高橋克彦『完四郎広目手控』 江戸の広告代理店、謎を追う
これまでに五巻が刊行されている作者の人気シリーズの第一弾であります。幕末の動乱の中、「広目屋」――今でいう広告代理店に集う一癖も二癖もある男たちの中でも一際切れ者・香冶完四郎が、江戸を騒がす様々な噂や怪事件の謎を鮮やかに解き明かす連作短編集です。
物語の舞台となるのは、藤由こと藤岡屋由蔵が営む古本屋……とくれば、江戸文化に詳しい方はニヤリとされるでしょう。江戸中の噂をかき集め、それを様々な人間に売って稼いでいたという人物であります。
その稼業柄、いわゆる情報屋として描かれることが多い藤由ですが、本作で描かれるのは、単に噂の売り買いだけでなく、情報を武器に様々なイベントをプロデュースする、広告代理店としての性格を強調しているのが、何とも面白いのです。
さて、本作のタイトルロールである完四郎は、そんな藤由でごろごろしている居候。元は旗本の次男坊、伯父は奥右筆組頭という名門で剣をとっては千葉周作道場の目録の腕前ながら、今は家を飛び出し、竹光を腰に呑気に暮らしている青年であります。
この完四郎の特技と申しましょうか、剣術に負けず劣らず優れているのは推理力。藤由が嗅ぎつけてきた様々な江戸の噂の裏に潜むものを見抜いては、時に金儲けに、時に人助けに、時に悪人退治にと活躍するのが、本作の基本パターンなのです。
そしてそんな完四郎の相棒となるのが、若き日の仮名垣魯文というのがまた面白い。筆は冴えているものの、名前がまだ売れてはいない魯文は、やはり藤由の居候として、同じ身分の完四郎の相棒として奔走するという趣向です。
さらに浮世絵師の一恵斎芳幾(落合芳幾)や、予言能力を持つ超能力少女のお映など、虚実入り乱れた登場人物たちも賑やかな物語であります。
さて、そんな本作は、先に述べたとおり連作短編集。全部で十二編の短編が収録されていますが、挿し絵代わりに歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」から各話二枚ずつ使っているのは、いかにもこの作者らしい優れた趣向でありましょう。
しかしもちろん、何よりも優れているのはその内容であることは言うまでもありません。十二編ということで、一編当たりの分量はさほどでもないのですが、その中で広目屋の活動に中心となる謎の配置、キャラのやりとりや江戸情緒の描写、そして完四郎の快刀乱麻を断つ謎解きをテンポよく配置しているのは、練達の技という印象です。
そして謎の方も、いわゆる日常の謎から、怪談めいた事件の正体暴き、さらには謎がどこにあるのかすらわからないエピソードなど、実にバラエティーに富んでおります。
その中から一つ、特に印象に残ったものを挙げるとすれば、『花火絵師』でしょうか。
『花火絵師』は、超能力少女のお映が川開きの花火を背景に浮世絵師が自害するビジョンを見たのを回避させるため、完四郎たちが奔走するという変化球の作品。
自分が絵に描いたものをモデルとした花火が打ち上がるという、得意の絶頂の瞬間に浮世絵師は何故死を選ぶのか、そして決して外れないお映の予言を覆すことができるのか……明かされた真相の意外さと、それを受け止める江戸っ子の人情が素晴らしいエピソードであります。
しかし、そんな本作も、『目覚まし鯰』『大江戸大変』のラスト二話において大きく趣を変えることになります。いうのも、ここで完四郎たちが挑むのは、大地震――お映が視た江戸全域を地獄に変える地震、後にいう安政の大地震なのですから。
地震が起きるのを止めることはできない。しかしそれでも、運命を変え、死ぬべき者を救うことができるのではないか。そして、せめて被災した人々を救い、被害を最小限に抑えることができるのではないか?
それは、竜車に向かう蟷螂の斧と言うべき企てかもしれません。どれだけ腕が立とうと、頭が切れようと、所詮は一人の人間の力なのですから……
いえ、本当にそうでしょうか? これまで物語で描いてきたもの、広目屋の力は、単に人を騒がせ、金を儲けることしかできぬものなのでしょうか? その答えを、人の、人々の見えざる力を描き出す最終話は、今なお地震の後遺症に悩まされる我々にとっても、一つの希望として感じられます。
ミステリ、歴史、ホラー、浮世絵など、作者がこれまで扱ってきた題材のある意味集大成と言うべき物語を描きつつも、本作に現代の我々にも届く希望を描く……何とも心憎い作品であります。
『完四郎広目手控』(高橋克彦 集英社文庫) Amazon
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