碧也ぴんく『義経鬼 陰陽師法眼の娘』第3巻 皆鶴と九郎、双方向の食い違いの中で
あの源義経が、陰陽師・鬼一法眼による術の失敗により、法眼の娘・皆鶴と一心同体となってしまった――そんな奇想天外な設定で展開される義経伝も第3巻。奥州からついに兄・頼朝の下に馳せ参じた義経(実は皆鶴)主従は、ついに打倒平家の軍を率いることになるのですが……
打倒平家のために陰陽師・鬼一法眼の下で、鬼の兵法を得んとした九郎。鬼の兵法を得るには、その兵法を体内に持つ自分と瓜二つの娘・皆鶴を、儀式によって彼の内に取り込む必要がありました。
しかし術の失敗により、逆に皆鶴の内に九郎が取り込まれることに。九郎と自分を分離するには、彼の願いを叶えるか、あるいは捨て去らせることが必要と知った皆鶴は、その願い――平家打倒を叶えるため、弁慶、佐藤継信ら、自分の秘密を知るごくわずかな男たちとともに、力を蓄えるのですが……
と、冒頭に述べたように、ようやく頼朝と対面した「義経」ですが、ここからがむしろ彼にとってはこれからが本当の苦難の道のりの始まりであることは、歴史が示す通り。
義経を暖かく迎えたかに見えた頼朝も、立場故か、あるいはそれが本性なのか、義経を皆の面前で家来扱い。義経が自分を出陣させてくれるよう頼み込んでも首を縦には振らず……
いや、義経視点の物語で頼朝が良く描かれることはまずありませんが、本作の頼朝はどこか、いやかなり油断のできない表裏ある人物のように描かれているのが気になるところ。出陣を直訴した義経に壁ドンをかます辺りはヤンデレ的なものすら感じられますが、それはさておき。
しかし義経、いや皆鶴にとっては、平家打倒は――すなわち平家との合戦に勝つことは、自分自身と九郎のために不可欠なこと。どれほど理不尽な扱いを受けようとも、戦わなくては、参陣しなくてはならないという一種の縛りがここで発生するのが、なかなかに面白く感じます。
しかしその義経にとって最大の障害が、今回は描かれることとなります。それは九郎自身――そう、鬼の兵法はあくまでも皆鶴のもの、九郎本人は人の良い貴公子でしかないのですから。
ある事情で意識を失った皆鶴に代わり、久々に表に出てきた九郎。しかし皆鶴に代わって、彼が軍を指揮できるのか……
女性が男性集団の中に、男性のふりをして紛れ込む作品(作者の『天下一!!』がまさにそれえですが)において、一番のピンチは、やはり彼女が女性であることが――すなわち彼女自身の真の姿が明らかになってしまうことでしょう。
本作においても、これまで何度か、「義経」が本物であるのか疑われ、その度に皆鶴が苦労して切り抜けてきたわけですが……ここで「本物」が表に出た方が、かえってピンチとなってしまう展開は実に皮肉かつ面白い展開と感心いたします。
が、九郎本人の心境を考えれば、面白いなどというのは、大変に残酷な言葉であるかもしれません。自らの体の主導権を失い、そして取り戻したとしても、周囲の足手まといにしかならないというのは、九郎にとっては幾重にも耐えがたい状況でしょうから――
これまで、我々は主に皆鶴視点で物語を見てきました。そこでは、自分自身であることを否定され(そもそも他人の中に吸収されるところだったのですが)、他人として生きることを余儀なくされた皆鶴が、本作の最大の犠牲者として感じられました。
それはもちろん間違いではないのですが、しかし視点を変えた時、九郎もまた、皆鶴同様の犠牲者であると気付きます。このジェンダーの食い違いの一種の双方向性こそが、本作の最大の特徴でもありましょうか。
この巻では九郎が静と出会う場面もあり、いよいよややこしいことになりそうですが――されにそこに、頼朝や後白河法皇の動きなど、史実の方のややこしさも加わります。
この先皆鶴と九郎が、いかにそれぞれを取り戻していくのか、いけるのか。この先も、なかなか気の抜けない展開が続きそうであります。
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