たかぎ七彦『アンゴルモア 元寇合戦記』第8巻 戦いの理由、それぞれの理由
ついにアニメ化も決定した『アンゴルモア 元寇合戦記』の最新巻であります。刀伊祓とともに蒙古軍を辛くも撃退した迅三郎たち。しかしこれより対馬に襲い来るのは蒙古軍の大軍――そしてその敵の側にも、それぞれの事情があることが描かれることになります。
蒙古軍の猛襲を前に撤退を余儀なくされ、遥かな昔から海の向こうの敵に備えてきた刀伊祓の人々と手を組み、金田城に篭ることとなった迅三郎たち流人衆と宗家の人々。
流人の一人・白石の裏切りにより窮地に陥りつつも、ウリヤンエデイ率いる蒙古軍を撃退した迅三郎たちですが、しかし微かな希望を打ち砕くように、そこに蒙古軍の本隊が……
というところに来て、一旦時と場所を変え、この巻の4割近くの分量を割いて描かれるのは、なんと敵方である蒙古軍の一翼を担う高麗軍の物語。
以前、迅三郎たちに息子を討ち取られた高麗軍大将・金方慶の回想として語られるそれは、同時に彼らを送り出した高麗王・諶(忠烈王)の物語でもあります。
30年にも渡る戦いの末、蒙古に屈した高麗の王として、父がフビライの宮廷で辱めを受けていた無念から、蒙古における高麗の地位を上げるんと心に誓った諶。そのために彼は皇帝の娘婿の座を狙い、皇帝の親衛隊に加わることになります。
そこでフビライが諶にぶつけたのは、娘が欲しければ武功をたてよという言葉。そのために、彼は蒙古に抵抗してきた三別抄(高麗の武力集団)を蒙古軍とともに滅ぼし、日本へ軍を派遣することに……
侵略した国を次々と傘下に収め、そしてその国の兵を以って他の国を攻撃させる――この蒙古の基本政策によって、日本侵略の主力となった高麗。その史実を、本作は諶の変貌を通じて描き出します。
はじめは気弱な部分も持ちつつも、祖国の地位向上という理想を燃やしていた一人の青年が、その理想へと向かう中で、自分にとっての「祖国」の意味を違えていく。その姿を愚かと笑うことは容易いかもしれません。
(たどたどしくも自分の言葉で語っていた諶が、やがて流暢にフビライへの忠誠を叫ぶようになる姿が実に象徴的)
しかし金方慶が嘆じるように、三十年間かけて「多くが死に多くが灰となり何も残らなかった」虚しさから逃れるために足掻いてきた者たちが、ようやくそれを叶えるための術を見つけたとしたら……
それが他者を、いや同胞をも踏みつけにするものであったとしても、その術に手を伸ばすことの是非を、ここですぐに言葉にするのは困難と感じます。
しかし、それに対して明確に「否」と答えることができるのは、少なくともその彼らにまさに踏みつけに――昨日の彼らと同様の存在に――されようとしている者たちでしょう。
そしてそれこそが本作の主人公・迅三郎と、彼が行動を共にする人々であることは言うまでもありません、
絶望的な戦力差の前に逃亡する者も現れ、ついに当初の半数となった流人衆。そんな中でもなおも対馬に残り、戦い続けようとする迅三郎ですが――しかしその彼が戦う意味はかつてと今で異なってきたことが、この巻の終盤で語られることになります。
かつては戦のために戦を求めていた彼が、ここで見つけた戦以外のための戦。その答えは、上で述べた高麗王の戦に対する、強烈なアンチテーゼと感じられます。
もっともそれは、この戦いに勝って、いや生き延びてこそ言えること。
頼りとしてきたか細い希望の糸が切れたことも知らぬまま、決戦に望む迅三郎たちの運命は――まだまだ対馬の戦いは続くのであります。
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