高田崇史『鬼神伝 神の巻』 激化する神仏の戦いの先にあったものは
現代から過去の時代にタイムスリップして、鬼と人の争いに巻き込まれた少年・天童純の冒険を描く高田崇史の『鬼神伝』シリーズの第2弾、平安時代の冒険の結末を描く『神の巻』であります。鬼も人も総力を結集し、戦いがいよいよ激化する中、純が見たものとは……
ある日突然平安時代にタイムスリップし、鬼と人の戦いに巻き込まれた純。自分に伝説の雄龍霊を操る力があることを知り、鬼と戦う彼がやがて知ったのは、人こそが侵略者であり、自分は鬼の末裔であるという事実でした。
人や仏との戦いの最中、純は後ろ髪を引かれつつも現代に帰るのですが……
そしてそれから半年、祇園祭の喧噪から本作は始まります。純が迷い込んだのは六道珍皇寺――冥界に出仕したという伝説を持ち、そして本作においては鬼サイドのリーダー的存在である小野篁ゆかりのその寺から、純は再び平安時代に旅立つこととなります。
彼が久しぶりに訪れた平安時代は、しかしやはり変わらぬ鬼と人の戦いのまっただ中。
それどころか、人(仏)の側では源頼光の体に乗り移った帝釈天、さらには三面大黒までが降臨し、その一方で、帝釈天の宿敵たる阿修羅王と十二神将が参戦して、状況はいよいよ激烈に、混沌とするばかりであります。
前作同様、雄龍霊を駆って鬼に加勢する純。彼によって劣勢となった貴族たちは、謎の破壊仏「三拝の一二三」を解き放つことを決意し――
と、前作で語られた基本的な設定を受け、本作においては冒頭からラストまで、ほぼひたすらにバトルまたバトルの連続。
鬼側に紛れ込んだスパイの謎あり、恐るべき破壊仏復活に向けたサスペンスあり、鬼封印に向けた貴族側の巨大な計画ありと、一気に結末まで読まされるポテンシャルがあります。
(それにしても、京の都の朱雀大路のあまりに豪快な「正体」には、思い切りひっくり返らされました)
その一方で、残念ながら食い足りなさは前作同様という印象があります。
鬼を、日本の先住民(零落した神々)と、人を、彼らを追い払った侵略者として描く価値観の逆転が物語の中心となるのは、本作ももちろん変わることがありません。
しかし――結局、ここで描かれる人は、貴族たちとその走狗たる武士のような、鬼の敵としての存在がその大半。
それ以外の人――いわゆる庶民、一般人の姿が作中でほとんど全く描かれないため、中間の視点が存在しないのであります。
(本来であれば、純の視点こそがそれなのだとは思いますが)
それゆえ、厳しい言い方をすれば、善悪の二元論を逆転して提示してくれはしたものの、二元論の打破までは及ばず、逆方向から見た二元論に留まってしまった――そんな印象があるのです。
(もちろん、本作の目指すところは二元論の打破ではないということかもしれませんが、純が願う鬼と人の戦いの終結と共存は、その打破の先にあるものでしょう)
タイムスリップものとしてはある意味定番ではあるものの、爽やかさと希望を感じさせてくれるラストシーンは良いのですが、その直前の展開も、唐突感は否めません。
(また、○○の死が、他人の口を通じてのみ描かれるのもちょっと……
今回も私にしては珍しく厳しい表現となってしまいましたが、題材が題材だけに、そして作者が作者だけに、もっともっと先に切り込んでいくことができたのではないか――そんな我が儘極まりない感想を抱いてしまうのであります。
残すところは本作よりもさらに後の時代を描く『龍の巻』。そこでの大逆転を期待したいところでありますが……
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