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2017.05.16

誉田龍一『将軍を蹴った男 松平清武江戸奮闘記』 民のため、将軍を動かす男!

 市井に暮らすあの人物が実は大変な身分の……というのは古今東西不滅のパターン。本作はそれを踏まえつつも、将軍を蹴った男――六代将軍家宣の弟であり、八代将軍候補となったともいわれる松平清武を主人公に据えたユニークな作品です。

 私がそうなので言ってしまいますが、松平清武という人物を知っていた方は、相当少ないのではないでしょうか。
 この清武は上州館林藩主、そして三代家光の孫にして六代家宣の実弟という実在の人物。直系男子という将軍位に極めて近い位置におり、冒頭で述べたように、七代家継が危篤となった際、家宣の御台であった天英院から八代将軍に推されたともいわれている人物であります。

 実際にはそうならなかったのは、一つには彼がこの時既に五十代であったこと、そしてもう一つは(これが大きいと思われますが)、彼が家臣の越智家に育てられてその家督を継ぎ、またその後に館林藩主となったという経歴があったと言われています。
 これはこれで尤もな話かもしれませんが、しかし本作はそこに独自の、そしてよりドラマチックな理由を描いてみせるのです。


 館林藩主でありながら、江戸では裏長屋に暮らす浪人・清さんとして暮らす清武。ある理由からこのような二重生活を送っていた彼は、天英院から呼び出され、八代将軍候補になるよう頼まれます。
 しかし将軍という望んでも得られぬ地位を、自らの任に非ずと蹴ってしまった清武。それには彼が市井に暮らす理由と同じ、ある過去の出来事があって――

 と、歴とした殿様が市井に暮らしているという設定にまずひっくり返るのですが(まあ、同じレーベルの別の作家の作品では、その兄の家宣が市井で暮らしているのですが)、しかしそこが本作の設定の巧みな点。

 彼が治める館林藩は、実は一度は廃され、彼の代になって再興された藩。館林城も、一度は廃されたのを、彼が再建したものであります。
 しかしそのために重税を化したことで領民の反発を招いた清武は、百姓一揆と江戸屋敷への強訴を起こされてしまったのであります(これは史実)。これは言うなれば藩主失格の烙印を押されたようなものでしょう。

 そしてその過去が、本作の彼をして市井にその身を暮らさせ、そして将軍位を辞退させたのであります。藩主失格の自分が、天下を統べることができるわけがない、それよりも市井に暮らし、庶民の目を持って共に暮らしたい……と。

 そんな彼の設定自体、十分にユニークですが、しかしさらに面白いのはここから。
 その将軍を蹴った彼に手を差し伸べ、自分のブレーンとなることを願ったのは、何と八代将軍吉宗その人。紀州から江戸にほとんど単身乗り込むこととなった彼は、幕政改革のために、清武のようなこれまでにない視点を持つ人物を求めていたのです。

 かくて将軍を蹴った男は将軍と組んで、市井に起きる様々な事件をきっかけに、幕政の改革に取り組んでいく……というのが本作の基本スタイルであります。


 先に述べたとおり、御連枝の殿様が、それも結構な年齢の(彼の正体を知らない町の人々からは「清爺」と呼ばれたりする)人物が市井に暮らし、しかも将軍のいわばご意見番として活躍するというのは、ある意味ファンタジーにファンタジーを重ねたような物語に思えるかもしれません。
(その将軍自身が、フィクションの世界では市井をうろついていたおかげで違和感が少ない……というのはさておき)

 確かに見かけはそうかもしれません。しかし本作ではそこにある種の共感と好感を感じさせるのは、その根底に、藩政での失敗という彼の悔恨と、そこから生まれた庶民への思いやりがあるからではないでしょうか。
 実は本作の第2話は、その彼の過去の失敗にダイレクトに繋がるエピソード。かつて自分が生み出したのと同じような立場の人間と出会った彼が、かつてと同じ運命を繰り返させないため奔走し、将軍をも動かす……そんな清武の人物像が、実にイイのであります。

 そう、彼は将軍を蹴った男であるだけではありません。彼は過去の悔恨を糧にして、庶民のために将軍を動かす男となったのであります。これは、ある意味将軍以上に大きな男と言えるのではないでしょうか?


 そんな清武と、まだ三十代でやり手の若手然とした吉宗の対比も面白い本作。まだまだ様々なドラマが生み出せそうな、そんな物語の開幕であります。


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