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2016.10.10

宮本昌孝『ドナ・ビボラの爪』上巻 猛き武人姫、信長を愛す

 宮本昌孝久々の長編は、何と織田信長の正室・帰蝶を題材とした作品。何とというのは、作者に女性主人公の作品が少ない(『紅蓮の狼』収録の二作くらいでしょうか?)こともありますが、何よりも帰蝶という有名で、しかし謎めいた女性が物語の中心に配置されているゆえであります。

 帰蝶――あるいは濃姫は、かの斎藤道三の娘にして、あの織田信長の正室。隣り合い激しく争ってきた美濃と尾張の和睦の証として信長と結婚することとなった女性であります。
 輿入れ前夜、父から信長がうつけであった場合は刺せと短刀を渡され、織田と斎藤が争う場合には父上を刺すかもしれませんと答えた有名な逸話があるように、父譲りの豪毅な性格であったという話もありますが……

 しかし、その実情はほぼ完全に闇の中。信長のもとに嫁いで以降の記録がほとんどなく、実際にどのような人間であったのか(上で述べたのはあくまでも巷説であります)、それ以前にいつ亡くなったのか、それすらわからないのです。
 もとより女性に関する記録が少ない時代ではありますが、信長ほどの人物の正室がこの状況というのはいささか珍しい。それゆえ、フィクションでは彼女の人となりやその去就について、様々な形で描かれてきました。

 もちろん本作もその系譜にあることは間違いありませんが、しかし何よりも印象的なのは、彼女の容貌でしょう。
 はっきり言ってしまえばその顔は父・道三の威圧的な容貌に瓜二つ。男に生まれれば一廉の武将として見られるものでありますが、女性としては……であります。

 その容貌ゆえに実の母にすら疎まれ、ただ父の愛情と、守り役であり彼女にとっては姉とも母とも親友とも恃む煕子(明智十兵衛の妻)の献身的な支えを頼りに、帰蝶は姫君としてよりも武人として、成長していくことになります。
 しかしいかに逞しく成長したとしても彼女も乙女。女性として誰かを愛し、愛されることを望むようになるのですが、しかし――

 と、そんな彼女の前に現れたのが織田信長。こともあろうに自ら美濃領に忍び込み、自身の目で帰蝶を見初めたという信長は、望んで彼女を正室に迎えることとなります。
 そこにはあの道三の娘、という打算も働いていたかもしれませんが、あくまでも颯爽とした、そして型破りな青年武人として帰蝶に接する信長。そんな彼に愛され、帰蝶は女性として――いや、一個の人間としての喜びを味わうことになるのです。


 この上巻の中盤では、こうして信長の正室となった帰蝶が織田家で活躍する姿と、彼女と信長の絆が描かれることとなります。

 彼女が織田家に輿入れしたのは、信長がまだ十代の頃。その数年後に父・信秀が亡くなり、信長が家督を継ぐことになるのですが……しかし当時の織田家は内憂外患。何よりも母・土田御前が信長を認めず弟の信勝を溺愛、自然と家中は二分され、一触即発の状況となっていきます。
 そして武家の表の争いは、奥向きにも反映されるもの。帰蝶は陰になり日向となって信長を支え、土田御前や乳母・養徳院と渡り合う中で、頭角を現していくのであります。

 周囲の愛に飢えてきた――言い換えれば、周囲から認められてこなかった――人物が、己の価値を認めてくれる相手と出会い、活躍の場を与えられる。そんな彼女の姿は、序盤に描かれた彼女の姿が悲しみに満ちたものであるだけに、実に嬉しく、また爽快の一言であります。
 父・道三の死、信長の側室の存在など、幾つもの悲しみに出会いながらもそれを受け止め、成長していく姿もまた感動的で、この辺り、やはり宮本作品! という印象なのですが……


 しかし好事魔多し。彼女が愛されるほど、幸せになっていくほど、同時にこちらの不安は募っていくことになります。何よりも史実においては、先に述べた通り、彼女の存在は歴史にほとんど残されていないのですから。

 そしてこの上巻の結末において、その予感は当たることとなります。ある喜びの最中、あまりにも残酷かつ非道な形で、その座から引きずり下ろされる帰蝶。これまでの活躍が印象的であればあるほど、その落差は衝撃的かつ無惨なものとして感じられるのですが――

 それを受けて、下巻の物語はいかに展開していくのか。全くその姿を見せるタイトルの「ドナ・ビボラ」の意味も含め、下巻を手に取らずにはいられない展開なのです。


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ドナ・ビボラの爪 上

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