久保田香里『緑瑠璃の鞠』 鬼と人を分かつもの、人が人として生きる意味
児童向けの歴史小説で活躍している作者が、闇深い平安時代を舞台に描く、一風変わった物語であります。没落貴族の姫君のもとに現れた見目麗しき青年貴族。しかし彼にはある目的が……
(以下、物語の内容にかなり踏み込むことをご容赦下さい)
前の大宰権帥の娘でありながら、父が亡くなって以来寄り付く者もなく、次々と仕える者も消え、今は女房と女童、下男の三人と荒れ果てた屋敷に暮らす夏姫。そんな中、母の代から姫に仕える女童のわかぎは、自分が屋敷を支えねばと奮闘の毎日であります。
一方、都では神出鬼没の盗賊「闇の疾風」が跳梁。しかし取るものとてない屋敷とは無縁に思われたのですが……
そんなある日、屋敷に現れた美しい青年貴族。右近の少将の大江高藤と名乗る彼は、かつて夏姫の父に世話になった恩を返したいと、様々な形で援助を申し出るのでした。
高藤によって屋敷は美しい姿を取り戻し、何よりも夏姫が高藤に惹かれている様子なのを見たわかぎは、大いに喜ぶのですが……しかし、やがて彼女は高藤にもう一つの顔があることを知ることになるのです。
正直な印象を申し上げれば、一本の物語としてはかなり大人しめで、平安時代の説話集の一挿話といった趣もなきにしもあらずの本作。
冒頭で描かれる、夜の都で出会った「小鬼」と「少女」が、誰と誰なのかもすぐに予想がつくため、物語の展開もそのまま予想できるところではあります。
しかしそれでも本作にはどこか得難い魅力が漂っていると感じられるのは、これは本作の中心となるアイテムであり、本作の題名でもある「緑瑠璃の鞠」によるものであることは間違いないでしょう。
鬼の宝と言われ、闇の中でも朧な光を放つ鞠。上で述べた小鬼が、かつて少女に与えたこの鞠は、手にした者から恐れや悲しみといった感情を消し去る力を持つアイテムであります。
夜の闇の恐ろしさや、大事な人間を失う悲しみも、この鞠があればもう感じることはないと小鬼は告げるのですが……しかしそれが真に正しいこと、幸せなことであるかを、本作は問いかけます。
そしてこの鞠の輝きは、鬼と人を分かつものを、言い換えれば人を人たらしめるものを浮かび上がらせる存在でもあります。さらに言えば、人が人として生きる意味をも――
恐れを感じないことが、悲しみを感じないことが、人として真に在るべき姿なのか。そこから得られるものも、人の生を豊かにするものもあるのではないか?
ストレートに描けばいささか気恥ずかしいこの問いかけを、本作は不思議な鞠の存在を通じて、ごく自然に浮かび上がらせるのです。
そしてこの鞠にまつわる物語を、夏姫と高藤の姿を見届けるのが、しっかり者のようでまだまだ幼いわかぎというのが、またよくできていると感心させられます。
紛れもなく夏姫と高藤がこの物語の中心にいるものの、二人の目からでは、本作の物語の景色は、どこか偏ったものとなってしまうでしょう。
ある意味第三者であり、そしてまだ真っ直ぐにものを見つめることができるわかぎの視点こそが、本作に必要なのだと、本作を最後まで読めば理解できます。
先に述べたように、本作の物語としての起伏はさほど大きなものではなく、意外極まりない展開が用意されているというわけもありません。
しかしそれでも、本作で描かれているものは、静かに、そして深く心に染み入るものがあります。それはあるいは、人生のあれこれを経験してしまった大人の方が、より深く頷けるものではないか……そんな気がいたします。
『緑瑠璃の鞠』(久保田香里 岩崎書店) Amazon
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