岡田屋鉄蔵『MUJIN 無尽』第2巻 少年の成長、大人の燦めき
幕末を駆け抜けた隻腕の美剣士・伊庭八郎の青春時代を描く『無尽』第2巻であります。ひ弱だった少年時代から、周囲の暖かい目に励まされ、一歩一歩踏み出していく八郎。しかしそんな彼が、否応なしに大人の世界に足を踏み入れざるを得なくなる悲劇が彼を襲うこととなります。
「一の子分」の鎌吉、頼もしい先輩の中根淑、無二の親友である本山小太郎――そんな友人・先輩たちとともに、剣の道に踏み出し、その天稟を示しつつある少年八郎。
時は黒船が来航し激動の時代ながら、しかし世の大多数はそれを知らず未だ泰平を謳歌していた時代、八郎もその一人として剣に打ち込んでいたのですが……
しかしここで思いもかけぬ悲劇が訪れます。それは父――八代目伊庭軍兵衛秀業の突然の死。齢五十歳にも満たぬ壮健そのものであった秀業が、コロリ(コレラ)に倒れたのです。
……と、ある意味この巻最大の見所(というのは気が引けるのですが)は、この凄惨極まりないコロリの描写。この時期に猛威を振るったコロリの恐ろしさは、様々な書物で読んで参りましたが、ここで描かれるそれは、もはや別格というほかない迫力であります。 その真っ正面から描かれる病状描写は、普通であれば避けるのではないか、と思わされるほどの、目を背けたくなるほどのものではありますが、しかしそれだからこそ生きるのが、その惨状を経てなお秀業が見せる人としての、父としての最後の燦めきでありましょう。
父の最後の叱咤激励を受け、八郎が父を送るために取る行動は、ベタと言えばベタではありますが、しかし迫真の描写の積み重ねにより、強く強くこちらの心を打つ名場面となっているのは、作者の筆の力によるものであることは間違いありますまい。
そして父の死を悲しむ間もなく八郎が巻き込まれるのは、心形刀流道場の、伊庭軍兵衛の名の後継者を巡る揉め事。
道場の、剣流の当主が亡くなった場合に後継者争いが起きるのは、決して珍しいことではありますまいが、しかしこの伊庭道場は血統ではなく、実力本位で選ばれるからこそ、紛糾する余地が生じるというのはなかなかに興味深いところでありますし、そこで八郎が取った思わぬ行動にも頷けるのですが――
しかしこのエピソードで個人的に強く印象に残るのは、九代目であり、八郎にとっては義兄に当たる惣太郎の人物像であります。
実力本位の剣流の後継者としては、温厚に過ぎるとも感じられる惣太郎。普通であれば長所でもあろうその人柄は、しかし剣術の世界においては逆に彼が周囲から侮られる原因ともなっていることは、第1巻でも描かれましたが、この事態において、彼の器量が活きることとなるのです。
その腕を秀業が認めたとはいえ、九代目襲名をある意味自分自身が最も驚き、相応しくないと考えていた惣太郎。そんな彼が、八郎が軍兵衛の名を継ぐ日を夢見つつも、当主として過ごしてきた日々の重み――
それは詳細には描かれませんが、しかしこの事態において彼が巧みに周囲を、八郎をまとめ、納得させてみせたその姿が、何よりも雄弁にそれを物語っておりましょう。
自他共に認める「中継ぎ」が見せる頼もしさ……これもまた、秀業とは別の意味の、大人の燦めきでありましょう。
さて、大人が大人としての存在感を示しつつも、時代の流れは、新たな世代の登場を促します。
もちろん八郎もその一人であることは言うまでもありませんが、この巻の終盤に登場するのは、ある意味その具現とも言うべき者たちであります。
「バラガキ」、「かっちゃん」……そう、八郎と同じ時代を剣を以て駆け抜けた「彼ら」の若き日の姿であります。
後継者騒動の余波で初の他流試合を行うこととなった八郎。その相手というのが、あの道場の「彼」で……と、もう幕末ファンにはたまらない展開であります。
(そして彼らのビジュアルが、また最高に「らしい」のが嬉しい!)
その強さは人のそれではなく「鬼とか天狗」の部類と評される相手に対し、伊庭の小天狗が何を見せてくれるのか――これは期待するなという方が無理であります。
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