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2016.03.31

加藤廣『空白の桶狭間』 虚構の戦の果てに消えたものと生まれたもの

 圧倒的な軍事力を背景に尾張侵攻を計画する今川義元。もはや織田家に打つ手なしという状況に、木下藤吉郎は、山の民という己の出自を利用し、乾坤一擲の秘策を信長に提示する。松平元信(家康)をも巻き込んだその策の舞台は桶狭間。果たして桶狭間の戦の真実とは……

 『信長の棺』でデビューし、以降『秀吉の枷』『明智左馬助の恋』と続く「本能寺三部作」で一躍寵児となった作者の、三部作外伝とも言うべき作品であります。

 題材となるのは、言うまでもなく桶狭間の戦。ある意味戦国時代最大の逆転劇とも言うべきこの合戦については、それこそ世の信長ものと同じ数だけの解釈があるようなものですが、さすがに本作は相当にユニークな視点を提示しております。


 信長が尾張を統一したものの、未だその実力には疑いの目が向けられ、そして義元がその軍事力と謀略の才でもって、西への――京への進出を狙っていた頃。足軽大将として信長に仕える藤吉郎は、避けられぬこの激突を前に、むしろこれを好機と逆転の策を巡らせます。

 それは、義元を桶狭間に誘き出し、その首を取ること……言うは易し、行うは難しというほかない策であります。
 しかし、秀吉は信長の○○という奇想天外な、その一方で当時の状況を考えれば決してあり得ないことではない手段によって義元を油断させることに成功。そこから信長が……という一種完全犯罪めいた作戦を設定していくのは実に面白く、何よりもその結果、桶狭間の戦という「虚構」が生まれたという結論には大いに興奮させられます。

 もちろん、如何に練りに練られた策とはいえ、それを成立させるにはまだ足りぬものがあります。それを補うのが本作における藤吉郎の出自――山の民であります。
 実は遠く藤原道隆をその祖とする「山の民」の一員であった藤吉郎。そのが、山の民のネットワークを利用して、「犯行」の総仕上げとも言うべき豪快な仕掛けを繰り出してみせる場面が、本作のクライマックスとなります。

 実は、秀吉を山の民かそれに類する者として描いた作品は、本作が初めてではありません。その異数の出世の背景に、そうした出自を求める作品は決して少なくはないのですが……しかし、本作でそれが物語の仕掛けに直結するのには、なかなかに感心させられた次第です。


 もっとも、その山の民の存在が、本作の一つの弱点という印象もあります。簡単に言えば、山の民の概念を、物語の矛盾・無理を解決するために便利に使いすぎているとでも申しましょうか……
 クライマックスにおける仕掛けの豪快さもその一つですが(豪雨の予知まではやりすぎではないかと)、それ以上に、秀吉の行動原理とするには山の民の描写が薄く――そもそも「山の民」という曖昧模糊とした表現自体が気になるのですが――十分な説得力を持たせられなかったのは、残念であります。

 また、信長の腹違いの兄弟の僧・清玉のくだりなど、本能寺三部作との関わりではそれなりに意味があるものの、本作だけでみればどこまで必要か疑問の部分もあり、隔靴掻痒の印象もあります。


 しかしクライマックスたる桶狭間以降、決して少なくない分量が割かれた、その後の物語の味わいは、決して悪いものではありません。

 桶狭間の戦という壮大な虚構が生み出されるにあたっての共犯者と言うべき秀吉と信長。しかし時が経つに連れ、それを意図したか否かに関わらず、その「虚構」が一人歩きし、「史実」として化した時、二人もそれに縛られていく……
 そんな皮肉極まりない構図は、もちろん本作独自のものであると同時に、いつの時代にもいつの世にも通じるものがある、どこか普遍性を持って感じられます。

 そしてその虚構に対する態度において、信長と秀吉の間に亀裂が生まれ、そこにさらにもう一人の共犯者である家康も絡んでいくという結末は、彼らが現代においてどのように語られているか――もちろん本作もその一つであるわけですが――を思うとき、不思議な感慨を生むのであります。


『空白の桶狭間』(加藤廣 新潮文庫) Amazon
空白の桶狭間 (新潮文庫)

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2016.03.30

波津彬子『雨柳堂夢咄』其ノ十六 区切りを超えても変わらない暖かい世界

 大きな柳の木の傍に立つ骨董屋・雨柳堂を舞台に、店主の孫の美少年・蓮を狂言回しとした『雨柳堂夢咄』待望の最新巻・其ノ十六の登場であります。前巻で記念すべき第百話を達成した本作ですが、良い意味で通常営業と言うべきでしょう、この巻でも常に変わらぬ魅力的な世界が展開されています。

 さて、この巻に収録されているのは全8話。もちろんどのエピソードも骨董品にまつわるものであることは言うまでもありませんが、しかしその品も、登場人物も物語も、いつものことながら、バラエティーに富んでおります。以下のように――

 ある日忽然と姿を消した小説家の友人を捜す挿絵画家がたどり着いた「菊慈童」の伝説『仙境にて』
 骨董品狂いを妻に睨まれている学者が選んだ贈り物が浮き彫りにする彼女の想い『おくりもの』
 京助が不思議な二人の子供と出会ったことで誘拐犯と勘違いされたことから始まる美しい因縁譚『なかきよのとおのねふりの』
 没落した家の青年が、幼い頃に出会った掛け軸と不思議な形で巡り会う『早蕨のころ』
 とある家で妊婦を護るという神宮皇后ゆかりの品を巡る奇譚『神功皇后』
 夏風邪に倒れた蓮の祖父が、若き日に出会った女性と品物に夢裡に再会する『夏の風邪おくり』
 雨柳堂に置かれた美しい鍔に引かれる乙女の想いの意外な結末『乙女の祈り』
 編集者を振り回す怪談マニアの作家が参加した怪談会で味わった恐怖を描く『怪を語れば』

 ユーモアあり、ロマンスあり、感動あり、(ちょっぴり)恐怖あり……様々な想いが巧みに織り込まれた物語は、滋味に富んだという表現がしっくりくるものばかりであります。


 そんな本書の中で、特に私の印象に残ったのは、『仙境にて』『なかきよのとおのねふりの』の二編です。

 突然失踪した友人の幻想小説家の跡を追う挿絵画家の姿を描く『仙境にて』は、画家の探索が続くにつれて、小説家の人物像が徐々に浮かび上がる……いや、むしろ薄れていくのが実に面白い一編。
 小説家が失踪前に語った「菊慈童」――菊の露を口にして不老不死となった古代中国王の侍童の物語が、思わぬ形で意味を持つのには驚かされましたが、結末の余韻は、それこそ良質の幻想小説の読後感に通じるものがあります。

 一方の『なかきよのとおのねふりの』は、登場するたびにトラブルに巻き込まれる医学生の京助さんが、早速二人の迷子に懐かれた末に、誘拐犯扱いされる……という展開だけでニヤニヤが止まらなくなるのですが、しかしそこからの展開が意外かつ感動的。
 実は迷子は一人だったという展開からは、本シリーズの読者ならばピンと来るものがあるかと思いますが、そこから生まれるドラマには、ただ涙……。しかしそれに留まらず、もう一回転してユーモラスな結末に着地する完成度の高さには、ただ唸らされるばかりでした。


 もちろん他の作品もそれぞれに魅力的な本書、おそらくは読者それぞれに、気に入る作品は異なるのではないでしょうか。
 しかし全ての読者が(もちろん私を含めて!)一致するのは、本書の変わらぬ完成度の高さと、居心地(という表現は妙なのかもしれませんが)の良さでありましょう。

 あとがき(巻末の日常漫画とともに、単行本の大きな楽しみであります)では相当に弱気にも見える発言をされている作者ですが、何の何の、謙遜にもほどがありましょう。

 百話を超えても、連載25周年を迎えても、変わらぬ不思議で暖かい場所――雨柳堂。この店を、この世界を、我々はこれからも愛し続けるのであります。


『雨柳堂夢咄』其ノ十六(波津彬子 朝日新聞出版Nemuki+コミックス) Amazon
雨柳堂夢咄 其ノ十六 (Nemuki+コミックス)


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 「雨柳堂夢咄」其ノ十四 流れる人と変わらぬ物の接点で
 『雨柳堂夢咄』其ノ十五 百話目の雨柳堂、百話目の蓮

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2016.03.29

『或夜の奇妙な出来事 変』から 異なる作風、異なる怪異の3編

 発売から二月経ってからの紹介で恐縮ですが、少年画報社の女性向けコンビニホラーコミック『或夜の奇妙な出来事 変』を紹介いたしましょう。タイトルは全く異なりますが、内容的には昨年夏に発売された『妖怪奇聞 異譚』の続編とも言うべき一冊であります。

 読み切りのホラー短編が収録された本書、時代ものメインということは全くありませんが、『妖怪奇聞 異譚』と同様、メインどころと言うべき2作が明治頃を舞台とした作品ということで、私としても注目していたところです。
 ここではその2作ともう1作品、時代ホラーものを紹介しましょう。

『ななし譚』(永尾まる)
 帰ってきた『ななし奇聞』、今回はタイトルに「ななし」の語が含まれ、作中にもちゃんと七篠先生の名前も登場(それだけでなくあの宿屋の名も……)する新作であります。

 都会から離れた辺鄙な山村を訪れた七篠先生、崖から落ちて怪我をしたところを、人の良さそうな夫婦とその息子である青年に助けられるのですが、実は息子には秘密が……という趣向。
 お話の自体はすぐに先が読めるところではありますが、背景となっている習俗が何とも薄気味悪く(実際にあったものだと記憶しております)、しかしそれに頼らざるを得なかった人々の悲劇が伝わってきます。

 やりきれない物語ではありますが、例によって特に何をするわけでもなく(今回はちょっと危なかったとはいえ)飄々と傍観者的な立場を取る七篠先生の存在感が、苦みを少し和らげていと言うべきかもしれません。

 ただ、登場人物の表情は、どうなのかな、こういう時にこういう顔をするのかなあ……というところもあり、この作者にしても難しい題材なのかな、とは感じたところではあります。


『雪見る酒』(桐村海丸)
 どこかとぼけた自然体の人々を多く描く作者にしては珍しいように感じる不気味な作品であります。

 雪が降り続ける中、人気のない山中の屋敷に迷い込んだ娘が、その中で悠然と雪見酒をする朧たけた美女と出会って……
 という本作、物語は淡々と進み、実は結末も明確には描かれず、ただ娘の言葉によってある運命が示されるのみなのですが、これがなかなかにぞうっとさせます。

 こうした構成は、結末でドバッとグロ怪異が飛び出す本書の収録作の多くとは異なるところではありますが、如何にも作者らしく、そして個人的には好ましい趣向であります。


『物見の文士 邪龍はいざなう』(晏芸嘉三)
 ペンネームを変えた作者による『物見の文士』シリーズの最新作は、実に68ページとかなりの読み応え。どこか浮き世離れした怪奇小説家、実は「見える」人である夜都木周平先生が、今回も怪事件に巻き込まれることとなります。

 長雨が続く中、ふらりと散歩に出かけた夜都木先生。不思議な蛇に導かれるように郊外の湖畔の集落を訪れた先生は、その蛇が見えると口走ったばかりに捕らえられ、龍神の生贄にされる羽目になってしまいます。
 厳重に縛られ、湖に放り込まれるのを末ばかりの先生ですが、その前に不思議な美青年が現れて――

 と、お話的には古風なシチュエーションではあるのですが、巻き込まれるのが昼行灯の先生という時点で、いい意味で緊張感がないのがなかなか楽しい。
 謎の美青年の存在も、ある意味定番とはいえ捻りが効いておりますし、普段先生に口やかましく接する書生(?)の少年の設定にも驚かされました。
(タイトルの邪龍がUMA的なデザインなのも、個人的には異物感があって好きです)

 ページ数故か、エピローグにそれなりの分量が裂かれており、その中で先生のふとした言葉の端から、存外な人の良さがうかがえる結末もいい。
 絵的には個人的には粗さを感じるところはあるのですが、やはり楽しい作品であることは間違いありません。


 というわけで、長短取り混ぜて3作品を取り上げさせていただきましたが、どれもホラーと銘打ちつつも、それぞれ全く異なる作風の作品で、楽しませていただきました。こうした時代ホラーも楽しめる媒体として、続刊も楽しみにしております(その時はタイトルが変わらなければよいのですが……)


『或夜の奇妙な出来事 変』(少年画報社) Amazon
或夜の奇妙な出来事 変 (コミック(ドッキリコミック)(ソフトホラー系廉価コンビニコミックス))


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2016.03.28

きさらぎ希衣『平安もののけバスターズ 大盗賊の再就職』 わかった上での破天荒な快作

 近頃都を騒がす大盗賊・袴垂こと藤原保輔。宮中に忍び込んだ際に源頼光に追われて清涼殿に飛び込んだ彼が出会ったのは、時の東宮・憲平親王だった。その場は「鬼」を利用して逃げ延びた保輔だったが、しかしその「視える」体質を買われ、こともあろうに東宮に仕えることを求められて……

 いわゆる平安ものの人気者といえば、まず真っ先に安倍晴明が、次いで源頼光や渡辺綱といった面々が挙げられるかと思いますが、それに次ぐのは、大盗賊・袴垂保輔ではありますまいか。
 本来は別々の人物でありながら、いつしか同一人として扱われるようになったこの人物は、その謎めいた存在感と貴族盗賊という不可思議な人物像から、平安もののキャラクターとして動き回らせるには、うってつけと言えるかもしれません。

 さて、本作はその袴垂が頼光や晴明と組んでもののけ退治に挑むという――どこかで聞いた設定の気もしますが、上記のとおり有名人ゆえ、被ることも不思議はないでしょう――物語。
 ある事情から官職にもつけず、盗賊の稼ぎで我が身と使用人を養っていた保輔。そんな彼には、この世ならざる者を視る力があったことから――そして同様の力を持つ東宮と宮中で出くわしたことから――彼は思わぬ形でスカウトされることとなります。

 実は人ならざる何者かに命を狙われていた東宮。その東宮を護り、そして物の怪を倒すため、保輔は頼光、晴明、江式部らから成るチームに招かれたのであります。
 ……というのは表向き、実質的には断罪との二択で無理矢理引っ張り込まれた保輔。しかし犯歴を抹消して定職を得られ、しかも当代一の美女歌人・江式部とお近づきになれるというのは、彼にとってもおいしい話。

 かくて、袴垂こと保輔は処刑され、自分は双子の兄の保昌(!)ということにして東宮を護ることになるのですが……


 という設定の本作は、タイトルから何となく察せられるように、全体のムードはかなり砕けた調子。登場人物の台詞として「マジ」「あざーっす」などというワードが飛び出すのには、眉を顰める方も少なくないかと思います。
 しかし読み進めていけば、それは分かった上で崩しているのではないか……そう感じられるようになります。

 平安ものというのは、特に少女向け小説では人気のジャンルではありますが、その一方で、現代の我々から見れば、社会体制文化風俗、そして当時の貴族・武士の事績や血縁関係等々、馴染みが薄いというのが正直なところでありましょう。
 例えば、冒頭に挙げた本作のメインキャラクターたちはともかく、畏れ多いことながら、憲平親王の事績についてすぐに思い当たる方は少ないと思いますし、また、保輔の血縁にまつわる逸話などは、尚更でありましょう。

 本作が見事であるのは、そうした平安時代ならではの題材を丹念に拾い上げつつも、それを実にさらりとわかり易く描き出して見せたことであり――そしてそれだけでなく、そこからさらにある要素を物語の中核として、キャラクターの行動原理として設定してみせる点にあります。
(ちなみに本作、他の作品では滅多に触れられたことのない、天文博士時代の晴明が殿上人ではなかった、という点にさらりと触れているのに痺れます)

 物語の興を削がない程度に紹介すれば、それはすぐ上で触れた東宮の事績であり、保輔の血縁――彼の祖父と東宮の因縁であります。
 東宮の事績に密接に関わる、彼を襲う物の怪の正体・理由もなかなかに衝撃的ですが、祖父の代からの因縁を持つ保輔が、その東宮を救うために理由・心の動きが、実にいいのであります。

 そしてそこから東宮を救うために保輔が取る手段というのが、これがもう本当にとんでもないにもほどがあるのですが、しかし(元)大盗賊たる彼なればこそ、という物語上の必然性があるに至っては、ただただ唸らされるばかりなのです。


 ちなみに本作、上記のエピソードに加え、頼光の屋敷に招かれた保輔が、不思議な琴と凶暴な盗賊にまつわる騒動に巻き込まれる短編が収録されているのですが、こちらも『古今著聞集』を踏まえた物語運びが楽しい作品。
 保輔の……いや保昌の事績を知っていれば、ある人物とのその後も気になるところで、これは是非とも続編を期待したい快作なのであります。


『平安もののけバスターズ 大盗賊の再就職』(きさらぎ希衣 集英社コバルト文庫) Amazon
平安もののけバスターズ 大盗賊の再就職 (コバルト文庫)

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2016.03.27

『仮面の忍者赤影』 第14話「謎のまんじ党」

 元亀2年、ポルトガル船が何者かに次々と沈められるという事件が発生していた。そんな中、堺の泉州屋でゼウスの鐘を献上された織田信長を、卍党の二人の怪忍者が襲い、鐘を奪わんとする。駆けつけた赤影により追い詰められる二人だが、そこに飛行要塞・大まんじが出現、赤影は一転窮地に陥る……

 いよいよ今回から「卍党篇」、ある意味最も狂った世界が展開することになります。

 冒頭語られる、原因も理由も不明のまま、ポルトガル船が次々と襲われているという状況。よく見るとかなり生々しく沈没の様が描かれているのですが、全てが影絵で処理されるので、そうとは感じさせない演出が素晴らしい。その関係か、白影と青影は、海に潜って調査を続けている模様です(ここで青影を水中銃を持った何者かが狙うのですが、何となくスルーされて以降出番なし)。

 その頃、竹中半兵衛を連れて堺の豪商・泉州屋を訪れていた信長。当時の信長は、前年に姉川で浅井・朝倉連合軍を破って包囲網を脱し、比叡山焼き討ちを行うなど、諸勢力と激戦を繰り広げるまっただ中ですが、その信長を平然と招き、冗談も交えて談笑する泉州屋は、相当の大人物なのでしょう。
 そして泉州屋が信長に献上したのはギヤマンの鐘。南蛮船の船長からもらったというその鐘の名は、ゼウスの鐘――

 しかし、その屋敷の厳重な警戒網を尽く倒したのは、海からやってきた生き物なのか作り物なのかよくわからない変な鳥。そして次いで現れたのは、ガスマスクに赤いウエットスーツの男・不知火典馬と、同じく青いスーツの男・魚鱗流伯……「ファイヤー!」のかけ声で地面から自在に炎を放つ典馬は、駆けつけた半兵衛を昏倒させて信長に迫り、泉州屋が乱射するリボルバーにも動ぜず、鐘を奪い取るのでした。

 去り際に半兵衛に止めを刺さんとする典馬。しかしその時、半兵衛が手にしていた赤い玉が明滅しながら宙を舞い……(えらい微妙な宙返りしつつ)赤影参上! 典馬のファイヤー連発と赤影の爆裂弾連打という、割りとアバウトな対決の末に不利と見た典馬は、全身を燃え上がらせて門を溶かし抜けた(と見せかけて実は門はそのまま。幻術?)忍法火炎陣で退却するのでした。

 首尾良く鐘を取り返した赤影に喜ぶ信長たちですが、油断はしない赤影は、仮面をスコープモードに変えると、エメリウム光線っぽいポーズから光線発射! と、庭の噴水の上に立つのは、存在を忘れかけていた流伯。岩をも穿つ水弾を放つ忍法水鉄砲の猛攻に、赤影は(一度信号弾を放っても無視されたので)白影・青影に非常召集をかけます。

 その間に鐘を奪取して逃走する典馬と流伯。おそらくは以前青影が使った忍法水すまし的な水流を噴出させる技で水上を行く二人に対し、赤影は倒壊した四阿の屋根を船代わりに追跡するのですが、水上でも燃え上がる典馬の炎に取り巻かれ、逆にピンチに……が、そこに駆けつけた白影青影が上空から炎を消し、投網で典馬らを捕らえるのでした。

 しかしそこから再逆転、水中から現れた大怪球・大まんじの放つ炎が典馬らを解き放ち、赤影たちを追いつめます。大まんじに飛びつく赤影ですが、炎の勢いに為すすべなし。ところが泉州屋に吹き飛ばされた白影が、見張り櫓の照明にスコープを取り付けた即席の光線砲を製作。……いや、本当にそうとしか言いようがないんですって!
 とにかく、その光線砲の絶大な威力の前に大まんじも大破、そのまま水中に姿を消すのでした。

 しかしゼウスの鐘は結局典馬に奪われたまま。信長は、赤影に鐘の謎を解き明かすことを命じるのでした。半兵衛の「ゆけ、我らが影!」という声に送られ、赤影たちの新たなる戦いが始まります。

 ……が、ガスマスクにウエットスーツの典馬たちに泉州屋のリボルバー、白影たちの持っていた警報機に、とどめの光線砲と、第二部初回から、いきなり何時の時代の話かわからぬ描写の連発に目を白黒させられるばかり。ある意味、水をくぐり(OPで)空を飛ぶ大まんじが一番普通に見えるというのが狂気を感じさせるところです。


今回の怪忍者
不知火典馬

 泉州屋の持つゼウスの鐘を奪うために現れた赤い男。ファイヤー! のかけ声とともに至る所から自在に炎を噴き出し、己の体を炎に包んで消える忍法火炎陣の使い手。

魚鱗流伯
 典馬とともに泉州屋を襲撃した青い男。姿を消して赤影の様子を窺っていたが見破られ、岩をも穿つ水滴を放つ忍法水鉄砲で襲いかかった。


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2016.03.26

芦辺拓『金田一耕助、パノラマ島へ行く』 探偵小説の中で流れる時代と、甦る過去

 マニアックな趣向の作品を描かせれば本格ミステリ界有数の巧者・芦辺拓が、その趣向をフル回転させて描く金田一耕助&明智小五郎もの作品集も、はや第三弾。今回は、二人の名探偵が、それぞれの活躍の場を入れ替えるようにして、怪事件に挑むことになります。

 本書は『金田一耕助、パノラマ島へ行く』『明智小五郎、獄門島へ行く』の二編からなる作品集ですが、その目指すところは、それぞれのタイトルから明らかでしょう。
 パノラマ島とは、乱歩の『パノラマ島奇談』に登場した歓楽の島、獄門島とは正史の同名作に登場した奇怪な見立て殺人の現場となった島――それぞれの作者の代表作の舞台と、探偵役の組み合わせ(『パノラマ島』には明智は登場しないのですが……しかし)を入れ替えて、物語は展開していくのです。

 表題作の『金田一耕助、パノラマ島へ行く』は、パノラマ島をレジャーランドにする計画を立てた親友の不動産業者・風間俊六に引っ張り出された金田一が、まるで遙かな高みから落ちたかのような死体となって発見された男の謎に挑む事件。
 舞台となるパノラマ島は、かつてある男の奇想のままに作り出されながらも、男が姿を消すと共に幻と消えた島。廃墟となって久しいその島で、果たして何が起きたのか。島の対岸の宿に泊まった金田一が夜半に聞いた物音から、意外な真相が浮かび上がるのですが……

 いかにも作者らしい豪快な、しかしこの場所ならではのトリックや、原典読者であればニヤリとできる登場人物の顔ぶれもさることながら、しかし圧巻は、本作を通じてなされるある問いかけでありましょう。
 「夢見る者が去った後、彼が見ていた夢はどこに行ってしまうのか?」という――

 言うまでもなく、パノラマ島は、乱歩が描いてきた幻妖怪奇な夢の中でも筆頭とも言うべき存在。そのなれの果てを、その結末を、本作は金田一という探偵――数々の事件で因縁に縛られた共同体に対する時代の変化の象徴/見届け人を務めてきた男を通して描き出すのです。(そしてそこに、原典では描かれることのなかったもう一つの視点が用意されているのも心憎い)

 本作の舞台は高度成長期、様々な古きものが消え失せ、新たな――どこか味気なくも感じられる――ものたちが生まれた時代。パノラマ島はその象徴とも言うべき存在でありますが、しかし同時に、そこを訪れた金田一も、古きものの側に属する人間でもあります。
 結末近くで彼が見たある光景は、彼自身に対する餞でもあった……というのは、いささかセンチメンタルに過ぎるでしょうか。


 一方、『明智小五郎、獄門島へ行く』は、明智と文代、小林少年の三人が、休暇で獄門島を訪れたことから始まる事件であります。横溝正史による小説で(!)人口に膾炙することとなった獄門島。しかし島に上陸した明智たちの前に現れる獄門島の人々はは、どこかよそよそしさを感じさせる態度を取るばかりでありました。
 島では陸を歩く巨大な蛸、身を失った巨大な鯛の作り物、消えた小林少年、牢に閉じこめられた謎の男。続発する奇怪な事態の果てに待つものとは……

 こちらも孤島を舞台としつつも、果たして何が起きているのか、事件らしき事件を明らかにせず展開していく本作。しかしその果てに明かされる真実は、やはり作者の豪腕が冴え渡る驚天動地のトリックであります。

 そして唸らされるのは、獄門島という横溝正史の代表作(あと『夜光怪人』)の舞台をきっちりと踏まえつつも、そこで繰り広げられる物語は、どこまでも江戸川乱歩の、それも戦後の明智小五郎もの――すなわち、みんな大好き少年探偵団の空気を醸し出している点であります。
 さらにそれが、単に雰囲気だけではなく、実は謎解きの一部として見事に機能していくのもたまらない。クライマックスに流れるあの歌には、一定年齢以上の方は落涙を禁じ得ないのではないでしょうか。

 しかし、この反則すれすれのメタな仕掛けは、いや、古き因習の象徴ともいうべき島で起きたこの事件は、同時に広く「消費」の対象となった探偵小説の――そしてそれを取り巻く社会の――変化の象徴とも感じられます。
 前半部とは大きく趣を変えるやにみえる本作もまた、時代と社会の変化を描くものなのであり――そしてそれがラストの明智の言葉に繋がるのではありますまいか。


 しかし何よりも切ないのは、そんな時代ですら、我々から見れば、既に過去となっていることなのですが……いや、そんな過去を懐古趣味だけでなく、現在の我々を楽しませるミステリとして甦らせた作者の作品に対し、あまり湿っぽい述懐は似合わないかもしれません。


『金田一耕助、パノラマ島へ行く』(芦辺拓 角川文庫) Amazon
金田一耕助、パノラマ島へ行く (角川文庫)


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2016.03.25

永尾まる『猫絵十兵衛 御伽草紙』第15巻 この世界に寄り添い暮らす人と猫と妖と

 人ならぬものを見、猫と語ることができる猫絵師の十兵衛と、元は猫仙人の猫又・ニタ――おかしな二人を狂言回しに描かれる一風変わった人情譚も、ついに第15巻、いや、ついに第100話を数えることとなりました。もちろんこの巻でも、人と、猫と、妖が入り交じった温かな世界は健在であります。

 しかし、一口に100話と申しますが、本作が月刊誌で連載されていることを思えば(増刊への掲載を含めたとしても)、容易なことではないことは言うまでもありません。連載開始から今日まで約9年――この巻に収録されている分を考えれば約8年、本作が変わらぬ支持を受け続けてきた、何よりの証でありましょう。

 もっとも、100話目だからといって、特段に改まったことをしているわけではなく、ごく通常営業の物語が描かれるのですが――もっとも、増刊に掲載された分を含めての通算であることも関係するかもしれませんが――それが逆に、実に本作らしいと感じます。

 さて、そんなこの巻に収録されたのは全部で8つの物語であります。
 猫を救って命を落とした男の家族のため、若き日の十玄と少年時代の十兵衛が奔走する「恩送り猫」
 同じく過去を舞台に、十玄と十兵衛が猫を連れた砂絵描きと出会う。「砂絵猫」
 菓子店のお嬢様との見合いに西浦を引っ張り出すために周囲の人々が用意した奇策「猫恐の武夫」
 思わぬ結果に落ち込むお嬢様を力づけようとする店の手代に、ニタが思わぬ形で協力する「味見猫」
 江戸に連れて来られたものの、故郷の塩尻に主がいると思いこんで中山道を行く猫の道中記「中山猫」
 猫たちの頭頂部と髭を剃っていく謎の通り魔を追う十兵衛とニタが見た意外な正体「涅槃猫」
 世を儚んで身投げした娘を救った十兵衛とニタが見た、彼女が起こす不思議で美しい奇瑞「蛍髪猫」
 猫たちの楽園だった空き屋を占領し我が物顔に振る舞う浪人たちに子供たちが挑む第100話「提灯猫」

今回もまた、不思議な妖の物語あり、おかしくも切ない人情譚あり、一つとして同じ所のない、バラエティに富んだ物語が展開いたします。


 さて、正直なところ本作を紹介する時に、ハタと困ってしまうのは、物語のスタイルがある程度固まった連作集である故に、個々の収録作の内容以外を語りにくいところであります。
 この記念すべき巻においてもそれは同様なのですが……しかし、この巻に収録されたエピソードの、ある場面が、本作の魅力を再確認させてくれたように感じられます。

 それは「中山猫」の一場面――夜の碓氷峠を懸命に行くうちに崖から落ち掛けた猫を、この地に住む妖怪・撞木娘が助けた場面。
 この撞木娘、着ているのは如何にも若い娘らしい美しく華やかな衣装ながら、その顔は、撞木の両側に目がついた、猫ならずとも夜道で出会えば仰天間違いなしの妖であります。

 しかしこの撞木娘、存外に人、いや猫懐っこく、足に怪我をした猫を胸に抱いて、夜道を(おそらくは)馬子唄を歌いながら安全なところまで猫を運んでいくのですが――その姿は、どこか不気味で幻想的でありつつも、実に微笑ましく、そして美しい。

 そう、そこにあるのは、種を超えて心を寄せ合う者たちの姿……猫であれ、妖であれ、そして人であれ、等しく命を、心を持ち、同じ世界で寄り添い暮らす者として、本作は描き出してきました。
 世界には、自分と異なる存在がいて――そして彼らと心を通わすことができる。それは何と素晴らしく、心を温かくすることではないでしょうか。


 これまで15巻、100話に渡って本作が描いてきたのは、この素晴らしさ、温かさであり……それは、この先も描き続けられていくことでしょう。
 そして我々もまた、それに魅せられ続けていくのだと、改めて確認させられたところであります。


『猫絵十兵衛 御伽草紙』第15巻(永尾まる 少年画報社ねこぱんちコミックス) Amazon
猫絵十兵衛御伽草紙  十五巻 (コミック(ねこぱんちコミックス))


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 Manga2.5版「猫絵十兵衛御伽草紙」 動きを以て語りの味を知る

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2016.03.24

長谷川明『戦国外道伝 ローカ=アローカ』第1巻 激突、地獄を生む城vs地獄を喰らう者

 武田信玄と上杉謙信の軍勢が激突する川中島。しかしそこに突如現れた魔界の城・纐纈城から現れた奇怪な軍勢により、兵たちは次々と無惨に屠られていく。その魔手が望月盛時の小姓・五郎丸に迫った時、戦場に飄然と現れた男が、魔界の兵を容易く倒す。その男の名は加藤段蔵、求職中の忍びだった……

 人の生き血を絞る魔の城、纐纈城――その存在は、宇治拾遺物語に語られ、そして国枝史郎の不朽の名作『神州纐纈城』で伝奇愛好家に知られるところですが……ここにその纐纈城が復活しました。

 時は戦国、所は川中島……武田と上杉の激突がまさに始まった時、戦場に現れたのは、奇怪な兵の群れ。絡繰り仕掛けの如き人ならざる中身を持つその兵たちこそは、この戦国に現れた魔界の城・纐纈城の尖兵でありました。

 その纐纈城の兵に、武田の兵が次々と捕らわれ、引きずり込まれていく中、そこに纐纈城を恐れるでもなくふらりと現れた一人の男。自らの目を端切れで目隠ししたその男――加藤段蔵は、人の身では到底敵わぬ纐纈兵を軽々と倒し、しかもその中身を飲み干してしまうのですが……


 いやはや、纐纈城に対するに、加藤段蔵を持ってくるとは!
 加藤段蔵、またの名を飛び加藤は、戦国の世にその人ありと知られた凄腕の忍び。それも、主としてその妖術師めいた言動で知られた妖人であれば、纐纈城を相手にするに不足はなしでしょう。

 しかも本作の段蔵は、半ば魔界の者――幼い頃にこの世の地獄を見て育つうちに、やがてその目は魔界を見るようになったという凄まじい男。
 今に伝わる段蔵の怪しの術の一つに、頭から牛を飲み込んでしまう呑牛の術(これ自体はまあ、中国伝来のエピソードですが)というものがありますが、本作の段蔵は、牛は牛でも地獄の牛頭を飲み込む! というアレンジには、大いに痺れさせられました。


 さてその段蔵、その奇怪な術と体とは裏腹に、本人はどこか抜けているのではないかというほど呑気な男で、川中島に現れた際も就職中と嘯くほど。その怪しさが祟って上杉を追われた彼は、武田にアプローチをかけるのでありました。
 そんな彼に凄まじい試しをかけた末に採用した信玄の意図は、纐纈城攻略。この世ならぬ魔界の城を攻略するために、自分に負けず劣らずの外道者を集めることを命じられた段蔵は、まず死体を漁って歩く少女・火車鬼に目を付けて……


 と、この第1巻は、まだまだプロローグの印象。未だ謎多い纐纈城の恐怖と、それに抗する一番手たる段蔵の紹介編という趣があります。

 しかし物語の幕は開きました。これから先、纐纈城を陥するために、いずれ劣らぬ魔人が、外道者たちが集められることでありましょう。
 地獄を生み出す城と、地獄を喰らう者の激突。これを楽しみというのはいささか躊躇われもしますが……いや、やはり楽しみと言うほかない地獄絵図の幕開けであります。


『戦国外道伝 ローカ=アローカ』第1巻(長谷川明&佐藤将 講談社ヤンマガKCスペシャル) Amazon
戦国外道伝 ローカ=アローカ(1) (ヤンマガKCスペシャル)

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2016.03.23

逢巳花堂『一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア 弐』 梁山泊の死闘! そして物語が向かう道

 天命の巫女に反逆者として追われることとなった燕青と林冲。旧知の王倫が籠もるという梁山泊に向かった二人は、そこで朱貴・杜遷・宋万の三人の仙姑と出会う。王倫の言葉に従い、梁山泊の地下に眠る絶大な力を秘めた宝貝を目指す燕青たち。しかしその頃、新たな討伐軍が梁山泊に迫っていた……

 『水滸伝』の一〇八星が、異能を持つ一〇八人(?)の美少女・仙姑として転生した世界。そこで対仙姑部隊たる討仙隊に所属しながらも、同僚・陸謙の裏切りにより、隊を追われ、お尋ね者として放浪を余儀なくされた燕青と林冲が向かう先――それは梁山泊、言うまでもなく、原典において一〇八人の豪傑が依った自由の砦であります。

 が、原典においてはその梁山泊も、元は彼らのものではなく、王倫という書生崩れの賊から奪ったものなのですが……さて、本作は、原典のまさにその部分に当たる物語を描きつつも、大きく違った展開を見せることとなります。
 何しろ本作の王倫は、絶大な力を持つオーパーツ・宝貝の研究者である異国の美女という設定。討仙隊の協力者として、燕青や林冲とは旧知の間柄である彼女は、一足先に都を離れ、途中出会った朱貴たち仙姑とともに、梁山泊に訪れたのであります。

 しかし如何に仙姑たちが一人一芸の異能――朱貴は鰐ならぬ恐竜(!)への変身、杜遷と宋万が巨大機械兵「摸着天」「雲裏金剛」の召還――の持ち主とはいえ、彼女たちはわずか四名の女性。そこに燕青と林冲を加えても六人にしかならぬ状態で、何故王倫はこの梁山泊に籠もる道を選んだのか?
 それは、梁山泊が数々の宝貝が眠る地であり、そしてその中でも最強クラスのもの、地形を自在に変化させるという山河社稷図が地の底深くに眠るためでありました。

 かくて燕青たちは、奇怪な罠と番人たちが蠢く地底迷宮に潜り、その先の伝説の宝貝を求めることになったのですが、しかしそこに迫るのは、高キュウが送り込んだ新たなる刺客。党世雄や劉夢竜ら討仙隊水軍と、かつて燕青と林冲に捕らえられた仙姑・楊志!
 圧倒的な戦力差を覆すためには、伝説の宝貝を甦らせるしかない。しかしその先で燕青たちを待っていたものは……


 いかにもライトノベルらしくと言うべきか、本作の前半部分は、女の子だけの梁山泊(申し遅れましたが、本作の梁山泊には一般兵はおりません。いるのは王倫、燕青と仙姑たちのみ)でただ一人の男である燕青が、ラッキースケベを(主に朱貴相手に)連発する展開が続く本作。

 この辺り、苦手な方は苦手かもしれませんが――しかしそのやり取りの中で、徐々に朱貴の人となりが浮き彫りとなっていくのは巧み――打って変わって繰り広げられる官軍との、楊志との決戦、そしてその先の……は、まさしく超水滸伝とも言うべき、人の域を超えた豪傑、いや仙姑が繰り広げる能力バトル。原典のイメージを踏まえた各人の能力も面白く、本作ならではの味付けを存分に楽しむことができました。

 さて、先に触れたとおり本作で描かれるのは、原典でいえば林冲の放浪から初期梁山泊入り、そして梁山泊の頭領交代のくだりなのですが、しかし、原典とは大きく異なり、本作における王倫とは燕青は旧知の仲。記憶喪失の彼にとっては姉のような存在であった王倫が、果たしてどのような役割を果たすことになるのか? その答えは、故国を離れ、はるばる東の果ての宋を訪れた王倫が真に望むものにあります。……それは、燕青の、林冲の、そして梁山泊に集った敵味方全ての運命を左右することとなるのであります。

 そして、その王倫の望みに対し、燕青がどのように答えたか? それをここで明かすことはできませんが、ただ一つ、その言葉こそは、本作が向かうべき道をはっきりと示したものであり――そしてそれは同時に、作者にとっての水滸伝という物語の在り方を示すものでしょう。

 女体化水滸伝といえば際物のように感じる向きもいらっしゃるかもしれませんが、いやいやその中心を貫くのは、水滸伝という――見る者、描く者によって様々に姿を変える――物語への確かな眼差しであります。
 この先もそれを見続けたい、その向かうところを確かめたい……続編を、強く強く望むところです。


『一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア 弐』(逢巳花堂 電撃文庫) Amazon
一〇八星伝 天破夢幻のヴァルキュリア 弐 (電撃文庫)


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2016.03.22

矢野隆『凜と咲きて』 愛の結晶たる大殺陣の果てに

 歴史小説に、ゲームのノベライズにと相変わらず大活躍の矢野隆。しかし個人的には作者の真骨頂は、やはり屍山血河の中で輝く「戦う者たち」を描く時代小説ではないかと感じます。売れっ子芸妓の顔の下に、恐るべき剣の腕を持つ美女が、群がる敵を斬って斬って斬りまくる本作のような……

 本作の主人公・凜は、美貌と気っ風のよさで売れっ子の芸妓ながら、事あらば三味線に仕込まれた刀と鋭く研ぎ澄まされた撥(そしてもう一つ……)を振るうバトルヒロイン。
 その技は剣術道場主であった父から教えられたものですが、実はその父は盗賊、事が露見して捕らわれた後に、引退した父の部下・藤兵衛に助けられ、彼が大家のドブ板長屋に暮らしております。

 そんな彼女のもとに転がり込んできたのが、元・侍の別所十三郎。これまでヒモとして――そしてその実のなさから――女のもとを転々としてきた、正真正銘のろくでなしであります。
 が、そんな十三郎に惚れてしまった凜と、そんな凜を愛し始めた十三郎は、それなりにうまくやっていたのですが……

 しかし、そんな彼女たちの暮らしに迫る影。凜の父が隠した莫大な黄金を狙う残党たちが彼女を狙い――そして実はわけありの過去を持つ十三郎も、さる藩の侍たちに狙われる身だったのであります。
 その両者が手を結び、藤兵衛がその魔手に落ちたことから、数十人もの敵を向こうに回した死闘が始まることに……!


 自ら望んで飛び込む、あるいは望まざるにも関わらず、己の命を懸けた戦いの世界に引きずり込まれ、群がる敵を向こうに回して無双の戦いを繰り広げる……本作は、そんな矢野流バトル時代小説の系譜に属する作品であります。

 しかしその中で、本作が他の作品とまた異なる味わいを持つのは、本作の構成・構造によります。
 そう、全七話から構成される本作は、実はその各話において、凜・十三郎・藤兵衛……と、それぞれ中心になる人物を、その視点を変えて描かれるのです。

 正直に申し上げれば、本作のストーリー自体は、意外なまでにシンプルであります。しかしそのストーリーに、様々な視点から光が当てられることにより、様々な陰翳が生まれ――そしてそれがまた別の陰翳と影響しあうことで、物語に、人物描写に、これまでにない形の深みが生まれていると感じます。

 その最たるものが、凜と十三郎の関係であることは言うまでもありません。
 藤兵衛の庇護を受けつつも、天涯孤独の身で、己の腕のみを頼りに暮らしてきた凜。そんな彼女が、いわば女を食い物にして生きてきた十三郎に惹かれてしまうのは皮肉と言うべきでありますが……しかしそんな十三郎の中にも、その過去からくる隠された屈託があります。

 その二人の想いが、強大な敵の出現をきっかけにすれ違い、そしてそれぞれの想いを見つめ直した末に待つもの……それが矢野作品名物というべき大殺陣なのでありますが、しかしそれは周囲に死をもたらす戦いのみを意味するものではありません。

 それは同時に、二人が想いを確かめ合った末に生まれる、いわば愛の結晶。これまでの矢野主人公は、戦いの中で己の生の意味を確かめてきましたが――しかし本作では己のみならず、愛する者の存在を確認するのであり、その戦いの意味の変化が、本作の魅力の源と言えるのかもしれません。
(その意味では、終章で描かれる、二人の戦いに触発され、再び日常に帰って行く少年の姿は、なかなかに示唆に富んでいるやに感じられます)


 個人的には、凜のインパクト満点の秘密兵器は最後の最後に初めて繰り出してほしかった――それを用いた渾身の殺陣が実に素晴らしかっただけに――と思いますし、やはり物語的には、いささかこじんまりとしてしまった印象は否めません。

 しかしそれでもなお、戦いを描くとともに、それと並んで人が最も古くから行ってきた営み――すなわち、人を愛することを描いてみせた本作は、作者の筆の深化を示すものとして感じられるのであります。


『凜と咲きて』(矢野隆 新潮社) Amazon
凜と咲きて

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2016.03.21

アリス&クロード・アスキュー『エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿』 恐怖と愛の心霊探偵譚

 今からほぼ百年前に発表された、心霊探偵もの、ゴーストハンターものの佳品であります。作者のアリス&クロード・アスキューは夫婦で活躍した作家ですが、現在ではほぼ忘れ去られた作家。そんな作家の、埋もれた名作がこうした形で読むことができるのは、まことにありがたいことです。

 かつて心霊研究会を主宰し、遺跡発掘にいく以外は何の仕事をしているのかわからない主人公エイルマー・ヴァンスと、弁護士というお堅い職業ながら心霊現象に興味を持ち、実は霊能力者のデクスターのコンビが怪事件に遭遇する本作は、全8話の連作短編集であります。

 降霊術マニアの夫が、妻に古代の霊を降ろしたことから生まれる悲劇「侵入者」
 子供の頃から自然に親しんできた娘が、人ならぬ存在と交感する「見知らぬ誰か」
 ヴァンス自身がかつて出会った緑衣の美少女にまつわるロマンス「緑の袖」
 夭逝した詩人の詩集を手にしたデクスターが千里眼で見たものが意外な結末に繋がる「消せない炎」
 古い血を持つ一族の末裔と結婚した男を襲う吸血の呪いを描く「ヴァンパイア」
 ポルターガイストの伝説がある館に招かれたヴァンスが真実を暴く「ブラックストックのいたずら小僧」
 奇怪なパイプオルガン弾きに魅入られた娘が辿る忌まわしい運命「固き絆」
 訪れた者が強烈な姿なき恐怖に襲われるという館の秘密に挑む「恐怖」


 知り合ったばかりのデクスターにヴァンスが語る体験談という趣向の冒頭3話を除けば、彼らのもとに舞い込む怪事件に、二人が挑むというスタイルの本作は、(心霊)探偵ものの定番のスタイルに則ったものと言えるかもしれません。

 しかし本作の大きな特徴、大きな魅力は、ほとんどの事件に全作品に美しいヒロインが登場し、そして彼女を中心とした恋愛要素が強いことでありましょう。
 もちろん、恋愛といっても本作のような物語においては邪恋・妖恋とも言うべきものが含まれるわけですが……

 そもそも主人公たるヴァンス自身が、あまり自分の感情を露わにしない謎めいた人物という名探偵の一つの定番キャラのようでいて、過去に不可思議で美しいロマンスを経験しているロマンチスト。
 そんな彼が挑む事件のほとんどが、ロマンスの香り高いのは、あるいは当然なのかもしれません。

 そんな本作で個人的にベストと感じたのは、「消せない炎」であります。

 デクスターが千里眼で見た不思議な光景――美しい女性が一心不乱にペンを走らせているところに忽然と一人の男が現れ、二人が固く抱き合う――から始まる本作。
 その時デクスターが感じた強烈な光と熱が、思いも寄らぬ現実として結実し、さらにそこから意外な真実が浮かび上がるという、起伏に富んだ物語そのものも実に面白いのですが……(しかも、デクスターが初めてその能力を顕し、ヴァンスの助手になるというイベント編でもあります)

 しかしこのエピソードの真骨頂は、そのラストにあります。そう、ラストの一文において、物語は不可思議な怪異譚から一転、至純のラブストーリーと昇華されるのですから……


 その一方で、本作で唯一、ロマンスとはほとんど全く関わらない「恐怖」も、本作では屈指の出来映えであります。

 様々な怪異を描いてきた本作のラストに用意された怪異、とある古い屋敷を訪れた者を襲うものは、ヴァンスですら手も足も出せないほどの圧倒的で純粋な「恐怖」。
 恐ろしい怪物が現れるでもなく、体験者に肉体的な被害が及ぶでもなく……ただただ「怖い」という奇現象の存在を描けるのは、なるほど小説のみでありましょうし、そしてそれを可能にするのは、本作の丹念な描写あってこそなのでありましょう。


 決して派手さはないものの、しかし抑制の効いた筆は、恐るべき怪異の存在を、それに振れた人々の戦慄を、そしてそんな人々を救おうとするヴァンスの強き精神を、鮮やかに描き出し、今読んでも全く古びたものを感じさせません。

 それはあるいは、先に述べたロマンスの存在も大きいのかもしれません。人類にとって最も古く最も強烈な感情、それは恐怖と――おそらくは、愛なのですから。


『エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿』(アリス&クロード・アスキュー 書苑新社ナイトランド叢書) Amazon
エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿 (ナイトランド叢書)

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2016.03.20

『仮面の忍者赤影』 第13話「大魔像破壊作戦」

 金目像からの洗脳光線で京の人々を金目教の下僕に変え、京を制圧せんとする幻妖斎。人々の陽動に向かった白影は捕らわれ、金目像を探索していた赤影も、土中に潜る金目像に巻き込まれて姿を消した。ついに将軍義昭が篭もる比叡山にも幻妖斎の魔の手が迫り、万事休すと思われたとき、赤影の声が……

 前回、金目教布教へのお墨付きを得ることには失敗した幻妖斎ですが、しかし既にかなりの信者を得ていた様子。既にかなり熱狂的な信者たちですが、ここで幻妖斎が浴びせるのは謎の洗脳光線。皆、幻妖斎と同じ白塗り隈取り顔に変わり、幻妖斎の忠実な僕となって理性の箍も外れてしまうのでありました。
 前回のラストで闇姫が語ろうとした金目像の秘密とはこれでしょうか?(結局明示はされないのですが) 赤影はこれを忍者にとっては禁じ手の集団催眠術と語りますが……

 さて、暴徒と化した人々の目を覚まさせてやると威勢良く陽動を買って出た白影ですが、特に考えはなかったようであっという間に水辺に追いつめられることに。ここでスカーフを宙に放てば、あっという間におなじみの忍び凧に変わり、空に脱出するのですが……水中から放たれた謎の光線に引き寄せられて、謎の空間(本当に最後まで謎)に囚われてしまいます。そこに現れた幻妖斎がしろ影に見せつけたのは、金目像の探索に向かった赤影と青影の姿――

 なのですが、めっちゃ現代的な探知器具を使って何かやっている赤影たちには悪い意味で仰天。既にあれこれ面白アイテムが登場していた本作ですが、せめて時代ものらしい外見にしましょうよ……と、こちらが嘆いている間に金目像は土中に潜り、赤影と青影もそこに巻き込まれて姿を消してしまいます。
 何とか一人地表に逃れた青影は、後に残されたトンネルを辿っていくのですが……と、その先に待っていたのは金目像。金目像は、前回、赤影に保護された義昭が避難した比叡山を目指していたのであります。

 京の人々が暴徒と化したと聞かされた義昭は、軍勢を以て人々もろとも金目教を滅ぼしてしまえと言い出したところに、赤影は自分が何とかすると押し止めて来たのですが、結局阻めず(面目丸潰れ)、金目像が迫る自体に、比叡山の僧兵たちが自分たちの出番だと盛り上がります。が、やはり洗脳光線を浴びて白塗り隈取りに……

 青影も、よくわからないうちに謎空間を脱出した白影も手を出せぬ状況に、金目像内部で(鬼念坊がつけていたようなサングラス姿で)ご満悦の幻妖斎ですが……そこに赤影参上! 金目像の秘密(結局何だったのか不明ですが)は見破ったと大見得を切る赤影と幻妖斎、最後の対決であります。
 幻妖斎は不動明王のそれのような大剣を、赤影は手首から取り出したビームスティックで戦いを繰り広げますが、赤影が隙を見てはビームを放つので周囲はボロボロに。そしてスイッチが入り、エレベーターのように下降したり上昇したりする床の上で二人は取っ組み合うのですが……

 そこで赤影の片手が金色に変化しているのを見た幻妖斎は、それこそ赤影が金目水(とは結局何なのか?)を浴びた証、お前の命も後わずかと馬鹿笑い。赤影が、金目像の根本に爆弾を仕掛けたというのも聞かず馬鹿笑いし続けた結果、幻妖斎と赤影もろとも金目像は大爆発するのでありました。
 青影と白影が呆然とする中、金目像の破片から何事もなかったように姿を現した赤影。いかなる理由か(本当にわからない)金目水の影響も消えております。

 そして義昭や、洗脳が解けて呆然としている人々を前に、高らかに呼びかける赤影。なんと金目像の破片の内部は黄金だらけ、赤影はそれを独り占めせず、皆に分けると言うと(かえって混乱が起きないか?)、皆の歓呼の声を背に、次なる冒険に向けて去っていくのでありました……


 というわけで第一部完なのですが、正直に申し上げて、説明なしに次々と繰り広げられる展開にはただただ唖然とさせられました。幻妖斎のラストの行動については、第二部を見れば何となく納得できなくもないのですが、しかし今回だけ見ると本当に支離滅裂で、もう少しどうにかならなかったのかなあ……と思うのでした。


今回の怪忍者
甲賀幻妖斎

 七人衆を失うも洗脳光線で京の庶民や僧兵を僕にして義昭を、日本を狙う。金目像内での赤影との戦いの中、赤影が仕掛けた爆弾が爆発して金目像もろとも消えた……?

今回の超兵器
強化金目像

 幻妖斎の秘密兵器・目からの洗脳光線を放ち、巨体で比叡山に迫るが、あまり活躍する間もなく内部から爆破された。


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2016.03.19

松本清張『かげろう絵図』下巻 悪役とヒーローの瞳が見つめたもの

 大御所・徳川家斉の死が目前に迫る中、江戸城内で繰り広げられる熾烈な権力闘争と、その闇を暴くための奮闘を描く『かげろう絵図』の下巻であります。中野石翁一派と脇坂淡路守一派の暗闘は熾烈が極める中、ヒーローたる島田新之助は、そして悪役たる中野石翁は……

 養女が家斉の側室・お美代の方となったことから、家斉の存在を背景に、隠然たる……いや公然たる権力者として中野石翁が君臨する時代。
 その家斉が病に倒れ、命旦夕に迫る状態となったことから、石翁一派は、ある陰謀に着手します。

 そんな石翁一派の不穏な動きを察知した硬骨の寺社奉行・脇坂淡路守は、江戸城西之丸派――将軍家慶を支える水野忠邦と結び、石翁一派を除くべく密かに動き出すのですが……そのいわば尖兵となったのが、登美の名で大奥に潜入した娘・縫。
 淡路守を支える旗本・島田又左衛門によって大奥に送り込まれた彼女は、ある事件をきっかけにお美代の方一派の信を得て、大奥の乱倫の証拠を掴むべく、危険な探索を続けます。

 一方、又左衛門の甥で自由児の新之助は、叔父や登美の行動を危ぶみつつも、持ち前の義侠心と好奇心から、彼らの行動を助け、石翁一派と様々な形で渡りあうことに。
 さらに、そんな両派の間で蠢く人々の思わぬ動きにより、事態はいよいよ混迷を深めていくのであります。


 さて、下巻に至り、その暗闘はさらにヒートアップ。江戸城内(大奥)と市井を結んで物語が展開していく構造は変わりませんが、敵味方を問わず犠牲者が続発する展開は、決して扇情的な文章でないだけに、より衝撃的に感じられます。
 特に、『日本の黒い霧』ならぬ「江戸の白い霧」の中であの人物が失踪するくだりは、その過程と結末の何とも言えぬ不気味さが後を引くとともに、ある種のリンクに驚かされたところです。
(もっともこの辺りは史実と全く異なるわけで、ある意味飛び道具ではありますが……)
 しかし、そんな物語も結末を迎え、大きく印象を変えることとなります。両派の決着がいかなるものであったか――それは史実と大きく異なるものではありませんのでここで詳しくは述べませんが、その決着を迎えて、二人の登場人物の視点が、強く印象に残るのです。
 それは中野石翁と島田新之助――本作を通じての悪役とヒーローの二人であります。


 己の栄華の幕引きをむしろ潔いとすら言える形で行い、サバサバと去って行く石翁と、やってきた新たな時代にも一歩引いた形で世相を眺める新之助と――
 実にメインキャストの大半が、結末を迎えてその運命を大きく変じ、そしてその運命に没入していくのに対し、この二人は、どこか引いた目で彼らを、自分たちを見つめるのです。

 実在の人物でありつつも徹底した悪役ぶりを見せつけた石翁と、本作のために描かれたキャラクターであり、作中でほとんど唯一、「普通の」時代劇ヒーロー的な活躍を見せた新之助。
 この二人に共通するのは、どちらもフィクションの中でこそ存在し得るキャラクターであることではありますまいか。そして、そんな彼らだからこそ、結末において、現世的な欲望に右往左往する人々の姿を、俯瞰的に見ることができたのではないか……

 本作で描かれる世界は、史実に取材したものとはいえ、もちろん物語の中だけのものであります。しかしそこにあるのは、現実の人間の息吹を感じさせる生臭い世界であり、それは現実の合わせ鏡と言ってもよいでしょう。

 物語の中に浮かび上がる現実の諸相を見出す虚構の瞳――サスペンスフルで、エンターテイメント性の強い本作でありますが、しかしその構図は、作者の作品に通底するものなのではありますまいか。


『かげろう絵図』下巻(松本清張 文春文庫) Amazon
かげろう絵図〈下〉 (文春文庫)


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2016.03.18

樹なつみ『一の食卓』第3巻 五郎の過去と明の未来の交わるところ

 明治初頭の東京は築地の外国人居留地のベーカリーでパン職人を目指す少女・西塔明と、店に雇われてきた無愛想な男・藤田五郎こと斎藤一の交流を描くユニークな漫画の第3巻であります。第2巻では、五郎に続き、生きていた原田左之助が店に転がり込んできましたが、この巻ではさらにもう一人……

 築地の外国人居留地に店を構える「フェリパン舎」ことフェリックス・ベーカリーに、下働きとして潜り込んだ五郎。今は新政府の密偵として働く彼は、未だ政情が定まらざる東京で、不平士族の動きを探る任についていたのであります。
 そのフェリパン舎で働く明は自分のパンを平らげてくれた五郎に対し、そして五郎はいくつもの壁にぶつかりながらも自らの夢のため懸命に生きる明に対して、互いに興味を抱くことに……

 そんな状況で起きたある事件を経て、実は生きていた左之助が加わり、ずいぶんと賑やかになったフェリパン舎ですが、この巻ではさらにもう一人の大物新選組隊士が――その名は永倉新八、斎藤・沖田と並び、新選組最強とも謳われた男であります。


 といっても、史実では幕末に死んだ(少なくともその消息が不明となった)左之助と異なり、新八の方は、五郎と同様、明確に生存が確認されている隊士。
 それ故、明治を舞台とした様々なフィクションにも顔を出しており、決してものすごく意外というわけではありませんが……しかし、ここで五郎・左之助・新八の揃い踏みというのは、相当のインパクトがあります。

 新八といえば、左之助とのコンビが印象に残るゆえか、随分と破天荒なイメージがある人物ですが、本作の新八は、松前藩の上士の家出身という出自を踏まえてか、それなりに(あくまでもそれなりに!)落ち着いた印象。
 史実ではこの頃は松前にいたはずですが、義弟が東京で行方不明となり、探しに出てきたという設定も面白いところであります。

 そしてその義弟が、目下のところ五郎が探索中の外国人商人殺しに何やら関わっているらしく……と、ここで五郎と新八(さらに助っ人で左之助)が共通の事件に挑むという展開に相成ります。


 と、このように書きますと、元新選組サイドばかり目立っているようにも見えますが、それと平行して、明も自分の立場で戦うこととなります。

 五郎たちが探索する事件を同様に探る弾正台の元武士たち。功を焦った彼らが、五郎らとの繋がりからフェリパン舎が怪しいと思いこみ乗り込んできた際に、貴重なパン種の壷が壊されてしまうのであります。
 今ではどこでも手に入るようなパン種でも、当時の日本においては相当な貴重品。折悪しくフェリックス氏も他出している中、明はパン種を新たに作り出すべく奮闘するのであります。


 新選組という過去を背負った五郎の姿と共に、パン職人という未来を目指す明の姿を描く本作。しかし、新選組というビッグネームの前では、さじ加減を間違えれば、明サイドのドラマは影が薄くなりかねないところであります。
 この巻では新八までも加わり、正直なところその心配が募ったのですが……しかしそれは杞憂、五郎側のドラマと平行して、明のドラマも――彼女のひたむきな姿と、そして意外な工夫という形で――きっちりと見せて/魅せてくれました。

 そしてラストにおいて、そんな二人のドラマが交わり、五郎が全盛期の凄みを見せるというのも、また心憎いのであります。

 果たして明の試みはうまくいくのか、そして五郎の追う事件の謎は……さらに言えば、あれほど新選組に、武士に誇りを抱いてきた五郎が、何故新政府の密偵となったのか。まだまだ興味と謎は尽きません。

 もう一つ、明と五郎の関係もまた――(しかしこの時期、既に五郎は……なはずなのですが、さて)


『一の食卓』第3巻(樹なつみ 白泉社花とゆめCOMICS) Amazon
一の食卓 3 (花とゆめCOMICS)


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2016.03.17

小松エメル『件の夢――シロの伊勢道中』 二匹の純粋な想いの先に

 『妙ちきりん 「読楽」時代小説アンソロジー』が発売されました。「読楽」誌に掲載された時代伝奇/ホラー/ファンタジー短編を集めたアンソロジーですが、今回紹介するのは、その巻頭に収められた作品、お伊勢参りに向かう犬を主人公とした不思議な物語であります。

 このアンソロジーに収録されている作品は、『件の夢――シロの伊勢道中』(小松エメル)
『異聞 巌流島決闘』(天野純希)
『魔王の子、鬼の娘』(仁木英之)
『あけずのくらの』(輪渡颯介)
『妖刀・籠釣瓶』(毛利亘宏)
『隠神刑部』(乾緑郎)
の6作品。うち『異聞巌流島決闘』の5作品は雑誌掲載時に紹介したため、今回は残る巻頭作を紹介する次第です。


 江戸時代の庶民にとって一大イベントであったお伊勢参り。遠方への旅行が極めて限られていた時代に、ほとんど唯一といってよい旅だけに、様々な記録・逸話が残されていますが、本作の題材となった犬のお伊勢参りも、実際にあった出来事として記録されています。
 犬の首に「伊勢参り」の札とエサ代や宿場代をくくりつけて送り出し、それが道中の人々に世話されて伊勢神宮に辿り着き、お札をいただいて帰ってきたというのですから、何とも長閑なものです。

 さて、本作の主人公は、そんなお伊勢参りに向かうことになった大坂の犬・シロ。そんなつもりなどさらさらなかった彼がお伊勢参りに行く羽目になったのは、ある晩彼の夢に出てきた件とのやりとりがきっかけでありました。
 持ち前の口の悪さから人間に化けた件に悪態をついたのがいけなかったか、別の人間の夢に現れた件がお告げをしたことで、あれよあれよという間に、彼は伊勢に送り出されてしまったのであります。
(ちなみにこの件、姿や言動からして、『一鬼夜行』シリーズに登場するのと同じ存在でありましょう)

 それでもなんだかんだと言いつつ伊勢に向かった彼が途中で出会ったのは、雪という名も似合わぬような薄汚れた老犬。やはり伊勢に向かうという雪と不承不承行動を共にすることになったシロですが、道中のある事件がきっかけで、二匹の絆は深まっていきます。
 しかし伊勢も近づいてきたある晩、シロは思わぬ怪物を目撃することに……


 作者の作品には珍しい(気もする)関西弁でまくしたてるシロの語りが何とも楽しい本作。犬のお伊勢参りという、現代人から見ると不思議な存在に、容赦なくツッコミを入れているのが何とも愉快であります。

 しかし物語が進んでいくにつれ、焦点が当たっていくのは、もう一匹の主人公とも言うべき雪が背負ったものの存在です。
 既に歩くのもやっとながら、それでも雪は何故伊勢に向かおうとするのか。彼が言葉少なに語る過去に何があったのか。それはやがて、思わぬ形でシロと我々読者の前に描かれることとなります。

 そしてそこに浮かび上がるのは、雪の――そしてシロの、どこまでも純粋な想い。
 思えば作者の作品の登場人物(動物/妖物)は皆基本的に純粋な想いを抱え、それだからこそ悩み、悲しみ、喜び、時に悪にすら堕ちる存在として描かれてきました。そして本作の二匹もまた、その系譜に属するものと言えるでしょう。

 時に自分を、周囲をも傷つける純粋な想い。しかしその想いは、我々が胸の中のどこかにある――あるいはありたいと思う――ものであり、それだからこそひどく切なく、そして魅力的に映るのでありましょう。
 この短編を通じて、作者の作品の魅力の源を再確認した思いであります。


『件の夢――シロの伊勢道中』(小松エメル 徳間文庫『妙ちきりん 「読楽」時代小説アンソロジー』所収) Amazon
妙ちきりん: 「読楽」時代小説アンソロジー (徳間時代小説文庫)


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2016.03.16

杉山小弥花『明治失業忍法帖 じゃじゃ馬主君とリストラ忍者』第8巻 清十郎を縛る愛と過去

 女学校に通う商家のじゃじゃ馬お嬢様・菊乃と、リストラされて無職の元・伊賀忍び(……?)・清十郎の、もどかしくも初々しい、そして色々な意味で危なっかしい恋模様を描く本作も、早いものでもう第8巻。清十郎の正体を巡り様々な思惑が交錯する中、ついに不平士族の乱が各地で勃発します。

 初めはお互い納得づく、悪く言えば互いの存在を利用するための婚約だったはずが、数々の揉め事・冒険をくぐり抜けるうちに強く惹かれあい、ついに本当に結婚を決意した二人――
 なのですが、お互いの自意識が邪魔して相変わらず素直になれない二人。本当に面倒くさいなあ! と呆れ半分、からかい半分な気分にもなりますが、しかし二人にとっては大真面目なだけに、なかなか根の深いものがあります。

 この巻の冒頭に収められたエピソードでは、そんな二人が、外国人居留地の知人に招かれた先で巻き込まれた毒殺未遂事件が描かれることになります。

 お互いに相手を欠くべからざる相手として強く求め合いながらも、しかしお互いがこれまで生きてきた世界と、そこで形成された自分自身の形(と思いこんでいるもの)に拘るあまり、素直になれない――
 そんな二人が、ミステリ味が強く効かされた事件(本作の魅力の一つであります)の中で、同じく事件に巻き込まれた異国の夫婦の姿を一種の鏡として描き出される様は、実に巧みと言うほかありません。

 これはほとんど毎回書いているような気がして恐縮なのですが、やはり今回も書けば、この時代ならではの人間性――時代に規定される心のあり方――のせめぎ合いと、どこまでも普遍的な男女の心と想いのすれ違いが重ね合わされることで、時代ものとして、ラブコメとして、高いレベルで融合しているのには心より感心いたします。

 そしてそれはこの二人に限らず、この巻でも描かれる会津出身の菊乃の同級生・モモと、薩摩出身の巡査で密偵としての清十郎の雇い主・槇の関係にも通じるものでありますが……


 しかしそんな複雑な時代性と男女関係を飲み込みつつも、物語は大きく動き始めます。
 この時期に各地で勃発した不平士族の反乱――維新で敗北した側だけでなく、勝利したはずの側にもまた、不平を抱き決起した者たちが現れるという、ある意味この時代を反映するようなこの動きに、菊乃と清十郎は(モモと槇も)巻き込まれていくこととなります。

 それは、二人にとっては、これまで様々な形で絡んできた長州の不平士族のリーダー・桐生との因縁との一つの決着に繋がるものであります。
 菊乃にとっては、清十郎の過去を知る相手であり、そしてどこか気になる存在。清十郎にとっては、自分の過去をほじくり返し(そして目下の雇い主である槇=明治政府の敵でもあり)、そして菊乃を惑わせる間男。そんな桐生との決着は、二人にとって望ましいものであるはずですが……


 しかしここで爆弾が投入されることになります。そう、清十郎の本当の正体を知る、彼に取っては師匠とも上司とも言うべき男の登場という――

 これまで少しずつ、主に単行本巻頭の描き下ろしで描かれてきた、清十郎の本当の正体。
 元・伊賀の忍び・清十郎と名乗る彼は、本当は何者なのか……? 場合によっては物語構造が根底からひっくり返るこの真実が明らかになることを、我々読者は期待しつつも恐れてきたわけですが、ここでまさかこんな人物が登場するとは! と大いに驚かされたところであります。

 その驚きはもちろん、清十郎の正体の一端が――少なくともその奥に更なる闇があることが――明かされたことによるものではあります。しかしそれ以上に、菊乃への恋情を除けば、この上ない自由人に見えた彼を強固に縛る、得体の知れぬ鎖の存在が見えたことによります。


 菊乃への愛と、己の背負った過去(いや秘めたる現在)と……果たして清十郎を縛る二つの存在のどちらが強いのか。それが描かれる時が、物語の結末かもしれませんが――さて、その鍵を握るはずの菊乃はどう動くのか。
 気がつけば真っ黒な時代の闇がすぐ後ろにまで迫る中、それに負けぬ普遍的な愛の勝利に期待したいところなのですが……


『明治失業忍法帖 じゃじゃ馬主君とリストラ忍者』第8巻(杉山小弥花 秋田書店ボニータCOMICSα) Amazon
明治失業忍法帖~じゃじゃ馬主君とリストラ忍者~(8)(ボニータ・コミックスα)


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2016.03.15

吉川景都『鬼を飼う』第1巻 薄暗い世界の温かい日常

 昭和7年、帝大生の鷹名と司は、弥生坂下で不思議な美少女・アリスと出会い、彼女に誘われるままに四王天鳥獣商なる店を訪れる。そこは神話や伝説に登場するような「奇獣」を扱う奇獣商だった。主の四王天に勧められるまま、「鬼」を飼うこととした鷹名だが……

 吉川景都といえば、個人的には『片桐くん家に猫がいる』『猫とふたりの鎌倉手帖』といった猫漫画の印象が強いのですが、新作は昭和初期を舞台としたあやかしものと聞いては黙っていられません。
 早速手に取ってみましたが……なるほどこういう世界かと、嬉しい裏切りを受けた気分です。

 物語の中心となるのは、本郷の街でひっそりと店を開いた四王天鳥獣商なる店。ぶっきらぼうな義手の男・四王天が営むこの店が扱うのは、鳥獣は鳥獣でも、奇怪な姿と能力を持った「奇獣」……
 洋の東西を問わず、様々な伝説に登場するこの世のものならざる奇妙な生き物たちであります。

 四王天と暮らす謎の少女・アリスに懐かれた主人公・鷹名は、持ち前の好奇心から、店にいた「鬼」を飼うことになるのですが――
 この鬼、日本の鬼とは異なるいわば謎かけ鬼。一日に何度か謎かけをしてきて、それに答えられれば問題なくじっとしているが、答えられなければ食われてしまうというとんでもない鬼でありました。

 この鬼を下宿に連れ帰った鷹名は、初めのうちはうまくやり過ごしていたのですが、鬼の体の小さなうちは他愛もなかった謎かけが、成長するにつれて難解なものになり、ついに……

 というのが、タイトルの由来でもある最初のエピソード。これ以降も鷹名と司は、ある時は四王天とアリスに導かれて、またある時は自ら首を突っ込むように、奇獣絡みの不思議な事件に巻き込まれていくこととなります。

 あやかし絡みの不思議な店を舞台とした物語は、最近の、特にライト文芸ではお馴染みのスタイルではあります。しかし本作がそうした作品と一線を画しているのは、全てとは言わないものの多くのエピソードにおいて、剣呑で、シビアな物語が展開される点でありましょう。
 先の鬼に見られるように、ひとたび扱いを誤れば、自分の命が危うくなるのが奇獣という存在。それ故、そんな奇獣にまつわる物語は、時におぞましく、時に恐ろしいものとなっていくのです。

 そしてその雰囲気は、物語の背景となる時代を考えると、より一層強まるように感じられます。

 昭和7年といえば、前年には満州事変が勃発し、日本がいよいよあの戦争に雪崩れ込んでいく時代。
 作中ではそうした暗い部分はほとんど触れられませんが、血盟団事件や五・一五事件といった血なまぐさい事件が起き、そしてこの巻の後半に敵役(?)として登場する特高が小林多喜二を……というのも、この時期なのですから。
(スタートは昭和7年ですが、作中で新聞記者の口から三陸の地震のことが言及されていることから見て、作中時間では昭和8年にさしかかってるのでしょう)


 非現実的な側面と、現実的な側面の双方から、薄暗い世界を舞台とする本作。しかしその読後感は、意外なまでにさっぱりとしたものがあります。
 それは言うまでもなく、冒頭に述べた作品に見られるような、作者の温かく日常的な作風が、こうした舞台でも貫かれているからにほかなりません。

 一歩間違えれば食い合わせが悪くなりかねぬところを、巧みにバランスを取り、双方の味わいを殺さずに作品を成立させているのは、これは作者の腕でありましょう。
(特に、人の寿命を喰らって生きる巨大な猫・金華猫の切なくもしみじみとした味わいは、本作ならではのものでしょう)

 そんな世界でこの先何が描かれるのか……本筋とも言うべき、四王天とアリスの存在にまつわる謎もさることながら、奇獣たちにまつわる個々のエピソードも楽しみな作品です。


『鬼を飼う』第1巻(吉川景都 少年画報社ヤングキングコミックス) Amazon
鬼を飼う 1巻 (コミック(YKコミックス))

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2016.03.14

三國青葉『忍びのかすていら』 スイーツ男子でイクメン忍者の奮闘記

 大坂の陣から数年後、忍びを引退して江戸で暮らす橘清十郎は、よろず請負人として稼いだ金で、菓子を作ることを生き甲斐にしていた。そんなある日、辻斬り事件がきっかけで将軍の嫡男・竹千代と知り合った清十郎。さらに清十郎の娘を名乗る少女が転がり込んできて、彼の生活は一変することに……

 『かおばな剣士妖夏伝』の三國青葉の新作の主人公は、人情あり、忍者バトルあり、甘味ありと、盛り沢山ながら胃もたれしない、なかなかの良作であります。

 伊賀の下忍として早くに両親を亡くし、頭領の下で育てられ頭角を現した清十郎。大坂の陣で大活躍した彼は、しかしその褒美として忍びを辞め、今は江戸で気楽な一人暮らしなのですが、クールで無愛想な彼には、その見かけに似合わぬ一面がありました。
 実は彼は、大の甘味好き――それも味わうだけでなく、名店の菓子などを真似て自分で菓子を作ることを、生き甲斐としていたのであります。

 よろず請負人の稼ぎをつぎ込んで砂糖など材料を買い込み、菓子を作っては試食し、試行錯誤する……それはそれで平穏で楽しい彼の暮らしは、しかし突然に波乱含みに変わります。
 ある晩、江戸を騒がす辻斬り騒動に巻き込まれた清十郎が助けた少年……その正体は、なんと将軍秀忠の嫡子・竹千代(後の家光)。実母に疎まれ、命すら狙われる孤独な少年である竹千代は、清十郎に懐いて彼の長屋に出入りするようになります。

 さらに、かつて一度だけ情を通じた頭領の娘が産んだという七歳の娘・小雪が現れ、一つ屋根の下で暮らすことになった清十郎。女と子供が大の苦手である彼にとって、その両方を兼ねた小雪との暮らしは、どうにもぎくしゃくしたものとなるのですが……


 というわけで、本作の主人公・清十郎は、スイーツ男子でイクメン忍者――と書くと、いかにもキャッチーに過ぎるように感じられるかもしれませんが、しかし本作は、その設定に振り回されることなく、丹念に物語を紡いでいきます。

 何よりも、この清十郎の人物造形がいい。気難しい男やもめが、突然現れた子供に振り回されるというのは一つの定番ではありますし、そのギャップが楽しさの源ですが、本作はそのギャップに説得力があると申しましょうか……
 何しろ、彼は年端もいかぬころから親の愛も知らず、孤独な忍びとして死線をくぐり抜けてきた非情の忍び。なるほど、これだけ子育てという言葉が似合わない男はおりますまい。

 そんな男が、甘いものにだけは目がないというのもギャップの楽しさですが、しかし、死線をくぐり抜ける毎日では、砂糖の強烈な甘さこそが生の実感を与えてくれるものであった、という設定は、無茶なようでいて、不思議なリアリティが生まれていると感じます。

 そんなどこまでも人間臭い彼の行動原理――先に述べた甘味好きもその一つですが――は、突飛なようでいてごく自然なものとして、そして我々にも共感を持てるものとして感じられるのです。

 何よりも、名利にも暴力にも動かされない男が、ただ甘味と、やがて我が子への情愛に突き動かされて活躍するというひねくれた(?)ヒロイズムが実に良いではありませんか。

 忍びと子育てと菓子の三題噺ともいうべき本作は、一見盛りすぎのように見えますが、しかし材料とデコレーションが吟味され、何よりも下地をしっかりと作ることで、互いの味わいが殺されていない……そんな作品。

 清十郎の新たなる受難を予感させる結末も面白く(ただ、この辺りも含めて、人物配置など『かおばな剣士妖夏伝』と重なる部分が少々気にならないでもないのですが)、続編を期待したい作品であります。


『忍びのかすていら』(三國青葉 白泉社招き猫文庫) Amazon
忍びのかすていら (招き猫文庫)

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2016.03.13

4月の時代伝奇アイテム発売スケジュール

 コートが要らないほど暖かくなったと思えば、急に雪が降るくらい寒くなったりと落ち着かない状況ですが、それでも桜の芽は確実に膨らんで春目前。新しい生活が始まる方も多いかと思いますが、その傍らにぜひ……というわけで、かなり強引ですが4月の時代伝奇アイテム発売スケジュールです。

 ……が、いきなり寂しい話で恐縮ですが、4月の新刊はかなり少ない状況であります。

 そんな中、新作で最も注目なのは上田秀人『前夜 奥右筆外伝』でありましょう。どうもAmazonの紹介を見る限りでは、各キャラクターを主人公にしたプリクウェルのようです。
 また上田秀人は『禁裏付雅帳 2 戸惑』も刊行されます。

 また、廣嶋玲子『妖怪の子預かります』、六堂葉月『江戸ねこ捜査網』も、大いに気になるところであります。

 また、文庫化では畠中恵『つくもがみ、遊ぼうよ(仮)』、門井慶喜『東京帝大叡古教授』、月村了衛『コルトM1851 残月』が注目でしょうか。
 文庫小説おわり。


 そして漫画の方では、新登場は重野なおき『真田魂』第1巻。織田に黒田に伊達に……様々な戦国武将を描いてきた作者ですが、ある意味最もタイムリーな作品でありましょう。

 その他、黒乃奈々絵『PEACE MAKER 鐵』第10巻、吉川うたた『鳥啼き魚の目は泪 おくのほそみち秘録』第5巻、梶川卓郎『信長のシェフ』第15巻、野田サトル『ゴールデンカムイ』第7巻、雨依新空『ヴィラネス 真伝・寛永御前試合』第3巻が楽しみなところです。

 また、琥狗ハヤテの異形水滸伝、『メテオラ』第3巻も個人的に非常に気になっております。


 最後に、講談社ラノベ文庫から刊行される鐘弘亜樹『コンクリートレボルティオ』とは一体……



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2016.03.12

『戦国武将列伝』2016年4月号(後編) 戦国と平安と――二つの誕生記

 リイド社の『戦国武将列伝』四月号の掲載作品紹介の後編であります。

『戦国自衛隊』(森秀樹&半村良)
 「とき」の使者を名乗る謎の男の支援により、信長との最後の決戦に臨む伊庭たち。墨家の精神を継ぐ者として、この国のみならず全てを呑み尽くそうという信長に対峙する彼らの旗印は――「戦国自衛隊」!

 ……原作小説に始まり、漫画、映像と、既に二桁に近いバリエーションが生まれてきた『戦国自衛隊』。その全てを知るわけではありませんが、自分たちでその名を掲げた例は、ほとんどないのではないでしょうか。
 そしてそれは、時に流された果てについに彼らが見つけた、自分たちが自分たちとして戦う理由の宣言であり――それだけに、『戦国自衛隊』史上に残る格好良さ、爽快さ、痛快さがあります。ここに名実ともに戦国自衛隊が誕生したのであります。


『鬼切丸伝』(楠桂)
 再び平安時代を舞台として描かれる今回は、以前描かれた鬼切丸の少年のオリジンを描く物語の後日譚。恐るべき鬼――酒呑童子に喰らわれた尼僧の身から、成長した姿で生まれた少年。本来であれば神仏の子でもあったかもしれぬ彼は、しかし母を見殺しにした人間たちをも憎み、鬼を斬る刀を手に姿を消したのですが……

 今回その少年が出会ったのは、かつて人に退治されたという鬼女・紅葉。鬼としての部分を討たれ、今は母としての部分が残った「貴女」となったという彼女は、少年に生き別れの息子の面影を見て、共に暮らそうと誘います。

 紅葉は「歴史上」鈴鹿御前と並んで良く知られた鬼女ですが、鬼女ならぬ貴女となった……というのは、信濃は鬼無里に伝わる伝説をベースとしたアレンジでありましょう。
 本当の息子が誰なのか、という点がすぐにわかってしまうのは残念ですが、しかし母を喪った少年と子を探す紅葉という対比、そして仮の(偽りの)母子に対して……というもう一つの対比は面白い。

 結末において、ついに自らの行くべき道を見出した鬼切丸の少年の姿を描く今回のエピソードは、誕生編の後編とも言うべきものでしょう。


 その他、今回のスペシャルゲスト『伽羅奢』(柴門ふみ)は、細川ガラシャが最期を遂げる寸前に、己と忠興の関係を振り返る物語。内容的にはちょっと驚くくらいにストレートな作品でしたが、冷静に考えれば他の作品が飛びすぎているだけなのかもしれません。

 また、『戦国機甲伝クニトリ』(あさりよしとお)は、信長・秀吉の物語から少し離れ、竹中重治の稲葉山城攻めが描かれます。切れ者のようで狂気を感じさせる重治の不気味な描写は面白いのですが、しかし今回は本作独自の設定であるロボットも女体化も、必然性を持たなかったのは残念。


 何はともあれ、『孔雀王 戦国転生』(荻野真)が休載でも層の厚さを示した今号。終盤に近づいている物語が幾つもあるのが気になりますが、まずは次回を楽しみにいたします。


『戦国武将列伝』2016年4月号(リイド社) Amazon
コミック乱ツインズ 戦国武将列伝 2016年 04月号 [雑誌]


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2016.03.11

『戦国武将列伝』2016年4月号(前編) 決戦、二つの大戦

 早いもので年が明けてもう二月が過ぎました。二月すなわち偶数月の末ということは、『戦国武将列伝』の発売日が来たということ。今号は柴門ふみという、意外なゲストが登場ですが、レギュラー連載陣も相変わらず面白い。今回も、印象に残った作品を一つずつ紹介しましょう。

『焔色のまんだら』(下元ちえ)
 連載第二回の今回は、長谷川等「白」が等「伯」になるまでの物語。前回、焔に包まれゆく安土城で出会った老人――千宗易の紹介で大徳寺の門の壁画を請け負った等白は、しかし塔頭の襖に強く惹かれ、取り憑かれたような状態となってしまうのですが……

 人が道を極める時に傷害となるであろう「煩悩」。その煩悩に憑かれてしまった場合、どうすればよいのか……その答えを破天荒なやり方で提示する等白の行動も痛快ですが、しかしやはり何といっても強烈なのは、そこから生まれたものでありましょう。
 まさに「絵」――それもフィクションの「絵」でなければ示せないそれは強く強く印象に残ります。

 そしてラストには再びあの天才・狩野永徳が登場。宗易がたじろぐほどの存在感を示す彼と等伯の再度の対面が楽しみになります。


『セキガハラ』(長谷川哲也)
 ほとんどなし崩し的に、それもこの上もなく異常な形で始まった関ヶ原の戦。数々の武将・兵士たちが異形の怪物・出門頭に変えられていく中、諸悪の根元たる黒田如水を討つべく戦場を行く三成の前に現れたのは……

 というわけで、いきなり加藤清正vs黒田長政というドリームカードから始まる今回。己の思力で虎そのものと化した清正と、相手の思力を喰らう長政、二人の対決の行方は……あ、なるほどこうなるのか、という意外かつ納得の展開から、史実では見られなかった布陣に繋がっていくのが何とも楽しいのであります。

 しかし今回はまだまだ盛り上がります。猛威を振るう東軍(と言って良いものか?)についにあの男もつき、追いつめられた三成に与えられた逆転の鍵。そして彼を行かせるため、西軍が、彼の友たちが結集し、家康&四天王と激突という展開は、やはり最高に盛り上がります。
 地に魔物が蠢き、天にドラゴンが舞う、もはや何の戦いかわからなくなってきた関ヶ原……しかしそれでこそ、でありましょう。


『バイラリン』(かわのいちろう)
 あらゆる手段でもって天下に覇を唱えんとする家康に対し、幸村をはじめとする死に場所を求めたろくでなしが大坂城に集結、いよいよ始まった大坂冬の陣ですが……しかしあっさりと終結。そしてつかの間の和平もあっという間に破れ、夏の陣が始まることになります。

 いよいよ本作もクライマックス……ということになりますが、しかし今回は『バイラリン』というよりも、前作『後藤又兵衛 黒田官兵衛に最も愛された男』完結編とも言うべき印象。
 幸村とともに、そして彼とはまた別の形で死に花を咲かせようとした彼の最後の大戦が今回描かれることになるのですが……いやはや、この上ない曲者である本作の幸村も、今回ばかりは又兵衛に喰われたと言うべきでしょう。

 そしてそれは前作読者としてはむしろ望むところ。思わぬ延長戦(?)に感謝であります。


 以下、長くなりますので続きは明日。


『戦国武将列伝』2016年4月号(リイド社) Amazon
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2016.03.10

瀬川貴次『鬼舞 見習い陰陽師といにしえの里』 これで完結、オールスターキャストの大決戦!

 芦屋道満の息子・宇原道冬と安倍晴明・吉昌たち、ネクストジェネレーションの陰陽師たちの活躍を描いてきた『鬼舞』シリーズも、ついにこの第17巻にて完結。藤原氏への怨念に燃える鬼、そして蜘蛛の怪と、宇原道冬ら「頼光四天王」の決戦が描かれることになります。

 伴氏の怨念を背負った鬼・呪天が去った跡の都に出現した奇怪な蜘蛛の妖魔。
 その正体が、源頼光が想いを寄せる薄幸の美女・胡蝶の母である照夜――橘氏の怨念を背負った文字通りの美魔女であるとは知らぬまま、道冬と吉昌は、幾度も蜘蛛の怪と対決することとなります。

 そんな中、頼光の主・東三条の大納言の妻が、夫に愛想を尽かし、長谷寺に籠もるという事件が発生。
 彼女を迎えに行くという大納言の供をすることになった頼光と渡辺綱をはじめとする四天王ですが、蜘蛛の怪に対応するために都に残った綱以外の三人に代わり、何と道冬と従者の行成、そして吉昌は四天王の替え玉を務めることになります。

 かくして長谷寺に向かった一行ですが、彼らを待つのは照夜と呪天、茨木という、藤原氏への怨念で結ばれた蜘蛛と鬼。そしてもう一人、心の隙を突かれて呪天の下僕と化した吉昌の兄・吉平で――

 と、長谷寺、そしてタイトルの「いにしえの里」を舞台に展開するのは、オールスターキャストでの大決戦。
 上に挙げた面々に加え、近衛少将――今は愛する人を失って僧籍に入った瑛晶、愛の亡霊・融の大臣と愛用の牛車・内藤二阡、さらに安倍晴明(の式神)、あと畳までもが加わり、賑やかに繰り広げられてきた本シリーズのクライマックスに相応しい顔ぶれです。

 そして、それぞれがそれぞれの因縁を抱え、宿敵(吉昌の場合はこの言葉を使っていいものかアレですが)と対峙することになりますが、しかし気になるのは道冬の中に眠る、怨念の黒い闇であります。
 一歩間違えれば全てをひっくり返しかねない力を持つこの闇が、クライマックスでは思わぬ役割を果たすことに……


 さて、正直に申しあげると本当にあと一冊で完結するのか半信半疑であったのですが、見事にと言うべきか、ファンとしては残念ながらと言うべきか、見事に本作でシリーズは完結。

 結末に関わる内容だけに詳しくは述べられませんが、終盤のある展開には「またか!?」と心臓が止まりそうになったものの、そこからある「史実」に繋げてみせたアクロバットには、さすがはこの作者ならではの業と、ただただ感心するばかりです。
(彼の名前が、一種のミスリイーディング的な効果を挙げているのもお見事)

 もっとも、第二章(便宜上そう呼びますが)に突入してからがあまりに短かったという印象は否めず、そして第一章のラストで道冬の物語に一段落ついたためか、第二章では道冬の存在感が今ひとつ薄かった――特に本作においては、安倍の兄弟対決がクローズアップされたこともあり――のは、やはり残念なところではあります。

 その点も含めて、まだまだ彼らの冒険を見たかった、彼らの成長を見たかった……という気持ちはありますが、しかし先に述べた通り、結末が見事にまとまったのは事実です。
 ここから先は、彼らの未来に向かう道筋を想像するのもまた一興……そう思うべきでしょうか。


 ちなみに、『暗夜鬼譚』とのリンクを最後まで明確にしなかったのは、これもお見事と言うべきでしょう。そのおかげで『鬼舞』は『鬼舞』として、美しい結末を迎えることができたのですから……

 と言っておいてなんですが、冒頭で語られる安倍兄弟誕生にまつわる衝撃の秘密には、あの方らしい……と感心したというか何というか。


『鬼舞 見習い陰陽師といにしえの里』(瀬川貴次 集英社コバルト文庫) Amazon
鬼舞 見習い陰陽師といにしえの里 (コバルト文庫)


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 『鬼舞 ふたりの大陰陽師』 「芦屋道満」の見た絶望と希望
 『鬼舞 見習い女房と安倍の姉妹』 新展開!? 何故か女装×3
 瀬川貴次『鬼舞 見習い陰陽師と囚われた蝶』 最終章突入、新たなる魔の影
 瀬川貴次『鬼舞 見習い陰陽師と妖しき蜘蛛』 決戦の準備は整った!

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2016.03.09

小前亮『真田十勇士 2 決起、真田幸村』空白期間に舞う勇士たち

 猿飛佐助の誕生と上田城の合戦から語り起こされた小前版真田十勇士の第2巻であります。第1巻から――関ヶ原の戦から十余年が過ぎ、真田幸村は九度山に流刑となっている間も忍びとして活動を続けてきた佐助。豊臣家と徳川家の決戦が迫る中、佐助と勇士たちの新たな冒険が始まります。

 戸田白雲斎に見出され、忍びとして真田家に仕えることとなった少年・佐助。上田城の合戦で初陣を飾った佐助は数々の出会いと別れを経た末に、九度山に流刑となる幸村の忍びとして、行動を共にする道を選びます。

 しかし、その十余年後に佐助のほかに九度山の幸村の下に仕えるのは、鉄砲の名人の望月六郎、通称「白六郎」と、放浪の末に九度山に住み着いた三好一族の末裔の荒法師・三好清海のみ。
 白六郎と共に幸村に仕えてきた剣術の達人の「黒六郎」こと海野六郎は、任務の最中に海に消えて行方不明であり、かつて真田家に雇われて佐助と共に戦った霧隠才蔵は、雇われ忍びとして徳川方に雇われた状態であります。

 そして清海の弟の伊佐と、大谷吉継の家臣であった由利鎌之介は、清海とはぐれた今も反徳川方の義賊として各地で暴れ回る最中。海賊の根津甚八は人員物資の輸送で真田家を助け、弓術と体術の達人の穴山小助は主たる真田信之の下に仕え、九度山の猟師を名乗る十蔵は平和に暮らし……

 つまり、『真田十勇士』と題しつつも、本作が始まった時点では、勇士たちは各地に散らばり、未だ互いに出会わぬ者たちすら存在する状態なのです。

 しかし、こうした一種のチームものにおいては、メンバーが集まるまでの過程もまた、時にその過程こそが醍醐味であることは、言うまでもありません。
 本作の前半においては、十勇士の半数近くが九度山に集結することになりますが、それぞれが全く別の想いを抱き、別の道を歩んでいた者たちが、奇しき運命によって一人一人参じるのは、やはり実に盛り上がります。

 そして後半は、集結した勇士たちが共通のミッション――孤島に眠るという海賊の宝探しに、徳川方の忍びからの幸村警護に挑むという展開で、こちらも一人一芸の持ち主が、それぞれの技を活かして活躍する様が、なかなかに痛快であります。

 尤も、十名という数は、決して少ないものではありません。それほど大部というわけでもない本作において、個々のメンバーに割ける分量も、決して多いものではありません。
 しかしそれでも本作は、その「らしい」言動から、勇士たち一人一人のキャラクターを立てて見せ、時にその描かれざる過去すらも感じさせてみせるのが、本作の巧みさでありましょう。

 特に本作の要所要所に登場する霧隠才蔵は、元々が寡黙な男という設定ゆえ、なかなかその素顔を見せぬキャラクターなのですが、終盤に佐助との対峙の中で見せたちょっとした揺れの中に、彼がこれまで背負ってきたものを垣間見せてくれるあたりが、実にいいのです。

 尤も佐助については、年齢の割には良くも悪くも変わっていないな……と思わされる点もなくはないのですが、彼の場合はそれが持ち味ということかもしれません。
(それよりも、彼と仄かな想いを寄せ合う真田家の侍女・かえでの年齢が気になったりもするのですが……)


 真田幸村にとっては一種の空白期間ゆえ、物語として色々と難しい部分はあったかと思いますが、そこに十勇士というピースを当てはめることにより、綺麗に埋め合わせてみせたという印象の本作。

 ラストではついに十勇士が集結、幸村が大坂入城と、いよいよ次巻決戦であります。


『真田十勇士 2 決起、真田幸村』(小前亮 小峰書店) Amazon
真田十勇士2 決起、真田幸村


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2016.03.08

森川侑『一鬼夜行』第3巻 彼らの内側の世界と外側の世界に

 百鬼夜行から転がり落ちた生意気な猫股鬼・小春と、妖怪もビビる閻魔顔の小道具屋店主・喜蔵の姿を描く漫画版『一鬼夜行』も、この第3巻でついに完結。すれ違い、互いに壁を作った二人の間に、さらに波乱を巻き起こす影が出現するのですが……

 成り行きから、小春と自分の店である「荻の屋」で共に暮らすこととなった喜蔵。鬼と人、陽気と寡黙、脳天気と無愛想と、重なるところはほとんどないものの、妖が引き起こす事件に巻き込まれるうちに、何となく距離が縮まってきたかのように見えた二人ですが――

 しかし、鬼の本性を現した小春は、喜蔵に傷を負わせると荻の屋を飛び出していくのでありました。
 裏切った小春と、裏切られた喜蔵。喜蔵はもちろんのこと、しかし小春もまた、心に傷を抱えて……


 その方法・見かけは違えど、互いに他者と一定の距離をおくことで、うちに抱えた深い孤独感を隠し、強がってきた二人。
 第2巻で描かれたのは、二人の関係性が深まるにつれ、自分が目を背けてきたその孤独感を、それぞれ相手の姿を通じて見出してしまった姿でありました。

 それがいわば彼らの内面、内側の世界であったとすれば、この最終巻で描かれるのは、彼らを取り巻く、外側の世界でありましょう。
 深雪、彦次、弥々子――これまで彼らが接してきた人間・妖怪たちが、それぞれの形で、それぞれの言葉で、小春と喜蔵のために力を貸す/与えることになります。

 二人が救いを与えてきた者たちが、今度は二人を救う……と言えば、大袈裟に過ぎるでしょう。しかし彼らの言葉は、自分たちの「外」の存在を意識させるきっかけとなるものであり――
 そして互いにとっての最良の「外」が、お互いの存在であることは間違いありません。

 人間は(もちろん妖怪も含めて)一人だけでは生きられない。形の上で生きることはできるかもしれないけれども、しかし心のうちでは誰かの存在を必要としている――
 本作のクライマックスで描かれるのは、そんな当たり前な、しかし我々が生きていく上でこの上もなく大事な真実でありましょう。


 そしてこの漫画版は、そんなもどかしくも美しい二人の姿を、見事にビジュアルにしてみせた、と感じます。

 生意気な小春が時に見せる真摯な眼差しに、無愛想な喜蔵が時に口元に浮かべる薄い笑みに――二人の外側だけでなく、そこからにじみ出る内側を、本作は絵として留めて見せてくれました。
 それは、本作のような物語にとって、最良の漫画化――というのは褒めすぎなのかもしれませんが、しかし一種の理想でありましょう。

 願わくば、この先の二人の姿を、そして二人を取り巻く様々な者たちの姿を描いて欲しい(特に多聞)。続編も漫画化して欲しい……そう思います。


 ちなみにクライマックスを読んだ時、君たちシリーズ第一部全六作をかけて、ぐるっと一回りしてきたんだなあ……と感心してしまったのですが、これは既読者の印象であります。
 もちろん、彼らは、螺旋階段の如く、同じ場所を回っているようでいて少しずつ高みに登っているのでしょう……と、これは蛇足。


『一鬼夜行』第3巻(森川侑&小松エメル スクウェア・エニックスビッグガンガンコミックス) Amazon
一鬼夜行(3)(完) (ビッグガンガンコミックス)


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 森川侑『一鬼夜行』第2巻 隠れさた相手の姿、己の姿

 「一鬼夜行」 おかしな二人の絆が語るもの
 「鬼やらい 一鬼夜行」上巻 再会の凸凹コンビ
 「鬼やらい 一鬼夜行」下巻 鬼一人人間一人、夜を行く
 「花守り鬼 一鬼夜行」 花の下で他者と交流すること
 「一鬼夜行 枯れずの鬼灯」 近くて遠い他者と共にあるということ
 「一鬼夜行 鬼の祝言」(その一) 最も重く、最も恐ろしく
 「一鬼夜行 鬼の祝言」(その二) 最も美しく、最も切なく
 『一鬼夜行 鬼が笑う』の解説を担当しました

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2016.03.07

『仮面の忍者赤影』 第12話「闇姫髪あらし」

 足利義昭が謎の熱病に魘され、鞍馬の行者・白雲が祈祷に招かれた。赤影は、その白雲こそが幻妖斎と見破るが、金目像に襲撃され、一端退却する。金目像の後を追った赤影に襲いかかる闇姫。一度は術を破り見逃した彼女の術を再び破る赤影だが、幻妖斎は彼女を巻き添えにして赤影を殺そうとする……

 金目教篇も残すところあと二話。今回メインとなるのは最後の七人集となった闇姫であります。

 冒頭、時の将軍・義昭の御所に現れ、不吉な予言を言いたい放題言っては姿を消す謎の行者・白雲。あからさまに怪しいのですが、しかしその直後義昭が熱病に倒れ、打つ手もなくなったことから、白雲が招かれることとなります。

 一方、姿を消した幻妖斎を探す赤影たちですが、彼らを見張るのが闇姫。しかし彼女が下忍に任せて一瞬目を離したその間に赤影たちは姿を消し、慌てた闇姫は逆に赤影たちに取り囲まれるのでした。
 ここで得意の髪あらしを放たんとする闇姫ですが、すかさず青影が放った鎖で髪が束ねられて失敗。なるほど、発動まで時間がかかるこの技、目の前で放とうとしても十分対処の時間があるということなのでしょう。

 ここであっさりくっ殺な感じになる闇姫ですが、そこで忍びを辞めて甲賀に帰れと諭す赤影。これで収まりがつく闇姫ではありませんが、ひとまず去っていった彼女に、青影も「いいことしたね」とにっこりです。

 さて、すっかり御所の信用を得たと思しい白雲は、堂々と京の人々に対し金目教の布教を始めますが、その前に現れた赤影は、白雲の正体が幻妖斎であると見破ります。しかし幻妖斎は焦るどころか金目像が目から放つ怪光線で赤影を攻撃。さらに赤影こそがパプリックエネミーと幻妖斎に煽られた民衆には赤影も手を焼き、白影の凧でひとまずその場を脱するのでありました。
 しかし赤影たちもただでは退きません。金目像が帰って行く先を空からつけようとするのですが……しかし金目像は途中で消失。その地点にあった破れ寺を単身捜索する赤影に、再び闇姫が立ちふさがります。

 そして再び髪あらしを放たんとする闇姫ですが――今度は一瞬早く赤影の刃が彼女の髪をバッサリ。闇姫は忍法の源を奪われ、完敗であります。
 しかしその時流れ込んできたのは毒ガス。すんでのところで赤影につれられて脱出した闇姫は、今度こそ幻妖斎の非道を思い知り、赤影たちに幻妖斎が義昭の御所にいることを語るのでした。そしてどぎついメイクを落とし、素顔を見せる闇姫……

 さて、義昭の寝所に現れた幻妖斎は、金目教の布教の許可を迫りますが、義昭に化けていたのは青影。一度は見事に裏をかいたかに見えましたが、しかし相手は幻妖斎、追いつめられて窮地に陥り……と、そこに現れた闇姫が幻妖斎に立ち向かいます。
 そのまま戦いの舞台は屋根の上に移りますが、そこで屋根の上に呪いの杖があるのを見つけた闇姫はこれを奪って幻妖斎と対決。しかし幻妖斎には及ばず、屋根から叩き落とされるのでありました。

 その場にかけつけた赤影たちに、杖の呪いが義昭を苦しめていたことを語る闇姫。そしてさらに、金目像の動力の秘密を語ろうとするのですが……しかしそこで力つき、短い生涯を終えるのでありました。
 彼女の亡骸を白い菊に変え、手を合わす赤影たち。しかし悲しみに浸るまもなく、金目像が暴れだし――いよいよ金目教篇最終回に続きます。


 敵方のくノ一(に類する女戦士)が主人公の優しさにほだされて敵方を抜けて味方するも、はかなく命を散らす……というのは定番パターン(特に伊上脚本の)ではありますが、しかしエキセントリックなキャラクターと描写が多い本作で描かれると、不思議なリアリティをもって響くように感じられます。
 それは、数話前に彼女が幻妖斎の非道ぶりに不快感を感じる描写が入っていたことでさらに強められていると言えましょう。

 どぎついメイクを落とすというわかりやすくかつ象徴的な形で正道に戻った闇姫。せめて最後は美しい花となって弔われたことを以て瞑すべきでしょうか。
(しかしサブタイトルの必殺技が不発に終わったのは可哀想ではあります)


今回の怪忍者
闇姫

 長い髪を振り回して暴風を起こす髪あらしを操る七人集の紅一点。二度にわたって髪あらしを破られたもののそのたびに赤影に命を助けられた上、元々不信感を感じていた幻妖斎に赤影もろとも殺されかけたことから離反。幻妖斎と対決するが破れて散った。


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2016.03.06

東村アキコ『雪花の虎』第2巻 二つの父子、二つの別れ

 かの上杉謙信は、実は女だった! という、有名ながらしかし冷静に考えれば色々と無理がありそうな説を、真っ正面から描いてみせる快作の第2巻であります。女として生まれながらも、父によって男として育てられた虎千代――後の謙信が、父の死に際して取った行動とは……

 越後国の実質的な主として辣腕を振るってきた長尾為景の第三子として生まれた虎千代。長子の晴景は戦国武将としては心身ともに柔弱、第二子の綾は女と、後継者に悩んでいた為景は、彼女に男の名前を与え、男として育てるという途方もないことを断行いたします。

 そんな虎千代が名前通り雄々しく育っていく頃、越後国は為景が隠居し、晴景が跡を継いだものの、父がその豪腕で何とか抑えていた国内を治めることはできず、国は乱れゆく一方。そんな中で為景が息を引き取ったことで、越後は、長尾家は更なる混乱に見舞われることになるのですが……

 と、父の死という悲しみの中で、「武将」としてついに立つこととなる虎千代。それが自らの望みというだけでなく、父の――もはやそれを叶えた姿を見ることもない――期待に応えるという想いから、ついに虎千代は男として元服、景虎を名乗ることとなります。

 ……やはり文字にしてみると無茶な展開にも思えますが、それをそうと思わせないのは、虎千代自身の、そしてそれ以上に彼女を取り巻く人々の丹念な描写があってこそ。

 特に、似合わぬと自嘲しつつも家を背負わされ、あるいはそれを奪いかねぬ妹を穏やかに見つめる晴景。景虎が寺で修行していた頃の兄弟子として彼女を精神的に支えつつも、時にそれ以外の想いを垣間見せる益翁宗謙の二人の男性の描写が実にいい。
 特に景虎に初めて女性の徴が現れた際の宗謙の言葉は――現代人の視点から冷静に考えるとひどいことを言っているのですが――戸惑う「彼女」に向ける言葉として、この上ないものでありましょう。


 しかしこうした展開の一方で唸らされるのは、景虎を(やがて)取り巻くもう一人の男・武田晴信の存在であります。
 後世のイメージとは異なり、もの柔らかなものすら感じさせる本作の晴信ですが、しかしその策士ぶりは後の片鱗を感じさせるものがあります。

 その晴信の隠れたる切れ者ぶりが明らかになるのが、父・信虎の追放劇なのですが……痺れるのは、信虎を追放する晴信と、為景を送る景虎と、二つの父子の別れを対置するような形で描いている点であります。

 確かに対照的な二人の姿ではありますが、この時点で、この形で対比して見せた作品は少ないのはず。
 調べてみれば、この二つの別れは歴史上ほぼ同時期に起きている――為景が没した時期は1536年から43年と定まっていないようですが、信虎が追放されたのは1541年――のですが、それを掬い上げてこのような形で見せたのは、巧みと言うほかありません。


 そしてこの巻の後半で描かれるのは、景虎の初陣、栃尾城の戦い。初陣から切れ者ぶりを発揮する景虎ですが、何よりも面白いのは、「女」であり「武将」であるという自分の存在を材料として、一種の情報戦を仕掛けている点。
 それが功を奏するクライマックスで、素顔を顕わにした彼女は実に美しく、後々まで景虎を支える本庄実乃が、メロメロになってしまうのも説得力がある……というのは蛇足ですが……


 相変わらずの解説シーンでの二段構成も楽しく、まずは隙のない作品……そんな印象がいたします。


『雪花の虎』第2巻(東村アキコ 小学館ビッグコミックススペシャル) Amazon
雪花の虎 2 (ビッグコミックススペシャル)


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2016.03.05

おやまだみむ『おえどかしばな』 菓子職人と有名人たちの「味な」コメディ

 江戸時代は様々な町人文化が花開いた時代ですが、その一つに菓子があります。茶道の影響で発達した上菓子だけでなく、時代が進むといわゆる駄菓子も登場し、庶民にも身近なものとなるわけですが……本作はそんな菓子作りに燃える、しかし気弱な職人と、数々の有名人が織りなすコメディであります。

 菓子職人の咲太郎は、腕は良いのだけれども気が弱く、なかなか芽が出ない青年。身寄りがないことから、遊び人らしい謎の青年・雪丸の長屋に転がり込み、(半ば野次馬の)雪丸とともに、試行錯誤の毎日であります。

 本作は、そんな彼が店を持つことを目指して奮闘する姿を描く、一種の職人もの・人情ものでありますが、何と言っても一番の魅力は、この時代の様々な有名人たちが登場することでしょう。

 汚い格好をして無愛想な爺さんと思えば、ほとんど住所不定の天才浮世絵師だったり(彼とは名コンビの読本作家も登場)、当代珍しいほどの殺気を漂わせた強面の武士と思えば、御様御用で知られたあのお侍さんだったり……
 その他にも猫大好きで熱血漢の浮世絵師志願の若者やら、子供は優等生の不良旗本親父等々、どこかで見たような連中が登場して、咲太郎の菓子と絡んでいくのは、実に楽しいのであります。

 もちろんそれは、フィクションならではのディフォルメではあるのですが、しかし細かい史実(例えば、面白道中記が大ヒットした戯作者が、自分で挿絵も描いていたなど)を押さえた人物造形・物語展開は、なかなかにニヤリとさせられるものがあります。

 主人公である咲太郎のキャラ付けである眼鏡も、一見ちょっと無理があるようでいて、しかし実は……というのも良い。(だから雪丸の月代は見逃して下さい)
 肝心のお菓子の方も、現代の常識とのギャップを上手く生かした展開があったりと――カステラの意外な消費のされ方には仰天――なかなか「味な」作品であります。

 作者のおやまだみむは、以前に『山中鹿介物語 尼子再興記』を発表しているとのことで、おそらくは本当に歴史・時代ものがお好きな方なのだろうと思います。


 もっとも、題材のチョイスやアレンジ、そこに絡めた物語展開は面白く、さらりと楽しく読めるものの、全般的に見るともう少しトガった味付けが欲しかった、もっともっとハジけても良かった……という印象は残ります。
(その意味では咲太郎のキャラクター的……というのは、さすがに失礼かもしれませんが)

 しかし、後引く作品であることは事実。作者の次の作品も(そして『山中鹿介物語』も)読んでみたいと考えているところです。


『おえどかしばな』(おやまだみむ マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ) 第1巻 Amazon/ 第2巻 Amazon
おえどかしばな 1 (マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ)おえどかしばな 2 (マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ)

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2016.03.04

武内涼『妖草師 魔性納言』(その二) 人の自然と自然の美を愛して

 武内涼の『妖草師』シリーズ第三弾の紹介の続きであります。本作の、本シリーズのもう一つ大きな特長、それは……

 それは、絵画・俳句・読本……様々なジャンルで活躍する文化人たちの登場であります。シリーズのレギュラーである曾我蕭白、池大雅のほか、これまで伊藤若冲、与謝蕪村、平賀源内といった様々な文化人たちが、本シリーズには登場し、物語を賑わわせてきました(しかし彼らの登場の意味は、決して賑やかしだけではないのですが……それは後述)。

 昨日に述べたとおり、そんな文化人の一人として、本作では上田秋成が登場いたします。
 確かに(作中でも言及されるように)彼は怪異の世界を愛し、文学として遺した人物。その点からすれば、本作のように妖異な戦いの世界に登場するのは、あるいは不思議ではないかもしれません。

 しかしそれだけに留まらないのが、本作の見事な点でありましょう。なぜなら、秋成には、読本作家だけではない顔があるのですから。
 それは国学者としての顔――後に本居宣長と論争を行い、その急進的な思想を批判した彼の立場は、本作においても一種独特の合理性を以て、国学によってこの国の在り方を読み替えようとした竹内式部の思想と対立するものとして描かれているのであります。

 そしてこの両者の対比は、実は本作の随所で描かれる――作者が本作の一つ前に発表した『吉野太平記』ほどダイレクトではないものの――この国におけるノーブレスオブリージュの在り方、望ましき社会の在り方に重なってきます。
 為政者は如何なる態度で臨むべきか、いや、の社会は如何なる形であるべきか……こう書いてしまうと非常に重たく感じられるかもしれません。しかし重奈雄や椿、秋成ら登場人物たちの言葉を通じて語られるそれは、決して難解なものではなく、今の我々にもスムーズに受け入れられるものであります。

 それはすなわち、人の自然を愛し、その人の、自然の美を愛すること――
 この想いはそのまま、人の負の心性から生まれた常世の妖草に対し、人の美しいものを愛し求める心、そしてその表れである文化を対置して描いてきた(そしてそれこそが本作において様々な文化人たちが登場してきた所以でありましょう)本シリーズの構造に重なり合うのです。


 昨日の冒頭で触れた『この時代小説がすごい! 2016年版』等の記述を見るに、本シリーズはこの『魔性納言』において完結の模様であります。
 確かに本作は質量ともにシリーズの締めくくりに相応しい作品であり、結末も実に美しくまとまっているのですが……しかしやはり惜しい、という想いは強くあります。

 人が人である限り、この先も妖草はこの世に姿を現し、人に害を為すことでしょう。そしてそれを利用せんとする者も絶えることはありますまい。
 しかし、それに対して抗する者がいる。人の、人の世の美しさを信じる者がいる……それは今のような時代にあって、何よりも心強く我々を励ましてくれることであるのですから。

 本作の中で語られざる事件が仄めかされていることもあり、どのような形もいい、まだまだこの世界を描いて欲しい……そう感じる次第です。


『妖草師 魔性納言』(武内涼 徳間文庫) Amazon
魔性納言: 妖草師 (徳間時代小説文庫)


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2016.03.03

武内涼『妖草師 魔性納言』(その一) 対決、闇の妖草師

 時は宝暦8年、過激な尊皇論者・竹内式部の門下で倒幕の陰謀が進みつつあった。偶然その動きを知った妖草師・庭田重奈雄は、その一派と思しき美貌の中納言・茶山寺時康と出会う。果たして恐るべき倒幕の策とは何か。敵の手に落ちた椿を救うため、重奈雄は上田秋成らの力を借りて敵地に潜入する……

 『この時代小説がすごい! 2016年版』の文庫書き下ろし部門で見事第一位を獲得した『妖草師』シリーズの最新作、第三弾であります。前作は短編集でしたが、本作は長編……大ボリュームで歴史上の事件の背後で蠢く妖草を巡る死闘が描かれます。

 人の負の心を苗床に生まれる常世の植物・妖草。現世の植物と似たような姿を持ちながらも、文字通りこの世のものならぬ力を持つこの妖草に対処するのが妖草師であり、妖草師を輩出する公家・庭田家に生まれた青年・重奈雄が本作の主人公であります。
 故あって家を勘当され、今は市井の草木医として暮らす彼は、妖草・妖木の出現を聞けば、妖気を察知する天眼通の力を持つヒロイン・池坊椿や、曾我蕭伯・池大雅といった文化人とともに、その脅威に立ち向かう……それが本シリーズの基本設定です。

 その重奈雄たちが今回挑むことになるのは、しかし、倒幕というある意味極めて現世的な行動を目論む一団。過激な尊皇倒幕思想を抱く国学者・竹内式部と、青年公家を中心としたその門下生、そして外様大名ら、徳川幕府の体制に不満を抱く者たちが、密かに陰謀を巡らせていたのであります。
 そんな陰謀の存在はつゆ知らず、市中で偶然知り合った若者――後に『雨月物語』を著す上田秋成らとともに竹内式部の講義を聴くことになった重奈雄は、しかし式部の思想に不穏な印象を受けることになります。

 しかしそれに気を取られる間もなく、新たな恐るべき水の妖草・水虎藻の出現を知り、仲間たちとともにこれに立ち向かうこととなった重奈雄。
 さらに、人の世に幸をもたらす世にも稀なる妖草・人参果の出現を知った彼は、この人参果の保護に奔走することになります。

 凶暴な人喰いの妖草と、奇瑞ともいうべき妖草――全く相反する二つの妖草の出現と、倒幕の陰謀。一見全く無関係に見えるこれらを結ぶ者……それこそは、美貌の陰に邪悪な野望を秘めた魔性の中納言・茶山寺時康――


 いささかネタばらしとなってしまい恐縮ですが、今回重奈雄が挑む相手は、彼と同じく……いや、邪悪な目的のために妖草を用いる闇の妖草師とも言うべき存在。その力は重奈雄をも遙かに上回り、かつ緑の地獄とも言うべき魔境に潜む怪人であります。

 もともと本シリーズで展開されるのは、奇怪な能力を持つ妖草を倒すための力として、また別の妖草の力を用いる、異能もの・召喚ものの変奏ともいうべき妖草バトル。
 そのその妖草バトルが、同じ妖草を操る敵を迎え、これでもかと言わんばかりに詰め込まれているのが嬉しい。大自然の中において、その大自然の力を時に敵に、時に味方にして死闘を繰り広げるというのは、作者の作品全てに通底する展開ですが、それが存分に活かされていたと感じます。

 また、作者の作品の魅力の一つには、フィジカルな力は弱くとも、気高く強い心を持ち、主人公と肩を並べて戦うヒロインの存在がありますが、もちろん本作でもそれは健在であります。
 シリーズのヒロインたる椿が、その天眼通の力を随所で活かすのはもちろんですが、しかし彼女の真の力は、その優しくも強い想いと、花を、美を愛し信じる心。窮地に陥った彼女が、超常の力に頼らぬ人の善き部分の顕れとも言うべき力を見せる場面は、作中最も感動的な場面と言って差し支えありますまい。

 そして本作の、本シリーズにはもう一つ大きな特長がありますが……長くなりますので、次回に続きます。


『妖草師 魔性納言』(武内涼 徳間文庫) Amazon
魔性納言: 妖草師 (徳間時代小説文庫)


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2016.03.02

『エージェント・カーター』シーズン1 喪失と希望の先に

 隙をみてはアメコミネタをブッ込む本ブログですが、本作は終戦直後の時代を描いた、それも非常にクオリティの高い作品ゆえご勘弁下さい。敏腕女性エージェントが活躍するスパイアクションにして、『キャプテン・アメリカ ザ・ファーストアベンジャー』のその後の世界を描く連続ドラマであります。

 第二次世界大戦末期、超人兵士キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャースが、人類を救って氷の海に消えて数年後の1946年――スティーブの戦友であり恋人であったペギー・カーターは、米国の秘密諜報機関SSR(戦略科学予備軍)のエージェントとなったものの、男社会の中では彼女は相手にされず、仕事といえばコーヒーを淹れたり書類を整理を整理したりという毎日。
 そんな中、キャップの生みの親の一人であり、スティーブとペギーの親友でもある実業家・大発明家ハワード・スタークの発明が何者かに盗み出され、ブラックマーケットに流出。SSRはハワードが自ら流したと見做し、国家反逆罪で彼を指名手配するのでした。

 ハワードから身の潔白を晴らすことを依頼され、ハワードの執事のジャーヴィスとただ二人、周囲にも秘密のまま危険な潜入捜査を繰り返すことになるペギー。しかし彼女の前に、「リヴァイアサン」を名乗る謎の存在と暗殺者たちが立ち塞がります。
 リヴァイアサンとは何者なのか。大戦中にロシアで起きた惨劇とは。ハワードが隠した真実とは。そして敵の真の狙いとは――SSRの同僚をも敵に回した孤独な戦いの末にペギーが掴んだものとは……


 と、キャップがいなくなった後の世界を描く本作は、ヒーローものというより、ほとんど生身の人間が繰り広げるスパイアクションといった趣の作品。それゆえ見始めた時はいささか地味な作品かな――と感じましたが、その印象は全く良い意味で裏切られました。

 頭脳の回転も戦闘力も超一流のヒロインが、マチズモ全開の男社会の中で、自分のこれまで培ってきたスキルをフル回転して次々と難局を乗り越えていくのは実に痛快(特に、自分がモデルの、しかし役立たずのヒロインが登場する、うんざりするくらいステロタイプなキャップのラジオドラマをバックに悪党を叩きのめすシーンは、色々な意味で凄いの一言)。
 その相棒となるのが、慇懃を絵に描いたような――そしてスパイとしての能力ははからっきしの――英国人執事というギャップも、何とも楽しいのであります。

 そしてマーベル製作の映像作品だからして、他の作品とのリンクもまた見所であります。ハワードが『アイアンマン』のトニー・スタークの父であることは言うまでもありませんが、同作ではAIの名であったジャーヴィスのモデルとなった人物が登場するというだけでも、ファンにはたまりません。
 さらに、おそらくはあの人物の先輩とも言うべきキャラクターが登場したり、漫画でもキャップに幾度も絡んできたヴィランが思わぬ形で登場したりと、知らなくても面白いが、知っていると猛烈に面白いという、MCUならではの仕掛けは相変わらずです。


 しかし――物語が進んでいくにつれ、本作の魅力はそれらにのみあるわけではないことが、強く伝わってくるようになります。

 先に述べた通り、優れた能力を持ちながらも、男社会の中で黙殺されてきたペギー。そんな彼女の敵は謎の暗殺者たちだけではなく、そうした周囲の無理解でもあります。
 それゆえ、物語当初は、彼女のボスたる支局長やいかにもなエリート同僚が、実に憎々しく見えるのですが――しかし、彼らにもまたそれぞれに信念があり、縛るものがあり、そして何よりも、それぞれ過去に喪ったものがあることが、やがて見えてくるのです。

 そう、本作においては、ペギーだけでなく、彼らSSRの男性陣、そしてヴィランたちに至るまで――ほとんど全ての登場人物が、何らかの喪失感を抱いています。
 それは愛しい人や家族、あるいは自分自身の肉体の一部と様々ですが――しかし共通するのは、それが「あの戦争」が、言い換えればその時代がもたらしたものであることなのです。

 そしてその中でも最大の喪失感を抱えるのが、キャップを失ったペギーであることは言うまでもありません。しかしもう一人、最終話のクライマックスにおいて、同様の想いを抱く者の胸中が語られるのには、ただ涙涙……
(戦争中の連合国にとっては希望の象徴だったキャップが、戦後の二人にとっては喪失の象徴となる構図も胸を打たれます)

 本作は、舞台となる時代に寄り添った、その時代あってこその物語(もちろんペギーがぶつかる男社会の壁もその一つですが)であり、その意味において優れた「時代もの」であると――些か牽強付会ながら――感じたところであり、それが本作をここで取り上げる所以であります。


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2016.03.01

伊東潤『天下人の茶』 茶室の中の「勝者」と「敗者」

 昨年同様、今年もハイスパートな活躍が予想される伊東潤。作品ごとに特異な題材と視点を用意する作者の引き出しの多さには毎回驚かされますが、この最新作の題材は、何と「茶」。戦国時代末期、天下人たる豊臣秀吉と、彼に仕え、茶道を大成した千利休を中心とした短編連作であります。

 現代では趣味の一つとして定着している茶道。しかし本作の冒頭に描かれているように、織田信長は御茶湯御政道として、一種の君臣の支配のツールとしてそれを利用してきました。
 それが秀吉においては、北野大茶湯に象徴されるように、上は帝から下は庶民までに茶の湯を親しませ、一つの共通文化として定着させたと言えるでしょう。

 本作で浮き彫りとされるのは、その現世とは一定の距離を置いた(ように見える)文化たる茶道を通じて浮かび上がる勝者と敗者の姿。序章と終章のような形で二つに分けられた表題作と、それに挟まれた四つの短編という、ユニークな形でそれは描かれることになります。


 さて、表題作の前半に続く短編のうち三つは、一言で表せば「敗者」の物語であります。

 自分だけの道を求め、朝鮮茶碗に取り憑かれた牧村兵部。老境に至り暴走する秀吉を止めるために己の身を擲った瀬田掃部。秀吉亡き後も、師と自分が恩を受けた豊臣家を救うため奔走した古田織部――
 彼らは、利休の弟子として師の言葉を胸に、それぞれに己の茶を、侘びを、そして道を求めて懸命に生きながらも……しかし、いずれも「勝者」になれなかった者たちであります。

 歴史を単純に勝者の側から描くだけでなく、むしろ敗者の側から――それも我々読者に、彼らに対する大きな共感を覚えさせつつ――描くというのは、これは作者の得意とするところでありましょう。
 その意味では、彼ら三人は、実に伊東作品の主人公的な存在であると言えるかもしれません。


 しかしその物語は、続く四話目――彼らの師たる利休自身(の姿を細川忠興の目から)描くエピソードにおいて、大きく趣を変えるように思われます。
 ここで描かれるのは、これまでの物語構造を、(一見)ガラリと変える大仕掛け。戦国最大と言うべきあの事件の、その謎を、本作は描いていくことになるのであります。

 その伝奇性豊かな趣向にはもちろん嬉しくなってしまうのですが、しかしそれ以上に驚かされるのは、そこで展開される、秀吉と利休の対峙の姿であります。

 言うまでもなく、天下人としてこの「現世」を支配した秀吉。それに対し、如何に秀吉の腹心とも言うべき立場にあったとしても、利休は秀吉に仕える一介の茶人に過ぎません。
 そして歴史が示すとおり、その最期を思えば、利休もまた「敗者」――秀吉に敗れたと言うことができるかもしれません。

 いや、本当にそうでしょうか。冒頭に述べたとおり、この時代、茶道は天下万民に親しまれた存在――彼らの精神に共通に根付いた文化、「現世」に対する「精神世界」とイコールなのであり……そしてその世界に君臨する利休は、秀吉とそのまま対になる存在なのではないか。
 だとすれば、これまでに利休自身が、あるいは彼の弟子が求めてきた茶とは侘びと――その先に見える利休の姿は、これまで描かれたこともないような、一種の魔人としてすら感じられるのであります。

 そして表題作の後半、ただ一人、現世の勝者として君臨する秀吉の胸中に過ぎるものは……ラスト一行に至り、誰が「勝者」で誰が「敗者」か、我々は混迷の中に置き去りにされるのであります。


 ここに至り、物語の全てもまた、その構図を変えて感じられる――それは私の深読みのしすぎでありましょうか。

 しかし、本作で描かれる「敗者」たちは、いずれも己の意志でもって――たとえそこに様々な外部からの影響があったとしても――己の生を、己の道を全うした者。そしてそれは、結末で描かれる無惨な「勝者」の姿とは、あまりにも対照的と感じられます。
 そしてまた、この「敗者」の在り方は作者の作品に通底するものであり……そして先に述べたとおり、それこそが我々を強く共感させる所以なのではないでしょうか。


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