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2015.09.30

映画『るろうに剣心 京都大火編』 派手に、多様に展開するキャラとアクション

 劇場公開のほぼ一年後という今頃で大変恐縮ですが、実写映画『るろうに剣心』の続編、二部作の前編であります。原作の京都編――明治の京都を舞台に、志々雄真実一派と剣心たちの戦いを描く本作は、サブタイトルの通り、志々雄一派による京都大火の陰謀に挑む剣心と仲間たちの姿が描かれます。

 前作に当たる実写版の『るろうに剣心』は、剣心役の佐藤健、左之助役の青木崇高など、はまり役の役者によるビジュアルと、谷垣健治による派手なアクションと、ギリギリのリアリティラインで原作のイメージを再現して見せたのが、印象的だった作品。

 前作で映画化された部分は、原作の流れからすればある意味序章的位置づけであったのに対し、今回の京都編は、ストーリー的にも登場キャラ的にも大いに派手に、大いに盛り上がったくだり。
 それだけにこちらの期待も大きいわけですが、まずキャスティングの時点で期待通りというか、期待以上の顔ぶれであります。

 ほとんど顔が出ないキャラでここまで自己主張できるのはこの人位だろうなという志々雄役の藤原竜也、このキャラを演じられるのはこの人以外いないと思っていた瀬田宗次郎役の神木隆之介、ビジュアル的にはまさにそのものの四乃森蒼紫役の伊勢谷友介……。
 さらに翁役の田中泯、巻町操の土屋太鳳、そしてラストに登場のあの人まで、よくもまあここまではまり役を集めたものと感心いたします。
(その反面、宗次郎と張、方治以外の十本刀は誰が誰やら……)

 ストーリー的には、大久保利道暗殺から剣心の旅立ち、新月村の惨劇から剣心と宗次郎との初対決、新たな逆刃刀の登場から京都大火を阻むための決戦へ……と、ほぼ原作通りの流れ。
 個人的に好きだった左之助の修行のエピソードが省かれていることと、何よりも新月村のエピソードと逆刃刀を手にする際の刀狩りの張との対決に尺を取りすぎの印象はありますが、それなりに必然性があってのことと理解できます。
(何よりも張との対決は、あの漫画的キャラをほとんど完全に再現してみせた三浦涼介が見事)

 そしてそこに散りばめられたアクションも、前作以上にキャラクターが増えた分、さらに派手に、多様に展開されていて大満足。
 剣心の走る→スライディングする→跳ぶ→斬るのムーブは相変わらずのスピード感ですし、更に今回はそれと互角以上に戦える宗次郎が登場したのも嬉しい(相変わらずのチャンバラしながらの蹴り技には馴染めませんが……)

 しかしそれ以上に、翁と蒼紫の激突シーンは、屋内を移動しながらの殺陣というなかなかに難しいシークエンスを活かしつつ、上下左右にこちらの想像を超える殺陣を見せてくれたという点で、原作を超えるインパクトがあったかと思います。
 もう一つ、土屋太鳳の想像以上の身体能力も素晴らしく(こちらは徒手なので蹴りを使いまくってもOK、というか大歓迎)、ことアクションシーンについては、こちらの期待を遙かに超えるものを見せていただきました。
(ちなみに土屋太鳳、蒼紫が目前で翁を倒し去っていく場面で、原作者であればこう描くであろう、と感じさせるような表情を見せていたのにも感心)

 また物語描写やキャラクター解釈についても、個人的には前作の――特に剣心の――どうにもリアルというより辛気くさいムードに強く違和感を感じていたのですが、作品の重点をノンストップアクションに振り向けることで、うまく中和してきた印象があります。

 しかし、特に終盤の志々雄の描写などは気になる点もあったのは事実。あのプライドの塊のような志々雄が、自分と同じ姿をした者たちの集団を剣心に差し向けるか? 人質をとって剣心の動きを封じ、十本刀に襲わせるか? やけに志々雄が小さい敵に見えたのも事実。
 さらに言えば方治のキャラ崩壊もひどいもので……映画と同時期に発表された志々雄サイドを描いた裏幕の小説版での方治の描写が良かっただけに、残念であります。


 などと気になる点はあったものの、総じては前作以上に楽しめた本作。ラストは監督的に出るのではないかな、と思っていたら本当にあの大物が登場という最高の引きで物語は後編に続くわけですが……さて、色々と評判を聞く後編はいつ見たものか、思案しているところであります。


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2015.09.29

安部龍太郎『姫神』 遣隋使、真の目的とそれを支えた人々と

 九州の宗像一族の巫女・伽耶は、嵐の翌朝に漂着した新羅の青年・円照を助ける。彼は、争いの続く日本と高句麗・百済・新羅の関係を治めるための遣隋使計画に参加していた。宗像一族も小野妹子を送るために協力を求められるが、日本・新羅それぞれに存在する、遣隋使に反対する勢力が立ちふさがる……

 遣隋使と言えば、厩戸皇子(聖徳太子)の命で小野妹子が隋に向かい、国書が無礼だと皇帝から不興を買った……というのが、一般的な認識ではありますまいか。
 しかし聖徳太子が何のために最初の遣隋使を送ったのか、そしてその遣隋使を誰が運んだのか……考えてみればわからないことは様々にあります。

 本作はその謎の一つの答えとも言うべき物語。遣隋使を、日本のみならず高句麗・百済・新羅を含めた四カ国の融和のための壮大な計画として描く物語であり――そして、宗像大社に今も伝わる「金の指輪」にまつわる奇譚でもあります。

 本作の主人公は、新羅人商人の父と海の民・宗像一族の母の間に生まれた姫巫女・伽耶。彼女が、傷ついて岸に打ち上げられた新羅の青年僧・円照を助けたことから、彼女と宗像一族は、大きな歴史の動きに巻き込まれることになります。
 当時、日本をはじめ四カ国の思惑が複雑に絡み合い、幾度となく戦が繰り返されてきた朝鮮半島の争いを治め、安寧をもたらすための計画。円照は、その計画の新羅側の中心人物だったのであります。

 その計画こそが遣隋使――仏教という当時最先端の共通概念の下、四カ国が超大国たる隋の冊封下に入ることで、戦を抑止するという目的のため、隋に送られる外交使節。
 円照を救った縁から、そして何よりも当時の日本で最高レベルの航海技術を持っていたことから、宗像一族は聖徳太子より遣隋使を渡海させるための船を出すことを依頼され、伽耶、そして彼女の求婚者であり一族の長の嫡男である疾風も、ともに海を渡ることになります。

 しかし、日本にも新羅にも、いわばこの和平の動きに反発する勢力が存在。日本においてはかの蘇我馬子らが、そして新羅でも王の親衛隊・花郎徒が暴走し、一行は次々と危難に遭うことに……


 冒頭に述べたとおり、知っているようで知らない遣隋使という存在。本作はそこに日本に留まらないスケールの外交政策の存在を見ることで、全く新しい光を当てることに成功しています。

 その一方で、本作はそうしたいわば大所高所からのものに留まらない視点――宗像一族からの視点を設定しているのがまた面白い。
 日本と半島を、大陸を結ぶ海の民、宗像一族。彼ら自身、かつて大和朝廷に屈した一種の被征服民である一族が、しかしこれ以上の戦を起こさぬための力として活躍するというのは、歴史に人の息吹を通わせる試みとして、大いに評価できます。

 そしてその象徴が、本作の主人公であり、二つの国の血を引く――そして戦により両親を失った伽耶であることは間違いないのですが……


 しかし、本作の唯一残念な点は、その伽耶の存在感が今一つ薄いということでしょう。

 生まれや過去を背負い、使命に命を賭ける円照や、将来の宗像一族を背負う海の男として颯爽とした姿を見せる疾風、あるいは彼に憎まれ口を叩きつつも協力する他部族の安羅彦……男性陣は実に活き活きとしているのに対し、厳しい言い方をしてしまえば、伽耶は「イイ子」に留まっている印象なのであります。

 特にクライマックスの彼女は――そこに至るまでの全編がそうであったとも言えるのかもしれませんが――ある種の象徴的なものだと受け止めるべきものとはいえ、その行動に主体性が感じられなかったのがどうにも残念であります。

 あるいは、それは歴史小説の描くところではない、ということかもしれませんが、しかしドラマチックに飾っても良かったのではないか……正子公也による美麗なカバーイラストが印象的であるだけに、そう感じるのであります。


『姫神』(安部龍太郎 文藝春秋) Amazon
姫神

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2015.09.28

森野きこり『明治瓦斯燈妖夢抄 あかねや八雲』第3巻 怪異と浄化の物語

 「小泉八雲」を名乗る拝み屋の不良外国人と、視える体質に苦しむ新米巡査・一宮のコンビが、様々な怪異に挑む連作シリーズの第3巻であります。「八雲」とは何者なのか、そして一宮を苦しめ続ける過去の記憶の真実は……

 怪異が視える体質に幼い頃から苦しめられ、周囲から奇異の目で見られた末に家を出た一宮。遊郭で詐欺を働く要注意人物の調査を命じられた彼が出会った要注意人物――それこそが「小泉八雲」。
 怪異を蒐集することが目的だという八雲とやむなく行動をともにすることになった一宮は、次々と起こる怪事件に巻き込まれていくことになります。

 そんな基本設定の本作ですが、この第3巻で描かれるのは、持ち主が凍り付いて死ぬという曰くのある掛け軸、遊郭に濡れぼそった姿で現れる女郎の亡霊、そして一宮がかつて実家で苦しめられた黒い影の謎と、3つのエピソードであります。

 これまでのシリーズ同様、事件の背後にあるのは、いずれも暗く重い……時に淫靡であったり不快とすら感じられる人の心のネガティブな部分。
 できれば目を背けたくなるようなその真実をえぐり出す八雲の姿からは、時に悪魔的なものすら感じられますが……しかしそれを物語として蒐集するのは、彼なりの浄化の形なのかもしれません。

 そしてこの巻で注目すべきは、これまで断片的にほのめかされてきた一宮の過去の物語でしょう。
 家族から疎まれる中、唯一自分に分け隔てなく接してきた弟。しかしある日、彼はその弟に刃を向け、顔に消えぬ傷を残すことに……

 彼が実家を、家督を捨てるきっかけとなったこの事件の陰に何があったのか、ついに彼は対峙することになるのですが、面白いのはこのエピソード、八雲はほとんど登場せず、一宮が一人で怪異と対峙すること。
 これまでは八雲に引っ張りこまれ、八雲に助けられていた彼が、今回(八雲の導きはあったとはいえ)一人で自らの過去と対決することができたのは、これまでの物語を通じ、彼もまた少しずつ浄化されてきたということなのかもしれません。


 しかし最後の最後に待ち受ける一波乱。一宮が実家で出会った、伯父の友人だという一人の外国人。彼は「ヘルン」「小泉八雲」と名乗り……

 言うまでもなく、本作最大の謎は、本作で「八雲」と名乗る男はいったい何者なのか、ということであります。
 この巻の女郎の霊のエピソードに登場した軍人・九十九少佐も、彼を紛い物と呼び、刀すら向けるほどですが、明らかに「本物」と思えない彼は何者なのか、そして本物は何をしているのか。その後者と思われる人物が今回登場したわけですが……

 ただ一つ、細かいこと(?)で恐縮なのですが、ずっとひっかかっているのは、第1巻冒頭で語られた本作の舞台が、明治15年であること。
 史実では「本物」の小泉八雲が来日したのは明治23年であり(この巻のラストシーンを除けば)それはそれで物語が成り立たないわけではありませんが、さて、それでは九十九は何故「紛い物」と呼ぶのか……

 年表・設定年代マニアとしてはその点が気になって仕方ないのですが、さてその背後に何かがあるのか。物語の根幹に関わると思われる部分だけに、不安と期待があります。


『明治瓦斯燈妖夢抄 あかねや八雲』第3巻(森野きこり マッグガーデンブレイドコミックス) Amazon
明治瓦斯燈妖夢抄 あかねや八雲 3 (BLADE COMICS)


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 『明治瓦斯燈妖夢抄 あかねや八雲』第1巻 怪異を蒐める男「八雲」がゆく

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2015.09.27

會川昇『超人幻想 神化三六年』 超人を求める人々の物語

 もう一つの昭和、様々な超人たちが実在した世界の「神化」36年に起きた怪事件を描く物語――「ミステリ・マガジン」に『神化三六年のドゥマ』のタイトルで前半部分が掲載された作品が単行本化されました。10月放送開始のアニメ『コンクリート・レボルティオ』と世界観を一にする物語であります。

 かつて数々の超人が投入されたという戦争を乗り越え、「二度目の」オリンピックを控えて復興に邁進する東京。放送が開始されたばかりの勃興期にあるTV局でディレクターとして活躍する木更嘉津馬が自ら脚本を手がける生放送人形劇の放映寸前、スタジオで起きたトラブル――
 スタジオから奇妙な唸り声が聞こえ、その直後に元GHQの怪人物率いる男たちが乱入、放送を中止させようとしたのに対し、体を張って止めに入った嘉津馬が目撃したもの。それは二本足で立つ獣、その場にいるはずもない存在であり、その獣によって居合わせた人々は次々と殺害され、嘉津馬にもその鉤爪が振り下ろされることとなります。

 しかしその「次の瞬間」……気がつけば嘉津馬がいたのは生放送開始数十分前の時点。わけがわからないながらも何とかスタジオから人々を待避させて続く悲劇を回避した嘉津馬ですが、しかしそこに残ったのは幾多の謎であります。
 自ら「ドゥマ」と名乗った獣は何者で、どこから現れたのか。獣の出現を予期し、スタジオに現れた男たちは何者なのか。そして何よりも、「その瞬間」嘉津馬の身に何が起きたのか……友人のSF作家や密かに心を寄せる漫画家とともに謎を追う嘉津馬が知る、戦争中の闇の存在と、「超人」にまつわる真実。そして再び彼の身に危険が迫ったとき――


 様々な由来・能力を持つ「超人」が存在する(と言われている)ことを――そしてそれに伴う戦前戦中の様々な出来事を――除けば我々の生きてきた昭和とよく似た時代を舞台に描かれる本作。
 その設定から無理矢理にジャンル付けすれば歴史改変SF、あるいは時間SFとも呼べそうな内容の物語ですが、しかし謎だらけの事件に巻き込まれた主人公が、二転三転する状況の中で真相に一歩一歩迫っていく様は、なるほど冒頭に述べた前半部分の掲載誌に相応しい内容と申せましょう。

 そして嘉津馬が知る真相は、この世界に存在する超人たち――かつて確かに存在し、戦争に投入されながらも、戦中戦後の混乱期の中で姿を消した、いや消された超人たちの存在に密接に関わるもの。
 嘉津馬のような一般人たちの存在は簡単に吹き飛ばされてしまう、巨大なタブー、歴史の闇そのものとも言うべきその真相の重さ無惨さは、作者が脚本を担当したアニメ『UNーGO』にも通じる、やりきれぬものを感じさせるものですらあります。


 しかし、本作は決してそれだけに終わるものではありません。本作を本作たらしめる存在――「超人」は、一種の救いとしても存在しているのですから。

 常人を超える力を持ち、それ故に、時として常人を超える悲しみと苦しみを背負う超人。時の政府による、保護という名の隠蔽によって、その存在は常人の預かり知らぬ、一種の伝説と化している超人――
 本作の主人公・嘉津馬は、ある理由からそんな超人たちに心を寄せる人物であり……そして本作は、そんな彼の視点から、人は何故超人を求めるのか、すなわち人は何故「超人の物語」を描くのかを問い直す物語なのです。

 その「何故」の詳細について、ここではもちろん述べません。しかしそこにあるのは、この世に存在しないかもしれないモノを求める、切ないまでの人の想いであり、そしてそれを受け止め、力づけてくれる物語の力であるとだけ、述べることは許されるでしょう。
 そしてそれは、様々な作品の中で「ここではないどこか」を求める人の心(ちなみに作中には作者のコアなファンにはニヤリとできる小ネタが)を見つめ、そして現実と虚構のせめぎ合いの中で虚構の意味を描いてきた、作者ならではのものであり……そしてそれはこれまで同様、現実に生きる我々の心を強く打つのであります。

 現実は確かに厳しくままならぬものかもしれない。それでも……誰よりもその厳しさを知りつつも、その「それでも」の、「それでも」を求めることの尊さを描いてきた作者ならではの物語である本作。
 ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊……これまでも様々な「超人」たちの物語を描いてきた作者なればこそ描ける「幻想」とそれを求める人々の物語であります。


 ちなみに、あくまでも地に足の着いた現実的視点から描かれた本作に比べ、ポップで華やかなPV等を見る限りでは、『コンクリート・レボルティオ』は大きく趣を異にするようにも感じられます。
 しかし作者がメインライターとして関わる以上、本作同様、そちらでも――また異なる形ではありましょうが――超人の存在を、超人の物語を求める人の心は描かれるのは間違いありますまい。それをこの目で確かめるのを、楽しみにしているところであります。


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超人幻想 神化三六年 (ハヤカワ文庫JA)


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2015.09.26

『仮面の忍者赤影』 第1話「怪物蟇法師」

 琵琶湖の南で勢力を広げる謎の宗教・金目教を探るため、竹中半兵衛が飛騨から呼び寄せた赤影と青影。早速、半兵衛の乱波を追う霞谷七人衆・鬼念坊を撃退し、その後を追う二人。しかしその前に、七人衆の一人・蟇法師と彼の操る千年蟇が出現。蟇の巨体に苦戦しつつも赤影は辛うじて撃退するのだった。

 現在、YouTubeの東映チャンネルやAmazonプライムビデオで動画が公開されている『仮面の忍者赤影』。以前から紹介をしようしようと思っておりましたが、よい機会ですので、不定期にはなりますが、各話紹介をしていきましょう。

 冒頭、いきなり凄まじい迫力で祈祷を行う白装束に怪しげなメイクの怪行者・幻妖斎。演じるは天津敏、大仰といえば大仰この上ないのですが、しかしそのインパクトによって、一瞬のうちに物語世界に引きずり込まれるのであります。
 さて、その幻妖斎と金目教を探るために潜入した乱波は、あっという間に幻妖斎に見つかり、金目様のご神体に捕まってしまいます。かろうじて逃れた乱波が、どう見ても打ち上げ花火状態の狼煙で助けを求めるのはどうかと思いますが、それだけ追いつめられているということでしょう。

 それはさておき、乱波を送り込んだのは、豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃の股肱の臣・竹中半兵衛(演じるは若き日の里見浩太朗!)。そして半兵衛が切り札として呼び出したのは―― 「影をお呼びか!」「影はここに!」の声と(あとシャボン玉と)ともに登場したのはもちろん仮面の忍者赤影と青影!

 乱波救出と金目教探索を請け負った二人は、早速乱波のもとに向かうのですが……乱波を追っていたのは見るからに荒法師然とした怪人・鬼念坊であります。
 ひょこひょこと顔を出した青影に翻弄されるのは、大男総身に……といったところですが、しかし素手で刀を受け止め、手裏剣をかわしもせず弾き飛ばす姿はまさに鋼鉄の体であります。(というより斬られた服まで再生しているのですが……さすがは忍法)

 しかし体は鋼鉄であっても唯一鍛えられないのは目玉。そこに手裏剣を食らった鬼念坊は這々の体で逃げだしたものの、すぐに息絶えてしまった乱波。
 そこで鬼念坊の血の跡を追う赤影ですが……たどり着いた先の古寺で待ち受けていたのは、見るからに怪しげなオーラをプンプンさせる怪人、自ら名乗るは「俺の名はガマ! ほぉーし」……蟇法師。

 そしてその操る忍法は「蟇変化」……と言っても自分が変身するわけではありませんが、その操る千年蟇は、人間の何倍もある巨体の上、口から火を吐く巨大ガエル。作品後半に登場する忍怪獣の先駆のような怪物です。
 さしもの赤影も、寺を豪快に破壊しながら(この場面の特撮が、今の目で見ても十分な迫力!)迫る巨大蝦蟇には相手が悪い……と言いたいところですが、大物食いに関しては特撮史上に残る(?)赤影が怯むはずもありません。

 隙を見て蝦蟇に飛びつき、滅多刺しにする赤影。さらに足下に手榴弾を投下し、蝦蟇の乗った橋を爆破。さしもの蝦蟇も、気持ちがいいくらい豪快に谷底に転落するのでした。
 それで息絶えなかったところはさすがですが、蟇法師も「おお……蝦蟇よ蝦蟇!」と嘆き、撤退するのでした。


 というわけで、金目教や赤影青影の紹介は最小限に止め、後は怪忍者との忍法合戦二本立てという、非常にシンプルな構造の第1話。
 しかし冒頭のあらすじ(お馴染みのナレーションは第2話からですが)と主題歌を聴いていれば基本設定は一発でわかるわけで、後はもう豪快な秘術合戦を楽しめばいいという作りが実に気持ちいい。

 そしてまた、そのシンプルな設定が、正義のために戦う仮面の忍者という、架空に架空を重ねたような存在を、不思議なリアリティのあるものとして描くことに成功しているように感じます。
 もちろん、そこには赤影役の坂口氏の好演があることは言うまでもないですが……


<今回の忍者・怪忍獣>
鬼念坊
 霞谷七人衆の一人。刀や手裏剣をもはじく鋼鉄の体を持つ荒法師。唯一鋼鉄ではなかった目を潰されて撤退する。

蟇法師
 霞谷七人衆の一人。見た目は汚い老人だが忍法蟇変化で千年蟇を操る。赤影を寺におびき寄せるが千年蟇が敗退、とともに撤退する。

千年蟇
 蟇法師の愛蟇。人間の十数倍もありそうな巨大なガマガエルだが、口から火を吐く能力も持つ。


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2015.09.25

芝村凉也『素浪人半四郎百鬼夜行 五 夢告の訣れ』 新たなる魔の出現、そして次章へ

 過去の悲しみを背負う青年剣士・榊半四郎と、奇怪な怪異たちの対決を描いてきた『素浪人半四郎百鬼夜行』も、本作で第5巻、通算6作目となりました。半四郎と仲間たちがこれまでにない恐るべき怪異と対決する中、物語の背後で蠢いていた者たちが遂にその素顔を見せることになります。

 前作で描かれたとある事件で火付盗賊改に逆恨みされることとなり、一つにはほとぼりを冷ますため、そしてもう一つは江戸以外の地で起きる怪異の存在を確かめるために旅に出た、江戸のゴーストハンターとも言うべき榊半四郎と謎の老人・聊異斎と小僧の捨吉。
 本作に収録された最初のエピソード『誘う井戸』は、そんな彼らが江戸に呼び戻されることから始まります。

 さる旗本屋敷にある古井戸。しかしその井戸は、どれほど固く蓋を閉じられようともいつの間にか開き、そのたびに周囲で神隠しが発生するという、恐るべき存在でありました。
 この怪異を鎮めるために招かれた、聊異斎のいわば同業者とも言うべき腕利きたちまでもが次々と姿を消すに及び、聊異斎と半四郎は、この怪異と対決することを余儀なくされるのですが……

 と、第1話からいきなり盛り上がる本作。いわば「人を呑む井戸」は、怪談として時折耳にすることがありますし、また一種の幽霊屋敷ものと考えれば、シリーズ第1巻に収録されたエピソード「表裏の家」(これがまた屈指の名作!)を思い起こさせます。

 しかしここで描かれる井戸の怪、いや井戸の魔は、そのどれとも異なり、そして恐ろしい。どれだけ井戸を封印し、井戸から離れようとも、いつの間にか封印は解け、そして犠牲者は何処からか引き寄せられるように消えていく……
 そんな怪異を、本作は決して派手ではなく、しかし腹の中が冷えていくような描写の積み重ねで描き出します。

 そして作中で徐々に明かされていく井戸にまつわる因縁の中で、思いも寄らぬあの有名人の名前が飛び出すのには、もうやられた! と唸るしかありません。


 そして続く第2話『逢摩ヶ辻』もまた恐ろしく、素晴らしい。
 四つ辻に現れ、通りかかった人間に斬りかかる、姿なき謎の怪人。この事件を追う友人の町方同心・愛崎がようやく掴んだ容疑者の姿は、見る者によって、見る度に変わっていた……
 そんな敵の「正体」も実にいいのですが、そんな怪物を存分に描きつつ、物語は、見事に半四郎の剣の成長を描く剣豪ものとして成立しているのには、唸らされるばかりです。

 以前から繰り返し述べておりますが、本シリーズの素晴らしい、そして恐るべき点は、文庫書き下ろし時代小説の――いわゆる浪人ものというべきスタイルの――フォーマットをき完全に踏まえつつ、その上で真っ正面からの時代怪異譚、ゴーストハンターものとして作品を成立させている点でありましょう。
 そしてそれは、本作においても変わることはない……というより、むしろより研ぎ澄まされていると感じます。


 しかし、本作の最後のエピソード『源内の軛』において、物語はこれまでにない展開を見せることとなります。
 件の火付盗賊改についに濡れ衣を着せられ、捕らわれてしまった半四郎。彼を救うべく奔走する人々の背後に浮かび上がるのは、半四郎が怪異と戦ってきたその裏で蠢いてきた力と力の存在。

 これまで物語の背後に見え隠れしていた、謎の存在「若」……時に江戸の竜脈を狂わせ、災厄を招こうとしていた人物の正体がついに明かされるとともに、彼と対峙する人物の存在が――『誘う井戸』の真相も絡めて――描かれるのであります。

 正直なところ、若の正体や、彼と対峙する人物「神田橋様」の存在は、時代ものファンであればすぐにピンとくる有名人なのですが、しかし彼らがこうして正面に出てきたということは、物語が新たなステージに進んだというべきでしょう。

 そう、実は本シリーズは本作をもって、「怪異出現編」を完結し、次の巻からは「怪異沸騰編」が展開されるとのこと。
 これまで戦ってきたどんな魔物よりも恐ろしい、「権力の魔」を向こうに回し、果たして半四郎は生き抜くことができるか……いや、生の意味を掴むことができるのか。

 時代怪異譚の一つの極として、本シリーズからは、これからも目が離せません。


『素浪人半四郎百鬼夜行 五 夢告の訣れ』(芝村凉也 講談社文庫) Amazon
素浪人半四郎百鬼夜行(五) 夢告の訣れ (講談社文庫)


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2015.09.24

山田正紀『桜花忍法帖 バジリスク新章』刊行!? 

 新たな文芸レーベルに対して気になるのは、好きな作家の、好きなジャンルの作品があるかでしょう。そんなわけで新レーベル「講談社タイガ」のラインナップに注目していたところ、そこには山田正紀『桜花忍法帖 バジリスク新章』のタイトルが。そして先日公開された冒頭部分に記されていたのは……

 念のためご紹介すれば、ここでいう『バジリスク』とは、山田風太郎の『甲賀忍法帖』を、せがわまさきが漫画化した作品。原作を忠実にビジュアライズしつつも、同時にそこに独自の味わいを交えたその内容は、原作既読・未読を問わず多くの読者に好評を持って迎えられ、アニメ化もされております。

 しかし『甲賀忍法帖』の、『バジリスク』は、三代将軍の座を巡り、甲賀と伊賀、それぞれの代表選手が死闘を繰り広げるというもの。その結末については――あまりに有名ではあるものの――ここでは触れませんが、しかしそうそう簡単に続編が作れるようなものではありません。
 その『バジリスク』の新章とは……気になる点の一つ目であります。

 そしてもう一つ気になるのは、作者が山田正紀であること。言うまでもなくSFで、いやミステリ、冒険、時代小説etc.様々なジャンルで活躍する大ベテラン、私も大ファンの作家であります。
 元より作者が山田風太郎ファンであることはよく知られたことであり、事実、『甲賀』オマージュの『神君幻法帖』を発表しているほどであり、(また意外と企画ものにも参加される方であって)ある意味適任ではありますが、それにしても……

 と、何ともやきもきさせられていたところに先日Kindleで公開されたのが、『「講談社タイガ」期間限定創刊試し読み冊子』。同レーベルの第一弾、第二弾作品の一部を収録したものですが、その中に第二弾で刊行される『桜花忍法帖』が収録されていたのです。

 収録されているのはあらすじと、冒頭部分ではありますが、しかしそれで見た限りでは、なるほど本作は確かに新章――あの物語の後日譚で間違いなさそうであります。


 あの甲賀vs伊賀の死闘が繰り広げられた1614年から12年後の1626年……冒頭に登場するのは、甲賀の敗北により将軍の座に就くことが出来なかった徳川国千代――すなわち徳川忠長。
 何故かただ一人旅路をゆく彼の前に立ちふさがった、奇怪な忍法を操る伊賀の黒鍬者に対し、忠長の陰の守護者たる甲賀五宝連が現れて……

 と、ほんの冒頭部分ですが、超人的な忍法とそれを何となくあり得べきものとして納得させてしまう解説(そして視覚的ですらある響きの忍者のネーミング)は、なるほど忍法帖のそれであります。

 扉に記されたあらすじによれば、本作はこの甲賀五宝連と、対する伊賀五花撰の対決となる模様ですが……非常に気になってしまうのは、それぞれを率いる二人の――いずれも眼術を操る――忍者が、同じ父母から生まれた双子であるという設定。

 もちろんその父母が誰であるかは記されてはいませんが、しかし『バジリスク』の内容から考えれば、どうしても浮かんでくるのはあの二人ではありませんか。
 もちろんそんな余裕があったかと言えばそれは難しいわけですが、しかし本作の冒頭部分には、『バジリスク』に――もちろん『甲賀忍法帖』にも――ない、ある描写が加わっており、その点を考えれば……その可能性は決してゼロではない、いやむしろわざわざあの物語の続きを描くのであれば、そうである可能性は極めて高いのではありますまいか。


 もちろんこれはあくまでもこちらの勝手な予想であります。そして何よりも、一度完全に、これ以上なく哀しく美しく終わった作品に、別の作家がその後の物語を書いてよいのか、ということもありましょう。
(個人的に『神君幻法帖』に乗れなかったこともあり……)

 それでもやはり気になってしまうのは、忍法帖ファン、時代伝奇ファン、二人の山田ファン、せがわファン(本作のイラストはせがわまさきが担当とのこと)の性でありましょう。
 その期待に応える作品と出会えることを心から楽しみにして、再来月を待つこととしましょう。



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2015.09.23

吉川うたた『鳥啼き魚の目は泪 おくのほそみち秘録』第4巻 ついに明かされる芭蕉隠密説の謎!?

 かの松尾芭蕉と河合曾良の「おくのほそ道」の旅を新解釈で描く漫画の第4巻であります。旅もいよいよ半ばを過ぎたと言うべきか、松島、平泉を越え、山形に入った二人は、相変わらず現世と異界、それぞれの存在に振り回されることになります。

 歌枕を訪ねての静かなものとなるはずだった二人の旅は、冒頭から波乱続き。お馴染み(?)の芭蕉隠密説を行く先々で疑われて足止めを食ったり、「視える」体質である芭蕉が様々な亡魂や異界のモノにつきまとわれたり……
 特に第3巻では、そんな存在に引っ張られて芭蕉が恐山に飛ばされたりと、とんでもない事態となった(もちろん無事に帰ってきましたが……)ところであります。

 さて、そんな大事件が発生したり、歴史上の有名人(の霊魂)が登場した第3巻に比べると、比較的おとなしめの旅となったこの第4巻。
 尾花沢、山寺(立石寺)、最上川、出羽三山と続く旅は、一種散文的と申しますか、紀行文的な内容にも感じられます。

 と言っても、もちろんこれまでに比べれば、というお話。尾花沢では、恐山で出会った佐々介三郎との再会あり、山寺では慈覚大師(登場の仕方に仰天)やマタギの元祖の霊との対面あり、死と生の再生の場とも言うべき出羽三山でももちろん……と様々な事件が彼らを待ち受けます。

 そんな中で、この旅が歌枕を訪ねる旅であると同時に、死者たちの声を聞く旅であることを再確認する――そしてその中で、彼にとって忘れられぬ人である藤堂良忠の存在を思い出す――芭蕉の姿は、本作ならでのものと言えるでしょう。


 が、今回一番インパクトが大きかったのは、芭蕉隠密説への本作なりの答えが示されたことではありますまいか。
 およそ隠密らしくない脳天気であけっぴろげな本作の芭蕉ですが、その一方で何やら意味ありげな態度を見せる曾良。そんな二人の真実がここで明かされるのですが、なるほどそう来たか、という線で実に面白い。

 そしてまた、行く先々で芭蕉と曾良の前に現れるマタギの七郎次がこの巻のラストでさらりと口にする言葉は、二人の旅の中にある異界と現世の思わぬ接点を語るものであり――そしてそれはこの旅をある意味象徴するものであると感じた次第です。
(その前の曾良の「どうしてどいつもこいつも私たちの行く先や日程まで詳しく知っているんだ?」の言葉には苦笑)

 二人の旅も後半に、北陸の旅に入りますが、個人的には東北の旅という印象が強かったこの「おくのほそ道」で何が待ち受けているのか……史実の上でも、フィクションの上でも、楽しみになります。


『鳥啼き魚の目は泪 おくのほそみち秘録』第4巻(吉川うたた 秋田書店プリンセスコミックス) Amazon
鳥啼き魚の目は泪~おくのほそみち秘録~ 4 (プリンセスコミックス)


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 『鳥啼き魚の目は泪 おくのほそみち秘録』第3巻 彼岸という名の道標

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2015.09.22

10月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 何だか暑さどころか大雨と寒さでほとんど終わってしまった感のある9月。残暑も過ぎて本格的な秋に突入ですが、さて10月の新刊は……といえば、これが少々寂しい印象。一体何を楽しみに来月を生きれば……というのは大袈裟ですが、何はともあれ、10月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 さて、寂しいのは文庫新刊。新作は上田秀人の新シリーズ『禁裏付雅帳 1 政争』のみという状況です……が、こちらの作品、これまで作者の作品でしばしば題材となってきた禁裏が中心に扱われるようで、大いに気になるところであります。

 その他、文庫化等では、夢枕獏の人気シリーズのベスト盤とも言うべき『よりぬき陰陽師』、石川宏千花のYA向け作品の文庫化『お面屋たまよし』、平谷美樹による一種の科学捜査官ものと言うべき『採薬使佐平次』が気になるところです。


 一方、漫画の方はなかなかの豊作。新登場はこちらも1作品、山口貴由『衛府の七忍』第1巻ですが、あの『シグルイ』の作者による、今度は忍者ものということで、気にならないわけがありません。

 そのほかの新刊としては、灰原薬『応天の門』第4巻、戸土野正内郎『どらくま』第2巻、黒乃奈々絵『PEACEMAKER鐵』第9巻、永尾まる『猫絵十兵衛御伽草紙』第14巻、たかぎ七彦『アンゴルモア 元寇合戦記』第4巻、霜月かいり『BRAVE10S』第8巻、岡田屋鉄蔵『MUJIN 無尽』第2巻と、大いに楽しみな作品が並びます。

 また、熊谷カズヒロ『モンテ・クリスト』と近藤るるる『ガーゴイル』は、ともに第4巻で完結とのこと。どちらもかなりの盛り上がりを見せていただけに、少々残念なところではあります。



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2015.09.21

上田秀人『表御番医師診療禄 6 往診』 一難去ってまた一難……京を巡る暗闘

 幕府の権力の病巣に挑む剣豪医師・矢切良衛の活躍を描くシリーズも気がつけばもう第6弾。江戸城内を舞台としてきた物語は、ここで江戸城を、いや江戸を飛び出し、長崎に向かう良衛の姿が描かれることになります。……が、何処においてもついて回るのは、権力を巡る暗闘なのであります。

 御広敷伊賀者を診察したことがきっかけで、大奥に蟠る闇の存在を知ることとなった良衛。
 彼を手足として使う大目付・松平対馬守の企みで御広敷御番医師とされた良衛は、何とか事件を解決に導き、将軍綱吉より、長崎遊学を許されるのでありました。
(しかしそれで『往診』というタイトルはさすがにどうか……と思いきやちゃんと往診もあるのですが)

 外道(南蛮医学)をも修める良衛にとって、長崎へ、それも官費による留学は大きな夢。ようやく江戸城内の魑魅魍魎どもから離れ、医師としての修行に励むことができると、勇躍長崎に旅立った良衛ですが……しかしもちろん、そうそうすんなりとことが運ぶはずもありません。

 すでにあまりに多くの権力の闇に触れてしまった彼を周囲が放って置くわけもありません。良衛によって陰謀を暴かれた大名家、大奥の女中、御広敷伊賀者、京都所司代……直接的・間接的を問わず、様々な形で彼を襲い、あるいは利用せんとする者は後を絶ちません。
 そして松平対馬守もまた、大奥の事件の根元が京にあると睨み、今回も良衛をこき使おうとするのですが……


 というわけで旅先でも相変わらず振り回される良衛ですが、今回彼が挑むことになるのは、上田作品においては『竜門の衛』以来様々な作品で登場する京の禁裏、公家たち。
 幕府が武力・権力・財力を掌握する一方で、そのいずれも持たぬながら、使いようによってはそれ以上に強力な「名分」を持つ禁裏の存在は、特に禁裏によって将軍が任命される以上、決して軽んずることはできないものであります。

 そしてある意味、公家たちの江戸における窓口とも言うべき存在が、大奥の女たち。京から送り込まれた彼女たちは、様々な形で幕政に影響を及ぼさんとしているのであり――そしてこれまでその企みに関わってきた良衛が、京で公家を相手取ることになるのも、ある意味必然と言うべきでしょう。

 ……とはいえ、本作の彼はある意味露払い。自分が京に乗り出すのに必要となる証拠を探し出せという、松平対馬守の実にアバウトかつ無責任な指示によるもののため、盛り上がりに今一つ欠けるというのが正直なところであります。
(しかも、対馬守は対馬守で、京に手下を置いているわけで……もっとも、それが思わぬ姿を見せるのですが)

 そんなわけで、嵐の前の静けさという印象も強い本作ですが、良衛にとっての嵐は、思わぬところからやってきます。
 大奥での働きから、綱吉最愛の側室であるお伝の方に気に入られた良衛。彼女が良衛に望んだものとは……

 そのお伝の方の意を汲んで良衛の行く先々に現れる御広敷伊賀者の女忍・幾の存在もなかなか面白いアクセントで、これまでの物語とは一風変わった味わいの内容であることは間違いありません。


 それにしても、良衛を振り回す側も一枚岩でないのが権力の恐ろしいところ。対馬守だけでなく、綱吉までもが良衛に目を付け始めた中、一難去ってまた一難どころではない重荷を――特に史実と照らし合わせると――背負うこととなった彼の向かう道は何処か。旅に出たばかりではありますが、まだまだ彼の前途は多難であります。

『表御番医師診療禄 6 往診』(上田秀人 角川文庫) Amazon
表御番医師診療禄 (6) 往診 (角川文庫)


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2015.09.20

『MOGURAYA 百年盂蘭盆』 舞台で帰ってきたもぐら屋!

 築地ブディストホールで上演された舞台『MOGURAYA 百年盂蘭盆』を観て参りました。澤見彰の『もぐら屋化物語』シリーズを原作とした本作、脚本も澤見彰ということで楽しみにしておりましたが、原作の賑やかな世界をそのまま舞台に移したようなユニークな作品でありました。

 幕末に近い江戸は内藤新宿を舞台に、会津藩を脱藩して流れ着いた若き浪人・楠岡平馬が、妖怪ばかりが泊まるおかしな旅籠・土龍屋の用心棒となって悪戦苦闘する姿を描いた『もぐら屋化物語』。
 これまで廣済堂モノノケ文庫から3作発表されたシリーズですが、これまで2回3エピソード舞台化されているところであります。

 恥ずかしながらこれまでに舞台はまだ拝見していないのですが、冒頭に述べたとおり今回は作者自身によるオリジナルストーリーということで――原作もしばらく続編が出ていないこともあり――これは見るしかあるまいと思ったところです。

 さて、見る前は完全にこれまでの舞台の続編と思いこんでいた本作ですが、さにあらず、本作はある意味リブートと言うべき構成となっております。

 盂蘭盆の晩、脱藩して追っ手(鬼の佐川官兵衛!)に追われながらヨレヨレになって内藤新宿にたどり着いた平馬。
 行き倒れ同然で少女・お熊の営むおんぼろ宿屋・土龍屋に担ぎ込まれた彼は、一宿一飯の恩義から用心棒役を買って出ますが、土龍屋は守り神を自称する巨大な土竜・ムグラさまや、渡世人姿の白犬・シロなど妖怪たちが出入りする宿でありました。

 そんな折も折、内藤新宿を護る太宗寺の閻魔像の片目が盗まれるという事件が発生、地獄の閻魔大王の分身である閻魔像が力を失ったことで、妖怪たちが暴れ出す事態に。
 さらに、百年の怨念を秘めた魔が、土龍屋を狙って動き出し……


 と、内容的には原作の第3巻『用心棒は就活中』で描かれた閻魔の目玉盗難事件や旅犬シロの過去のエピソードを織り交ぜつつ、オリジナルの展開でまとめた本作。
 登場するキャラクターも、平馬、お熊、ムグラさまをはじめ、赤鬼のお稲一味に迷惑兎の玉兎と、原作でお馴染みの面々を中心になかなか賑やかな顔ぶれです。

 ですが、原作は妖怪変化が数多く登場する作品。ムグラさまは人間大の土竜ですし、シロは二本足で立って歩く犬と、そんな面々をどのようにビジュアル化するのだろう……
 と思いきや、ほぼ完全に素面で、幾つかキーアイテム的なものでキャラクターを主張する――例えばムグラさまは黒い丸眼鏡、シロは白い鬘――という、ある意味舞台的な正面突破の潔さには、いい意味で感心しました。

 今回の舞台、俳優がほとんど全員美男美女というなかなかすごいものだったのですが、しかしふんだんに盛り込まれた殺陣もなかなかの迫力(チャンバラ中の蹴り技多用は……まあ仕方ないでしょう。ドスの殺陣はもうちょっと頑張って)。
 普段ふぬけ浪人呼ばわりされる平馬がチャンバラではヒイヒイ言いながらも存外に強いというのも、「腕は立つけれどもどうしようもなく甘ちゃんでお人好し、しかしそれが周囲を救う」という平馬らしさがよく表れていたと思います。

 また、役者でいえば、ムグラさま役の大石敦士は、さすがにつか劇団出身と言うべきか、発声といい動きといい頭抜けていた印象。上記のとおりサングラス一つで大土竜を演じて見せるというのも、この役者ならではであったかもしれません。


 そんなわけで原作ファン的にはかなり満足できた本作ですが、一点勿体なく感じるのはのは――上記のとおりビジュアル的に仕方のない面はあったとしても――人間と妖怪の違いが、その両者が共に存在する内藤新宿の特異性が見えにくかった(裏を返せば「人間」側の登場人物が少なかった)点でしょうか。

 それ故に、終盤での「敵」と平馬の、共にある意味人間と妖怪の境を超えながらも、その方法と結果は全く異なる者同士の違いが、そしてそこにある平馬なればこその「強さ」が見えにくくなってしまったように感じられるのです。


 もちろん、二時間弱の間に基本設定を全て語り、新たな物語を展開してみせた――それも原作の持つコミカルさ、賑やかさを再現しつつ――のは、見事というべきでしょう。
 それだからこそ、あともう一歩の踏み込みで、さらに素晴らしい作品になるのではと、新たなる『もぐら屋化物語』の始まりになるのではと、感じたところではあります。



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2015.09.19

東村アキコ『雪花の虎』第1巻 女謙信と長尾一家の物語始まる

 戦国武将を女性に、というのは最近ではあまり珍しくありませんが、しかしその中でも遙か以前から、それなりの説得力でもって女性説が流れる武将がいます。それは上杉謙信――その謙信女性説を踏まえたのが、『主に泣いてます』『海月姫』の東村アキコによる本作であります。

 自らを毘沙門天の化身と任じ、武田信玄をはじめとする名だたる戦国武将を向こうに回して一歩も引けを取らなかった名将――そんな謙信と女性というのは、これは意外な取り合わせのようですが、しかし本作の冒頭で作者が語るように、地元の伝承等でも、それなりに所以があるものとして語られている巷説であります。

 その割にはこの説を取り入れたフィクションがさして多くないのは、これは一つには、従来の戦国ファンの多くが男性だったからではないか……と考えるのは穿った見方でしょうか。
 本作の掲載誌『ヒバナ』も青年誌ですが、しかしその一方で、執筆陣が女性作家中心というユニークな雑誌。その同誌の特徴が、本作にも反映されているのかもしれない、とまで言うのは大げさですが、しかし謙信女性説があったからこそ、作者が本作を、初の歴史ものを描くきっかけになったことは間違いありますまい。

 越後の春日山城城主・長尾為景が待ちに待った第三子の誕生。長子の晴景は城主としてはあまりに柔弱、第二子の綾は娘――次の子こそは自分の後継者という為景の期待空しく、生まれたのは娘。しかし為景は彼女を姫武将にすると宣言、虎千代の名を与えるのでありました。
 かくて幼い頃から男として育てられた虎千代、後の謙信は、大器の片鱗を見せつつ、逞しく成長していくことに……

 というわけで、ある意味真っ正面から謙信女性説という題材を扱う本作。
 それでも全く違和感がないのは、この第1巻の時点ではまだ謙信が幼く、性差がさまで激しくないこともあるかもしれませんが、むしろ作者の硬軟織り交ぜた――どちらかというと後者がかなり多めの――筆によるところが大かもしれません。

 謙信女性説という異説も、しかし作中ではある意味必然のなりゆき。長尾家の人々や、彼らに仕える人々のユーモラスなやりとりは、それに説得力を与えるとともに、歴史物としての堅さ、重さをうまく中和した、自然な物語を生み出していると感じます。
(歴史ものとしての解説描写のページを大胆に上下二段に分け、下は作者曰く「ワープゾーン」として、歴史が苦手な人向けにすっ飛ばして見せるという荒技も楽しい)

 そして、私がそんな第1巻を読んで受けた印象は、むしろホームドラマ的なものがありました。謙信一人の物語というよりも、彼女を取り巻く家族の物語と――

 ある意味戦国時代の典型的な男女とも言うべき両親。父や謙信に似ず、争いを好まず学問や芸能を好む文弱の徒ともいうべき兄。どこまでも優しく慎ましやかな姉。
 確かに彼らは戦国時代の人々でありますが、しかし家族としての関係性は、人間としての生き様は、我々と変わらぬ血の通ったそれとして、自然に受け止められるのであります。

 そんな中でも、晴景の――戦国時代の男らしからぬ、そうなりたくともなれず、自分の代わりに妹が武将として育てられるのを受け入れるしかない彼の――抱える屈託は、本作ならではのものとして、そしてある意味現代の我々に一番近い存在として、特に印象に残ります。


 もちろんこうした印象も、先に述べたとおり、この巻の謙信がまだ幼いゆえ、ということはあるでしょう。
 今は男として、武将として生きることに疑問を抱かずとも、やがてどこかで齟齬が――彼女が望むと望まざると――生じることになる。その時に彼女が何を思い、どう動くか……

 それこそが本作の主題となるでありましょうし、それに対して周囲の者たち、なかんずく男たちがどう動くのか、それは大いに気になるところであります。
 林泉寺に預けられた謙信にとって、ある意味兄的存在である益翁宗謙、そして未だ見える時期にはなくとも不気味な存在感を見せる武田晴信(信玄)――特にこの二人のイケメンの動きは、謙信の、本作の今後に大きく関わっていくこととなりましょう。

 歴史ファンであってもなくとも魅力的であり、先が大いに気になる……そんな作品であります。


『雪花の虎』第1巻(東村アキコ 小学館ビッグコミックス) Amazon
雪花の虎 1 (ビッグコミックス)

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2015.09.18

藤村与一郎『振り子のお稲 水晶占い捕物噺』 テンポが魅力の父娘捕物帖

 時代小説界の外から来た作家だけではなく、いわゆる時代小説プロパーの――しかし新進気鋭の、新鮮な作家たちの作品も数多く収録されている招き猫文庫。本作はそんな作家の一人による、酸いも甘いも噛み分けた腕利き御用聞きと、不思議な水晶占いの力を持つ少女の絆を描いた人情捕物帖であります。

 上野辺りを縄張りとする御用聞きの彦十は、五十絡みの初老ながら、故あって今も独り身を続けている男。そんな彼が、水茶屋殺しの犯人を追う中で出会ったのは、一人の男勝りの少女――お稲でありました。

 赤ん坊の頃に親に捨てられ、人情に篤い桶職人の旦那に拾われて育ったお稲。
 最近、江戸の水の味が落ち、腹を壊す人間も出る有様。ここは一つ、自分たちで井戸を掘って皆の役に立てよう……と考えたお稲たちだったのであります。
(江戸時代の井戸は、桶を地中に埋めるタイプだったため、桶屋が井戸掘りを兼ねている……という設定)

 そして、実は殺人事件にも大きく関わっていたのが水の味。殺された水茶屋の主が、直前に口論していたという水売りの男の水は、一時期急に売り上げを伸ばしていたその水も、最近味が落ち、腹を壊す人間も出ていたというのであります。

 というわけで、井戸の水を縁に出会った彦十とお稲ですが、実はこの二人、深い深い因縁があります。それは、二人が生き別れの父子であること……

 かつて芸者の置屋で下男をしていた彦十が恋した店の芸者・お仲。お仲が身請けされたことで引き裂かれた二人ですが、しかしその時既にお仲の体には赤子がいたのです。
 そして、それが元で身請け先を追い出されたお仲が泣く泣く捨てた赤子がお稲だったのであります。

 その後十手持ちとなり、お仲を想いながら一人生きてきた彦十と、親切な桶屋のもとで家族同然に育てられてきたお稲と……ここにそうとは知らぬまま、父子が出会ったのであります。
(ちなみにお仲の方は、その後流転の果てに京都所司代の土井利位に見初められ、最愛の側室・来栖の方となった……とこれも波乱の展開)

 驚かされるのは、この二人の、いや三人の因縁が、物語のプロローグで早々に語られること(だからこそここに紹介したわけですが)。
 これにはいささか驚かされたのですが、因縁を早々に読者には明かしておくことにより、物語をスピーディーに進めると同時に、お稲と彦十たちの微妙なすれ違いを、時にやきもき、時にニヤニヤしながら読ませるというのは、なるほどこれは一つの見せ方かと思います。

 そんな本作の最大の魅力は、そのテンポの良さと言えるかもしれません。
 本作に収録されている全3話――上で述べた事件を描く第1話、江戸で二八は十六歳の遊女ばかりが何者かに殺されていく事件の謎を描く第2話、お稲にとっては兄貴分に当たる纏持ちの青年にかけられた付け火の疑いを晴らすために奔走する第3話と、いずれもそれなりに入り組んだ物語。

 しかしそれが彦十とお稲の活躍でスルスルと解きほぐされていくのは――それも、その一家の物語を絡めつつ――なかなか楽しい。
 正直なところ、いささかうまく話が転がりすぎるように感じられる部分はあるのですが、それも納得させられてしまう勢いがあります。


 ただ少々残念なのは、お稲がタイトルロールになっているにもかかわらず――つまり、ヒロインが主人公の捕物帖であるにも関わらず、彼女よりも彦十の視点がメインとなっていることでしょうか。
 彼女の最大の特徴である水晶占い(これがまたなかなか捕物帖の謎解きとバランス取りが難しいのはよくわかるのですが)の扱いも含めて、お稲の存在が十全に活かされていないのは、残念に感じます。第2話において、探偵役であったはずが実は……というお稲と物語の関わりなど、面白いものがあるだけに――

 しかしまだ彦十とお稲、彼女を取り巻く人々の物語は始まったばかりであるはず。特に土井家絡みでは幾らでも波乱を起こせるはずで、その辺りは続編が出るのであれば、そちらに期待したいと思います。


『振り子のお稲 水晶占い捕物噺』(藤村与一郎 白泉社招き猫文庫) Amazon
振り子のお稲 水晶占い捕物噺 (招き猫文庫)

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2015.09.17

風野真知雄『卜伝飄々』(その三) そして時を超えて受け継がれるもの

 三回にわたって紹介して参りました風野真知雄『卜伝飄々』も今回がラスト。収録されている作品も、特にトリッキーかつユニークな内容のものが続くことになります。

『月を斬る』
 突然、月を斬りたいという想いに憑かれた卜伝。夜毎修行に励む卜伝は、若くして出家した公家の姫、都を騒がす公家盗賊、そしてあの松永久秀と思わぬ形で関わることに……

 ここからは書き下ろしとなります。
 これまでも老いてなお己の剣を高めんとする姿が描かれてきた卜伝ですが、ついに本作で卜伝が斬らんとするのは月。そしてもう一つ本作で重要な役割を果たすのは、彼がかつて瀕死の重傷を負った際、朦朧としながら彫ったと言われる月光菩薩像であります。

 そしてその像に目を付けたのが、あの松永久秀というのが面白い。前話の義輝と異なり、史実上で卜伝と関わりがあったかはわからない久秀ですが、奇妙な美学を持っていたと言われる彼のこと、本作での登場は違和感ありません。
 が、自分が彫ったと言われても全く記憶がない卜伝にとっては困惑するばかり。そうこうするうちに、自分が警護する姫君と、像を狙う盗賊、久秀の間に挟まれ、面倒に巻き込まれることになるのですが……

 同じ卜伝が(?)相対する、同じ月(を関する物)とはいえ、片や剣で斬らんとする対象、片や人を感動させ、敬虔の念を抱かせる仏像。全く正反対にも見えるこの二つが、しかし、実は意外なところで繋がっていた……
 という結末のひねりも面白いのですが、そこに本作の描く「剣」の一つの形があるように感じられるのも興味深いのです。


『鍋の蓋』
 京から旅に出たものの何者かにつけ回される卜伝。執拗に追ってくる相手を山小屋におびき寄せた卜伝の手にあったものは……

 実質これが最終話ですが、冒頭の無手勝流に対応するように、本作で描かれるのはやはり卜伝の有名な逸話、鍋蓋試合。斬りかかってきた相手の太刀をとっさに目の前の鍋蓋で受け止め、取りひしいだと言われるこの逸話、卜伝が登場する際には様々にアレンジを加えて描かれるのですが、問題はその相手。

 講談ではその相手はかの宮本武蔵なのですが、しかしこの二人、活動期間は実に半世紀ほどずれており、いかに晩年の卜伝とて、こうして対峙するはずはないのですが……しかし本作には、宮本武蔵が登場するのです。それも先祖や同名異人ではなく、吉岡清十郎との決闘を間近に控えた、正真正銘の武蔵が。

 果たしていかなる仕掛けでそれを可能としたのか……これはもちろんここでは述べませんが、一種の○○トリックとも言えるそれによって、虚実が、いや虚虚(?)が鮮やかに融合して一つの物語として成立したのには大いに感心いたしました。

 そしてこの趣向、それだけでなく「時を超えて受け継がれるもの」、それでいて同時に、「時が経たねばわからぬもの」の存在を描き出しているのが何とも心憎い。
 もちろんそれは卜伝の剣、いや卜伝の生き様そのものに重なってくるものであり――そしてそれは、これまでに描かれてきた卜伝の姿を思えば、見事に感動的な、掉尾を飾るに相応しいものとして、感じられるのであります。


 これまで、代表作である『耳袋秘帖』をはじめとして、老人を主人公とした作品を数多く発表してきた作者。同時に『若さま同心徳川竜之助』のように、一種剣豪もの的要素を持つ作品もまた、作者の得意とするところでありましょう。
 本作はそんな作者の二つの流れが一本に合流し、そしてそれがそれぞれの味わいをさらに増した、いわば集大成と言うべき作品であると感じます。

 そしてそんな卜伝の旅は最終話において、一つの美しい結末を迎えました。しかし、しかし卜伝の剣法探求の旅はまだまだ続きます。

 エピローグとも言うべき『塚原家後談』において示されるように、一つの境地に辿り着いたかに見える卜伝ですが、しかしまだまだ剣士として、人間として、彼の旅路には先があるのではあるはず。
 その更なる先を見てみたい……これだけの作品を楽しませていただいて贅沢なお話ですが、それが正直な気持ちであります。
(何しろ作者の『大奥同心・村雨広の純心』では、卜伝の剣のその先が描かれているわけで……というのはこれは半分冗談ではありますが)


『卜伝飄々』(風野真知雄 文藝春秋) Amazon
卜伝飄々

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2015.09.16

風野真知雄『卜伝飄々』(その二) 生と死の曖昧な境に

 風野真知雄が剣聖・塚原卜伝の老境を描く連作短編集『卜伝飄々』の紹介のその二です。今回はあの有名人も登場するのですが、しかしその造形と扱いはいかにも本作らしいのであります。

『蝿の殿』
 旧知の日野城主・蒲生定秀を訪れた卜伝。三好家との緊張状態が高まる中、昔からの空気を読まない言動がより強まっている彼は、蠅を箸で掴めるかと言い出して……

 風野作品に登場する様々なキャラクターたちの中で特に印象に残るのは、もしかすると「ちょっと困った人間」たちではないでしょうか。
 主人公に成敗されるような悪人ではないものの、側にいると確実に迷惑で、時に害も及ぶような人物……作者のデビュー作である『黒牛と妖怪』の老いた鳥居耀蔵もそんなキャラクターでしたが、しかしそうした人々をバッサリと切り捨てることもしないのも作者の作品らしさでしょう。

 本作の定秀もそんな人物ですが、卜伝はそんな定秀の振る舞いの中に、彼の背負うものを――自分がかつて捨てたものを――見出し、それが一つの救いとなるのが、何とも気持ちいいところなのです。


『半々猫』
 かつて胸襟を開いた同年代の剣士・森一徳と三十年ぶりに立ち会った末、紙一重の差で斃した卜伝。しかし一徳が生きているという噂が流れ、確かめようとした卜伝は意外な成り行きに巻き込まれることになります。

 伝説・伝承では無敵を謳われる卜伝ですが、しかし本作の彼は、それと自分が無縁であることを一番よく知っている人物。
 かつて意気投合した同年代の剣士と立ち合った彼は、本当に自分が相手を斬ったのか、実は自分が斬られたのではないかという想いに取り憑かれることになります。

 本作はそんな卜伝が意外な陰謀(?)に巻き込まれる姿を描きますが、タイトルの半々猫は、生きているのか死んでいるのか、曖昧なその境の象徴。
 そしてその果てに待ち受けている、生と死の境がまさしく裏返しとなるようなどんでん返しと、そのさらに先にある残酷な結末からは、老いて初めて気付く生と死の境の微妙さを我々に突きつけるのであります。


『首無し地蔵』
 朽木谷に潜む足利義輝を訪ねた卜伝は、城近くの石の地蔵の首が切り落とされているのを目の当たりにすることに。果たして誰が、何のために、如何なる技で斬ったのか……

 風野作品には、ライトなミステリタッチの作品、それも日常の謎的なものを扱ったものが多く存在しますが、本書の中では、本作が最もその要素が強い作品でしょう。
 見事に首を断たれた石の地蔵。卜伝でも不可能な所業をやってのけたのは誰なのか。さらにその後、地蔵の前で斬殺死体が見つかり、謎は深まります。

 その謎解きも面白いのですが、さらに本作をユニークなものとしているのは、言うまでもなく義輝の存在。まだ十代のニキビ面の青年である義輝、将軍と呼ばれながらも京から逃げるしかなかった彼の鬱屈を、卜伝は思わぬ師弟対決を通じて受け止めることとなります。

 そして同時にこの対決は、人を斬ること――剣士としては当たり前の行為ですが、しかし一人の人間としては異常な行為――を如何に昇華するかをも描き出すのであり……単純にそれをネガティブなものとして捉えない視点も、印象に残るところであります。


 申し訳ありませんが次回に続きます。


『卜伝飄々』(風野真知雄 文藝春秋) Amazon
卜伝飄々

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2015.09.15

風野真知雄『卜伝飄々』(その一) 大剣豪の夢見たもの

 主に文庫書き下ろし時代小説のフィールドで活躍する作者が、「オール讀物」誌に連載してきた連作短編の単行本化であります。主人公となるのは、タイトルにある通り剣聖・塚原卜伝……齢七十に近づいた卜伝の飽くなき兵法探求の人生を、作者お得意のユーモアとペーソス混じりに描く作品です。

 15世紀後半に生まれ、鹿島古流と天真正伝神道流の流れを汲む新当流を生み出した。卜伝。一説によれば39度の合戦、19度の真剣勝負に臨みながら一度も敗れることがなかったと言われる伝説の人物であり、講談等の登場人物として、無手勝流や鍋蓋試合など、その逸話も広く知られた人物であります。

 そんな大剣豪でありますが、本作で描かれる卜伝は、既に晩年にさしかかった時代、名利を望むことなく、ただ己の剣を極めるために武者修行に出た――しかしどこか俗っぽさも抜けぬ、実に人間臭い姿。
 本作は、そんな卜伝が出会った事件を7つの短編(とエピローグ)から描く物語であります。以下、一話ずつ紹介していきましょう。


『南蛮狐』
 渡し船の上で絡んできた武芸者を島に置き去りにする「無手勝流」を披露した卜伝の後に付きまとう五助。自らを南蛮狐(ハイエナ)と呼ぶ、奇妙な生活を送る彼の前で決闘を行った卜伝は、その後に意外なものを見ることに……

 先に述べたとおり、卜伝の代名詞とも言える無手勝流。戦わずして勝つという、ある意味兵法の理想ですが、本作に登場する五助は、いわば戦わずして生きる男。
 卜伝が獅子だとすれば、南蛮狐を自称する五助の生き方は何となく想像できるかと思いますが、それに違和感を抱きつつも、しかし頭から否定しないのが卜伝ならではの、本作ならではの眼差しというものでしょう。

 結末で描かれる意外な光景も含めて、一筋縄ではいかない剣豪ものとしての本作を象徴するような出だしであります。


『鮟鱇の疣』
 いま京で評判の剣士を父の仇と付け狙う若い娘と出会った卜伝。彼女に剣術を指導するうち、何となくいいムードとなっていく卜伝ですが……

 タイトルの鮟鱇の疣とは、牝と交接した雄の鮟鱇がそのまま牝に吸収され、小さくなって消えてしまう姿を評したもの。何とも残酷かつ切ないものですが、本作において卜伝はこの疣になりたいと願うこととなります。

 剣を取っては無敵と謳われながらも、こと女性との関係においては非モテであった卜伝。浮き名を流さなくともよい、誰か一人との恋に全てを擲ちたい……鮟鱇の疣は、そんな「そうでなかった自分」の象徴なのです。

 もちろん今の道を選んだのは自分であり、かつて己を慕う女性を捨て、そして自分の妻を置いて武者修行を続けてきた卜伝からすれば身勝手とも言える言葉でしょう。
 しかしそこでスパッと割り切れないのが――そしてそこに厭らしさではなく切なさを感じさせるのが、本作の卜伝の人間臭さであります。


 大変申し訳ありませんが、長くなりますので次回に続きます(全三回予定)。


『卜伝飄々』(風野真知雄 文藝春秋) Amazon
卜伝飄々

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2015.09.14

あかほり悟『藍の武士 御用絵師一丸』 武士を捨て、武士に縛られ、武士を殺す

 あのあかほりさとるが、本格時代小説にチャレンジした……と話題を呼んだ『御用絵師一丸』の続編であります。苛烈な天保の改革を背景に、表向きは大奥の御用絵師、裏ではあらゆる毒を操る「毒師」として暗殺者の顔を持つ一丸の活躍を描く全4話の連作短編集であります。

 元は武士の家に生まれながらも、家督を弟に譲り、自分は絵師稼業の一丸。大奥の最高権力者たる広大院に気に入られてお抱え絵師となったのも有り難がろうという風もなく、飄々とその日を暮らす青年であります。
 しかし侍を捨てても彼につきまとうのは家伝の技。かの戦国の梟雄・宇喜多家(!)の血を引く彼は、代々伝わる毒使いの技を受け継ぐ毒師として、広大院の命の下、その技を振るうのであります。

 時あたかも天保の改革が庶民を締め付けていた……いやそれだけでなく、日本を強き国にするため、徳川家の完全な専制下に置かんとする――そのためには手段を選ばず、諸大名家を取り潰さんとする――水野忠邦が権勢を振るう時代。
 忠邦と、その走狗として暗躍する南町奉行・鳥居耀蔵が巡らせる陰謀を叩き潰すため、一丸は今日も筆を走らせるのであります。

 というわけで、今回もよくもまあ、と感心するほど様々な陰謀を展開する敵と対決することになる一丸ですが、それはとりもなおさず、各エピソードが極めてバラエティに富んでいるということでもあります。

 鬱屈の溜まった旗本の次男三男たちを「壮挙」と称して操り、大名潰しを企む陰謀に挑む第一話『真朱』。
 一丸の突然の蕎麦打ち修行が、意外な敵の存在と結びつく第二話『蕎麦色』。
 将軍家へ輿入れすることとなった大名家の姫君を襲うあまりに残酷で邪悪な罠を描く第三話『黒橡』。
 主家を立て直すために苛烈な手段をとる父と、それに激しく反発する子の間で一丸が哀しい選択を迫られる第四話『藍の武士』。

 人情話あり、ギャグあり、エロあり……基本設定を用意した上で、自由自在に物語を展開してみせる作者の腕前は、前作同様、今回も健在であります。


 もっとも、第二話・第三話は、片やあまりに底が抜けたような展開、片や嫌悪感を感じさせるような陰湿なエロと、個人的にはどうにも……というところだったのが、それを補って余りあるのが残る二話。
 特に表題作『藍の武士』は、本作でなければ描けない哀しい武士たちの姿を描いた作品として、強く強く印象に残ります。

 破綻寸前の藩の財政を救うため、広大院を通じ、幕府からの借財を願った筆頭家老。それは藩立て直しの唯一の手段であると同時に、藩にこれまで以上の緊縮財政を強いて、藩士を、そして庶民を苦しめる選択でもありました。
 そして、改革断行のため反対派を粛正し、藩主すら抑えつける筆頭家老のやり方に激しく反発する一派の先頭に立つのは、若年ながら傑物の片鱗を見せる彼の嫡男。孝心よりも忠義を、大義を取った彼は、父に対して強硬手段に出ることを決意するのですが……

 既に説明したように、一丸の裏の顔は暗殺者――命じられて誰かを殺すことを生業とする者であります。
 彼の主たる広大院が、決して悪人ではなく、そして仕掛ける相手が忠邦の走狗として人々を苦しめる者たちということもあって、そのネガティブなイメージとは縁遠い一丸。しかし命じられた者を殺さねばならないことには変わりはありません。

 そしてこのエピソードで一丸が命じられたのは……

 武士を捨てながらも、武士の世界の理に縛られ、武士を殺す。誰が悪いとも言えない状況において、被害を最小限にするために誰かが手を汚さなければならない――その「誰か」である一丸の背負った想いが突き刺さります。

 ちなみにこのエピソードにおいては、前作でもチラリと姿を見せたもう一人の江戸町奉行が本格的に登場、
 水野の目的に共鳴しつつもその手段には反発する――鳥居が水野の目的に興味を持たず、その手段を嬉々として利用するのと対照的に――決して単なる善人ではないが悪人でもないというそのスタンスは、本作の世界観に似合ったものであり、この人物の動向も大いに気になるところであります。


『藍の武士 御用絵師一丸』(あかほり悟 白泉社招き猫文庫) Amazon
藍の武士 御用絵師一丸 (招き猫文庫)

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2015.09.13

川原正敏『修羅の刻 昭和編』第1回 二つの意味で門の延長戦上の物語

 数ヶ月前に続編『第弐門』が大団円を迎えた異種格闘漫画『修羅の門』。その外伝とも言うべき『修羅の刻』の新作が、実に10年ぶりに(!)今月からスタートしました。これまで様々な時代を描いてきた『刻』の新作の舞台は、昭和――『門』の主人公・陸奥九十九の親たちの世代の物語であります。

 千年不敗の伝説を持つ古武術・陸奥圓明流の現代における伝承者・陸奥九十九が、様々な格闘技に挑む姿が描かれた『修羅の門』。
 その外伝たる『修羅の刻』は、古くは平安時代から、戦国時代、江戸時代、幕末、明治、時には開拓時代のアメリカなど、様々な時と場所を舞台に、その時代の陸奥圓明流の伝承者の姿を描いてきました。

 最初に次の『刻』が昭和編と知った際には、九十九の祖父・真玄の話かと思いきや、この第一回を見た限りでは、メインになるのは、九十九の父の世代。
 陸奥と対になるもう一つの圓明流、不破圓明流の流れを汲む現(うつつ)と、かの前田光世の流れを汲むケンシン・マエダ――九十九の母と縁があったという二人であります。

 とある町で繰り広げられるヤクザ同士の抗争。父の縁で片方の助っ人に駆り出された現は、そこに割って入った凄まじい気迫を持った青年――ケンシン・マエダと出会うこととなります。
 敵対組織の擁する超実践派の古武術家を苦もなく叩きつぶしたケンシンは、陸奥圓明流を探しているというのですが……

 というあらすじのこの第一回、時代的にはある意味『門』と地続きながらも、格闘漫画では定番ながら、そちらではほとんど描かれなかった(野試合はありましたが)暴力のプロが絡んだストリートファイトがメインというのが目を惹きます。

 そもそも、人殺しの技……というのが過激であれば、試合ではなく実戦の場での使用を前提とした陸奥圓明流。
 それが現代格闘技に対し、そのルールを踏まえた上で挑むというのが『門』である一方で、制限なしで振るう場を設定したのが『刻』と言ってよいかと思いますが、なるほど、おそらく高度成長期あたりの時代でそれを描けば、こういうシチュエーションになるのでしょう。

 その一方で、それぞれの時代の伝承者が、様々な歴史上の有名人や事件に絡むというのが『刻』のより明確な特徴であり、魅力であったかと思いますが、それは本作においてはさすがに苦しいように思われます。

 だとすれば、本作で描かれるのは、二つの意味で『門』の延長線上の物語――『門』にも登場した登場人物たち(その中には九十九の父もいるわけですが)の若き日の姿と、我々のよく知る日常のすぐ外の暗がりで繰り広げられる彼らの戦いの姿なのでしょう。

 あるいは、『門』の前日譚にして締めくくりのエピローグになるのか……そんな予感もありますが、まずは『第弐門』ラストに感動させられた人間として、そこに続くものを期待したいと思うのであります。


『修羅の刻 昭和編』第1回(川原正敏 『月刊少年マガジン』2015年10月号掲載) Amazon
月刊少年マガジン 2015年 10 月号 [雑誌]


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2015.09.12

武内涼『忍び道 利根川激闘の巻』 忍者候補生、死闘の旅をゆく

 いまや忍者もの時代小説の数少ない書き手である武内涼による、ユニークな青春忍者小説、日本各地から集められた少年少女たちが学ぶ忍者の養成学校を舞台とした物語の続編であります。利根川を下り、江戸に向かうことになった忍者候補生たちの新たな苦闘を描く、今回は一種のロードノベルであります。

 天下太平となった元禄の頃、武士だけでなく公儀隠密たちの質が落ちてきたことを憂う幕府が設立を決定したのは、伊賀・甲賀の達人たちによる忍者の養成学校。
 講師陣の目に適った素質ある少年少女を妙義山中の忍者学校に集め、厳しい訓練を施すことで一流の忍者を育てる……そんなプロジェクトであります。

 本作の主人公・一平は、山中の村で育ち、その身のこなしに目を付けられた少年。村で一生を終えるのではなく、公儀のために働くことを夢見て入学を決めた彼は、生まれや育ちは違えども目的は同じ仲間たちと切磋琢磨し、少しずつ成長していく……それが本作の基本設定であります。

 前作では、一平たちの修行の始まりと、妙義山中に埋められていた、風魔忍者たちが各地で奪った黄金二千両を巡る戦いが描かれましたが、本作の物語の発端となるのがその二千両であります。
 いつまでも山中に置いておくわけにもいかないこの二千両を江戸に運ぶこととした百地半太夫学長ですが、風魔がその機会を見逃すはずもありません。そこで発案されたのが、選ばれた講師たちと生徒たちが商家一行に化けてカムフラージュしての輸送。

 かくてそのメンバーに選ばれた一平ら六人の生徒と、半太夫以下四人の講師は、利根川を舟で江戸に向かうのですが、もちろん、平穏無事に済むはずもなく、各地で執拗な風魔忍者の襲撃を受けることに――


 忍者の養成学校という、ある意味非常にメジャーな(作品がある)題材ではありつつも、デビュー以来数々の作品で、外連味とリアリティを兼ね備えた忍者の世界を描いてきた作者らしく、独特の静かな、そして内に強い熱を秘めた筆で、少年少女の戦いと成長を描く本作。
 前作はほぼ一貫して山中の学校内で描かれたのに対し、本作は江戸までの旅の物語と、一見本シリーズならではのユニークな設定を手放したようにも見えるかもしれません。

 しかし、むしろどうしても舞台のバラエティという点では限界がある学校を踏み出すことで、本作は独自の起伏に富んだ物語展開を手に入れたと感じます。
 そして何よりも、学校から外の世界に踏み出して、いわば実地訓練……というより実戦を経験するのは、一平たち生徒の成長を示すものでありましょう。

 もちろん、忍者の実戦は、敵がどこに潜むか、どのような手段で襲ってくるかもわからぬ全く心の安まらないものであることは言うまでもありません。
 そして繰り広げられる戦いは、決して常人離れした忍法合戦ではないのですが、しかしそれだけに独特のヒリつくような緊張感に満ち満ちたもの。さらに、熟練の忍者である講師陣と、まだまだ未熟な学生たちのいわば二層構造により、戦いの展開をを読めないものとしているのが、また心憎いのであります。

 そのため、物語としてはかなりシンプルな……ほぼ一本道の物語ではありますが、しかしラストまで全く緊張感を失うことなく、読み出したら最後まで読み切るしかない……本作は、そんな作品なのです。


 ただ残念なのは、主人公サイドに比べると、風魔側が「鉄の掟に支配された残酷非道な忍者集団」以上のものに見えないことでしょうか。
 特に敵方に、「将来あり得たかもしれない一平のネガ」とも言うべきキャラがいたにもかかわらず、その扱いがいささか勿体なかったこともあり、気になったところではあります。

 しかしそれも、主人公側との――忍者である以前に、様々な想いと過去を背負った人間である若者との――対比としては成功していると言えるかもしれません。
 まだまだ前途には不安もある一平たち。それでも彼らには刃だけでなく、それを正しく振るうための「心」があるのだと……いささか感傷的かもしれませんが、そう感じさせてくれるのですから。

『忍び道 利根川激闘の巻』(武内涼 光文社文庫) Amazon
忍び道: 利根川 激闘の巻 (光文社時代小説文庫)


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2015.09.11

『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』 通天の野望の果てに

 則天武后が皇位に就くことを目論み、巨大な「通天仏」を建造する中、関係者が突然発火し焼死する事件が相次ぐ。この怪事件に対し、則天武后はかつて自分を批判し、以来投獄されていたディー・レンチェを呼び戻す。幾重にも入り組んだ事件を追う中、ついに彼が掴んだ恐るべき陰謀とは……

 先日ご紹介した『ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪』の前作に当たり、内容の時系列ではその後に当たる、ツイ・ハーク監督によるディー判事シリーズの第1弾であります。

 ディー判事こと狄仁傑については『ライズ……』の紹介の際にも触れましたが、唐の則天武后の時代に実在した官僚・政治家であり、日本でいう大岡越前や遠山の金さん的な人気を持つ人物。
 その活躍は講談等として伝わり、それらを踏まえてロバート・ファン・ヒューリックが発表した推理小説シリーズを原案としているわけですが……こちらでもやはり原案は原案、いかにもこの監督にしてこの作品、と言いたくなるような豪快な内容であります。

 何しろ物語が始まるなり目に飛び込んでくるのは、都の中心に建造中の巨大過ぎる(高さ六六丈と説明されますが、どう考えてもその数倍はある)仏像「通天仏」。
 そしてその建造現場を視察に訪れた政府の高官が次々と体から発火し、瞬く間に黒い炭と化してしまうという、実に怪奇色濃い、見事なオープニングから一気に引き込まれます。

 この自然発火は、古今東西伝わる現象。原因も様々に取り沙汰され、様々なフィクションにも登場する、ある意味比較的メジャーな怪奇現象ですが、しかし時期が時期だけにこれは女帝誕生を妨害せんとする者たちのテロに違いない……というわけで、ディー判事の登場と相成ります。

 本来は判事の肩書きが示す通り、大理寺(唐の司法機関)に所属するディーですが、しかし本作が始まった時点では何と牢に入れられている状況。
 則天武后が帝位に就くことに反対、諫言したことで疎まれ、8年もの間入獄していた彼ですが、その則天武后の命ということで重い腰を上げ、則天武后の側近たる美女・チンアル、そして野心家の司法官・ペイとともに調査に当たるのですが……


 本作の宣伝ではディー判事を評して「中国のシャーロック・ホームズ」という表現を使っていたようですが、なるほどそれは当たっていると感じます――ただし、ロバート・ダウニー・Jr版ですが。
 そう、本作のメインはアクション活劇。もちろん、何故犠牲者たちが殺されなければならなかったのか、そしてそれを企図した真犯人は誰なのかというミステリ要素はあるものの、物語を動かしていくのは、ディーの、チンアルの、ペイの、香港映画ならではの派手な活劇なのであります。
(肝心の人体発火のカラクリは、これはもうミステリとして観たら噴飯ものなわけで……)

 しかしそれでも本作が冒頭から結末まで、不思議に一貫したものを感じるのは、ミステリもアクションも、ディーと周囲の人間たちの複雑な――目的を同じくするものの決して仲間とは言い難い――関係性も、皆この時代、この設定ならではの物語を構成する血肉となっているためでしょう。

 また、画面の美しさも特筆すべきところで、まさに天を仰ぐかのような通天仏内部や、その最上階からの眺め、あるいは都の様々な風物、そして物語中盤に登場する巨大な地下都市「亡者の市」のビジュアルなどため息が出るほど美しい。

 肝心の人体発火のビジュアルも違和感なく、そして何よりもクライマックスの大破壊もなかなかに見事で――正直に申し上げれば、続編よりもビジュアルの面で、そして作品そのものの統一感の上でも、完成度は上と感じた次第。


 ただ、ここで我が儘を言いたくなってしまうのがヒネたマニアの困ったところで、確かに十分以上に面白いものの、個人的には物語を包むムードがどうにも暗いのが気になったところ(天にまで己の威勢を届かせんとした皇帝を諫めたディー判事が最後に立った地が……という苦さはなかなか良いのですが)
 ある意味、ディー判事シリーズを総括するような内容だけに仕方はない点はありますが、物語の生真面目さが、いささか重く残る面はあり――個人的には続編の野放図なハジけぶりが懐かしくなったところではあります。


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2015.09.10

朝日奈錬『妖医玄眞 京都備忘録』 ディテールも楽しい新妖怪時代小説

 招き猫文庫に登場する作家は、新進の時代小説家、他ジャンルで活躍するベテラン、そして新人と三つに大別されますが、本作の作者・朝日奈錬は、本作が初の一般向け時代小説という作家。それだけにフレッシュな内容でありつつも、同時にしっかりとした地力を感じさせる妖怪時代小説です。

 妖怪時代小説といえば、妖怪と人間がバディとなって怪事件を追うというのが、王道の、言い換えれば定番のシチュエーション。本作もそうした作品ですが、しかし主人公となる面々は、なかなかに印象的です。

 その主人公の筆頭が、タイトルロールである玄眞――京の裏長屋で医者を営み、不思議なほどによく効く薬を出しながらも、貧乏人からは金を取ろうとしない(その代わりにあるものを取るのですが)、患者から見れば誠にありがたい人物であります。

 顔は美形ながらも家の中はだらしなく、普段の暮らしもマイペースな玄眞ですが……しかしその正体は人にあらず。
 果たしていつからこの世に存在しているのか、京の妖の世界を治める大天狗すら頭が上がらず、いやそれどころかスサノオとアマテラスが喧嘩の仲裁を依頼してくるという、とんでもない存在なのであります。

 そしてそんな彼の助手として、普段口やかましく世話を焼く少年・マルもまた人ではなく、あるあまりにも有名な神剣(の欠片)の化身。彼ら二人は、気の遠くなるほどの昔からこの世に存在し、この世に害をなす堕ちた妖を討ってきたのであります。

 そんな桁外れの玄眞が主役というのも面白くはありますが、しかし感情移入はしにくい……というところで、我々人間サイドに立つ主人公が、玄眞のもとに出入りする浪士のカク。
 カクというのは本名ではなく、顔が角張っているからカクと玄眞が呼んでいるだけなのですが、肝が太いのかマイペースなのか、玄眞とマルの正体を知ってもなお普通に付き合い、玄眞もまたカクとの付き合いを楽しみにしている……そんな間柄であります。

 ちなみにこのカク、江戸から一旗揚げるために京に上り、今は壬生に滞在しているというのですが……


 キャラクター紹介が長くなってしまいましたが、本作はそんな三人が、続発する子供の神隠しに挑む物語。
 妖が絡まなければ人の世の事件には冷淡な玄眞ですが、長屋の子供や壬生でカクが厄介になっている家の子供までもが姿を消し、カクにせっつかれて……というわけで、玄眞とカク、そしてマルは、京に潜む妖たちから手がかりを得て、事件の真相に一歩一歩迫っていくこととなります。

 正直に申し上げれば、ここで描かれる物語展開自体は(しっかりと一ひねりはあるものの)比較的シンプルであります。その点は少々残念ではありますが、それを補って余りあるのは、妖怪ものとしてのディテールの楽しさでしょう。

 妖怪ものの楽しみの一つは、言うまでもなく登場する妖怪たちのキャラクターですが、本作に登場する玄眞とマル以外の妖たちは、皆なかなかに個性的で魅力的。
 妖だからといってコソコソすることなく(もちろん姿は隠しつつですが)京の街中で人に入り交じってそれぞれの生活を送っている姿は何とも微笑ましい。

 そして何よりも、物語の後半に登場する「もう一つの京」……この世の京と重なり合って存在する妖怪たちの京は、設定自体はさまで珍しいものではありませんが、その妖しくも
賑やかな世界観――こちらの世界では焼失した本丸御殿などが存在し、妖怪たちの根城となっている二条城など――が楽しいのです。

 ちなみに本作においては、妖たちが種族名のほかに個体名を持っているのですが……意外とこうした当たり前のことを描いていない妖怪ものが多いので、この辺りも好感が持てます。


 そんなわけで、物語のみならず、キャラクターの、妖たちの存在感が楽しい本作。
 玄眞が大物過ぎて、少々扱いに困る気がするものの、どう考えてもあの人だよなというカクの正体も含め、まだまだ物語で描いていただきたいものはあり、是非続編を期待したいところです。


『妖医玄眞 京都備忘録』(朝日奈錬 白泉社招き猫文庫) Amazon
妖医玄眞 京都備忘録 (招き猫文庫 あ 3-1)

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2015.09.09

樹なつみ『一の食卓』第2巻 第三の極、その名は原田左之助!?

 明治初頭の東京に現れた密偵・藤田五郎――斎藤一が、なんと身分を隠してパン屋に住み込むことになるというユニークな時代漫画の第2巻であります。この巻では斎藤に続き、新たな新選組隊士の生き残りが登場。その名は原田左之助――上野戦争で死んだと思われていた、あの男であります。

 東京築地の外国人居留地に開業したフェリックス・ベーカリー、通称「フェリパン舎」で働く少女・西塔明の前に現れた黒ずくめで無愛想な男・五郎。
 店の上客たる岩倉具視の仲介で店に雇われることとなった五郎は、実は西郷隆盛と縁あって新政府の密偵となった男――東京で密かに進む不平公家・士族の陰謀を密かに探っていたのであります。

 そんな五郎の秘密を知らず、未だパンに拒否反応を示す人々も多い中、自分の作ったパンを間食してくれた五郎に興味を抱く明ですが……


 というわけで、西洋料理人となるべく一途に努力する明と、孤独な密偵として影を背負った五郎の二人を中心として展開していく本作ですが、この第2巻で第三極とも言うべきキャラクターとして登場するのが、冒頭に述べた原田左之助であります。

 原田左之助については有名人ゆえあまり説明することはありませんが、甲陽鎮撫隊としての甲州勝沼の戦いの後、近藤・土方と袂を分かって靖兵隊を結成……したと思ったら江戸に戻り、そこで彰義隊に参加して上野戦争で死亡したと言われている人物。
 しかし実はそこで死んでおらず、大陸に渡って馬賊になったという、伝え聞く彼の豪快な人柄にふさわしい伝説があります。

 本作も、馬賊はともかく原田生存説に則っているのですが……冒頭でいきなり登場したかと思えば、斎藤の伝手でフェリパン舎に雇われるという急展開。
 ここで斎藤と原田、そして斎藤に付き従う清水卯吉(彼も地味に「生きていた隊士」であります)を含めて、クール系・やんちゃ系・従者系の三人のサムライが揃ったと悶えるフェリックス氏が実に楽しいのですが、それはさておき……

 しかし実は原田には斎藤にも隠したもう一つの顔が、そして明の過去とも因縁が……というわけで、この巻のクライマックスでは、ある意味新選組ファンにとってはドリームマッチが実現することになります。


 第1巻の感想で、斎藤が実に斎藤「らしい」と述べましたが、この巻の原田も実に原田「らしい」人物造形。脳天気で豪快で激情家で……と、我々が脳内で持つ彼のイメージに沿ったキャラクターなのが、実に嬉しくも楽しいのです。
 しかしそれだけではありません。あくまでも本作の原田は、「その後の」原田。彼が「新選組」を離れた後に何があり、そして何を想ったか……それが物語に大きな影響を得ることになります。

 その意味では本作は明治時代を舞台としつつも、きっちりと新選組ものであると言うことができるでしょう。


 もっともこの巻の場合、今回語られる斎藤の過去とそれに絡む人物の物語も含め、その要素が前面に出過ぎた感があり、新たな時代の象徴である明の物語が――そして本作の大きな特徴であるグルメものの要素は、かなり薄れている印象があるのは、残念なところではあります。
 もちろん、この巻のラストでの彼女の行動は、過去と現在を綺麗に結びつけた、本作にふさわしいものであったのですが……

 何はともあれ、まだまだ斎藤の任務は続き、そしてまだまだ明にとって彼は謎の男であり続けます。
 その結末に何が待っているのか――この巻で仄めかされた、斎藤が薩摩側に与している理由も含め、こちらにとっても気になる作品であり続けることは間違いありません。


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2015.09.08

中島京子『かたづの!』 二重のユニークさが描き出す人間賛歌

 戦乱も過去のものとなりつつある17世紀、八戸南部氏当主・直政の妻、袮々を突然不幸の連続が襲う。夫と幼い嫡男の不審死とその背後で陰謀を巡らせる叔父で南部藩主・利直の影……家を守るために家督を継ぎ、奮闘する袮々(清心尼)を支えるのは、かつて彼女に飼われていた羚羊の一本角だった……?

 直木賞作家・中島京子の初歴史時代小説である本作は、大きく言って二つの点で極めてユニークな作品です。

 まず一つはその題材――本作の主人公は江戸時代初期に実在した、そして江戸時代を通じてただ一人の女領主、八戸そして遠野を治めた南部氏の清心尼なのであります。

 封建時代そのものである江戸時代において女性当主がいたというのは、恥ずかしながら正直に申し上げて本作を読むまで存じ上げませんでしたが、確かに彼女は実在の人物。
 その生涯も、本作に記されていることが――後に述べるある要素を除けば――ほぼ史実通りであります。

 すなわち、早くに夫と息子を亡くし、陰謀家の叔父から家を守るため、出家の身で当主となるも、遠野への国替えを命じられ、苦闘しながらも遠野南部氏の礎を築く……過酷な運命に翻弄されつつも、二夫に見えず、ただ家臣と領民が平和に暮らすために力を尽くした人物。

 あまりにもドラマチックな人物でありますが、しかし本作は、彼女を悲劇のヒロインとして描くのでも、いかにもな貞婦賢婦烈婦として描くのでもありません。

 そう、本作で描かれる清心尼は、決して聖女でも超人でもなく、喜怒哀楽のはっきりした、時にはっきりしすぎるほどのごく普通の女性。
 周囲の男たちの理不尽に怒りを爆発させ、武家の運命に翻弄される娘たちのことで深く悲しみ、時に周囲を心配させるほどのヘビースモーカーで……ここにいるのは、そんな血の通った一人の女性なのであり、そしてそれだからこそ、困難に挑んだ彼女の姿は感動的なのであります。


 が、本作はそんな彼女の姿を、途方もなく奇妙な視点から描き出します。それが本作のユニークさの二番目……なんと本作の語り手は、一本角の羚羊の、その遺された一本角――すなわち「かたづの」なのですから。

 まだ袮々が年若く、夫と幸せに暮らしていた時代、彼女と山で出会った一本角の雄の羚羊である語り手は、彼女と意気投合(?)、やがて彼女の近くで暮らすようになります。
 やがて寿命を迎え、いわば形見として切り取られた一本角。しかし彼の意識はその一本角に宿り、それどころか様々な霊異を起こして袮々を助けるのであります。

 本作の物語は、実にこの片角がその目(?)で見て、耳(?)で聞いたもの。
 不思議な片角の、時に分別くさく、時に単純素朴な語り口は、客観的に見ればあまりに過酷、理不尽に過ぎる袮々の人生を、本質を損なわない程度に和らげ、そしてどこまでもフラットな視点で――すなわち、過度に周囲を貶めも、彼女を賛美もせず――物語を綴っていくのであります。

 ちなみにに本作は片角だけでなく、彼と同様に命尽きた後も屏風の中で生き続けるぺりかんや、袮々に恋して彼女を密かに支え続ける河童(彼らが袮々について遠野への移住を決意するくだりは抱腹絶倒!)など、不可思議な存在も様々登場。
 片角同様、物語の空気を和らげ、そして独自の客観性を与えることに成功しているのであります。


 そして本作は単にユニークなだけでは終わりません。本作は、袮々と周囲の人々に、彼女の経験する物事に、折に触れて我々の暮らす現代の諸相を重ねて描き出します。

 災害により家族を奪われた者、理不尽に故郷の地を追われた者と彼らが味わう軋轢、つまらぬすれ違いから生じた人々の衝突、その中で無名の者となって暴走する若者たち……
 どこかで見たそれを、本作は作中に巧みに配置し、いつの時代も存在する人の生の中の悲しみや理不尽を浮かび上がらせるのです。

 しかしもちろん、いつの時代も存在するのは、それだけではありません。人の生の中の喜びや楽しみ――この世に悲しみや苦しみがあるからこそさらに輝きを増すそれを、袮々という等身大の女性の人生を通じ、本作は負けずに力強く謳い上げます。


 破格の歴史時代小説であり――そして同時に極めて美しい人間賛歌がここにあります。


『かたづの!』(中島京子 集英社) Amazon
かたづの!

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2015.09.07

雨依新空『ヴィラネス 真伝・寛永御前試合』第2巻 勃発、外道対外道!

 あの夢枕獏が武芸者たちの夢のオールスター戦である寛永御前試合を描く……だけでなく、それを原作として、武芸者たちを女体化してしまった――そして何よりもそれが面白いという怪作いや快作の第2巻であります。武芸者の一番手たる宮本弁之助(武蔵)が出会った「化物」とは……

 可愛らしくもどこかボーイッシュな外見ながら、いざ立ち会いに臨めば、相手を容赦なく棍棒で息絶えるまで叩きのめす弁之助。
 そんな彼女が出会ったのは、艶やかに美しく、そして自分を遙かに上回る剣の腕を持ち、殺人狂の気すらある秋山虎之介――

 そんな虎之介を師と仰ぐこととなった弁之助が、師との旅の末にたどり着いたのは、謎の老婆が棲むという山。その山深くの小屋で待ち受けていたのは、恐るべき化物でありました。


 というわけで、ついに弁之助の前に現れた、己を、虎之介をも恐れさせる化物。その名は塚原卜伝――そう、あの一の太刀の卜伝であります。
 鹿島新当流の流祖であり、合戦や真剣勝負において一度も傷を負うことがなかったという卜伝。北畠具教や足利義輝、諸岡一羽といった名だたる剣豪たちのそのまた師であり、そして今なお実態のわからぬ伝説の秘剣・一の太刀の遣い手……

 その卜伝を描く作品は無数にありますが、しかし本作はその中でも最も奇妙なものの一つではないでしょうか。何しろ本作の卜伝もまた、女性として登場するのですから。
 姿を現す前から、恐るべき剣気とも鬼気とも呼べるもので虎之介と弁之助を縛る卜伝。そこに現れた卜伝は、武蔵よりもなお若い、むしろ幼いとすら言えるような姿であるのがまた不気味でいいのであります。

(ちなみに、弁之助が鬼気に対して、「ぬぅ・・!!」と抗しつつ小屋の戸を押し開ける姿は、女体化していてもやはり夢枕キャラだと少々微笑ましい)

 そして外道と外道が出会えばすることは一つ。虎之介が、弁之助が、卜伝がそこでどのような行動を取り、その結末がどうなるか――それはここでは詳しく述べませんが、やはり今回も、外道たちを女性として描くことが効果的に機能した印象があります。

 自分が勝つために、相手を殺すために、常人から見れば常軌を逸した言動を見せる外道。ストレートに描くにはあまりにおぞましいその姿を、華やかな女性たちに託して描くことにより、本作はこちらの嫌悪感を抑えるとともに、その一方でより異常性を感じさせることに成功しているのであります。
 その際たるものが卜伝の存在でありましょう。弁之助が垣間見た彼女の真の姿、そして思わず縮み上がるような虎之介戦の結末は、卜伝を女性として描いたからこその異常性をはらみ、強烈なインパクトを残すのであります。
(それでいて弁之助がラストに見せた「太刀」は、実に漫画的で楽しいのですが)


 本作の趣向を知った時、私は剣豪は全て女性として描かれるのだと思い込んでいました。
 それは、第1巻を読んだ時点でそうではない――弁之助に殺された有馬喜兵衛をはじめ、男性剣士も数多く登場する――ことがわかりましたが、この巻に至り、ようやく本作における「外道」は「女性」の姿をとるのだと理解することができました。

 その点には評価が分かれるかとは思いますが、しかし女体化作品が珍しくなくなっている今、残酷剣豪ものとも言うべき本作において、女体化にこのような意味を与えていることは、実に興味深いものがあります。

 次なる外道が、次なる女性は何者か――気にならないわけがありません。


『ヴィラネス 真伝・寛永御前試合』第2巻(雨依新空&夢枕獏 講談社ヤンマガKCスペシャル) Amazon
ヴィラネス -真伝・寛永御前試合-(2) (ヤンマガKCスペシャル)


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2015.09.06

渡辺仙州『文学少年と運命の書』 物語の力を描く物語

 恥ずかしいことに、これまで読んでいてしかるべき作家と作品を読み逃していることが、未だにあります。児童版の『三国志』や『封神演義』等、中国ものを中心に活動してきた作者が、中国の明代を舞台に描いた本作もその一つ。物語とそれが持つ力を巡る、心躍る冒険ファンタジーであります。

 本作の主人公は、本と物語をこよなく愛する少年・呉承恩。その頭の回転の速さと記憶力により、父からは科挙を受けて役人になることを望まれながらも、本人は文を売って生きていきたいと考えている――すなわち、本作のタイトルの「文学少年」であります。

 そんな彼が父との旅の途中で出会ったのは、一人のみすぼらしい幼い少女・玉策。腹を空かしている彼女に食べ物を恵もうとした承恩ですが……しかし彼女の食べ物はなんと書物!
 しかも食べた書の内容は決して忘れず、そして書いた者の過去と未来を知ることができるという力を、彼女は持っていたのです。

 彼女に父の商売の帳簿を食べられてしまった承恩は、やむを得ず彼女とともに暮らし始めるのですが、本が一般的ではない時代に彼女の食べ物を手に入れるのは一苦労。
 ここで玉策はその力を生かして占いを始めるのですが、その存在が皇帝に知られたことで都に来るよう強いられることに。さらに彼女を狙い、何やら怪しげな賊までもが……

 実は彼女の正体は、泰山山頂の金篋(金のはこ)の中に納められた、全ての者の生死を記しているという禄命簿――すなわち「運命の書」。ある目的から禄命簿を求める賊によって金篋が壊されたことで、現世に少女の姿で彷徨い出たのであります。

 かくて玉策の正体を知った承恩は、彼女を守るために奮闘するのですが、彼らに迫るのは武術自慢の山賊に、都にその人ありと知られた将軍、その子飼いの美貌の暗殺者。
 果たして承恩と玉策の運命は……


 我々が中国ファンタジーに求めるものはそれは様々かと思いますが、その一つは、中国の悠久の歴史に根付いた、恐ろしくもどこか可笑しく、魅力的な怪異の存在ではないでしょうか。その意味では本作の玉策は、恐ろしさはともかく、実に個性的かつ魅力的な存在でありましょう。

 その外見どおりに無邪気でわがまま、天真爛漫に承恩を振り回しながらも、しかし心の中にはこの世に生きる者への深い優しさを秘めた玉策――
 最初はそんな彼女に反発しつつも、やがて彼女と心を通わし、そして彼女を通じて(彼女にとって面白い=美味しいなのであります)物語を記すことに喜びを感じる承恩とは、まさに好一対、実に微笑ましい二人のやりとりは、本作の見所の一つでありましょう。

 しかし、本作の魅力は、そうした物語(ストーリー)自体のそれに留まりません。
 本作は、物語の物語、物語のための物語なのですから……

 実際のところ、本作で結構な割合を占めるのは、承恩と他の登場人物との会話の中での物語に関する蘊蓄であり、物語論であります。
 この辺りは正直に申し上げて、児童書のそれとは思えない題材と情報量であり、苦手な方もいるのではないかと思いますが、私のような――承恩の書痴ぶりに限りない共感を抱いてしまうような――人間にはまさに「大好物」なのですが……

 それはさておき、本作における物語論――すなわち物語はいかに成立し伝えられていくか、そしてまた物語の持つ力とは何か――は、単なる蘊蓄で終わることなく、本作の終盤の展開に大きな意味を持つことになります。
 物語は現実の中で生まれ、育ち、そして現実に様々な影響を与えていくことになります。その影響が物語の力だとすれば、それは決してポジティブなものばかりとは限りません。

 本作の終盤で、ある人物が玉策を使って企む行為は、その物語の持つ力の危険性、負の側面の現れでありましょう。
 いや、本作で玉策を巡って起きる争いは、その意図はともかくとして、その物語の負の側面に囚われたものであると言えるかもしれません。

 それでも――物語には必ず正の力が、人を幸せにする力がある。承恩と玉策が力強く謳い上げるのはそんな単純な、しかし心温まる真実。
 そして結末でさらりと語られる承恩のその後は、(今では否定的な意見が強いようですが、それすらも本作はさらりと流している)彼の書いた物語が今なお生きて語り継がれていることを思えば、強く心を打つのです。


 魅力的な中国ファンタジーであると同時に、優れた物語の物語である――本作はそんな愛すべき物語であります。


『文学少年と運命の書』(渡辺仙州 ポプラ社TEENS' ENTERTAINMENT) Amazon
文学少年と運命の書 (TEENS' ENTERTAINMENT)

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2015.09.05

知野みさき『しろとましろ 神田職人町縁はじめ』 一つの理想像としての職人が残すもの

 和風異世界ファンタジー『妖国の剣士』シリーズで活躍する知野みさきですが、本作は少々不思議な要素はあるものの、正真正銘の(?)時代小説、それも江戸市井の職人もの。恋よりも仕事を選んだ縫箔師のヒロインが、不思議な縁に導かれ、様々な出会いを経験する人情ものの佳品です。

 主人公・咲は、早くに両親を失い、師匠の下で必死に修行を積んで独り立ちして数年の縫箔師(刺繍職人)。
 師匠の息子とは互いに憎からず思う間柄だったものの、彼女が職人の道を行くことを望んだのに対し、相手が妻として家に入ることを求めたことからついに結ばれることなく、今は二十代半ばの独り身であります。

 しかし彼女にとっては、今は仕事が面白くて仕方ない時期。やはり独り身で小間物屋を営む美弥に気に入られ、贔屓の客も増えてきたのですが……そんなある日出会ったのは、女たらしの優男ながら、細工の腕は超一流のかんざし職人・修次。
 二人は、行く先々で出会うやんちゃで不思議な双子の子供「しろ」と「ましろ」に振り回されるうちに、様々な人々と出会い、職人として腕を振るうことになるのです。


 正直に申し上げれば、本作はある意味鉄板の設定の作品。まだ駆け出しですが腕のいい職人が、市井の人々と出会い、様々な事件と出くわす中で、職人として、人間として成長していく……そんな、いわゆる職人ものの定番を、本作は踏襲しているのです。
 さらに主人公は、恋よりも仕事を選びつつも、その状況に時に寂しさを感じなくもない二十代半ばの女性と、本作が収められた招き猫文庫が想定する読者層にジャストミート(すると思われる)設定であります。

 しかしもちろん、鉄板の設定が作品のクオリティをそのまま保証するわけではありません。ありませんが、本作は間違いなく、よく出来た時代小説であります。

 それはもちろん、本作の時代ものとしてしっかりと地に足の着いた描写と物語展開によるところが大でありましょう。
 冒頭に述べたとおり、本作は作者にとって初の時代小説、和風ファンタジーと時代小説は似て全く非なるものではありますが、全くここに違和感がないのは、作者の地力の確かさと言うべきでしょうか。

 何よりも感心させられるのは、先ほど鉄板と申し上げた職人もの+働くヒロインものとも言うべき設定を、きっちりと違和感なく、むしろ時代ものとして自然な形で昇華している点でしょう。

 そもそも職人ものがサブジャンルとして成立するほど好まれる理由の一つは、「職人」が、己の腕一本で生きる、自立した存在として描かれる点ではないでしょうか。
 もちろん全てがそうというわけではありませんが、おそらくは圧倒的に読者に勤め人が多い中、あくまでも己の腕で世の中を渡っていく職人の姿は、一つのあこがれでもありましょう。

 そしてそれが女性であればなおさら……というのは失礼な表現かもしれませんが、一つの理想としての職人像に、本作のヒロイン(と彼女に投影される方々)が、非常にしっくりきているのは間違いありません。

 そしてもう一つ職人ものが愛される理由は、職人が何かを――それも過去から現在に残り、現在から未来に受け継がれていくものを――作り出す存在であることでありましょう。
 自分の仕事が単に世間に消費されていくだけでなく、誰かの想いを込めて、時代を超えて受け継がれていく……それは、全ての働く者にとって、一つの理想ではありますまいか。

 そして本作において、咲や修次の作り出す品物は失われていくもの、失われて戻らないものを埋めるものとして描かれることとなります。
 儘ならぬ生を送る中、時間とともに失われていくものたち……それを再び手にすることができたならば。決して叶わぬはずのその願いを叶える、小さな奇跡を咲と修次が生み出す様は、なかなかに感動的であります。

 もっとも、いささかその奇跡に至るまでの過程が、出来すぎの感もあるのですが……しかしそれを導くのが、どうも人間ではないらしい、「しろ」と「ましろ」なのですから、それもまたありと言うべきでしょう。


 まさに職人技を感じさせる鉄板の内容ながら、確かにこちらの想いに残るものを描く作品であります、


『しろとましろ 神田職人町縁はじめ』(知野みさき 白泉社招き猫文庫) Amazon
しろとましろ 神田職人町縁はじめ (招き猫文庫)

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2015.09.04

小松エメル『うわん 九九九番目の妖』 第一話「光の音」

 最近は、小説などのweb連載も珍しくなくなった印象があります。結局は単行本でも読むのですが、手軽に最新の展開を読むことが出来るweb連載も楽しいもの……というわけで今日は、先月から光文社文庫のwebサイトで連載の始まった小松エメルの『うわん』シリーズ最新作を紹介しましょう。

 父を助けて医師としての研鑽を踏む少女・真葛が、奇怪な妖たちの封印を解いたためにおぞましい妖怪「うわん」に取り憑かれた弟・太一を救うため、九百九十九匹の妖を捕らえるために奔走するこのシリーズも、今回web連載される作品で第3作目。
 人の心の陰の部分に巣くう妖怪たちを捕らえるだけでも手に余るところに、容貌おぞましく性格も冷酷冷笑冷然としたうわんに振り回される真葛の姿に心を痛めること必至の本シリーズですが、しかしそれでも彼女の努力が報われる日も間近であることが、この連載冒頭で語られます。

 ここに至るまでに彼女の捕らえた妖怪は、九百七十三匹――そう、言い換えれば残りはわずか二十六匹。太一の八つの誕生日までというタイムリミットはあるものの、達成するのは決して無理のない数字であります。

 と、そんな中、真葛の留守中に実家の診療所にやって来たのは、前作で真葛たちとともに怪事解決に奔走した女医・お梅……医術を志す真葛の先輩とも言える人物ですが、しかしそれとは全く別の意味で、お梅は真葛の先輩であったのであります……

 真葛の不在中に彼女のもとを訪れてきたというお梅。果たしてどのような用件だったのか……お梅の診療所を訪れた真葛と太一は、そこで意外なものを目にする――と言うべきかは疑問ですが――ことになります。


 前作で真葛とともに事件を解決した際、外法に手を出した自分は半分はこの世の者ではないと意味深なことを語っていたお梅。前作ではそのままフェードアウトした彼女ですが、いずれ再び姿を現すものと思っていましたが、この第一話において再登場することとなりました。

 彼女の身に起きたこと、そしてそれをもたらした彼女の過去について、ここでは未読の方の興を削がぬよう、詳しくは述べません。
 しかしこれだけは述べてよいでしょう。真葛が太一を救うために命と魂を賭けてうわんと渡り合い、妖怪を狩っているのと同様、お梅もまた、自分にとってかけがえのない存在を救うために、我と我が身を擲ったのだと……

 そう、まさにお梅は真葛の先輩であり――いや、もう一人の、ネガの真葛とも言うべき存在なのです。


 このシリーズの物語の背後で描かれるものの一つは、利己と利他のせめぎ合いでありましょう。我が身を捨てて他者を助ける――一見尊い利他的行為に見えるそれも、もしかすれば単なる自己満足かもしれない。代わりにまた別の者を傷つける、極めて利己的な行為かもしれない。
 その意味では決して真葛は完全なヒロインではなく、そして利己と利他の境で揺れる彼女を、うわんは幾度となくあざ笑ってきたのであります。

 そしてこの第一話で、物語は大きく転回、いや転回を見せることになります。そんな真葛の戦う理由を覆しかねないほど大きく……


 先に述べたように、全ての妖怪を捕らえるまであとわずかまできた真葛。そんな彼女をこの先待ち受けるものはなんなのか。
 『九九九番目の妖』という何とも意味深なタイトルが大いに気になるところであり……二週間に一度、全六回の更新が待ち遠しくなる物語であります。

 ちなみに、先の読めない、ミステリアスな物語展開を見せることの多い作者の作品ですが、その中でも『うわん』シリーズは特にサスペンスフルでショッキングな展開の多い作品。
 単行本で一気に読むのもよいですが、こうして連載形式で気を持たせられながら読むのに適しているように感じられるのは、一つの発見でありました。

『うわん 九九九番目の妖』(小松エメル Web光文社文庫掲載)


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2015.09.03

かたやま和華『化け猫、まかり通る 猫の手屋繁盛記』 武士と庶民、人と猫の間に生きる

 旗本の若様ながら故あって等身大の白猫となってしまった近山宗太郎が、人間に戻るために善行を積むべくよろず請け負い稼業「猫の手屋」として奔走する『猫の手、貸します』の第2弾であります。市井の暮らしも板についてきた宗太郎が、今回も様々な事件・出来事に巻き込まれることになります。

 飲めぬ酒に酔った帰り道、尻餅をついたのが猫股の長老の上だったために罰(?)を当てられ、リアル猫侍となってしまった宗太郎。
 父親(実は史実の超有名人)に迷惑をかけまいと家を出て、裏長屋に一人住まいすることとなった宗太郎は、生活のため、そして百の善行を積んで人間に戻るため、猫の手屋として様々な事件・出来事に関わることに……

 という基本設定の本シリーズですが、本作は全部で3つの事件から構成された連作短編スタイルとなっております。

 江戸の町で続発する、猫の供養代詐欺や猫の遺骸泥棒。友人の歌川国芳が事件に巻き込まれたこともあり、猫の上前をはねるやつらは許せんとばかりに宗太郎が一芝居を打つ『猫のうわまい』
 宗太郎と同じ長屋に犬と一緒に住んでいた仇持ちの老武士に請われ、仇討ちの立会人となった宗太郎が複雑な人間模様を垣間見ることとなる『老骨と犬』
 カラスに襲われていた子猫を助けた宗太郎が、「田楽」と名付けた子猫をなりゆきから育てる内に情が移って……という『晩夏』

 悪人退治あり、人情・猫情ものありと、なかなかにバラエティに富んだ内容であります。

 ここで前作の紹介を読み返してみると、実は私はあまりノっていなかったのですが、しかし本作はテンポの良さといい、キャラクター描写といい、そしてもちろん物語展開といい、実に楽しく、最初から最後までむさぼるように一気読み。
 何よりも主人公がリアル猫侍であることからくるギャップからのギャグがポンポンと飛び出してくるのが楽しく、「猫太郎」と呼びかけられてからの「いや拙者は猫太郎ではなく近山宗太郎でござる」というお約束の天丼もまた楽しい。

 そもそも、冒頭からして、人間に戻るために積むよう命じられた百の善行が実は……という、シリーズの設定を根底から崩しかねないとんでもないギャグに爆笑させられた次第です。


 それにしても、実は由緒ある青年武士が、身分を隠して裏長屋暮らしを送り、その中で様々な人情に触れ、成長していく……という本作のスタイルは、これは時代小説の王道とも言えるものでありましょう。
 もちろん、主人公が大きな猫になっていなければ。

 本作は、その定番シチュエーションから主人公を猫にすることにより、少し(いや大きく?)踏み出し、定番の味わいを踏まえつつ、ギャップから生じる破格の楽しさを兼ね備えたと感じます。
 実は個人的には前作はそこまでノれなかったのですが、ギャップの振れ幅が大きくなることで、この辺りの構図が自分なりに納得できた……ということなのかもしれません。

 そしてそのギャップは、人間世界の中のギャップ――武士(旗本)と市井の庶民のそれ――と、人間と猫のそれぞれの世界のギャップと、二重のものであります。
 本作に収録された3つの物語は、いわばその二重のギャップを背負った宗太郎の物語であり――それはまさに、本作でなければ描けない物語、本作ならではの魅力でありましょう。


 前作でちょっと引っかかった、宗太郎が周囲からあっさり受け入れられた理由が、人間になりかけの化け猫を暖かく見守ろうという江戸っ子の「人情」からだった、というすっとぼけぶりも楽しい本作。
 この先の展開が――続編の登場が、一気に楽しみになった次第です。


『化け猫、まかり通る 猫の手屋繁盛記』(かたやま和華 集英社文庫) Amazon
化け猫、まかり通る 猫の手屋繁盛記 (集英社文庫)


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2015.09.02

『戦国武将列伝』2015年10月号(その二) 第六天魔王からラプトルまで!?

 リイド社『戦国武将列伝』10月号の紹介の続きであります。第六天魔王からラプトルまで、今回も戦国ものの枠を超えた戦国もののオンパレードであります。

『孔雀王 戦国転生』(荻野真)
 突如現れた明智光秀に操られるように、孔雀と決別した信長。ここに来て孔雀と信長、本作の主人公というべき二人が別々のルートに行くことになりましたが……

 しかしそれが作用したか、今回描かれるのは、孔雀が戦国時代に転生した時のエピソードであります。
 既に物語がここまで進んでしまうと、そういえばまだ描かれていなかったかという気もいたしますが、もちろん気になるのは言うまでもありません(ここでいう「転生」が文字通りの転生なのか、言葉の綾なのかは相変わらず不明なのですが……)

 その一方で気になるのは、この戦いの背後に存在するという第六天魔王の奇怪な姿で……史実での信長と第六天魔王の「関係」は言うまでもありませんが、さて本作においてそれがどう料理されるか。
 もう一人の孔雀王とも言うべき信長の動向に全てがかかっているのは間違いありますまい。


『戦国自衛隊』(森秀樹&半村良)
 自分たちがタイムスリップしたことに意味があると信じ、そして歴史の反作用を期待して本能寺で信長を助けた戦国自衛隊。
 しかしそれが完全に裏目に出た形となり、狂気の曼荼羅親父と化した信長に追いつめられるばかりの戦国自衛隊ですが……

 と重苦しい展開が続く中で、なんと今回の物語の中心となるのは恐竜ラプトル。現在公開中の『ジュラシック・ワールド』でも大活躍の恐竜ですが、しかし実は今回急に登場したわけでなく、以前から幾度か登場し、そのたびにこちらの目を疑わせてきた存在であります。

 その理由の如何はともかく、文字通り弱肉強食の世界からやってきたラプトルにとって、戦国時代はある意味自分のいた時代と大差のない戦いの世界。しかし、そんな中で強大な力を持ちつつも、それを自らのために用いない戦国自衛隊の存在が、彼(?)の中にある変化を生じさせるというのが実に面白い。

 その一方で、およそ意味などありそうにないタイムスリップをしてきたラプトルの存在から、自分たちのタイムスリップにも意味はないのだと戦国自衛隊が愕然とするという皮肉な展開もいい。
 内容的にも絵的にもインパクトありすぎる展開も面白く……一気に動きが出てきたという印象であります。


『鬼切丸伝』(楠桂)
 鬼を巡り時代と場所を次々と変えて描かれる本作、今回は長宗我部元親の時代の土佐が舞台となります。
 これまで鬼が現れなかったという土佐。しかしその土佐を収める元親は、疑心暗鬼に駆られるまま、次々と周囲を粛正する元親。その刃は、犬神を操るという犬神使いたちの一族にまで向けられるのですが、ただ一人生き残った少女・なつが元親の前に現れ……

 となればこの先の展開も予想できるような気がいたしますが、さにあらず。元親により粛正された七人の武士の怨念が……という、有名なあの伝説に絡めてくるのも面白いのですが、なつの「これからこの土地にも鬼が出るがよ」という台詞の見事なひねりっぷりは、まさに本作なればこその仕掛けでありましょう。

 その一方で、元親や彼の暴走の一端となった側近・久武親直の描写に食い足りないものも感じるのですが……


 その他、あさりよしとおの『戦国機甲伝クニトリ』は、桶狭間の戦を描いた第三回にして、戦国時代をモチーフに「リアル」なロボットの運用に基づく戦闘を見せるという本作ならではの独自性がようやく見えてきた印象。
 もう一つ本作の特徴といえば、登場人物が全て女性ということですが、こちらは今のところ必然性がわからず……さて。


『戦国武将列伝』2015年10月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 戦国武将列伝 2015年 10月号 [雑誌]


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2015.09.01

『戦国武将列伝』2015年10月号(その一) 第四のタイムスリップ時代劇!?

 隔月刊誌は当たり前ながら月号数が発売月の二ヶ月先になるわけですが、それでも10月号という文字を見るとドキッといたします。今年4号目の『戦国武将列伝』、新連載は倉島圭の異色作『下剋嬢』と、相変わらずユニークな作品揃い。今回も印象に残った作品を挙げていきましょう。

『下剋嬢』(倉島圭)
 というわけでタイトルから奇妙な新連載は、現代のOLが戦国時代にタイムスリップして……という趣向ですが、実に本誌だけで4作目のタイムスリップもの。もちろん本誌だけでなく、よそでもタイムスリップ戦国時代ものは花盛りなわけですが、本作は冒頭からその辺りを徹底的にネタにしてしまう毒吐きっぷりが実に楽しい。
 そう、本作はタイムスリップものといってもギャグ漫画。徹底的にメタでブラックな笑いがポンポンとテンポよく繰り出されます。

 しかしタイムスリップものといえば、未来(現代)の知識で難題を解決ですとか、歴史を変える(変えない)ために奔走というのが基本パターンですが、本作の主人公・ゆいは、それとは無関係に争いの火種を煽りまくるというとんでもないキャラで、彼女に出くわした若き日の武田信玄が可哀想になるほどであります。

 この先も信玄につきまとうのか、それとも他家に行くのかはわかりませんが、いやはやある意味斬新なタイムスリップものだけに、この先も徹底的に我が道を行っていただきたいものです。


『バイラリン 真田幸村伝』(かわのいちろう)
 前回、いわゆる「第二次上田合戦」において、秘策・奇策でもって徳川の本隊を散々に悩ませてみせた幸村。戦いを避けることなど頭になく、とにかく少しでも戦いの中で舞い踊りたいと、まことに始末に悪い彼のバトルマニアぶりは留まるところを知らず……

 と言いたいところですが、しかし初登場の徳川家康は彼のさらに上を行く「暗黒星」とも称される怪人。
 戦いの常識からすれば本隊が遅れた状態で勝利はおろか開戦もおぼつかぬはずが、しかし関ヶ原の戦の結末はご存じの通り……と、テンション上がりまくりであった昌幸・幸村親子の凹みぶりは、まことに申し訳ないことながら、愉快ですらありました。

 上には上がいることを思い知らされ、戦うこともできず九度山に押し込められることとなった幸村――しかしこれからが幸村の舞の本番でありましょう。
 少しの間もおとなしくしていられなさそうな幸村が、この先何を見せてくれるのか……破格の幸村伝に期待いたします。


『セキガハラ』(長谷川哲也)
 さて、こちらはまだ決戦への道はもう少しかかりそうな案配の長谷川版関ヶ原、黒田如水の思惑のまま家康をはじめとする諸将(のクローン含む)が動かされる中、いよいよ三成と仲間たちが動き始める……

 というわけで、その口火を切るのは直江兼続。家康(の背後の如水)が大坂で建造する謎の黒ノ巣タワーに対し、兼続の難癖いや挑発が炸裂いたします。
 これに怒った家康は上杉攻めの大号令……ということは、これが本作における直江状なのか、と同じ号の岡村賢二『直江兼続 信義の執政』がまさに直江状の件だっただけにそのギャップに驚いてしまったのですが、一つの事件を様々に異なる視点から楽しめるのも歴史漫画誌の楽しさでしょう(……というレベルの異なりようではないのはさておき)。

 しかし気になるのは、前回突然登場したお玉――言うまでもなく細川ガラシャ。三成の忍・峠天士郎を散々翻弄した彼女ですが、その言葉の中に気になる言葉が……
 もしや本作は○○○ものだったかと、決戦間際まで来て、さらにとんでもない要素が投入されてきた感があります。


 長くなりますので次回に続きます。


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