梶川卓郎『信長のシェフ』第15巻 決戦、長篠の戦い!
快進撃を続ける信長の前に現れた最強の敵・甲斐の武田勝頼。この巻では、ケンにとっても因縁浅からぬ相手である勝頼との決戦――長篠の戦いが描かれることとなりますが、しかし戦を目前にケンは戦場近くの村に囚われの身に。果たしてケンは間に合うのか、そして戦に関わった者たちの運命は……
徳川・織田連合と武田が真っ向から激突した、歴史に名高い長篠の戦い。この大一番を描くに、本作は前の巻から丹念に物語を積み重ねてきました。高天神城の戦いの事後処理をはじめとする対武田の情報戦、長篠での「一夜城」建築……当然というべきか、ケンはそのまっただ中で奔走することになるのですが、そこに彼と同じ現代人、今は果心居士を名乗る男・松田により、ケンは窮地に陥ることになります。
松田に指嗾された設楽ヶ原の農民たちに囚われたケン。農民といっても当時の彼らは一転落ち武者狩りにも転じる剣呑な人々、武田側につくという彼らに囚われたケンの命運は風前の灯火となってしまうのですが……
この窮地からいかにケンが脱するか、そして村人たちを味方につけ、一夜城建築を成功させるか――幾重にも困難なこの状況をいかにひっくり返すか、というのは相変わらずの楽しさがありますが、しかしこの巻の中心となるのは、もちろん長篠の戦いそのものであります。
織田の馬防柵と鉄砲三段撃ちという戦法により、突撃するばかりの武田騎馬隊は惨敗した……という長篠の戦いのイメージは、特に三段撃ちについては、現在はほとんど巷説として退けられているところではあります。
本作ももちろん、単純にそうしたイメージをなぞるわけもないのですが――それでは果たして、どのようにこの戦を描くのか。そしてどのようにそこで敗者となった者たちを描くのか?
その詳細はここでは述べませんが、この部分だけを取り出しても、優れた歴史ものとして楽しめた……そう表することは許されるでしょう。
刻一刻と動いていく戦況と、その中で入り乱れる様々な人々の思惑を積み重ね、戦いの中の「その瞬間」へと突き進んでいく……結果を知っていても、いや結果を知っているからこそ楽しめる(という表現はいささか気が引けますが)世界が、ここにはあります。
(特に野戦ではなく○○戦というくだりには、もう痺れるばかり)
そしてさらに見事なのは、武田方――勝頼と譜代の重臣たちの描写です。
上で軽く触れたように、織田方の万全の備えに対して猪突猛進して自滅したというイメージを持たれがちな武田方。そのネガティブな印象の矛先が向けられてきたのが当主たる勝頼であります。
偉大すぎる父の影を払拭せんとするあまり、焦って無謀な突撃を行った、行わせた愚将……これまで描かれてきた勝頼像を見ればわかるように、本作は、そんなアプローチを取るものではありません。
大信玄の子として厳しい視線を向けられつつも、それに押しつぶされることなく、雄々しく立つ一人の武将。それでいて決して超人ではなく、血の通った一人の悩める若者としての顔を併せ持つ者として、勝頼は描かれるのです。
それでいて、その勝頼の武将としての器が、かえって彼を敗北への道に追い込むという皮肉もまた切なく、そんな彼を認めて散ってく老臣たちの姿も、ちょっと格好良すぎると思いつつも、グッとくるものがあります。
終わってみれば、勝者である信長、家康はもちろんのこと、勝頼ら武田家の人々、そしてケンを捕らえた農民たちも含めて、ほとんど一人として貶めることなく描いてみせたのは、歴史ものとしての本作の見事さを示すものでありましょう。
もっとも、この決戦の中でいつも以上に八面六臂の活躍を見せるケンの姿には、いささかやりすぎの印象がなくもないのですが、これはここまできっちりと描かれた歴史の重みに負けぬため……と思うべきでしょう。
さて、大戦を終え、一時の平穏を手にしたかに見えたケンですが、ラストに待ち受けるのは、信長の意外な言葉。果たして次の巻からはタイトルが変わってしまうのか!? というのはもちろん冗談ですが、これまでとはまた全く異なる切り口の物語が楽しめそうな予感があります。
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