奥山景布子『真田幸村と十勇士』 「幸村」の「物語」が持つ意味
歴史時代小説界でコンスタントに良作を発表している奥山景布子は、同時に児童向けの歴史書籍の送り手でもありあます。本作もその一つ……と言いたいところですが、本作はそうしたレーベルで作者が発表してきた伝記ではなく、むしろ伝奇。物語の面白さを前面に押し出した幸村と十勇士伝であります。
来年の大河ドラマは『真田丸』とのことで、そろそろ出版界でも真田ものの刊行が目立つようになってきました。
実は大河ドラマ合わせということでは相当に盛んな児童書というジャンル。これからどんな真田ものが登場するか楽しみにしていたところに、奥山景布子が書くというのであればこれは読まない手はありません。
さて、それで蓋を開けてみれば、これが嬉しい驚きの一冊。というのも、本作はそのまえがきにおいて、「真田信繁の伝記」ではなく「真田幸村の物語」であることを、高らかに宣言していたのですから!
(「幸村」はともかく、「十勇士」と冠すれば、それは当然「物語」となるわけですが……)
そう、本作は「真田三代記」や立川文庫の諸作を題材にした(と明記されております)純然たるフィクション。第一次上田合戦から大坂夏の陣に至るまでの長きにわたり、真田幸村と彼を支える十勇士の痛快な活躍を描いた作品なのであります。
実は本作が収録された集英社みらい文庫では、同じ作者の『戦国ヒーローズ!!』において、「信繁」の「伝記」は既に収録されています。
それがある一方で、今回敢えて「幸村」の「物語」が描かれたのは、大河ドラマ合わせだから……などという味気ない理由ではなく、作者が「物語」という存在に、「史実」とは異なる、そしてそれと並ぶ意味を感じているからでありましょう。
それは、本作のまえがき及びあとがきから窺い知ることができます。
そこに記されているのは、幸村と十勇士というヒーローの一種の受容過程――江戸時代においては表立って語ることも許されなかった逆賊たる彼らの命脈が決して絶たれることなく後世まで語り継がれた、その歴史と理由が、丹念に説明されているのです。
もちろん物語はあくまでも虚構の存在、史実/事実とは厳然と区別されるべきものでありましょう。しかし事実でないということは、価値がないということではありません。
そこには、虚構だからこそ込められる意味があります。虚構の中にこそ見ることができる夢があります。それは現実を生きる人々にとって、もう一つの事実と言って良いほどの意味を時に持つ……
子供向けの表現ではありますが、本作で、本作のまえがきあとがきで作者が謳うのは、「物語」という存在の持つ意味だと感じました。
もちろん、それも「物語」そのものが面白くなければ意味がありませんが、その点は全く心配なし。私が子供であったなら、絶対に幸村と十勇士の活躍にどっぷりはまったであろうと――今もそういう部分を多分に残す身としては――断言できます。
確かに、特に終盤の展開など、ページ数故の限界はどうしても存在します。それでも盛り込める人物は、要素は徹底的に盛り込んでみせた本作は十分に読み応えがありますし、初めての幸村、初めての十勇士として、古典を題材としつつも、現代の読者のためのものとしてアップデートした本作は、大いに意味を持つものではありますまいか。
ちなみに……本作は巻末に、史実と作中の出来事の対比年表が用意されているのも素晴らしい。史実と物語を比べて差分を楽しみ、そしてその意味を考えるというのは伝奇者の基本ですが、この年表によって、伝奇に目覚める子供もいるのでは……というのは、もちろん妄想ではありますが。
『真田幸村と十勇士』(奥山景布子 集英社みらい文庫) Amazon
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