上田秀人『禁裏付雅帳 一 政争』 真っ正面、幕府対朝廷
先日、『お髷番承り候』が全10巻で完結した上田秀人の、徳間文庫での新シリーズが早くも登場であります。今回のテーマは、タイトルからわかるとおり「禁裏」――すなわち朝廷。松平定信の寛政の改革の時代を舞台に、若き使番・東城鷹矢が、幕府と朝廷のせめぎ合いの渦中に巻き込まれることとなります。
主人公・東城鷹矢は、先祖が家に道場を作り、その道場で剣を磨いたことを除けば、さまで変わったことのない旗本。父が亡くなった後、使番の役を勤めていた彼が、諸国巡検使の一人に選ばれたことから、大きく運命が変わっていくことになります。
その名のとおり、大名らが治める諸国の状況を監察する任である巡検使。しかし如何なる理由によってか、彼は突然、公儀御領巡検使に任を変えられ、京に派遣されることとなります。
表向きは良好な状態にあった当時の幕府と朝廷。しかし時の光格天皇が、実父である閑院宮典仁親王が禁中並公家諸法度の上では三大臣の下にあることを憂い、太政天皇の尊号を宣下せんとしたから、にわかに雲行きが怪しくなります。
幕府にしてみれば、法度は家康が作った決して侵すべからざるもの。それに反する宣下を認められるはずがない……という立場。
その一方で、幕府の側でも、将軍家斉の実父・一橋治済に大御所の尊号を送ろうとしていたことから、事態はさらにややこしい状態となります。
(ちなみに本作は、定信の権力が凋落期にあった『奥右筆秘帳』よりも10年ほど早い時期に当たります)
そこで定信が案じたのが、朝廷側の不正・弱みを探り、それを使って圧力をかけ、この状況を打開しようと策。そしてその遂行者として選ばれたのが、偶然、京側と全く縁のなかった鷹矢だったのであります。
かくてほとんど何もわからぬまま、京に赴くこととなった鷹矢たちを襲う刺客団。その刺客を送り込んだのは何と……
というわけで、物語のスタイル的には、いかにも上田節といった印象の本作。
剣の腕は立つが世間に疎い青年武士が、彼を道具か走狗としか見ないような権力者に目を付けられ、突然、権力の暗部を巡る争いに巻き込まれる……本作も、そんな作品であります。
しかし上田作品の中で本作が異彩を放つのは、その題材として、冒頭に述べたとおり、禁裏を、朝廷を真っ正面から扱っていることでしょう。
作者のファンであればよくご存じかと思いますが、実は作者の時代小説には、禁裏の存在がしばしば関わってくることになります。
時に策を巡らせて幕府を揺るがせんとし、時に幕府の(特に大奥の)権力闘争の陰で自らの勢力を伸ばさんとし……陰に日に、禁裏の存在は、上田作品ではお馴染みのものとなっています。
(何よりも作者の出世作、『竜門の衛』からして、幕府と朝廷の隠れた関わりを描く作品でありました)
しかし、これまでは上田作品の主戦場となるのは、主に江戸城内。すなわち幕府内の権力闘争がメインであり、朝廷はそこに関わるプレイヤーの一人という立ち位置が大半でありました。
それが本作においては、幕府対朝廷の対決を真っ正面から持ってきた――それが実に興味深く、楽しみであります。
江戸時代を通じて、決して蜜月期ばかりではなかった幕府と朝廷。その対立で有名なのは、寛永期の後水尾天皇と幕府の対立であり、こちらは様々なフィクションの題材とされております。
しかし寛政期の、本作の題材となった事後に尊号事件(一件)と呼ばれることとなるこの出来事も、その前後の幕府の状況と合わせて、なかなかに興味深いことばかりであります。
正直に申し上げれば、この第1巻の時点では、まだまだ鷹矢は影が薄いと申しましょうか、時折才気のきらめきを見せながらも、まだまだ状況に翻弄される一方であります。
その点はすっきりしない点ではありますが、しかし「禁裏付」の命が下ったこれからが、彼の戦いの、そして物語の本番でありましょう。
どうやら次の巻あたりでヒロインが登場する雲行きもあり、まずはこの先の展開に期待いたしましょう。
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