木下昌輝『敵の名は、宮本武蔵』(その一) 敗者から見た異形の武蔵伝
日本で最も知られた剣豪であろう宮本武蔵。しかしそのイメージは大半が吉川英治の作品を通じてのものであり、実像は不明の部分も多いのが事実です。本作はそんな武蔵の姿を、彼に倒された敵の目を通じて描くというユニークな作品ですが……しかしもちろんそれだけで終わるものではありません。
13歳で初めて決闘に勝利し、以来、60数回決闘を重ねていずれも勝利したという武蔵。しかし彼が勝利したということは、当然ながらそこには敗者がいたということにほかなりません。
有馬喜兵衛、クサリ鎌のシシド、吉岡憲法、幸坂甚太郎、巌流津田小次郎、そして……本作には、彼自身が記した五輪書、あるいは彼を語る逸話・伝説、そしてこれまで無数に描かれてきた武蔵にまつわる物語に登場し、そして武蔵に敗れたライバルたちが登場することになります。
しかしこれまでは、ほとんどの場合「宮本武蔵の敵」としてしか描かれてこなかった彼らを、本作は彼らが決闘に至るまでの人生を様々な角度から切り取ることにより、鮮やかに再生してみせるのです。単なる敵役ではなく、一人の人間として。
例えば第1話に登場する有馬喜兵衛は、先に述べたとおり人生初決闘の武蔵に敗れた男であり、新当流の剣士であったことくらいしか記録に残っていない人物であります。
本作はその喜兵衛を、九州は有馬晴信の遠戚であり、かつては優れた剣士として知られながらも、島原沖田畷の戦で、誤って子供たちの隠れた蔵に大筒を撃ち込ませたことから、童殺しの悪名を背負わされた男として描くのです。
主家からは放逐され、あてどなく放浪する中で遊女のヒモ同然にまで落ちぶれた喜兵衛の耳に入ってきたのは、決闘相手を募っているという少年・弁助の存在。弁助は、元服を認められるために、武芸者の首を取ることを命じられていたのであります。
ついに新当流を破門され、さらに病により余命幾ばくもないことを悟った彼は、弁助、言うまでもなく後の武蔵との決闘に臨むことを決意するのですが――
もちろんこの喜兵衛の物語は、本作独自のものであり、創作であります。しかしそこに記された喜兵衛の姿は、運命の悪戯から勝者になれなかった悲しい存在として、どこか不思議な現実感を以て、我々の胸に強く刺さるのです
そしてこの後に続く物語も、決闘者それぞれの視点から、彼が宮本武蔵を敵とした末に敗れる様を、丹念に描き出すことになります。そして同時にその敗者たちの姿から浮き彫りになるのは、武蔵その人の姿なのであります。
さて、こうして描かれる本作の宮本武蔵の半生には、黒い黒い影を落とす者が存在します。その名を宮本無二斎……「美作の狂犬」とまで呼ばれた剽悍極まりない武芸者、首にクルスと古流十手の二つの十字架をかけた男であり、何よりも武蔵の父たる存在であります。
先に述べた無惨な元服の儀式も、この無二斎が命じたもの。そしてそれ以降も、弟子を通じて、あるいは自分自身の手で、彼は我が子を血塗られた修羅の世界、最強の殺人者への道へと導こうとするのです。
そして……少々長くなりますので、次回に続きます。
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