ユキムラ『たむらまろさん』 ユルくて深い古代の人間模様
坂上田村麻呂といえば、蝦夷の王・阿弖流為と戦い、数々の伝説を残した平安の英雄であります……が、本作は8世紀末、平安遷都の前の長岡京時代を舞台に、その田村麻呂たちの日常(?)をゆるーく描いたユニークな作品。しかし同時にユルさだけでは終わらない、なかなかに味わい深いところもあるのです。
渡来人の血を引くゆえか、金髪碧眼の風貌を持ち、その武勇により周囲からも頼られ、慕われる好漢・坂上田村麻呂。……が、その素顔は、かなりやる気なしで気紛れのユルい人物、彼の舎人となり、それを足がかりに出世しようという文室綿麻呂にとっては、歯がゆいことばかりであります。
そんな二人が巻き込まれるのは、しかし厄介事ばかり。迷信深くすぐ遷都しようとする帝(桓武天皇)に振り回され、鈴鹿山に籠もる鬼・悪路王と鈴鹿御前と戦う羽目になり、そして田村麻呂の周囲には怪しげな蝦夷の男の影が。
やる気だけは無駄にある綿麻呂も、妖術で「わたわたさん」に変えられてしまったりと波瀾万丈。果たして綿麻呂は望み通り出世できるのか?
……と、この辺りが第1巻のあらすじなのですが、まず驚かされたのは、上で述べたように、田村麻呂と並ぶ本作の主人公格として、文室綿麻呂が設定されていることであります。
綿麻呂は、田村麻呂とともに阿弖流為ら蝦夷と戦った人物ではありますが、田村麻呂に比べれば、失礼ながら相当にマイナーな人物。私の拙い知識では、これまで(これだけのウェイトで)フィクションに登場したことはほとんどなかったのではないでしょうか。
そして本作に登場する人物チョイスは、綿麻呂に留まりません。田村麻呂の上役に当たる和気清麻呂、田村麻呂の親友の橘清友に藤原内麻呂、イヤミで間抜けなボンボン役に藤原乙叡……
と、レギュラー、サブレギュラーのキャラクターは、皆実在の人物であり、(宇佐八幡宮神託事件に関わった清麻呂を除けば)やはりフィクションでは滅多にお目にかかれない面々ばかり。
本作は、そんな我々にはほとんど馴染みのない人物たちを、歴史上の事績や伝承をきっちりとベースにしつつ(これが大事!)、自由自在に味付けをして物語を展開してみせた快作なのであります。
そしてもう一人、田村麻呂と密接に関わる歴史上の人物が本作には登場いたします。そう、それは阿弖流為……本作の時点から十年ほど後に、それぞれ一軍を率いる将として、激しく激突することとなる相手であります。
本作に登場する阿弖流為は、完全にフィクション寄りの造形でありつつも、田村麻呂とは一人の「人間」として心を通わせる人物。
田村麻呂と阿弖流為が旧知の間柄というのは完全にフィクションでありましょうが、しかし後の戦いの後に田村麻呂がとった行動を思えば、この関係も納得がいくという印象があります。
そしてその阿弖流為の存在が、同時に、普段は暢気で飄々とした田村麻呂が密かに心に抱える屈託とも密接な関わりを持つというのも魅力的に感じられます。
冒頭に述べたとおり、本作はあくまでもユルくコミカルに田村麻呂たちの姿を描く作品ではありますが、しかしそれは決して、彼らが何も考えていない脳天気な人形であることを意味するのではないのですから――
そうした本作のもう一つの側面は、綿麻呂の方によく現れているかもしれません。本作の綿麻呂は、皇族の血を引きながらも今は没落し、優しげな外見にも似ず、強い上昇志向を持つ青年。
しかし田村麻呂という一種の天才に比べれば、綿麻呂はあくまでも凡人であり、その壁にぶつかることも一度や二度ではありません。それがおかしくもあり、切なくもあり、そしてそれが本作を血の通った歴史ものとして成立させているのだと感じます。
ちなみにわたわたさんになってしまった綿麻呂が、幼い安殿親王(後の平城天皇)に懐かれたことをきっかけに、強いシンパシーを抱くという描写は、後の歴史を考えると何ともグッとくるものがあるのですが……
阿弖流為との戦いまでを描かず、それよりも前の時点で全3巻完結となっているのは、やはり少々残念ではありますが、そこまでいけばさすがにユルい物語とはできないということでありましょう。
しかしその点を差し引いても、本作が希有な題材を、ユルく楽しく、そして味わい深く仕上げてみせた作品であることは、間違いありません。
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