松尾清貴『真田十勇士 3 天下人の死』 開戦、天下vs真田!
斬新な視点と唯一無二のアイディアで、これまでにない真田幸村と十勇士像を描き出してきた期待のシリーズの第三弾であります。この巻の物語の背景となるのは、副題にあるとおり天下人の死――天下人秀吉の死によって生まれた混沌の中、勇士たちは己の行く道を求めて奔走します。
天下を統一した秀吉が亡くなったことで、静かに、しかし確実に崩れ始めた豊臣政権下の権力バランス。秀吉亡き後の主導権を握らんとする三成は、密かに最大の敵である家康暗殺を目論むものの、それは既に家康方に寝返ろうとする甲賀衆のを束ね・山岡道阿弥の知るところでありました。
逆に三成を罠にはめ、それを手土産にしようとする道阿弥の陰謀に巻き込まれた霧隠才蔵は、道阿弥配下で恐るべき鎖鎌の遣い手である少年と対決することになります。
そしてその三成に朝鮮出兵時の事件をきっかけに恨みを抱き、彼を討とうと集まった七人の武将。
その一人・蜂須賀家政の家臣であり、今は幸村の食客となっている豪傑・筧十蔵も、その企てを知り、蜂須賀家に帰参して三成を討とうとするのですが――
実は、この第三巻でかなりのボリュームを割いて描かれるのはいわゆる七将襲撃事件と、その渦中に巻き込まれた筧十蔵の心の動きであります。
この辺り、前二巻で猿飛佐助を中心に描かれた(ちなみにこの巻では佐助は信州で再修行をしており、出番はごくわずか)驚天動地の伝奇絵巻に比べると、地味といえば地味に感じられるかもしれません。
しかしここで描かれるのは、その強烈な伝奇性と並んで本シリーズを特徴付ける、「天下」という概念(あるいは幻)と、その中で変質していく武士の姿なのであります。
かつて初陣を前にした幸村に対して昌幸が語ったもの……それは信長が提示した「天下」という概念により、己が命を懸けて守るべき土地から切り離された末、他者により容易に代替されるようになった、すなわち自己というものを喪失した武士の姿でした。
これはその後に秀吉が天下人となり、己の思うままに大名たちの領地替えを行い、その力を削いでいったことを見れば、まことに正鵠を射たものと言えるでしょう。
そしてその武士の変容の姿は、この七将襲撃にも示されることになります。
元々は主家を陥れた相手への「復讐」、言い換えれば主家への「忠義」という、侍としては根源的な感情から、三成襲撃を決意した七将。しかしその想いは、そこに次代の天下人たらんとする家康……政治が絡んだことにより、天下のためという大義名分に代わり――さらに家康に自分を売り込もうという、その大義とは裏腹の、まことに浅ましい想いに変容していくのであります。
これに対し、真田家の食客という立場から、一種俯瞰的な視点でそれを目の当たりにすることとなった十蔵がどのような道を選ぶのか……それは言うまでもないでしょう。
ここにも、本シリーズの冒頭から描かれてきた、自己の、人間性の喪失とその回復というテーマは貫かれているのであります。
(そして、それでもどうしても呑み込めぬ十蔵の想いが爆発する場面も実に「人間」的で良いのです)
そして歴史は動き続け、ついに開戦目前となった東軍西軍の決戦。本作のラストで描かれるのはいわゆる犬伏の別れでありますが、もちろんそれも本作らしい色彩で描かれることになります。
関東と近江、関東と関ヶ原を結ぶ中山道の途上にある要衝として、東西双方にとって重要な意味を持つこととなった上田の地。ここで、次代の天下のために東軍の側につくことを主張する信幸に対し、昌幸と幸村は、天下ではなく、上田の地のために西軍につくことを選ぶことになります。
そこにあるのは、言うまでもなく上で述べた「天下」に対する昌幸、そして幸村の姿勢にほかなりません。
天下統一という時代の流れの前に武田家が滅び、その後の天下人の座を巡る混乱の中においても、上田の地を守り続けてきた――すなわち、天下という幻に逆らってきた真田家。
その真田家の昌幸と幸村にとって、この戦いは天下分け目の戦などではなく、天下と真田の戦……天下統一により人間性が喪われた絶望の未来に一矢報いるための、人間としての戦いなのであります。
その天下vs真田の戦の行方は――次の巻にて。
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