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2015.12.31

このブログの2015年を振り返って(下半期篇)

 ブログ記事で(の)2015年を振り返る後編、下半期分であります。比較的近い時期のことが多くなりますが、意外と忘れているものではあります。

7月
 この月は何といっても歌舞伎『阿弖流為』鑑賞。劇団☆新感線の『アテルイ』の歌舞伎化ですが、あまりの見事さに二週連続で見てしまったほどであります。これこそは舞台で見るべき作品でしょう。
歌舞伎NEXT『阿弖流為』 世に出るべくして出た物語

 印象に残った作品は4点。最後の作品は、相当昔の作品ではありますが、偶然手にした今この時に相応しい内容でした。こういうことも少なからずあるものです。
越水利江子『うばかわ姫』 真実の美しさを生み出すもの
鏑木蓮『イーハトーブ探偵 山ねこ裁判 賢治の推理手帳II』 真に裁かれた者の名は
木下昌輝『人魚ノ肉』 人魚が誘う新撰組地獄変
ほんまりう『漱石事件簿』 漱石が見た近代日本の陰


8月
 この月はブログ記事というより関連サイトのことですが、大年表の大年表を更新。昔から一つの年表の中に様々な作品のことを並べるのが大好きだったので、こうした企画は本当に楽しい。しかし不思議なのは、本業が一番忙しいはずの8月の自分に、こんな手間のかかる更新をする暇があったことですが……
大年表の大年表 更新

 特に印象に残ったのは両極端な二点。前者については好企画だっただけに、ぜひ復活して欲しいものですが……
『江戸ぱんち 夏』 アベレージの高い市井もの漫画誌
武村勇治『天威無法 武蔵坊弁慶』第5巻 激突! 突き抜けた力を持てる者


9月
 この月はやはり舞台『MOGURAYA 百年盂蘭盆』鑑賞。小劇場での観劇は本当に久し振りでしたが、しかしその距離感と作品のムードが良く合っていました。過去作もいずれ必ず取り上げます。
『MOGURAYA 百年盂蘭盆』 舞台で帰ってきたもぐら屋!

 そしてもう一つ、これは本編が出る前のプレビューを題材にした苦し紛れな記事でしたが、やはり『桜花忍法帖 バジリスク新章』の存在は大ニュース。しかし現物は、この時点での予想を遙かに上回る色々な意味でとんでもない作品でした。
山田正紀『桜花忍法帖 バジリスク新章』刊行!?

 印象に残ったのは以下の二作品。全く趣向も題材も異なる作品ですが、奇しくも物語の力を描いたという共通点があります(私がそういう作品が大好きだ、というのはもちろんありますが)
會川昇『超人幻想 神化三六年』 超人を求める人々の物語
渡辺仙州『文学少年と運命の書』 物語の力を描く物語


10月
 そしてこの月はアニメが二本スタート。どちらもいわゆるヒーローを扱いつつも、片や昭和を思わせる架空史もの、片やファンタジー調の平安ものという毛色の変わった作品(そしてどちらも會川昇脚本作品)であります。
 毎週二作品のレビューで記事が書けて助かる、と思いつつも、コンレボの方はあまりのボリュームに脱落状態……いずれまた。
『コンクリート・レボルティオ 超人幻想』 第1話「東京の魔女」
『牙狼 紅蓮ノ月』 第1話「陰陽」

 印象に残った作品は4つ。我ながら見事なまでにバラバラの作品であります。
北崎拓『ますらお 秘本義経記 波弦、屋島』第1巻 もう一人の「義経」、もう一人のますらお登場
谷津矢車『曽呂利! 秀吉を手玉に取った男』 「善」に抗する者の名
篠原景『春は遠く 柏屋藍治郎密か話』 「生きにくさ」を抱きしめて
熊谷カズヒロ『モンテ・クリスト』第4巻 待ち、しかし希望した末にあったもの


11月
 この月は大きな出来事はありませんでしたが、『衛府の七忍』で飛び出した「テヘペロでやんす」は、個人的には今年の流行語大賞です。あまりに使い回しが良すぎる。
山口貴由『衛府の七忍』第1巻 新たなる残酷時代劇見参!

 もう一つ、来年の大河ドラマを踏まえてこれはこの後本格化するであろう真田ものの児童小説の第一弾として、あえて「物語」を描いたこの作品には感銘を受けました。
奥山景布子『真田幸村と十勇士』 「幸村」の「物語」が持つ意味

 その他印象に残ったのは以下の三作品。『鬼神の如く』は、勝手に優等生のイメージを持っていた作者の意外な伝奇センスに驚きました。
朝松健『魔道コンフィデンシャル』 邪神対邪神、人間対邪神、人間対人間
『鬼神の如く 黒田叛臣伝』(その一) 不可解な御家騒動を彩る要素
『鬼神の如く 黒田叛臣伝』(その二) 叛臣か忠臣か、鬼神か聖者か
廣嶋玲子『鵺の家』 呪いへの依存という地獄の中で


12月
 そして今月は、やはり二つの商業原稿が一番の出来事(もちろん、実際に描いていたのはもっと前ではありますが)。何故か年末に出番が回ってくることが多い人間です。
武内涼『吉野太平記』の解説を担当しました
『この時代小説がすごい! 2016年版』 驚きのランキングに刮目せよ!

 もう一つ、取り上げるべきは、こうすればいま『水滸伝』を描けるのか、と感心させられたこの作品。水滸伝熱がますます高まりました。
逢巳花堂『一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア』 降臨、美しき一〇八の魔星たち!

 印象に残ったのは以下の二作品。今月刊行された『桜花忍法帖』下巻はいつ取り上げたものか……
矢島綾『天空をわたる花 東国呼子弔忌談 過去を呼ぶ瞳』 世の則と人の情の狭間に
山田正紀『桜花忍法帖 バジリスク新章』上巻(その一) 山田対山田の対決
山田正紀『桜花忍法帖 バジリスク新章』上巻(その二) 人間性を否定する者への怒り


 以上、手間がかかる割りに面白いかどうかは我ながら疑問も残る企画でしたが、ある意味このブログの総集編ということで、個々の記事をご笑覧いただければ幸いであります。


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2015.12.30

このブログの2015年を振り返って(上半期篇)

 形式こそブログではあるものの、速報性や適時性といったものに、当ブログはほとんど重きを置いていません。それでも振り返ってみれば、それなりにその時ならではのトピックを扱っていることもあり、それをまとめてみるのも面白いかな……というわけで2015年を振り返ってみたいと思います。

 基本的には月ごとに、その月特有のトピックと、その月に紹介した作品の中でも特に印象に残った作品を挙げたいと思います。後者については、紹介時期からかなり以前に発表された作品も少なくないのですが、それについても敢えて含めています。


1月
 通し狂言『南総里見八犬伝』を鑑賞したのが、一番正月らしいイベント。歌舞伎や古典芸能はしばらく取り上げていませんでしたが、また増やしていきたいところです。
通し狂言『南総里見八犬伝』 通しで観る八犬伝の楽しさ、難しさ

 また、この2015年を通じて個性的な作品を次々とリリースしてきた白泉社招き猫文庫において、あかほり悟の時代小説第一作が刊行されたのは、やはり印象に残りました。
『御用絵師一丸』 絵師の裏の顔と、「今」と向き合う人々と


 印象に残ったのは以下の二作品です。
『忍者物語』(その一) 史料に残る忍者、史料に残らぬ「真実」
『忍者物語』(その二) 忍者という名の人間たちの姿
『ゴールデンカムイ』第1巻 開幕、蝦夷地の黄金争奪戦!


2月
 2月は月が短いせいもあり、さまで目立ったものはありませんが、漫画版『夢源氏剣祭文』がwebコミックで再開したのは嬉しい知らせでした。しかし本作、二度の中断を乗り越えてようやく完結したにも関わらず単行本続巻の予定なしという状態。しかも現在掲載されているのも第1話と最終話のみというのがさらに残念。webコミックが増えている一方で、こうしたケースも増えるのでしょう……
漫画版『夢源氏剣祭文』連載再開!

 印象に残った作品は、以下の二作品。前者は作者の久々の作品ですが、『この時代小説がすごい!』でもランキング入りしたのは本当に嬉しい出来事でした。
『未来記の番人』 予言の書争奪戦の中に浮かぶ救いの姿
『うわん 流れ医師と黒魔の影』 彼女の善き心と医者であることの意味


3月
 3月も目立った出来事はありませんでしたが、個人的に嬉しかったのは、雑誌掲載以来、幻の作品となっていた『BURNING HELL』の単行本化。実に7年越しの単行本化ですが、待ち続けていればこういうこともあります。
『BURNING HELL 神の国』 地獄と人間を描く二つの物語

 またこの月は『この時代小説』で見事ランキング一位を飾った『妖草師 人斬り草』も登場。趣味で生け花(の真似事)をしていることもあり、本作で描かれる生け花とは何か、という言葉には大いに共感しました。
『妖草師 人斬り草』(その一) 奇怪なる妖草との対決、ふたたび
『妖草師 人斬り草』(その二) 人の、この世界の美しきものを求めて

 印象に残った作品は以下の漫画二作。
『アンゴルモア 元寇合戦記』第1巻 「戦争」に埋もれぬ主人公の戦い始まる
『一の食卓』第1巻 陽の料理人見習いと陰の密偵と


4月
 個人的に大事件だったのは、會川昇の(おそらく)初の時代伝奇小説『南総怪異八犬獣』発表。短編ですが、題材が八犬伝な上に実に作者らしい趣向と内容に大いに満足しました。
八犬伝特集その十七 會川昇『南総怪異八犬獣』

 印象に残った作品はかなり多く、絞っても四作品。特に『でんでら国』は個人的に2015年のベストです。もっと読まれるべき作品。
『でんでら国』(その一) 痛快なる老人vs侍の攻防戦
『でんでら国』(その二) 奇想と反骨と希望の物語
芝村凉也『素浪人半四郎百鬼夜行 零 狐嫁の列』 怪異と共に歩む青春記
矢野隆『覇王の贄』 二重のバトルが描き出す信長とその時代
仲町六絵『南都あやかし帖 君よ知るや、ファールスの地』 室町の混沌と豊穣を行く青年妖術師


5月
 5月は、自分でも危うく忘れるところでしたがこのブログが毎日連続更新で10周年。しかしもちろん、通過点に過ぎないのです。
ブログ連続更新10周年を迎えました

 そして久々の商業原稿としては、『ランティエ』で平谷美樹『水滸伝』の解説記事を担当。作者も題材も大大ファンなだけに。大いに気合いが入りました。『水滸伝』も『この時代小説』のランキングが良かっただけに、続刊を期待しています。
『ランティエ』6月号で平谷美樹『水滸伝 1 九紋竜の兄妹』関連の記事を担当しました

 もう一つ、朝松健の一休宗純ものが帰ってきたのも、まさしくこのブログで取り上げるべきニュースでした。
朝松健『かはほり検校 一休どくろ譚』 一休宗純、再び暗き夜を行く

 印象に残った作品は、ちょっと変化球ですが以下の二作品。こうした作品も忘れずチェックしていきたいと思っています。
『なないろ金平糖 いろりの事件帖』(その一) 超能力探偵のフェアなミステリ
『なないろ金平糖 いろりの事件帖』(その二) 彼女の最後のチカラ
竹下文子『酒天童子』 理想の武士、理想の「大人」としての頼光


6月
 6月は大きな出来事はなし。滅多に自分語りをしない私が自分の話に絡めた以下の記事が珍しかったかもしれません。
會川昇『神化三六年のドゥマ』(前編) 伝奇的なる世界が描き出す現実

 印象に残った作品はぐっと増えて以下の5作品。もっとも、『エンバーミング』は何故このタイミングなのか、我ながらお恥ずかしいことです。
長谷川卓『嶽神伝 孤猿』上巻 激突、生の達人vs殺人のプロ

長谷川卓『嶽神伝 孤猿』下巻 「山」のような男の名
吉川永青『闘鬼 斎藤一』 闘いの中に己の生を貫く
ガイ・アダムス『シャーロック・ホームズ 恐怖! 獣人モロー軍団』 今度の世界はSF!?
和月伸宏『エンバーミング -THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN-』第10巻 絶望と狂気の先にあったもの


 思っていた以上に長くなりましたが、下半期は次回に。


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2015.12.29

谷津矢車『三人孫市』 三人の「個」と「時代」の対峙の姿

 今年も歴史時代小説界の若き台風の目となった谷津矢車が、意外にも初めて戦国時代を舞台として描いた作品であります。鉄砲の名手として知られながらも、その実像には謎の多い雑賀孫市。その孫市が三人いたという――凡手を嫌う作者に相応しく、題材も切り口も、ひと味もふた味も違う作品です。

 紀州は雑賀の地を本拠とする雑賀党あるいは雑賀衆の頭領として知られる孫市。早くから鉄砲に通じた孫市と雑賀衆は、石山合戦の際に本願寺側について散々に信長を悩ました……と言われる有名人ですが、実は詳細には不明な点が多い人物。
 その事績も最期も今一つわからず、秀吉に雑賀が平定されたしばらく後、関ヶ原の戦で西軍に参加していた、その後水戸藩に仕官したなど、様々な時と場所に名を残す、一種の怪人であります。

 実は孫市の名は個人を示すものではなく、雑賀衆の頭領が代々継ぐものという説もあり、それであればこの活躍ぶりも頷けるところですが……本作はそれを正面から物語に取り込み、タイトルのとおり三人の、それも血の繋がった三兄弟として描き出すのであります。

 雑賀の地にふらりと現れた老人・刀月斎。禁忌を犯して殺されるところであった彼を救ったのは、先代の孫市の長男・義方でありました。生まれつき体が弱く、戦場に立てぬ身であった義方は、しかし実は鉄砲鍛冶であった老人から、鉄砲とその使用法を与えられたことにより、鉄砲用兵に開眼することとなります。

 そして義方の指揮の下で活躍するのは、鉄砲と金砕棒を自在に操る剛勇の重秀、そして無口無表情と普段は何を考えているかわからぬものの凄腕の狙撃手である重朝――
 三人三様、鉄砲を自在に操る彼らは、無敵の傭兵集団として戦国にその名を轟かせるのですが……

 という基本設定を見れば、本作はこの三人兄弟、三人孫市が、力を合わせて戦国の世に破天荒な活躍をみせる作品が――あるいは数奇な運命に引き裂かれた三人が、血で血を洗う哀しい戦いを繰り広げる作品が想像されるのではないでしょうか。

 そしてそれはどちらも正しく、そしてどちらも正確ではありません。本作で描かれるのは、戦国乱世の荒波に対し、孫市という同じ名を背負いながらも全く異なる生を歩んだ三人の青年の物語。彼らが何を見て、何を想い、何を選び、何を捨て、何を得たのか――その姿なのですから。


 ここで谷津矢車という作家のこれまでの作品に――特に歴史小説に――目を向けてみれば、その一つとして同じところがないようにすら感じられる作品群に、一つの共通点があることに気づきます。
 それは「個」と「時代」の対峙――衆に優れた才能を持ちながらもあくまでも個にすぎぬ主人公が、その時代時代の社会・文化・制度・空気etc.と如何に対峙し、そしてそれを相克していくか……作者の作品に共通するのは、そんな主人公の姿、その戦いの姿であります。

 そしてその「時代」との戦いが、最も激しく、厳しいものであったのはいつのことであったか。それを思えば、答えはやはり戦国時代、人一人が生き抜くことすら困難であった時代、力持つ者――そしてそれが「時代」の代表者然として振る舞うことがしばしばなのですが――の前に、人一人が軽々と吹き飛ばされる時代の名が挙がりましょう。

 作者がある意味歴史小説の花形である戦国ものを書いてこなかったのは、その難しさを知るが故ではないか――これはもちろんこちらの勝手な想像ではあります。
 しかし本作に描き出された三人の孫市たちという「個」の姿、そして彼らがぶつかり、押し潰され、乗り越えてきた「時代」という壁の姿は、その難しさを受け止めてなお、この作者自身が、いまこの時の空気から感じるものを、物語に写し取り、対峙してみせた……そう感じるだけの豊かさがあります。


 もちろん荒さはあります。三人の孫市、そして彼らを取り巻く人々の描写も、描こうと思えばまだまだ描けたことでしょう。しかし同時にそれを描くことにより、薄れるものもあるのもまた事実であろうと、私は感じます。

 少なくとも、ここに描かれた、若者たちの、作者の、生の声は、この形であるからこそ届くものであろうと……

 作者を評して「二十代最強の歴史作家」という言葉があります。正直なことを言えば私はこの呼び名に一定の距離を置いていた者でありますが、しかし本作を読んでみれば、それを否定する理由もない……そう感じているところであります。


『三人孫市』(谷津矢車 中央公論新社) Amazon
三人孫市

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2015.12.28

野田サトル『ゴールデンカムイ』第5巻 マタギ、アイヌとともに立つ

 蝦夷地に眠るアイヌの黄金を巡る争奪戦も、黄金の価値が一挙に千倍アップという説も飛び出していよいよヒートアップ。それぞれの想いを秘めて暗躍する鶴見中尉一派と土方歳三一派の動きをよそに、マイペースで動く杉元・アシリパ・白石トリオですが、思わぬ危険な敵が迫ることとなります。

 悪夢の熊撃ち・二瓶鉄蔵との死闘を制し、刺青人皮を求めて旅を続ける杉元一行が次に訪れたのは、鰊漁で湧く海岸。一見賑やかかつ平和に見えるこの地に潜んでいたのは、しかし死刑囚の中でも屈指の危険人物、これまでに百人以上を殺害してきたシリアルキラー・辺見和雄であります。

 一見ごく普通の温厚な青年に見える辺見は、しかしかつて弟が眼前で獣に食い殺されたのを目撃して以来、人が死に抗う姿に取り憑かれては殺人を繰り返し――そして同時に、自分が誰かに殺されかけ、死に抗う姿を想像しては恍惚となる、大物の変態であります。
 そんな『喧嘩稼業』に出てきそうな変態に見初められてしまった杉元に迫る危機。そしてその一方でこの地に鶴見中尉一行まで現れ、一気に大乱戦が繰り広げられることになります。

 さらに戦い終わった後には、杉元と土方が接近遭遇。目の前の老人が土方とは気付かぬ杉元を、土方は例によっての新選組隊士になぞらえるという癖(この方も大概○○ですが)を出しつつも観察するのですが……


 主人公サイドでそんなドラマが繰り広げられている一方、意外な展開を見せたのは、かつて二瓶とともに杉元たちを狙った鶴見中尉配下の軍人・谷垣。マタギの血を引く彼は、なりゆきからアシリパに救われ、彼女のコタンで傷を癒やしていたのですが、そこに同じく鶴見中尉配下の尾形と二階堂が現れます。
 かつて杉元との戦いに敗れて川に転落した尾形と、捕らわれた杉元を襲うも双子の弟を返り討ちにされた二階堂。実は彼らこそは部隊の中の反鶴見中尉派、谷垣が自分たちのことを中尉に密告するものと誤解した彼らは、谷垣の口を封じるために襲撃してくるのですが――

 前の巻の紹介でも述べたとおり、ここのところ主人公サイド以外の物語展開も多く、その点は少々不満に感じていたのが正直なところではあります。
 しかし今回の谷垣と尾形・二階堂の対決は、いかにも本作らしい相手の出方の読み合いをメインとしたバトルの面白さもさることながら、双方とも単純な善玉悪玉というわけではなく、それぞれに背負う者がある、書き割りではない存在感を持つ人間として戦うのが実にいい。

 初登場時は単なるやられ役に見えた尾形が細かいところでキャラを立ててくるのもさることながら、アイヌの人々に命を救われた谷垣が、彼女たちを巻き込まぬために、かつての相棒である二瓶の遺した銃を手に、一人立ち向かうというシチュエーションが泣かせます。
 何よりも、額に傷を負った谷垣が包帯代わりに巻くのが、マタンプシ(アイヌの鉢巻き)というのが、今の彼の魂の在処を無言のうちに感じさせてくれるのにはただ唸らされるばかりであります。


 かようにもはや群像劇の趣を呈し始めた本作ですが、しかしそれが猛烈に面白いのだからもうあれこれ言うことはありますまい。

 全ての発端である謎の死刑囚・のっぺらぼうの意外な正体も判明し、次に向かうはあまりに危険かつ意外な場所――というわけで、先の展開がいよいよ読めなくなってきた、そしてそれが実に楽しい作品であります。


『ゴールデンカムイ』第5巻(野田サトル 集英社ヤングジャンプコミックス) Amazon
ゴールデンカムイ 5 (ヤングジャンプコミックス)


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2015.12.27

『牙狼 紅蓮ノ月』 第10話「一寸」

 一夜のうちに陰陽寮の陰陽師たちが姿を消した。陰陽師絡みの事件でやる気のない星明を置いて犯人と思しき炎羅を追う雷吼だが、炎羅の能力で一寸の大きさに縮められてしまう。何とか星明のもとに帰り着いた雷吼は、弟・頼信が目撃したものを踏まえ、再び炎羅を迎え撃つ。

 牙狼版御伽草子という趣のある本作、今回はサブタイトルどおり一寸法師。しかしどこか突き抜けた明るさのあった原典に対し、本作独自の世界観と結びつき、何とも黒々とした印象の残るエピソードです。
 その世界観とは、陰陽師中心観とでもいいましょうか――陰陽師の結界がなければ炎羅が都に雪崩込んでくるという世界において、現実世界では下級役人に過ぎなかった陰陽師たちが幅を利かせている……そんな世界であります。

 そして冒頭に登場するのは、そんな歪な世界の犠牲者ともいうべき老僧・慈法。それなりの地位にあると思しいものの、陰陽師に押されて一人寂しくこの世を去ろうとしている彼の前に現れた道満が(例によって)煽ったために、悲劇の幕が上がります。

 と、今回(ほとんど)初登場なのが賀茂保憲。史実では暦道と陰陽道を大成し、安倍晴明の師匠として知られる人物ですが、本作においては、どうやら本作における陰陽道の負の部分を象徴する人物のように思われます。
 星明の母の父、すなわち晴明とともにもう一人の祖父でありつつも、今回の怪異に翻弄されたり、道長には軽くあしらわれたりと、晴明が厳しい中にそれなりの徳と重みを感じさせるのに対し、かなりの小人物臭さを感じさせるのです。
(にしても安倍と賀茂の血を引き、先代道満に師事した星明さん超絶サラブレッド)

 結局、保憲と星明の衝突もあり、陰陽寮では、謎の粘液に濡れた小さな服を見つけただけで去る羽目になった雷吼一行。いつも以上にやる気を見せない星明はさておき、炎羅の再来を予想した雷吼と金時は、炎羅を待ち伏せして見事追いつめるのですが……
 今回の炎羅は、童子とも力士ともつかぬ、そして右手が槌となった存在。そしてその能力は言うまでもなく、槌を相手に振り下ろすことにより、その大きさを自在に変えるというものであります(片側に小、反対側に大と書いてあるので、金時が逆に巨大化するのを期待しましたが、さすがになし)。

 一寸法師になってしまった雷吼は川に流され、古式ゆかしくお椀の舟に乗ったり、途中で出会ったスッポンと意気投合したりと何とか帰還(そして予想通り変なものマニアの星明に滅茶苦茶喜ばれる)。そしてここで、消えた陰陽師たちが、小さくされて食われたことを悟ります。

 それを意外な形で裏付けたのが、雷吼の弟・頼信。いつの間にか亡くなっていた雷吼と頼信の父・多田新発意――その葬儀を行ったのが慈法だったのであります。そして、その慈法の身を案じて訪れた頼信が見たのは、鬼と化した慈法が、一寸化して捕らえておいた人々を貪り喰う姿……

 その頼信の言葉と、稲荷から炎羅退治を命じられたこともあり、ようやく重い腰を上げた星明。牛車を仕立てて陰陽師の夜行を装い、現れた炎羅に対し、これまた古式ゆかしく飲み込まれた雷吼は、腹の中で牙狼の鎧を装着、中から炎羅を倒すと、その大きさも元に戻るのでした。

 しかし炎羅を退治してもめでたしめでたしとはならない牙狼。綱に続き、今回も炎羅と化した身近な人物を救えず、一人肩を落として去る頼信の今後が少々不安なところではあります。


 そして今回、星明と稲荷の会話で触れられた、本作における疑問点――牙狼以外の魔戒騎士の不在。そもそもその牙狼の鎧からして、一時期装着者もいない(と思われた)状態だったわけですが、確かにこれだけ中央集権の時代に都を守る魔戒騎士が一人というのは、冷静に考えてみれば不思議な話ではありますが……


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2015.12.26

2016年1月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 今月は20℃超えなどという日もありましたが、今年も残すところあと数日。社会人的には今年の正月休みはきっちり三が日で終わるのが本当に辛いところですが、そんな気持ちを新刊に寄りかかって乗り越えましょう。というわけで、2016年1月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 まず文庫新刊では、奇数月ということで白泉社招き猫文庫。好評シリーズ第3弾の平谷美樹『貸し物屋お庸 娘店主、捕物に出張る』、そして第一回富士見新時代小説大賞受賞者の近藤五郎による伝奇もの『黄金の剣士 島原異聞』が気になるところです。

 また、シリーズものの新刊では、新章突入の芝村凉也『素浪人半四郎百鬼夜行 6 孤闘の寂』、シリーズもはや第9弾の上田秀人『御広敷用人大奥記録 9 典雅の闇』(同月には『織江緋之介見参 3 孤影の太刀』の新装版も登場)、先月の第一弾に続き連続で登場の時代ハードボイルドの片倉出雲『女賞金稼ぎ 紅雀 閃刃篇』、そしてこちらも間は開きましたが第二弾の和田はつ子『鬼の大江戸ふしぎ帖 鬼が飛ぶ』に注目です。

 そして文庫化の方では、『鬼船の城塞』も好評だった鳴神響一『私が愛したサムライの娘』が早くも登場。また、まだ文庫化されてなかったのが少々意外ですが、京極夏彦の『旧怪談』が『旧談』のタイトルで文庫化されます。

 また、夢枕獏の『大江戸恐龍伝』が第5巻&第6巻刊行でついに完結いたします。そして夢枕獏といえば、あの『大帝の剣』がついに完全版の文庫化がスタート。1月は『〈天魔降臨編〉〈妖魔復活編〉』『〈神魔咆哮編〉〈凶魔襲来編〉』が刊行されますが、単行本は少々手に入りにくくなっていただけにまことにありがたいことです。


 そして漫画の方ですが、こちらでも獏先生の作品が完結。睦月ムンクが作画を担当した『陰陽師 瀧夜叉姫』第7巻&第8巻同時刊行で大団円を迎えます。
 その他、唐々煙『煉獄に笑う』第4巻、鷹野久『向ヒ兎堂日記』第6巻、くせつきこ『かみがたり 女陰陽師と房総の青鬼』第2巻と、シリーズものの続刊が続きます。

 また、新登場としては、巻数的には途中ですが昭和編スタートの川原正敏『修羅の刻』第16巻があります。
 もう一つ、かわのいちろうの『舞将真田幸村 忍び之章』は、『バイラリン』のことかと思いますが、いきなりコンビニコミックで登場なのが少々心配ではあります(普通の単行本は……)


 最後に、その他の小説としては、伽古屋圭市の大正ミステリ『からくり探偵・百栗柿三郎 櫻の中の記憶』が登場。毎回とんでもないドンデン返しで驚かせてくれる作者の、初の続編作品ということで、期待が高まります。



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2015.12.25

荻原規子『風神秘抄』上巻 歌舞音曲が結びつけた二人の向かう先に

 笛のみを友として育った孤独な少年・草十郎。平治の乱に源義平の郎党として参加したものの、敗走して皆とはぐれた彼は、思わぬ成り行きで盗賊の一団に拾われる。そんなある日、京で出会った白拍子の少女・糸世の舞と、彼の笛は不思議な共鳴を見せる。果たして二人の出会いは何をもたらすのか……

 いわゆる「勾玉三部作」の荻原規子が、平安時代末期を舞台に描く時代ファンタジー――世界観的には三部作に連なるものですが、内容的には全く独立して楽しめる、心躍る物語であります。

 武士の庶子として生まれて周囲に疎まれて育ち、山中で笛を吹くことだけを楽しみとしてきた少年・草十郎。16歳になり、異腹の兄に見いだされた彼は、平治の乱に源氏方として参加することとなります。
 戦の中で源義平と出会い、その豪放磊落さに心を開きかける草十郎ですが、戦は負け戦。落ち延びる一行から遅れた義平の幼い弟・頼朝を助けようとした草十郎は皆からはぐれ、盗賊団に捕らえられてしまうのでした。

 その時に見せた腕前を買われ、客分のような扱いとなった草十郎。ある意味平和な毎日を送る彼は、しかし久々に足を踏み入れた京で、義平が獄門とされているのを目撃し、絶望するのですが――
 そんな彼が六条河原で目にしたのは、白拍子の少女・糸世が舞う魂鎮めの舞い。そして引き寄せられるように思わず吹き始めた彼の笛の音は舞いと共鳴し、その場に不思議な風と花吹雪を生み出すのでありました。

 糸世に振り回されるうちに、次第に彼女に惹かれていく草十郎。そして、頼朝が捕らえられ、京の平清盛の下に連行されることを知った草十郎は、糸世の力を借りて、頼朝の運命を変えようとするのですが……


 そんな本作を一言で表すとすれば、ボーイミーツガールでありましょう。
 その生まれから孤独な少年時代を過ごし、戦の場でようやく見つけた信頼できる人間である義平を、その直後に失ってしまった草十郎。唯一彼が無心になれる笛も、人に聴かせるためのものではなく、ただ山中の鳥獣に聴かせるのみ……全てを失い、自暴自棄になった――と言っても、その姿に悲壮感よりも、年相応の脆さや危うさを感じてしまうのも彼の面白いところですが――彼を受け止める形となったのが糸世の存在であります。

 ある意味世の枠の外側で暮らす遊芸人、白拍子たちの中でも、特別な力を持つ者として扱われ、勝手気儘に――しかしそれが驕慢さではなく、こちらの年相応の天真爛漫さとも映るのがいい――振る舞う糸世。
 しかし彼女は、自分が持つ力がとそれを用いる役目ゆえに、そしてその力があまりに大きすぎることを自覚しているがゆえに、どこか周囲から一線を引いて生きる身でもあります。

 そんなそれぞれに孤独な少年と少女が、歌舞音曲という共通点を通じて出会い、少しずつ変わっていく……その様が丹念に描かれていくのが、実に心地よいのであります。
(特にこの上巻の終盤、不器用に心を通わせ始める二人の姿は、何とも微笑ましく、読んでいるこちらの頬が緩んでしまうのです)

 そしてもちろん、二人は、ただ二人のみでこの世に存在しているわけでもありません。草十郎を拾った盗賊の頭目・正造、糸世を女神のように崇拝する日満、そしてカラスの王を自称する鳥彦王たちが、彼らを支え、力となっていく――それはすなわち、彼らと周囲の世界の接点となっていくことですが――様もまた、魅力的なのです。

 そしてその世界は、人間の世界に限ったものではありません。上で挙げた鳥彦王――『勾玉』シリーズとの繋がりを感じさせるネーミングであります――は、人の言葉を喋る(といってもそれが理解できるのは草十郎だけなのですが)カラスなのですから。
 そのくせ、草十郎よりもずっと世慣れているのが何とも可笑しく、かなり生真面目な部類に入る草十郎の言動にクチバシを入れる鳥彦王のやりとりは、重い場面も少なくない本作における清涼剤の役割を果たしているのであります。
(特にこの上巻終盤の、草十郎をあたたかく見守り過ぎる鳥彦王には爆笑)


 しかし、他者との、周囲の世界との接点が増えることは、同時にそれだけ危険が増えることをも意味します。物語の背後で不可思議かつ不気味な存在感を見せる後白河法皇が、二人の未来にどのような影響を与えるのか――
 不穏な空気が漂いはじめるこの上巻のラストに続き、下巻でいかなる物語が展開されることになるのか、近々紹介したいと思います。


『風神秘抄』上巻(荻原規子 徳間文庫) Amazon
風神秘抄 上 (徳間文庫)

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2015.12.24

野々宮ちさ『黄昏のまぼろし 華族探偵と書生助手』 「いま」この時に消えた者を追って

 昭和7年、三高に通いながら書生として住み込みで働く庄野隼人は、書生先の主から、高倉伯爵家の次男で作家の小須賀光に引き合わされる。叔父である鹿嶋子爵の秘書探しをすることになった光の助手を命じられた隼人は、光の毒舌と奇人ぶりに手を焼きながらも、手がかりを求めて奔走する。

 少々このブログの趣旨からは外れるかとは思いますが、なかなかに完成度の高い作品でありましたので紹介いたします。昭和初期の京を舞台に、切なくも哀しい物語が描き出されるミステリであります。

 主人公の庄野隼人は、早くに父を亡くしながらも、周囲の人々の助けで三高に飛び級で入学した少年。今は紡績商会の社長邸に書生として住み込みながら高校に通う毎日の彼がある日屋敷で出会ったのは、驚くような美青年でした。
 その青年こそは新進気鋭の小説家・小須賀光こと、高倉伯爵家の次男・敦之。家を出て小説家として暮らしているという彼に社長直々に引き合わされた隼人は、思わぬことに光の助手を命じられてしまうのでありました。

 優れた推理力を持つために、叔父の鹿島子爵から、ある日突然行方不明となった秘書・後藤探しを依頼された光。その耳目代わりとなった隼人は、光の美貌にも似合わぬ毒舌と、放っておけば行き倒れかねない浮き世離れぶりに手を焼きつつ、京を東奔西走することになります。
 その過程で浮かび上がるのは、周囲から壁を作って孤独に生きてきた後藤青年の姿。幼い頃に子爵に引き取られ、我が子同様に育てられ、信頼されてきたにも関わらず、彼は何を想い、どこに消えたのか? 捜査が進むうちに明らかになっていく真実は、やがて隼人自身の周囲にも深い関係を持つことに……


 天才的な推理力を持ちながらも、日常生活能力皆無の変人探偵と、彼に振り回されながらも献身的に協力する愛すべき常人の助手というのは、これはもう探偵ものにおいては定番でしょう。
 そしてその探偵が家族出身の美貌の青年にして唯我独尊の毒舌家、助手が幼さも残るわんこ系の純情少年とくれば、女性向け小説の定番でもあります。

 本作はそんな定番中の定番でありつつも、それに寄りかかることなく、丹念な人物描写と情景描写を積み重ねることで、そこから踏み出してみせる作品。
 行方不明者探し、それも犯罪に関わっているとも考えにくい人物探しというのは、派手な物語にはなりにくいものですが、それをある意味逆手に取るような形で、徐々に主人公たちが探す相手の人物像と、その周囲の人間模様が浮かび上がっていくのは、実に読ませます。

 特に、事件(捜査)に完全に巻き込まれた形だった隼人が、捜査が進むうちに後藤の境遇と自分を照らし合わせ、彼の行方を追うことに熱意を持つようになっていく様、そしてそれとは全く別の形で、彼自身の身にも関わる事件へと変わっていく様など、これが作者のデビュー作とは思えぬほどです。


 しかし私が本作で最も感心した点は、本作が、まさにこの時代この年代を舞台とすることに、確かな必然性があることであります。

 ちょっと極端な話をすれば、華族探偵も書生助手も、それだけであれば、この時代に出す必要はありません。明治でも大正でも、昭和でももう少し前後させても良いでしょう。
 しかし本作は、本作の物語は、「いま」この時、この国が黄昏を迎えつつあった時代でなければ成立しない物語であることが、やがて明らかになっていくのであります。

 魅力的なキャラクターを活躍させるのはもちろん大事なことであります。しかし過去のある時代を舞台にするのであれば、そこに必然性を持たせて欲しい、いやそうしてくれるととても嬉しい……常々そう考えている僕の気持ちを射抜くような趣向はただ嬉しい限り。
 そしてまた、その彼らの「いま」が、我々の「いま」と、どこか重なって見えてくるに至っては、言うことなしであります。


 少しだけ厳しいことを言えば、ミステリとしては――特に探偵ものとしては――光が動かなすぎるという不満はあります。
 その点はあるにしても、それでもなお魅力的な作品であり……それは本作に続き、シリーズの第二作、第三作がさして間を置くことなく刊行されている点からも、察せられるのではないでしょうか。


『黄昏のまぼろし 華族探偵と書生助手』(野々宮ちさ 講談社X文庫ホワイトハート) Amazon
黄昏のまぼろし 華族探偵と書生助手 (講談社X文庫ホワイトハート)

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2015.12.23

碧也ぴんく『特盛! 天下一!!』 語られざる物語、もう一つの「天下一!!」

 現代から織田信長の時代にタイムスリップし、信長の小姓の中に潜り込んだ女子高生・武井虎の恋と冒険を描いた『天下一!!』。本編は二年前に完結いたしましたが、その後に(幾つかは並行して)描かれた番外編が一冊にまとまりました。短編7話にショートコミック8話+αのまさに特盛りの一冊です。

 突然、織田信長の時代にタイムスリップしてしまい、謎のウサギ男から、元の時代に帰るためには、信長を本能寺で生き残らせなければならないと告げられた虎。
 何とか信長の小姓なった彼女は、持ち前の度胸と現代っ子の感性で旋風を巻き起こすのですが、やがて教育役の森乱丸と接近して……

 という本編は、冒頭に述べたとおり大団円を迎えましたが、何しろ舞台も登場人物も有名かつ魅力的、そして描くは時代少女漫画の名手と、三拍子揃った作品だけに、これで終わるのは惜しい……と考えた方も多かったということでしょう。
 折に触れて発表されてきた語られざる物語、番外編が、めでたくここに一冊にまとまったということになります。

 以下、収録作を簡単に紹介すれば……

 一番うつけていた十代の頃の信長と、教育役の平手政秀の物語『御狂いあれ』
 二十代の信長と、彼が最も愛した女性・生駒吉乃との短い触れ合い『夢の間なりとも』
 まだ小姓となったばかりの子供時代の乱丸・虎松・松寿を描く『boyhood』
 宣教師フロイスから見た三十代の信長『King of Zipangu』
 虎にうり二つだった今は亡き小姓・万見仙千代の朋輩の目から見た生き様『君と我とは』
 虎を信長の下に導いた謎の男・無二と愛妻の雲母の出会い『その手を離さないで』
 文字を覚えようと四苦八苦する虎と、彼女を見守る乱丸の姿を描く『きみが教えてくれたこと』

 以上全7話の短編の他、在りし日の仙千代が朋輩や後輩たちを振り回すショートコミック『信長様とお小姓Boys』全8話が収録されております。


 番外編ということで、ラストの『きみが教えてくれたこと』を除けば、虎はほとんど登場しない本書の収録作。つまり描かれるのは、「この時代」の人々の物語であります(もう一編、『その手を離さないで』が例外となりますが、こちらは後述)。
 その点からすると、ある意味普通の歴史漫画という印象もなくはありません。

 『天下一!!』という作品は、現代っ子の虎から見た信長とその時代の物語。ボケでもありツッコミでもある彼女を通じ、描き出されていく(誘われていく)信長たちの姿が本作の最大の魅力であったと感じますが、その視点がないのは、個人的には少々残念であります。(特に信長が主人公のエピソードは、上様があまりにも真っ当に格好良すぎて……と言っては怒られるでしょうか)

 が、そんなひねくれた読者の眼を覚ましてくれるのは、万見仙千代の活躍。本編では既に個人であり、「あの人」という扱いだった仙千代の姿が描かれるのは番外編ならではですが、さまで多くはない彼の事績を踏まえつつ描かれる彼の姿は、小姓たちの青春ライフという本作のもう一つの魅力を浮かび上がらせるものでありましょう。
 完全にギャグの『信長様とお小姓Boys』での暴れっぷりも相俟って、本書の影の主人公という印象です。

 そしてもう一作、私のようなひねくれたファンも驚いたのが『その手を離さないで』であります。
 この時代にやってきたばかりの虎を救い、彼女を小姓に仕立てて信長の下に送り込んだ無二と、彼を支える雲母の馴れ初めが描かれるのですが……いやはや、まさかこの時代が舞台となるとは。

 確かに、実は無二は虎とは同様の身の上。その点を考えれば、確かにこういう物語も可能であったか……と、舞台設定に驚かされるだけでなく、それぞれに孤独を抱えてきた二人が出会い、歴史の荒波の中で互いの手を取り合うというドラマが実にいい。
 本編では苛烈な役回りの多かった無二ですが、彼のまた異なる側面が見える――あるいはあり得たかも知れないもう一つの『天下一!!』として、大いに楽しめました。


 さて、ついにこの特盛をもって、『天下一!!』も完結かと思いますが……しかし虎の、そして彼女と仲間たちの冒険は、どこかで続いていくのでしょう。まだまだ、どんどん行っている彼女たちに幸あれと、そんな気持ちになる一冊であります。


『特盛! 天下一!!』(碧也ぴんく 新書館ウィングス・コミックス) Amazon
特盛! 天下一! ! (ウィングス・コミックス)

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2015.12.22

片倉出雲『女賞金稼ぎ 紅雀 血風篇』 美しき復讐行の幕開け

 うら若い女の身で裏世界にその人ありと知られる賞金稼ぎ・紅雀。元は武家の娘であった彼女には、凶族・高波六歌仙に両親と弟を皆殺しにされた過去があった。老抜け忍の下で修行を積み、復讐の旅に出た彼女が訪れたのは本庄の宿。そこでは高波六歌仙の一人が宿役人の屋敷に立て籠もっていたが……

 久々の片倉出雲の登場であります。
 時代ハードボイルド『勝負鷹』シリーズを引っ提げて登場した覆面作家・片倉出雲。ベテラン作家の変名と言われ、それも納得の独創的かつ魅力的な物語を矢継ぎ早に発表してきた作者は、しかしこの数年新作を発表することなく、寂しい想いをしていたのですが……ここに復活したのであります。

 そんな待望の本作は、もちろん時代ハードボイルド。帯に記された「「修羅雪姫」の凄み×「キル・ビル」の迫力」の煽り文句が全てを物語る、バトルヒロインの鮮烈な復讐行が展開されることとなります。

 中山道は本庄宿――番所の高札に「助け求む」の張り紙が出され、それを目当てに無数の賞金稼ぎたちが集まり、一触即発の空気となったそこに、一人の股旅姿の人物が現れたことから物語は幕を開けます。
 自分に絡んできた三人組の賞金稼ぎを瞬く間に屠ったその人物こそは、本作の主人公・紅雀――うら若き女性ながら数々の殺人術を身につけ、賞金首たちから恐れられる彼女もまた、他の賞金稼ぎ同様、宿の宿役人・風屋喜兵衛の下にやってきたのであります。

 数日前から、風屋の娘を人質に屋敷に立て籠もっているという凶賊。彼らを討ち、娘を取り戻すために、紅雀は莫大な賞金で招かれたのですが――しかしそこで待ち受けていたのは思わぬ出会い。そう、立て籠もっている犯人は、彼女の仇である・高波六歌仙の一人だったのです。

 元は高崎藩勘定吟味役の娘・お香として生まれた紅雀。なに不自由なく育ってきた彼女は、しかしある晩突如屋敷を襲ってきた六歌仙一味により、全てを奪われてしまったという過去を持っておりました。
 弟に庇われ、深手を負いながらも只一人生き延びたお香は、抜け忍にして賞金稼ぎの男・黒鳶に助けられ、彼の弟子として、復讐の一念から苛烈な修行を乗り越えたのであります。

 かくて、賞金稼ぎとして旅を続ける傍ら、六歌仙の手がかりを追って旅を続けてきた紅雀。そしてついにここ本庄宿で、その一人・天城の深十郎を追いつめたのですが――


 ハードでドライな世界観と物語、そして緻密かつ派手なアクションが満載の片倉作品。しかしその魅力はもう一つ、主人公が挑む事件の背後に存在する謎の存在――一種のミステリ的趣向にもあると感じます。
 そしてその魅力は、本作でも健在であります。

 果たして深十郎は何故本庄宿を襲ったのか。そして逃走せずに風屋の屋敷に立て籠もっているのか。何故風屋は八州廻りなどの役人を呼ぶことなく、紅雀たち賞金稼ぎを集めたのか……
 アクションの陰でつい見過ごしてしまいそうになるこれらの謎に回答が与えられ、そこからさらに物語が広がっていく終盤のどんでん返しはなかなかのインパクトであります。

 意外とあっさりと決着がついたと思いきや、そこから幕が上がる真のクライマックスも、まさしく「血風」の語に相応しい大殺陣と言えるでしょう。


 シリーズ第一弾であり、物語の基本設定である紅雀の過去を描く部分に分量を割いたことで、物語構造自体は――上に述べたとおり、捻りを巧みに効かせつつも――いささかシンプルな印象もある本作。

 しかし、紅雀の復讐行はまだ幕が上がったばかり。残る六歌仙は何処に、そして彼女の死闘の行方は……物語の続きは早くも来月、二ヶ月連続刊行で登場であります。


『女賞金稼ぎ 紅雀 血風篇』(片倉出雲 光文社文庫) Amazon
女賞金稼ぎ 紅雀 血風篇 (光文社時代小説文庫)

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2015.12.21

逢巳花堂『一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア』 降臨、美しき一〇八の魔星たち!

 ライトノベルで水滸伝であります。それも本気の! ……といきなりテンションが上がってしまいますが、このような作品の登場に、マニアとしては黙ってはいられません。「宋」国を舞台に、一〇八の魔星の力を得た乙女たちを巡り、「燕青」と「林冲」が繰り広げる冒険を描く意欲作であります。

 かつて天から降り、殷王朝を滅ぼしたという一〇八の魔星。それがこの宋に降るのを目撃した皇帝は、星見の巫女から、このままでは二年の後に、魔星を宿した乙女たち・仙姑によって宋は滅ぼされるとの予言を受けます。
 その予言を裏付けるように、最初の仙姑・魯達により一つの城市が壊滅。かくて皇帝の命により、討仙隊が結成されることになります。

 総隊長・高・と副隊長の陸謙の下に集められた陳希真、燕青、林冲(女性)、トウ元覚(女性)といった隊長たちは、いずれも持ち主に一人一芸の異能を与える宝貝の遣い手。その中でも最強の遣い手が燕青と林冲ですが――しかし二人にはそれぞれ秘密がありました。

 物体の影に潜み、移動する太隠剣を操る少年・燕青。討仙隊の前身たる治安維持部隊・蕩寇隊時代から活躍してきたという彼は、しかし天から落ちた一〇八番目の魔星と遭遇した際にそれ以前の記憶を失っていたのであります。
 そして自在に伸縮する蛇矛の遣い手である美少女・林冲。これまで、史進・楊志と強大な力を持つ仙姑を倒してきた彼女は、しかし自身もその身に魔星を宿す仙姑だったのであります。

 そんな不安材料を抱えつつも、林冲の妹であり、燕青が思いを寄せる少女・小倩と三人、それなりに平和な暮らしを送る燕青と林冲。しかし、僧に身をやつした魯達が都に潜入したという報が、彼らの運命を大きく動かしていくことになります。


 「百八星が女体化」「敵は百八星」「百八星が一人一芸の能力者」……これら本作のコンセプトは、実を言えば、個々のレベルでは先行する作品が存在いたします。しかしこれら全てを一つにまとめ、破綻なく物語を作り上げているのは、本作を於いて他にありますまい。

 それを可能にしているのは、まず第一に、これがデビュー二作目とは思えぬほど安定した作者の筆致によるものであることは間違いありますまい。
 しかしそれと同時に、そしてそれ以上に、作者の水滸伝愛によるところ大であると、強く感じます。

 一種の水滸伝リライトとして、原典の物語展開、キャラクター設定と配置を踏まえて描かれる本作。水滸伝リライトとしては、そこでどの程度原典を活かし、そしてどの程度そこを踏み出してみせるか、その点こそが面白さを左右するわけですが……そのさじ加減が本作は絶妙なのです。

 そもそも一〇八人の豪傑を女体化する自体、冷静に考えてみれば――馬琴先生のように豪腕で正面突破でもしない限り――かなりの難事なのですが、本作はそれを巧みにクリア。なるほど、林冲が、魯智深が女性だとこうなるなあ(後者はかなり想像しやすいですが)と原典ファンでも納得の造形であります。

 そして彼らの辿る運命も、原典のそれを踏まえつつも――登場人物で察しが付くとおり、本作は原典の林冲受難のくだりがメインとなっています――いい意味でライトノベルらしく、破天荒な展開なのが楽しいのです。

 原典読者であれば首を傾げるであろうトウ元覚の登場も、物語上でなるほど、と膝を打つような意味がありますし、そして何よりも、「蕩寇」隊の「陳希真」など、かなりのマニア向けの題材をさらりと入れてくる辺り、作者自身の水滸伝愛と本気度が伝わってくるのです。
(野暮を承知で説明すれば、陳希真は、本邦未訳の水滸伝アフターストーリー『蕩寇志』で梁山泊討伐に当たる人物であります)


 しかし、そんな中で燕青がここで、この役割で登場することだけが――ちょっと斜に構えた熱血漢というキャラクターも含めて――違和感があるといえばあるのですが……それはおそらく、いやまず間違いなく、本作ならではの仕掛けが用意されているのでありましょう。

 本作の時点ではそれは未だ語られておりませんが、それもまた楽しみというもの。これから先、おいしいキャラクターと題材が山盛りの物語を、作者がどのように料理してみせるのか……今は期待しか感じられません。

『一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア』(逢巳花堂 電撃文庫) Amazon
一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア (電撃文庫)

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2015.12.20

武内涼『吉野太平記』の解説を担当しました

 先日発売された『この時代小説がすごい! 2016年版』の文庫書き下ろし部門において第一位を獲得した武内涼。それとほぼ時を同じくして刊行された最新作『吉野太平記』の解説を執筆いたしました。混沌たる室町時代を舞台に、忍者たちが激闘を繰り広げる、この作者ならではの大作です。

 これはファンの方には言うまでもないことですが、作者はデビュー以来、矢継ぎ早に忍者ものを、それもワンアンドオンリーの快作を発表してきた作家であります。
 漫画、ゲーム、特撮と、今なお人気の存在でありつつも、小説の分野においては、実はここ数年、想像以上に扱われることが少ない忍者。その忍者を主たる題材にしてきた作者は、まさに当代切っての忍者小説の第一人者と言えましょう。
(尤も、冒頭に述べた『妖草師』が忍者小説ではなく、忍者もののみが作者の才能ではないことは言うまでもありません)。

 そして本作は紛れもなく、そんな作者の、量・質ともに現時点における最高傑作であると、断言できます。


 と、恐縮ですがあまり長々と書いてしまうと、解説の内容と重なってしまいますので、ここでは本作のあらすじを簡単に紹介するに留めましょう。

 後南朝一党が禁裏に乱入し、神器を奪うという前代未聞の事件・禁闕の変から14年――南朝正統の血を引く自天王を奉じ、吉野山中で天下を二分する大乱の準備を着々と進める楠木流の上忍・楠木不雪。かつて禁闕の変で対峙した禁裏の忍び・村雲党の本拠を襲撃、大打撃を与えるなど、着々と乱の布石を打つ不雪ら後南朝に対し、禁裏は一つの反撃の策を講じることになります。

 それは、後南朝の本拠たる吉野に信頼の置ける人物を送り込み、後南朝内部の和平派を見つけ出した上で彼らと結び、後南朝を内側から瓦解させること――
 その潜入役として選ばれたのが、かつて南朝方についた日野家の縁戚であり、そして将軍義政の正室・日野富子の妹である幸子。そしてその幸子を守る警護の士として選ばれたのは、一族最強の腕を持ちながらも、故あって放逐されていた村雲兵庫でありました。

 かくて、幸子を守り、吉野に潜入せんとする兵庫ら村雲忍者ですが、後南朝の本陣に至るには、吉野山中に潜む一騎当千の遣い手たる三人の番人を見つけだし、そのテストをクリアする必要があったのです。
 果たして、自分たちの素性と任務を隠しつつ、番人たちのテストをクリアできるか。そしてできたとして、本当にいるかもわからない和平派を見つけだし、彼らと結ぶことができるか……困難というも生温い不可能ミッションに、兵庫と幸子は挑むのです。


 魅力的な人物・事件が目白押しでありながらも、しかしそのあまりに混沌とした状況故か、フィクションの題材となることが――戦国時代を含めなければ――相当に少ない室町時代。
 本作は、そんな味わい深くも扱いの難しい材料を、その持ち味を殺すことなく、ありのままの姿を描き出しつつも、同時に血沸き肉躍る活劇として成立させています。

 そんな離れ業を可能としたのは、作者の得意とする「忍者」という題材であることは言うまでもありません。そしてその忍者である兵庫と同時に、聡明でありつつもごく普通の少女である幸子を主人公とすることで、本作は物語に更なる深みを与えることに成功しているのです。
 それは政の、それを為す者の真の役目――人々が幸せに暮らすために果たすべきものは何かという問いかけであり、戦いを避けるための、戦いをさせぬための戦いを描く本作に相応しい問いであり、答えなのであります。


 あらすじを簡単にと言いつつ、色々と述べてしまいましたが、それに足るものを確かに持つ本作。
 これは私が解説を書いたから言うわけではなく、作者の作品の大ファンとして申し上げるのですが、少しでも多くの方に読んでいただきたい作品であり――作者が『この時代小説がすごい! 2016年版』第一位を得たのは、ある意味当然の結果であることを、確認できる作品でもあります。

 是非、ご一読を。


『吉野太平記』(武内涼 角川春樹事務所時代小説文庫 全2巻) 上巻 Amazon/ 下巻 Amazon
吉野太平記〈上〉 (時代小説文庫)吉野太平記〈下〉 (時代小説文庫)

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2015.12.19

南條範夫『わが恋せし淀君』 ギャップの先のリアリティ

 これまでこのブログでも紹介してきたように、タイムスリップものというのは、作品数で言えば、時代ものの一つのサブジャンルといってよいでしょう。本作はその中でも古典の一つ、タイトル通り淀君に熱烈に恋した現代人がタイムスリップして念願を叶えようという、可笑しくも哀しき物語であります。

 主人公の誠之助は、とりえといえば(現代では古風に過ぎる)優男面だけで、あとはどこにでもいるような、しがない安月給の編集者。そんな彼が人と異なるのは和服の年上女性が好きという好みであり――そしてその理想は、かの淀君だったのであります(淀殿ではないか、などと野暮は言わない)。

 年上過ぎる……というより、もちろん高いにもほどがある理想ですが、淀君こそは最高の女性と信じて疑わない彼は、取材にかこつけて大阪城を訪れ、そこで淀君のことを想ってため息をつくのですが――

 果たしてその想いが奇跡を起こしたか、偶然見つけた石垣に開いたトンネルに潜り込んだ彼が出た先は、その淀君がいた頃の大坂城!
 不審者としてただちに捕らえられてしまった彼は、ない知恵を絞って自らをザビエルの孫・シメオンと称し、退屈しのぎに買っていた大坂の陣の歴史書を元に予言を行うことで、釈放どころか、城内出入り御免の身分を手に入れるのでありました。

 時あたかも豊臣と徳川の手切れ目前、大坂城には真田、後藤、宇喜多、明石等々、綺羅星のような豪傑が入城し、戦の機運は盛り上がるばかり……と思いきや、城内の雰囲気はかなり呑気なもの。
 淀君は淀君として、自分の好みの和服美女揃いの奥女中たちに囲まれた誠之助は、その(この時代にはぴったりの)美貌と、現代の書物で仕入れた(そちらの方面の)知識とテクニックで以て、たちまち奥女中の間で引きも切らない人気者となります。

 そんな中、淀君と対面する機会を得た誠之助。そしてついに、憧れの淀君の寝所に招かれた誠之助は――


 と、今読み返してみると、ほとんど異世界転生ハーレムもののようなノリの本作。真面目な方は、これだけで怒り心頭となりそうですが、しかし本作が今でも十二分に楽しめるのは、本作の骨格が、あくまでも歴史ものとして、確たるものがあるからでありましょう。
 そう、確かに誠之助の存在はあるものの、大坂の陣に関する事件の、人々の描写は、歴史小説としてのそれを外れるものではない――というより、かなり丹念に描かれたものであります。

 史実を踏まえて誠之助は予言者として行動することを考えれば、それはある意味当然ではありますが、しかしそれが逆に、タイムスリップなどというものが根底にある本作にリアリティを与えているのも事実。
 そのギャップが、本作の魅力の源泉と呼んでも良いのではないでしょうか。

 とはいえ、もちろん本作ならではの歴史観、人物観があることも言うまでもありません。本作のそれは、あるいは淀君史観とでも申しましょうか――大坂城に籠もる男たちの多くは、淀君ラブに凝り固まった状態なのであります。

 本作の淀君は、誠之助の夢想通りの絶世の美女ではありますが、しかし同時に美男・美少年には目がない貪欲な女性。そんな彼女を恋い慕い、お眼鏡に叶った男たちはもちろん淀君の虜となりますし――
 相手にされなかった男たち(片桐且元や織田有楽斎など)は、その拗けた想いから思わぬ行動を起こすというのは、可笑しくも同時にどこか納得できるものがあります。
(その中で、あくまでも家康と真っ向勝負することだけを望む真田幸村や、闘争心の固まりのような大野主馬のキャラクターは逆に印象に残るのも面白い)


 しかし最も興味深いのは、そんな本作の作者が、同時に武士道残酷ものの第一人者であるということでしょう。どちらもコインの裏表と見るべきか、この野放図でしかし人間的な時代の先に生まれたのが残酷の世界であったと思うべきか……
 深読みのし過ぎではありましょうが、しかしそれ自体、何とも示唆に富むように感じられるのです。


『わが恋せし淀君』(南條範夫 講談社大衆文学館) Amazon
わが恋せし淀君 文庫コレクション (大衆文学館)

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2015.12.18

高橋克彦『鬼』 怪異の陰に潜む人間の意思

 ミステリ、ホラー、SFと様々なジャンルで活躍してきた高橋克彦の作品において、時代小説もかなりの割合を占めるのは言うまでもありません。その中でも独特の位置にあるのが陰陽師もの。これまで様々な出版社から刊行されていたものが、日経文芸文庫から決定版として刊行された第1巻目であります。

 作者の陰陽師ものは、長短交えたものがありますが、共通するのはタイトルに「鬼」の文字が冠されていること。魔物の代表選手とも言うべき鬼ですが、本シリーズに登場するそれは、現し身を持った魔の象徴であると同時に、人間の心が生み出した魔を指すものとも言えましょう。

 そのシリーズ第1巻目となる本書は、そのものズバリのタイトルを冠した短編集。平安時代中期のおよそ120年間を舞台に、滋丘川人・弓削是雄・賀茂忠行・賀茂保憲・安倍晴明といった大陰陽師たちがそれぞれ主役を務める以下の5つの短編から構成されています。

『髑髏鬼』
 先だっての応天門の炎上の背後に、道鏡の怨念が絡んでいるのではないかと恐れる大納言・伴善男の依頼により、下野に向かった滋丘川人と弓削是雄。そこで眼窩から木が生えた生ける髑髏を見つけた川人だが、その髑髏鬼の証言から意外な真相が明らかになる。

『絞鬼』
 蝦夷に対する最前線である胆沢鎮守府を預かる小野春風のもとを訪れた弓削是雄。現地で出没するという、婦女子を食い散らかし、押し絞るような声を出す絞鬼の正体とは果たして蝦夷の怨念なのか。

『夜光鬼』
 清涼殿に雷が落ち、醍醐帝が崩御した陰に囁かれる菅原道真の怨霊。陰陽頭・秦貞連の命で羅城門に現れた鬼の調査に向かった賀茂忠行は、そこで夥しい数の片方だけの履き物を見つける。貞連はそれを異国の鬼・夜光鬼によるものだと語るが……

『魅鬼』
 関東を騒がせた末に浄蔵の祈祷に封じられ、討ち取られた平将門。都で晒されたその首がいつまでも腐らないという噂を調査に向かった賀茂忠行と保憲・晴明は、哄笑するその首が鬼に持ち去られるのを目撃する。果たして真に将門公は怨霊となったのか?

『視鬼』
 天変地異が相次ぎ、数多くの人命が失われた京。そんな中、安倍晴明の前に現れた藤原保昌は、近頃都を騒がす盗賊・袴垂保輔が、昨年捕らえられて自決した弟・保輔の怨霊ではないかと語り、魂寄せを依頼する。果たして保輔の語る言葉は。


 以上、怨霊の存在が半ば公的に語られた時代らしく、世間を騒がした事件の背後に潜むものに、陰陽師たちが挑むという趣向が共通するシリーズですが――しかし、本書の収録作の特徴は、それだけにとどまりません。

 これは内容の詳細にも踏み込みかねない表現で恐縮なのですが、各作品で描かれる怪事の背後にあるのは、鬼や怨霊たちの存在(のみ)ではありません。そこに存在するのは、生きている人間の明確な意思なのであります。

 人が一番恐ろしい……という言葉に私は必ずしも与するものではありませんが、この世に在らざる者、死せる者たちよりも、生ける者の方が、この世に害を為すことが多いのは納得のいく話。
 一歩間違えると興ざめになりかねぬその構図を、本作は作者の原点ともいうべきミステリの趣向を活かしつつ、平安時代を舞台に巧みに構築していると感じます。もっとも、全作品ほとんど同じ構図になっているのは、短編集とはいえいかがなものかとは思いますが……

 そんな本書の中で特に印象に残ったのは、ラストの『視鬼』。考えてみると謎が多い(保輔が盗賊として追討されながら官位を保っていた点も含めて)袴垂と藤原保輔の同一人物説(同一人物観)について、一つの回答を提示してみせた本作は、時代ミステリとしても楽しめるものであったと感じた次第です。


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鬼 (日経文芸文庫)

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2015.12.17

『牙狼 紅蓮ノ月』 第9話「光滅」

 手元不如意となり、やむなく番犬所から仕事の周旋を受けた雷吼は、光を吸い取る炎羅と対峙することとなる。炎羅を倒したものの、黄金の鎧の光を吸い取られた雷吼は、人が変わったように粗暴な振る舞いを見せる。雷吼を救うため、星明が訪れたのは、かつての師・道摩法師の下だった……

 アバンタイトルで描かれるのは、少女時代の星明。第7話で語られた母の一件で安倍家を飛び出した彼女は、自己流で炎羅相手に腕を磨いていたのであります。しかし素質はあるとはいえまだ子供、窮地に陥った彼女を救ったのは、現在は道摩法師を名乗る男。魔物を倒すための力を手にするため、弟子入りした彼女に、道摩は「星明」の名を与えるのでありました……

 と、時は移って現在、金に困って食うや食わずの状態となった雷吼は、番犬所の稲荷のもとに、仕事の無心に出かけます。(前々回の星明といい、微妙に所帯じみた彼ら……)
 そこで与えられた任務は、何やら厄介な炎羅退治。巨大な眼のような姿で、光を吸い取り闇を生み出す炎羅に対し、早くも黄金の鎧をまとって立ち向かう雷吼ですが……

 いつもより早く変身したり必殺技を使った時は危ない、の法則はここでも当てはまり、何と鎧の光を炎羅に吸い取られてしまう雷吼。ザルバの助言で何とか倒した時には既に全ての光は失われ、即席の暗黒騎士が誕生してしまうのでした。
 そのまま意識を失った雷吼の身を案じるも、しばらくして彼が目を覚ましたことに安堵する金時ですが……しかし、目覚めた雷吼は、普段の折り目正しい好青年とはまるで別人。ガツガツと大量に飯を喰らう、牛車の姫君をナンパする、喧嘩と見るや飛び込んで被害を増やす――挙げ句の果てに強請りまがいのことまでして大金を手にするとやりたい放題であります。

 稲荷から、雷吼の異変は鎧に染み込んだ闇の邪気を吸い込んでしまったためであり、やがて彼の正気も失われてしまうと聞かされた星明は、術で雷吼を縛すると、単身、闇を操る力を持つ術師のもとに向かうのでした。そう、かつての師・道摩法師のもとへ。

 しかし道摩法師といえば、あちこちで炎羅の封印を解いて回る芦屋道満の師。すなわち星明と道満は姉弟弟子ということになるわけですが……この手の師弟・弟子同士の関係が円満なはずもありません。星明に敵意をむき出しにする道満ですが、しかし道摩は星明を迎え入れます。
 かつて師弟を超えた関係にあった星明の身が、光も闇も受け入れることができることを知る道摩。その彼から、闇を自分の体の中に取り込んで封印せよと術を授けられる星明ですが……しかしそれは己の身が、決して消えない闇に侵されるということでもあります。

 冒頭に述べたとおり、かつて彼女は「星明」の名を与えた道摩。闇の中に輝く星明かりがあればこそ、闇はより深まる――光を用いて闇を強めんとする道摩ですが、しかし一片の光も認めないという道満は、師とはまた別のものを目指している様子……

 という、おそらく今後の重要な伏線であろう部分はさておき、逃げ出した雷吼は半ば正気を失ったような状態。そこに駆けつけた星明の言葉で牙狼の鎧を召喚したものの、その身はやはり暗黒騎士状態で……
 と、その状態の雷吼を抱きしめ、闇を自分の中に取り込んでいく星明。肩口を牙狼の牙に噛みつかれても(こういう使い方は面白い)離さず抱きしめ続けた星明の力で、ついに鎧は黄金の輝きを取り戻すのでありました。

 元の快活な青年に戻った雷吼と、それを喜びはしゃぐ金時。しかし星明が、その身に生涯消えることはない闇を取り込んだことも知らずに――


 お堅い雷吼が自分の欲望剥き出しに変わってしまい、ギャグ的な面もある今回ですが、やはりメインとなるのは、星明と道摩のドラマ。その出自と戦う理由が描かれ、大体の過去は語られたかに見えた彼女ですが、その師が実は道摩だったのには驚きであります。

 そしてその道摩も単なる親切心や愛情で彼女を育てたのではなく、そこに彼なりの打算というか、闇を求める心があるのも興味深いところ。『牙狼』という物語は、魔戒騎士・魔戒法師も含め、闇と光の間で揺れる人々の姿を様々な形で描いてきましたが、それは本作においても共通というところでしょう。

 それにしても本作の雷吼と星明の、相棒のような姉弟のような、親友のような恋人のような……はないかもしれませんが、独特の関係性は面白い。己の身を闇に染めつつも雷吼を救おうとする星明の想いの根幹がどこにあるのか――その点も気になるところであります。



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 『牙狼 紅蓮ノ月』 第2話「縁刀」
 『牙狼 紅蓮ノ月』 第3話「呪詛」
 『牙狼 紅蓮ノ月』 第4話「赫夜」
 『牙狼 紅蓮ノ月』 第5話「袴垂」
 『牙狼 紅蓮ノ月』 第6話「伏魔」
 『牙狼 紅蓮ノ月』 第7話「母娘」
 『牙狼 紅蓮ノ月』 第8話「兄弟」

関連サイト
 公式サイト

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2015.12.16

石ノ森章太郎『買厄懸場帖 九頭竜』 復讐と伝奇活劇の先にあったもの

 売薬の行商人として諸国を回る男・九頭竜。彼には、「買厄」――金で厄介事を引き受ける買厄人という裏の顔があった。そんな彼の目的は、自分の出生の秘密と、母の仇を探すこと。唯一の手がかりである九頭竜の前金物を知る者を探し、放浪の果てに彼が知った驚くべき真実とは……

 現在、『コミック乱』誌において、宮川輝により『買厄懸場帖 九頭竜 KUZURYU』のタイトルでリメイク中の(そして以前にはさいとう・たかをにより『買厄人 九頭竜』のタイトルでリメイクされた)作品であります。
 宮川版を紹介する前に、オリジナルを紹介せねばと慌てて手に取った次第です。

 本作のタイトルとしてまず目に飛び込む「懸場帖」とは、懸場――薬の行商人が薬を得意先に預け置いて(いわゆる富山の置き薬)回る地域――の顧客帳簿。
 得意先の氏名や売った薬の内容・金額等が記されたその帳簿は、売薬商人にとっては薬そのもの以上に大事な商売道具であり、時に売買の対象ともなったものでありました。

 主人公・九頭竜はこの懸場帖を手にした売薬商人ではありますが、彼の稼業は「売薬」と同時に「買厄」――一件九十両であらゆる厄介事の始末を請け負う、時には殺しも躊躇わずに行うのが、彼のもう一つの商売であります。
 本作は、そんな九頭竜が諸国を放浪する中、様々な「買厄」の中で出会った人間模様を描く連作シリーズですが――やがて物語は徐々に彼の真の目的を語り出し、そして驚くべきスケールの真実へと繋がっていくこととなります。


 物心ついた時時には母親をはじめとする周囲の全ての人間を喪っていた九頭竜。彼に残された最初の記憶は、惨殺された母の死体の下で息を潜めていた時のものであり、彼は何者かによる大量虐殺の唯一の生き残りだったのであります。
 とある修験者に拾われた彼は、母が握っていた「九頭竜」の前金物からその名を取って九頭竜と呼ばれ、長じて後、行商人の姿で己の過去と九頭竜の秘密を求めて旅を始めたのでした。

 買厄の依頼が来るたびに、依頼人――すなわち、後ろ暗いところを抱えた者たち――にこの前金物を見せつけ、反応を探る九頭竜。
 やがて彼が知るのは、前金物が全部で9枚存在すること、そしてそこにはこの国の歴史を動かすほどの巨大な秘密であり……そしてその秘密を求めて、様々な勢力と彼の死闘が始まることとなります。


 と、一種の裏稼業ものから始まり、あれよあれよという間に途轍もない伝奇活劇とスケールアップしてみせる本作。
 そのどちらも実に魅力的なのですが(九頭竜の、製薬道具を用いた殺陣が面白い)、しかしその両者を貫く、どうしようもなくドライで重い空気が、強く印象に残ります。

 本作の舞台となる大部分は、都市部ではなく、山村・農村といった辺土。売薬の行商人が回る土地ということを考えれば、それはある意味当然かもしれませんが、しかしそこで展開する物語は、勢い暗く重いものととなることになります。
 そして九頭竜の目的たる復讐という行為もまた、そこに明るさや温かさが挟まる余裕がないことも言うまでもありません。彼の戦うべき相手が何者であろうとも、彼の目的が正義のためではない以上、そこに熱さや高揚感というものもないのであります。
(もっとも、正義のヒーローですら、重い重い荷を背負わされるのが石ノ森作品ではありますが……)

 そんな本作に漂うものは、作中の言葉を借りれば「愚かしいまでの善良さと 善良さにつけこむ狡猾さ」の二つ。
 そしてそのどちらに寄ることもできず、「そのどちらもが持つ脆さの気色悪さに」吐き気を催すしかない九頭竜が旅の果てに掴んだのは、やはり索漠たるもののみですが――しかしそれがあまりにも良く似合うとしか言いようがない、そんな物語であります。


『買厄懸場帖 九頭竜』(石ノ森章太郎 講談社石ノ森章太郎デジタル大全 全3巻) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon/ 第3巻 Amazon
買厄懸場帖 九頭竜(1) (石ノ森章太郎デジタル大全)買厄懸場帖 九頭竜(2) (石ノ森章太郎デジタル大全)買厄懸場帖 九頭竜(3) (石ノ森章太郎デジタル大全)

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2015.12.15

西條奈加『千年鬼』 千年の罪と罰の先にあったもの

 人に過去を見せる力を持ち、人に宿った鬼の芽が弾けぬうちに集めることを使命とする小鬼と黒鬼の、タイトル通り千年に及ぶ旅路を描く連作ファンタジー、人の情と業のやるせなさを描きつつも、その先に希望の光を見いだそうとする、暖かく美しい作品集であります。

 暴れ馬によって母が死に、父も寝たきりとなったため、通い奉公をすることになった幸介。周囲からはいじめを受け、ろくに食事も与えられない彼は、ある日店のお嬢さんからもらった三粒の豆を、自分よりもひもじそうな三人の子供に譲ります。
 実は自分は鬼だと言い、豆の礼に一度だけ見たい過去を見せてやるといういう子供たち。それに対し、幸介は暴れ馬が自分の父母を奪った瞬間を見せて欲しいと頼むのですが……

 そんな『三粒の豆』から始まる本作は、様々な時と場所で繰り広げられる人と鬼の物語。
 共通するのは、心のどこかに――時に自分も気づかぬままに――悲しみや恨みを持った人間と、その者たちの前に現れる小鬼と黒鬼の存在であります。

 無垢な者が罪を犯すことで生まれ、そして押し込められた負の感情を糧として育ち、やがて弾けてその者を二本の角を持つ「人鬼」と変えるという鬼の芽。
 一度変化すれば二度と人には戻れず、ただ憎悪と怨念のままに暴れ回り人々を殺め、世に新たな諍いと怨念を招くという人鬼の誕生を未然に防ぐため、小鬼たちは、その芽を集めて回っていたのであります。
 第一話に続く、以下の物語のように――

 小鬼の過去見によって自分の恋人を殺した犯人を知り、その男を側仕えとして虐待する姫君が知る真実『鬼姫さま』
 気難しい老婆と出会った小鬼が、彼女に懐いていた子供が何者かに殺された時の模様を見せる『忘れの呪文』
 飢饉が続き追いつめられた果てに、かつて鬼となった男を祀る社に、自分も鬼にしてくれと祈る男を描く『隻腕の鬼』……

 それぞれが悲しく切なくも、しかし人の情の暖かさを感じさせてくれる良質のファンタジーが綴られる本作の前半部。
 自分自身の力ではどうにもならぬ、理不尽な悲しみ、苦しみに翻弄された末に鬼の芽を育てることとなった人々が、過去見によってその源を知ることにより、それと対峙し、乗り越えていく姿を、本作は時にコミカルに、時に暖かく描き出します。
(ちなみに過去見の原理が、ファンタジー的であると同時に妙にロジカルなのが楽しい)


 時系列を前後させてこれらの物語を描いていく本作は、しかし中盤を過ぎて、その真の姿を見せていくこととなります。
 小鬼と黒鬼は何故、何のために――それも千年の長きに渡って――鬼の芽を集めているのか。その理由として描かれるのは、小鬼と一人の少女の罪、誰が悪いわけでもない、あまりにやり切れぬ理由から犯された罪――本作はその贖罪の物語であったのです。

 我々人間から見れば、それはあまりにも理不尽で、重すぎる罪と罰であります。それを下した者に、怒りの念を禁じ得ないほどに。 しかしそれでもただひたむきに――己の心身を文字通り削りつつも――贖罪のために奔走する小鬼の姿は、そして彼の行動の結果は、同時に強い感動を生み出します。


 正直に申し上げて、後半(特に最終話)の展開が些か性急な印象はあります。人によっては、時系列が前後する構造にネガティブな反応を示す方もいるでしょう。
 しかしそれを補ってあまりあるほどの感動を、本作は与えてくれます。

 もちろんそれは、個々の物語の完成度、そしてそれを束ねる構造の巧みさから生まれるものであることは間違いありません。しかしその感動を真に生み出すものは、人間という、時と歴史の流れの前ではちっぽけな存在が時に見せる、希望の光の存在でありましょう。


 一見、あまりに残酷で切ない本作の結末。しかし本作はその先にあるものを……いや、本作の物語の果てに生まれたものをも描き出します。
 そしてそこに至り、もう一度本作の表紙絵を見れば――何とも言えぬ、しかし決して不快ではない感情が生まれるのであります。


『千年鬼』(西條奈加 徳間文庫) Amazon
千年鬼 (徳間文庫)

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2015.12.14

山田正紀『桜花忍法帖 バジリスク新章』上巻(その二) 人間性を否定する者への怒り

 山田風太郎の『甲賀忍法帖』を、せがわまさきが漫画化した『バジリスク』、その新章を山田正紀が書く『桜花忍法帖 バジリスク新章』上巻の感想の続きであります。山田対山田の様相を呈する本作、しかしそこには一見、前作のファンにとって、大きな壁があるようにも感じられます。

 そう、『甲賀』の、『バジリスク』の熱心なファンであれば、本作の中核となる設定は、ある意味許すべからざるもの、聖典を冒涜するものと感じられるのではありますまいか。忍者でありつつも、それと同時に人間であることを全うした二人の生を汚すものであると。
 事実、ネット上ではそうした感想も見られるところではあり、その点は大いに頷けるところではあるのですが――その想いもまた、作者の狙ったところではないかと感じます。

 先に述べたように、人間を競走馬か何かのように、あくまでも血脈と能力だけに目を向けた扱いを取る者たち。その第一の犠牲者とも言うべき両親から生まれた二人もまた、あまりに無惨かつ人間を人間とも思わぬ者たちに、その運命を弄ばれているのであり――そこに怒りを覚えぬ読者はいないでしょう。
 そしてその怒りはそのまま、先に述べた、『バジリスク』の結末を冒涜した怒りと重なるものであり――ここにその怒りは一種メタフィクショナルな形で立ち上がってくるのであります。

 ……さらに、人を人とも思わぬ存在は、二人の運命を弄ばんとする者たちだけではありません。まさしく超人の力を振るう成尋衆――彼らもまた、その力に相応しく、人間を人間とも思わず、その運命を弄んで恥じぬ者たちであります。

 そして彼らに抗する本作の真の代表選手たちが、どうにも忍者らしくない、人間臭い忍者たちであり、そしてその頭が「純愛」というある意味極めて人間的な感情を胸に抱く二人であることを思えば――
 本作の構図は、人間性を否定する者と人間の戦いと呼べるのではないか、そしてそれは、本作のみならず、作者の作品に通底する構図ではないかと感じられるのです。


 もちろんこれはファンの深読みかもしれません。この点を抜きにしても、本作の終盤で見られる対決の構図は、胸躍るものがあります。
 甲賀と伊賀、それぞれの最強の忍者たちが敗れた後に残された十人の男女。数の上では倍であっても、その力の差が歴然とする相手に如何に彼らが挑むのか?

 ここにあるのは、山風忍法帖のパターンの一つ、『柳生忍法帖』や『風来忍法帖』、あるいは『忍法八犬伝』に通じる、素人たちが強大な敵に挑むスタイルの物語ではありますまいか。これは期待せざるを得ません。

 そしてその戦いの中で、「桜花」が如何なる役割を果たすのか――忍法帖のオマージュに留まらず、そこから踏み出す鍵はそこにありましょう。
 山田風太郎の生み出した作品を、山田正紀が超えられるか……もう一つの戦いにも注目いたしましょう。


『桜花忍法帖 バジリスク新章』上巻(山田正紀 講談社タイガ) Amazon
桜花忍法帖 バジリスク新章 (上) (講談社タイガ)


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2015.12.13

山田正紀『桜花忍法帖 バジリスク新章』上巻(その一) 山田対山田の対決

 将軍位を巡る甲賀対伊賀の忍法合戦が両者全滅という結果に終わってから12年、矛眼術を操る少年・甲賀八郎ら徳川忠長に仕える甲賀五宝連と、盾眼術使いの少女・伊賀響ら江戸城を守る伊賀五花撰を、謎の敵・成尋衆が襲撃する。奇怪な術を操る強敵に、運命の双子である八郎と響の運命は……

 発売直後に読んだにもかかわらず、そのインパクトに気圧されたというべきか、ついつい紹介が遅れてしまいました。
 山田風太郎の『甲賀忍法帖』を、せがわまさきが漫画化した『バジリスク』、その新章を山田正紀が書く――ここに挙げた三者のうち、誰かのファンであれば必ずや目を剥くであろう驚きの作品であります。(この先、かなり詳細に内容に踏み込みますのでご注意)

 本作については、以前試し読みが公開された時に紹介しましたが、試し読みの内容はある意味盛大なフェイクだったと申しましょうか、序章も序章の内容。こうして手にした本編は、想像を遙かに上回る、この作者らしい物語でありました。

 あの甲賀対伊賀の死闘から12年、母たる大御台所・江与の危篤の報に江戸に急ぐ徳川忠長を襲う黒鍬者の群れを得意の忍法で軽々と一蹴する、彼に仕える甲賀五宝連のうち四人。
 なるほど、本作では彼らが忍法合戦の一方の代表選手となるのか……と思いきや、そこに現れたのは、天海僧正の弟子を名乗る怪人・成尋と、彼を長とする成尋衆の二人。そして、その超絶の忍法――いや、それを忍法と真に呼んで良いものか?――により、五宝連の四人はあっけなく……

 代表選手と思われた者たちが、まさかにも本編開始の前に粉砕されるとは、とここだけでも驚かされるのですが、これはまだ序の口。真に驚くべきは、この後に語られる本作の主人公・八郎と響の設定でありましょう。

 それぞれ矛眼術と盾眼術なる、対になる瞳術を持つ八郎と響――と聞けば、彼らの出自は容易に想像できるでしょう。そう、彼らは甲賀弦之介と伊賀朧が、「あの戦いの後に」生んだ双子なのであります。
 それぞれ類希なる力を持つ両親の血を継ぎ、瞳術のサラブレッドと言うべき存在である二人。幕府は二人の血を掛け合わせ、さらなる忍者を生み出そうとしていたのでした。

 しかしお互いに「純愛」と呼ぶべき強く儚い絆で結ばれるようになった二人は、それを汚すような真似を諾うことはできず、あえて別れを告げていたのであります。最初で最後、互いの眼と眼で見つめ合った後に。
 そして矛と盾、相反する瞳術がぶつかった末に生み出されたのは、情報が空間にクラウド化されたとでも言うべき存在「桜花」であった――


 と、ここで物語がいきなり飛躍するのですが、この「桜花」の誕生とその存在を語るくだりは、まさに作者の真骨頂とも言うべき超絶ロジック。
 それまでは(これも超絶ロジックの成尋衆の忍法を除けば)シチュエーション、描写と、山風節を忠実に再現していたものが、いきなり作者自身のそれに変貌するのは――私も含めて普通の読者はその難解さに置いてけぼりとなるのはいかがなものかと思いつつ――いかにも作者らしいと感じるところです。

 以前も紹介しましたが、作者には『甲賀』のオマージュとして『神君幻法帖』があり、そちらがあくまでもオマージュの枠を出るものではなかったのに対し、そこから軽々と飛び出してみせた意気やよし。
 ここに至り本作は、山田風太郎と山田正紀、奇しくも同姓の鬼才の対決とも言うべき様相を呈すると言えましょう。


 しかし……以下、長くなりますので次回に続きます。


『桜花忍法帖 バジリスク新章』上巻(山田正紀 講談社タイガ) Amazon
桜花忍法帖 バジリスク新章 (上) (講談社タイガ)


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2015.12.12

『この時代小説がすごい! 2016年版』 ランキングに刮目せよ!

 今年もこの季節がやってきました。この1年間の時代小説・歴史小説のガイドブック『『この時代小説がすごい!』の最新版、2016年版が刊行されました。今年も私はランキングへの投票と、作品紹介に参加させていただいていますが、それはさておくとしても、今年は非常に興味深い一冊であります。

 というわけで、もはや年末の定番となった感のある『この時代小説がすごい!』。今年もこれまで同様、書評家等の投票によるランキングが中心となっておりますが、例年に比べると企画記事が多くなった印象であります。
 実はその分、個別の作品紹介の分量が減っているのは少々残念ではありますが、その分、興味のある有名作品をスタートに同ジャンルのお薦めの作品を挙げる「定番の『あの』作品が好きならコレを読め!」、これは読んでそのままの「人気作家の注目新シリーズ」という企画が用意されていると言えるでしょうか。
 特に後者は、ランキング投票は一作家一作品のみのため、人気作家でも一部のシリーズのみがランクインすることが多いことを考えれば、大事な企画と感じます。

 そしてランキング結果ですが――これは是非実際にご確認いただきたいところ。特に文庫のランキングは、正直に申し上げて、相当に意外で……そしてそれ以上に嬉しいものでありました。
 私のような人間にとっては、まことに僭越ながら我が世の春が来た! という気分と言えば、何となくおわかりいただけるでしょうか?

 またこれは例年同様でありますが、ランキングそのものとともに、そこに選者の方々の投票内容とコメントが実に興味深く、また色々と参考になるものがありますので、こちらも必見かと思います。


 さて、冒頭に述べましたように、ありがたいことに今年も作品紹介の執筆に参加させていただきました。

 文庫は以下の7作品を担当しております(作品名五十音順)
『嶽神伝』シリーズ(長谷川卓 講談社文庫)
『からくり同心 景』(谷津矢車 角川文庫)
『くノ一秘録』シリーズ(風野真知雄 文春文庫)
『御用絵師一丸』シリーズ(あかほり悟 白泉社招き猫文庫)
『水滸伝』シリーズ(平谷美樹 ハルキ文庫)
『素浪人半四郎百鬼夜行』シリーズ(芝村凉也 講談社文庫)
『未来記の番人』(築山桂 PHP文芸文庫)

 また、単行本部門では以下の3作品を担当させていただきました。
『鬼船の城塞』(鳴神響一 角川春樹事務所)
『でんでら国』(平谷美樹 小学館)
『人魚ノ肉』(木下昌輝 文藝春秋)

 言うまでもなく、いずれも大好きな作品ばかり、楽しく記事を書かせていただきましたので、ご一読いただければ幸いです。


 そして特集記事やランキングと同じくらい楽しみなのが、1位作家へのインタビューと「私の隠し玉」コーナーです。
 単行本の場合はそうでもありませんが、文庫書き下ろし時代小説の場合、あとがきがついていないことも少なくなく、作者自身の言葉に接しにくいのが正直なところ。そんな中で、これらの記事は非常に貴重な機会と言うべきで、来年の新作への期待も含め、実に楽しいのであります。


 というわけで、選者、ライターという立場に関係なく、時代小説・歴史小説の一ファンとして、楽しむことができた今年の『この時代小説がすごい!』。

 そして願わくば、このランキングの結果が、新作にも反映されますように……というのは勝手かつ僭越な期待ではありますが、正直な気持ちであります。


『この時代小説がすごい! 2016年版』(宝島社) Amazon
この時代小説がすごい! 2016年版


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 『この時代小説がすごい! 2015年版』と『本の雑誌』2015年1月号に執筆しました

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2015.12.11

風野真知雄『大奥同心・村雨広の純心 3 江戸城仰天』 決戦、第三の御三家

 2年おきに刊行されてきた『大奥同心・村雨広の純心』シリーズの第3巻にして完結編であります。幼き将軍・徳川家継を守るため、新井白石と間部詮房によって集められた大奥同心たちの戦いもいよいよクライマックス、新たなる御三家の刺客を向こうに回しての戦いの果てに村雨広を待つものは……

 わずか5歳で将軍に就任した家継を狙う魔手を阻むため、家継とその生母・月光院の警護のために集められた大奥同心。
 忍びの志田小一郎、弓術使いの桑山喜三太、そして新当流の剣士である村雨広の三人は、これまで紀伊、そして尾張の忍者団を退けてきました。

 彼らの活躍により、ほとんど壊滅に近い状態となった両家の忍者団ですが、紀伊・尾張と来たら……ということでありましょうか、次なる刺客として、水戸の忍びたちが新たな敵として出現することとなります。
 かの水戸光圀を陰から支え、彼の性格を反映して遊芸をベースにした術を得意とする水戸の忍びたちは、ライバルが半ば自滅していった中、その特性を生かして家継に迫ることに……

 一方、大奥同心側は、紀伊と尾張の状態を見て反転攻勢に出て、両者を誘き出して共倒れを狙います。しかし月光院の腹心たる絵島は吉宗に通じ、さらに役者の生島新五郎に溺れる有様。獅子心中の虫を抱えた大奥同心たちも、大きな犠牲を払うことになります。


 実はタイトルほど「江戸城仰天」というわけではないのですが(あることはあるのですが比較的あっさり目)、しかし「仰天」という点では間違いなく仰天の連続であった本作。

 大奥同心側の策に載せられた者たちの「頂上対決」は、やはりとんでもないインパクトでありますし(同じ作者の別のシリーズを想起する方もいらっしゃるのでは)、意外かつ人物配置を考えれば納得のラストバトルの戦場も面白い。
 登場人物面では、大奥同心側よりも紀伊側――吉宗と絵島の描写が印象に残るのはちょっと意外ではありますが、敵方のキャラクター造形も、どこかペーソス漂う人間臭さがあるのは、いかにも作者らしいところでしょう。

 しかしながら、やはり本作も前作同様、些か駆け足という印象があるのも事実。登場人物が多く、派手な展開の連続のため、楽しめることは間違いないのですが、もう少し時間をかけて描いて欲しかった部分はあります。
 その最たるものが、主人公たる村雨広と、彼のかつての恋人の月光院の触れ合いなのですが……ラストはこれ以外の道はなかっただろうとは思うものの、そこに至るまでをもう少し見せて欲しかった、という印象はあるのです。

 最後の最後で、これまた仰天の展開を投入してくるのは、それはそれで本作らしい結末だとは思うのですが――


『大奥同心・村雨広の純心 3 江戸城仰天』(風野真知雄 実業之日本社文庫) Amazon
江戸城仰天 大奥同心・村雨広の純心3 (実業之日本社文庫)


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2015.12.10

海野螢『はごろも姫』下巻 ボーイミーツガールから奇想の彼方へ

 先日紹介いたしました『はごろも姫』の下巻、完結編であります。時は平安、虚ろ舟とともに現れた謎の少女・さくやと出会った少年・龍之介の冒険はいよいよ佳境。羽衣を追って京に向かった二人ですが、事態は意外な方向に展開。全ての登場人物の運命を飲み込んで、結末に向かうこととなります。

 富士山の噴火によって親を失い、盗賊の一味に加わっていた龍之介が、役人に追われて逃亡中に三保の松原で出会った少女・さくや。
 見ず知らずの間柄ながら、不思議と龍之介に懐いた彼女に引っ張られるように、龍之介は「羽衣」を追って東奔西走することとなります。

 どうやら羽衣は、さくやとともに現れた虚ろ舟を持ち去った都良香とともに京に向かったらしいと知った二人は京に向かうのですが、その途中にかつての龍之介が加わっていた盗賊団の連中たちが立ち塞がります。
 謎の女・かごめの助けで京に辿り着いた二人ですが、都で彼らを待つのは、良香の背後にいた菅原是善、そしてその子・道真。そして道真は、羽衣の在処を知るために、不思議な力を持つ仮面の女・鈿女に依頼を……


 というわけで、全ての登場人物が京に集って始まる下巻ですが、そこで描かれるのは、京を、日本各地を地震をはじめとする天変地異が襲い、物語が大きく動き出す様。

 龍之介とかごめの奮闘空しく奪われてしまったさくやの身柄。天変地異の中心たる――そして物語の始まりたる富士山に向かい、さくやは、人々は。今度は東へ東へ向かうことになります。
 果たして羽衣はどこにあるのか。羽衣の力を引き出すために鈿女が使わんとする三種の神器とは。さくやは、かごめは何者なのか。そして何故さくやは龍之介を選んだのか……

 というところでハタと弱ってしまうのは、この辺りを仄めかすだけでも物語の真相に踏み込んでしまうこと。
 その中で問題ないであろう範囲で申し上げれば、なるほど、ある意味最初から答えは提示されていたのか! という驚きが待ち構えていた、ということになるでしょうか。

 正直なところ、後半の物語展開は良く言えばスピーディー、厳しく言えば性急で、気がつけば結末に辿り着いていたという印象はあります。
 しかしボーイミーツガールから始まり、中央の政争を巻き込み、あれよあれよという間に物語がスケールアップし続け、壮大なファンタジーとして着地した、いや彼方に飛翔したのは、評価できます。(冷静に考えたらあの方々は天女ではないのでは、という気はいたしますがそれはさておき)


 ただ、上巻の紹介で触れた、主人公サイドの印象が弱い点が、物語終盤まであまり変わらなかったように感じられたのは、個人的には残念なところ。
 もちろん、物語が進むにつれて主人公に自覚は芽生えてはいくのですが、もう少し活躍して欲しかったな……という気持ちは、正直なところあります。
(むしろ第二ヒロイン扱いとなってしまった彼女の方が印象に残った次第ではあります)


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2015.12.09

朱川湊人『黒のコスモス少女団 薄紅雪華紋様』 青春の一つの終わりの姿に

 画家を志し、根津の下宿・蟋蟀館で暮らす青年「私」こと槇島風波と、同じ下宿に住む不思議な力を持つ美青年・穂村江雪華が、この世の者ならぬ存在と出会う『薄紅雪華紋様』の第二弾であります。人の心の中の様々な陰と出会うこととなった風波と雪華、彼らの青春にも終わりが近づくこととなります。

 腕っ節と絵への情熱のほかは他人と大きく変わったところのない風波と、この世のものならぬものを見、鎮める力を持つ雪華。画家を志すというほかは共通点もない風波と雪華ですが、不思議とウマがあった二人は、始終つるんでは、この世のものならぬ奇怪な事件に巻き込まれてきました。
 その最たるものが、生ける死人「みれいじゃ」。この世に未練を残し、生ける者のように振る舞う哀しい死者たちと、二人は何度も出会ってきたのであります。

 そして本作において描かれるのは、前作とはいささか趣向を変えた、人間の心の中の様々な暗い部分を描きだす物語。
 以下の全六話のとおり――

 一人歩きの婦女子を襲っては縄で縛り上げるという怪人「鬼蜘蛛」事件に巻き込まれた風波たちが知る真実『鬼蜘蛛の賛美歌』
 覗きこんだ者は気が触れるという井戸と、風波が出会った奇妙な少女の存在が交錯する
『汝、深淵をのぞくとき』
 不良少女団のボスから、雪華が故郷を飛び出した自分の許婚ではないか確かめるよう依頼された風波が知る哀しい真実『黒のコスモス少女団』
 夜な夜な奇怪な幽鬼の影に悩まされるかつての許嫁を救うために風波が奔走する『幽鬼喰らい』
 銀座に出没し、高慢な画家・西塔を襲った狼を追う雪華と風波、みれいじゃの三郎が知ったその意外な正体『銀座狼々』
 実家に帰ることとなった風波が、恋に身を持ち崩した末に死を目前とした友人・平河惣多を前に悩む『白い薔薇と飛行船』

 正直なことを申し上げれば、前作で大きな位置を占めた「みれいじゃ」が、ほとんど登場しない――それどころか、前作で敵役的スタンスだった三郎が、二人のある意味友人として登場する――のに、少々面食らったところはあります。
 しかし、その点を抜きにしても、ここで描かれる、本作ならではのほの暗く不可思議な人情話――そしてそれは作者の作品に通底する味わいでありましょう――というべきエピソードの数々は、決して前作に劣るものではない魅力を湛えていると感じられます。

 そして本作に収録されたエピソードの多くに共通するのは、この大正という時代、様々な自由が花開いたように見えて、しかしいまだ大きな不自由に人々が縛られていた時代ならではの、女性たちの姿。
 本作でも言及されているように、青鞜社の登場等、権利意識の芽生えはあったものの、いまだこの時代の女性たちが、男性たちに比べれば、甚だしく制限された、低い立場に置かれていたことは間違いありません。

 その立場から抜け出そうとするならば、己の性を過剰に押し出して武器とするか、あるいは己の性を完全に否定するか……いずれにせよ、一種道に外れるほかない。
 表題作である『黒のコスモス少女団』は、そんな近代と現代の狭間の時代に――そしてそれは実は現代においても共通するのですが――引き裂かれた女性の心を描く物語として、強く印象に残ります。


 そしてそんな人々の姿と並行して描かれるのは、風波の青春の終わりの姿であります。

 実家を飛び出し、これまで雪華と共に、長く楽しい、そして風変わりなモラトリアムを送ってきた風波。
 本作がそんな風波と雪華の姿を描いてきた物語だとすれば、本作の後半の展開は、その一つの終わりを告げるものであります。

 思わぬ事情から、実家に帰ることを余儀なくされた風波。絵の道を諦めたわけではないにせよ、しかしそこから大きく離れることとなった彼は、同時に雪華と過ごした青春と別れを告げることになるのであります。
 本作のラストに収録された物語は、その姿を、もう一人の友人との別れを通じて描くものでありますが――そこに描かれたものは、もちろんその形こそ違え、私くらいの年齢ともなれば誰もが経験したものであり、そしてそれだけに切なく胸に刺さるのであります。


 しかし――この『薄紅雪華紋様』という物語は、まだ本当の終わりを告げたわけではありますまい。
 その本当の終わりが何を意味するか、それはここで申し上げるまでもありませんが、本作でも仄めかされてきた「その時」が描かれる日を――おかしな言い方かもしれませんが、自分としても一つのけじめとして――恐れつつも待っている次第です。


『黒のコスモス少女団 薄紅雪華紋様』(朱川湊人 集英社) Amazon
黒のコスモス少女団 薄紅雪華紋様


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2015.12.08

『牙狼 紅蓮ノ月』 第8話「兄弟」

 夜の橋の上で女に化けた炎羅の片腕を斬り落とし、持ち帰った渡辺綱。しかし腕は源頼信の父・多田新発意の屋敷で無数に増殖、新発意を襲う。事態を案じた頼信は星明に対応を依頼するが、戸惑う彼女の代わりに雷吼が屋敷に向かう。しかし雷吼の顔を見た綱は、彼を炎羅と呼び襲いかかってくる……

 前回、星明の過去が描かれた本作ですが、今回描かれるのは雷吼の過去。雷吼が母ともども都を追われ、無数の炎羅に襲われる中で牙狼の鎧をまとったことは以前語られましたが、彼の出自と、彼が都を追われた真の理由が語られます。

 事の発端は、渡辺綱が鬼の腕を落とすというお馴染みのエピソード。原典では鬼が腕を取り返しにあの手この手で襲いかかることになりますが、本作では腕が増殖――しかも腕には無数の目がついているのが気持ち悪い――して、彼の主(主の父?)の多田新発意(源満仲)に襲いかかることとなります。
(ここで、意気揚々と鬼の腕を担いで持ち帰り、武勇談を酒の肴にしようとする脳筋ぶりはちょっと微笑ましい)

 父を襲う炎羅に手を焼いた頼信は、その対応を依頼する――という口実で星明に近づく――ためにやってきますが、何故か星明と金時は言を左右にしてそれを拒否。しかし雷吼がそれを引き受けると、かえって慌てた顔を見せることになります。
 というのも、以前ちらりと語られたように、雷吼こそは満仲の長子・頼光。すなわち雷吼と頼信は実は兄弟であり……そして御曹司として育てられている頼信に対し、雷吼は家を追われ、死を望まれた身なのですから。

 そんな彼の境遇を示すかのように、雷吼の顔を見るや血相を変える綱と貞光、季武の四天王-1。ことに綱は、頼光が生きているはずはない、これは炎羅に違いないといきなり殴る蹴るの狼藉であります。

 そんな中、頼信は、父に頼光の存在について問いただします。魔戒騎士の家柄でありながらも自分には黄金の鎧をまとう素質がなかったという満仲は、自分の子供にそれを期待したものの、そこで彼に妹を娶せると言い出したのが藤原保昌。
 黄金の鎧を藤原の血を引く者に着せようと目論む道長の意を受けた保昌は、既に生まれていた頼光を暗に殺せと圧力をかけて――そして以前語られた悲劇に繋がることとなったのであります。

 そしてなおも雷吼に暴行を働く綱の前に現れる金時(今まで言及はありませんでしたが、やはり元は綱たちと同僚の四天王だった様子)。彼の力で正体を現した炎羅は……綱!
 かつて幼い頼光を屋敷から追い出される際に手を下した綱。その罪の意識が生んだ陰我に炎羅が取り憑いていたのであります。

 しかし綱が罪の意識を抱き――それと裏返しに頼光が自分たちを恨んでいることを恐れていた一方で、頼光/雷吼の胸中にあったのは、怨念でも羨望でもなく、ただ人々を護るための力になりたいという純粋な思い……
 そう、少年時代、実は満仲の屋敷に忍び込んだ雷吼は、幼い頼信が両親とともに無心に笑う姿に、自分の守るべきものを見出していたのであります。

 そこに前回の葛子姫牛車(?)に乗って乱入してきた星明の助けを借り、雷吼は一撃で綱炎羅を粉砕するのでありました。
 そして真実を知り、雷吼を兄と呼ぶ頼信。自分に代わり家を継いで欲しいという頼信に、俺は全ての命を護る、お前は清和源氏の家を護れと告げ、雷吼は去るのでありました。


 というわけで、雷吼の過去回であると同時に、雷吼がヒーローとなった理由の再確認、そして兄弟の因縁の精算という盛り沢山の内容を、道長の暗躍というこの時代ならではの要素を絡めて巧みにまとめた今回。
 一歩間違えるとお人好し過ぎる雷吼の想いの根幹に、幼い子供の――それが頼信というのがまた泣かせる――笑顔という、誰もが納得せざるを得ないものを設定してみせるのにはただ唸らされました。

 憎まれ口を叩きつつも、ある意味自分と同様の存在である雷吼を見守り、信頼する星明との距離感も良く、やるせない結末の多い本作において、実に爽やかなエピソードとして成立しておりました。
(四天王は本当に一名欠員となってしまいましたが……)


 なお、シリーズ構成を担当した會川昇はこの回で脚本から降板とのこと。今回は共同名義のため、どの程度の割合を氏が担当しているかはわかりませんが、複雑な要素をキャラクターの在り方に絡めて捌く見せ方、そして何よりも雷吼のヒロイズムは、まさに氏の持ち味であったと感じます。
 降板は真に残念ですが、その点も含めて、第一部完という印象のある好編でありました。



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 『牙狼 紅蓮ノ月』 第2話「縁刀」
 『牙狼 紅蓮ノ月』 第3話「呪詛」
 『牙狼 紅蓮ノ月』 第4話「赫夜」
 『牙狼 紅蓮ノ月』 第5話「袴垂」
 『牙狼 紅蓮ノ月』 第6話「伏魔」
 『牙狼 紅蓮ノ月』 第7話「母娘」

関連サイト
 公式サイト

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2015.12.07

矢島綾『天空をわたる花 東国呼子弔忌談 過去を呼ぶ瞳』 世の則と人の情の狭間に

 JUMP j-BOOKSは、その母体的にすべて漫画のノベライズという印象を持たれることがありますが、もちろんそれ以外の作品も数多く含まれております。本作もその一つ……明治初期を舞台に、人と神の織りなす美しく哀しい悲劇を描き出す物語であります。

 遙かな昔から、神と人の境界を守り、それを侵した者を裁く存在・呼子。二つの瞳を持つ右目に父祖代々の呼子の記憶を受け継ぐ彼らは、個々の名も意思を持たず、ただ冷厳に使命を果たす存在です。通常は。
 本作の主人公・兵助は、呼子でありつつも己の名と意思を持つ存在であり、そして彼に付き従う美少女姿の神・火雷こと火雷天神も、高位の神でありながらも、彼の使役神となっている変わり種のコンビであります。

 時は明治7年、この二人が、数年前から年に一度、夜空を流れるようになったこの世のものならぬ青い花を見物するため、科野の山を訪れたのが物語の始まり。日本中の神々が集まる山中で、二人は、何かを恐れるように夜道を行く一人の妊婦と出会います。

 その妊婦を送って向かった先の村で二人が出会ったのは、どこか己の意志を持たぬかのように振る舞う人々。そして村では神を手厚く祀りながらも、しかし神の気配が感じられぬ状態にありました。

 常人が知らぬはずの呼子の存在を知る村長、父とは距離を置く病身のその娘、人当たりの良い中にぞっとするような冷たさを感じさせる医師。妙に女性の数が多く、そして獣の血の臭いを漂わせる村人たちと、村で育てられる、神すらも惑わせる青い花。
 どこか異常な村に滞在することとなった兵助と火雷は、もうすぐ村で婚礼が行われることを知りますが、それこそは――


 本作にあえてジャンルを当てはめるとすれば、伝奇ミステリが最も近いでしょうか。
 奇怪な因習と儀式に縛られた閉鎖的な村というのは、ある意味定番の舞台でありますし、物語を動かすのは、そこで何が行われようとしているのか、そしてそれは何故、何のためなのかという謎の存在なのですから。

 そしてその謎に挑む青年・兵助は、呼子なる神と人の境界を厳然と隔てる者。
 言い換えればその存在は、神の世と人の世、それぞれの世界の則を守る者であり――それはある意味、まことに探偵役に相応しいものであると申せましょう。

 本作は、そんな本作独特の概念を、兵助と火雷のキャラクター描写に絡めて分かり易くかつ丹念に描き出してみせるとともに、それがさらに、全編を貫く謎の存在と密接に結びつき、一つの物語として描き出してみせるのが素晴らしい。
 物語を読み進めながら唯一気になっていた、この時代を舞台とする必然性についても、見事にミステリ的に――本作で初めて使われたアイディアというわけではないかもしれませんが――活用しているのには感心させられました。

 しかし本作を真に魅力的なものとしているのは、そうした物語を通じて、厳然たるこの世の則を超える人の情の存在を、時に哀しく、そして何よりも美しく描き出していることでありましょう。

 先に述べた通り、呼子は世界の則を守る者であり、そして本来は無人格な存在(であることを求められる者)であります。
 本作の主人公たる兵助は、己の役目に忠実であると同時に、しかし己の情を持つという、矛盾した存在であり、それが彼自身を苦しめることとなります。

 しかしそんな彼だからこそ、本作で描かれた事件を――止むに止まれず世の則を超えた人の情が引き起こした事件の謎を解き、そして止めることができるのであります。「人」として大いに苦しみながらも……
 則と情の狭間で板挟みになろうとも、なおもより良き答えを探そうとする――そんな兵助の姿に胸を熱くせざるを得ません。
(そしてその兵助と、彼を見つめる火雷それぞれの想いが、それぞれの一人称という形で描き出されるのもうまい)


 作者は本作でデビューした後、『青の祓魔師』のノベライズを数作担当している模様。
 これまで本作の存在を知らずにいた者が申し上げるのも恐縮ですが、いずれまた、本作のような――できれば本作の続編を発表して、再び我々を驚かせ、感動させていただきたいものです。


『天空をわたる花 東国呼子弔忌談 過去を呼ぶ瞳』(矢島綾 集英社JUMP j BOOKS) Amazon
天空をわたる花 東国呼子弔忌談-過去を呼ぶ瞳- (JUMP j BOOKS)

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2015.12.06

ちさかあや『豊饒のヒダルガミ』第2巻 彼らの過去の先に見えるもの

 天保の飢饉を背景に、「ヒダルガミ」と呼ばれる餓鬼を喰らう男・トゼと、神の贄に選ばれた少年・ゼン、この世ならざるものを見ることができる少女・ミキの旅を描く『豊穣のヒダルガミ』の第2巻であります。今日もあてどない旅が続く中、トゼとゼンの過去の一端が語られることに……

 各地で数年に渡り凶作と飢饉が続いた天保の飢饉。その底なしの飢えから生まれた「餓鬼」が跳梁し、さらなる飢えをもたらす世界を舞台とした本作。第1巻では、謎めいたトゼとゼンに出会ったミキが彼らとともに旅立ち、餓鬼や姥捨て、水子といった、人の世が生み出した負の部分に出会う姿が描かれました。

 この第2巻においてもその地獄旅は変わりませんが、いささか趣が変わるのは、トゼとゼン、それぞれの過去の姿が大なり小なりと描かれることでしょう。

 「ヒダルガミ」――道行く人に憑き、強烈な飢餓感と疲労感で相手を取り殺すという憑き神と呼ばれるトゼ。
 彼がいるだけで周囲に飢えがばら撒かれていく(要するに余計に腹が減っていく)彼は、確かにその名にふさわしい存在と感じられますが……しかし、この巻においては真の「ヒダルガミ」が登場いたします。

 真の「ヒダルガミ」が(伝承に言われるような)餓死者の怨霊である一方で、あくまでも生身の人間であったトゼ。しかし餓鬼たちを喰らうと同時に周囲に豊穣を与える彼が――そしてこの世の食物を口に出来ぬ彼が、ただの人間であるはずもありません。
 果たして彼は何者なのか、何が彼をして「ヒダルガミ」としたのか? この巻で断片的に描かれる彼の過去は、おぞましくも悲しいものでありますが……

 そして神に仕える者のようにトゼに付き従いながらも、しかしその言動は容赦のないゼン。首に水子を惹きつけるという刺青を持つ彼にもまた、悲しくも重い過去があります。
 トゼ(彼の場合はまだほのめかされる段階ですが)とゼン、二人に共通するのは、周囲が生きるために自らの生を否定され、そして自らの生を掴むために周囲の生を否定せざるを得なかった過去であります。

 それをエゴと言うは容易いことではありますが、しかし己がその立場に立ったとき、如何にすべきか……それはもちろん、簡単に答えが出る問題ではありますまい。
 あるいは、己を犠牲にしても他者を生かそうとしても、その想いが裏切られ、そして自らの想いすらがねじ曲げられるかもしれません(この巻に収録された「食わぬ庄屋ノ唄」は、その無惨な皮肉を描いた好編であります)。

 極端に単純化して言えば、本作で描かれる地獄絵図は、飢饉という極限状況において、己と他者、どちらを優先するかという――そしてどちらを選んだとしても心身に深い傷を残す――選択が生み出したものでありましょう。

 そんな本作に救いがあるとすれば、その選択をやり直す、あるいはその選択を全うさせることなのかもしれません。


 第1巻の紹介の際には、本作の向かうべき物語の広がりが見えないと申し上げました。
 しかし今回、トゼの過去の一端が描かれたことで、その向かうべき先が見えてきたのではないか……そう感じます。


『豊饒のヒダルガミ』第2巻(ちさかあや マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ) Amazon
豊饒のヒダルガミ 2 (マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ)


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2015.12.05

夢枕獏&村上豊『陰陽師 鼻の上人』 百話目の物語を受け止める挿絵の力

 夢枕獏の『陰陽師』も、シリーズ第1作から30年近くを経ても、歌舞伎に、TVドラマに、漫画にとなおも快調。そして原作の方も、今年ついに百話を数えることとなりました。本作がその百話目の物語、村上豊の絵とともに、今回も不可思議で、そしてどこか可笑しく美しい物語が描かれます。

 物語の始まりは、宇治の寺の善智上人の鼻が異様な状態を呈したこと。ごく普通だった上人の鼻が、ある時から急に赤黒く伸び始め、ついには顎よりも下に垂れ下がるようになったのです。
 そこに現れたのはかの蘆屋道満、新たに連れるようになった女童・右姫(シリーズファンには仰天の正体なのも楽しい)の力で、鼻に宿っていた得体の知れないモノたちが見顕されたのですが……しかし道満は何やら合点がいかない様子であります。

 一方、いつもの如く桜の下で酒を酌み交わす晴明と博雅の話題は、かの(シリーズ第1作に登場した)玄象にも並ぶという琵琶の名器・牧馬。帝が所蔵するこの牧馬が、数年前から鳴らなくなったことから、名人なれば……と、博雅が奏でてみるよう、命が下ったのです。
 これに晴明も同席することとなり、ゆくかゆこうとなった先で、博雅は牧馬を手にするのですが――


 晴明と道満がそれぞれ出会った奇妙な事件。鳴らない琵琶と上人の鼻と、まったく関わりのなさそうな二つの事件ですが……それが意外なところで結びつくのが、この『陰陽師』という物語の楽しさでありましょう。

 やがて晴明のもとに道満が現れたことで、謎は解けることになるのですが……いやはや、ここで道満とともに現れた方には、もうこちらは口をあんぐりと開けるばかり。
 このシリーズではままある展開ながら、しかしこのような方がシレッと登場するのには驚かされますし、そして何よりもその現実からの飛翔ぶりがたまらなくいい……というのは、ファンであればよくご存じでありましょう。


 そして本作の場合、ここで村上豊の挿絵が大きな力を持つやに感じられます。

 時に柔らかく、時にユーモラスに、時に艶めかしく、そして何よりも時に美しく……様々なタッチで描かれる氏の挿絵。大げさにいえば、物語中に登場する万物を描き出すその筆が、さまで長くない中で奇想天外な飛躍を見せる物語の全てを受け止め、巧みに描き出しているのであります。

 もちろんそれは本作に限らず、本シリーズの挿絵全てに通じることであるかと思いますが、記念すべき百話目の本作において、この豊かな物語世界を柔らかく受け止め、余さず描いてみせる氏の筆の見事さにも、改めて感じ入った次第です。

 少なくとも本作の結末――あまりにも楽しく、微笑ましく、そして美しい宴の有り様を目にした時には、少しく感激の涙が浮かんでしまった、と白状するのはいささか気恥ずかしいことではありますが……


『陰陽師 鼻の上人』(夢枕獏&村上豊 文藝春秋) Amazon
陰陽師 鼻の上人


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2015.12.04

高嶋哲夫『乱神』上巻 十字軍騎士、時宗と遭う

 高嶋哲夫といえば、自然災害パニックものや、原発サスペンスものを得意とする作家という印象があります。その作者が元寇を題材とした本作は、しかしその日本と元の戦いを、ある意味第三者であるイギリス人騎士の視点から描くという、極めてユニークな作品であります。

 物語は元軍が九州に襲来した文永の役から2年後の1276年、主人公たるエドワード・ガウェイン率いる一団の乗った船が、博多に漂着したことから始まります。
 勇躍十字軍に参加したものの、途中で友軍に見捨てられ、放浪の末にようやく帰国のための船に乗ったエドワード一行。しかしその船は激しい嵐に襲われ、漂流の果てに、彼らにとっては異世界同然の日本に流れ着いたのであります。

 しかしエドワード一行が異世界の住人のように見えたのは博多の人々も同様。いや、わずか2年前に元軍に蹂躙された人々にとっては、エドワードたちも侵略者のように映ってしまうのも無理もない話であります。
 幸いと言うべきか、肥後の守護代であり、時の執権・北条時宗の重臣・安達泰盛の子である盛宗に保護されたエドワードたち。彼らは密かに日本に潜入していた元の兵士の手から盛宗を守ったこともあり、徐々に打ち解けていくことになります。

 やがて鎌倉に連行されることとなったエドワードたちは、彼の地で時宗と対面。自分とあまり変わらぬ年齢ながら、武士たちを束ねる時宗に感心したエドワードは、時宗の求めるままに海の向こうのことどもを語ります。
 そして元軍が再び襲来することを知った時宗は、西洋の戦術を武士たちに伝授するよう、エドワードに依頼するのですが……


 武士と騎士――似ているようで似ていない、しかし重なる部分が多々ある存在。それだけにそんな両者が交わるのは魅力的ということでしょうか、それぞれの住まう国を離れ、相手の国で活躍するという物語は、数多く存在します。
 本作もその系譜に属する作品かとは思いますが、やはり面白いのは、ある意味彼らにとっては第三者である元の再来を背景とした物語であるということでしょう。

 本作の主人公たるエドワードは、上で述べたとおり十字軍に参加していた人物。この十字軍は、年代的に最後の十字軍となった第8回(場合によっては第9回とも)かと思いますが、信仰のためにイスラム圏に攻め入った騎士であります。
 それが流れ流れて日本にたどり着き、「何故か」縁もゆかりもない国のために元と戦うというシチュエーションは、何とも興味深いものがあります。

 そしてその「何故」が物語の中心にあることは言うまでもありません。

 日本は(そして元も)エドワードにとってはイスラム圏よりもさらに縁遠い異国。彼が日本に留まるのは、そのように強いられているからであり、そして生き延びるためにやむを得ず幕府に協力しているに過ぎません。
 しかし、それだけではないことが――いや、それだけではなくなってきたことが、物語が進む中で少しずつ描かれていくこととなります。

 幼い頃から騎士として修行し、そして長じて後は神のため祖国のために十字軍に加わったエドワード。しかし戦場で待っていたものは、彼が夢見てきた栄光に満ちたものではなく、暴力と虐殺の場に過ぎませんでした。
 そこで自分の手を血に染め、己の戦う意味に、己の存在に密かに疑問を抱いてきた彼が、全くそれまでの己とは縁のない――そして、理不尽な暴力に晒されようとしている――世界に暮らすうちに、彼は少しずつ変わり始めるのであります。


 この上巻で描かれるは、まだ元の再来――後世に言う弘安の役に至る前の時期。それ故、エドワードの「何故」が完全に描かれるわけではありません。
 しかし、日本で暮らすうちに、時宗――時に容赦なく策略と武力を用いつつも、しかし拭えない孤独を抱え、エドワードと共鳴する人物像がいい――と言葉を交わす中に、その芽生えは確かに見て取れます。

 そしていよいよ始まる死闘の中で、エドワードたち西洋騎士が如何に戦い、何を見るのか。下巻も近日中に紹介いたしましょう。


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乱神(上) (幻冬舎文庫 た 49-1)

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2015.12.03

とみ新蔵『剣術抄 新宿もみじ池』 剣に映る人の、武芸者のはかない生き様

 自らも剣術を修めたとみ新蔵の『剣術抄』新作であります。といっても、タイムスリップあり天女ありの何でもあり異種剣術戦だった前作とは全く異なる作品。仇を追い続けた末に江戸に出てきた青年を主人公とした、どこまでも重く切なく、そしてどこか美しさを感じさせる物語であります。

 幼い頃に某藩の藩士だった父を同じ藩士の恩河左馬之介に斬られ、兄とともに仇討ちの旅に出た青年・鈴木清治郎。仇の噂を追って西に東に旅するうちに親族からの仕送りは絶え、兄も不慮の事故で片足を失う身となり、江戸で希望もなく虚無的に暮らす毎日であります。

 そんな中、釣りが縁で初老の男と出会った清治郎。温厚なその人物は、釣りだけでなく剣の腕も相当のものであり、清治郎は彼と激しくも充実した鍛錬を続けるうちに、初めてと言ってよいような充実感を感じるのですが……


 初めに誤解を恐れず申し上げてしまえば、本作の物語自体は、典型的な仇討ちものであります。物語は、清治郎が仇討ちの届出を奉行所に行う場面から始まりますが、さてその相手が誰であるか……それは瞭然でありましょう。
 しかし本作はそうした物語を描くに、丹念に丹念に描写を積み重ねることにより、ありきたりでない人々の姿を浮かび上がらせることに成功しています。

 もちろんその描写の筆頭が剣術描写――それも本作が『剣術抄』を名乗るに相応しい、いかにも作者らしい実理に基づいたもの――であることは間違いありません。しかしそれ以上に胸に残るのは、登場人物一人一人の心理描写であります。

 清治郎、その兄、清治郎の恋人、初老の男、奉行所の役人等々……本作に登場する人々には、一人も悪人はおりません。誰もが必死にそれぞれの生を生きている、そんな人々であります。
 しかしそれでもなお、やむにやまれぬ理由で、それを擲たなければならなくなる。命を賭けて剣を交えなければならなくなる……そんな人生の儚さ、やるせなさが、本作では静かに、そして強く強く胸を刺す形で描かれているのです。

 そんな登場人物たちの中でも特に印象に残るのは、主人公の兄。
 下の世話すら弟に頼らなければならない身となりながらも、武士としての矜持を捨てられず、仇討ちに固執する姿は、武士のネガティブな面を体現したかのようですが――そんな彼が、終盤で人間としての顔を見せるのが、たまらなく切ないのであります。


 本作のタイトルとなっているもみじ池。様々な色に美しく色づきながらも、やがては散っていくもみじと、その姿を写し、受け止める水面。それは人の世の在り方に似て……というのはいささか感傷的に過ぎるかもしれません。
 しかしそこには確かに存在する美しさも、本作は小さな希望として描き出していることは申し添えておくべきでしょう。


 なお、本書には、併録として『孤高の虎』を収録。
 秀吉の朝鮮出兵の後、明の大使が日本に連れてきた一匹の猛虎。その猛虎と、武人の意地から対決する武芸者たちの姿が描かれる異色作であります。

 当時の日本人にはほとんど未知の存在とはいえ、虎と一対一で対決しようというのですから、当然彼らは腕自慢。骨法、刀術、槍術と、いずれも一廉の名人たちが文字通り死力を尽くして虎に挑むのですが――その結果たるや推して測るべし。

 本作はその禁断の戦いを、作者らしい徹底的なリアリズムで――それは武術描写はもちろんのこと、戦いの末に待つものも含めて――描き出すのですが、それが興味本位の残酷物語で終わらないのは、本来であれば敵役たる虎の姿を、それに留まらない存在として描き出す点にありましょう。

 確かに本作に登場する虎は、獰猛にして狡猾な恐るべき存在であります。しかし虎をそのような存在としてしまったのは果たして誰なのか……それに思い至る時、そこにはただ戦うことによってのみ生きられる、戦いを強いられる者同士が対峙していることが理解できるのです。

 本作は雑誌連載後、コンビニコミック『服部半蔵忍法帖 虹の天忍』に収録されていたものですが、こうして単行本に収録されたのは喜ばしいことでありましょう。
 『新宿もみじ池』同様、武芸者の、「人」の姿を丹念に描いた物語として、強く胸に残る作品であります。


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剣術抄 新宿もみじ池 (SPコミックス)


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2015.12.02

辻原登『花はさくら木』 人を真に動かすものは

 辻原登が、若き日の田沼意次をはじめ、武士・商人・文化人・皇族と様々な人々を配置して描く、何とも胸躍る物語であります。ジャンルとしては時代伝奇であり冒険活劇と言えるかもしれませんが、さてあらすじをまとめようと考えると、なかなかに難しい――そんなユニークで魅力的な作品です。

 十代将軍家治の頃、幕府と豪商・鴻池家が手を組み、新たな金融秩序を作り出すという一大改革に着手せんとしていた御側御用取次・田沼意次。
 しかしそのために障害となるのが、鴻池と手を組み、抜け荷で莫大な富を蓄える海運業者・北風組。田沼から密命を帯びて京に向かった腹心の青年武士・青木は、北風家の娘・菊姫に接近しますが、瞬く間に相思相愛の間柄となってしまいます。

 一方、その菊姫の親友である智子内親王の母・青綺門院は、難題を抱えて苦しんでいる真っ最中。当時京の朝廷では桃園天皇が病篤く、次を担うはずの皇子が幼少であったことから、院はある策を胸に抱いていたのですが、その実現には問題が山積していたのであります。

 それぞれに問題を抱える中、想いもよらぬ形で関わり合うことになる幕府と朝廷。それは菊姫と智子内親王をも巻き込み、さらには遙かな過去の因縁を、そして海の向こうの国をも巻き込んだ事件に発展していくこととなるのでありました。
 果たして意次と青綺門院、それぞれの策は実るのか。青井と菊姫の恋の行方は。謎の武術を操る北風組の企みとは何か。そして智子の運命は――


 と、江戸時代後期を舞台に展開する波瀾万丈にして豪華絢爛な物語である本作。
 あの田沼意次が、進取の気象に富み、風雅と人情を解する好人物として描かれるのも面白いですが、(現時点で)最後の女性天皇・後桜町天皇となる智子内親王が、物語の中心となるのも実に興味深い趣向であります。

 そして二人をはじめとする登場人物たちが巻き込まれる事件も、あれよあれよという間に予想外の方向にスケールアップ。時代伝奇ものとして読んでも非常に楽しい(特にある人物の出自には仰天!)作品であります。

 しかしそうした趣向がある一方で、本作から受けるのは、むしろどこまでも暖かく柔らかく、そして明るい印象であります。

 もちろん、田沼一派と北風組の対峙は、時に刀を抜いて死命を決するほどのものでありますし、そして物語の背景となる政の世界も、決して綺麗事ではすまないものであることは言うまでもありません。
 それでもなお、本作からポジティブな印象を受けるのは、物語の中心に位置する二人の姫君、誰もが笑顔で接したくなる若やいだ明るい個性の二人の存在があることが一つにありましょう。

 そしてもう一つは、物語を彩るのが、当時の華やかな町人文化であることでしょう。
 実にこの時代の京・大坂は、絵画に俳諧、茶道に戯作と様々な文化が花開いた時代。本作にも、池大雅、丸山応挙、伊藤若冲、与謝蕪村、上田秋成といった、当時の京・大坂の文化人たちがこぞって登場し、物語をにぎやかに彩ってくれるのです。

 そしてその彩りもまた、本作の重要な要素ではないでしょうか。
 人の世界は、政だけでも、商いだけでも動かない――人を真に動かすのは、端から見れば不合理にも感じられるかもしれない人の情であり、その現れが文化・芸術であると、本作は語りかけているように感じられます。

 物語の終盤、意次は、まもなく外の世界と触れることのなくなる智子を連れ、ローマの休日よろしく(もちろん、あちらに比べるとお供は控えているのですが)大坂の町をそぞろ歩き、その文化を味わう場面があります。
 この場面が実に美しく感じられるのは、やがて政と聖という全く異なる世界に分かれていく二人だからということもありますが、人々の間の情というものが、そこ最も良く現れているからではないか……そう感じます。
(そしてそれは、結末の智子のある述懐でさらに痛切に胸を打つのです)


 優れているものの喩えとして、花は桜木、人は武士と申します。本当にそうなのか。人は皆、素晴らしいものを胸に秘めているのではないか……そんなことまで考えさせる明るい魅力に満ちた本作。
 花は桜木、人は人……そう考えてしまうのは、些かロマンチックに過ぎましょうか?


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花はさくら木 (朝日文庫)

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2015.12.01

『まんがで読む 南総里見八犬伝』

 今に至るも児童書では折に触れてリライトが刊行される『南総里見八犬伝』。その中でも最新かつ、リライトの中でもかなりユニークな部類となる一冊であります。というのも本作、八人目の八犬士と言うべき犬江親兵衛の活躍を中心とした、原典の後半部分をメインとした一冊なのです。

 原典はともかく、何かしらのリライトであればご覧になった方も相当に多いであろう『南総里見八犬伝』。しかしながら、その後半部分のあらすじをご存じの方は――少なくとも前半部分に比べれば遙かに――少ないのではありますまいか。

 ここでいう後半部分とは、大まかに言ってしまえば第9輯第3巻の第97回――すなわち、犬江親兵衛が(再)登場し、蟇田素藤と妖尼・妙椿を相手に大暴れする辺りから。
 その後、京都に向かった親兵衛がそこで大活躍したり、勢揃いした八犬士が関東管領・扇谷定正率いる連合軍を相手に大決戦を繰り広げることになりますが、さてリライトではこの辺りが描かれない、あるいは大幅に省略されることが実に多いのであります。

 その理由は、おそらく一にも二にも、その長さでありましょう。そこに至るまでの物語――伏姫の悲劇から、芳流閣の決闘や庚申山の妖猫退治といった数々の見せ場が描かれる七犬士の銘々伝までと、回数ではほぼ同じなのですから。
 さらに言えば、蟇田素藤退治と京都編はほとんど親兵衛のみが主役という内容を考えると、この辺りを省略するという判断も、わからぬでもありません。


 が、本作はその後半を中心にするという、珍しい構成の一冊であります。本作の内容は、大きく分けて、伏姫と八房の物語・親兵衛の蟇田素藤退治・関東大戦の三章構成。上で述べたとおり、原典の後半部分が大半を占めることとなります。
 と、それでは七犬士のエピソードは、と言えば、関東大戦の前の八犬士勢揃いの場面で、それぞれがダイジェストで語るという扱いになっているのが面白い。もちろん分量は限られているのであっさりではありますが、しかし内容的には要点を掴んだものとなっているのには感心いたしました。

 その他、主要キャラクターは1ページずつ使って概要を紹介していることもあり、これはこれで――もちろん、私は他の作品で概要を掴んでいるためかもしれませんが――なかなかに充実しているように感じられます(雛衣のくだりなど、子供向けにはいささか描写しにくい部分はこの概要で説明)。

 そして本編の方も、上で何度も述べたとおり、あまりリライトの題材となっていなかった部分だけに、こうして読んでみるとなかなかに新鮮で面白い。
 世俗的な極悪人である素藤&物語の発端とも関わる妖人妙椿vs少年犬士というシチュエーションはわかりやすい活劇として楽しめますし、関東大戦も、親兵衛をはじめとする八犬士をとっかかりに描くことで、良い意味でシンプルに描かれています。
(そんな中で、犬山道節が仇である扇谷定正に複雑な心境を抱く様を描いているのは好感が持てます)

 考えるに、本作で親兵衛が中心に描かれているのは、対象とする読者層に一番近い人物であり、それでいて一番ファンタジーの香りが強い人物だからではないか、という気がいたしますが、その狙いはある程度は当たっているようにも感じられます。


 長大な物語のリライト――それも子供向けという時に必ず問題となる取捨選択。難しい問題ではありますが、そこに個性もまた生まれます。
 本作はその意味では実に個性的でありますし――それでいて物語の冒頭と結末をきちんと描くという当たり前のことをしているわけで――一つの切り口として評価できるものでありましょう。

 もちろん、七犬士ファンの方には、納得できない部分はあるかもしれませんが……


『まんがで読む 南総里見八犬伝』(学研教育出版) Amazon
まんがで読む 南総里見八犬伝 (学研まんが日本の古典)


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