高井忍『蜃気楼の王国』(その一) 意外な「探偵」たちが解き明かす「真実」
時代ミステリの快作を次々と送り出してきた作者が、「国」と「歴史」を題材として描く、極めてエッジの立った短編集であります。それぞれ別々の時代、別々の謎に挑む意外な「探偵」たちを描いた五つの物語から浮かび上がるものは……以下、収録作を一つずつ紹介いたします。
『琉球王の陵』
バルチック艦隊の行方を求める中、西表島に立ち寄った東郷平八郎と秋山真之。そこで一人のアメリカ人記者と出会った二人が見せられた一枚の写真……ペリー艦隊に同行した絵師が撮影したそれに映るのは、琉球最初の王の伝説が残る源為朝の墓でありました。
果たして伝説は真実なのか、写真に写った地を探しに出る一行が見たものは――
いずれの作品においても実在の人物、有名人が探偵役となる本書ですが、いきなり冒頭からとんでもない探偵役であります。何しろ、日本海海戦の立役者である軍神・東郷と秋山弟が、源為朝伝説を追うというのですから。
かの滝沢馬琴の『椿説弓張月』で今なお知られる為朝の琉球渡航伝説――その成立過程については後の作品で語られますが、本作で描かれるのは、琉球で発見されたという彼の墓の謎であります。
その証拠というのが、かのペリー艦隊が持ち帰ったというスケッチの中から出てきた一枚の写真というのがまた伝奇的で痺れるほかないのですが、しかし本作は、そんな伝奇的真実、稗史の陰に潜むものを、容赦なくえぐり出します。
何故、為朝の墓が琉球にあるのか。いや、琉球になければならなかったのか? ミステリに例えるとすればその墓の存が犯行結果であり、そして二人が探るのは、ホワイダニットとフーダニット……そんな構図なのです。
その謎解きの中で浮かび上がるのは、琉球にまつわるある史実。そしてそこから繋がっていく、琉球は何処の国の物なのか、琉球とは如何に在るべきなのかという問いかけは、今この瞬間に、驚くべき鋭さで我々に突き刺さるのです。
人々の願いと、権力者たちの思惑の間に揺れる「真実」として――
『蒙古帝の碑』
為朝以上に人口に膾炙している渡海伝説――それは為朝の甥である義経がかのジンギスカンとなったというあの伝説でしょう。本作で語られるのはその伝説なのですが……ここでその謎に挑むのはなんとシーボルト、そして聞き手となるのは若き日の遠山金四郎というのですから、奇想ここに極まれりであります。
来日前に日本のことを学ぶ中で、源義経が実は生きて蝦夷に、そして大陸に渡り、その子孫が清朝皇帝の先祖になったという奇説――しかし新井白石が書き残したもの――を目にしたシーボルト。
来日したシーボルト、そして彼の通訳を勤める遠山金四郎(父が長崎奉行だった関係で、という設定が面白い)は、この時代にただ一人、黒竜江地方に足を踏み入れたただ一人踏み入った日本人の存在を聞かされます。
その日本人、かの間宮林蔵と対面したシーボルトは、林蔵の口から義経渡来説を聞いた上で、「より無理がない」説を開陳することとなります。そう、それこそは義経=ジンギスカン説……!
本作でも冒頭に引用されているように、高木彬光の『成吉思汗の秘密』などで知られるようになった義経=ジンギスカン説。本作はシーボルトがその真実を推理する……というよりも、その成立過程が彼の口から語られていく様を描くことになります。
一見義経とシーボルトというのは突飛すぎる組み合わせにも見えますが、しかし実は記録上初めてこの説を残したのは実はシーボルト。ある意味探偵=犯人のような状況が実に面白いのですが、しかし本作はその先に、ある種の人の想いをあぶり出すのであります。
本朝の英雄が異国に渡り、その祖となる――確かに気宇壮大なロマンではありますが、そこにある種の政治的な意図が働いていたとすればどうであるか? 本作でシーボルトが推理したある「真実」の中に存在する我が国の姿は、前話の琉球の姿となんら変わることはないものなのであります。
自国に都合のよい歴史ばかりをありがたがろうとする態度に対する、どこかうそ寒くなるシーボルトの予言とも言うべき言葉と、彼の推理が招いた皮肉な結末……非常に興趣に富つつも、何とも苦い後味の物語であります。
どうにも熱が入り、長くなってしまいました。次回以降に続きます。
『蜃気楼の王国』(高井忍 光文社文庫) Amazon
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