石ノ森章太郎『変身忍者嵐』第2巻 ヒーローと怪人という「同族」
石ノ森章太郎による漫画版『変身忍者嵐』の紹介の後編であります。一人孤独に血車党の化身忍者を屠っていくハヤテ。非情に徹した旅の果てに彼を待つ伝説の結末とは……
というわけで大都社版単行本第2巻の冒頭は第6話『蜜蜂の羽音は地獄の子守唄』。孕み女が次々とさらわれていく事件を追うハヤテが出会ったのは、蜂の力を持つ奇怪な女……
なのですが、自在に蜜蜂を操ったり蜜蝋で目を潰したりという能力以上に、奪った子供たちを蜂のように変えて操ったり、何よりもハヤテを自分の子にしておかあさんと呼ばせるという、歪んだキャラクターが恐ろしい。
ここでハヤテは自分の「兄弟」を蹴散らし、母「親」を斬るのですが……この時点で、結末は予告されていたのかもしれません。
続く第7話『菩薩の牙が霧を裂く』は、ハヤテが珍しく女性の美しさに心を動かされるという描写が登場するものの、内容的にはあまり特筆すべきところはない印象。しかし登場する化身忍者はインパクト絶大です。
そして第8話『獺祭りの雷太鼓』は、大坂城の火薬庫爆発という、本作には珍しく史実と絡めたエピソード。展開的には先を読みやすいものの、敵を滅ぼすためであれば、他者(幕府という権力)がどうなっても何とも思わない、もはやヒーローとは言い難いハヤテの言動が強烈な印象を残します。(それでいて久々に嵐に変身するのがまた面白い)
続く3話は、三部構成の連続エピソードというべき内容。まず第9話『虎落笛の遠い夏』は、江戸に出没して人々を惨殺していく虎の化身忍者との対決篇であります。
この相手の名が李徴子というのはどうかと思いますが(しかしそこに国姓爺伝説が絡むのは面白い)、注目すべきは彼が幼い頃のハヤテとは兄弟同然に育った人物という点。
家族同然の相手との死闘というのは忍者ものの定番ではありますが、ここでまたもや「兄弟」との戦いを強いられるハヤテは心に大きな傷を負い、それが物語の結末に繋がっていくことになります。
続く第10話『呪いの孔雀曼陀羅』は、江戸で人々の心を操らんとする血車党の邪教集団の尼僧との対決と、久々に(?)真っ当なアクションものという印象。
この尼僧たちは基本的には「敵」以上のキャラクターではないのですが、化身忍者に女性が多い理由と、その弱点が、ここである意味ロジカルに描かれるのが面白い。冷静に考えれば女性の孔雀って……という点を逆手に取ったような展開もユニークです。
そして第11話『血車がゆく、餓鬼阿弥の道』は実質的に血車党との最終決戦。第1話に登場し、唯一生き残った梅雨道軒も再登場、骨餓身丸との死闘も決着と、ラストらしい内容なのですが――しかしこの回は骨餓身丸の存在が全て。
TV版ではビジュアルこそ奇怪なものの、単なる粗暴な悪役であった彼に悲痛な過去を与え、そしてそれと密接に絡み合った化身忍者としての能力を与えてみせる。その上で描かれるいい意味で後味の悪い結末には、ただ唸らされるのみなのです。
それでも己の心を殺すように骨餓身丸を倒し、血車党の陰謀を粉砕したハヤテですが――しかし最終話『犬神の里に吠える』の冒頭で描かれるのは、復讐と贖罪という目的を果たしてしまった虚しいハヤテの心の内。
自分のしてきたことは何だったのか、と鬱々と考えていたところに現れた血車魔神斎の姿に、闘志を奮い立たせるハヤテですが……
しかし魔神斎を追うハヤテの前に現れたのは、人とも獣ともつかぬ子供たちの群れと、彼らが犬神の子だと告げる裸女。どこかまでも歪んだ世界の中で最後の対決に臨んだハヤテが知った真実とは……
無情とも無常とも、あるいは無惨とも言うべき結末は(私はあまり好きな表現ではありませんが)屈指のバッドエンドと今なお語り草なのも宜なるかな、であります。
そしてこの結末は、上で述べてきたように、これまでのハヤテの戦いが同族殺し――それも兄弟や母親を含めた――であったことを考えれば、ある意味当然の結末と言うべきかもしれません。
さらに言えばそれは、変身(改造人間)ものにおけるヒーローと怪人は本質的に同じものではないか――言いかえれば正義と悪の違いは奈辺にあるのかという問いかけの、究極の答えではないでしょうか(ハヤテが嵐に変身して魔神斎と対決するのがまた象徴的)
そしてそれを、上に述べたように同門との対決というのは忍者ものの定番の中で昇華してみせたのにも痺れる本作。
変身ヒーローものとして、忍者ものとして……やはり名作というほかない作品と再確認した次第です。
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