仁木英之『王の厨房 僕僕先生 零』 飢えないこと、食べること、生きること
この世界がまだはるかに若く、天地が定まっていなかった頃を舞台に、生まれたばかりの僕僕の姿を描くプリクウェル『僕僕先生 零』の第二弾であります。調和が崩れ始めた世界を救うため、宝貝「一」を手に入れることを命じられた僕僕と拠比は、新たな世界で新たな旅を続けることとなります。
老君が作り炎帝・黄帝・西王母の三神が育む天地の調和が乱れ始める中、それを防ぐべく、全ての始原である「一」の破片を集めることを炎帝から命じられた水の神・拠比。人間の姿に変えられ、著しく力を制限された彼のパートナーとなるのは、生まれたばかりの料理仙人・僕僕でした。
人間に近づいたため、栄養を口から食事で取らざるを得なくなり、僕僕の料理を必要とする拠比と、仙人としてはまだまだ未熟な僕僕。そんなちと頼りない二人は、「一」の破片の在り処に反応する鏡を手に入れたものの、炎帝とは異なる動きを見せる黄帝配下の仙人たちにこれを奪われて――
という前作が、世界観説明に重点を置いた序章的印象があったのに対して、続く本作は、いよいよ探索の旅が本格化した印象。
鏡を奪われ、手がかりを失いながらも、不思議な因縁に導かれて僕僕が、拠比が向かった先、それは、黄帝が新たに創りつつある人間の世界――そしてその中で大きな力を持つ栄陽の国であります。
かつては狩りで食物を集め、一族を率いていた男・辺火が、一代にして築いた栄陽。自らに従う者は決して飢えさせないというモットーで、国を広げ、民を従えてきた辺火を支えるのは、狩りを行っていた頃から彼を支える厨師・剪吾であります。
常に強烈な飢えに苛まされる辺火を、常に新鮮な料理を作り出すことにより支え、国の第二位の地位を与えられてきた剪吾。しかし、いよいよ辺火が飢えに駆り立てられ、そのために泣く民が絶えない今、剪吾は深い悩みを抱えていたのでした
と、そんな折りに栄陽を訪れたの僕僕と拠比。思わぬ事故によって拠比の前から姿を消し栄陽に放り出された僕僕と、以前冒険を共にした少女・昔花と再会し栄陽に向かうことになった拠比と――それぞれ栄陽を訪れた二人は、そこで「一」の欠片が、辺火の元にあることに気づきます。
辺火に近づくためには、王の厨師となるほかない。そのために拠比と僕僕は、厨師の座を賭けた剪吾との料理対決に臨むことに――!
……いやはや、公式のあらすじで料理対決の文字を見た時は一体何が起きたのかと思いましたが、読んでみれば、あれよあれよという間に冒険が展開し、なるほど、本当に料理対決に至ることになる本作。
その過程や、登場する料理の数々を見ているだけで実に楽しくなってしまいますし、その料理を生み出す僕僕の(本伝とは微妙に異なる)キャラクターをはじめとして、個性豊かな登場人物たちもまた魅力的です。
が、本作の中心に居るのは、間違いなく辺火と剪吾の二人でありましょう。
天地の異変により一族が飢え倒れていく中で、ただ民を飢えさせぬことだけを思い、王とそれを支える者として生きてきた二人。飢えない=充分に食べるということは、人間として必須の行為であり、彼らの行為は即ち生きるための努力そのものでありました。
しかしその理想が他者を圧することは許されるのか。そして自らに従わぬ者をその理想の輪から外すことは許されるのか――人間として根源的な行為にまつわるものだけに、それは重く切実なものとして響くのであり、特に王と民の間で悩む剪吾の姿は、その問題の象徴と感じます。
そして、拠比と僕僕の存在は、一種の鏡としてそんな二人の姿をより鮮明に浮き彫りにするのです。
そもそも、生きるために食う必要はなく、奪うための争いというものも存在しない神仙の世界。そんな中で、何か食べなくては生きていけない拠比と、(主に)彼のために料理をする僕僕は、例外的な存在ではあります。
そうであっても、やはり根源的なところで拠比は辺火を理解できない。僕僕は剪吾と同じことはできない――それは神仙の世界と人間の世界の、大きな隔たりなのです。
しかし、その隔たりを乗り越えることはできるかもしれない。隔たりの存在を理解することはできるかもしれない……本作の結末で描かれるのは、その一つの希望であります。
そしてその希望――そこに至るまでの困難も含めて――は、これまで本伝で描かれたものと変わりありますまい。
本伝との関わりも含め、まだまだ先は見えないシリーズですが……しかし、この希望の存在あればこそ、この先の物語にも大いに期待が持てるのです。
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