瀬川貴次『ばけもの好む中将 四 踊る大菩薩寺院』(その二) 「怪異」の陰に潜む「現実」
瀬川貴次の『ばけもの好む中将』シリーズ第4弾、『踊る大菩薩寺院』の紹介後編です。表題作で、数々の霊異が起こるという寺院を訪れた「ばけもの好む中将」宣能と、彼に振り回されっぱなしの宗孝たちを待っていた事件とは……
宗孝たちよりも先に寺院を訪れた宣能と妹の初草の君。彼らが通された本堂の扉は、誰も触れぬのに動くことがあるという曰く付きのものでありました。
果たしてその時も勝手に閉まった扉ですが……しかし、中に宣能たちをはじめ多くの人々がいるにもかかわらず扉は固く閉まったまま、開かなくなってしまったのであります。
遅れて訪れた宗孝と十二の姉、そして謎の少年・春若は異変を察知して寺院に忍び込むのですが、なおも続く奇怪な事件。
鐘が唸り、飛天が舞い、菩薩と乗騎が顕現し……宣能や宗孝一行、さらには発明マニアの五の姉夫婦や宣能の親友・頭の中将に悪徳坊主まで巻き込み、騒動が騒動を呼ぶ物語が展開することとなります。
平安ものといえば、ある程度想像する物語の枠というか、舞台背景があります。それは多くの場合、雅やかで華やかな貴族の世界でありましょうが――それだけでは面白くない。
そんなある意味なじみのある世界をベースとしつつも、そこから敢えて外した、外れた世界を描いてみせる。作者はそれを得意とする作家であります。
言うまでもなく、平安貴公子からちょっと外れた「ばけもの好む中将」は、その象徴的存在でありますが、今回は物語展開・舞台設定からしてさらに大きく踏み出して、作者ならではのハイテンションの――そしてこれが作者ならではの技なのですが――緩急自在のコメディを描き出してみせるのであります。
その中では、これまで物語の渦中で超然としていた宣能ですら、容赦なく振り回されるのが実に可笑しいのですが……
しかし、そんなコミカルな世界も、「現実」というものから無縁ではありません。
これまでがそうであったように、今回もまた、「怪異」とそれが引き起こす狂騒の陰には、そしてその中心には、怪異よりも遙かに恐ろしい「現実」の姿が存在するのです。
そして宣能は、どれだけ怪異を求めようとも、その実、その現実の中にどこまでも囚われた人物であります。
だからこそ、彼はこれほどまでに切実に、時として祈りにも似た姿で怪異を求めるのであり――そして本作の結末で彼が語る言葉は、彼と異なる形で現実から踏み出そうとした者への優しさに満ちて感じられるのでしょう。
さらに一歩踏み出して見せた怪異探求騒動の野放図な楽しさ。そしてその核に存在する確固たる現実の苦さ。
物語の本質は変わらないものの、得意の平安ホラーコメディを、一般レーベルに合わせて巧みに構造をモディファイしてみせる、作者の職人芸的な技にも注目したいシリーズであります。
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