久保田香里『青き竜の伝説』 絶対的な存在などない世界で
2001年に創設されて以来、「小学校高学年から読め、冒険心に満ち溢れた長編小説」を輩出してきた岩崎書店のジュニア冒険小説大賞。その第3回大賞を受賞した本作は、一人の少年を通じて、古代を舞台に、人と人、人と精霊の関わりを描くファンタジーであります。
遙かな昔、山と谷に囲まれた遠見の村で暮らす少年・あかるは、西国からやって来た倭国の皇子・一鷹の一行と出会います。
一行を村に迎え入れたあかるですが、倭の将軍であり一鷹の祖父・大彦は、兵を率いて村を占拠。あかるは、幼なじみの新米巫女・更羽とともに、一つの伝説を頼りに辛くも村から逃がれることになります。
その伝説とは、偉大な力を持つ湖の巫女と、湖の精霊である青き竜・みずちの物語。強大な力で悪しきものを押し流すというみずちの力を求め、巫女がいるという那見の国を目指す二人ですが、しかしようやく辿り着いたその国は姿を変えていて――
東征を続ける倭の軍勢と、精霊を崇める土着の人々という題材を見れば、その両者の対立を描く物語だと想像できる本作。その想像は全くの外れではありませんが、しかし本作は決してそれのみに終わる物語ではありません。
倭を撃退するためにあかると更羽が頼った那見の国。しかし二人の見たその国は(倭が単純な悪ではないのと同様)決して聖なる国というわけではなく、むしろある側面においては倭と全く変わらないものであることが描かれることとなります。
そしてまた、あかるが出会った初めての倭国人である一鷹もまた、単純な侵略者としては決して描かれません。
東征軍に皇子として戴かれながらも、その実、お飾りでしかない自分の立場に屈託を抱えた一人の少年であった一鷹。そして彼は、その想いを抱えつつ、あかると少年同士共鳴する姿が描かれるのです。
そして本作に登場するその他の国も、その他の登場人物も、また同様に様々な側面を持つ存在として描かれることとなります。
完全に善の国もなければ、完全に悪の国もない。完全な善人もいなければ、完全な悪人もいない。現実世界を見回せばごく当たり前の真実ではありますが、本作はその真実を、様々な角度から浮き彫りにしてみせるのです。
そんな物語の中で、偉大な精霊であるみずちは、ある意味最もニュートラルな存在と言えるかもしれません。しかしクライマックスで描かれるそのみずちの存在もまた、決して万能の神などではないことが浮き彫りとなるのです。
(その点からすれば、作中でみずちが無人格的存在として描かれるのは正しい、と感じます)
みずちを含め、絶対的な存在などない世界。それはこの物語に単純な価値判断の基準などなく、そして単純に敵を倒せば、味方を救えばめでたしめでたしとなるわけではない、ということを意味します。
戦って勝てば良しというのであればどれだけ楽であったか……あかるは、そんな困難に直面しつつも、自らにできることを模索していくこととなります。
そしてその模索の先に、彼がたどり着いたもの――それは決して百点満点のものではなく、一抹の苦みを伴うものあるといえるでしょう。
しかしその結末以上に、そこに至るまでの過程にこそ、大きな意味と価値がある……本作のラストで描かれる人々の姿は、それを何よりも雄弁に物語るものなのです。
(そしてそこに、少年の成長と、人間の発展を重ね合わせて見ることは容易いでしょう)
遙かな古代を舞台とした冒険ファンタジーを展開しつつ、その中に陰影に富んだ世界の、人々の姿を……そしてその中から生まれる希望の姿を描いてみせる。
大賞もむべなるかな、と言うべき佳品です。
『青き竜の伝説』(久保田香里 岩崎書店) Amazon
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