平谷美樹『草紙屋薬楽堂ふしぎ始末』 女探偵、江戸の出版業界を斬る
江戸の草紙屋薬楽堂に戯作を持ち込んできた女・鉢野金魚。何やら訳ありの彼女には、戯作だけでなく推理の才能があった。薬楽堂に持ち込まれる不思議な事件の数々を、金魚は店に居候する貧乏戯作者・本能寺無念を相棒に解き明かしていく――
常にユニークな趣向を凝らした作品を発表してきた平谷美樹の新シリーズは、お江戸の出版業界を舞台にしたミステリ。江戸時代に娯楽書籍を扱った本屋――草紙屋を舞台に、駆け出し戯作者の美女と貧乏戯作者のコンビを主人公とした連作ミステリであります。
江戸の草紙屋でもそれなりの顔である薬楽堂。その薬楽堂の小僧が、ある晩、蔵の前で奇怪な影を目撃したのが事の発端。化物の仕業かと店の者たちが騒いでいる中に、一人の若い女性が首を突っ込んできます
地味な着物を粋に着こなした彼女の名は、鉢野金魚(はちのきんとと)――人を喰ったような名前ですが、これは筆名。彼女は戯作者希望で、ちょうど薬楽堂に原稿を持ち込もうとしていたところだったのであります。
これは良い機会と薬楽堂に入り込んだ金魚は、店の主の長兵衛、そして店の居候でよく見ればイケメンの戯作者・本能寺無念らとともに蔵の前の調査に当たることに。そこで化物ではありえない手がかりを見つけた金魚は、そこから犯人の人物像を瞬く間に推理し、蔵の中を狙ったと睨むのですが――
そんな第一話「春爛漫 桜下の捕り物」から始まる本作のユニークな点、そして魅力は大きく言って二つあります。
その一つは、主人公コンビの探偵役が女性であること。
明察神の如き探偵と、その彼に振り回される助手という構図は、これは探偵ものとしては王道中の王道ではあります。しかしその探偵が、戯作者修行中のちょっと粋なお姉さん、相棒が戯作者としては先輩だけれども、色々と頼りない男というのが面白い。
冷静に考えてみれば、作者には女性がオカルト探偵(そして相棒は頼りない男)という、『修法師百夜まじない帖』シリーズがあります。しかし本作の金魚の、威勢のいい啖呵が次から次へと口から飛び出す(それでいてちょっと世間のことに疎い部分がある)キャラクターは、実に新鮮で魅力的に感じられるのです。
そしてもう一つの魅力は、言うまでもなく、本作の舞台が、江戸の出版業界を舞台としていることであります。
もちろん、江戸の出版業界を舞台とした作品は、決して少なくはありません。特に蔦屋のような有名版元や、有名作家・絵師を主人公とした作品は、近年幾つも出版されております。
それに対して本作は、無名の草紙屋に無名の戯作者たちが主人公ではありますが――しかしそれだからこそ自由に動かせるキャラクターを、ミステリの味付けで描くことで、現代とは共通点も多いが相違点も多い江戸の出版業界に、また異なる角度から光を当てていると言えるでしょう。
少々本作の趣向を明かしてしまうようで恐縮ですが、続く第二話「尾張屋敷 強請りの裏」では戯作者を副業としている武士を狙った強請りが、第三話「池袋の女 怪異の顛末」では同業の戯作者を襲う怪奇現象が、そして第四話「師走の吉原 天狗の悪戯」では戯作を彩る浮世絵師の失踪事件が……
と、不可解な謎の数々と、金魚と無念たちの丁々発止のやり取りを絡めて、出版業界の生の姿が、本作では描かれるのです。
もちろん、題材の面白さだけではありません。ミステリ――時代ミステリとして見ても、本作は非常にユニークであります。
特に第三話は、タイトルからして江戸の怪異ファンにはお馴染みのあれかと露骨にネタを割っているようでいて、そこから来る終盤の意表を突いた展開の連続が印象的で、ミステリ的には最も捻った印象のある作品。
また第四話は、ハウダニットよりもホワイダニットに重点のある、物語の流れにも深く根付いた真相の面白さもさることながら、そこで扱われるあるガジェットが、本作の舞台ならではのものでありつつも他の作品ではあまり見たことがないもので、時代ものとしても感心させられるのです。
そんな本作に敢えて欠点を上げるとすれば、レギュラー、サブレギュラーの数がいささか多いように感じられることですが、それもこれから物語が続く中で違和感もなくなっていくことでしょう。
本作は早速重版も決まったとのことですが、ならばこれからの金魚と無念たちの活躍も……と、期待しているところであります。
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