菊地秀行『血鬼の国』 人間vs妖魔の純粋バトル
菊地秀行久々の時代伝奇小説であります。それも主人公は柳生十兵衛。そして対するは異国の妖魔・血鬼――すなわち、吸血鬼。これが面白くないわけがない、という予感に違わずやはりかなりの快作、いかにも作者らしい、人間と吸血鬼との死闘を描いた作品です。
ちなみに本作の副題となっている「隻眼流廻国奇譚」とは、以前『異形コレクション 伯爵の血族 紅ノ章』に発表された、やはり十兵衛と異国の吸血鬼との死闘を描いた『石の城』にも冠されたもの。その際には短編ということもあって少々食い足りないところはあったのですが、本作は長編、丸々一冊かけての死闘を堪能することができました。
舞台となるのは、十兵衛の生涯の空白期――廻国修行を行ったとも、公儀隠密として活動していたとも言われる時期。
天海の依頼で信州千吹藩を訪れた十兵衛を待っていたのは、人の血を啜る異国の妖魔を追ってきたという少年・益田四郎、そして幾人もの武士の刃を受けながらも、彼らを粉砕してのけた娘・沙也でありました。
彼女に超絶の力を与えた者こそは、四郎が追ってきた血鬼・ラミア。彼女に血を吸われ、徐々にその眷属となりつつあった沙也は、城代家老・早船主水に捕らえられ、その力の程を図られていたのであります。
この出会いがきっかけとなって、主水とその娘・多恵と対面した十兵衛は、ラミアによって夜毎沙也のような存在が増やされていることを聞かされ、対決を決意するのでした。
しかし相手は斬っても突いても死なぬ不死身の妖魔であり、そして人間がいる限り、彼女の下僕も――それも超人的な力を持つ者が――無限に増えていくことになります。しかも彼女は藩主を籠絡し、藩を掌握するのは時間の問題。
さらに、折悪しくと言うべきか、この地をたまたま訪れた宮本武蔵までもが文字通り敵の毒牙にかかって……
世にホラー作家、伝奇作家は数あれど、作者ほど吸血鬼を、そしてその吸血鬼と人間の争闘を描いてきた作家は珍しいのではないでしょうか。本作はその最新の成果であり、ある意味集大成的なものすら感じる作品であります。
我々と同じ姿を持ちながらも、異なる生を生き、そして我々を餌として、下僕として消費する吸血鬼。そんな恐ろしくもどこか蠱惑的な吸血鬼の存在を、本作は、その知識すらほとんどない鎖国下の日本を舞台に、存分に描き出します。
(しかし、キリスト教を閉め出した国において、キリスト教由来の妖魔と戦えるのは隠れ切支丹のみ、という設定はコロンブスの卵であります)
それに挑むのは、これもある意味人間の知恵と力と技の極限ともいうべき、武芸を修めた者たち――それも、その技においても、そしてその人間性においても頂点にあるというべき隻眼のヒーローであります。
作者がどれだけ本作に入れ込んでいるかは、開幕わずか2ページ目にして十兵衛が四郎と出会い、その口から血鬼の存在を知るというスピーディーさからも知れる……というのは贔屓の引き倒しでありましょう。
しかし、スピーディーでありつつも、物語を、登場人物を広げ過ぎず、その分、人間と妖魔の攻防戦に分量を割き、内容を深めてみせたのには好感が持てます。
ちなみに登場人物と言えば、本作にはスペシャルゲストとして、兄よりも先に主役を務めてきた柳生刑部友矩も登場。(これまでの作品とは変更されているのですが、その理由が本当に作者の言う通りかは……)
その刑部、今回はほとんど便利屋的な役回りなのですが、彼が今回脇に引いているのは、これは本作で描かれる武芸者vs吸血鬼の戦いを、より強調するためではありますまいか。
そう、本作の中心となるのは、あくまでも武芸者の技と吸血鬼の力の――言い換えれば、人間と妖魔の戦いにほかなりません。
そして江戸時代という舞台は、科学兵器といった夾雑物を除き、その戦いをより純化して描くためではないか……というのは言い過ぎにしても、その舞台により、より純化した戦いを目の当たりにすることができたのは、間違いないと感じるのであります。
「隻眼流廻国奇譚」がこれだけで終わるのは惜しい。まだまだ、十兵衛と妖魔の、人間と妖魔の純粋バトルを見てみたい、と感じるのであります。
『血鬼の国』(菊地秀行 創土社) Amazon
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