京極夏彦『書楼弔堂 炎昼』 新たな時代を歩む者たちの悩み
第一弾『破暁』が文庫化されるのとほぼ同時に刊行された『書楼弔堂』シリーズの第二弾であります。その内部には無数の本が所蔵され、人が人生の一冊と言うべき本に出会う書店・弔堂。その書店を、これまで一冊の小説も読んだことのない少女と、己の行くべき道に悩む青年詩人が訪れることになります。
東京の郊外にひっそりと立つ、一見灯台とも見紛うばかりの巨大な書店・弔堂。元僧侶だという博覧強記の主人が客に選ぶ一冊は、一生に一冊の本として、その人物の悩みを解き、蒙を開くことになります。
本シリーズは、その弔堂を訪れる客(実は歴史上の著名人)が主人との対話の末にその一冊を渡される様を、無名の語り手の視点から描く連作集であります。
そして本作の舞台となるのは明治30年――日本が初の国を挙げての対外戦争である日清戦争をくぐり抜けて数年後。そして語り手となるのは、元薩摩藩士である厳格かつ固陋な祖父にしつけられ、これまで一冊の小説も手にしたことがなかった娘・塔子であります。
取り立て将来の希望や展望もなく、さりとて祖父や親が進めてくる良妻賢母となることも肯んずることができない塔子。鬱々とした毎日を送る彼女があてどなく歩く途中で出会ったのは、幻の書店を探しているという二人組の青年、松岡と田山でありました。
その書店――言うまでもなく弔堂へ二人を案内した塔子は成り行きから自分も中に足を踏み入れ、二人が主人と言葉を交わし、そして己が描くべき新しい文学・文体を求める田山が己の一冊を手にするのに立ち会うことに――
というエピソード「事件」に始まる本作は、塔子と、未だ己の一冊を求め続ける松岡の目から、様々な人々と、本の出会いを語っていくこととなります。
壮士に憧れ、歌で思想を伝えようとしつつも、その手段と目的の乖離に悩む演歌師:「普遍」
自然科学としての心理学に、人の心を解明する新たな可能性があると信じる学生:「隠秘」
女性を軽んじ、自由を奪おうとする社会のあり方に強く反発する少女:「変節」
向いていないことを自覚しながらも、流されるまま出世を重ねてきた軍人:「無常」
そして愛する人を喪い、己の来し方行く末に踏み惑う松岡:「常世」
本作で描かれる六人の物語は、いかにも作者らしいペダントリーに彩られた問答とも言うべき会話の積み重ねにより、彼ら六人の姿を、そして彼らの、塔子の生きる時代の姿を、浮き彫りにしていくのであります。
その点において、本作は前作の内容を踏襲したものと言えるかと思いますが――前作で感じられた意外性や、客の正体(将来)を巡る一種ミステリ的興味は、やや抑え気味という印象が、個人的にはあります。(また、京極堂ユニバースとも言うべきガジェットが、今回は抑えめであったためもあるでしょう)
もちろんそれは作品の面白さを減じるものではないのですが、あるいは、そうした前作との印象の違いの原因の一つは、舞台となる時代(前作冒頭と本作の間では5年の時が流れています)において弔堂を訪れる人々の直面しているもの、求めるものとの違いにあるのかもしれません。
非常に単純化した表現となりますが、前作の登場人物たちが、「江戸」という古い時代と「明治」という新しい時代の狭間で迷い、悩んでいたのに対し、本作においては、「明治」という新しい時代で如何に生きていくかという悩みを抱えているのですから――
その点が非常によく現れているのが、「変節」と「無常」でしょう。前者で描かれるのは婦人運動、そして後者で描かれるのは戦争……どちらも明治も後半に差し掛かったこの時代において初めて生まれたと言うべき、新しい時代ならではの概念であり、事件なのであります。
その両者は、我々の暮らす現代においても、全く色褪せることなく存在している問題。すなわち、それに悩む人々への弔堂主人の言葉が、我々に対しても響くものであることもあり、本作の中でも一際強く印象に残るのとなっています。
(作中に主義主張を交えることが少ない作者のそれが、珍しく色濃く見えるように感じられることもその一因でしょう)
本シリーズの次回作は、本作のさらに五年後を舞台に、老人を狂言回しとして描かれる予定とのこと。
明治も終わりに向かう時代に、(失礼な言い方ではありますが)人生も終わりに向かう者が何を見るのか、何を読むのか。そしてそこに我々は何を見出すのか――興味は尽きません。
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「書楼弔堂 破暁」(その二) 新しい時代の前に惑う者たちに
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