瀬川貴次『ばけもの好む中将 六 美しき獣たち』 浮かび上がる平安の女性たちの姿
『暗夜鬼譚』の復刊もめでたく続きがでましたが、こちらももちろん続く瀬川貴次『ばけもの好む中将』。前作で鬱々としていた宣能も復活し、さて再び宗孝の受難の日々が……と思いきや(いや受難はするのですが)今回は少々趣を変えた重めの物語が展開いたします。
宗孝の八の姉である梨壺の更衣の出産も近づく中、宮中での思わぬ出来事で腰を痛めた宗孝の父。姉たちが入れ替わり立ち替わりで見舞いに訪れる中に、九の姉が久々に宗孝の前に姿を現します。
中流貴族と早々に結ばれたものの、地方に赴任した夫について行かず、都で暮らす九の姉。夫の心が離れるのではないかと不安に思いながらも、しかし任地についていけない彼女は、梨壺の更衣に複雑な想いを抱いていたのです。
かつて宮中で舞を披露した際に、帝に見初められた梨壺の更衣。しかしその舞は元々は九の姉が舞うはずだったものの、自分に自信の持てない彼女は、夫との結婚を口実にその役目を下りたのであります。
もし自分があの時舞っていたら、帝に見初められていたのは――という想いを抱えた彼女は、ある日出かけた稲荷社で、曰くありげな老巫女たちから「あなたは特別なお方」と声をかけられて……
これまで様々なエピソードで登場してきた宗孝の十二人の姉ですが、今回の九の姉を以て、ついに全員登場したことになります。
(そのためか、この巻から巻頭に姉リスト付きの人物相関図がついたのは有り難いところです)
その九の姉のキャラクターは、これまでの基本的にたくましかった姉たちとは少々異なり、毒親気味の母に育てられた結果、自分に自信が持てず、それでいて、過去のタラレバにすがってしまうという、ある意味実にリアルな人物として描かれております。
そんな彼女が怪しげな巫女たちに目を付けられたのが今回の騒動の始まり。彼女につきまとい、次第に行動をエスカレートさせていく巫女たちは何者なのか、そしてその目的は何なのか――宣能と宗孝(と前回登場した色々な意味で自虐的な陰陽師・歳明)は、九の姉と巫女を追って稲荷社に向かいます。
そこで起きる騒動の数々は、相変わらずの賑やかさと楽しさなのですが(特にクライマックスの一大追跡劇で披露されるアクションとそのオチ)、しかし今回の物語は、そこからさらに思わぬ展開を見せることになります。
拠ん所ない事情から、梨壷の更衣の局に身を寄せることとなった九の姉。思わぬことから帝に出会ってしまった彼女の胸に、あのタラレバが甦って……
二部構成の後編で舞台が宮中に移ることもあり、見かけ上は比較的おとなしめにも感じられる本作。上で述べたように、前編でのクライマックスのテンションがえらい高かったためもありますが、しかしそれとは別のベクトルで、後編も熱を持った物語が展開します。
既に失われて戻らない過去――いや、そもそもなかったのだけれども、もしかしたらあったかもしれない過去。誰にでも一つや二つはあるそんな過去が、もしかしたら取り戻せるかもしれないとしたら……
後編で描かれるのは、そんな想いに取り憑かれた一人の女性の物語。その姿は、前編の巫女軍団とは異なる意味で、己の目的に貪欲な者、「獣」と呼べるのかもしれません。
ここで自分の恥を白状しますが、僕はこれまで本シリーズの賑やかで明るい楽しさ――宣能や宗孝のやりとりや、怪異を巡る騒動など――にばかり目を向けていて、シリーズが持つもう一つの、大きな特長を見落としておりました。
それは、本シリーズが平安時代の女性たちの姿、生き様を描いた物語であること。
宗孝の十二人の姉たちは、この時代に確かに生きていた、しかし歴史にはほとんど残ることのない女性たちの代表として、物語に登場しているのではないか……そう感じられるのです。
男連中が夢に、欲望にと賑やかに騒いでいる一方で描かれてきた彼女たちの姿は、(もちろん十の姉のようなデウス・エクス・マキナめいた例外はあるものの)ひどく切実で、現実的な存在として感じられます。
そしてそれだからこそ本シリーズは、面白おかしい物語でありつつも、それに振り回されない地に足の着いた物語が描かれてきたのでしょう。
これまでとはいささか異なり(第4巻のともまた異なる意味で)、次の巻へと不穏なものを残して続くこととなった本作。
その先に待つものは――もしかすればクライマックスは近いのかもしれません。
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