北崎拓『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第1巻 もう一人の「義経」、もう一人のますらお登場
『ますらお 秘本義経記』の19年ぶりの続編の単行本第1巻であります。本作で描かれるのは、そのサブタイトルにあるとおり、「屋島の合戦」。屋島の合戦といえば、有名なのは那須与一が扇の的を射落としたエピソードですが、本作に登場する与一の人物像とは……
悲劇の英雄・源義経を、美しくも、巨大な歪みを内に抱えた若者として描く『ますらお』。19年前の本編では、彼の幼少期から、同族の木曾義仲との宇治川の合戦、さらに強敵・平知盛らとの一ノ谷の合戦までが描かれました。
昨年刊行された『大姫哀想歌』は、義仲の子・義高と頼朝の子・大姫の悲恋を描く、番外編にして旧作と新作の間を繋ぐ性質の作品でしたが、本作は旧作の終了直後から開始される物語であります。
一ノ谷の合戦で平氏を破り、そして静と再会した義経。気心の知れた仲間たちと最愛の人と――一時の安らぎを得たかに見えた義経ですが、彼の周りでは奥州の、平氏の、そして源氏内部の複雑な思惑が絡み合い、再び彼を戦いに誘うこととなります。
かつての自分自身を思わせる義高が斬られたことを知り、虚無の淵に沈んだまま、憑かれたように平氏残党の蜂起(三日平氏の乱)の掃討に当たる義経。
しかし、その義経の大将首を狙い、単身迫る武士の影が。その名は那須与一――そう、あの与一であります。
実はこの巻の多くを費やして描かれるのは、この与一の物語。下野国の豪族・那須家の出身ということ以外不明なことが多い――というより実在すら証明されていない――与一を、本作は全く新しい姿で描き出します。
人・動物を問わず、相手の心の在処と中身を知ることが出来る異形の右目を持ち、優れた弓矢の腕を持つ少年・捨丸。
彼が出会ったのは、自らを「与一」と、男として生まれれば名乗っていた名で呼ぶ少女・日々子姫でありました。
彼女に気に入られて、那須家に仕え、熊王丸の名を与えられた少年。成長する中で那須家最強の弓の使い手となった彼は、姫と淡い想いを抱き合うのですが……しかし(半ば予想通りと申しましょうか)二人は悲劇的な形で引き裂かれることとなります。
那須家の養子になった熊王丸に対し、自らの「与一」の名を与えて去る姫。そして那須家の縁で平氏方に参陣し、武士として「与一」の名を挙げんとする与一――その彼が狙ったのが、義経だったのであります。
以前私は、旧作の紹介をした際に、本作は歴史の流れにより運命を狂わされた者たち――「義経」たちを描いた物語であり、そして彼らこそが「ますらお」なのだと述べました。
その伝でいけば、本作における那須与一は、まさしくもう一人の「義経」であり、「ますらお」であると申せましょう。
その「義経」と「義経」との対決の行方は、そして与一がいかなる想いを胸に、この先の合戦に参加するのか……本作ならではの人物像、物語展開には唸らされるばかりなのであります。
(ちなみに那須与一が射た扇は、平家の女房が持ったものでしたが、この巻の裏表紙を見れば、それは……)
なお、義経ものではほとんどの場合、奸佞な悪役として描かれる梶原景時ですが、この巻においては、「むしろ常軌を逸した天才である義経の本質とその危険性を本質的に見抜く人物として描かれているのが面白い。
あるいは「ますらお」に対する常人サイドの人物として描かれるのか……こちらも気になるところです。
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コメント
こちらにも失礼致します。
少年サンデー版執筆開始から起算して20周年の記念刊行となった「大姫哀想歌」、そのエピローグを引き継いで始まる今作「波弦、屋島」。
両作品のカラーページで描かれる、九郎の騎馬武者姿に着目しましょう。細かいディテールに18年ぶんの進化を感じ取ることができますね。
まずは赤糸縅鎧の背。旧作ではみられなかった逆板が新たに加わり、総角(あげまき)のつけ方も変わっています。
次は一段と伸びた内兜の乱髪、鎧の押付板(おしつけのいた=背面最上部)をびっしりと覆うはずの後ろ髪。ついにと申しますかやっとでしょうか、「波弦、屋島」では錏(しころ)からその毛先が長々と覗くようになりました。
アワーズ誌の連載も「天そぞろ」執筆にともなう約1年半の中断を挟み、昨年12月号でようやく再開となりました。この夏には単行本第2巻も出ることでしょう、これからも目が離せません。
投稿: ネズミ色の猫 | 2017.04.13 23:23