入門者向け時代伝奇小説百選 古典(その一)
入門者向け時代伝奇小説百選、古典でチョイスしたのは、基本的に戦前の作品を中心とした十作品。70年以上前の作品だからと言っても古臭さとは無縁の作品の数々、これぞ時代伝奇、と呼ぶべき定番の名作群です。
1.『神州纐纈城』
2.『鳴門秘帖』
3.『青蛙堂鬼談』
4.『丹下左膳』
5.『砂絵呪縛』
【古典】
1.『神州纐纈城』(国枝史郎)【戦国】 Amazon
鬼才・国枝史郎の代表作にして、伝奇・怪奇・猟奇を極めた不滅の名作であります。
富士山麓のどこかに存在し、捕らえた人間の生き血を絞って美しい真紅の布を染めるという纐纈城。偶然その纐纈布を手に入れた武田家の若侍・土屋庄三郎。その布に魅せられて纐纈城を求める彼はいつしか奇怪な世界に足を踏み入れることに……
業病に犯された仮面の城主、若侍、殺人鬼、面作りの美女、薬師、剣聖、聖者――様々な人々が織りなす物語は、血腥く恐ろしいものではありますが、しかしその中で描かれる人間の業は、不思議な荘厳さ、美しさを持ちます。
実は未完の作品ですが、それが瑕疵になるどころかむしろ魅力にすらなる、時代伝奇小説史上に残る妖星であります。
(その他おすすめ)
『八ヶ嶽の魔神』(国枝史郎):遙かな過去から続く二つの民の怨念を背負った不死身の男の数奇な運命譚 Amazon
2.『鳴門秘帖』(吉川英治)【江戸】 Amazon
国民的作家・吉川英治は、その作家活動の初期に幾つもの優れた伝奇小説を残しています。その代表作が、外界と隔絶された阿波国を舞台に冒険が繰り広げられる本作です。
倒幕計画の首謀者と目される阿波蜂須賀家。その探索のため阿波に潜入した甲賀世阿弥が消息を絶って十年、彼の後を追う隠密・法月弦之丞は、数々の苦難を乗り越えて阿波潜入を目指すことになります。
水際だった美青年ぶりを見せる弦之丞をはじめとして、怪剣士・お十夜孫兵衛、海千山千の女掏摸・見返りお綱など、個性的で魅力的な面々が入り乱れての大活劇が繰り広げられる本作。
伝奇ものの醍醐味を結集したような物語展開に加え、登場人物たちの情を細やかに描き出してみせた名作です。
(その他おすすめ)
『江戸城心中』(吉川英治):将軍吉宗を仇と狙う怪人と大岡越前らの対決を描く伝奇&ロマンス Amazon
『神変麝香猫』(吉川英治):島原の乱の残党・麝香猫のお林と快男児・夢想小天治、由比正雪の三つ巴の戦いを描く大活劇 Amazon
3.『青蛙堂鬼談』(岡本綺堂)【怪奇・妖怪】【江戸】【幕末・明治】 Amazon
捕物帳第一号たる『半七捕物帳』の作者である岡本綺堂は、同時に稀代の怪談の名手でもあります。本作はその綺堂怪談の代表作――ある雪の夜に好事家たちが集まっての怪談会というスタイルで語られる、十二の怪談が収められた怪談集なのです。
利根の河岸に立つ座頭の復讐、夜ごと目を光らせる猿の面、男を狂わせる吸血の美少女……「第○の男(女)は語る」という形で語り起こされる怪談の数々は、舞台も時代も内容もそれぞれ全く異なりつつも、どれも興趣に富んだ名品揃い。
背後の因縁全てを語らず、怪異という現象そのものを取り出して並べてみせるその語り口は、全く古びることのないものとして、今なおこちらの心を捕らえ、震わせるのです。
(その他おすすめ)
『三浦老人昔話』(岡本綺堂):『青蛙堂鬼談』の姉妹編ともいうべき奇談集 Amazon
4.『丹下左膳』(林不忘)【剣豪】【江戸】 Amazon
隻眼隻腕の怪剣士、丹下左膳。元々は「新版大岡政談」(現『丹下左膳 乾雲坤竜の巻』)に敵役として登場した彼は、しかしそのキャラクターが大受けして続編ではヒーローとなった変わり種であります。
ここでオススメするのは、その続編たる『こけ猿の巻』『日光の巻』。その特異な風貌はそのままに、より人間臭い存在となった左膳は、莫大な財宝の在処を秘めたこけ猿の壷争奪戦や柳生家の御家騒動という物語を、カラリと明るい陽性のものに変えてしまうパワーを持っています。
何よりもスラップスティック・コメディ調の味付けが、到底戦前の作品とは思えぬモダンな空気を漂わせていて、これはもう他の作者・他の作品では味わえぬ妙味なのです。
5.『砂絵呪縛』(土師清二) Amazon
第六代将軍擁立を巡り激しく対立する、柳沢吉保の配下・柳影組と水戸光圀を後ろ盾とした間部詮房の天目党。両者の争いは様々な人々を巻き込んでエスカレートして……
と、内容的には典型的な時代活劇の本作。しかし同時に、この争いに割って入るニヒルな浪人・森尾重四郎の存在によって、そこから大きく踏み出した作品でもあります。
ニヒルな人斬りというのは決して珍しい存在ではありませんが、しかし重四郎は、そのニヒルさの理由――過去や因縁、主義主張というものが全く見えない、それでいて単なる木偶人形でもないという極めてユニークなキャラなのです。
シンプルな物語の中に、真に虚無的な異物を投入したことで、今なお新しさを感じさせる作品です。
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