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2017.01.18

菊地秀行『宿場鬼』 超伝奇抜きの「純粋な」時代小説が描くもの

 中山道の霧深き宿場町に飄然と現れた美貌の男。彼は恐るべき剣技を持ちながら、全ての記憶と、人としての感情を失っていた。元用心棒・清源の家に預けられて「無名」と名付けられ、清源や娘の小夜との触れ合いの中で徐々に人間味を取り戻していく男。しかし彼を追う刺客たちの影が――

 「エンターテインメント界の巨匠が挑む初の本格時代活劇!」という本作の謳い文句に、若干驚きと違和感を覚えた作者のファンは少なくないでしょう。
 作者のルーツの一つに時代劇があることは、最初期の『魔界都市〈新宿〉』『吸血鬼ハンターD』の両主人公がいずれも剣術使いであることにも明らかですし、何よりも十指に余る時代小説を発表しているのですから。

 しかしこの謳い文句に誤りはありません。何しろ本作は(ほとんど)「超伝奇」抜きの時代小説。ほぼ純粋な時代小説とも言うべき作品なのですから――


 本作の主人公となるのは、「無名」と呼ばれる記憶喪失の男。何処かも知らぬ地から現れた美貌の男にして、無敵な剣技の持ち主……とくれば、菊地ヒーローの素質十分であります。

 しかし本作ではほとんど唯一の伝奇的な要素である彼の強さの由来を除けば、どこまでも地に足のついた物語が展開していくこととなります。
 妖魔も幽霊も無ければ、妖術も超科学もない。登場するのは全て血の通った人間たちであり、繰り出される技も「超人的」ではあれど、あくまでもこの世の則に従ったものである……そんな物語を。

 もちろん、これだけで「本格的」と呼ぶのはいささか即物的に過ぎるかもしれません。しかし本作は、無名と謎の敵たちの戦いを描きつつも同時に、いやそれ以上に、彼を取り巻く宿場の人々、宿場を訪れる人々の人間模様を丹念に描き出すのです。
 引退した用心棒と男勝りのその娘、切れ者だがどこか人の良い宿場町の顔役、用心棒となりながらも武芸者としての魂を失わぬ剣客、落命した用心棒に連れられてきた江戸の女、兄を斬り義姉を連れて駆け落ち中の武士等々……

 そんな「普通の人々」だけではありません。無明に対して放たれる刺客たち、彼に負けず劣らずの腕を持つ「人間兵器」たちもまた、どこか不思議な人間臭さを持っているのです。

 そう、本作は、ただ一人超人的な存在である無明の存在を通じて描かれる、一種の人間絵巻と呼ぶべき物語。
 それだからこそ、物語の中心となる彼は名も記憶も、感情も持たぬ、一種無色透明な存在として設定されるのではないか……そう感じるのです。


 そうはいっても、超伝奇もホラーもなしの菊地作品が面白いのだろうか、と思われる方もいるかもしません。
 しかし、作者の愛読者であれば、菊地作品が決してそれだけではない――もちろんその要素は大きく、そして魅力的であることは間違いありませんが――ことを良く知っています。

 作者の作品に通底するもの……どれほど無情で殺伐とした、暴力と悪意が支配する世界においても決して喪われぬ心。人間性の善き部分とも言うべきもの。
 これまでも作者の作品において陰に日に描かれたそれ――本作においては戦う者たちが持つ一種の「矜持」とも言うべき形で最も良く表れるその姿は、超伝奇といったデコレーションを省かれたことにより、よりストレートな形でこちらの胸に響くのであります。

 このようなブログを主催する人間の言葉としては問題かとは思いますが、しかし長年の作者のファン、そして時代小説ファンとして申し上げれば、こんな作者の時代小説を読みたかった……そんな気持ちが間違いなくあるのです。


 本作においてその正体の一端が明かされ、そしてその記憶と人間性にも回復の兆しも現れた無名。しかしまだまだ周囲の人間たちにとって、彼は得体の知れぬ超人的な存在であり続けます。
 その彼の前で、人々はいかなる想いを抱き、いかに振る舞うのか……そんな人間たちの物語が、この先も紡がれていくことを期待しているところです。


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宿場鬼 (角川文庫)

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