鈴木英治『義元謀殺』上巻 「その時」に向けて交錯する陰謀
尾張攻めを目前に控えた一夜、駿府で今川家の旗本頭の屋敷が何者かの襲撃を受け、皆殺しにされた。事件を追う敏腕目付・深瀬勘左衛門は、背後にかつて義元の命で謀殺された山口家の復讐を疑う。果たして、同様に謀殺に関わった義元の馬廻にて勘左衛門の親友・多賀宗十郎の周囲でも不審な事件が……
鈴木英治と言えば、文庫書き下ろし時代小説のスター作家の一人であり、特に奉行所ものとも言うべき作品のスタイルを確立した一人と私は考えていますが、同時に戦国時代を舞台に、ミステリ/サスペンス色の強い作品を得意とする作家でもあります。
それを何よりもよく物語るのが本作――作者のデビュー作にして、優れた歴史ミステリとも言うべき作品であります。
義元――今川義元がいよいよ尾張の織田家を攻め、西に進出しようとしていた頃、駿府を騒がせた大事件。一夜にして旗本頭の一族郎党が皆殺しにされ、旗本頭の首が晒しものとされた事件をきっかけに、駿府周辺では奇怪な事件が相次ぐこととなります。
その事件を追うことになるのが二人の男――一人は家中きっての武芸の達人であり、過去のある事件で旗本頭と繋がる馬廻・多賀宗十郎。そしてもう一人は、切れ者で知られる目付の深瀬勘左衛門。
役目柄、凶行の下手人を捕らえるべく奔走する勘左衛門と、偶然下手人たちを目撃し、後に自らも狙われることとなった宗十郎は、それぞれの立場から、少しずつ謎に迫っていくこととなります。
やがて二人の前に浮かび上がるのは、かつて謀叛の濡れ衣を着せられて殺された山口家の一族の存在。
謀殺に関わった四人の武士には旗本頭と宗十郎が含まれていたことから、今回の事件はその復讐ではないかと考えるのですが、謀殺は一年も前の出来事、果たして何故今になって復讐が始まったのか……それに二人は悩まされることになります。
あるいは一味の真の狙いは義元暗殺、裏では今川家攪乱を狙う織田家が糸を引いているのではないか……
と、そんな本作の謎のある程度までは、実は読者の前にはあらかじめ明かされることになります。
二人の推理の通り、凶行の下手人は、謀殺された山口家当主の次男・山口三郎兵衛率いる一団であり、その目的は復讐と義元暗殺。そして彼に力を貸すのは、織田家の忍び・山路甚平とその配下の伝蔵……
実は本作は宗十郎と勘左衛門のいわば今川サイドだけではなく、織田サイドの視点からも描かれる物語。
復讐を行い、義元暗殺を究極の目的とする織田サイドと、それを阻む――もっとも、暗殺については半信半疑なのですが――今川サイド、それぞれの行動が交互に描かれ、「その時」に向けて一歩一歩物語が進んでいく様は、かの『ジャッカルの日』にも通じる興奮が感じられます。
しかし、如何に読者が一種神のような視点を持っていても、物語には数多くの謎が散りばめられています。何故宗十郎は最初に暗殺団と遭遇した時に殺されなかったのか。本当に義元暗殺を狙うのであれば、復讐のためとはいえ、何故先に人目につくような凶行を行ったのか。
度重なる凶行に、今川サイドが苛烈な取り締まりに出る一方、織田サイドでも裏切り者の存在が疑われ、疑心暗鬼に陥り……物語はこの上巻の時点では、向かう先すら見えません。
いや、向かう先が、織田と今川の合戦――あの桶狭間であることは間違いありますまい。しかしそこで義元が討たれたことが史実とすれば、果たしてこの暗殺行の意味とは……全ての謎が明かされる下巻も、近々ご紹介いたしましょう。
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