吉川うたた『鳥啼き魚の目は泪 おくのほそみち秘録』第5巻 それぞれの過去との別れ
自由奔放で「視える人」な松尾芭蕉と、師匠に手を焼く堅物の河合曽良、二人の一風変わった「おくのほそ道」の珍道中を描く本作も、気がつけばもう第5巻。ついに太平洋側から日本海側に入った二人の旅は、今回も俗世と超自然に挟まれて波乱含みの展開であります。
前の巻では山形を回った芭蕉と曽良ですが、その途中で勧められたのは、東の松島と呼ばれる象潟の景勝。
かくて日本海側に抜け、象潟に入った二人ですが、二人を、いや芭蕉を出迎えるのは、中央の人々にまつろわぬ者として討たれた蝦夷であったという手長・足長でありました。
早速の異界の者との出会いに警戒していた芭蕉ではありますが、曽良、そしてまたもや旅に加わってきた謎の美女・かさねの前から突然消失。気がついてみれば、彼はただ一人、鳥海山の山頂に……
そして全く思わぬ形で芭蕉とはぐれてしまった曽良の前にも、かつて彼が仕えた主家の人々が、そしてそのしがらみが現れるのでありました。
というわけで、この巻に収められているのは、象潟から越後を経て市振の関まで、史実では約1ヶ月間の行程。おくのほそ道というと、やはり奥州のイメージが強くありますが、かの「荒海や佐渡によこたふ天の河」の句は、この間で詠まれたものであり、あだやおろそかにはできない(?)地であります。
ここで離ればなれになってしまった二人ですが、その向かった先、待ち受けているものは極めて対照的です。
鳥海山は大物忌神社に飛ばされた芭蕉の前に現れたのは、件の手長・足長、そして奥州でも幾度となく彼の前に現れた大先達・西行法師……つまりは、この世のものならぬものたち。
これまでも幾度となく彼らのような存在と出会ってきた芭蕉ですが、しかしここで描かれるのは、彼らとの別れ。これまで幾度も芭蕉の前に現れた彼らとの別れは、芭蕉ならずとも、ある種の感慨を覚えさせられるものでありましょう。
ちなみに史実では鳥海山には立ち寄っていない芭蕉ですが、大変な力業で飛ばされてしまうのも、以前の恐山と同様というわけで、何となく慣れてしまったのも可笑しいところではあります。
それはさておき、師匠が超自然の世界に巻き込まれている一方で、曽良を待ち受けていたのは、ある意味それとは正反対の世俗的な世界。彼がかつて身を置き、そして捨ててきた世界――武士の世界が、彼の前に再び現れるのです。
元は武士であり、敬愛する主君を持ちながらも、主君に別れを告げ、歌の道に入った曽良。それは師である芭蕉とよく似たものと見えますが……
しかし彼の場合、主君とは死別ではなく、そしてまた、主君のことを折に触れて思い出したりはしないのが、また彼らしいとも申せましょう。
しかし逃げても追ってくるのが浮き世のしがらみ。芭蕉と引き離され、よんどころない事情にやむなくつき合うことになった曽良を待つものは……貞操の危機!?(いや本当)
何はともあれ、それぞれ対照的な旅をする羽目になった芭蕉と曽良ではありますが、しかし二人に共通するのは、その旅が「過去との別れ」であることでしょう。
芭蕉は奥州で出会った人ならざるものたち――忘れ去られた過去の象徴とも言うべき存在と、そして曽良は一度はその身を置いた(そして既に一度捨てた)人々と……
それぞれに告げた過去と、この時期に別れを告げたことは、このおくのほそ道の旅の終わりが近いことと無関係ではありますまい。
この旅も残すところあとわずか。そこで二人が何と出会い、何と別れることとなるのか……そしてその先に二人を待つものは何か。
これまで同様、史実の上で我々が知るものとはまた別のものを見せてくれることを、期待してもよいのではないでしょうか。
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