仁木英之『恋せよ魂魄 僕僕先生』 人を生かす者と殺す者の生の交わるところに
連れ去られた父母を救うため、吐蕃から長安へ向かった劉欣。後を追う僕僕と王弁は、途中の街で心臓に不治の病を抱えた少女・タシと出会う。彼女を何とか治そうとする王弁だが、タシの病状はは彼が近くにいると良くなり、離れると悪化するのだった。一方、単身、胡蝶の長・貂に挑もうとする劉欣だが……
数えてみればもう第9弾となった僕僕先生シリーズ。長安から遠く吐蕃まで続いた僕僕と王弁の旅は、ここに来て急展開。起承転結で言えば、結の前の大転回という印象です。
前作で吐蕃王家の御家騒動に巻き込まれ、その過程で思わぬことから僕僕と(精神的に)交わることとなった王弁。何とか事件は解決したものの、劉欣の最愛の両親が彼の元同僚である田欧に連れ去られ、劉欣は二人から離れて単身長安に向かうこととなります。
劉欣の代わりに(?)吐蕃のオネエ暗殺者・デラクを加え、急ぎ長安に引き返す僕僕と王弁たちですが、しかし途中で思わぬ事件に巻き込まれ……
というわけで、王弁パートと劉欣パートとでも言うべきでしょうか、大きく二つに内容が分かれる本作。
王弁パートで描かれるのは、彼が辺境の街であった心臓に持病を抱える少女・タシを治すために薬師として奔走する姿であり、劉欣パートで描かれるのは、彼が所属してきた諜報組織・胡蝶の長・貂をはじめとする者たちと暗殺者として死闘を繰り広げる姿であります。
長きに渡り心臓に病を抱え、もはや余命幾ばくもないと思われたタシ。しかしタシは王弁の治療により回復したかに見えたのですが……しかし、彼女が良くなるのは王弁が近くにいるときだけ。
彼が離れれば悪化するという奇妙な病状に悩みつつも、王弁は自分自身の力で、タシを救うべく様々な手を尽くすことになります。
思えばシリーズ第1作においてはニートとして登場し、そして僕僕との冒険を経て、薬師として独り立ちした王弁。
しかし第2作以降、再び僕僕と旅に出たことで、彼の薬師としての側面は――もちろん物語の随所で描かれるものの――弟子属性に押されて、影を潜めがちであったと言えるかもしれません。
本作で描かれるのは、そんな彼が、僕僕の弟子でありつつも、しかし一人の薬師として、懸命に自分自身の力を尽くす姿。
それはもちろん、彼が大きく成長したということでありますが――しかし、運命は彼にさらに残酷な試練を用意することとなります。
そして王弁パートがそんな比較的静かな展開である一方で、劉欣パートは奇怪な武術や仙術に彩られた激しいバトルの連続が描かれることとなります。
歌声を武器とする不思議な少女・旋を味方につけ、己の内部の仙骨の用い方に目覚めつつあるとはいえ、彼の前に立ち塞がるのは、一度は信じた彼を平然と裏切った田欧をはじめとする胡蝶の手練れであり、そして何よりも、遙かな昔から少年の姿で代々の皇帝に仕えてきたという妖人・貂……
僕僕や王弁たちと旅を続けるうちに、どこか人間味のようなものが見受けられるようになってきた劉欣ですが、本作で描かれるのは、彼が密偵として、暗殺者としてその持てる力の全てを発揮する姿。
しかしそれは、非情の密偵であった彼が唯一愛情を注ぐ、育ての父母を救うためというのが、また切ないのですが……
薬師と暗殺者、人を生かす者と殺す者――対照的な生を歩む王弁と劉欣の物語は、そして終盤において再び交わることとなります。
己の愛する者の命を賭けて死闘を繰り広げる劉欣と、遅れて長安に駆けつけその姿を目の当たりにすることとなった王弁。
本作の結末において二人がそれぞれ選択する道は、それは、水と油のような関係だった王弁と劉欣の間に生まれたもの、僕僕との旅の中でそれぞれ変わっていった二人の間を繋ぐものであり――それはとりもなおさず、王弁の成長の証とも申せましょう。
結末において僕僕も認めたように、僕僕と王弁の物語であったこのシリーズは、王弁自身の物語として大きく動き始めた感があります。
去る者がいる一方で、新たに、というより再び現れた者たちを加え、おそらくはこの天と地の運命までも絡んで、怒濤の展開を予想させる中――物語に結末をもたらすのは、王弁なのでしょう。
大いなる凡人であった王弁の旅の行方を、最後まで見届けようでありませんか。
『恋せよ魂魄 僕僕先生』(仁木英之 新潮社) Amazon
関連記事
「僕僕先生」
「薄妃の恋 僕僕先生」
「胡蝶の失くし物 僕僕先生」
「さびしい女神 僕僕先生」
「先生の隠しごと 僕僕先生」 光と影の向こうの希望
「鋼の魂 僕僕先生」 真の鋼人は何処に
「童子の輪舞曲 僕僕先生」 短編で様々に切り取るシリーズの魅力
『仙丹の契り 僕僕先生』 交わりよりも大きな意味を持つもの
| 固定リンク
コメント