鳴神響一『天の女王』(その二) サムライたちの戦う理由!
実在の日本人武士コンビが、17世紀のスペインで国家を揺るがす陰謀に挑む大活劇たる物語の紹介の後編であります。本作の根底にある精神性とそれを生み出すもの、それは――
それは、本作の二人の主人公が経験してきたもの、背負ってきたものに由来するものであります。
遣欧使節という立場でバチカンをはじめとする欧州を訪れた二人。支倉常長の秘書役であった外記、ある事情から日本を捨てバチカンを目指した嘉兵衛――それぞれにバチカンに、キリスト教に希望を抱いてきた彼らは、その後の経験から深い幻滅を抱き、今は剣が頼りの無頼の身の上というのは、先に述べたとおりであります。
無頼――そう、彼らはまさしく頼るもの、仕えるもの無き身の上。
日本という故国を捨て、この時代の欧州の二大権力である王と教会のどちらに仕えるわけでもない二人の戦う理由は、洋の東西を問わず武士の根幹にあるもの――忠誠心、あるいは名誉などではありえないのであります。
それでは二人が戦う理由は、単に金のため、身過ぎ世過ぎのためだけにすぎないのでしょうか?
もちろんその答えは否、であります。二人が戦う理由は、もっと大きく、根源的なもの――たとえば「義」、たとえば「自由」、たとえば「愛」。そんな人間の善き心に根ざしたものなのですから。
それは一見、ひどく陳腐な絵空事に見えるかもしれません。しかし本作に登場する敵と対峙する時、彼らの戦う理由は、むしろひどく身近なものとしてすら、感じられるのです。
己の利益を貪り、己が権力を手にする――そのために戦争を招く。そのために邪魔となる王族をその座から追う。そのために人の秘密を暴き立て、強請りたてる。
あるいは、単なる自分の好悪を絶対的な善悪の基準にすり替え、人間の自由な魂の発露である芸術を型に押し込め、あまつさえそれを以て人を害さんとする……
本作で二人のサムライが、そしてルシアやベラスケスやタティアナが対峙するのは、そんな、いつの時代にも普遍的な、いや今この時も世界各地で吹き出している人間社会の悪しき側面なのであります。
だからこそ彼らの冒険には、絵空事とは思えない重みがある。だからこそ彼らの冒険を応援したくなる……本作はそんな物語なのです。
その本作のプロローグとエピローグは、現代を舞台とした、ちょっとしたサスペンスとなっています。
ここでは、本編の物語の由来が語られることになるのですが――しかしそれだけはなく、本編で描かれた人間性の輝かしい勝利が決して一過性のものではなく、連綿と受け継がれてきたことを同時に語るのが何よりも嬉しい。
そんなプロローグとエピローグを含め、本作が与えてくれるものは、スケールの大きな伝奇活劇の楽しさはもちろんのこと、それと同時に、「勇気」「希望」「元気」――いま我々が決して忘れてはならないものであります。
物語の枠を超え、人が人として生きる上で大切なものを示してくれる――そんな本作を、現時点での作者の最高傑作であると、自信を持って言いたいと思います。
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