石ノ森章太郎『買厄懸場帖 九頭竜』 復讐と伝奇活劇の先にあったもの
売薬の行商人として諸国を回る男・九頭竜。彼には、「買厄」――金で厄介事を引き受ける買厄人という裏の顔があった。そんな彼の目的は、自分の出生の秘密と、母の仇を探すこと。唯一の手がかりである九頭竜の前金物を知る者を探し、放浪の果てに彼が知った驚くべき真実とは……
現在、『コミック乱』誌において、宮川輝により『買厄懸場帖 九頭竜 KUZURYU』のタイトルでリメイク中の(そして以前にはさいとう・たかをにより『買厄人 九頭竜』のタイトルでリメイクされた)作品であります。
宮川版を紹介する前に、オリジナルを紹介せねばと慌てて手に取った次第です。
本作のタイトルとしてまず目に飛び込む「懸場帖」とは、懸場――薬の行商人が薬を得意先に預け置いて(いわゆる富山の置き薬)回る地域――の顧客帳簿。
得意先の氏名や売った薬の内容・金額等が記されたその帳簿は、売薬商人にとっては薬そのもの以上に大事な商売道具であり、時に売買の対象ともなったものでありました。
主人公・九頭竜はこの懸場帖を手にした売薬商人ではありますが、彼の稼業は「売薬」と同時に「買厄」――一件九十両であらゆる厄介事の始末を請け負う、時には殺しも躊躇わずに行うのが、彼のもう一つの商売であります。
本作は、そんな九頭竜が諸国を放浪する中、様々な「買厄」の中で出会った人間模様を描く連作シリーズですが――やがて物語は徐々に彼の真の目的を語り出し、そして驚くべきスケールの真実へと繋がっていくこととなります。
物心ついた時時には母親をはじめとする周囲の全ての人間を喪っていた九頭竜。彼に残された最初の記憶は、惨殺された母の死体の下で息を潜めていた時のものであり、彼は何者かによる大量虐殺の唯一の生き残りだったのであります。
とある修験者に拾われた彼は、母が握っていた「九頭竜」の前金物からその名を取って九頭竜と呼ばれ、長じて後、行商人の姿で己の過去と九頭竜の秘密を求めて旅を始めたのでした。
買厄の依頼が来るたびに、依頼人――すなわち、後ろ暗いところを抱えた者たち――にこの前金物を見せつけ、反応を探る九頭竜。
やがて彼が知るのは、前金物が全部で9枚存在すること、そしてそこにはこの国の歴史を動かすほどの巨大な秘密であり……そしてその秘密を求めて、様々な勢力と彼の死闘が始まることとなります。
と、一種の裏稼業ものから始まり、あれよあれよという間に途轍もない伝奇活劇とスケールアップしてみせる本作。
そのどちらも実に魅力的なのですが(九頭竜の、製薬道具を用いた殺陣が面白い)、しかしその両者を貫く、どうしようもなくドライで重い空気が、強く印象に残ります。
本作の舞台となる大部分は、都市部ではなく、山村・農村といった辺土。売薬の行商人が回る土地ということを考えれば、それはある意味当然かもしれませんが、しかしそこで展開する物語は、勢い暗く重いものととなることになります。
そして九頭竜の目的たる復讐という行為もまた、そこに明るさや温かさが挟まる余裕がないことも言うまでもありません。彼の戦うべき相手が何者であろうとも、彼の目的が正義のためではない以上、そこに熱さや高揚感というものもないのであります。
(もっとも、正義のヒーローですら、重い重い荷を背負わされるのが石ノ森作品ではありますが……)
そんな本作に漂うものは、作中の言葉を借りれば「愚かしいまでの善良さと 善良さにつけこむ狡猾さ」の二つ。
そしてそのどちらに寄ることもできず、「そのどちらもが持つ脆さの気色悪さに」吐き気を催すしかない九頭竜が旅の果てに掴んだのは、やはり索漠たるもののみですが――しかしそれがあまりにも良く似合うとしか言いようがない、そんな物語であります。
『買厄懸場帖 九頭竜』(石ノ森章太郎 講談社石ノ森章太郎デジタル大全 全3巻) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon/ 第3巻 Amazon
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