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2016.06.28

上田秀人『表御番医師診療禄 7 研鑽』 厄介事の連続の中の平穏?

 数々の幕府の闇と対峙してきた表御番医師・矢切良衛も、苦労の甲斐あってか寄合医師へ出世、幕府より長崎での蘭学修行を認められ、勇躍長崎に向かうのですが……さて、そこで待っているのは思いもよらぬ厄介事の連続。果たして良衛は、無事に修行を終えて帰還できるのでありましょうか?

 大奥を舞台とした探索をなんとか終え、将軍・綱吉の思惑もあって長崎遊学を許された良衛。しかし綱吉の愛妾・お伝の方より、懐妊の秘術を会得するよう密命が下されたのは、彼にとっては大変な重荷であります。
 それに加えて、途中の京では思わぬ探索の任務を命じられ、苦労を重ねてきた良衛ですが……この巻でようやく長崎に到着、新たな生活が始まることとなります。

 かつて良衛の師に恩義を受けた薬種問屋・西海屋に歓待され、長崎奉行の病もひと目で見ぬいて対処法を伝授と、幸先良いスタートを切ったかに見えた良衛ですが、しかしその前途はなかなかに多難であります。
 医術を学ぶために出向いた出島のオランダ商館で待っていたのは専任の医師ではなく、医術の心得を持つというレベルの商館長。それならば、と商館の医学書から独習しようとしても、出島に関する厳格なルールから、毎日ごく限られた期間の滞在しか許されないのです。

 しかしこれだけならばまだしも、長崎の町で彼を付け狙う不審な影。見に覚えがないにもかかわらず、無頼を雇って襲撃を仕掛けてくるのは、良衛に抜荷の証拠を知られたと思い込んだ回船問屋・南蛮屋でありました。
 なおも襲撃を仕掛けてくる相手に加え、良衛がすでに懐妊の秘術を手に入れたと思い込んだお伝の方のライバル方も暗躍を始め、良衛包囲網は次第に狭まってくることに……


 というわけで、江戸から遠く離れても、毎度のことながらというべきか、次から次へと厄介事に巻き込まれる良衛。前巻で登場した、お伝の方の命で派遣された御広敷伊賀者の女忍・幾が嘆息するのにも、全く以って同感であります。

 しかし、本作がこれまでのシリーズに比べて、だいぶ印象が異なって――というよりかなり明るく――感じられるのは、やはり何と言っても、上田作品名物の、面倒を押し付けるばかりの上役が、長崎にはいないことでしょう。
 本シリーズにおいてはその上役は、大目付・松平対馬守が該当しますが、前巻の京まではうるさく言ってきた彼もさすがに長崎にまでは手が及ばぬか、今回は登場せず。

 それどころか、西海屋という頼りになる後ろ盾の大商人がおり、(今のところはニュートラルな立場の)長崎奉行もなかなかの切れ者。
 主人公に味方がいる、あるいは足を引っ張る者が少ない――このレベルが、他の文庫書き下ろし時代小説ではデフォルトのような気がしますが――というのは、これほど平和なものだったのか、と思わず感動してしまったほどであります。

 本作のメインの黒幕が、意識高い系の勘違い若造と出世コースから外れた中年という(これはこれで身につまされるものが大いにありますが)小物コンビであったこともあり、スケール的にはこれまでに比べると小さくはありますが、たまにはこれくらいの規模でもよいのではないか……と、私は思います。


 もちろん、この平和も一時のことではありましょう。懐妊の秘術習得の目処も立たない上に、その秘術を狙う者たちも現れ、やはり長崎も良衛にとっては安息の地ではないのですから……
(ちなみに新たな敵の中に、黒田官兵衛が有岡城に幽閉された折、ひそかに官兵衛を助けたという一団の末裔が、という伝奇的設定も面白い)

 しかし、良衛には申し訳ないことですが、この入り乱れようはやはり実に面白い。良衛にとっては父代わりの忠僕・三造の活躍もあり、幾と彼ら二人の微妙な関係もありと、キャラクター面でもなかなか面白い状況で、この長崎編、まだまだ面白い展開が待っていそうであります。


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