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2017.07.16

田中芳樹『天竺熱風録』 普通の男のとてつもない冒険譚

 先日、伊藤勢による漫画版第1巻をご紹介いたしました『天竺熱風録』の原作小説であります。玄奘三蔵の天竺行からやや遅れた頃、天竺の内紛に巻き込まれた外交使節・王玄策が、一国を向こうに回して途方もない大活劇を繰り広げる冒険譚であります。

 時は七世紀半ば、天竺は摩伽陀国へ送られたものの、前王亡き後に国を簒奪した阿羅那順に捕らえられ、投獄されてしまった王玄策一行。
 獄中で奇怪な老行者・那羅延娑婆寐と出会った玄策は、老人の力を借りて副官と二人、救援を呼ぶために牢から脱出することになります。

 亡き王を慕う人々の手を借りて摩伽陀国から逃れ、これまでの旅で立ち寄った吐蕃(チベット)と泥婆羅(ネパール)、両国の力を借りるべく急ぐ玄策たち。
 交渉の結果、両国から幾ばくかの兵を借りだして摩伽陀国に戻った玄策ですが、しかし摩伽陀国軍は多勢の上、巨象を乗騎とする部隊まで擁する状況であります。

 圧倒的不利な状況の下、果たして玄策は敵を打ち破り、仲間たちを救い出すことができるのでしょうか……


 という、それこそ孫悟空でもいなければ無理といいたくなるような状況で繰り広げられる大冒険を描く本作。
 これが、ディテールはさておき、大まかには史実というのですから驚かされる……というより、そんな史実を発見して、これだけの物語に仕立て上げてみせたのは、これはさすがに作者ならではと感心するほかありません。

 さて、そんな本作ですが、内容もさることながら、特徴的なのはその語り口、文体であります。
 ですます調……とも少し異なる、そう、言うなれば講談調と言うべき文体で繰り広げられる物語は、独特のリズム感とテンションの高さ、そしてどこかユーモラスな(と言って悪ければ、ホッとさせられる)空気を漂わせているのです。

 この辺りは、あるいは好き嫌いが分かれるかもしれません。もっと固めで、風格ある歴史小説的な文体の方が良かった、という方もいらっしゃるでしょう。
 その辺りは、作者も当然考慮の上と考えるべきかと思います(言うまでもなく、「そういう書き方」でもいける……というよりおそらくそちらの方が楽なのですから)。

 しかしそれでも敢えて作者が本作にこうした文体を選んだのは、先に述べた空気、雰囲気こそが本作には相応しいと、そう考えたからではないでしょうか。
 決して無敵の英雄豪傑の物語ではなく、ちょっと人より優れたところはあるものの、あくまでも普通の男の冒険譚――本作はそんな物語として描かれたのではないかと、そう想像してしまうのです。

 上で触れたように、本作で描かれる物語のベースとなっているのは史実、王玄策も実在の人物です。
 しかし日本においては、本作がなければ、王玄策という人物は知られることがなかったのは間違ない程度の知名度。そして中国本国の歴史書においても、彼の晩年ははっきりしないのであります。

 それはいささか寂しいことではありますが……しかし後世まで人口に膾炙するような一騎当千の豪傑ではないからこそ、本作で描かれる冒険譚は逆に異数のものであり、そして素晴らしく感じられます。
 そしてそんな物語だからこそ、本作は四角四面なものではなく、面白おかしく物語られるスタイルとなっているのであろうとも。

 正直なところ、その面白おかしさ(たとえば敵王夫妻のキャラクター)が物語の緊迫感を削いでいる面はなきにしもあらずなのですが――しかしそのまさしく講談的な肩の凝らない楽しさは、また得難いものであります。


 そしてそんな本作の結末、全ての冒険が終わり、静か王玄策が静かに去っていく姿からは、彼が華々しい「虚」の世界から、静かな「実」の世界に帰っていくような――そんなもの悲しくも美しい空気が漂います。
 それはあるいは、作者が玄策という人物を、物語から史実に敬意を以て送り返したということではないか――そんなようにも感じられるのであります。

 そして、果たして漫画版がどのような結末を迎えるか、それはわかりませんが、おそらくはこの原作のものとは全く異なるものとなるのではないか、とも感じている次第です。


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