高田崇史 講談社文庫) Amazon
鬼神伝 神の巻 (講談社文庫)


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2015.08.05

山田正紀『松井清衛門、推参つかまつる』 趣向満載の怪獣時代小説、しかし

 先日収録作品をご紹介しました『日本怪獣侵略伝』『怪獣文藝の逆襲』など、ここしばらく怪獣小説が盛んな印象ですが、その先駆の一つは『怪獣文藝』でありましょう。そして先に紹介した二冊同様、本書も怪獣時代小説が収録されています。それも名手・山田正紀による、極めてユニークな作品が……

 天保の妖怪こと鳥居耀蔵暗殺を狙う青年武士・松井清衛門。彼にはかつて本物の「妖怪」と対決した過去がありました。

 二年前、清衛門の主君である江川英龍、そして師である斉藤弥九郎から下された命。
 それは伊豆を騒がす奇怪なもののけの退治――伊豆で処刑された無宿者たちが死から甦り、次々と仲間を増やしているというのでありました。

 朝廷の神祇官の末裔であり北辰一刀流の達人だという美少年・虎万作とともに伊豆に向かった清衛門。代官所も機能を停止した中、孤独な死闘を繰り広げる二人の前に現れたのは、奇怪な妖怪獣・婆老ん蛾(バロンガ)でありました……!


 と、ここまで記せばお気づきの方も多いと思いますが、本作はあの『ウルトラマン』の第3話「科特隊出撃せよ」の前日譚をベースとした作品。
 この回に登場した電力を喰らう透明怪獣ネロンガは、江戸時代に村井強衛門なる侍に一度退治されたという設定であり――本作はその模様を描いたものなのであります。

 しかし本作の趣向はそれだけではありません。先に述べたとおり、本作で暴れ回るのは怪獣だけでなく、甦った死人たち。そう、本作はゾンビ時代小説――それも、相当ハードコアな部類の――でもあるのです。
 さらに、巻末の付記によれば、稲垣足穂の『懐しの七月』を踏まえている(タイトル的には『山ン本五郎左衛門只今退散仕る』の印象ですが)とのことで、これはどこかのどかな印象を与える一人称の語り口かと思いますが、とにかく短編一本の中に趣向がこれでもか、とばかりに詰められた作品であります。


 ただし、その趣向のために、肝心の怪獣の印象が薄くなってしまったという印象は否めません。
 確かに、そこに至るまでのゾンビたちとの戦いの凄まじさは本作ならではのものがあります。しかし、その部分の印象が強すぎるというべきか、怪獣ものと組み合わせる必然性がいささか薄いように感じられるというか――バロンガとゾンビの結びつきの意外さ自体は、実に面白いと思うのですが――些かもったいないという気持ちはあります。
(バロンガの最後も平仄はあってはいるのですが)

 思えばこの『怪獣文藝』自体、「怪獣」と謳いつつも、「怪談」「ホラー」味の強い作品が多く、この辺りは幽ブックスというレーベルと編者に依る点があるのかな……と思いますが、図らずも本作はその象徴のような内容となっている、というのは牽強付会に過ぎるでしょうか。


 ちなみに作中で鳥居耀蔵が「大目付」と何度も呼ばれているのですが、これは……


『松井清衛門、推参つかまつる』(山田正紀 メディアファクトリー『怪獣文藝』所収) Amazon
怪獣文藝 (幽ブックス)


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2015.08.04

重野なおき『信長の忍び』第9巻 立ち上がった二人の戦国武将

 前の巻では、千鳥が物語が始まって以来の大ピンチに陥った『信長の忍び』。その陰で大信玄が没し、信長は危ういところで包囲網から逃れ、逆襲のターンとなったこの第9巻。しかし、その戦いの奔流の中で、思わぬキャラクターたちが脚光を浴びることになります。

 信長の命で家康の陣に加わり、三方原の戦を経験した千鳥。その後の武田軍の不可解な動きを見た彼女は、甲州に潜入するも、宿敵・望月千代女に捕らえられ、苛烈な拷問を受けることに。
 助蔵の決死の活躍により窮地を逃れた千鳥は、信玄の死を信長に復命して……

 という展開を受けてのこの第9巻ですが、文字通り一つの時代の終焉となった足利義昭追放は、千鳥が療養中にあっさり終了。
 おまけに、前の巻で男を上げた助蔵が立てまくったフラグもあっさりと片づいて、ちょっと拍子抜けのきらいもあったのですが……

 しかし信長の疾風怒濤の逆襲はまだここから。一時は絶体絶命の窮地に追い込まれた浅井・朝倉両家を潰すべく、北陸に出兵した信長軍は、まずは朝倉家を相手にすることとなります。
 そして、ここからがこの巻の真骨頂とも言うべき展開になるのであります。


 これまで、浅井長政の陰に隠れ、臆病ともセコいともいう印象のあった朝倉義景。ビジュアル的にも何とも頼りないキャラだった義景が、絶体絶命の窮地にあって、一人の戦国武将として立ち上がることになります。

 そしてもう一人立ち上がった男がおります。
 かつて遊興に耽った末に信長に、いや千鳥に破れて国を失い、諸国を放浪するうちに見違えるような変貌を遂げ、いま朝倉の客将として信長軍に対峙する男――斎藤龍興が。

 いずれもこれまでほとんどいいところがなかった二人、特に龍興は物語の序盤で竹中半兵衛に出し抜かれて城を取られるという、あまりにも有名なエピソードがしっかりと描かれているだけに――その後の変貌はあったとはいえ――良い印象のないキャラクターであります。
 しかしそれだけに、絶望的な(ここで圧倒的な、という表現を使わない時点で、私がどちらに感情移入しているかは明らかですが)戦力と勢いの違いにも関わらず奮闘を繰り広げた二人の印象は強烈に残り――間違いなくこの巻の主人公であったと感じさせられた次第。


 思えばこれまでも、様々な場面で、意外な武将の、意外な活躍を描いてきた本作。
 『信長の忍び』というタイトルでありつつも、その視点はかなりフラットなものであったと言ってよいかと思いますが、義景と龍興については、これまでの物語での扱いに散々情けないところが描かれてきただけに、その逆転ぶりが、むしろ爽快にすら感じられるのです。
(そしてそこには、ギャグとシリアスの使い分けという、本作ならではの見せ方があるわけですが……)

 もちろんこの二人だけではなく、これまで「ものすごいアフロの人」という扱いだった山崎吉家(その髪型にも作者の深謀遠慮(?)があったのですが……)をはじめとする、朝倉側の将の描き方もまた、実に印象に残りました。

 唯一不満があるとすれば、千鳥に認められる(彼女のフォローが入る)ことで、敗れてなお二人の面目が立ったような描写となることですが……これはまあ仕方がないと言うべきでしょうか。


 さて、これだけ盛り上げておいて、次の巻で待つのは浅井長政との決戦。
 こちらも以前から物語に登場してきた――それもポジティブな役回りで――人物だけに、どれだけ盛り上がるか、そしてどれだけこちらの心に印象(あるいは傷)を残すか……読むのが今から恐ろしいほどであります。


『信長の忍び』第9巻(重野なおき 白泉社ジェッツコミックス) Amazon
信長の忍び 9 (ジェッツコミックス)


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2015.08.03

玉井雪雄『ケダマメ』第3巻 感情と理性の激突、そして新たなる時代へ

 鎌倉時代を舞台に、何者かに狙われる少女・まゆを守るために命を賭ける異形の男・虚仮丸ことケダマメの死闘を描く本作もいよいよ佳境。前の巻で判明したあまりに衝撃的なケダマメとまゆの秘密を踏まえ、物語は一つの結末を迎えることになります(以降、大きなネタバレがありますのでご注意下さい)

 何処からか現れ、傀儡の少女・まゆを守るため、時にその片腕を、蟹の鋏や蛸の触手に変えるという奇怪な能力を発揮して戦う虚仮丸。彼らを狙う相手もまた、巨大な亀と人間の混淆したような怪物でありました。
 激しい戦いの中、一旦、己が、そしてカメ男がやってきた「明日の国」に帰還した虚仮丸。そこは未来世界――

 そこは、如何なる理由か人間の遺伝子に異常が生じ、人と他の生物の遺伝子の混淆が生じたその時代。人は、純粋な人間の遺伝子――オリジン株を求めて過去にゲノムハンターを送り、その遺伝子を持ち帰ろうとしていたのでした。

 そう、まゆこそがこの時代のオリジン株であり、虚仮丸=ケダマメとカメ男はゲノムハンターだったのですが……本来であればゲノムハンターはまゆを食い殺すことで遺伝子を持ち帰るのに対し、ケダマメはまゆを生きのびさせることで遺伝子を繋ごうとしていたのであります。


 未来を守るために過去に干渉する――それは、時間SFであれば定番中の定番。そしてその干渉の是非が問われることもまた定番ではありますが、本作における干渉の程度は、極めて小さい、と言えるかもしれません。
 あえて非情極まりないことを言えば、その干渉は人間一人の命で済むのですから……

 人という種が危機に瀕している時に、たった一人の人間の命がどれだけの意味を持つか――理性的に考えれば、それは問うまでもないことかもしれません。しかし……
 しかし、それを無条件に良しとするのに抵抗を感じるのもまた、人という種ではありますまいか。

 その意味では、まゆを挟んでのケダマメとカメ男の戦いは、それぞれ人の異なる側面の……感情と理性の激突と呼べるかもしれません。
 しかしその感情は、カメ男が指摘するようなある種の万能感に拠るものではなく――むしろそれとは対極にある、一種根源的な想いと言えるでしょう。

 そして私は、そのケダマメの想いが一種のエゴであると――もちろんそれも種の保存の原動力ではあるのですが――理解しつつも、しかしそちらの方がより人間らしく、美しいと感じるのであります。
(その想いが決して成就してはならないのがまた泣かせるではありませんか)


 そしてあるとんでもなくすっとぼけたようなオチ(と言っても許されるでしょう)をつけて物語は一旦の終幕を迎えるのですが……しかし、オリジン株を巡る戦いは、時が続く限り終わることはないようです。

 次なる物語、次なるケダマメの戦いの舞台は、なんと昭和6年の、それも玉ノ井の赤線地帯。
 そこで暮らす身よりのない少女・まゆみこそがこの時代の……ということになりますが、しかしその前に現れるのはケダマメ一人ではありません。

 そこに現れるのは、「以前」のケダマメを知る男。まゆみを挟んでの彼との戦いが何をもたらすのか……これまで以上に先は読めません。

 残念ながら連載の方はもうじき完結とのことで、次の巻がラストになるかと思いますが……そこでケダマメが何を想い、何を選ぶのか、最後まで見届けたいと思います。


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2015.08.02

『江戸ぱんち 夏』 アベレージの高い市井もの漫画誌

 昨年の秋、今年の春ときて、この夏に三回目の刊行となった『江戸ぱんち』であります。言うまでもなく『お江戸ねこぱんち』の姉妹誌でありますが、 タイトル通り、猫抜きの、女性向け時代漫画誌である本誌、今回もなかなかに収録作のアベレージが高く、おっさんが読んでも楽しめる一冊です。

 以下、特に印象に残った作品をいくつか挙げてみましょう。

『飛び耳茶話』(永尾まる)
 もののけや付喪神ばかりが集まる老縫箔職人・将護のもとで働く抜け首(飛頭蛮)の少女・シノリを主人公とした連作の一編であります。

 使いに出た際、店の客である臨月の女性・お今と出会ったシノリ。
 二人で道を行くうちに大雨が降り始めお今は川に転落、シノリと彼女についてきた蝙蝠の背守りの付喪神によって何とか引き上げられたものの、助けを呼ばなければ危ない状態に……

 普通に考えれば、いかに少女とはいえ、ビジュアル的に少々恐ろしい抜け首。しかし本作においては、誰かのために懸命に生きるシノリの姿を、いささかも他の人間と変わらぬものとして、微笑ましくも暖かく描きます。

 クライマックスはそんな彼女が抜け首として奮闘するのですが――
 なるほど、こういう見せ場の作り方があったか、と感心、さすがはこの作者ならでは……と唸った次第です。


『八朔の朝顔』(栗城祥子)
 幼い頃から朝顔に魅せられたお亀と鶴之助。朝顔職人になると宣言した鶴之助は、しかし長じて後は朝顔のブローカー的な立場で荒稼ぎするようになり、お亀の気を揉ませます。
 そんなある日、多額の賞金がかけられた花合わせに朝顔を出品した鶴之助が、その金でもって吉原の太夫を身請けしようとしていると知ってしまったお亀は……

 江戸ならではの職人の世界と、幼なじみの淡い想いが交錯するというシチュエーションは、実は本書でも何度か登場するのですが、その中でもキャラ配置といい、物語のひねりといい、特に印象に残ったのが本作。
 終わってみればこれ以外の終わりはないと思えるのですが、そこに朝顔職人という一風変わった題材が巧みに絡められ、気持ちの良い人情ものとして成立しております。


『のら赤』(桐村海丸)
 今回も表紙と口絵を飾った作者の作品は、春号に掲載された『桶と田楽』同様、ちょっとおかしなキューピッドの活躍(?)が楽しい逸品であります。

 かつて旅役者と恋に落ち、今は女手一つで赤子を育てるおすず。彼女の長屋にベロンベロンに酔っぱらって転がり込んだ赤助が、その帰り、飲み直しに立ち寄った夜泣きそば屋で出会ったのは……

 とくればこの後の展開は予想がつくかと思いますが、前作に比べると物語的にかなりストレートになった印象の本作。
 それでも十分に読まされてしまうのは、やはり作者の人物・風景描写の巧みさというほかありません。

 健気な女性に男たちのだらしなさ、小汚くも活気に満ちた裏長屋の情景と、江戸の庶民の世界を様々な角度から――それもごくごく自然に切り出してみせるのは、この作者ならではの妙味でありましょう。


 と、取り急ぎ三作品を挙げましたが、それ以外にも、酒の仲買人という珍しい主人公を描いた『恋娘生一本!』(結城のぞみ)、おなじみ猫侍・斑目久太郎が猫と出会う前の物語『猫侍 番外編』(山野りんりん)、なかなか勝ち星に恵まれない力士の奮闘を骨っぽく描く『江戸力士咄』(にしだかな)など、水準以上の作品ばかり。
 収録されているのはいずれも江戸の市井を舞台とした作品ですが、ほとんど全く題材となる商売や舞台が重なることなく、バラエティーに富んでいるのが素晴らしいのです。

 編集者の言を見たところでは、『江戸ぱんち』誌はこの第三号を限りとするようですが、しかし本誌が見せてくれた方向性は、他にはない非常に貴重なものであり、それに見合う内容であったことは間違いありません。
 どのような形であれ、この先の展開にも期待したいと心より思う次第です。


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2015.08.01

高田崇史『鬼神伝 鬼の巻』 歴史の真実と価値観の逆転、しかし

 今から11年前に講談社の児童文学レーベルであるミステリーランドで刊行され、4年前にアニメ映画化された『鬼神伝』シリーズが、このたび文庫化されました。平安時代にタイムスリップした少年が、鬼と人との戦いに巻き込まれる中、意外な真実を知る冒険譚であります。

 転勤が多い親のため、なかなか転校先になじめず、孤独な毎日を送る中学生・天童純。下校途中に不良に絡まれ、馴染みのない京都の町を逃げ回るうち、彼はとある寺に迷い込みます。
 そこで出会った僧・源雲の法力によって、平安時代に送り込まれてしまった純。実は生まれつき胸に勾玉の形をしたあざがある純は、封印された雄龍霊(おろち)を解き放ち、鬼を退治すべく選ばれた者だというのであります。

 自分と同年代の少年である源頼光や、配下の四天王と知り合い、彼らとともに鬼と戦う純。雄龍霊の強大な力で鬼たちを打ち破っていく彼は、しかし鬼の少女・水葉との出会いにより、意外な真実を知ることになるのですが……


 突然異世界に放り出され、そこで選ばれし勇者として戦うことになった現代人というシチュエーションは、古今枚挙に暇がありませんし、何よりもライトノベルでは定番シチュエーションの一つであります。
 本作もその流れを汲むと言うこともできましょうが――、本作ならではの独自性は、何よりも、現実世界の過去(登場する人物を見るに、微妙に架空の世界なのですが)を舞台とすることで、現代に残る「事実」の背後の「真実」を描き出すことでしょう。

 そう、本作に登場する鬼――いわゆる角の生えた鬼のみならず、天狗や狐、もののけや妖怪たちも含めて――たち、人間の敵として語り継がれる彼らは、実はこの地の先住民、土着の神。
 そして仏の力を借りて彼らを滅ぼそうとする人間たち(朝廷の者たち)は、後から現れた侵略者であったのです。

 現代人として半ば当然の如く、鬼=悪と刷り込まれていた純は、水葉との出会いによってその真実、そして自らも鬼の血を引く者である(余談ですが、天童純という名が、酒天童子をベースとしていることは間違いありますまい)ことを知り、鬼の側に立って戦うことになるのであります。

 この辺りの、歴史に秘められた「真実」の提示と、それによる価値観の逆転というのは、作者の代表作であるQEDシリーズのそれを彷彿とさせるものであり、まさに自家薬籠中のものでありましょう。


 ……が、正直に申し上げると、今一つ食い足りない作品という印象が、本作にはあります。

 確かに、児童文学において、明確に鬼や妖怪たちと人の在り方の逆転を提示した作品は(特に人間側を侵略者としたものは)少ないかもしれません。
 しかしその一方で、そもそも児童文学の世界においては、人ならざるものが人に近しい存在(人と同様の感情を持つ存在)として描かれることは決して珍しいものではありません。

 そんな中で、一種の価値観の相対化を行うのであれば、それに説得力を与えるだけの物語展開が必要になるかと思いますが、本作はその点に不満があります。
 それは、主人公たる純の評価軸がないと申しましょうか――

 平安時代に放り出され、鬼と戦うようになったのは、前述のとおり現代人の価値観ゆえでありましょうが、いざ自分が鬼の側であると知れば、短い時間とはいえ共に暮らした頼光たちと戦うことに、強い葛藤を見せないというのは、違和感があります。

 いささか厳しい表現となりますが、襲ってくるから戦う、自分が(素戔嗚尊の子孫で)雄龍霊を操れるから戦うというだけの印象があって――そこに、強烈な価値観の相対化から生じるであろう驚きは弱いように思えます。


 もっとも、本作は続く『神の巻』と合わせて上下巻とも言うべき作品。『神の巻』において、いかなる回答が提示されるか……この違和感が払拭されることに期待しているところであります。


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